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作品名:令和10年。財政破綻と強制労働と若い兄妹の絆の物語 作者:なおちー

第7回   会社の掲示板には 銃殺刑になった人のリスト
のみならず、刑罰によって再起不能になった人などの名前が書かれている。

こんな感じ↓

下記の従業員は勤務時間中もしくは昼休み中に
脱走を図ろうとしたため逮捕された。
その後の社内裁判を経た結果、
外国のスパイであることが判明し銃殺刑が執行された。

「池田正平」
「谷村良平」
「佐藤美香子」

もちろん普通の日本人だったのは言うまでもない。
スパイ容疑にしておけば銃殺刑にしやすかったのだろう。

精神に異常をきたし、入院した者の名前も乗せられている。
再起不能者だ。

再起不能とは文字通り社会復帰することが困難になった人のことを差す。
前作学園生活で描写されたのと似たような原因によるものだ。
同じ作者が書いてる内容なので設定がかぶるのだろう。

しかし「刑罰」とは。会社なのにおかしいと思うかもしれない。
これが困ったことに適切な表現なのだ。

この世界では会社ごとに法律が決められていて、社内で司法機関と行政機関がある。
それらを統括するのは会社の従業員、すなわち会社の「上役」「上司」にあたる者たちである。
会社で一番偉いのは経営者、取締役、大口株主、いわゆる資本家連中である。

日本において会社とは一つの国であり、軍隊である。
日本の会社に入社する以上、軍隊で使役されるのと
同等の覚悟が要求されるのだ。人権などあるわけがない。

俺たちは工場の労働者なので平日に会社に通う。
当然休むには特別な理由がいる。

親の介護かもしれない。
子供が風邪を引いたのかもしれない。
役所に行く用事があるのかもしれない。
もしくは自分が病気をしたら……?

それは日本(会社)では「悪」だと断定される。
なぜならその人が休むことで他の労働者に迷惑がかかるからだ。

日本において経済活動(生産やサービスの提供)に影響を及ぼす者は
悪であり、裏切り者であり、端的に言って銃殺刑なのである。

この国は、かつて軍隊が国を所有していたが、
今は企業が国を所有しているのである。
「一億総奴隷時代」が到来したのである。

「お兄ちゃん。疲れてるのは分かるんだけど、
 早くお昼ご飯食べてくれないと冷めちゃうよ。
 せっかく作ったのに」

妹の美雪が何か言ってる。不満そうな顔だ。
俺は不機嫌でじっと考え事をしていたから食欲はあまりない。

「でも食べないと痩せちゃうよ。もうすでにガリガリで死にそうなのに」

うっせー。俺に比べたらカグ屋姫はどうなるんだ。
痩せすぎて皮と骨だけみたいな外見だったぞ。

ちなみに今日は休みの日。つまり日曜日だ。
前半の文章だけ読むと会社にいるシーンを思い浮かべたかもしれない。
ミスリードってやつだ。前半部分はただの海藻だ。

「それを言うなら回想でしょ」

うっせえ。

「実は私もね」

ん?

「働こうと思ってるの。お兄ちゃんの給料だとこのアパートの
 家賃払いきれないでしょ。これでも一応大学生なわけだし
 どこかの派遣会社に登録して楽そうな会社を…」

俺は鼻で笑った。美雪の目つきが鋭くなる。

「お兄ちゃんを助けようと思って言ってるのに!!」

俺はオレンジジュースを飲みながら

「バーロー」

と言った。思いっきり皮肉を込めてな。

「楽な仕事なんて今の日本にはねえよ。
 少し前までは学生アルバイトなんてたくさんあったんだろうが、
 今は全労働者に占める派遣社員の割合は8割。
 派遣会社に登録したらあとは地獄だぞ」

