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作品名:失われた時間は二度と戻らない 作者:なおちー

第2回   2
刑務所から脱獄した男がいた。
彼は終身刑だった。罪状は妻の殺人。

夫に対する性的魅力を失った妻が
別の男と浮気を始めたため、ベッドで締め殺した。

だが、それだけで終わらなかった。
死後硬直した妻の遺体を細かく解体し、食べるに至った。
いわゆるカニバリズム。異常な性癖の持ち主であった。

「はぁぁ」

ため息なのかただの吐息か。
男は背中を丸め、やる気のなさそうな足取りで歩いていた。
7月の日差しは肌を焼くようである。

男は手当たり次第に民家に放火をして
最後は自殺をするつもりだった。

まずは火を起こせる道具を探さないといけない。
チャッカマン。ライター。ガソリン。オイル。
何でもいい。しゃばの世界で何不自由なく
生きている一般人たちを苦しめてやりたかった。

「ちょっとそこの人」

後ろから声を掛けられ、体が一瞬だけ硬直した。
油断のない目つきで男が振り返ると、
すぱっと刃物で首筋を切られてしまった。

血の勢いはすごい。首を押さえた手の平の間から
シャワーのように流れ出したが、すぐに止まった。

男は死んだ。すぐに近所の住民によって
通報され、事件として報道されたのだった。
彼が死んだのは、とある住宅地の路地裏だった。

男を殺したのは20代の若い女性だった。
脱獄藩を殺した彼女もまた、殺人犯として
警察に追われる身となってしまった。

ひとつの殺人が、また新たな殺人鬼を生んでしまったのだ。
もっともその女にとって人を殺めるのは、
これが最初ではないのだが。

事件後2週間が経過したが、女は今も捕まっていない。

「女の人でも殺しってするんですね」

「それはそうよ。人間なんだから」

ファミレスで相席する男女。男の方は若い。
今年で中学生3年生。細身で顔立ちが整っており、
少し早口で話すのが特徴だった。

髪は癖のついた長めの黒髪。
年頃でファッションを意識しているので
芸能人などの髪型を好んで真似していた。

「私が一番気になるのは脱獄犯を殺す動機ね。
 普通に警察に通報すればムショ戻りさせられたのに」

「確かに。個人的にそいつに恨みがあったとも考えにくい」

女の方は29歳。モデル体型。
濃い茶髪のロングヘアーでおでこを出している。

腰の位置が高く、ヒールを好んで吐くので
実身長の163センチを超えて男性並みの身長になる。
彼女が何気なく歩くだけで目を引く。
店内の男たちが思わず振り返るほどである。

「フゥ君だったらどう思う?」

「女が脱獄犯を殺した動機ですか?
 女性の心理は僕よりも
 リンさんの方が詳しいと思いますけどね」

「私はフゥ君の意見が聞きたいんだけどなぁ」

そうですね、と言い、フゥは考えるしぐさをした。
リンは両手をあごの下で組み、楽しそうに待っている。
二人はこのように事件の推理ごっこをするのが好きだった。

(ほらほら。またあのカップルが話しこんでいるよ)
(いつ見てもすごい年の差カップルだよねー)

女性定員たちがフロアの奥でひそひそと話していた。
行きつけの店なので従業員から顔を覚えられていたのだ。

もっとも彼らはカップルではない。
また外人風の名前だが生粋の日本である。

フゥは学校で気になる女の子がいる。
彼女ではないが、それなりに仲が良かった。

リンは一応婚約者がいる。
彼女はもうすぐ適齢期を過ぎようとしていたため、
親は結婚を強く薦めるようになった。

「ただ単に快楽殺人だったと言うことでしょ。
 その女にとって殺せれば誰でも良かった。
 一般人を殺すよりは罪のある人間を
 殺す方がまだましだと思ったんじゃないですか?」

「いい線いっているわね」

「いい線とは?」

「私は裏で調べたんだけど、その女は過去に
 殺人事件を起こしているそうなのよ。
 しかもバラバラ殺人。当時の同級生を相手にね」

「バラバラ殺人とか……脱獄犯と同じレベルじゃないですか。
 てか知っていたなら早く教えてくださいよ」

「私はフゥ君の考え方が知りたかったからね」

言われるたびにフゥは不思議に思った。
彼は推理小説を読んだり、
サスペンス系の映画を見るのが趣味なのだが、
自分自身はごく普通の男子中学生だと思っている。

リンは友達がたくさんいるから、休日は
予定でいっぱいである。人材派遣会社の営業の
激務をこなす一方、少ない休日を生かして
旅行やショッピングなどに行き、人生を楽しんでいた。

