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作品名:令和の大不況。無職になった若者たちの行く末は… 作者:なおちー

第7回   アツトは愛に別れてほしいと言われてしまった。
※アツト

朝起きたらラインのメールが届いていた。

『あなたがコミュニスト(共産主義者)になれないのでしたら、
 私達が一緒にいる意味はなくなりますね。そういうことですから、
 今日から赤の他人になりましょう。さようなら』

おかしいとは思っていたんだ。
環境のゼミに登録して、たまたまこいつと同じグループに
なったのがきっかけで一緒に食事とかするようになってよ。
気が付いたら体の関係まで持っちまって。自分で説明すると恥ずかしいなこれ。

愛は俺によくこんなことを言っていた。
日本の学校教育システムに疑問を持つ姿勢は素晴らしい。
俺はいつか、今の自分ではない、何者かに目覚めるかもしれねえってな。
いったい、なんのことやら。

社会主義だか共産主義だか知らねえが、
(ところで、この二つってどう違うんだ?)

俺はそんな賞味期限切れの宗教には興味ねえ。
高校の世界史の教師が、ソ連は失敗した実験国家だと言っていた。
現に冷戦で米に負けてソ連は崩壊しちまった。完全なる自滅っ……!!

本当に共産主義が正しいのなら、今頃はアメリカが衰退して
全世界で共産主義革命が起きてるはずなんじゃねえのか?
独逸や英国とか欧州の先進国の連中も民主主義と資本主義を採用している。
普通に考えて、こっちのほうが国民が幸せになれるって思うからだろ。

愛がまたメールを寄こした。

『ところで、あなたが帰り道に捨てた資料(ビラ)の件ですが、
 昨夜のうちに同志達に報告しておきましたから』

写真が添付してある。俺が道端に捨てたビラの証拠写真に違いねえ。
いったい誰が盗撮しやがったんだ……。愛に決まってるか……。

つーかこれってまずくねえか?
同志達って、あの喫茶にいた連中のことだよな?
てことは俺、まさかこのあと逮捕される流れなのか?

家の前が騒がしいんで、窓から下を見ると黒塗りの車が二台止まっていた。
車から軍服を着た男たちが降りてきて、玄関のチャイムを鳴らしてるだと……?

「やぁイエスチ、イズナィユ、アゴーイ!!
 ダバイ、ダバイ、ヤポンスキー!!」

英語じゃねえ外来語だが、あの巻き舌で
アクセントの母音を伸ばす発音は……ロシア語か……?

うちの財政学の教授が、なぜかロシア語に堪能でよぉ。
たまに講義を全部ロシア語ですることがあるから、なんとなく知ってるぜ。

英語も分からねえのにロシア語が聞き取れる学生がいるわけねーじゃん? 
そんな時はコンビニで買ってきた少年マガジンを読みながら過ごすんだ。
完全に授業料の無駄だな。この年になるとマジで親に申し訳なく思う。
もっともロシア語の講義は教授の責任なわけだが、
あの教授はなんでロシア語で講義するんだよ!!

さーて現実逃避はこれくらいにして俺の状況を説明するぜ。

俺は速やかに逮捕されてしまった。

例の喫茶店に連行されるのを覚悟したんだが、
ずいぶんと車を走らせて郊外へと移動する。おいおい。
まさか県外まで拉致されるのかと思ったら、
栃木インターチェンジの近くにある、とある高校の敷地へと案内された。

なんだこの広さは? 校門から先が全然見えねえぞ。校内が巨大な
バリケードに覆われていて、外からは中が見えねえようになってるんだ。

ここは学校じゃなくて軍事要塞なのか?
校門は検問所として機能しているらしく、
軍服姿の憲兵らしき奴らが、車の窓越しにチケットを切る。

校舎は上から見ると『コの字型』に作られていた。
『コ』の真ん中部分がグラウンドとなっている。
コの反対側は中庭になっているらしいが詳しくは知らん。

正面玄関の近くに車を止める。
玄関の近くに、校舎とは別にぽつんと立つ建物。
厚みのあるコンクリートで作られた建物だが、
大きさは1LDKのアパート並みだ。

その小屋から、若い男が出てきて俺に挨拶をした。

「やあ、君がアツト君かい? ミウから話は聞いているよ。
 狭いところだけど、中に入ってくれ」

拷問部屋に案内されるんじゃないかとビクビクしていたんだが、
ごく普通の部屋だった。大きめなシングルベッドの他に、
本棚、チェスト、化粧棚が並ぶ。床には高価そうなペルシア絨毯。
キッチン周りは小ぢんまりとしていて、マンションの一室って感じだ。

