20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:『チベット高原を旅する』〜三人の兄妹の悲劇〜 作者:なおちー

第10回   再開➁
その翌日、ユウナが学校に行ってみると、昨夜妹から聞かされた情報は
フェイクだったことが明らかになった。というのも、どうも三学年では
先週から変な噂が流れているからだ。

高倉ナツキが、井上マリカに告白したが振られた、とのことで
学内では大変なスキャンダルとして広がっている。

なるほど。振られたのは分かるが、その何が問題なのか。
生徒会長の高倉ナツキは、公的には高野ミウと交際していることになっている。
この学園では代々恋愛が推奨されており、「カップル許可証」なる書類を
生徒会に提出し、受理されたら正式にカップルとしてふるまうことを許される。

交際中は誠意ある恋愛をすること。他人が邪魔をしないこと。
仮に破局する場合は生徒会に申し入れて正式に別れることになっている。
これは、学内での秩序を保つためのもである。一般的に言う風紀ともまた違う。

ボリシェビキが支配する学園では、自由な恋愛の果てに意中の相手と結ばれ、
将来子孫を残すことが大変に重要なこととされている。ソ連では職場での恋愛も
推奨されていた。逆に資本主義的な、親同士が決めた婚約関係は忌み嫌われた。
王族や貴族など特権階級を思わせる風習だからだ。

秩序を保つためには、「不誠実」「浮気」「不貞行為」が罪とされる。

高倉ナツキは、高校二年生の秋に高野ミウを生徒会の組織委員部に勧誘した。
その時に二人は交際を始めた。のちに副会長に就任したミウは、
意中の彼である堀太盛を強制収容所三号室から解放して、新しい交際を始めた。

この時点でナツキは事実上ふられているのだが「カップル許可証」は破棄してない。
つまり、公的にはナツキとミウはカップルのままだった。理由は特にない。
ナツキもミウも、仕事に忙しくて、そんなちっぽけな書類のことなど頭の片隅にもなかったのだ。

ミウは太盛に、ナツキは実妹のアユミに夢中になり、
お互い仕事の関係以上の仲には発展しようもない状態が続いていた。

井上マリカに対する告白は、「浮気」と定義され、中央委員会の生徒たちの間で
悪いうわさが広がっていく。だが相手は生徒会長のすることだからと、表立って
糾弾する勢力が現れることもない。少なくともこの時点までは。

それからさらに二週間の時が過ぎ、学園は夏休みのシーズンを迎えようとしていた。
また悪いうわさがユウナの耳に入る。

ナツキが、諜報部の二年生の女子を、放課後無理やりホテルに連れ込もうとした。
結局は女子が本気で抵抗したので事なきを経たが、中央委員部に通報されてしまう。
役員が集まる会議の席で、ナツキは強烈な自己批判を迫られ、謝罪した。

ナツキは、その後も懲りることなくボリシェビキの女の子を口説いて回った。
異常すぎる彼の行動に脅え、誰も良い返事をしてくれない。
ナツキはついに閣僚会議の賛成多数により会長職を罷免されてしまう。
盟友の保安委員部のイワノフ、皮肉屋だがナツキと親しい校長ですら、
採決の際に右手をはっきり挙げたのはショックだった。

夏休みが始まるころには、保安委員部で雑用を任された。
強制収容所7号室の管理の仕事だ。管理と言っても屋内ではなく、
収容所の周辺の機械設備の保守点検や、清掃作業などだ。

暑い時期には雑草がよく生える。裏には林があるのでも虫も多い。
除草、消毒作業、校庭の芝や土の整備など、とても学園ボリシェビキの
最高権力者だった人間がやるべき仕事ではなかった。

ナツキは夏休み中も7号室に泊まり込みで働くように指示された。
これは一連の不貞行為に対する罰とされており、強制労働であった。
彼の監視には保安委員部が直接つくことになり、7号室の敷地の
どこを歩いても、二人の人間が後ろから着いてくるありさまだった。