それが最近では、わざわざフゥに会うために
時間を空けてくれる。フゥの方は、休みの日は
家で読書するか、書店や図書館通いをするなど
読書中毒に近い生活をしていた。

学校生活で真新しいことなど何もない。
常に新しいネタや刺激を求めていたので、
リンの誘いを断ったことは一度も無い。

無駄に忙しいだけで面白みのない日々を
送っているのはリンも同じだ。

日本は治安が良すぎるゆえに
ニュースのネタが世界一平凡でつまらない。
英国育ちのミウが幼い頃のカリンにそう教えてくれた

生まれ持った知的好奇心の強さが、両者の一番の共通点だった。

「女の名前は、ミカ。ネットで実名がさらされているのよね。
 中学一年の時、家に遊びに来た同級生の女子を殺害。
 風呂場で血を洗い、遺体を押入れに放置し、その後解体」

「ちょっと待ってください。押入れに放置した
 段階で両親とか家族の人にばれませんか?」

「母子家庭だったのよ。お母さんは夜勤の仕事を
 していて、日中は不在」

「日中はいなくても夜になったらばれません?」

「ちょっと複雑な家庭事情だったようで、お母さんは
 彼氏の家に泊まり込むことが多かったそうなの。
 彼氏は14歳も年下の男で、アパートで住んでいたそうよ」

「彼氏とすごい年の差ですね。いったいどうやって知り合ったんだ」

それは私達のこと?とリンが視線だけで突っ込んだ。
フゥはそうでもなかったが、リンにとっては
年の離れた弟……のような恋人気分だった。

彼女は同年代の男性よりも年下を好むタイプだった。
もっともフゥが相手となるとさすがに年が離れすぎているが。

「親が家に帰らないにしても、アパートの住人が
 気づくと思いますけどね。だって人が
 一人死んでいるんですよ? 血の匂いとかするでしょう」

「異臭に気づいた人はいたらしいけど、
 ちょっと気になるくらいで
 通報されるレベルではなかったそうよ。
 犯人の女の子は死体を綺麗に風呂場で洗ったそうだから」

「まさか、血を全部流したとか?」

「んふふ。その通り」

さらっと言ってしまえるあたり、
リンもどこかピントの外れてしまっている人間なのだろうと
フゥは思った。もっともそんな女と
進んで会いたがる彼も同類なのだろう。

「人を簡単に殺せる理由が僕には分からないな。
 そりゃあ人間だから相手がムカつくとか、
腹が立つとかはありますけどね」

「あいつらは心のブレーキが存在しないのよね。
 別にムカついたから殺すってわけじゃなくて、ただ
 なんとなくそこにいたから殺したいとか、解体して
 内臓を調べてみたいから殺すとか。
 そんな簡単な理由で十分なのよ」

「まるで見て来たかのように言いますね」

「私はちょっと特殊な家庭で育ったからね。
今だから言えるけど、私の母は普通の人じゃなかった」

「まさか……」

「違う違う。殺人鬼とかじゃなくて、ちょっと心のブレーキが
 外れてる人だったの。子供には鬼のように厳しい人だったわ。
 絶対に自分の考えに周りを従わせようとするし、逆らえないの。
 父に対してはもっと怖くてね。父をずっと困らせていた」

リンは、遠い目をしてユーリ、ミウ、若い時の太盛の顔を
思い出していた。みんな一緒だった頃が一番楽しかった。
あの日々は決して忘れることはない。そして二度と戻ることはない。

空のグラスに残っていた氷が、解けている。
いったい何時間話し込んでいたのだろうとリンは思った

もうすぐ夕食時である。学生であるフゥに気を
使わないといけないのはリンの方である。
彼もその気持ちを察し、どちらともなく席を立つ。
ドリンクバーの会計を払うのは決まってリンだった。