よく見るとここの家具、アンティーク調だ。
自信ねえけど、あの材質はオーク材か? 
どことなく19世紀の英国風のデザインじゃねえかと思う

「すごいな君は。家具マニアなのかい?」

「いや、適当に言っただけっすよ。昔家具にこだわっていた時期があって…」

俺が大塚家具のファンだってことは内緒にしておく。
ソビエトでは高価な品物を好む奴は粛清されそうなイメージがあるんだよな。

「自己紹介がまだだったね。俺の名前は高野太盛(せまる)ミウの夫だ」

「え? あのミウさんの?」

ミウさんの旦那だったのか。派手でミステリアスな雰囲気の妻と違って
旦那は平凡だ。少し小柄だが、少し長めの黒髪で黒い瞳をした、
どこにでもいる日本の若者だ。いかにも、もやしって感じでガタイが……
いや。むしろ筋肉質だな。まるでどこかで訓練で儲けたかのように、
服越しでもがっしりした体格をしてるのが分かる。特に胸の周りがハンパねえ。

「それで、今日は俺になんの用なんすか?」
「面談だよ」

面談……だと……? ざわざわ

「君と懇意にしていた女性、愛さんから大まかな話は聞いたよ。
 君はジャズ喫茶に行っても共産主義には全く興味を示さなかった」

「そりゃそうっすよ。恋人だったはずのあいつが、共産主義者だって
 知ったことにまず驚きました。それに共産主義ってマルクスやエンゲルス
 みたいなインテリの奴らが始めた思想なんでしょ? 
 俺みたいな無学の小僧には高尚過ぎて、正直ついていけねえっす」

「はっはっはっ。君は、はっきりものを言うんだね。
 このボリシェビキ本部でそこまで共産主義を否定するとは、
 本来なら尋問が必要になるんだけど、君は特別におまけしてあげるよ。
 高校生の時の自分を見てるみたいで楽しいなぁ」

太盛は、ずいぶんと楽しそうだった。
俺は自慢じゃないが愛想はゼロだ。そして学もない。
たぶんその辺にいる高校生の方が俺より学力高いと思うぞ。
こんなダメ大学生の俺のどこに興味を持ったのか知らねえが、
太盛は俺にべらべらと話しかけてくるんだ。

こいつは自分がボリシェビキになった経緯を説明してくれた。
悪いが全く興味ねえな。だいたいよぉ。ほとんどのろけ話じゃねえか。
高校時代にミウさんみたいな美人に追っかけまわされて、
仕方なく付き合い始めて大学卒業後に結婚。

卒業前にミウさんは身ごもっていたらしいから、でき婚ってわけか。

「愛さんは」

太盛はキラキラした瞳で続ける。

「同志達に君の身柄の拘束を命じていたそうなんだ。
 理由は君がビラを道端に捨てたからだ。ああいうの本当は良くないんだぞ? 
 共産主義者にとって情報の共有は命そのものだ。
 あのビラを作成するのに、どれだけ多くの人が苦労したと思う? 
 本当ならSNSで知らせるべき内容をわざわざ紙ベースにして手渡したんだ」

「あっそのっ、さーせん。おれバカなんで興味ないことは
 全然頭に入んないっつーか、その…」

「俺が特別に君を許してあげたんだよ。俺はボリシェビキでは
 人事を任される立場にある。もちろんミウの許可なしに勝手なことを
 するのはヤバいんだが、有望な人材を見つけた場合は俺の独断で
 保護しても良いと、法律ではそう決められている」

