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作品名:失われた時間は二度と戻らない 作者:なおちー

第3回   〜逮捕されたはずの女と町で会った〜
失われた時間は二度と戻らないA

〜フゥの視点〜

「どうしてそこで兄の名前を出しますか」

とげのある声だ。
本村さんのこんな声を聞くのは初めてだ。

「いや、だって君のお兄さんはわざわざ
 学校の門まで帰りに迎えに来るほどじゃないか。
 年の近い兄妹の割には仲良いなって」

「それの何がいけないんですか?」

「え?」

「私は、私が兄と一緒にいたいから一緒にいます。
 相楽君は私達のことを否定するんですか?
 そんなことを言う資格があるんですか?」

「そ、そんなつもりじゃなくて」

「じゃあ、なにが言いたいんですか?」

「うっ…」

相楽が本村さんの迫力に圧倒され、後ずさりをした。
普段女子にからかわれている本村さんとは
明らかに別人だ。告白された側だから、
立場的に強いのもあるんだろうが。

相楽は「今日のことは忘れてくれ」と言って、走り去った。

本村さんはしばらく立ち尽くしていたが、
急に声もなく泣き始めた。めそめそと子供のような顔で。

なぜだろう。僕は黙って立ち去ればいいのに、
一歩前に出る。建物の影からいきなり姿を現した僕。
本村さんは不快感を隠そうとしなかった。

「フー君。ずっと見てたの?」

「そうだよ」

はっきり言った。ある意味男らしいだろう。
ちなみに彼女に下の名前で呼んでもらえたのは、
いつだったか。僕が彼女に話しかけるようになったのは
今年の春から。つまり三年生になってからだ。

『あんまりしつこいとお兄ちゃんに言うよ?』

くぎを刺されたので、学校の外では
話しかけないようにしている。

僕は暇さえあれば彼女に話しかけるのが得意だった。
理科の実験、調理実習、体育祭の時など、
男女で一緒に参加するイベントでは
積極的に本村さんの近くに寄るようにした。

恋愛は話しかけないことには始まらないからね。

僕の熱烈な愛が彼女に伝わることはついになかったが、
友達程度には思ってくれているようだ。

「本村さん、あんな奴に言われたことなんて気にするなよ。
 兄妹で仲良しなのは素晴らしいことじゃないか。
 赤の他人がどうこう言うなんて失礼だよね」

僕はハンカチを渡したが、自分のがあるから
いらないと断られてしまう。

「そんなふうに言ってくれるのは、フゥ君だけだよ」

少しだけ、ほっとしたような顔をした。
本村さんは兄との関係を否定する奴に冷たいが、
僕のように認めてくれる人には優しいのだ。

「今日ギャル達にお兄ちゃんのこと馬鹿にされたでしょ?
本当は殴ってやりたいくらいムカついた」

「君でもそう思うことってあるんだ」

「それはそうでしょ。私だって人間だし。
 家ではそれなりに怒ったりするよ?」

「なんだか意外だな。本村さんは学校だと
 おとなしい人ってイメージしかなかったから」

「男子達は……特にそう思ってるみたい」

「モテる女は大変だね」

「私は全然モテてないよ」

謙遜だなぁ。学年一のイケメンからも
告白されたばっかりなのに。

すると本村さんのLineが鳴る。
彼女は顔色を変えて教室にカバンを取りに戻るのだった。

「ごめん。お兄ちゃんが迎えに来ちゃったから帰るね」

「おけ。また明日」

きっと今日も手を繋ぎながら新婚夫婦のような雰囲気で
下校するのだろう。ああ、お兄さんが羨ましい。
一日で良いから僕と変わってほしいよ。



相楽は次の日から学校に顔を出さなくなった。
学期末テストも終わり、もうすぐ夏休みが始まるのに、
このタイミングで学校に来ない理由はなんだ?

