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作品名:失われた時間は二度と戻らない 作者:なおちー

第4回   〜姉妹の絆、兄弟の絆〜
「派遣労働法が解禁されて久しい。派遣従業員の数は
 全労働人口のうちの約半数近くを占めるようになった」

こういう話をする時は厳しいお顔。
経営者としてのおじいさまのお顔をされているのね。

「少子高齢化とバブル崩壊後の経営難から
 企業は積極的な人材への投資を怠った。
 その結果の人材不足なわけであるが、
 最近の新聞記事ではこう書いてあった」

製造業を中心に派遣社員の需要は20%近く増。
これだけ見れば期待ができるけど、実際は違う。

「業界の縮小は確実である。派遣業界のみならず、
 銀行など多くの業界で吸収、合併、倒産の流れは止まらない」

もうすぐ法改正がされて、資本金(純資産)2500万以下の
派遣会社はつぶれてしまう。派遣労働法解禁後、
際限なく増え続けた派遣会社を政府が減らそうとしているのだ。

派遣会社は大手を中心に、うまく人材を確保して
利益を確保したところだけが生き残れる。
はっきりいって私の会社が生き残れる保証は全くない。

デフレが長く続きすぎた日本では企業の投資意欲の減退、
銀行が貸出先を見失ったこと、少子化による労働力不足などで
企業レベルで取り返しのつかないダメージを受けた。

そのため国民の経済レベルでの
景気回復はかなり先の話になるとおじいさまは言った。

「カリンが大学を出てから実に7年か。
 おまえは院へ進むことを望まずに就職を望んだ。
 三度の転職後も営業畑を歩み続けた。そろそろ
 落ち着いても良い頃ではないのかと私は思うのだがね」

今回は遠回しに結婚を勧めて来た。
私はあんまり男性に興味ないしなぁ。
今の会社ストレスマッハだけど一応勤まっているんだよね。

それに結婚してから専業主婦になるのは嫌なの。
夫に食べさせてもらうのって考え方が古いと思う。
夫婦は対等な関係でなくちゃ。
そもそも自分が家事をやってる姿が想像できないよ。

氷が満載されたワインクーラーには、赤ワインと白ワインが
いくつも入っている。ろうそく、グラス、野菜スープのお皿。
私は何気なしにそれらを順に眺めてから、
赤ワインの入ったグラスを手に取り、ぐいっと喉に流し込んだ。
下品な飲み方になっちゃった。

「実は結婚に希望が持てないのです」

「ほう。太盛の影響かね?」

「それもありますけど、最近はシングルマザーが
 多いじゃないですか。私はママに似て細かい性格だし、
 独りでいるのも楽しいと思っているから、
 結婚に向いてないのかなと思っています」

「それは相手次第だ。太盛の結婚相手を少し間違えていたのは
 認めてやってもいい。だがカリンの場合はもっと慎重に
 決めてあげようと思っているんだよ。老人、いや親心としてね。
 人生にはパートナーが必要だ。人が独りでいるのは
 良くないことだと聖書に書かれている」

「心配してくださるのはありがたいのですが、
 おじいさまのご期待に沿えるかどうか不安で」

「なにも絶対に結婚相手と一生を共にしろとは言わない。
 太盛の件では私にも反省すべきところはあった。
 エリカ君との別居でも認めていれば、蒙古への逃亡は
 防げたことだったと思っている」

昭和で凝り固まった頭ではいかん。
少し柔軟な発想をしなければ。とおじいさまは言った。
少しだけ丸くなったのかな。

「カリンが相手と会わないままでいると、仲人としての
 私の立場がない。これ以上相手方に無礼な態度を
 取り続けるもどうかと思う。一度だけで良い。
 会ってやってはくれないか?」

そこまで言われたら断りにくいな。
ん? マリンがめずらしくこっちを見ている。

何よその目は? おじいさまの言うことを聞けって
言いたいのでしょうね。分かったわよ。

私が了承したことを伝えると、おじいさまは今日初めて
笑顔を見せてくれた。そんなにうれしそうな顔をしないでよ。
私の方は全く期待してないんだから。

あー。高いワインだとすぐ酔っちゃうのよね。
頭がふらふらする。廊下を一人で歩けないかも。

かといっておじいさまの目の前で寝るわけにも行かないし。
マリンがおじいさまに質問しているけど、金融のこと?

