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作品名:『チベット高原を旅する』〜三人の兄妹の悲劇〜 作者:なおちー

第3回   「兄が私を裏切るわけないもの」
         『ラマ教』 チベット仏教に対する俗称。

  インド仏教の正統を継承するものであるが,この俗称のために異端もしくは
     変容のはなはだしい仏教であるかのように誤解されている。
 
       ラマbla maは〈師〉を意味する。
             〈ラ〉は〈生命の根元〉をいう名称。
             〈マ〉はそれを託された人の意味。

       密教ではとくに師と弟子の密接な関係を重視するところから,
       チベット仏教の特徴と誤解され,また,中国でチベット仏教の僧を
  〈剌麻(喇嘛)〉と呼び慣わしたところから,日本でもこの呼称が一般化した。               
  
                             世界大百科事典より

  第二次大戦前、ナチスの高官ハインリヒ・ヒムラーや
  地質学者カール・ハウスフォーファーはラマ僧に深い感銘を受けた。
  その思想的影響はヒトラーにまで及ぶ。チベット仏教を初めとした
  アジア各国の仏教の影響で逆向きの卍で有名な鍵十字のマークを作るに至る。

  ナチスは古くからチベットに注目して探検隊を派遣していた。
  チベットには幻の理想郷シャンバラが存在するとされ、
  ナチスが優越民族としていたアーリア人の起源であり、
  祖先がシャンバラに住んでいると信じられていたのだ


※飛鳥ルナ

なんか上の方にナチスの話と書いてあるけど興味のない人はスルーしてください。
私は純粋にチベットの歴史に興味があって寺院巡りをしたいのであって、
ナチスのオカルト趣味に興味ありません。そもそもドイツに興味ない。

私はホテルのチェックインを済ませて部屋に荷物を置いた。

1階の食堂で提供された夕食のメニューは、「モモ」 チベット風の餃子。
これは日本のインド料理店でも提供されるので知ってる人は多いはず。
チベット風の回鍋肉「シャプタ」 水をきって固くなるまで炒めた豚肉に、
トマトと玉ねぎをパリパリに焼いて添える。味付けは辛めだけど、
四川料理に比べたら余裕。

あっちの料理は辛すぎて涙が出てしまうから慣れるまで大変だった。
他にはキクラゲを入れたサラダとか、中華風のメニューが多かった。

ご飯も食べられた。日本のコシヒカリと違って硬いけど普通に食べられる。
飲み物はチャイ(濃いミルクティー)でお替り自由だった。

モンゴルの食事に比べたら楽勝。モンゴルで遊牧民に出された白い食事
(乳製品中心で乾燥チーズや馬乳酒など)に比べたら普通に噛めるだけでも満足かな。
アーロールは固すぎて歯が折れるかと思った。保存に適した乾燥チーズとはいえ、
あそこまで硬くする意味があるんだろうか。馬乳酒も独特の臭みがあって苦手だ。

今夜はボリシェビキご姉妹の皆さんとご一緒させていただいたものだから、
ゆっくり味わう暇もなかったのだけど。

食事を済ませた後は部屋に戻る。ここからが私の仕事だ。

「改めて挨拶させてもらうわ。ごきげんよう。ルナさん」
「は、はい。同志閣下っ……」

ユウナさんは高山病が治ったのか、元気そうだ。
そして私を怖い顔でにらんでいる。私とアツトさんはボリシェビキを
裏切ってモンゴルへ逃亡した。ソ連なら極刑のところを、ユウナさんが許すわけがない。

私達はテラスで夜の風(寒暖の差が激しく9月でも寒い)を浴びながら話をしていた。

「兄さんから聞いたわ。あなたは私の悩み相談役なんですってね。
 私の言い分をたっぷりと訊いてもらうからね」

ユウナ閣下は別人のようにやさぐれている。
永遠と続いたお話は、最初から最後まで妹様の悪口で占められていた。
同じ話を何度も繰り返すので暗記できてしまうほどだ。

一番根に持ったのは、新婚旅行の時。

優菜さんたちは海なし県の出身のため、栃木ソ連領内の茨城の沿岸にしようと、
大洗にあるリゾートホテルに予約を入れる。
するとなぜか三人分の料金を払うことになった。
アユミさんが参加することになっていたのだ。

新婚旅行なのに……なぜアユミさんも。わけを兄上に訊くと
「アユミも一緒に行きたいって言ってたから」とのこと。ユウナさんは激怒した。
その後こっそりと旅行先を変更してもアユミさんは瞬時に察知して妨害する。