「ご家族の方に不幸があったようで…」

奴の担任の先生に訊いてみたが、明らかに
真実を隠しているようだった。
それから数日間相楽は休み続けた。
一週間が立ち、ついに夏休み直前になる。

その頃には、学校から奴が消えたことを
誰も気にしなくなっていた。

みんな休み目前の浮かれモードになっている。
僕も夏休みが楽しみで学校に通ってるようなものだ。
夏休みは学生だけの特権だよと、僕のお父さんが良く言っていた。

あいにく世間が浮かれていても、
斜めに構えるところが僕の特徴だ。
遊ぶことよりも相楽が消えた真相が知りたい。

本村さんがあんまりうれしそうじゃないのが
気になるな。体調でも悪いのか? 
夏休みの大半をお兄さんと過ごすのだから天国だろうに。

いつか君のブラコンを治す薬が
開発される日をずっと待っているよ。

今日は半日授業。ついに三時間目の授業を終え、
あとは帰りのHRを待つのみとなった。
教室中でテンションが上がり、騒がしくなっている。

「そういえばさー」ギャルが言う。

「相楽君はどうなったの?
 なんかミホに振られたのがショックで
 引きこもってるって聞いたんだけどー」

無駄にでかい声だったので
クラス中が本村さんにみんなが注目した。

すぐにギャルたちのやっかみが入る。

「まじ? あのうわさ本当だったんだ」
「ミホすげー。相楽君から告られたの?」
「やっぱ相楽君よりお兄さんを取るのかw」

ミホさんはうつむいて黙る。

またこのパターンか。
お兄さんネタもそろそろ賞味期限切れなんだよ。
このネタの切れた芸人集団が。

僕は思わず立ち上がり、こう言った。

「おいブス達。黙れ」

この一言で喧嘩になってしまった。
爆笑する男子とは対照的に、激怒するギャル達。

「誰がブスだこら!!」
「てめー。ミホのストーカーのくせに態度でかいんだよ」

ぎゃあぎゃあ、うるさい奴らだ。
態度がでかいのはそっちだろうが。
どうせ将来はケバいファッションをして
キャバ嬢にでもなるんだろうが。

僕はその通りのことを口にし、さらにこう言った。

「馬鹿ども。黙れ」

ギャル達は僕につかみかからんばかりだが、
今度は本村さんを慕う男子達が僕の味方となってくれた。
本村さんをめぐって男女が対立し、醜い言い争いをする。

こうして教室はJRの車内並みの騒音となってしまい、
ようやくやってきた担任の先生によって中断させられた。

「みなさん。喧嘩してる場合ではありません。
 これから皆さんに残念な知らせがあります。
 これは作り話ではありませんから、
 最後までよく聞いてください」

60代の弱々しい爺さん。こんなのでも僕らの担任なのだ。
定年退職せずにまだ教師をやっているらしい。

「五組の相楽君ですが、急なことで
 ニュージーランドの学校へ転校となりました」

どんなにカンの鈍い奴でも、
それが嘘の知らせなのは分かると思う。
中三の夏に外国へ転校とか意味不明すぎて吹くよ。
少し前まで有名私立校を目指すとか本人がほざいていたのに。

相楽は、きっと事件に巻き込まれたのだ。

隠ぺいしようとする学校側の意図は分からないが、
僕の好奇心はMAX。なんとしても真実をつかんでやるぞ。



その日の午後。何人かの友達と一緒に相楽の家を見に行った。
住宅地の一角に会った奴の家は空き地になっていた。
いつのまに取り壊したのか。

僕は相楽だけが行方不明で他の家族は健在だと思っていたが、
家族丸ごといなくなっている。
確かに今の時点ではNZへ逃げたように見えるが。

「なあ、この辺りってさ」

福地という体重が90キロ近くあるデブが言う。
小学校時代からの友達だ。中学卒業後も腐れ縁になりそう。

「例の事件があった場所じゃないか?
 ほら、あそこの水路見ろよ。
 テレビで映っていた場所だと同じだ」

確かに。ここの住宅地の路地裏で例の脱獄犯が
女に殺された。相楽の家はたまたまこの住宅地にあったようだ。

「なんかこの辺り怖いよな。
 夏なのにヒンヤリするっていうか。
 殺人現場の近くってこんな感じなのかな。
 引っ越した人も多いって話だし」

コーンだ。彼は吉谷(よしたに)が本名だが、
頭がトウモロコシのような形をしているので
あだ名がコーンなのである。
先生や女子からはコーン君やとんがり君と呼ばれていた。

こいつはビビりながら僕に訊いた。

「フゥはどう思う? 相楽は殺されたのか?」

「本当に死んでいたとしたら学校側は隠しきれないと思う。
 警察の捜査が入ったらすぐにばれることだろ」

「じゃあ、どうしたんだよ?」

「僕が聞きたいよ」

今の状況じゃあ何とも言えないな。
ただ、いつまでもここにいないほうが良いのは確かだ。
犯人は現場に戻る習性があるらしい。

例の殺人鬼の女はまだ警察に捕まっていない。
住人たちが引っ越すのも当然か。

「お、おい。誰か近づいてくるぞ」

コーンが遠くの歩道を刺すと、福地もそっちを向いた。

「ま、まさか、例の女か……?」

こんな話をしている時だと
自然とそう思ってしまうことだろう。

だが、そんなわけがない。長身で優雅に歩くその女性は、
僕の良く知っている人物。堀カリンさんだ。

「Hallo kids. A beautiful weather. But the Sunshine is killing us.」
(ちーっす。良い天気だけど日差しが殺人的よね)

