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作品名:『チベット高原を旅する』〜三人の兄妹の悲劇〜 作者:なおちー

第12回   再開 四
「親なら子の心配をするなら当然だ。親にとって子供は何歳になっても子供だ。
 君が家の経済を支えていたとしても、お父さんにとっては君はあくまで娘なんだ。
 誰だって娘に幸せになってもらいたいと願うだろうよ。たぶんね、
 そのコインはもともとはお父さんが君のために買ったものなんだろう。
 君だけじゃなくて、アユミさんの分も買ってあったんだと思う」

「あり得る話ですね。実際に父は中東でも勤務してましたから、
 その時に買っておいたのかもしれません」

「中東か……」

「何か気になります?」

「お父さんは宗教はやってる人?」

「それが全然ですよ。学生の頃から科学万能主義者だったみたいで
 神様どころか、家の仏様ですら信じていませんよ」

「そっか。なら違うか」

「何がですか?」

「中東にはイスラム教が7世紀に普及する前に、ユダヤ教が一部広がった地域も
 あったんだ。でもユダヤ教が広まるもっと昔の時代……、
 そうだな、今から4千年くらい前になるのか。
 その時代からたくさんの神様と悪魔が住んでいるとされていたんだ」

「つまり、父が悪魔の力を借りた可能性があると?」

「可能性はある。無意識のうちにそうした可能性もあるけど。
 あるいは悪魔じゃなくて神様の力かもしれない」

「太盛さんはさっき、父が中東でコインを買ったと言いましたよね?
 コインを悪魔か神様から買ったってことなんですか?」

「いや。普通に貴金属販売店とかで買ったものだと思うよ。
 国の認可を経た本物の純金だったと思う。だった、というのは、
 それを何者かと交換した可能性があるからだ」

「交換した相手は、人ではない者ってことですか?」

「そういうことになるな。今後はそのコインをみだりに人に見せてはいけないよ。
 かといって手放してもいけない。きっと君の身に災いが降りかかるから」

ユウナは身震いした。一口も口をつけなかったコーヒーはすっかり冷めてしまっている。
アユミは我関せずと言った様子でワッフルをもぐもぐと食べていたが、
咀嚼してから太盛に話しかけた。

「お父さんに事情を聴くのが一番の近道だと思います」

「そうだね。家に帰ってからゆっくり話を聞いてるといい。
 俺の推測通りだとすると、簡単には口を割らないと思うがね」

ユウナはすっかり考え込んでしまい、何を話しかけても上の空だ。
まもなくミウが来る時間だった。太盛がスマホを確認したタイミングで
待ってましたとばかりにミウからの着信が鳴る。

「ミウか。予定より少し早いな」

太盛は携帯を耳に当てる。最初は穏やかだったが、次第に彼の声が荒々しくなる。
また喧嘩かと、アユミは呆れていたが、どうやら違うようだ。

「結論を言おう。君たちのお父さんが足利市内から脱走したらしい」

「は……?」

「今日の昼、ミウが緊急の用事で学校に呼ばれたのはそのためだ。
 学園関係者の親が脱走した場合は、諜報広報委員部が総出で取り締まる
 決まりになっている。君のお父さんは現在も脱走中で行方をくらましているらしい」

「どうして父が脱走なんて!!」

「落ち着くんだユウナさん。いったんモールから外に出よう」

外は、むわっとした暑さに支配されている。
日は傾いているが湿度が消えるわけではない。
太盛は持参したペットボトルの緑茶を一口飲んだ。

「ミウがユウナさんのラインに詳しい内容を送ってくれたそうだ。読んでみてくれ」

まさかとユウナは思っていたが本当に登録されていた。
学生時代のユウナはずっとミウのことを嫌っていたから連絡先を
交換するなどありえないことだった。
いつの間に登録したのかなんて細かいことはどうでもいい。