女とか男とか関係なく、社会人のリンが
お金を出す。子供と大人の違いがあるから、
至極当然の発想だった。
それでもフゥはいつも恐縮していた。

「呼び出したのは私の方だから」

と言ってリンは笑う。

すらっとしていて、いつ見てもスタイルの良い美人。
いかにも快活な彼女が、かつてはフゥのような読書好きで
インドアな生活を送っていたというのが信じられない。

学生時代までのリンは、根暗で皮肉っぽくて
人を寄せ付けない性格をしていたという。
幼かった頃の自分を彼に重ねていたのかもしれない。



〜リンの一人称〜 本名は堀カリン

私が小さい時からずっと
知りたかったのは人間の本性よ。

難しい話になるけど、人間の心の仕組みは
いまだに解明できていないじゃない? それはそうよね。
だって人の心が手に取るようにわかったら
神様みたいじゃない。

私はお父様の影響でクリスチャン。
でもお父様とは逆で性悪説を信じている。
人は、ささいな理由で狂ってしまうから。

人の罪は許されるとイエスはおっしゃった。
イエスの教えを聞いているくせに、南米や合衆国、
欧州などのキリスト教圏で犯罪が絶えないのはどうして?

人は悪の誘惑に弱い。一度は反省してもすぐに同じ
過ちを繰り返す。人類の歴史は過ちの歴史だった。
人はどうやったって神様に近づくことはできない。
それこそ法皇や聖職者でもなければね。

「はい。はい。おっしゃる通りです。入社したばかりで
 慣れない仕事に不安があるのは誰でも同じです。
 せめてあと二週間ほど様子を見れば、
ご自分の考えが変わる可能性もありますが」

ここは都内のビル。三階にあるオフィスが私の職場です。
私は今、デスクに座って派遣社員の悩み相談を受けています。
私の仕事は、正確には営業コーディネーターと言って、
派遣スタッフの苦情処理、メンタル面のケアも
仕事内容に含まれています。

今電話中の相手は、入社して三週間目の若い女の子。
職場の人間関係になじめなそうだから
辞めたいと言ってきた。こんなのいくらでもある事例だよ。

派遣先を紹介した時は、ぜひ務めたいと
言っていたくせに。すぐに手の平を返すんだから。

そんな簡単に辞められたらうちの会社の信用が
どんどん下がるから、こっちは言葉巧みに
続けるよう説得するしかないでしょ。

「分かりました。では今月末までの契約の流れに
 させていただきますが、念のため来週中に
 確認の電話を入れます。その時でもお気持ちが
 変わらないようでしたら、退職ということにしましょう」

まったく。ワガママばっかりなんだから。
派遣先は事務職だから、どこも女の派閥が
うざいのは分かるけどね。

私なんて何度この仕事を辞めそうになったことか。
信じて送り出したスタッフに裏切られるのは日常茶飯事。
理不尽な理由で先方からは叱られ、さらに営業ノルマに追われる。
もともとひどかった人間不信がさらに悪化して
一時期精神科にまで通ったんだからね。

ちなみに私が今やってる営業も三社目。
つまりそれだけ派遣会社を渡り歩いているの。

なんで根暗少女だった私が営業なんてやってるんだろうね。
パパみたいに保険の営業でもやってればよかったのかな。
保険会社だけは絶対止めろとパパに止められたんだけど。

「お先にあがりまーす」

「おつかれっしたー」

退社したのは19時半。課長代理と営業の先輩だけが
まだ残っている。同僚は事務員を除けば男性ばかり。
チャラいのと地味なおっさんしか
いないので異性として意識できないレベル。
うちの事務所、ほんと終わってるわ。

私は小さい頃パパっこだったけど、
色々あって男性にあまり興味が持てなくなった。

学生時代は体目当てで近づいてくる男子が
何人かいて、そのせいで男性不信に近くなった。
男っていったい何なんだろうと、
10代の時はずっと悩んでいた。

でも年下のフゥと会う時はなぜか癒される。
年下なら襲われたりする危険性がないからかな。
それに私のことを年上として尊敬してくれる。

私は大人の余裕があるから、悩み多き年頃の男子の
相手をするとキュンとしちゃうときがあるの。
もしかして私、ショタコンなのかな?