「分からないじゃない。中には学生でも勤まる仕事もあるかもれないわ。
 お兄ちゃんが働いたことがあるのは信用金庫と工場だけじゃない」

「ネットで調べて見ろ。小売り、物流、医療サービス、営業職全般、
 全部地獄だぞ。特に営業なんて厳しいノルマをこなせない者は
 三か月以内に銃殺刑になるんだ」

営業と言えば何と言っても派遣の営業マン(もしくはウーマン)だな。
彼らは派遣スタッフを定期的に企業に(だまして)送り込み、
使役することでしか利益を上げられい可哀そうな存在だ。

営業マンは数か月ごとに入れ替わる。
前任者が銃殺刑になった時、そいつの代わりが補充されるのだ。

契約が取れなければ死ぬ。彼らも必死だ。

労働者が脱走するなどして派遣先企業から苦情が来たら終わりだ。
彼らが最も恐れているのは、取引先の企業から信用を失うこと。
最終的には自分の命にまで繋がるんだから文字通り命がけってわけか。笑えねえ。

「おまえが調べてる求人はだいたい想像がつくぞ。
 近所のドラッグストアとかで働きたいんだろう」

「なぜそれを…」

「おいおい。今適当に言っただけなのに当たってたのかよ……」

「なんでドラッグストアはダメなのかちゃんと説明して。
 そうじゃないと納得できない」

最近こいつの顔が若い時の仲間由紀恵に似てきた気がする。
仲間さんの代表作は、なんといっても「リング」だ。
リング・ゼロ・バースディに出てきた貞子は可愛かった。

「これを見ろ」

俺が見せたのは、この一ヵ月で報道された、強盗事件の例だ。

4月だけで全国で726件。
書き間違えではない。726件だ
マスコミが把握してないだけで実際はもっと多いだろう。

俺たち労働者は貧しい派遣労働者だ。
俺なんて時給210円だから定時まで働いて1700円未満。
残業代を含めてようやく3600円くらいか。計算は適当だ。

こんなご時世では身近な小売店を襲撃するなどして
食料品や日用品を手に入れるしかないのだ。

「美雪は火炎放射器を見たことがあるか?」
「火炎放射器……? バイオハザードで使ったことがあるけど」
「ゲームの話じゃねえ。本物はまじでヤバいんだぞ」

日本は最近は不景気のせいでずいぶん物騒になった。
どっかの馬鹿が外国から武器を仕入れて報道されたのをきっかけに
密輸がちょっとしたブームになったらしく、そこいらの
一般人が武装して生活するのが当たり前になっている。

強盗は、武装してから店を襲う。

コンビニのショーウインドウ越しに火炎放射器を発射した事件があったのだ。
そのコンビニはすでに複数名の強盗によって店内を荒らされていたのだが、
火炎放射器を持った新手の強盗によって店ごと燃やされてしまった。
金庫だけは残ったってわけだな。

他にもレンタルビデオ屋のレジに入ったお金を目的に
強盗同士で激しい銃撃戦を展開したこともあった。
あいつら金はないはずなのに銃と弾薬は豊富に持ってるから困る。

そんなわけでは店員として働くには、武装集団に襲われても
適切に対処し、通常業務が続けられるくらいの忍耐力などが必要とされる。

適切に対処ってどうすればいいだ…?
強盗を撃ち殺せばいいのか。
NHKがよく言う『頑丈な建物に避難』と同じくらいあいまいだ。

あれってまじめに考えると核シェルターや塹壕のことを差してるんじゃねえのか。
だって大災害が起きた時に『頑丈』と定義できる建物なんて
俺ら民間人には思いつかねえよ。
政府の奴らには核シェルターが用意されているらしいがな。

「つまり薬局で働くと
 普通の人は死んじゃう可能性が高いってことね」

「まあ、確実に死ぬだろうな。可能性じゃなくて」

美雪が勤めたがっているドラッグストアは時給が190円だ。
シフト勤務なので一日最低でも5時間働けば解放されるわけだが、
こんなクソみたいな条件で働く奴いるのかよ。

ブラック企業ってレベルじゃねえぞ!!

