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作品名:『チベット高原を旅する』〜三人の兄妹の悲劇〜 作者:なおちー

第1回   「寝てる間にどうしてこんなところへ?」
    
        チベットの高原地帯は 標高が3000メートルを優に超える。
  チベットの国土は高原地帯と同等の広さであり チベットとは高原である。

        国土面積は 日本の6倍を超える。
      高原の南東部には ヒマラヤ山脈がある。
         ヒマラヤには 世界一の標高を誇る極地エベレストがある。


※ 

「うーん。頭痛い。兄さん、ここはどこ?」

今作のメインヒロイン高倉ユウナである。

バスの揺れ激しく油断すると舌を噛む。
眠い目をこすり窓の外を見る。異国の景色が広がる。
無限に続く山々を見下ろすこと容易。

空が落ちてきたのかと錯覚するほど雲が近い。一面に広がる雲海である。
平地とは程遠い場所にいることを悟り言葉を無くす。

「よく眠っていたねユウナ。ここはね。外国だよ」

兄が言う。名は高倉ナツキ。今作の主人公。頭痛がするためか顔色悪し。
高原地帯は天空に近いため酸素が薄く容易に高山病を発病する。

高所の山肌を縫い作られた道を走るバス。右を見ても左を見ても山が続く。
天空のバスと呼び変えても違和感を感じず。
気の利いたガードレールなどなく、道路の横は山の急斜面が続く。
運転手がカーブを曲がり損ねたら命はないと思うと血の気が引く。

「ナツキお兄ちゃん。今日は観光日和だね」

と妹のアユミ。長男のナツキ、長女ユウナと次女アユミの三人の兄妹。
いずれも20代の若者。年長のナツキの年齢が
翌月(11月)にようやく29に達する。

チベット有数の観光名所、ヤムドク湖を目指してバスが行く。


※ユウナ

いったい私の周りで何が起きてるのか。目の奥がずきずき痛む。
口を開けないとちゃんと息を吸えない。もう何から何まで意味が分からないことだらけ。

ここが栃木県じゃないのは分かった。那須高原なんて目じゃないほど
でっかい景色が広がっている。一目見て日本の山とは違う。
どこの辺境の地に飛ばされたんだろう。

私は兄さんとワインを浴びるほど飲んでからベッドで愛し合った。
それから記憶が飛んでしまい今こうしてバスの中にいる。
たった一晩で日本から外国へ?

ナツキに限ってそんなことはないと思うけど、夕飯に睡眠薬でも盛られたんだろうか。
それもかなり強めので三日くらいは目を覚まさないくらいの。

「私が代わりに説明してあげるよ」

偉そうな妹、アユミの態度は異国に来ても変わらない。

「兄さんは気分転換に旅行に来たのよ」

「旅行? これが?」

どうやらここは観光バスのようで、
バスの車内から中国語特有の声域の広い言葉が聞こえてくる。
私は北京語や広東語の知識もあるけど、頭痛のためか全く聞き取れない。

「中国の山奥……にしては標高が随分と高い。
 大きな山がひしめきあってるけど、山肌が変ね……。
 山なのに木が一本も生えてないから荒野がそびえ立ってるみたいじゃない」

「ここはチベットだよ」

もし冗談を言ってるんだったら、引っぱたいてやったかも知れない。
私はチベットに興味ないから地理も知らない。
なんとなく高原地帯があると聞いたことがあるから、
間違いなくここがチベットなのだろう。納得した。

納得はした。でも納得できない。何に?
私がここにいることについてよ!!

「たまには気分転換も必要だ」

現地で買ったのか、エキゾチックなデザインの
マフラーをした兄が言う。

「僕らは今まで栃木で生まれ育った。栃木から一歩も外に
 出てないようなものだ。たまにはソビエトの仕事を忘れて異国の地を旅し、
 見聞を広めることは意義のあることだと思わないか?」

外国に来た高揚感からか、兄にアユミが子猫のように甘える。
兄は抱き着く妹の頭を優しくなでては私の頭をイライラと沸騰させる。
私は孤独にも二人とは通路を挟んで向こう側の席に寝かされていたのだ。
私だって兄さんの隣の席でイチャイチャしたいのに。

「ここは職場じゃないだから退屈な言い方をしなくていいんだよ。
 ユウナがかわいそうだから本当のことを言ってあげなよ」

「しかし……タイミングが必要だろ」

「家族なんだから隠し事するべきじゃないって言ってたのはお兄ちゃんじゃん。
 お兄ちゃんが言わないなら私が代わりに説明しちゃおうかな」

アユミがリュックの奥にしまっていた新聞を取り出した。
「プラウダ」
北関東ソ連で発行されている機関紙だ。

社会欄に高倉夫妻を暗に非難する内容が書かれていた。
近親婚による障害児や奇形児の生まれるリスクについて指摘している。
余計なお世話と言いたいところだけど、可能性はゼロじゃない。