「すまないが、俺はミウに学園に呼ばれてしまった。ここでお別れだ」

「待ってくださいよ太盛さん。もっと聞きたいことがあったのに」

「諜報部の奴らが、どうしても俺の力が必要らしいんだ。俺なんて大して力にならないのにな。
 正直行きたくないし俺だってユウナさんと話していたいけど、命令なんだ。許してくれ」

太盛はタクシー乗り場まで、すごい速さで駆けて行った。
残されたユウナは、いったいどうしたらいいのか分からず、オロオロする。
ユウナは生真面目な優等生タイプで、普段は冷静で頭の回転が速いが
緊急事態に弱いのが難点だった。その一方で冷静なのは勉強が苦手なアユミだった。

「まず、家に帰ろう。
 お父さんのことならお母さんが何か知ってるかもしれない。
 ここにいたって何も始まらないよ」

「そうね……急いでも仕方ないから、バスでゆっくり帰ろうか」

車内は込み合っていて座る場所などない。ユウナは手すりにつかまりながら、
うなだれ、自宅の最寄りのバス停に到着するまで、ずっとそうしていた。
アユミは気を使って話しかけなかった。姉はどんなことでも悩みすぎて
しまう癖があるから、一度こうなったら自分で立ちなるのを待つしかない。

アユミは、父の脱走したタイミングが妙だと思っていた。
父の脱走するタイミングは、まるでユウナが今回の事件を太盛に
相談することが事前に分かっていたかのようなタイミングだ。
犯人が犯行がばれる前に逃げ出したかのように思えてしまうのだ。

優菜もきっと同じようなことを考えているんだろうなと、
青ざめた横顔を眺めていた。ひたいの汗で髪の毛が張り付いてる。
バス停で降りて、団地まで歩いて5分。
歩くのが遅すぎる姉の手を引っ張るようにして進む。

「ただいまぁ」
「おう。今日は遅かったじゃねえかアユミ」

ドクン、と鼓動が波を打った。

家には当たり前のように父がいて、お酒を飲んでいた。

「お父さん!! こんなところにいて大丈夫なの!?」
「な、なんだよ。でけえ声だすな」

ユウナが父につかみかかり、根掘り葉掘り聞く。
それによると、父は今日もいつものように用務員の仕事を済ませてから
帰宅して、晩酌をしていた。母に訊いてもおかしなことなど
何もなく、ごく普通の生活をしていた。

足利市を脱走しようなどと無謀なことを考えるほど父は馬鹿じゃない。
ユウナもアユミも父が政治権力に逆らわない人なのは知っている。

「うそ……うそよ。じゃあ、何を信じたらいいの……?
 太盛さんの言っていたことは嘘……?
 でもミウさんのメールにも脱走者を捜索中だと……。
 ボリシェビキの報告文章で虚偽は許されないわよ……。
 粛清されるもの……それにあの人は副会長……。
 虚偽の文章だったなんて絶対にありえないわ」

「姉ちゃん。ねえってば。姉ちゃん」

「落ち着け……冷静になって考えないとますます混乱する……。
 状況をよく確認して……ひとつひとつ、かみ砕いてから……」

「姉ちゃん!!」

「うわっ、なにアユミ。心臓が止まるかと思った」

「今から部屋に入って二人だけで話をしよう」

ユウナが落ち着くようにと、コップ一杯の水を飲ませてから
部屋の扉を閉じた。

「今から私の考えを言うから、最後までちゃんと聞いてね。
 ぶっちゃけ根拠なんかないし、ほとんどカンなんだけど。
 あそこにいたのは……お父さんじゃない」

「お父さんじゃないですって!? じゃあ他人のそら似だって言いたいの!?」

「だから最後まで聞いてよ。うるさいな。
 私はミウさんや太盛さんが嘘の報告をするってことはないと思う。
 だって嘘をつく理由がないじゃん。太盛さんは正直な人だよ。
 相談には真摯に乗ってくれるし、私たちの前でミウさんが嫌いだって
 堂々と言ってくれるんだもの。初対面なのにずいぶんとオープンな人だよね。
 そんな人が、わざわざ嘘をつくメリットがあると思う?」