「あざっす……。俺、命拾いしたんすね。
 太盛さんにはマジ感謝してるっす」

「いやいや、別にお礼が聞きたかったわけじゃないんだ」

「いやでも……」

「君がボリシェビキの一員になると誓ってくれたら、それでチャラだ」

この男の目は、マジだった。

この男、よく見ると相当な美男子だ。
浅黒い肌に堀の深い顔だち。
真珠のような瞳が埋め込まれていて、
話すたびにコロコロと表情が変わり魅力的だ。
おそらくミウさんは学生時代から太盛の顔が好みだったんだろうな。

「……分かりましたよ。ここまで話が進んだら
 断れないじゃねえっすか。俺も組織の一員になりますよ」

「うむ。それでいいんだ」

太盛が握手を求めて来たんで、応じる。

ちょ、なんだこいつの手のぶ厚さは?
女っぽい顔にはとうてい似合わねえ、岩でも触ったかのような感触だ。
格闘技経験者なのか? 
さっきも言ったかもしれねえが、鉄のような胸板の厚みが特徴的だ。

「ボリシェビキ加入には面倒な事務手続きがあるが、あとで僕が全部やっておく。
 こちらは君の個人情報をすべて把握しているからね。
 君にはさっそく明日から訓練を受けてもらいたい」

「訓練すか?」

「ソ連軍で実施された歩兵の訓練だよ。ボリシェビキには諜報活動、工作活動、要人の
 拉致監禁から銀行強盗まで幅広い仕事に対応できる人材を募集中なんだ。
 どの部署を選ぶにしても、まずは歩兵としての体力作りが基本となる」

……そんなこんなで。

俺は次の日から、さっそく学校の訓練施設へ案内された。
自宅からここまで結構距離あるぞ。
バスを二本も乗り継いで40分もかかった。

今日雨じゃねえか。校庭はびしょ濡れだ。
いっそ座学でもしてくれた方がありがたいんだが。

「全員集まったか? 左の物から点呼を取るように」

ハートマン軍曹(フルメタ)にそっくりの教官が指示する。
俺らは体育館に揃った20名の男女だ。メンツは男女半々。女もこんなにいるとは。

年はバラバラだが、一番いってる奴で40代。まだ中学生にしか見えねえ少女もいる。

俺達は緊張しながら点呼を取り終え、ラジオ体操をやらされた。
第二体操までやるのか。第二の踊り方を知らねえから全員アホ面だ。
教官の動きをよく見ながら、ワンテンポ遅れで踊る。

そのあとは二人一組になり、筋トレ。
メニューは腕立て、腹筋、スクワットと基本的なものだ。

俺は10歳くらい年上の男と組まされた。
へい、年上のあんちゃん。顔が死んでるぜ?

「見ての通りうつ病なんだよ。俺は自発的にこの訓練に参加した。
 俺は長い間無職で他に働く場所も見つからなかったからね。
 ここなら住み込みで働けるから応募してみたんだ」

「この訓練って無理やりやらされてるんじゃねえんすか?」

「君は何を言ってるんだ? 求人広告のビラを見なかったのかい?
 我々はボリシェビキとなり国家転覆を狙うための教育を
 受けるためにここに集った同志だろう」

あのビラって、そんなことが書かれていたのかよ……。
確かに簡単に捨てたらヤバい内容だったのかもしれねえな。

俺と話してるこの男の名前は、水谷カイト。年は30過ぎか。
おっさんじゃねえか。

話を聞くとコロナのせいじゃなくて、
自分からブラックな職場を退職したそうだが、自分から
宗教団体に入るほど落ちぶれちまうとは気の毒なもんだ。

ボリシェビキの筋トレは変わっていて、
一度に多い回数をこなすんじゃなくて、
小さい数を何度かに分散して行う。

例えば腕立ては、1セットがたったの10回。
少し休んでから、もう一度1セット。
これを二人一組で交互に行う。
何もしてねえ方は、大きな声で数を数えてやる。

これを腕が限界になるまで行う。
たったの10回じゃ筋トレにならねえだろ。
3セットが終わったが、俺は楽勝だ。
水谷のおっさんも涼しげな顔をしてやがる。

こいつは背はそれほどではないが、
肩幅が広くて腕が丸太のように太い。
うつ病の割には自宅で筋トレしてたんだろうか。

この筋トレメニューは、40過ぎの奴にはきつかったみたいで、
額に汗をにじませてる野郎がいる。
運動不足なんだろうな。俺は自慢じゃないが、
高校時代から走り込みの練習は欠かしたことがねえ。
土日は夕方にその辺の河原を走ってるぜ。