「そろそろ食料品が無くなってきたな」

「お店に買いに行くのは危ないから
 いつものように通販で頼もうか」

今時は通販で食材も運んでくれる。
西友みたいにな。
西友はアプリ登録してあるからスマホで注文できて便利だぞ。
だが最近はあまり来てくれなくなった。

肝心の食材を運ぶ宅配員が強盗によって襲撃されるからだ。
不景気になると食材を運ぶのも命懸けだから困る。

「店に行くしかねえだろうな。マジで冷蔵庫の中身が空だぞ」

「日中は日差しが強くなってきたからアイス食べたいんだけど。
 あと日焼け止めも買わなきゃ」

「日焼け止めは貴重品だから値上がりしてるらしいがな。
 ま、この時間なら強盗も大人しくしてるかもしれない。
 どうせ来るなって言ってもくるんだろうから、俺に付いてこい」

「うん♪」

俺たちは近所のスーパーまでのわずかな道のりを歩く。

不思議な妹だ……。
この年になっても彼氏を作ろうとしないし、俺の横にぴったり体を
寄せて歩いてくれる。恋人じゃないから腕を組んだりはしないがな。

こいつのことは嫌いじゃない。
機雷じゃないんだが…(間違えた。嫌いだった)
はっきり言って……恥ずかしいんだよ。

「おまえってさ」

この質問をするのは初めてじゃない。

「彼氏とか作らねーの。その、大学とかでさ」
「えっ。彼氏? なんで?」

聞くだけ無駄か。
こいつの言い分によると、自分は男性に対する理想が高い。
大学には自分の好みの男性が一人もいないそうだ。
中学や高校でも同じだったらしい。
おそらく社会人になっても同じことを言うのだろう。

自分で言ってて恥ずかしくなるが、こいつ「ブラコン」なのか!?
ブラザー・コンプレックスとは兄のことが大好きな人のことを指すのだろう。

これが小説だからいいけどよ、現実にこんなに
兄にべったりな妹って存在するのだろうか。

「あ、ごめんね。私が近くにいるとお兄は嫌なんだよね。
 少し距離取って歩いたほうが良いよね」

「いや。そういうつもりで言ったわけじゃあ…」

本気でショックを受けてるようだ。
顔がガチで泣きそうになってる。

「私ってウザイよね。私はブサイクだから、
 大学生になっても彼氏がいないし、
 料理だって上手な方じゃないもん」

顔は大丈夫だと思うぞ。若い時の仲間由紀恵に似てるからな。

俺はマイナス思考でどんどん自分を責め続ける妹を
なだめながらお店に入った。こいつは少し褒めてやると
すぐ機嫌が良くなるから助かる。

美雪は俺に褒めてもらうのが何よりうれしいといつも言っている。
そんなもんかね。相変わらず俺の横をぴったりと着いてくる。

俺と身長差がないから余計に歩きやすいのか。
(俺は男性にしては低身長で美雪は高身長)

店内は不思議なほど人がいねえ。
今のことろ強盗に襲われる心配はなさそうだと判断し、
さっさと必要な物だけ買ってから帰ることにした。

そう思ったのだが。

「かぐや姫が」レジで並んでるじゃないか。
ちょうど俺たちのひとつ横のレジにいる。
向こうも俺の方を振り返って気まずそうな顔をしてる。
この状態で挨拶もしないのは失礼かと思い、俺は話しかけに行った。

と言っても話すことなど何もない。本当にただの社交辞令だ。
かぐや姫の横には見知らぬ男性がいた。男性というより……高校生?
ああ、息子さんか。一番上の子供が高校生と言っていたな。
年の割にはしっかりしていそうな子だ。

母子家庭で育った子は、小さい時から母を支えてくれるようになるらしいな。
甘ったれた環境で育った俺とは大違いだ。

「今の人は誰なの」

俺はなぜか美雪から肘鉄(ひじてつ)を食らい、
一瞬呼吸が止まる。いきなり肘鉄すんなよ!!