「確かに……」

「この世界は、よくわからないことが起きてしまう世界なんだよ。
 ユウナだってこの世界に転生したように、お酒を飲んでいたお父さんも、
 もしかしたら全くの別人が転生した姿なのかもしれない。
 もしくは偽物なのかもしれない」

「見た目は完全に本人だったと思うけど。肉親なんだから
 見間違えようがないと思うわ。……今は自信なくなってきたけど」

「私も最初は本人だと思ったよ。だけど、ここに違和感がある。
 私たちの目には本人としか映らなかった。
 そう。私たちの目には……ね」

アユミは、姉がまだ身に着けたままのポーチから、手鏡を取り出した。

「真実を映す鏡だったら、目が曇ることもない。
 この鏡でお父さんの正体を暴いてみてよ」

「い、いやよ。あんたがやりなさいよ」

「私だって怖いよ。でもやらなきゃ。
 ユウナがどうしてもいやだって言うなら、私がやるけど」

「……なら二人でやりましょう。それなら文句ないでしょ」

「いいよ。今すぐやろうか」

「今すぐ!?」

「だって気になるじゃん。モンモンとした状態で過ごすよりは
 早く解決した方がいいと思うけど」

恐る恐る、キッチンに戻る。父は飲んだくれてソファで寝ていた。
昔からアルコール中毒で、酒なら和洋問わず、どんなものでも飲む。
今夜は日本酒の瓶を二つも空にしていた。完全に病気だ。

母はお風呂に入ってしまっているから都合が良い。時刻は9時過ぎ。
ユウナは実の父の正体を疑うことに罪悪感を感じてしまうが、アユミが
絶対に今やると言うので決意を固める。

アユミは、父の寝顔を鏡越しに見た。そこに映っていたのは、やはり父ではない。
皮膚の色が青ざめていてガサガサだ。耳たぶがエルフのように異常に長い。
まつ毛は長く、寝息を立てる唇は厚みがある。よく見ると、背中から
黒い翼が生えていた。これが、いわゆる「悪魔」なのだと思った。

ユウナは腰を抜かした。アユミも恐怖のあまり歯のかみ合わせが合わない。
完全に血の気が引いた二人は、しばらくの間、そこから動くことさえできなかった。

やがて目を覚ました父は「あーちくしょっ、もうこんな時間かよ。だりーな、くそがっ」
と言いながら、お風呂場へと消えた。狭い団地の中に、父がシャワーを浴びる音が響く。
鼻歌を歌っている。いつもの父と何も変わらない。

二人は、父がお風呂から出てくるまでリビングのソファの前で座っていた。

「おまえら、そこで何やってんだ? 風呂空いたぞ」
「うん……分かった。すぐ入るから」

とアユミが返事をするのが精いっぱいだった。
父は水道水をコップに注ぎ、夫婦の寝室へと消えていった。
娘達から見ても父の姿に異常はない。いったい、何が目的で
この家に悪魔が住み着いているのか。

いくら考えても結論は出ない。今日も一日過ごしたので汗を流さなくては。
ユウナは怖いからと、アユミと一緒にお風呂に入ることにした。
アユミも同じ気持ちだったので快く賛同してくれた。
この年の姉妹が一緒にお風呂に入るのは気恥ずかしいものだが、
今はそれどころではない。

アユミが湯船につかっている間、ユウナは髪の毛を洗っていた。
蒸し暑いので換気扇を全開に回している。

「姉ちゃんは、悪魔と人が共存する話って聞いたことある?」

「なにそれ?」

「古代の砂漠の地方ではね、人間世界に溶け込んで生活する魔人がいた。
 ジンとかジンニーニャって呼ばれることもある。
 そいつらは普通の人間の姿をしていて、人間と同じ生活を送っていた。
 ただ人とは違う不思議な力を持っていて、神様の許す範囲内で
 その力を行使することができた」