腹筋も大したことなかったが、辛いのはスクワットだった。
俺と水谷は4セット目を超えるあたりから、息が切れるようになった。
スクワットって自重を使った筋トレで一番きついんだよな。

辛かったら途中でリタイアしても怒られないから不思議だ。
ソ連では筋トレとは筋肉の『連動と反動』を覚えるための
手段であって、動作を覚えることが最も重要。
筋肉を限界まで痛めつけるトレーニングではないそうだ。

これは別名GTGやサーキット・トレーニングと呼ばれていて、
持続力、持久力を鍛えるための訓練らしい。

アスリートのような瞬発力ではなく、持久力があることは、
歩兵にとっての最重要項目だと教わった。
歩兵の最大の仕事は目的地まで重い荷物を持って歩くこと。
銃を打つのは二の次なんだろうか。

筋トレ後は、実物としか思えない銃を渡された。
教官の話によると、球を抜かれた自動小銃らしい。
本物の鉄の感触はやべえ。ゾッとするほど冷たいし重いな……。
肩に担いだ方が楽かと思い、担いでみるが、ずっしりと肩に食い込みやがるぜ……。

「4列横隊を組め。各人の肩と肩がぶつからない程度の距離を保て。
 それでは前進を始める。私の後ろについてこい」

教官殿が、笛を鳴らすのでその音に合わせて左右の足を出し、
ゆっくり確実に前進をする。これが軍隊の歩行訓練か。
歩く速度は遅くて助かるんだが、右肩の上に乗せた銃の重さが地味にくる。

持ってるだけでも辛いのに、歩き出すと重が揺れる。
銃を肩にぴったりと付けて、揺れないようにするとマシになるが、
こんな重量物、普段から持ってねえんだよ。5分と歩くだけでも辛い。

外は雨だが、6月の湿度なので汗が一度出たら止まらない。
隣にいる水谷のおっさんは汗だくのくせに、
イキイキとしてて少し腹が立つぜ。
こんな茶番のどこに楽しむ要素があるんだ? マゾなのか?

教官が俺たちの歩くフォームについて指導する。
足を出すタイミングを左右の奴と合わせる、歩幅は小さく、
足の動きと腕の振りを連動させる。
カクカクと、ロボットみたいにリズムよく動けばいいんだな?
俺がそれなりにキビキビ動くと、教官にロシア語でハラショーと褒められた。

あそこにいる女子中学生の子なんて、腕が重さに耐え切れないのかプルプルしてやがる。
女子だと握力が足りねえだろ。重いものは握力を維持するのが大変なんだ。
かわいそうにな……。代わりに俺が銃を持ってあげたいくらいだが、
訓練中に余計なことをしたら鉄拳制裁されるのは確実……。ここは我慢だ。

銃を降ろした後は、体育館の端から端まで走り込みの練習。
全力で走れと言われたので従う。俺にとっては何でもない運動だ。
次はその場で10回ジャンプしてから、スキップで移動。
後ろ向きでダッシュ。危ねえなこれ。
高校の授業で習ったブラジル体操みたいな動きだ。

よほど運動不足なのか、ビール腹のおっさん二人が途中でぶっ倒れて
泣き言を言ってやがる。すぐ兵隊が寄ってきて、どこかへ運ばれていった。
あいつら、お仕置きされるんじゃねえのか?


訓練はその後1週間続いた。

この頃になると人数は半分に減っていた。
20代から30代の男連中ばかり残るのかと思っていたが、
意外なことにあの女子中学生も残ってやがる。

校庭での訓練は地獄だった。
トラックを永遠と走り続ける持久走。

アスレチックで不安定な足場になれる訓練。
縄のびっしり張った高台をよじ登ってから降りる練習。
15キロの荷物のザックを背負わされ、丸太ほどの幅の、
薄い板の足場をふらふらしながら歩く。足元は大きなビニールプール。
落ちたら全身がびしょぬれだ。ご丁寧なことに泥水ときたもんだ。