マリンがお呼ばれした時は難しいをしたがるのよね。
おじいさまも乗り気で、知的好奇心の強いマリンを気に入っている。
私は眠気と戦うのに必死だったので、さらっと聞き流すことにした。

「まったく……テレビでマスメディアはそう報じているのか。
 政府の債務(借金)と国民の借金を同列に語るのは間違っておる。
 ギリシャのような財政破綻などするものか」

「やはりそうなのですか。経済新聞でアナリストの方も
 同じことを指摘しておりました」

「国債を発行するのは政府だ。それを主に日銀と民間など
 金融機関が買い取る。日本国債は、ほぼ全てが円で
 取引しているから、ギリシャのように外国債券市場の
 影響を受けることがない。円で買われたものを円で返す。
 それだけのことだ」

マリンが興味深そうに頷いている。

「もちろん債券なので償還時の利息はある。
 国民に返済義務があるとしたら、利息分だけだろう。
 政府の債務残高とは、当たり前だが債務は政府にあり、
 債権を有しているのは金融機関だ」

「しかし、財政を支えているのは税金ですから、
 どうしても国民の借金と考えてしまいがちなのですね」

「それは全く言葉遊びの次元である。これは財務相の人間の
 受け売りだが、人のポケットから、金融機関、政府の
 ポケットへとお金が移行していると考えると分かりやい。
 そして金融商品の取引なので返済期間と利息が生じている。
 お金は回るものなのだよマリン。不景気で銀行には貸し手がいない。
 だから政府が借りる側に回っていると考えなさい」

「なるほど。銀行の保有している預金は借金と同等。
 貸し手を探さないと利益を出せません。
 政府は毎年大量の国債を発行し続けています」

「金利は20年近く下がり続けたが、悲観する必要はない。
 国債市場で日本国債の評価が高いから下がるのだ。
 金利はマスコミではなくマーケットが決めることであるから、
 新聞などが危機感を煽るのは全く間違っておる」

マリンは頭が良いね。よくおじいさまの
話しに着いていけるよ。大学の講義を
聞いているみたいで余計に眠くなっちゃうよ。

「おじいさまのご意見をぜひ伺いたいのですが、
 今の日本の経済はどうなっているのでしょうか。
 大企業の収益ばかり増加して国民生活が豊かになりません」
 これを一部の人は、資本主義の限界だと指摘していますが」

「これが限界なものか。景気の変動があるのが資本主義の基本。
 昭和のバブル期を経たのだから停滞するのは当たり前だ。
 停滞期の後はゆるやかな上昇期、回復期になる。
 日本は国全体にデフレが浸透しているから、時間はかかるがね。
 長く停滞期が続いたから限界と主張するなど、歴史を知らぬ証拠だ」