兄さんとする時は挿入を避けるようにしている。
避妊具を使っても絶対とは言えないし、
万が一のことを考えたらって思うと恐怖心がある。

ナツキは私を愛撫してイせてくれるから、それで今は十分満足している。
ナツキには私が口でしてあげる。最初はぎこちなかったけど、
最近は上手になったと褒められた。

何時の時代も近親者の恋は否定される。結婚なら尚更だ。
茨城の鹿嶋ソビエトで行われた結婚披露宴であれだけ
多くの同志が拍手をしてくれたのが嘘のよう。

今では板倉の遊水地に本部を置く中央委員達も
プラウダの記事を検閲せずスルーする始末。
私と兄の関係は、党本部から否定されてしまったのだ。

「僕が一番許せないのは自民党の広報部の奴らだ」

私も同感。我々ソビエトに軍事的に完全に敗北した自民党は、
せめてもの抵抗なのか高倉夫妻をあらゆる方法で非難した。
資本主義お得意の電通を利用した宣伝(ネガティブキャンペーン)
で国民感情を大いに煽る。

悪のソビエト帝国、中央委員幹部に近親婚をする者あり。
禁断の恋愛。盛大なスキャンダル。朝日新聞には毎日不愉快な見出しが躍る。
週刊誌ではもっとひどいことを書かれているらしい。

それだけじゃない。資本主義日本では、私達を題材にした
テレビドラマ(テレビ朝日)が高視聴率を記録している。

内容は陳腐だ。高校生の兄妹が真剣に愛し合っているけど、
両親の強い反対にあって家出をするというもの。その後ホテルで
何日も過ごす間に金欠になった兄がコンビニ強盗をして
警察に逮捕される。兄を引き裂かれた妹は嘆き悲しむも、
兄の出所を待つ間に学校で新しい恋に目覚めて真人間に戻る。

私達に対する当てつけなのか、主人公の名前とヒロインの名前は
私達の名前がそのまま使われている。なぜ偽名を使わないのかと
ソ連側から非難するべきだが、なぜか中央委員会(内閣に相当)は静観。

私の職場でも微妙な変化があった。ミウ校長は気にしないようだったけど、
女子生徒の私(教頭)を見る目が明らかに変わった。汚いものでも
見るような目で見てくる。そのくせ悪口でも言おうものなら
拷問されるのが分かっているから態度を隠そうとする。
あいにく私は諜報部でも基礎訓練を受けてる。全部バレてるよ。

「だからって、どうしてチベットを選んだのですか」

「高原地帯は酪農が盛んらしいな。
 我々栃木ソビエトの一次産業の発展のためにも
 各地を回って見聞を広めるべきかと思ってね」

兄さんは嘘をつくときは目が泳ぐ。
きっと日本の国土から逃げられるならどこでもよかったんだ。
ここは標高が高くて航空機でさえ上空を飛べない地域だと聞いた。
なら追手が来る心配もないのだろう。

「逃げたわけじゃないよ。表向きは観光だ。
 観光許可証は本部に提出済みだよ。
 アユミも食糧配給所の仕事にしばらく暇をもらって同行したんだ」

「アユミも連れてきたのはなぜ?」

「私がいたら悪いの?」

兄のひざに頭を乗せるアユミ。
こいつの前世は猫だったんだろうか。
私をにらみつけるので、こっちからもにらんでやった。

「さっきから距離近すぎない!? 私の旦那から離れなさいよ!!」

「ユウナ。ちょっと声がでかいぞ」

兄が唇に人差し指を当てる。

……ものすごく注目されてる。逆にこっちが驚いた。
ここは外国なのだ。車内のおじさんやおばさんが
日本語の音がめずらしいのか、席からちょこちょこと立ち上がり
私達を指さしてくる。外国語で何か言ってるようだ。

「はぁ……。兄さんの言うとおりだよ。
 みっともないことをするのは止めてくれるかな」

鼻を鳴らしたアユミが席を立ち、英語で謝罪をした。
『アイムそうりぃ イトワズナシンぐ エブリバディ』

「兄さんはユウナに別れ話がしたいんだよ」
「えっ」
「目的地に着いたみたいだよ。降りてから話をしようか」

駐車場はそれなりに広かった。観光バスが5台も並ぶ。
こんなにバスがいたんだ。私達の他にもたくさんの観光客が降りてくる。

日差しが強すぎるっ!!
お肌の大敵、紫外線!!
9月の末でこんなに暑いとは。
私は厚手のヤッケ(ウインドブレーカー)のファスナーを全開にした。
すると乾ききった冷たい空気が入り込んで震えてしまう。
体温の調節が難しい。空気が薄すぎて頭がぼーっとするから冷静でいられない。