「それってモンゴルの話っぽいけど」

「そうかもね。さっきのお父さんの態度を見てる限りでは
 私達に害意はなさそうだったね。お昼は普通に働いているようだったし」

「そうね。悪魔のイメージとはだいぶ違うわ。ん?……お昼は働いている」

「どうしたの?」

「なるほどっ。そこに気が付くべきだったのね。実は私のいた世界の
 お父さんは、この時は無職だったのよ。全然仕事してくれなくて
 最後はFXトレーディングに手を出して……ってそこは重要じゃないわね。
 お父さんが用務員として働いているのは、悪魔が乗り移っているからじゃない?」

「私も今思い出したんだけど、足利市から脱走したお父さんはどうなったんだろうね。
 今この家に本人がいるのに、どうやって脱走した人を見つけるつもりなんだろう」

「そうね……」

「もし見つからなかったとしたら、
 ボリシェビキの人たちが家宅捜索に来るのかな?」

「このまま捜索が難航すれば、当然あり得るわね」

「そしたらヤバくない? お父さん、捕まっちゃうじゃん」

「うん……冷静に考えると相当にまずいわよ。
 ボリシェビキの規則では身内にも連帯責任が適用される。
 私達も父を自宅でかくまった罪で強制収容所送りに……」

「うそっ!! まじでヤバいじゃん!!」

「すぐお風呂から上がってミウさんに連絡するわよっ!!」

二人は大急ぎで体を拭いてから自室へ飛び込む。
姉妹だから肌着とパンツだけの姿だ。こんな時間にどうせ誰も見てない。

夜遅い時間だから、まずメールで送ろうとユウナがラインを開く。
そこで驚くべき事実に気が付いた。ミウから送られてたメール(父の捜索について)
が全文削除されていた。重要文章だったから、向こうから削除したのかと思った。
こちらからメールを送る。父は家で普通に過ごしていて、脱走する気配はないと。

ミウは2分後に返事をくれた。
「ごめん(;^ω^) 何言ってるのか分からない。メールを送る相手を間違えてない?」

とのことだった。ユウナとアユミはしばらく固まった。

太盛ならどうかとメールを送るが、ミウと同様の返事。高倉家の父のことを
何も知らなかった。では今日の出来事はどうなったのか。ユウナたちとは
モールでおしゃべりしてから普通に別れたと答えられた。そんなはずはない。
太盛の記憶は何者かの力によって改ざんされているのか。

頭を押さえうずくまるユウナ。アユミが安心させるように肩に手を置いた。

「考えすぎても余計にパニックを起こすだけだよ。まずは落ち着いて」
「落ち着くのは……無理。私はこういう性格だから」
「いったん寝よう。明日になれば分かることがあるかもしれない」
「アユミは冷静なのね」
「私だってパニックを起こせるなら起こしたいよ。
 でも私まで冷静さを失ったら、問題は永遠に解決しないでしょ」

本当にこの子は自分より年下なんだろうかと、ユウナは思った。
ユウナの記憶してる限りアユミの性格は、典型的なワガママに
育てられた末っ子タイプで、言動も同年代の子より幼かった。

まさかアユミの正体も人間じゃないのだろうかと思ってしまうが、
さすがにそこまで疑い深くては生きていけない。
アユミは大切な肉親であり、今のユウナにとって一番頼れる存在だった。
昨年小学校を卒業したばかりの、このちんちくりんの妹が。

「ありがとアユミ。寝れる自信がないけど布団に入ってみる」
「うん。おやすみ」

不思議とよく眠れた。いつ眠りについたのか二人はよく覚えてない。
昼過ぎまで寝てから、ふたりでフルーツの缶詰、ケロッグ、バナナを
食べてからお出かけした。目的地は学園の強制収容所7号室だ。

これだけの事態となってしまったのだ。兄のナツキに相談しないことには
先に進みようがない。ユウナはミウに連絡してナツキとの面会は
許可されているから何も遠慮することがない。

ちなみに、昨日の父の件のメールに関しては、
「私は仕事で忙しいから、変なジョークは送ってこないでね」
と言われた。改めて父の無実を確認できたことで安心した。


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