「いきなりネイティブっぽい英語やめてくださいよ。
 聞き取れるわけないじゃないですか」

「あはは。ごめんごめん。始めて見る子達が
 いたから緊張していたのよ」

「嘘ばっかり。本当は緊張なんてしてないでしょ。
 とりあえず紹介しますね。福地とコーンです」

「コーン君って名前なの……?」

よほどそのあだ名がおかしかったのか、リンさんは
しばらく笑い続けた。初対面なのに失礼過ぎる。
もっともコーンと福地は、リンさんの美しさに
見惚れているようだったけどね。

リンさん本当に若いなぁ。30手前には見えないよ。
今日は私服でパンツルックだ。
ほっそりとした足のラインがよく目立つ。

「こんな時間に会うなんて珍しいですね。
 今日は平日ですけど」

「半日だけ有休使ったのよ。今日は夕方から
 おじいさまの家に行く予定なの」

「例の豪邸ですか」

「そうそう」

リンさんのおじいさんは世間で名の知られた大金持ちらしい。
大きな会社を経営していたけど、部下に引き継ぎを任せて
からは隠居生活を送っているという。

もともと変わり者で人間嫌いだったので、
一部の使用人以外とは会話すらしないらしい。
リンさんもおじいさんのことは苦手だと言っていた。

今日のリンさんは夕方まで暇なので、この現場周辺を
散策していたらしい。事件が好きなんですねぇ。

「それはあなた達も同じでしょ」

確かに。

「で、何かおかしなところは見つかった?」

「僕の同級生の男子が消えたこと以外は何も…」

「なにそれ。詳しく聞かせて」

僕が一部始終を説明した。途中で福地とコーンも
補足説明をしてくれた。コーンが説明を始めると、
リンさんは意味もなくまた笑っていた。

「このタイミングで転校とかありえないわ。
 怪しすぎ。どう考えても事件よ」

「やっぱりそうですか」

リンさんは本村さんのお兄さんが怪しいと言っていた。
確かにケイスケさんは重度のシスコンらしいけど、
妹に一度振られた野郎にわざわざ危害を加えるだろうか?

しかし言われてみれば、相楽が転校したって話を
聞いた時に本村さんだけは全く動揺してなかったな。
彼女が本当の事情を知っていたとしたら、納得できてしまう。

リンさんの携帯が鳴った。
この人の携帯は頻繁に鳴る。
今回は妹さんから用事を言いつけられたらしい。

一歳年下の妹さんがいるのは僕も聞いているけど、
リンさん並みの美人なんだろうか。見てみたい気もする。

「精神異常者って案外身近にいるものなのよ。
 あなた達も事件に巻き込まれないように
 気を付けなさい」

リンさんは手を振り、早足で去って行った。

「すげえ綺麗な人だったな」「ああ……」

コーン達はリンさんが
残していった香水の残り香をかいでいた。
僕たち中学生男子にとって妙齢の女性は憧れの対象なのだ。

僕らはその後、何もする気に
ならなかったのですぐに別れた。
僕は暑いので帰り際にコンビニに寄り
アイスを買うことにした。

行きつけのコンビニだ。
学校から家の帰り道にあるのだ。
定員の顔はだいたい覚えている。
たまに入れ替わりがあるけどね。

特に何もおかしなことなどない。
そう思っていたのだが。

「お、お客様。申し訳ありません!!」

なんだ?と思ってレジを見ると、若い男性定員が
慌てて小銭を拾っていた。釣銭の受け渡し時に
落としてしまったのだろうか。

あの店員は顔見知りだ。近所に住んでいるフリーターで、
もう何年も務めている。彼がミスをするなんて珍しい。
いや、正しくはミスをさせられたんだろう。

「急いでませんから、ゆっくりでいいですよ」

「は、はいっ」

僕は直観力がある。レジの前に立っている女性は普通じゃない。
ゆったりとしたカーディガンに七分丈のジーンズ姿。
細身のリンさんと対照的で少しふっくらしているけど、
デブと言うほどではない。