俺達はみんな途中で落っこちた。
泥水ってのはまずいね。一度落ちてみると嫌でも飲んじまいそうになる。
おまけに目も見えなくなるから最低の気分だ。
その日の晩飯まで泥の味がするんだからよ。

だが、どろ泥水なんてまだ可愛いもんだ……。

「はぁはぁ……もう腕が上がらない……腕が痛い……!!」

水谷カイトが膝を地面に付き、泣きごとを言ってるんだが無理もない。
4キロもある自動小銃を持ち、校庭の端から端まで全力疾走。
片道1セットを、10回。重量物を持ちながら走るってのは、腕もそうだが、
支えている下半身全体にも負担がかかる。
あの重さを味わった後、腕よりも足が筋肉痛になる。

重い物を運ぶ時は、腕の筋肉よりも下半身の方が大切なんだと知る。

俺達は、朝は筋肉痛と共に目覚める。
明日も明後日もこの訓練が続くのかと思うと、
胃痛になり支給された缶詰さえ喉を通らなくなっちまう。

俺はまだ学生で社会の恐ろしさを知らねえ身だ。
訓練のストレスで口内炎になってしまい、
訓練後に食料を口に入れると激痛で涙がボロボロ流れる。
ストレス性の口内炎だから、一度食べ始めてしまえば痛みはおさまるんだがな。

訓練開始後10日目から宿舎で寝ることは禁止された。
グラウンドにテントを張って寝るのだ。食料は上官から支給されるし、
軍服の洗濯はしてくれるそうだが、テント以外の場所で寝ることを禁止された。

おい、今日の夕方から雨になるんじゃなかったのか。
ふざけんな。だが俺らは文句を言える立場じゃなかった。
どんどん広がる雨雲を西の空に確認しながら、テントの設営を急ぐ。

テントの設営は16時から開始し、夕食が支給されるまでに速やかに
実施しなければならない。慣れてないと段取りが分からず時間がかかる。
テントの底には雨水除けのシートを張り、その上にテントをしき、
ペグ(でかいクギだ)をハンマーで打っていく。

テントに対し、八角形に広がるようにロープを張って地面に刺しておかないと
夜中に風で吹き飛ばされることになる。このロープの張り方にも
色々とコツがあって、綺麗にテンションをかけてやらないと使い物にならねえ。
中にベッド代わりのエアマットを膨らませて設置。
電池式のランタンも設置して、おおむね完了だ。

テントは一人に付きテント一つが支給される。
えーっと、ここまで残ってる連中の数だから……全部で八個のテントが張り終えた。
テントの作りはしっかりしてるんだが一人用なので狭い。
手荷物をぎりぎり置けるくらいのスペースなんで夜はザックを枕代わりにして寝る。

テントで寝泊まりとはね。キャンプ気分で最初は浮かれたもんだが、
アウトドア生活は思っていたより楽じゃねえわ。
仮にここが戦場だったら、いつ敵に襲われてもおかしくねえ。
ウカウカ寝てたら死んじまうなんて冗談じゃねえぞ。

家の中がどんだけ安全な場所だったことか。
あとで両親の結婚記念日にプレゼントでも送るか。
でも俺は金欠だ。あとで妹に借りるか。

上官が確認のためにテントの中を順番に覗いていく。
今日の設営は問題なかったようでおとがめなし。
整理体操(ソ連式労働終了体操)をしてから一同は解散になった。
17:30と早い時間だが、夕食が支給される。
なんとも味気ないレーションだが、貴重な食料に変わりねえ。

日が落ちるまで、夕食はキャンプ内なら好きな場所で食べれる。
上官からは、仲間内の親睦を深めるための時間にするようにと
言われている。俺は訓練でペアを組んだ水谷カイトの隣に座る。

「なあ水谷よ」

「僕の方が年上なのに呼び捨てかい?」

「はっはっはっ。いまさら細けえことは気にすんなよ。
 俺らはボリシェビキで同じ訓練を受けている仲間なんだからよ。
 資本主義者と違ってボリシェビキの間では年の差なんて気にしねえんだろ?」