ここは山の頂上にある展望台。
万里の長城みたいにレンガ造りの壁で囲まれている。
立派な石板には、チベットの言葉で何か書いてある。
観光地の名前なんだろうか。
兄がここは標高5000メートルなんだよと教えてくれる。
あはは……。どおりで空の塊が真上に見えるわけだ。
でっかいワタアメなのかと思ったよ。

露天商が待ってましたとばかりに声をかけてくる。
長机に広げた真っ赤なシート(じゅうたん?)の上に、
金銀で装飾された美しいアクセサリー、食器、民族衣装が並ぶ。
本当に珍しい物ばかりだ。ヤクや牛のぬいぐるみまで値札が付いている。

私は外国のものは何でも興味があるので、ここが地上だったら物欲がわいたことだろう。
他の観光客はどんどん品物に触れては値段の交渉をしていく。
香港系、韓国系、タイ系と思われる雑多な言語が飛び交う。
商売なら当然英語は通じるだろうから私も加わろうかなと思ってしまう。

この人たちは私達と同じ東アジアの人種なのか、見た目では
日本人とそんなに変わらない。着ているジャケットやズボンも
赤や黄色の原色が目立つ。栃木の日光にいるアジア系の観光客とほぼ同じだ。

私達の近くいる中国系と思われる中年の夫婦は、
デジカメとスマホで湖の写真を撮りまくる。
興奮しているようで早口で何か言っている。声が大きい。

兄とアユミも肩を並べて眼下の湖を眺めている。

「壮観だな。山と山に挟まれた場所に湖があるとはね」
「ここから見ると小さく感じられるね。標高5000メートルの湖か」
「これが天空の湖。ラピュタみたいな世界だね」
「ああ、そうだね。あんまり身を乗り出すと危ないからこっちにおいで」
「うん」

          ・ヤムドク湖

   中華人民共和国、チベット自治区、山南市ナンカルツェ県にある湖。
   ナムツォ(納木錯)、マーナサローヴァル湖と共にチベット三大聖湖と呼ばれる。
                                ウィキより。

二人は仲良く壁部分のレンガに肘を乗せている。兄さんったら、
アユミの肩を抱き寄せちゃって。一体何を考えているんだろう。

「ユウナもこっちに来いよ」
「その前に訊いてもいいかしら」
「うん」
「兄さんはアユミと浮気するためにチベットに来たの?」

兄さんはそっぽを向いた。なによ。その態度は!! 

腹が立ったので兄につかみかかった。
アユミが邪魔してきたけど軽く払いのける。

「私達は正式に夫婦にな…」

「この景色を見ろ。僕たち人間はこんなにも小さな存在なんだって
 思わせてくれる。数万年前から存在する大自然からしたら、
 人間は蟻みたいな存在なんだろうな」

「ふざけるのもいい加減にして。こういうの大っ嫌い。
 はっきり言って。アユミに弱みでも握られてるのね?」

「みっともないからやめなよ!!」

アユミが間に割り込んで私を払いのけてきた。

「全部言わないとわからないの?
 ナツキ兄さんはユウナ姉さんのことを初めから愛してなかった。
 ユウナと結婚したのはその場の流れに乗っただけ。あの時は
 栃木ソ連と日本が戦争していたから正常な判断ができなかった。
 ただそれだけのことだよ。今兄さんは本当に自分が好きな人が
 誰なのかをよく理解しているはずだよ」

「その相手があんただって言いたいの?」

「文句ある?」

「妹のくせに実の姉から旦那を奪おうだなんて正気とは思えない。
 どんだけ私を怒らせたら気が済むんだよ。いっそぶっ殺してやろうか!!」

アユミの襟(えり)をつかんで山の斜面へ落としてやろうとした。
必死に抵抗するアユミが私のジャケットを引っ張って体重を支える。
兄が仲裁に入って事なきを得たけど、本当にこいつを殺してやりたいくらいに憎かった。

つーんと肩に痛みが走ると急に頭が重くなり、意識が一瞬飛んだ。
アユミと喧嘩したせいで酸素を吐きすぎたのか、
今度は胸がムカムカしてもどしそうになる。息が苦しい……。

「高原地帯は酸素が薄いから怒鳴ったりしたらだめだ。
 優菜の分もたくさん買ってあるから、これを使え」

兄さんのふくらんだリュックの中から携帯式酸素が出てきた。
スプレー缶で口に含んで使うタイプだ。チベット旅の必需品なのだという。
まるで過呼吸で苦しむ一昔前のアイドルだ。酸素を吸うと、体がふっと軽くなる。