「どうせ会社の女の人でしょ。店先なのに仲良さそうにしてバカみたい。
 女の人を見るとすぐ鼻の下を伸ばすんだから。恥を知りなさいよ」

「あの人は子持ちのバツイチだっつの。俺がデレデレする要素がどこにある?
 つーか声のトーン抑えろ。聞こえちまうだろ」

「私は冷静。最初に喧嘩売って来たのはお兄の方じゃない」

「そんなこと言われても、喧嘩を売った記憶がございませんが」

俺たちは殺伐とした会話をしながら会計を終えた。
若い女の店員が俺たちになぜか脅えてて笑った。
強盗じゃねえから安心しろよ。

「私も働いて職場で彼氏作ろうかな」
「おう。頑張れよ。応援してるぞ」

「すっごくイケメンで優しい彼氏を!!」
「だから頑張れって。おまえってイケメンが好きだったのか」

「……止めなくていいの?」
「……何をだよ?」

また、肘鉄を食らった。
わき腹に一撃を加えるのはやめてくれ。マジで痛いんだぞ。

美雪はどんだけ俺のこと好きなんだよ。
21にもなってそろそろ笑えないレベルだぞ。

「重いんだよ」

お前の気持ちが。

「え!? 今何て言ったの」

やべ。聞こえちまったか。

「なになに。今何て言ったの。私が重い? 体重のこと…違うよね?
 私の気持ちが重いって言いたいの?」

「違う違う。今のはたまたま口に出ちゃったんだよ」

「私はお兄ちゃんのためにご飯とか作ってあげてるし、
 掃除もしてあげてるのに何がそんなに不満なの? 
 不満があるならちゃんと言ってよ」

「不満なんて何もないよ。ごめんって謝ってるだろ」

「ごめんって口では言ってるけど全然納得してないじゃん。
 この前だって…似たようなこと言って私をすっごく傷けた」

「本当に悪かったって、あの時も謝ったじゃないか」

「昨日のお昼も私のラインを無視したよね。
 お昼はご飯食べたあとは暇なくせに無視するなんてひどい。
 いつもとお弁当の味付けを変えて見たら感想を聞きたかったのに」

「感想なら家に帰ってから言ったじゃないか」

「そんなんじゃダメ。メールは読んだ瞬間にちゃんと返して。
 お兄ちゃんは私の気持ちを全然分かってないんだから。
 早起きしてお弁当作る大変さがお兄ちゃんに分かるの?」

「おまえの言いたいことは良く分かった。ここは店先だから
 そろそろやめないか。みんなに見られちまうよ」

「お兄ちゃんが私に喧嘩を売ってくるからこうなるんでしょ。
 自分が悪い癖に何勝手なこと言ってるの。先月だって……!!」

2分後。

「そろそろ落ち着いたか?」

「うん……」

自分で言うのもあれなんだが、俺も会社でストレスが溜まってることもあり、
『美雪をビンタ』しちまった。だってムカつくんだもん。
ビンタしたのは、あくまでこいつを黙らせるのが目的だ。

美雪は普段は控えめで良い子なのだが、
一度怒らせると今までため込んだ不平不満が爆発し、
巨大なエネルギーとなって俺を攻撃してくる。

一を言うと百帰って来るってこれのことだな。

美雪のこの謎の症状をヒステリーと定義してるんだが、
どうも違うような気がする。メンヘラ? ヤンデレ? 
学園生活の高野ミウちゃんに近い症状だな。
堀太盛君のどこにそんなに魅力があるのかさっぱり分からん。