そうそう。社会に出たばかりの頃は、取引先から
小娘扱いされることが多くてショックだったなぁ。
今はだんだんと営業職の貫禄がついてきたと思う。

「おかえりなさいませ。カリンお嬢様」

「うん。鈴原。この年になってもお嬢様って
 言ってくれるのはあなた達だけだよ」

わざわざ玄関前で出迎えてくれなくてもいいのに。
初老になった鈴原は、完全な白髪になった。
いぶし銀な動作でお辞儀する姿は、昔から少しも変わってない。

「ごきげんよう。お姉さま」

「ごきげんよう……」

廊下ですれ違った妹のマリンが
金持ちっぽい挨拶をしてくる。
うちは実際に金持ちだけどさ、堅苦しすぎる。
今時ごきげんようとかお嬢様校でも使わないと思う。

「今日も夜遅くまでお疲れさまでした」

「慣れてるから、別に」

「今夜はお姉さまのお好きなワインを
 後藤が取り寄せてくれたそうですよ。
 ゆっくりお飲みになって」

「あっそうなの。でも明日が早いから
 ゆっくり飲んでる時間がないのよ」

「ではお時間のある時にどうぞ」

マリンはロングスカートをなびかせながら
廊下の先へと歩き去った。実の妹ながら、
いちいち気取り過ぎなのがたまに鼻に触る。

こいつは昔から上流階級の作法を進んで覚えたし、
パパに好かれようと、おしとやかで
従順な女になろうと努力してきた。

くやしいけど美貌は私達三姉妹の中で
頭一つ抜けていると思う。

今28歳なのが信じられない。
童顔過ぎて20過ぎくらいに見える。
ものすごくおっとりしていて、女らしい顔立ち。

私と違って髪型はずっと変えてない。
癖のあるロングヘアーをハーフアップしている。
切り揃えられた前髪は、いかにもお嬢様って感じ。

そのせいか中学に行くようになってから学園中の
男子に好かれ、卒業までに7回は告白されて、
しかも全部断るという荒業を披露。

その高慢とも無礼ともとれる恋愛姿勢は
高校に進学してから少しだけ変わったらしい。
詳しいことは聞いてないから分からないけど。

「今日もお疲れさまでした。カリン様」

「私のことは構わないくていいのよ。後藤。
 あなただって明日からまた早起きしないと
 いけないのだから、もう休んでいて」

「そう言って頂けるのはありがたいのですが、
 使用人と言う立場上、そうはいきませんな」

見慣れた広い食堂。私が食べ終わるまでの間、後藤は厨房で
明日の料理の仕込みをする。たまにこっちに顔を出しては
私のつまらない話を聞いてくれたりと、本当に優しい。

双子の姉のレナは、看護師の独身寮に入っているから、
後藤と会えなくて寂しいだろうな。後藤と仲良しだったから。

今夜のメニューはキャベツの中華スープ、豆腐ハンバーグと
サラダの盛り合わせ。ものすごく凝ったサラダなんだけど、
お肉類は入れないよう頼んでおいた。

平日はいつもこの時間に帰るから、油ものを食べると
体に悪いからね。炭水化物も取らないようにしている。

精神的に疲れた時は、ビールを空けることがある。
平日はワインよりもビールの方が飲みやすい。
私はお酒には強いからどっちも飲めるの。

会社の付き合いで飲み屋に連れて行かれる
ことが多いから、和食を好むようになってしまった。
洋食好きのマリンとは味の好みが逆になった。

そのせいでメニューを考える後藤を悩ませている。

「パパの様子はどう? 今日は主治医が来る日だったんでしょ」

「当分の間は様子見とのことでした。
 薬が効いている間は精神的に安定するそうなので、
 また同じお薬を置いていかれましたよ」

「飲み過ぎると依存症になって逆効果じゃない?」

「しかし飲まないでいると、あれが発動しますな」

「ああ……あれね」

あまり説明したくないのだけど、
パパは夫婦の関係がこじれてから廃人となってしまった。

「モンゴルへの逃避が全てのきっかけでしたな」

皿の片づけをしながら、後藤が遠い目をして言った。

そう。パパが30代の時に愛人のユーリを連れて
モンゴルへ逃げたの。マリンに続いてママも蒙古へ行った。
ユーリはママに捕まる前に毒を飲んで自殺。
パパは発狂し、愛人に続こうとするが失敗し、
ママに強制帰国させられた。もちろんマリンもね。

パパは大学卒業後、勤め続けていた保険会社を辞めた。
おじいさま。つまりご党首様に逃避の件を
ひどく叱られ、殴られ、本家の牢屋にしばらく監禁された。

おじいさまの剣幕は鬼のようだったという。
ママでさえおびえてしまうほどなのだから。

おじいさまお気に入りの使用人の一人だったユーリ。
彼女が死んだ責任をパパになすりつけたのだ。
ユーリも同意して旅立ったのだから、
パパだけのせいじゃないと思うけど。