面白いことにアユミも同じことをしていた。
兄さんがアユミをひざに乗せて介抱してるのが悲しかったけど。

バズはラサに続く街道を走る。街道と言っても山肌を縫うように
ぐるぐる回りながら進むわけで遠慮のない揺れと戦う。
日本の舗装道路なら山道でも快適だった。ここは全然違う。

森林限界の標高では山の斜面は木が生えないのがすごい。
地面がそのまま数千メートル盛り上がっているみたいだ。
漫画やゲームでもないのに草木が一本も生えない世界がここにある。

兄さんが日本から持ってきたポッキーの袋は限界まで膨らんでいる。
高所は気圧が低いためこうなるらしい。
ああ……改めて私たちは極地に来てしまったのだ。

「ユウナ。具合は大丈夫か? 
 もうすぐホテルに着くから辛いなら寝てなさい」

寝られたら苦労しないよ。バスが走れば走るほど吐き気が強くなるし、
なぜか肩こりもするんだけど。すすめられたポッキーも断った。
全然食欲がない。真剣に日本に帰りたい。

チベットって、いるだけで修行みたいなもんじゃない。
食事だって日本とは全然違うのが出されるんだろうし、
もう何から何まで最低。昨日まで文明社会で生きていた人間が
いきなり世界の果てまで来させられて愉快なわけがない。

あと後ろの席のおばさんたち、うるさい。
シナ・チベット語族のアクセントが騒がしくて不愉快。

やば……まじで吐き気が収まらない。
きっと鏡で見たら青白い顔になってると思う。
そういえばお化粧をしてないんだった。
だって化粧する暇なんてなかったもの。

「まじやべー景色……っげえ」「……君は、高山病にならないんだね」

え……?
私の聞き間違えじゃなければ日本語が聞こえる?
間違いない。これは完全に日本語だ。
同乗者の中に日本の人が混じっている?

私は席を立ち見回したかったけど、具合が悪くて諦めた。


ラサの市街地は、中国の地方都市と言った感じだった。
石造りの真っ白な家や商店が連なり、道路には街路樹も植えてある。
町の一番目立つ山にポタラ宮って名前のお城があるようだけど、
今の私にはどうでもいい。

吐きそうなのを我慢していてもう駄目だと思っていたけど、バスから降りたら収まった。
駐車場には英語の看板があり「標高4200メートル」と書かれている。
こんなのバカみたいだと思わない?
わざわざ旅費まで払って高山病にかかるなんて。

「ユウナは自分で歩けるか? アユミの具合が悪いんだ。
 僕はアユミに肩を貸して歩くから着いてきてくれ」

へー。アユミの具合が悪いんだ?
その割には私の旦那の腕をしっかり組んでるし、
心なしか足取りが踊るように見えるのは気のせいかな。

こいつはどんな時でもナツキと一緒じゃないとダメなのか。
ナツキ専用の磁石になってしまったのか。
彼に密着しないと死んでしまう信仰上の理由でもあるのか。
妹のくせに。後ろからぶん殴ってやりたい。
私は自分が年長者だからっていばるつもりはないけど、昔から生意気で
働きもせず家で遊んでいるこいつを面白く思っていなかった。

ホテルでのチェックインを英語で済ませる兄。
我が旦那ながら惚れ惚れするくらいのクイーンズ・イングリッシュの発音。
兄は幼少時代はカイロ英国学校で育った。
日本人でこの発音ができる人に私は出会ったことがない。

「ここが僕たちの部屋だ」

名前はタシタゲホテル。ありふれた西洋風デザインの部屋だ。
部屋の中央にベッドが鎮座する。テレビと調度品の置かれた棚、
洗面台とトイレがある。壁や天井は白い。
床にはペルシアじゅうたんが敷かれている。

ベッドは二つしかない。兄とアユミが同じベッドを使うという。
なんで? もう死ねよ。

「もうすぐ夕食の時間だが、ユウナは食欲はあるか?」
「あるわけないでしょ。頭痛いし疲れたから眠りたいんだけど」
「わかった。邪魔はしないよ」

兄は私に布団をかけてくれた。そしてアユミと手を繋ぎ廊下へ出てしまう。
こらこら。何勝手に二人きりになってんのよ。まだ時間があるので
夕方まで町中を歩き回る? ふざけるな!!

私は気力を振り絞って兄に文句を言おうとしたが、バタンと扉が閉められてしまう。
ナツキったら、よりにもよって実の妹と浮気してるのね……。私もあなたの
妹の一人ではあるけど。私はこんな屈辱を味わうためにチベットに来たのだろうか。

イライラするけど、ようやく眠くなってきた。寝よう。


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