休みの日もアユミさんは夫婦のマンションに顔を出して食事を一緒にとる。
そして夜遅くまで帰らない。SNSのやり取りにも顔を出した。
夫婦二人だけのラインは、兄妹三人のグループトークとなり、アユミさんが
参加しない状態での会話を禁止された。これにも当然ユウナさんがブチ切れるが、

「アユミがそうしたいって言うから」と兄は言う。何かを諦めたような顔だったという。

ユウナさんの怒りは、妹を図に乗らせる兄に向けられていたが、次第に妹本人へと移る。
ある祝日、お昼をお邪魔しようと玄関のチャイムを鳴らすアユミさんに対し、
バケツの冷水を浴びせてやった。
アユミさんは買ったばかりのワンピースを台無しにされた怒りで、
キッチンから包丁を持ち出して姉に襲い掛かった。

今まで幾度も喧嘩を繰り返してきた高倉姉妹でも、今回ばかりはシャレにならない。
優菜さんは腕に軽い切り傷を負うが、お返しにゴキジェットをアユミさんの顔面に噴射。
あやうく失明しかけたとう。

ユウナさんが床をのたうち回る妹にとどめを刺そうと、包丁で背中を
刺そうとした時、ナツキさんがユウナさんの顔を力強く叩き、床へ突き飛ばした。

急いでアユミさんを病院に運ぶ。真水で目を洗い流す以外に治療法はなく、
激痛と戦うことになる。傷が癒えてからは、
「やっぱりお兄ちゃんは私を助けてくれた。大好き。愛してる」とアユミさんは
ますます兄に甘えるようになってしまう。

ナツキさんの、アユミさんを救おうとする意志の強さといったら。

「ひどいと思わない? 妻の私だって腕に傷を負ったのよ。
 もう治ってるけどさ、当時は血だって出ていたんだから」

「ナツキさんの言動は、妻であるユウナさんに冷たいですよね。
 アユミさんに弱みでも握られてるかのようにも感じられますけど」

「兄は昔からあんな感じよ。アユミばっかり甘やかして。
 認めたくないけど今でもアユミのことが好きなんでしょ。
 でも今は関係ないわ。ナツキは私を妻として選んだのだから」

この人の主張はソ連の法律的(私は知らないけど)にも間違ってないそうだ。
別に日本の法律だとしても間違ってはいないと思う。
でも夫婦には子供がいるわけでもないし、
離婚しようと思えば簡単だ。ナツキさんが二番目の妹を選べばいいだけなんだから。

お二人はご夫婦になって1年足らず。私とアツトさんと時期は同じだ。
私も今では夫と世界を旅する生活を送っている。愛する夫に裏切られた
ユウナ様の話には同情してしまうけど、実は私も結構ストレスが溜まっている。

私がこの話を聞いてずっと思っていたことは、どうしてチベットの宿にいて
日本のつまらない話を聞かされているかということ。しかも昼ドラの安っぽい脚本。
こっちは日本のことを忘れたいから海外に来ているのに。
バカらしいけど粛清されないだけでも感謝しないといけないから、
話を聞いてるふりはしないと。

私は夜遅くに自室に戻り、ビールを飲もうとしたけど、
明日の観光に支障が出るからとギリギリで思いとどまった。



※ アツト

「で、君はどう思うんだ?」
「いや、どう思うって言われてもっすね」
「アユミの件をどうすればよいのかと聞いているのだよ!!」

テーブルを拳で叩くナツキ。この野郎は酒が入ると粗暴になる。
「ヒラヤマンレッド」って名前のビールを浴びるように飲んでやがる。
つまみも食べねえし、水も飲まないときたもんだ。
体に悪そうだが、止めるわけにもいかねえしな。

俺はナツキの部屋に呼ばれて酒盛りに付き合わされている。
アユミの件をどうするかって話なのに、ナツキの隣には当たり前のように
アユミ本人がいるから吹くぜ。このお嬢さんもそろそろお兄ちゃん離れしたらどうだい?
自分の話をされてるのに、まるで関係ねえって顔で、ナツキの膝の上で甘えてやがる。
猫属性なのか? 何度見てもとんでもねえ美少女だ。まず成人してるように見えねえ。

「仮に離婚話をしたところでユウナさんは認めねえでしょうね。
 かといって夫婦生活を続けてもアユミさんが自傷行為しちゃうから心配っすよね……。
 うーん。いっそ二人まとめて結婚するっていうのは?」

「ダメに決まってる!! 妻が二人もいるなんてけしからん!!
 実にけしからん!! それは女の子の気持ちを踏みにじる最低の行為ではないかね!!
 僕はハーレムラノベの主人公じゃないんだぞ!!」

実際にハーレムだろうが。俺だったら日替わりで抱いてやるぜ。
でもよぉ。妹相手に欲情できるもんなのか? 
俺も妹が一人いるけど妹の裸なんて母親と変わらねえぞ。
下着なんて触りたくもねえ。

「私は、お兄ちゃんがいないと生きていけないのです」

あん?