それでもおじいさまがパパとママの離婚を
認めないのは謎だよ。どう考えても
離婚するべきだったと思うけど。

パパは3週間後に私達の家に戻された。
そして新しい職を探すのかと思ったら、
ベッドから起きてまた寝るだけの日々を繰り返すようになった。

起きている間は、ぼーっとし、食欲もなく
運動すらしない。次第に死ぬことばかり口にするようになった。
言い方が悪いけど、末期のがん患者がこんな感じなのかな。

パパは蒙古で失ったユーリの面影をいつまでも引きずっていた。
光彩を失った瞳は、蒙古の大平原だけを映しているようだった。

ママは太盛パパを正気に戻すために、あらゆることをした。
説教、暴力、精神医療。顔に冷たい水を
ぶっかけたこともあった。
でも、どんなことをしてもダメだった。

パパがユーリの名前を小声で言うとママは怒り狂った。
いい加減に現実を見なければ爪をはがすと言い、実際に
左手の爪は全てはがされてしまった。それでも
パパは正気には戻らなかった。
さすがに拷問中は怖さと痛さで絶叫していたけどね。

その状態が一年も続くと、ママの方がしびれを切らした。
実家に帰るのかと思ったら、お姉さんの(私にとってのおばさん)
アナスタシアの家に住んでいるという。

実家に帰りたくない事情でもあるのかな。
実家をついだお兄さんが相当怖い人らしいけど。

アナスタシアおばさんは、高校で生徒会長をやっていた
年下の男性と結婚したらしいよ。ナツキさんって名前で、
優しそうでイケメンのおじさんだった。
少しだけパパに雰囲気が似ている。

「ママから連絡はないの?」

「出て行ってからさっぱりですな。
 すでに堀家に興味を失ったのでしょう」

実は離婚したいのはママも同じだったけど、
党首が認めないから仕方ない。法的には婚姻状態にあっても
別居してるから夫婦とは言えないよね。

私は食後すぐにパパの部屋を訪れた。
広い屋敷の中でパパの部屋は一階にある。
食道からはすぐだよ。

「あの、入っても大丈夫ですか」

「その声はカリンかい。もちろんだよ。入っておいで」

52を過ぎた私の父親。
若い時のはつらつとした様子はすっかり消え去った。
白髪交じりの髪の毛。一日中パジャマを着ている。

「今日も遅くまで大変だったねぇ」
「いえ。仕事は慣れていますから」

声に覇気がない。顔に生気がない。
まさに余命を宣告された老人並みだよ。

世間の50台の男性は家族のためにせっせと働いているのに、
パパはベッドで過ごす生活を10年以上続けているんだよ。
私は大学を卒業して自分でお金が稼げるようになったのに。
パパはいつになったら前を向いて歩けるの。

「カリンもそろそろ結婚の時期か」

ふとパパの瞳に知性が戻った。

「縁談の件だけど、先方さんはかなり乗り気だと
 マリンから聞いているよ。
 相手の人とデートはしているのかい?」

「あいにく私の仕事が忙しいので、なかなか
 会う時間が作れないのが残念です」

パパ自身は結婚で致命的な失敗をしたけど、
せめて娘には幸せになってほしいと願っていた。
古風な考え方をする党首様も同じように考えていて、
実際に旧華族の男性との縁談を用意されてしまった。

私の婚約者を選ぶのは党首。太盛パパの関与はない。
というか関与する権利がないらしい。

パパは最近私の将来のことばかり気にするようになった。
呪われた堀家の敷地からから
一刻でも早く去れと言わんばかりに。

「正直に言いなさい。
 カリンは結婚に乗り気じゃないんだろう?」

「そ、そんなこと」

「隠さなくていいんだよ。これでも一応父親だからね。
自分の娘ことはよく分かっているつもりだ」

「……怒らないで聞いてくれる?」

「ああ。心配しなくていいよ」

パパは薬が効いているから、きっと大丈夫。

「私は人に運命を決められるが嫌なのです。
 おじいさまに面と向かって反対はできませんけど、
 本当はまだ独りでいたい。本当に好きな相手を
 自分で探すことができたら、その時は真剣に考えたいです」