むしろあっちの方が女性らしい体型かもしれない。

僕の視線が気になったのだろう。
会計が終わったあと、女は僕を見た。

一瞬、時が止まったのかと思った。
買い物袋を手にした女は、ただ出入り口の近くで
固まっている僕の横を通り過ぎようとしただけなのに。

僕はその女から一歩も目を離すことができなかった。

なんて冷たい目つきだ。真っ黒な瞳は、感情らしいものを
何も映してない。きっと僕のことも邪魔な障害物だと
認識しているのだろう。

自動ドアが開き、入って来た別の客も女に
びびって道を空けるほど。

女が自動ドアを過ぎた。
外の風が吹き込み、ふわっと後髪が持ち上がった。
肩にかからない程度のショートヘア。
毛先の方を整髪剤か何かで固めている。

肌が白く、アイドルっぽい魅力的な顔をした女だった。
同じくらいに不気味で得体の知れない女だった。

雰囲気からして僕達と同じ世界で生きている人間じゃない。
そいつが事件と関わりがあるのは間違いないと確信し、
尾行をすることにした。

やがて日が沈み始めるが、女は黙々と歩みを進める。
描写するのがずいぶん遅れてしまったけど、
僕らが住んでいるのは東京都多摩市です。

西東京なので街中以外は山に囲まれた田舎だよ。
女は店の並ぶ駅前通りをずっと歩き、途中で花屋さんに寄って
花束を買った。なぜ花? 花が趣味なのだろうか。

会計をする時、花屋のおばさんも
やはり緊張して顔が引きつっていた。

女がその後立ち寄ったのは、墓地だった。

「またここに来たよ。○○ちゃん」

ちゃんと聞き取れなかったが、女の子の名前だったと思う。
花束をどさっと墓の前に落とし、女はしばらく立ち尽くしていた。
無言が怖い。つーっと涙が頬を伝うが、それをぬぐおうともせず、
いつまでもそうしていた。

むなしく時間が流れる。夕方でも日差しは十分に強い。
僕は肌にべったりとまとわりつく汗の感触に耐えながら、
物陰からあの女をずっと観察していた。

「いつまでそこにいるつもり?」

不快そうな声の音色。
女はこちらを見ていったわけではない。
まるで独り言のようにつぶやいただけだ。

「あなたに言ってるんだよ」

僕はもう逃げられなくなった。
逃げようと思えば逃げられたのに。
だが、足がすくんでしまっている。

「人のあとをつけるのがうまいねぇ。
 若いけど中学生? それとも高校生かな?」

下手くそな作り笑いを浮かべるその女と目が合った瞬間、
僕は殺されると思った。尾行なんてしなければよかった。

「にゃあ」

な……? ふと振り返ると黒猫が歩いてきた。
この修羅場になぜ自分から寄って来たんだ。

僕はすぐにそのわけを知ることになった。
猫は普通じゃない。
毛が逆立ち、瞳孔が開いている。
トラともヒョウとも取れない恐ろしい雰囲気だ。
一体なんだこの動物は?

口からよだれを垂らして低い鳴き声を上げているが、
まるで血に飢えた獣そのもの。
僕は今までにこんな狂暴な猫を見たことがない。

猫は僕に飛びかかってきた。
僕はパニックを起こし、倒れながらも両手を
滅茶苦茶に振り回すが、猫の爪が僕のTシャツを引き裂き、
鋭い傷跡を付けるのだった。やば。血が……

「よっと」

女は片手で猫の首根っこをつかみ上げた。
猫はすぐに攻撃の対象を女に変更し、鳴き声をあげて威嚇した。

すぐに女の手から逃げ出すことに成功し、地面へ落下。
すごい跳躍力で女の首筋に襲い掛かった。

女は倒れることはなく、冷静に猫の動きを観察していた。
自分の服や腕が引っかかれているのに構わず、
猫の首をつかみ、絞め続けた。ゴキッ、と首の骨が
折れる音がすると、猫の手足がだらりとして動かなくなった。

命がけの勝負は女の勝ちだ。それにもかかわらず、
女は手ごろな大きさの石を拾い、猫の頭部へ振り下ろした。

ネチョ グチャ

耳をふさぎたくなる音を立てながら、猫の頭部だった部分が
陥没し、血が噴き出て地面を濡らした。脳みそと思われる部位も
一部飛び出てしまっている。

「手、洗わないと」

女は満足したのか、洗い場でじっくりと手を洗っていた。
服やジーンズに着いた返り血を全く気にしてないのが不自然だ。
黒くみずみずしい髪も一部が赤く染まっている。

その状態で町を歩いたら即警察に通報されると思う…。
女のことは怖いけど感謝の気持ちがないわけじゃない。
引っかかれた胸元はヒリヒリと痛むが、大怪我ではない。
僕一人ではあの猫を追い払うことはできなかった。