「同志アツト。聞いてください。兄は幼い頃の私をお風呂場で無理やり襲ったの」

今の話を要約するぜ。ナツキ殿は、
当時中学に上がったばかりのアユミにセクハラを繰り返していたそうだ。

そのためアユミは本格的に性に目覚め、兄を異性として意識するようになった。
自分の方は好きなだけ妹にイタズラしておいて、飽きたら捨ててユウナさんと結婚する。
だから最低野郎って理屈らしいが……。なんか釈然としねえんだよな。

いや解決法はあるぞ。アユミがすっぱり諦めればいいだけだ。少なくとも兄は
優菜を選んだし、結婚式にもアユミは呼ばれたわけで、公の場で姉の婚姻を
祝っているわけだぞ。むしろこの問題は、元凶は諦めの悪いアユミじゃねえのか?

「お兄ちゃんが私を捨てるなんてことは絶対にないよ」

狂気に満ちた目で言うアユミ。やはり泥沼か。
こいつの目つきはまじでイっちまってる。ナツキが困るのも納得の理由だ。
どうやっても解決しねえ物事のことを、悩み事って言うのかね。

俺も運のない奴だぜ。妻との楽しいチベット観光になるはずが、
リアル昼ドラに付き合わされるなんてよ。
そーゆーつまんねえドラマは日本のテレビ局でやってろよ。月9とかな。

あっ……そうだ。いっそ互いの奥さんを交換するのはどうだww? 
俺が代わりに妹二人をかわいがってやるよww
もちろん冗談だがww

ナツキの愚痴は夜遅くまで続いた。


※三人称

二日後。高倉兄妹に寺沢夫妻を加えた計5名。
好天に恵まれ早朝からホテルを出発する。

初日にユウナが体調不良を起こしたこともあり遠出は危険と判断。
チベットの気候に体を慣らす意味もあり、目的地はラサ市内のポタラ宮とする。


            ・ポタラ宮

  1642年、チベット政府「ガンデンポタン」の成立後、その本拠地として
  チベットの中心地ラサのマルポリの丘の上に十数年をかけて建設された宮殿。

    13階建て、基部からの総高117m、全長約400m、建築面積にして1万3000uという、
           単体としては世界でも最大級の建築物。

        チベット仏教及びチベット在来政権の中心であり、
      内部に数多くの壁画、霊塔、彫刻、塑像を持つチベット芸術の宝庫でもある。
        ポタラの名は観音菩薩の住むとされる補陀落の
       サンスクリット語名「ポータラカ」に由来する。

                         wiki より抜粋。

※ アユミ

ポタラ級はそびえ立つ白い巨人。出窓につけられた無数のノレンが風になびく。
寺院のてっぺんには中華人民共和国の国旗がある。あれってよく見ると、中国とか日本の
お寺とそんなに変わらないんだよね。屋根の形とかテラス?の形とか同じ文化を感じずにはいられない。

私達は歩いて登らないといけない。びっしりと石が敷き詰められた、幅の広い坂道は、
くねくねしながら永遠と続いている。ここから見るとポタラ級の壁面の壮大さに
圧倒される。どうやったら頂上まで着くんだろうってレベル。

階段にして300段分もあるのだ。石造りの斜面を10メートル歩き、
階段を三段登る。また斜面を登り、階段を三段登る。この繰り返し。

階段の両脇にある真っ白な壁も、私より背が高いんですけど。
レンガ造りなのか石造りなのか知らないけど、どうやって標高4000メートルで
人類がこれを作ったのか。登るだけでもこのありさまなのに肉体労働とか。

日ごろの運動不足のせいで足腰が大変なことになっている。
まだ歩き始めてたったの5分。

   うそっ 私の足腰、弱すぎっ!?
   ポタラ宮の坂道を少し登っただけで、体力のなさが判明してしまう!!
   今なら最短5分で無料診断!! 世界各国から観光者多数!!
   誰もが亀の歩みをしないと高山病にかかると評判です!!