いつも思うけどああいうのって主人公補正だよな。
少女漫画の主人公もごく普通の女子高生なのに
なぜかイケメンばかりに言い寄られるし。

「お兄ちゃんの馬鹿……」

ハンカチで涙を拭きながら、しくしく泣いている。
やべえ。猛烈に罪悪感が襲ってくる。

泣いてる姿は本当に可愛んだよ。
この姿だけは他の野郎に見せたくないって程にな。
小さい頃は泣き虫だったなぁ…。

「ごめんな美雪。俺は本当に美雪のことを大切だと思っているよ。
 だって俺達は、たった二人だけの家族じゃないか。
 もう美雪を悲しませることはしないって約束する。これで許してくれるか?」

「うん」

俺に魅力はないぞ。なにせ時給210円だからな。
底辺所得者ってレベルじゃねえ。
顔も普通(むしろブサイクか…?)な上に背もない。

令和10年の日本では若くても将来性はゼロだ。
なにせ会社がまともに給料を払わない上に
行政サービス(社会保障制度)も破綻しているので
結婚や子育てなど夢のまた夢。

美雪の将来を考えるなら、日本を脱出して金持ちの
白人と結婚したほうがよほど幸せに慣れそうな気がするがね。

「私とお兄ちゃんは家族だものね。
 うん。そうだよね。えへへ。今回だけは特別なんだからね」

うっ…。妹とはわかっていても、
泣きはらした笑顔にぐっと来てしまう。
こいつと血がつながっていなかったらホテルに
連れ去ってしまいたくなるほどにな。

美雪が謎のヒステリーのような症状を発症したのは、
こいつが中学の頃だったか。あの時は俺も学生だったので対処法が
分からず、あぜんとするばかりだった。

ちなみにこいつが一度切れだすと一時間くらいはヒスッてる。
ひどい時で夜11時から切れて深夜の2時まで
騒いでる時もあった。あの時はビデオカメラで撮影して
あとでこいつに見せてやろうかと思ったが、さすがにかわいそうなので止めた。

今ではこいつのほっぺたを全力で
叩けば落ち着くことに気づいたのでそうしてる。

美雪は妹だが一人の女でもある。
男として最低のことをしてる自覚はあるんだが、
仕方ないだろう。不景気の日本を兄妹仲良く
生きていくためには「愛のある暴力」が必要な時もあるんだ。