僕はしりもちをついた状態から立ち上がり、
せめて礼を言おうと思って女に近寄った。

「あの」

「止血はちゃんとしておきなさいよ? さよなら」

会話にすらならなかった。
この人の声は抑揚がない。ロボットみたいだ。

猫を殺すのにためらいがないこと、とどめに頭を
つぶしたこと。殺しそのものを楽しんでいる風だった。

少し前にインターネットでこんな記事を読んだことがある。
猟奇殺人の第一歩は動物のいじめ、虐待、虐殺から
エスカレートし、やがて殺戮の対象が人間へと変わる。

あの女は例の脱獄犯を殺した犯人だ。僕はそう確信したのだった。



視点〜堀カリン〜

【ようこそいらっしゃいましたカリン様。マリン様】

食堂のテーブルに置かれた、
予約席プレートに上の文章が書いてある。

時刻は5時前。テーブルにはナイフとフォーク、
テーブルナプキンが並んでいるだけで、
まだ料理は運ばれていない。
夕食の時刻は7時ちょうどと決まっているからね。

私達は夕食に送れないようにと早めに来ているの。
おじいさまは気まぐれな方で、
気が向いた時にこの小さな夕食会に招待してくれる。

ここはおじいさまの家。私とマリンはJRの路線を乗り継いで
新宿区の一等地へと足を運んだわ。だいたい毎月一回くらいは
おじいさまにお呼ばれして食事をするの。

今日は金曜日。会社が一番忙しい時なのに課長にお願いして
午後から阪急を頂いたわ。上司はかなり不満そうだったけど、
こっちだっておじいさまに誘われたら断れないのよ。

ひとつ開けて隣の席に座っているマリンは、ずっとスマホを
いじっているから私との会話がない。こいつは要がなければ
私に話しかけることは基本的にない。

レナに対しても同じ。三姉妹の中で一番の変わり者だから、
お父様と話すとき以外は不愛想。私は仕事で疲れているのもあって、
目をつぶって仮眠をとることにした。イスに座ったまま
寝るのは得意だから、もしかしたら本気で寝ちゃうかもしれないけど。

「お嬢様方、お飲み物でございます」

来た来た。能面をした不思議な男。仮面の裏の顔を
見たことがないけど、いったい何歳なんだろう?

能面は私が10歳の頃はギリギリ30代だと聞いていたけど、
今でも全然年を取っているように見えない。

物腰が柔らかくてとにかく紳士。
堅苦しい鈴原とは雰囲気が全然違う。

「どうもありがとう」

マリンの奴は彼の顔を見ずに言う。
能面には特にそっけない態度を取るのよね。
彼の方もどこかマリンに遠慮している気がする。

マリンはストローに口を付け、レモネードを
一気に飲み干してしまった。

本家(おじいさまのお兄様の家が本家。
ここは正確には分家だけど、私達はこう呼んでいる)
で出されたものなんだから、もっと味わって飲みなさいよ。

「まあ」

私の避難の視線など全く気にせずに、
マリンがスマホの画面から顔を上げる。

「速報によりますと、件の女殺人鬼の方が逮捕されたと」

「脱獄犯を殺した犯人のこと?」

「ええ。お姉さまはこういう話題がお好きでしょう?
 女の顔写真がネットで公開されていますわ。
 ぜひご覧になって」

買い換えたばかりのスマホを見させてもらうと、
殺人鬼とは思えないほどの美人でびっくりした。

砂浜で友達と遊んでいるシーンだ。友達いたのかよ。
しかも若い。高校生の時の写真? 今の写真はないの?

「色々な写真が出回っていますが、大半が偽物でしょう。
 もうすぐテレビで報道されると思いますから、
 その時を待つことにしましょう」

わあ。すごい気になる。7時のニュースが楽しみ。
こんな日におじいさまにお呼ばれしたのが残念。
この館はテレビがないんだっけ? 