「はぁはぁ……実にしんどいな。空気が薄いと体の動きが鈍る」
「やーねぇ。お空には屋根がないのよ。やーねぇ」

苦し紛れに絶望的に寒い冗談を言う姉を蹴っ飛ばしてやりたいが、そんな余裕などない。
むかつくことに兄の隣がユウナに奪われてしまっている。
私はどんどん先を進んでいく寺沢夫妻と、その後ろを歩く兄と姉を前方に見据えている。

寺沢夫妻が速すぎて笑う。あいつら高山病にもかからないし、
坂道を歩いても全然息が切れてない。無理してるってわけじゃなくて普通の顔をしてる。

「にしぃしぇへあぁ」「はお? だーちてぇんざいはぁ」「わぁしょお」

中国語らしき言語を話す観光客が多い。チベット語なんだろうか?
今日は金髪の白人も多い。この人たちはグループごとに固まり、老人のような
足取りで坂を上っていく。私と同じペースだ。多分これが普通だと思う。
世界各国の観光客に交じって坂を上るのは新鮮な気分だ。

階段の途中で座り込んで休憩している、二人組の若い女性がいた。
つやつやの黒髪で美人だ。私達と同じアジア系なんだろうけど話してる言語が違う。
疲れてるかと思ったら早口で楽しげに会話してる。元気だね。

私を追い越していった、金髪の白人おばさんは、暑いためか、脱いだパーカーを
腰に巻いている。隣を歩く旦那らしき人とサングラスでペアルックだ。
白人はサングラス率高いよね。理由は瞳の色素が薄いから光に弱いからだそうです。

やれやれ。
人のことなんて冷静に観察してたら歩くのが遅くなってしまう。

「お兄ちゃん。進むの速いよ!!」
「アユミ……ごめんな」

なぜか兄は私を置いてどんどん先へ進んでしまう。
坂道の角を曲がってしまうと二人の姿はもう見えない。
視界から消える瞬間にユウナと手を繋ないでたのを確認…!! 
兄者殿!! なにゆえ、そのやうなことをなさるのか(涙)!!


※ ナツキ

デヤン・シャルの広場と呼ばれる場所に着いた。ようやく平地だ。
しかし喉が渇いた。この観光地は国際的に有名なため、テロ対策と称して
入口で念入りに持ち物検査が実施される。水の入った飲み物は没収されてしまう。
よって水分補給なしで坂を上るのだ。

坂道で汗ばんだので上着は脱いで半袖一枚の状態だ。
ユウナも薄着になっているんだが……胸が大きいな。薄手のロンT越しに
ブラの形がはっきりと見えてしまう。歴史的建造物の前で何を考えているんだ僕は!!

「あそこに売店があるわよ。飲み物が売られているのかしら」

ミネラルウォーターは売り切れだと……?
乾季のためか水不足らしい。
そこで割高の緑茶を購入。砂糖が入ってるのには驚いた。

広場の一角には給湯器があり、そこに人々が列を作っている。
「空の水筒を持っていれば、水やお湯が無料でもらえるんすよ」
と寺沢アツト君が言う。寺沢夫妻は空のマイボトル持参だ。いかにも旅慣れしてるな。
空のボトルなら入口の検査に引っかからないのか。なんてことだ。
僕は緑茶を買った(日本円換算で240円)のが馬鹿らしくなり腹を立てる。

「君!! そんな便利なものがあるなら初めから教えたまえ!!」
「あの、同志閣下。私の分でよければどうぞ」
「ルナ君。いいのかね。君の分がなくなってしまうぞ」
「私は夫のボトルを半分ずつ飲みますから。遠慮なくどうぞ」

実は二重の意味でうれしかった。
ルナは美人さんだ。孤島作戦の時とは違い口調も洗練されている。
モンゴルへの旅がそうさせたのか、引きこもりがちで自分に自信のなかった
頃の彼女は過去のものとなりイキイキとしている。髪はつやつや、血色もよく
大きな瞳は輝いているようだ。なお渡されたボトルは彼女が口をつけたものである。

「では遠慮なく」「あなたっ、なにしてるの!!」

妹に怒られる。妹であるが、妻でもある。

「ルナちゃんは私の旦那に手を出したいの?」
「は……? いえいえ!! そんなつもりはありませんっ!!」
「さっきナツキがあなたのことをいやらしい目で見ていたわ!!」
「そ、そんなこと私に言われても……困りますっ」
「人の旦那を誘惑したわね!!」
「ですからっ、そんなつもりはありませんっ!!」