「ふぅん。そうかい。
 マリンと似たようなことを言うんだね」

パパはベッド横の椅子に腰かけているマリンを眺めた。
マリンは私の話には興味なさそうに新約聖書を読んでいた。

今夜はお父様の近くで聖書の読み聞かせをしていたのね。
だから私が入ってくると邪魔だったわけでしょ。
ラジカセみたいな小さなオーディオからは
小音量でミサ(讃美歌)が流れている。

あのオーディオ……8万もする高級品をマリンが
パパにプレゼントしたんだよ。

「お姉さまはそろそろお風呂のお時間ではなくて?」

「そうね。そろそろ失礼するわ」

マリンも私と同じく独身。
こいつこそ相手なんて腐るほどいるでしょうに。
おじいさまの持ちかけた縁談に興味すら示さず、
いつまでもパパと一緒にいたがる。

ファザコンのオリンピックがあったら
優勝できるんじゃないかな。
今日までママに見捨てられたパパを
ずっと介護(看病かな?)し続けている。その根性はすごい。

マリンは学習塾で週三回のアルバイトをして、
空いた時間はパパの介護に回している。

うちの家はおじいさまからの多額の援助金を頂いているから
マリンは定職に就く気が全くない。金持ちの余裕ってやつね。
父の介護を頑張っているのでおじいさまから特に気に入られている。

マリンは国立大の教育学部を卒業した。
ミウの教育のおかげで英語は外人並みにペラペラ。
テニスも得意。ピアノも相当な腕前。

ママが望んだ通りの淑女として成長した。
マリンならどこの会社でも勤まると思うのに、もったいない。
私は必死で残業しているのになんだか不公平。

マリンの介護は無駄だったわけではなくて、
廃人だったパパとも普通に会話できるレベルには回復した。

でもマリンの人生はこれで幸せなんだろうか?

やがて老いて朽ちていく父を支え続けることだけが、
あいつにとっての生きがいなんだろうか?

ママが出て行くと知った時、あいつは飛び上がって喜んでいた。
ミウの結婚相手が決まって退職した時は、
なぜか複雑そうな顔をしていた。
お祝いの言葉すら言おうとしない。

私とレナは泣きながらミウとの別れを惜しんで、
今でもたまに連絡を取り合っているのに。
実の妹でもマリンとだけは一生分かり合えないと思う。

はぁ。また明日から電話が鳴りっぱなしで
ストレスが溜まる日々が始まるのか。



〜曽根風(ソネフゥ)の視点〜

「おはよう」「あっ、おはよー」

僕には気になっている女の子がいる。
今年から同じクラスになった人。
名前は本村(もとむら)ミホさん。

肩にかかるショートカットに大きな髪留めをしている。
口数が少なく、女子の仲では目立たないグループに
属しているけど、男子からは結構注目されていた。

冒頭の会話のように挨拶をすれば必ず返してくれる。
いつも声が小さいが、声自体は高くて品が良い。
内気な性格でうつむいていることが多いから、
顔をはっきりと見れることは少ない。

「最近物騒なニュース多くね?」
「セクハラ報道のこと?」
「バカちげーよ。新潟県で小学生がロリコン野郎に殺されたことだよ
「それより脱獄犯が住宅地の裏でくたばってたのが衝撃的だろ」

HRが始まる前、男子達が集まる一角で殺人事件の話題が出た。
僕自身も興味津々だ。女子達にもその話題が伝染した。
その中でリーダー格のギャルが大きな声で話していた。

「うちのママが週刊文春読んでてさ」
「あんた雑誌を学校に持ってきてんのw」

「これ読んでよ。容疑者の女は学生時代に
 バラバラ殺人をしていて、関東の児童厚生施設を
 出てから社会で働いてたんだって」

「こわー」「殺人鬼が普通の顔して働いてたら困るよね」
「どこにも採用されないからコンビニとかで働いてるのかな?
「殺人鬼が接客なんかやるわけないじゃん」
「それより最近ロリコン多すぎて困るよね。教師とか」