「良い時もあれば、悪い時もあると言うことですね」

「その通りだ。英国、オランダなど資本主義の大先輩は
 何度もその流れを繰り返してきた。
 そして国家制度は一度も滅んでいない」

生ハムを口に運び、さらにお酒が進むご党首様。
お年の割には結構の飲むね。
孫娘と話するのが本当に楽しみなんだ。

おじいさまは、洗練された資本主義、民主主義国家は
社会主義国家をはるかに超越すると主張した。

議会制民主主義のイギリスは特に良い例で、
600年間一度も戦争に負けなかったのは
地政学的な面よりも優れた政治制度と海軍力にあると言った。

おじいさまは歴史のある国が大好きで、
特にイギリスを褒めることが多い。
ミウがお気に入りなのはそういう理由なのね。


私は少しだけ眠気のピークが過ぎ去った。

「ねー。おじーちゃん。金融のことより北朝鮮の
 方が心配じゃない? 最近ミサイル打ってこなくなったよね」

「カリン姉さまっ。口調を正しなさい」

「まあいいではないか。楽しいお酒の席だからな」

おじーちゃん、やさしー。
酔うと敬語使うの、めんどくさいじゃない。
おじいちゃんの家のワインは高級すぎるんだよ。

おじいちゃんは国連安保理の経済制裁とか、米朝首脳会談とか
難しい言葉で説明してくれるけど、今の私の頭には入らないよ。

「よく分からないけど、ミサイルたくさん打たれたら
 日本は滅びちゃうのかな?」

「そう簡単に滅びるものか。2600年以上前に
 初代天皇陛下が国を治めてから一度も滅びていない。
 太平洋戦争で敗北した。空襲で焼け野原になり、
 原爆まで落とされたが、それでも日本は復興し、発展した」

「おー。日本すごいじゃん。
 天皇家ってそんなに歴史あったんだ」

私はマリンに冷たい目で見られながらも、
チーズなどのおつまみを食べていた。

「姉さま。今の国際情勢で日本が
 攻撃されるわけがないでしょ」

「でもさぁ。本当に攻撃されたら怖いじゃん?
 私らも死ぬかもしれないし。そう考えたら
 将来のことなんてどうでもよくなっちゃうよ」

「日本の自衛隊は君達が思っている以上に優秀だよ。
 死ぬことなんて若いカリン達が気にすることではない。
 前向きに行きなさい。人生は自分の考え方次第で
 どうにでもなるのだ」

未来を知るためには歴史を知りなさい。
そして神に祈りをささげる時間を大切にしなさい。
おじいさまはそう何度も主張した。

マリンもだいぶ酔っていたみたいで、
うとうとし始めた。夕食はこれで終わりになった。

能面の男が、おじいさまの車椅子を引いていく。
おじいさまは本当に弱ってしまったのね。

今夜は泊まって行きなさいと言われたので甘えることにした。
どうせ明日は休みだしね。
私とマリンは客間を一部屋ずつ与えらえれた。

中世にタイムスリップしたような部屋だった。
壁には聖ペテロの絵画。天蓋付きのベッド。
テレビやパソコンはもちろんない。

まさに寝るだけの場所。無駄に高そうな壺とか小物が
置いてあるけど。あっ…ピアノのおもちゃかと
思ったら、ピアノ型のオルゴールなんだ。
可愛いから家に持って帰りたいくらい。

鳴らしてみたいけど、勝手に触ったら
怒られそうだから諦めよう。

私はふかふかのベッドに体を沈めたけど、
いつまでたっても眠気が襲ってこない。
おかしいな。食道にいる時はあんなに眠かったのに。

じっと天井を見つめていると、
コンコンとドアを優しくノックされた。

「カリン姉さま。まだ起きてる?」

まさかあいつの方から用があるなんて。
そんなに急な話なのかな? 
私の方からドアを開けてあげた。

「緊張しているせいか、なかなか寝付けないのよ。
 姉さまに話し相手になってほしいと思って」

「私もだいたい同じだよ。本家って無駄に
 緊張するよね。お屋敷の重苦しい雰囲気のせいかな」

熱烈なファザコンだったマリンは、私やレナとは
あまり話をしたがらなかった。だから実の妹とはいえ、
夜に二人で話し込むなんてことはまずなかった。

振り子時計の無機質な音が、うるさいくらいに響いている。
私はこれ苦手なんだよなぁ。今は深夜の一時過ぎだ。

「姉さまは知っている? 
 私は高校時代に付き合った人がいたのよ」

「えっ。うそ。あんた恋人作るのは
 興味ないって言ってたじゃん」

「私、ずっとファザコンだったでしょ?
 逆にパパに心配されちゃって。
 学生時代に恋愛経験のない人は
 将来苦労することになるって」

「相手はどんな人だったの?」

「文科系でおとなしそうな感じの人だったわ。
 たまたま同じ美術部の先輩で、たまに話を
 する程度の仲だったんだけど、急に告白されたから
 まあ、いいかなって。顔も悪くないし」