おじいさまがテレビ嫌いで有名な方なのよね。
だってこの館、15世紀か忘れたけど、大昔のイギリス貴族の館を
再現しているから、室内の明かりはろうそくが基本だよ。

私の家も豪華だけど、まず館の柱の作り方が全然違う。
こういうのはロマネスク様式っていうの? 
天井が無駄に高いせいか、私達の声が良く通る。
キリスト教の聖人や天使が描かれた天井画はすごい迫力。

離れには場所に小さな礼拝所がある。
そこにある聖母様の像にはかなりお金を
かけたと聞いたことがある。
おじいさまはイエスより聖母マリアへの信仰が強いそうなの。

音楽室もあって、おじいさまに頼めば、
ヴィオラ・ダ・ガンバやチェンバロを触らせてもらえるけど、
あいにく私に音楽の才能はないよ。まず楽器に詳しくないし。

そもそもそんな楽器の名前を聞いたことがないよ。
マリンが中世に使われた楽器だと教えてくれた。

おじいさまは古いものがお好きだから、
私生活においては今風のデジタル家電には興味を示さない。
それでもエアコンは入れてくれるけどね。
仕事の第一線を退いてからは、俗世間から離れて
中世の貴族の暮らしを続けている。

そのせいか、考え方も大変に古いお方。
昔からよく言っていた。なんでも新しいものを好む米国人や
日本人の感性は残念だと。資本主義の悪徳だと。
英国人は逆に古く使い続けている物に
価値を見出すそうなのね。ミウからもよく聞かされていた。

英国ではリフォームを繰り返して
同じ館に120年以上住んでいる人がいたりする。
家具も修繕を繰り返して長年使い続ける。

物を大切にする人は世間から称賛されるみたい。
歴史や伝統を大切にするお国柄なのね。

「お嬢様方。ご党首様でございます」

能面が大きな二枚扉を開けると、車椅子に乗ったおじいさまが
入って来た。お年のせいか、すっかり弱ってしまって
自分の足で歩くのも疲れるほど見たい。

現役時代に仕事に精を出した人ほど老いが早いんだろうね。
80代の後半でも目つきは鷹のように鋭く、発する声は
私達に無駄なプレッシャーを与えるほど威圧感がある。

背丈は160センチ程度の小柄だけど、最盛期は
ルイ・ナポレオン将軍の再来とまで呼ばれていたそうだよ。

「おじいさま。ご無沙汰しております」

マリンが席を立ち、社交辞令を言った。私もすぐに続く。
いつ話しても緊張するな。おじいさまの方は
孫の私達を本当に可愛がってるうようだけど。

「君達に変わりがなさそうで安心した。
 この席にレイナがいないのが残念だが」

私の双子の姉のレイナ(本名)は、三交代勤務のナースを
しているから、忙しくてめったに会えることはない。
メールを送っても返事が遅いからね。

子供の頃は喧嘩ばっかりしていたけど、離れて暮らしてみると
さみしいものだね。パパが昔言っていた言葉が今になって分かるよ。

「さ、食事を始めようじゃないか」

おじいさまに出されたのは白ワイン。
それと少量のお肉とサラダだけ。

80を過ぎてから食欲が減退したらしく。
お酒ばかり飲んでいて健康を害しているらしい。
主治医からはお酒を辞めるように言われているけど、
タバコは吸わないからこれくらいはと、おじいさまは譲らない。

「マリンには太盛のことで日々迷惑をかけていると思うが、
 容態はどうだ?」

「先日お医者様に診てもらいましたが、年々体調が
 良くなってきていますから、歩ける時は外を歩いたりして
 筋肉を動かせば、次第に心も回復に向かうそうです」

「そうかそうか」

「今週末に公園を散歩したいとお父様は
 おっしゃっていましたわ。ボランティアでもいいから、
 何かしらの社会貢献がしてみたいとも」

「良いことだ。ここ数年で見違えるように回復してきたようだな。
 マリンが世話をしてくれたおかげだ。改めて礼を言う」

嘘偽りのない感謝の気持ちなのだろう。
マリンは「私の力はたいしたことありませんわ」と
恐縮して手を左右に振ってしまうのだった。

「まったく私は愚かな息子を持ったものだ。
 あいつは結婚して子供を持っても
 人間的に成長することはなかった」
 
お父様の悪口を言うのはお決まり。
マリンはこの瞬間が大嫌いなのに
おじいさまは気づいていないのかな?

「さて」

今度は私の番だ。
おじいさまは私の結婚を一番気にしている。
きっと説教臭いことを言われるのは分かっている。
妹のマリンは放置なのに、私の結婚のことは口うるさいんだから。

「カリンは今後の人材派遣業界がどう推移すると思う?」

「えっと」

仕事関係とは思わなかった。
しかも即答できる質問じゃない。


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