最近気づいたんだが、「愛」を付ければ
たいていのことは許せるような気がしてきた。

愛のあるヒステリー
愛のある銀行強盗
愛のある自民党一党独裁
愛のある消費増税

さすがに無理があるな……。

「美雪。おまえにこれを渡しておくよ」
「これは……福引券?」
「同じスーパーで5回買い物をするともらえるんだ。
 次回来店時に美雪が回すといい」

ガラポン?ってやつだな。俺は男だから全く興味ないが
主婦を中心に女には結構な人気があるらしい。

「ありがと♪ また一緒に来ようね」

くったくのない笑顔だ。こいつ童顔だから高校生に見えなくもない。
俺は恥ずかしくて仲間さんの顔から眼をそらしてしまった。
仲間さんじゃなくて美雪だった。

美雪が手を差し伸べて来たので、つい手を握ってしまった。
妹の手は柔らかかった。

「あのー、そこの若いご夫婦の方、ちょっといいですか?」

信号待ちをしてる時に、隣にいる若い男性に声を掛けられた。
見るからに温和そうで、大学を出たばかりで
売れない生命保険会社の営業職をやってそうな感じの雰囲気だ。

「いきなり申し訳ありませんが、有り金とか全部出してもらっていいですか」

そいつは懐から取り出したハンドガンを構えながらそう言った。

「あまり時間をかけたくないので、出来るだけ早くお願いします。
 お二人が持ってる財布だけ出してくだされば、けっこうですので」

終始笑顔で言うものだから怖すぎる。
こいつはマジで引き金を引きそうだな。

俺は死ぬよりマシだと思い、財布を大人しく手渡すことにした。

「渡しちゃダメ!!」

美雪……。俺の財布は残金32円だ。

「金額の問題じゃないの。私はお兄ちゃんが
 強盗に屈服するところなんて見たくない!!」

「おや」

強盗が笑みを崩した。

「奥様ではなく、妹さんでしたか。失礼。
 あまりにも親しげに歩いているようでしたから
 新婚カップルなのかと」

「あはー。新婚だなんて…」

美雪よ。照れてる場合かよ。死ぬかもしれねえんだぞ。

美雪は強盗に対し交渉をした。

俺と美雪はお金を持ってない。
そこで、俺たち兄妹がその辺の歩行者を襲撃し、
金銭を奪ってその強盗に渡す。
その代わり命は見逃せ。
自分で言っておいてなんだが、なんちゅー内容だ。

とにかく実際に襲撃するのは俺だけだ。
美雪の手を悪に染めるわけにはいかん。

俺は信号待ちしてる一台のセダンに近寄った。
ドライバーは剥げたおっさんだった。
鬼気迫る様子の俺の顔を確認すると、助手席側の窓を開けてくれた。

「早く出ないと大変なことになるぞ!!」

「はい?」

「早く外へ出るんだ!! 今ならまだ間に合う!!」

俺は折ってしまう勢いで彼の左腕を引っ張った。
おっさんは体が車外へ出る前に本気で抵抗を始めた。
何か文句を言っててうるさい。
普通に考えれば、こんなことされたら誰だって怒るだろうが。

俺とおっさんは、路上で取っ組み合いになり、
相撲のような体制となってしまう。
このおっさん……足腰がしっかりしていて強いぞ。
気になったので質問したら登山が趣味らしい。なるほど。

「ぐは」

おっさんが地面へと転がる。
なんで急に転んだのかと思ったら、美雪がおっさんを
後ろからぶん殴ったみたいだ。ブランド物のハンドバックで。

剥げたおっさんは後頭部を押さえながらアラビア語で何か言ってる。
おいおい。ハンドバックってこんなに威力あったのかよ。

「早くそいつからお財布を奪うのよ!!」

「お、おう」

俺はヘラジカの顔をしながらおっさんのケツを触った。
変な意味じゃないぞ? おっさんのズボンの後ろポケットが
財布の形に膨らんでたからだ。

無事にお財布を奪うことに成功した俺と美雪は、走って現場から逃げた。
見るからに高そうな財布だ。
中身を見てみると……埼玉りそな銀行と
みずほ銀行のキャッシュカードの他には…ブラックカード!?

あのハゲ。富裕層の方だったのか!?
ハゲ様とお呼びするべきだったか。

「億単位のお金が入ってるのかも。
 このお財布をあの人に渡すのはもったいないよね」

「そうだな美雪」

「やっぱり倒しちゃおうよ」

「そう……だな」

俺と美雪は、へらへらした感じをよそおい、奴に近寄った。

「無事にお財布をゲットされたようですな」
「ああ」
「では早速渡していただきましょう。
 言っておきますが、こちらには銃がありますので抵抗は不可能です」

俺が財布を渡した瞬間のすきを狙い、
美雪が急いで奴の背後に回り込んだ。

そして

「えいっ」

「ほぐっ!?」

ハンドバッグで奴の後頭部を強打した。
ハゲ様にやったのと同じ手口だ。

かなりの破壊力があったようで、
なんと奴は後頭部から血を流して倒れてる。

「私のヴィトンのバッグは中に3キロのダンベルが入ってるの」

そんな凶器を普段から持ち歩いてたのかよ。
しかもハンドバッグで攻撃するのが、
手慣れてる感じがしたのは気のせいか。

「気のせいよ」
「そっか」

これ以上は聞くまい。
兄妹とは言え、知られたくない秘密の一つや二つもあるんだろう。

「おどりゃー。てめえら許さんでね。二人ともぶち食らわしてやるぞ」

奴が般若の形相で起き上がろうとしていた。
まさに殺意の塊。つーか後頭部から出血した割に元気そうだな
普通に考えれば失神とかしそうだが。

「お兄ちゃんは足の方を持って!!」

何をしてるのかと思ったら、美雪はすでに奴を倒していた。
わき腹を力いっぱい殴って悶絶させたらしい。
確かにわき腹は人体急所の一つだが、小柄とはいえ大人の男を
一撃で戦闘不能にするとは。どんだけ腕力があるんだよ。