「どうせすぐ別れたんでしょ?」

「ばれた?」

「うん。あんたが年の近い男を好きになるわけないもの。
 で、どれくらい続いたの?」

「2週間」

「短すぎでしょ」

「休みの日にデートしたんだけど、何が楽しいのか
 分からなかったわ。向こうはすっごい緊張して
 ガチガチだったけど、私は逆にしらけちゃった。
 ときめきも何もなし。やっぱり私は恋愛に
 向いてないって思った」

「たまたまその人が合わなかっただけじゃないの?」

「私も最初はそう思って、今度はもっとワイルドな感じの
 人と付き合うことにしたのよ。私はいつも告白されることが
 多いんだけど、私からデートに誘うってパターンで」

「積極的ね。で、その人ともダメだったんでしょ?」

「その通りなんだけど、デートって映画を見たり
 美味しいものを食べたりするだけじゃない。
 相手の好みに合わせるのもめんどくさいし。
 待ち合わせもめんどくさい。こんなことをするなら
 一人で時間を使ったほうが有意義だと思ったの」

「それさ、たぶん相手を一方的に傷つけただけで
 終わったと思うよ。デートに誘った意味がないし、
 相手を実験台に使っただけじゃない」

「私の方から別れましょうって言ったら、
 くやしそうに泣いていたわ。それから
 学校中に悪いうわさが広まってしまって、
 卒業するまで居心地が悪くなったわ。
 おかげで男子から声をかけられることは
 なくなったけどね」

「なんだかミウに似てるような気が…」

「そうそう。あの時ミウの気持ちがすごく分かったわ。
 さすがに中退する気はなかったけど。
 ……それにしても女子はうざかったわ。何様のつもりなの
 あいつら。陰でこそこそ人の悪口ばかり言って」

マリンは気に入らない生徒をどんどん先生に通報しては
敵を増やし、一方で仲の良い女子で固まってマリン派閥を
作るなど、やりたい放題やっていたらしい。

かなり敵の多い学園生活を送っていたせいか、高校の
同窓会には一度も呼ばれてない。マリンの方も
行くつもりは全くないから構わないと言っているけど。

マリンは昔の愚痴をこぼして満足し、
話題が私の結婚のことになった。

「姉さんは子供欲しくないの?」

「欲しいとは思うよ。でも親に決められた相手と
 ずっと一緒に過ごすのって考えられない。
 パパがよく言ってたけど、夫婦なんて赤の他人じゃん。
 あんただって私の気持ち分かるでしょ?」

「ええ。分かるわ。私も結婚願望ないもの」

「だったら偉そうに言わないでよ」

「私はファザコンだからいいのよ」

「なによそれ。てか自分でファザコンなことは認めるのね」

「私はお父様が完治するまでおそばを離れるつもりは
 ないわ。でもカリン姉さんには幸せになってほしいの。
 姉さんは器量が良いのに独りでいるのはもったいないわ」

普段話さないけど、妹のこいつなりに私のこと
心配してくれていたんだね。少し感動。
あとでレナにも教えてあげよう。

「携帯が鳴っているわよ」

「え、どっちの?」

「姉さまの携帯よ」

こんな深夜に誰だろう?
フゥ君からのメールだった。
中学生は夏休みだから夜更かしは余裕ってことね。
こっちの都合はスルーされているのが癪だけど。

【例の犯人、捕まりましたね】
女殺人犯の顔写真を付けてくれた。

そうらしいね。でも眠いからあとでね、と一言。
スタンプを送信しておいた。ちょっと冷たかったかな?