「はぁはぁ……暑いためか息が切れるな。軽くめまいもする。
 指先にも力が入らなくなってきた」

ナツキは生け垣の剪定をやっていた。体はそれなりに鍛えているつもりだったが、
酷暑の中、重量のある電動バリカンを使っての作業は、腕と足に負担がかかりすぎた。

太陽は天頂付近にある。せめて15時過ぎから作業を始めても
文句は言われないのだが、ナツキは進んで過酷な環境で働いた。

「同志閣下、おそらく熱中症の初期症状と思われます。お飲み物をどうぞ」

「すまないね。君、名前は?」

「ウリヤーノフでございます。昨年の秋にこの学園に編入してきました」

「日本語がうまいな。ネイティブ並みだ。それに良い目つきをしてる……。
 君なら立派なボリシェビキになれるさ」

「光栄でありますっ」

背筋を正すウリヤーノフ。長身の欧州系ロシア人だ。180は優に超えていた。
彼のように左遷されたナツキを慕う人は少なくなかった。
組織委員部の長である二学年時から、直近の会長時代まで、
一貫してナツキは穏健派として知られていた。

ボリシェビキの内部闘争が(過去作・斎藤マリー・ストーリーの保安委員部の
脱走事件を参照)発生しても、反逆者を一様に粛清することはしなかった。
有罪が明らかな者に対しても、言い分を最後まで聞いてから総合的に判断する。
公平な人物として定評があった。

逆に評判の悪いのは副会長のミウで、その容赦のない残酷さは
一般生徒はだけでなく、ボリシェビキからも嫌われていた。
なんと当時は中央委員会の全メンバーが反ミウ派だったのだ。

「うまいな。アクエリアスの入ったボトルなんだろうが、
 こんなにもうまく感じるとは。
 さすがにもう力が入らないから、しばらく休憩にするか」

「本日は朝の7時から作業をされてますから、
 もう終わりにしてよろしいのではないのですか」

と女子の監視委員が言う。彼女も保安委員部の所属で、こちらは日本人の女子だ。
フチなしの眼鏡から、知性を宿した瞳がのぞく。

「この生け垣は、おひとりで剪定をするには広大すぎます。夏休みはまだ
 始まったばかりですし、中央委員部もさすがに全てを同志おひとりに
 お任せるする意図はないかと思われます。今回の件を……少々反省していただく
 つもりで、同志一人に当分の間、作業させるおつもりなのでしょう」

7号室の校庭(敷地)は、野球部が練習ができるほどの広さがある。脱走防止用の
鉄条網が周囲に張り巡らされている。四隅の鉄塔は高さが4メートルもあって、
機関銃が地上を見下ろしている。もともとは野 球部の寮だったこともあり、
足利市の山を中心とした美しい自然に囲まれてはいる。
グラウンドを囲う生け垣は、本来なら保安委員部と教員が20名以上で取り込むものだ。
(ボリシェビキの管理する特殊な学園のため、外部の業者は入れない決まりになっている)

広大な庭の管理を任されて思うのは、孤独感と絶望感である。誰の助けも借りられない。
いつまでやっても終わりそうにない。滝のように流れる汗のせいで、
首に巻いたスポーツタオルは重くなり用を足さない。

それでも彼は、

(ユウナのことを忘れたい)

そう思う一心で早朝から作業を続けていた。
ナツキは監視員たちの助言に従い、今日の作業はこれで終わりにすることにした。
電動バリカン(チェーンソー)のコンセントを抜き、
コードリール(延長コードを円形に巻き取る装置)
をぐるぐると回しているところで、ついに体温が上がりすぎて倒れた。

女子の柔らかい手つきで脇を持たれ、タンカに乗せられたまでは覚えている。
目を覚ましたのは、7号室のベッドの上だった。

「ナツキ君……」
「兄さん……」

最初に目に入ったのは、高校生時代の高野ミウだ。シャープな目鼻立ちの美女である。
当たり前だが高校生なので若い。この子が大人になると、
女子アナ顔負けの美貌を手にすることになるのだが。

ミウの隣の椅子には、妹のユウナも座っていた。
おでこに乗せられた濡れタオルを交換してくれる。

「ミウにユウナ、二人とも心配をかけたね」

「まだ寝てた方がいいよ」

とミウが起き上がろうとしたナツキを、無理にでも寝かせてしまう。
この部屋は、管理人に用意された部屋だ。
ベッドとソファーだけが置かれた6畳間ほどの広さ。
エコ運転モードになったエアコンがごおごお、と音を鳴らしている。
わずかに開いたカーテンから、日差しが漏れている。