「無論だ。ボリシェビキは階級闘争を憎むからね」

「この訓練に今日まで残ってるのは、体力に恵まれた男達だけだ。
 体力だけじゃなく根性もある『イキのいい奴ら』と言うべきかな。
 その中に明らかに若いお嬢さんが残ってるのには気づいたか?」

「若い女ってあの子のことか? アヤちゃんじゃないか」

「なに!? 知ってるのか!?」

「うち(アパート)の近所に住んでる娘だよ。
 不登校で問題ばかり起こすから有名人だよ。
 そのせいで警察にマークされていて、
 月イチくらいで補導されてるよ」

「警察に補導!? いったいどんなお嬢ちゃんなんだ!?」

水谷は詳しく教えてくれた。

川村アヤ(15歳)高校一年生(中学生じゃなかったのか)
身長は149センチで童顔。
肩の上で切り揃えられた黒髪、きりっとした顔立ち。
色白で目が大きいからロシア人によく間違えられるそうだ。

趣味は銀行強盗。

い、今のは……俺の聞き間違えじゃないんだよな……?
趣味が銀行強盗……だと……?

「彼女は中学二年の時に栃木ソビエトに加入した。
 防諜に配属になり電話対応をしていたそうだが、高校生になったから
 歩兵訓練も受けてみたいと、この訓練に自主参加したそうだよ」

「何が悲しくてこんな訓練に自分から参加するんだ。
 自衛官にでも目指したほうがよほど社会のためになるよ。
 今のところツッコミどころしかねえんだが、
 女なのによく訓練に耐えられるもんだな」

「体力的には相当厳しいんだろうが、最後は気合だろうね。
 一年以上ジムに通って体を鍛えてたらしいから、
 普通の女子高生よりはガッツがあると思うよ。
 たとえ肉体が限界に達したとしても、
 人間は強い精神力で乗り越えることができる」

気合……ね。

ボリシェビキの教官殿も似たようなことを言っていたな。

我らが祖国、ソビエト(祖国なのか…?)が、強大なるヒトラーのナチに
勝利した最大の要因は、全人民の勝利に対する強い意志であった。
兵隊、労働者、農民、鉄道輸送員にいたる、全てのソビエト連邦の
国民が最終的な勝利を得るために、諦めずに戦ったことである。

我々のドイツに対する勝利は、どれだけ誇ったとしても
誇り過ぎた、ということにはならない。

……と言われてもな。俺は生粋の日本人だから、
ソ連の歴史にまったく感情移入できねえよ。
戦争といったら太平洋戦争とか日中戦争のことしか知らねえよ。

日本がアジア太平洋でドンパチやってる間に、
ソ連は地球の反対側でドイツと4年間も戦っていたそうだ。
ドイツとソ連邦の間の戦争には様々な呼称がある。
西側諸国では欧州東部戦線、独ソ戦。
ソ連では大祖国戦争と呼んだそうだ。


あの教官は白人だったけど、やっぱりロシアの生まれだったのかね?

テントの前で寂しそうに缶詰の肉をスプーンですくっている、
川村アヤちゃんが視界に入る。こんなむさくるしいところに
女一人で寂しくねえのか。 

他の男達は一か所に集まって談笑してるぜ。
ここの男達は意外と気の良い奴らで、持久走の時とか、
何度もお互いを励まし合っていた。

アヤちゃんは顔つきも普通だし、ボリシェビキを目指してるような
悪党には見えねえな。訓練を始める前は俺に挨拶してくれる。
ズドラーストヴィーチェ(おはようございます)ってな。
余談だがロシア語の勉強にはNHKのラジオ第二放送がおすすめだ。

「あの嬢ちゃんに興味がわいた。ちょっくら挨拶してくるぜ」

「なっ……同士アツシよ。
 君はまさかあの娘に気があるんじゃないだろうね?」

「俺はロリコンじゃねえからよ。
 確かにここの生活で色々溜まっちゃいるがな、
 さすがの俺でも訓練中なのに女に手を出したりしねえよ」

「そういう意味じゃなくてだね……。
 彼女は男性恐怖症の噂あって男性が近くによると逃げてしまうんだ」

「男性恐怖症だぁ? ほんとかね。
 俺が確かめてやるから大人しくそこで見てな」


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