「相手は男性の方なの?」

「友達かな。年下だけど」

「何歳下の人なの?」

「15歳かな」

マリンが一瞬だけ固まった。

「なるほど。ショタコンだったから婚約者と
 会うのを断り続けていたのね」

「違うって」

完全には否定できないけど。

「その男の子とどうやって知り合ったのよ?」

「○○書店でよく会うからさ。あの子が推理小説のコーナーで
 一生懸命本を探しているのよね。何を探してるのって
 定員みたいに話しかけたのがきっかけだったかな」

「その子も姉さんみたいに読書好きなのね」

「うん。英語の小説を原文で読むことにだわって
 翻訳ながら読んでいるみたい。そんなところが
 少し昔の自分に重なった。蒙古からパパが
 帰って来てから私は人間不信になったでしょ? 
 それで引きこもることが多かったじゃない」

「そんな時期もあったわね。ずいぶん昔のことだけど」

「ええ、昔のことね」

モンゴルのことはマリンと話すと
喧嘩になるからやめておこう。

帰国後のマリンのヒステリーはすごかった。
パパがおかしくなったのは私もショックだったけどね。
マリンがママだけじゃなく、ミウや後藤にまで
八つ当たりしてのはドン引きだったよ。

「男の子はフゥ君と言うのね。フゥ君とはどんな話をするの?」

「小説や映画の話とか殺人事件のことね。
 学校の悩み相談とかも受けるわ。
 年相応の悩みを抱えている彼の顔、
 可愛くてついつい話しこんじゃって……。
 あっ今思い出した。そういえば例の女だよ」

「ああ、そうでしたね。
 スマホで調べてみましょう」

妹と時間を忘れておしゃべりする日が来るとは思わなかった。
どれだけ時間が過ぎたのか知らないけど、気が付いたら
どちらともなく疲れて同じベッドで寝てしまった。

翌朝、お越しに来てくれた使用人の人が、
私達の仲の良さに少しだけ驚いていた。


〜三人称視点〜

疲れ果てた顔で帰宅した世帯主の本村ユキオ。
玄関を開けると、食卓からミホのすすり泣く声が
聞こえる。大切な娘の泣き顔を視界に入れるのは辛かった。

本当なら、娘をこんな目に合わせる奴をぶん殴ってやりたい。
だが、ミホを痛めつけているのは息子のケイスケだ。

「ミホ。ごめんね。ミホ。痛かったか?
 次は絶対にこんなことしないから、ごめん」

ケイスケはミホを強く抱き締めながら決まり文句を口にする。
いわゆるDV。学校のみんなに知られないように
顔以外の目立たない場所を殴っていた。

学校ではカップルとか新婚夫婦とまで呼ばれているのに、
なぜこんなことを? それは父のユキオが一番問いたかった。

「ふん」

ユキオは子供たちの茶番に見て見ぬ振りをして、
サランラップをしてあるおかずをレンジで温めた。
本村家の夕飯はミホが作ってくれる。

ケイスケが暴力に目覚めたのをきっかけに
両親の仲も険悪になった。

息子と娘は極度のブラコン、シスコン。
世間の評判など全く気にかけず、買い物など
二人で手を繋いでするものだから、
周りの人から奇異の目で見られていた。

週末は同じベッドで寝る時もあった。一緒に
お風呂に入ろうとした時はマリエが怒鳴って止めた。
認めたくないが、二人は真剣に愛し合っているようだった。

育て方を間違えたせいだと、
夫婦はどちらかに責任を問い、日々喧嘩を繰り返した。
特に金曜は夜の決戦とまで呼ばれるほどの壮絶さだった。

「お兄ちゃん。いいよ。もういいの。顔を上げて。
 私は気にしてないから大丈夫」

自分の足にすがり付いて泣き続ける兄を、ミホはただ許してしまう。
ケイスケが暴力を振るった理由は、ミホが夏休み前に
男子に告白されていたことを知ったからである。

その男子はもちろん相楽である。
ケイスケは独自の情報網を持っていて、
ミホの学校で起きたことをいちいち把握していた。

『おまえはなんで学校の男に告白されてんだよ!!』

ケイスケはミホがモテるのが気に入らなかった。
ミホに男のうわさが出るたびに荒れ、ミホに手を上げるのだった。

DVはささいなことで起こる。
例えば、ミホが学校で自分以外の男性に親切されたり、
店先で定員と長く話し込んでいると、血走った目で睨みつける。
そして家に帰ってから尋問し、
ミホの返答に関係なく暴力へと発展する。