アツト君が腹を抱えて笑っているのが気になるが……。
君の妻の危機なのに助けなくていいのかね?
僕もユウナがヒスってるので関わりたくないのだが。


※アユミ

途中で何度か休憩を入れながらも、なんとか広場に到着。
汗やばいんですけど。空気が冷たいのに、こんなに汗かくとは思わなかった。
やっぱ運動不足やばいっしょ。

「アユミ様。助けてくださいっ!!」

ルナちゃんが助けを求めてる。メスブタ(姉)にそでをつかまれて
ギャアギャア言われてる。よしよし。かわいそうに。今助けてあげよう。

「あのー。そこの更年期障害のおばさん」
「ああ!?」
「私が代わりに話を聞いてやろうではないか。分かりやすく説明してみなさい」
「妹のくせにその口調っ!! 生意気っ!!」

ほっぺたを引っぱたかれた。こちとら坂道で疲れてるのに……。
殺してやりたいけど観光中だから我慢しないと。
ユウナはまだルナちゃんに文句を言っている。
お腹がすいて機嫌が悪いんだろうか。デブだから。

私はルナちゃんを救うためにブタ女のお尻を蹴った。
前のめりになるが、なんとか耐えるユウナ。

「なにすんのよ!!!!!」

つばが飛んだ……汚い。ビンタされたのでこっちもやり返すと、
今度は互いの髪の毛を引っぱりあう。私達の周囲に人だかりができている。
外国語でわいわいしてるけど何を言ってることやら。
ちなみに異国の地だと日本語で喧嘩しても内容は知られない。少しだけ便利。

中華人民解放軍っぽい警備の人が走ってやってくる。
いよいよやばい事態となり、兄が英語で謝罪を始める。
周りの人に迷惑なだけでなく、宗教的に意義のある遺産の前でふざけるなら
逮捕するとまで言われてしまい、私達はウサギのように来た道を引き返す。

下り坂はこんなに楽なんて……。



一行はその後、市内のレストランで伝統料理・寄せ鍋を食べた。
季節外れだと思いユウナが嫌な顔をするが、
食べてみるとスープに辛みが効いてなんとも美味。
肉もたくさん入っていた。疲れた体には人肌に暖められた緑茶が染みる。

昼下がりになる。午後の予定は特になく、明日の予定はどうするかと
ナツキと寺沢夫妻が盛り上がる。チベットは広大なり。天空の台地なり。
やはり天空の鉄道の旅こそ男のロマンと、アツトが熱く主張しナツキも折れる。

これにてチャド湖を目指すことが決定しつつあったが、

「遊牧民の生活を見て見たい」とユウナが手を上げると、
「めんどくさいからラサ観光でいいじゃん。買い物とか」アユミが反対する。

「あんたにしてはグッドアイディアね。買い物なら一人で行くんでしょ?」
「あんたも一人で遊牧民のところに行けば? いっそ帰ってこなくていいよ」
「……なんか言った?」
「いやだから帰ってくるなって」
「黙れ」
「はいはい。黙りますよ。ブタに日本語は通じないもんね」
「おい。それ以上しゃべるな。ぶち殺してやろうか?」
「やれるならやってみろよ。鼻息荒いんだよ」

お決まりの取っ組み合いを始める。何をするにしても考えの合わぬ姉妹。

妹の相手をするのが疲れてきたナツキは、権力を行使して
寺沢夫妻に事態の鎮静化を命じる。これには夫妻が困り果てる。

レストランのすぐ外での喧嘩。町の通りの中央には警備兵がおり見つかるのは時間の問題なり。
ポタラ宮に続いて二度目の粗相となれば、当局に拘束される可能性すらある。
ここはチベットであるが正式名称をチベット自治区と呼び、中華人民共和国の一部なのである。
中国とは共産党一党独裁が行われている地域であり、日本人に対しては歴史的に敵対的である。

奥から店主とその妻が出てきて不快な顔をする。
彼らからしたら見知らぬ外人が営業妨害をしていると映るだろう。
通報されたらどうなるか。ユウナとアユミの茶番は茶番でなくなる可能性がある。

「ち……しょうがねえな。おーいお二方、その辺でやめときましょうや。
 ささっ。どっちも悪かったことで喧嘩両成敗にさせていただきますよ」

アツトが二人をなだめてその場から立ち去る。

アツトがアユミの、ルナがユウナの付き人になり、互いの距離を無理やり離した。
しかし両者の殺気は尚も健在であり殺伐とした会話を続けていた。

「今は我慢してやる。次ふざけたらどうなるか分かってるんだろうね?」
「それはこっちのセリフだよ。不愉快なら話しかてこない努力をしたら?」

まさにいつ弾道ミサイルの発射ボタンが押されるかもわからぬ状況であり、
ルナはストレスで口内炎ができそうだった。
ナツキの提案でその日はお開きになり、
誰もが暗い表情のままホテルへ戻り一夜を明かした。


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