で、美雪は奴の腕側、俺は足側を持ち、せーのっで
「振り子運動」させてトラックの荷台に入れてしまった。

トラックは、すぐそこで信号待ちにしていたので
荷台の中に強引に奴の体を押し込んだ、というわけだ。

うん。いかにも小説でしかありえない展開だ。
そもそもトラックの荷台を勝手に開けるって常識的に
考えてあり得ねえよ。

「これで大金ゲット間違いなしだね☆」

うん。暗証番号かパスワードが分かればな

「あ……そっか」

残念そうな顔をする美雪。

盗んだ人様のカードを簡単に利用できるほど
世の中は甘くないのだ。あのハゲ様はすぐに
警察に被害届を出すと同時に、金融機関に
連絡してカードの利用停止措置を取るのは確実だ。

とはいえ、何も得られなかったわけじゃない。

「現金11万ってとこだな」

ハゲ様は大量の現金を持っていた。
時給210円で働いてる俺にとっては大金だ。
これでアパート2ヵ月分くらいの家賃にはなるぞ。

ここで俺たちは大変なことに気づいた。
冷静に考えれば当たり前のことなんだが。

俺たちは買い物袋(マイバック)を何者かに盗まれてしまった。
こういうのを置き引きっていうのか?

なにせ奴との戦闘の間、買い物袋はその辺の道端に置いた状態だったわけだ。
セダン?に乗っていたハゲ様を襲撃した際も
やはり買い袋を持ったまま行うの不可能だ。

結局無事だったのは美雪の相棒のヴィトンのバッグのみ。
財布の現金は手に入ったが、
肝心の食材がないため、家に帰っても昼飯が食えない。

ならスーパーに戻って買ってこいよと思うだろ?

ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴオゴg ←地響き

俺たちが、ついさっき買い物をしたスーパーの方で
小競り合いをしているようだ。

新手の強盗が戦車でお店を襲撃してる。
ドイツ製と思わしき戦車3両を中心とした武装戦闘集団が
店先で銃撃戦をしている。

たかがスーパーを襲うのに必死な奴らだ。
お店の人らも機関銃と迫撃砲を主力として必死に応戦してるじゃねえか。
ここは埼玉県のはずなのに
シカゴかラスベガスみたいに物騒な街になっちまったもんだ。
トンデ埼玉のほうがマシだよ。

「流れ弾が当たると危険だから早く帰ろうよ」
「そうだな。ちょっと走るぞ」

俺はしっかりと美雪の手を握り、地面を蹴った。
少女漫画とかでよくあるような逃走シーンだ。
相手が妹だとあんまり盛り上がらねえけどな。
ふと後ろを振り返ると、やっぱりあいつはうれしそうな顔をしてる。

これが同じ会社の坂上さんだったら最高なシーンなんだが。

「きゃあ!!」

女々しい声。情けないことに俺の声だ。
俺は、曲がり角を曲がったら誰かとぶつかってしりもちを突いちまった。
これは80年代の少女漫画で使いまわされたシーンだろう。

「すみません、大丈夫ですか」

むしろこの小説が大丈夫ですか?