「私はお兄ちゃんのものだから。
 お兄ちゃんのそばから絶対にはなれないから安心して」

「お前はそう言ってくれるのか。
 こんなバカな兄貴なのにな」

ケイスケは痛いくらいにミホを抱きしめ、くちびるを奪う。
ミホは人が良いので、ケイスケに泣いて謝られるとつい
許してしまう。

小さい頃からかっこよくてミホを守ってくれる存在だった兄を
ミホは覚えている。心が引き裂かれる一方で
兄は弱いから私がいないとダメなんだと思うようになった。

兄が自分以外の家族に暴力を振るうくらいなら、
いっそ自分が受け止めたほうが良いと思っている。
典型的なダメパターンである。

(お腹や肩にあざができて、またすぐぶたれるから
 傷が治る暇がない。まだ顔はぶたれてないけど
 時間の問題だよ。誰か相談できる人がいればいいけど)

一番の相談役である父は、薄情にも静観。
一度ケイスケと大喧嘩し、派手な殴り合いを
した後は不干渉を決め込んだ。
母のマリエは暴力を恐れて実家に帰ってしまった。

学校の友達に相談しようにも、女子達に知られたら
学校で居場所を失うのは確実。先生ならどうかと思うが、
自分たちの関係が近親相関だと疑われているのは知っている。

ならば。

(フゥ君ならどうかな)

兄にばれないようにこっそり彼と会えれば、あるいは。
彼はミホを本気で心配してくれる貴重な存在ではあった。

「ミホ。夏休みだから今夜も一緒に寝ような?」

キスはしたが、体の関係にはなっていない。
ミホは兄が逆上するのを恐れて断ることはできなかった。

今はたまたま悪い時期。いつかまた、優しかった頃の
兄に戻ることを信じていた。


次の日は雨だった。

ミホが八時過ぎに目覚めると、
枕元に兄の字で書置きがあった。

『野暮用があるから出かけてくる。
 午後までには戻るから家にいてくれ』

(雨なのに用事があるのかな?)

朝食にトーストを焼いて食べた。
学生は夏休みでも社会人には平日なので
父はとっくに出て行った。

兄に束縛されない久しぶりの朝だったので
心がほっとした。家にいろと言われたけど、
そう言われたら逆に外出したくなるのが人間だ。

特に行きたい場所などなかったが、
外の空気を吸うために玄関に鍵をかけ、街へ出た。

学校の通学路の途中に住宅地がある。例の殺人現場である。

(ここで脱獄犯の人が殺された……)

ミホは知らなかったが、相楽の自宅跡地もここにある。
カーブを描く車道沿いの反対側に水路がある。
この水路の近くで事件があったのだ。

ミホもニュースで女殺人犯が逮捕されたことは知っている。
実名で写真も公開された。犯人は必ず現場に戻ると
聞いたことがあるが、もうその心配をする必要はない。

だが、こういう場所に来ると何か怨念とか心霊的な
気配を感じてしまい、背筋が冷たくなってしまう。

傘を持つ手に力が入る。
小雨が降り続く静かな朝だった。
水たまりがはねる音がした。
振り返ると、よく知った同級生の顔があった。

「やあ。こんなとこで会うなんて奇遇だね」

フゥ君である。ここに兄がいなくて良かったと
ミホは心から思った。ミホが出先で偶然とはいえ、
男の子と会ってると知ったら発狂しかねない。

「フゥ君は私がどこにいても現れるね」

「なぜなら、僕がそう望んだからさ」

知ったようなことを言う中学生である。

「君は事件に巻き込まれている。そして誰かに
 相談したいと思っている。そうだろう?」

なぜ話してもないのに分かるのかとミホは思った。
彼の視線は、首筋の小さなあざに向けられていた。
本当に小さなあざだから、かなりの観察力が
ないと気づかないはずだ。