「ナツキ君、落ち着いて聞いてほしいんだけど。今意識ははっきりしてる?」

「ああ大丈夫だ。これでも家で高熱を出した時でも頭だけは働く方でね。
 それでなんだ?」

「実はユウナちゃんからはナツキ君に話さない方がいいって言われたんだけど、
 私は全部聞いちゃったから。あなたに私の秘密も伝えておこうかと思って。
 実は私はね、この世界の人間じゃ……」

「ちょっと待ってくれ。いたっ、転んだ時に手首をひねったか。
 全部聞いたってことは、まさか僕とユウナの未来を知っているのか?」

「ふたりは夫婦だったって聞いているよ。しかもチベットを旅してたんでしょ?
 私が一番驚いたのは、私と太盛君の間に男の子が生まれていたことかな。
 てっきり女の子が生まれてくるのを想像してたんだけど。
 私の家系は代々女の子しか生まれなかったってママから聞いてるから」

「待て待て。そう一度に話さないでくれないか。頭が混乱してきた。
 ここからは一問一答にしよう。僕が質問する。ミウは、どうして
 僕とユウナの未来の件をそんな簡単に受け入れてくれるんだ?」

「私も、未来から来た人間だから」

「な……? それは嘘だろ」

「嘘じゃないよ」

ミウが声を低めた。本気で怒っている証拠だ。
ミウは自分がかつて、太盛の家に使えるメイドだと説明した。
ここまで不機嫌だといつ英語が出ることやらとヒヤヒヤしたが、最後まで
日本語で説明したのは、まだ理性的が残っていたということだ。

「仮にナツキ君達の示した未来があるとして、その時空での私は正しい道を
 歩んだみたいだね。私は太盛様と結婚して子まで宿しているってことなんでしょ?」

「太盛様か……。まさか君と彼にそんな因縁があるとは知らなかったよ。
 君はあそこまで彼を慕っていた理由が今わかった」

ミウは他にも、7号室の囚人に
太盛の娘(未来の可能性)が収容されていることを教えてあげた。
同級生のエリカが、将来の妻になることも。
そのエリカから生まれた娘が、上述の囚人の斎藤マリエであることも。

「ミウ。教えてくれ。僕はどうすればいいんだ?
 どうすれば歴史を変えられるんだ?」

「それは……ナツキ君が決めることだよ。ただ一つ言えることはある。
 ユウナちゃんには悪いけど、ナツキ君がユウナちゃんと結ばれることで
 幸せになることは、絶対にないと思うよ」

ユウナが、制服のスカートの上でぎゅっと手を握った。
ぽろぽろと、大粒の涙が零れ落ちてスカートに染みを作る。
いつもだったら、赤の他人に自分の恋を否定されて怒るところだが、
今回は反論できそうにない。
ユウナは本気で悔しがっている時は泣いてしまう。女の涙だ。

そんな妹の様子を横目で見ながらナツキは続けた。

「ミウ、一番の問題はね、僕がユウナのことを諦められないことなんだ。
 他の女の子と付き合ってみたら忘れられるのかと思ったけど、こんな軽い気持ちで
 女子を口説いてもうまくいくわけない。僕は今でもユウナのことを愛しているんだ」

ミウはごくりとつばを飲み込んだ。彼があまりにも真剣な顔で言うものだら、
自分が言われたわけでもないのにキュンと来てしまった。恋人の太盛には
こんなにも熱っぽい言葉を、こんなにも真剣に言われたことは一度もなかった。

「兄さんっ」

兄にしがみついたユウナは、わんわん泣いた。ミウは何も言わず、静かにその場を去った。
この部屋の監視カメラは部下に指示して止めてある。廊下の警備にも、中の二人の邪魔を
しないように伝えておいた。

かつてミウがナツキと一か月だけの交際をした時、ユウナは小姑のようにミウの
近くを嗅ぎまわったものだ。ミウは嫌われている自覚はあったが、一方でミウからしたら
優菜は一学年下の生真面目なボリシェビキであり、決して嫌いではなかった。
未来では校長と教頭の関係になっていると聞いて、ますます運命的なものを感じた。

何か二人を救ってあげる方法はないものかと、ミウはその日から頭を悩ませることになる。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 1381