あっ、本村さんが机に顔を伏せた。
寝たふりをしてるんだろうけど、
こういう話題が苦手なんだろうな。
本当は耳をふさぎたかったに違いない。

本村さんは人一倍気が弱いから、
人を殴ったことすらないんだろう。
家にいる時はどんな感じなんだろうか。

「ねえミホー」 「あ、はい!!」

ギャルに呼ばれてびくっとした。

「あんたも可愛いんだから、大人の男に
 狙われないように気を付けなさいよ?」

「そんな……私は可愛くなんてないですよ」

すると同じグループの女子達が続けた。

「ミホには頼もしいお兄様がいるから平気だよね?」
「週三回はミホを迎えに来てくれるもんね。わざわざ校門まで」
「ラブラブすぎて吹くわー。お兄さんがカレシなんでしょ?」
「休みの日はラブホ通いしてるって本当?
 奇形児が生まれるから避妊だけはしておきなさいよ」

どっ、と笑い声で教室が盛り上がるのだった。
もっとも男子達は冷ややかな視線で受け流している。
ギャルグループが意地悪く笑っているはいつものことだ。

僕は本村さんのお兄さんの話をされると胸が痛くなる。
ギャルの言っていることは実は笑い事じゃない。
彼女のお兄さんは、いわゆるシスコンらしく、
本村さんもブラコン。つまりマジで愛し合っている……?

嘘だと信じたかったが、休日に手を繋いで
買い物をしたり電車に乗っている彼らの姿を
同級生だけでなく先生まで目撃している。

兄はケイスケさんと言って、高校二年生のイケメンだ。
成績はかなり優秀だが、少しだけ口が悪いらしい。
いくら顔が良くても実の兄に恋心を抱くものなのか?

本村さんは顔を真っ赤にして、うつむいている。
彼女は下を向くことが多い。そのせいで長い前髪が
目元を隠し、ますます暗い印象を作ってしまう。

明るい顔をしていれば誰よりも可愛いのに。もったいない。
本村さんを馬鹿にしているギャルグループは
男子達を密かに敵に回してるのに気づいているのだろうか。

放課後だ。僕は帰宅部なのでやることがない。
HR終了後、まっすぐ家に帰ろうかと思ったが、
ふと悪い予感がした。

……なんだろう? 胸騒ぎがする。

実は小学生の頃からこういう特徴があった。
僕が何か変だなと思うと、ニュースで殺人事件が起きたりとか、
どこかの国で紛争が発生したりとかね。自分で言っていて
馬鹿らしくなるけど。とにかくそういうことがよくあった。

「ミホ。帰らないの?」「今日予定があるから、先帰って」

予定ってなんだろう? 本村さんも帰宅部のはず。
正確にはお兄さんと会うために部活をサボっているんだけど。
ちなみに手芸部だ。家庭的だね。

友達や他の生徒がいなくなるまで、彼女は自分の机から離れなかった。
妙にカバンを大切そうにしているのが気になる。

僕も最後まで残っていたが、彼女に悪いので
立ち去るふりをして廊下の隅で待機した。

すぐに本村さんは出て来た。そして渡り廊下を渡り、
上履きを履いたまま中庭へ出た。おいおい。
上履きが泥だらけになるじゃないか。

僕も気になったので後を付けた。

「本村さん。俺のこと覚えてる?
 一年の時同じクラスだったんだけど……」

「相楽(さがら)君ですよね。もちろん覚えていますよ。
 私は一度同じクラスになった人の名前は忘れませんから」

サガラって…、サッカー部のイケメンじゃないか。
下級生の女子からも人気のある男だ。
しかも文武両道で、見事にモテる男子の
特徴を兼ね揃えている。

まさか奴は、中庭に呼び出して本村さんに…

「一年の時からずっと君のことが気になってた。
 俺達、あと半年もすれば卒業しちゃうだろ?
 もしよければ、休み日一緒に出かけないか」

その文脈は告白したようなものだ。

本村さんは数秒間ためを作り、
両手でスカートをぎゅっと握りながら頭を下げた。

「ごめんなさい」

「あはは……そんな深刻そうな顔しないでよ。
 別に付き合ってくれと言ってるわけじゃないんだ」

「ごめんなさい」

「本村さん……」

ナイスな判断だ。奴の甘いマスクの下は狂暴な獣だ。
ただ本村さんが欲しいだけなんだよ。体目当てだ。

奴は呆れたように溜息を吐いた。
悲壮感はまるでない。
初めから断られるのが分かっていた風だった。

「君は誰に告白されても断ってるそうだけど、
 断るのはお兄さんがいるから?」

その質問は、してはいけなかったのだ。


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