「あ、あなたは……もしかして」
「あっ、そういう君は……」

そこにいたのは、件の坂上さんだった。
休日だとマスクをしてないのか。
小顔で整った目鼻立ち。腰まで伸びる癖のない茶髪。
肌が超白い。乃木坂にこんな感じの人いたな。あしゅりんとか。

「坂上さんですよね。こんなところで会うなんて奇遇ですね」

「ええ。ほんとにそうですね」

「俺はスーパーの買い物の帰りだったんですよ!!」

「うふふ。買い物帰りの割には、買い物袋を持っていないのですね」

「あっ…」

俺は何を言ってるんだろうね。完全に馬鹿だ。

それはともかく坂上さんは本当に綺麗なんだよ。
なんか普通の女性と雰囲気とか全然違くて
アイドルっぽい顔してるんだよな。

たぶん誰が見ても美人だと思うぞ。
身長は160センチくらい。体は華奢なのでそっち系の色気はないが、
とにかく顔が可愛いので見てるだけで癒されるぞ。

もっと話がしたいんだが、妹が俺の安物のTシャツの裾を強く握ってくる。

「お兄ちゃん。この女の人は誰?」

目つきが鋭い。恒例のパターンが発動しやがった。

「俺が会社でお世話になってる人なんだよ。
 失礼なこと言うんじゃないぞ」

「へー。同じ会社の人なんだ。べっつにぃ。
 私は何とも思ってないけど? いいんじゃない。
 同じ会社の人に休日も会えてよかったね!!」

俺が坂上さんに気があるのはバレバレなのだろう。

美雪は俺が気になる異性には例外なく嫉妬するから困る。
自称小姑と自分を卑下していたことがあるが、
全くその通りじゃねえか。兄の恋愛に妹が口出しするんじゃないよ。

もっとも坂上さんと俺じゃあ、ルックス的に全く釣り合わない。
俺なんて虫けらくらいにしか思われてないんだろうが。

それは全く突然だった。
坂上さんは、美雪に近づいた方と思うと「腹パン」をした。

「ぐへええええええ!?」

まったく不意打ちだった。

帝国海軍の真珠湾奇襲攻撃に匹敵するほどの意外性だろう。

しかもかなり効いたようで美雪は腹を押さえてうずくまり、
必死で吐き気と戦っていた。

なんなんだよ、この急展開は!?

「うおぅ」

俺は刹那のタイミングで坂上さんの攻撃をかわした。

この人は何を考えてるのか、俺にまで腹パンをしてきたのだ。
あいさつ代わりの腹パン!? どっかのギャグマンガで見たことがあるが。

「すみません。私ったら、つい」

そう言って彼女はハイキックを繰り出した。

これはさすがに予想外過ぎて俺は激しく転倒した。

蹴りは、殴り技の3倍の力が加わると言われている。
足には腕の何倍もの筋肉がついているからだ。
しかもK1では必殺技として定番のハイキックだ。

俺は顔にまともに受けてしまったため、脳震盪で頭の中身が
ぐるぐるし、それが収まってくると吐き気に襲われた。

それにしてもなぜ暴行されるのだろうか。
出会い頭にぶつかったことを根に持たれているのだろうか。

「なにすんのよ、こいつぅ!!」

美雪は、ヴィトンのバッグをぶんぶん振り回し、
坂上さんの顔面を強打した。

「ぐっ」

効いたようだ。激しくのけぞった彼女は、殴打した側頭部を
押さえながらしゃがみこんだ。何もしゃべらない。

しばらくそのままだったので逆に怖い。

俺と美雪は、彼女が次に何らかのアクションを起こすことを想定し、
戦闘態勢を続けた。こっちが警戒している以上、
さっきの展開のように不意を突くことなど不可能。
数的に考えてもこちらが有利なことに変わりはないだろう。

ここで彼女の口から意外な一言が飛び出すのだった。

「あのぉ、よかったら、うちでお茶でも飲んでいきませんか?」

保険のセールスレディを思わせる、うさんくさい笑顔。
少し機械的で、幼さが残る無駄に高いトーンだった。


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