「今日は、お兄さんはどうしたの?」

「朝一人で出かけたの」

「めずらしいね。君を置いて行くなんて」

「うん」

「俺ならここにいるぞ?」

低い声がした。明らかにケイスケの声であることを
理解し、フゥが振り返ると同時に頭に鈍い痛みが走った。

ケイスケの手には大きな石が握られていた。
ハンドボールより少し小さいが、鋭利な部分があり、
危険である。後頭部から血を流して
起き上がれないフゥに、ケイスケはさらに石を振り上げる。

「お兄ちゃん、やめて!! それ以上やったら死んじゃうよ!!」

ミホは身長差があるのでケイスケの腕に
ぶら下がるようにして体重をかけた。
妹の本気の抵抗にさすがにケイスケも手を焼いた。

ケイスケは妹に手を出さないと誓ったばかりなので
ミホを力ずくでどかすことはできない。
口先だけで吠えるのだった。

「俺の怒りはこんなもんじゃ収まらねえぞこら!!
 てめえ人の妹に手を出そうとしやがって!!」

ケイスケの目つきは異常者のそれだった。
ミホはなんとか兄をなだめるために、あえて別の話題を振った。

「お兄ちゃん。今日は出かけてるんじゃなかったの?」

「嘘に決まってんだろ。俺が見てない時に
 ミホがどんなことしてるのか気になったから
 追跡してたんだよ。そしたらおまえ、
 学校の男と会う約束してたのか」

いつもの衝動でミホの頬にビンタが飛びそうになるが、
寸止めした。ギリギリのところで理性が勝ったのだ。

「あんたたち、そこで何してるの!!」

近所の主婦が駆けつけ。大騒ぎとなった。
特にフゥが血を流して倒れてるから、
すぐに救急車を呼ばれてしまうのだった。

フゥの傷は死ぬほどではなかったが、
二週間の検査入院が必要になった。

加害者のケイスケは未成年のために
罪に問われることはなく、男同士の喧嘩ということで
周囲を納得させた。その後、フゥの父親が本村家に
対して賠償を要求するに至るが、被害相当額を
全額ユキオが払うことを示談で済ませた。

すぐに同級生や学校側にうわさが広まり、
本村家のミホをめぐってフゥとケイスケが
血みどろの争いをしたことになってしまった。
実際はフゥが一方的に痛めつけられたのだが。

ユキオのショックは大きかった。
ついに家族だけでなく他所の子供にまで手を
あげてしまったケイスケ。
打ち所が悪ければフゥは死んでいたかもしれない。

もはや息子と勘当したいレベルであるが、
その暴力的な欲求の根源がどこにあるのか。
育て方とか家庭環境とか、
そういうレベルを超えている気がした。

本村家の食卓にて。

「なんだよ。夕飯の時間なのにご飯作ってないじゃないか」

「今日は夕方までお昼寝しちゃったから
 作るのが面倒だったの」

「しかも冷蔵庫の中身もカラじゃねえか。
 しょうがねえな。今夜は外食だ」

「また外食はちょっと……。
 外食ばかりだとお金なくなっちゃうよ」

「うるせえな。俺が外食と言ったら外食だ。
 どうせ安いとこで食べるんだから金は心配しなくていい」

「でもお父さんの食べる分が無いでしょ。
 スーパーで出来合いの総菜を買ってこない?」

「おいミホ」

またこの目つきだと、ミホはおびえた。

「俺は。おまえと。二人で食べに行きたいんだ。
 この家で食べるのは嫌なんだよ。
 いるだけでストレスたまる。
 なあ、俺と一緒に食べに行くのそんなに嫌か?」

荒れモードの時の兄に逆らうと拳が飛ぶ。
経験的に分かり切っていることだから、
ミホはおとなしく従った。


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