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作品名:『学園生活』改 〜愛と収容所と五人の男女〜 作者:なおちー

最終回   太盛が最後に選んだ相手は…
元の世界へ2

マリンが後藤とミウに許可を取ったうえでエリカの
携帯に電話をかけた。繋がらなかった。
向こうでまだ仕事をしているのか。
それとも遊びほうけているのか。知る由はない。

ユーリが粗相をしたので地下送りにしたことを
報告だけはしておいた。ユーリの地下送りには、
マリン以外の全員が反対したのだが、

「お母さまがここにいたら、
 間違いなく牢屋に送ったと思うけど?」

と言われてしまい、黙るしかなかった。
エリカの意に反することをしたら、
誰が牢屋送りになるか分からないのだ。

この屋敷の住人にとって一番恐ろしいのは
奥様の機嫌を損ねることなのである。

エリカは実家から連れて来た護衛を常に5人以上は
付けているから、福岡にいても身の安全は保障されている。
外国で特殊部隊などの勤務経験のある者を含み、
総勢で15名に及ぶ。屋敷周りの警備も彼らが交代で行っている。

彼女の周りに護衛を付けるのは、ソ連系の父親の
親心であり、猜疑心の強さを表す者でもある。

エリカを怒らせたら彼らに捕まり、地下送りにされるのだ。
アスリートか軍人並みの体力と戦闘力がなければ
彼らの追跡から逃れることはできない。

エリカはこれらの護衛を娘には付けず、自分用とした。
娘らが休日などに外出する時は、ミウかユーリが同行した。

「お父様のことをマリンは信じていますわ。
 お父様は愚かなユーリにそそのかされて
 蒙古に逃亡する計画を立てたのですよね?」

ユーリを地下の牢獄に送ってから食堂に一同が集まり、
マリンを筆頭に太盛への尋問が始まっていた。

太盛はうなだれ、質問をただ聞き流していた。
全力でユーリのせいにしてほしいマリンの気持ちとは
裏腹に、太盛は口を開こうとしない。

マリン以外の全員が、
太盛の態度から真意を悟ってしまうが、
マリンは意地でも認めたくなかった。

彼女の太盛への執着の強さは成長とともに高まり、
もはやエリカさえ超えているとまで考えられていた。

「私は難しいことを言っているわけではありませんわ。
 お母さまが戻ってくる前にお父様の身の潔白を
 証明していただきませんと、お父様まで牢屋に
 送られてしまいますわ。ですから……早く答えてください」

だんだんと涙声になっていく。
マリンの幼い心が父の暴挙に耐え切れなかったのだ。

レナは大好きな父の浮気の事実があったことに
深いショックを受けていた。本当はマリンのように泣きたいが、
自分はお姉さんだからと言い聞かせ、こらえていた。

カリンは少しだけ父を軽蔑していた。
彼女は大人向けの恋愛小説を読むのが趣味だったので、
大人の男の浮気癖の悪さは治らないことを知っていた。

「すまない」

太盛のセリフはこれだけだった。
決してユーリを非難しようとしない。
自分も同罪だと言い張りたいのだろう。

マリンはそれが気に入らなかった。
絶対に受け入れられなかった。

まるで太盛が、自分からユーリを
誘ったかのような態度を取るからである。

実際そうだったのだが、娘たちの手前、
はっきりと口に出すことはためらわれた。

それに実の娘に浮気の尋問をされているのが
情けなさすぎて手首を切りたくなってしまう。

太盛がふと顔を上げ、ミウを見た。
たまたま視線が合っただけかとミウは思ったが、
にらむような目で見てくる。

「ミウ。君に聞きたいことがある」

「なんでしょうか?」

「俺の手帳によく気付いたな」

「それは……」

言いよどむミウを逃がすつもりはなく、
太盛は視線を鋭くした。

「俺の部屋の掃除はユーリの担当だ。
 ユーリも君に勘繰られないように屋敷の
 掃除は全部自分でやっていたはずだ。
 なぜだ? 君は超能力でも使えるのか?」

ミウ自身が一番聞きたいことであった。
なぜあの時、自分の体は勝手に動いて
手帳を取りに行ったのか。

神様に体が操作されたのか。
神様がミウにこうしてほしいと願った結果なのか。

その時であった。ミウの脳に洪水のように以前の記憶が
流れ込んできた。今まで忘れていた別世界での
学園生活を送っていたこと。能面の男に
運命を託され、最悪の結末を迎えたこと。

そして太盛が蒙古に行って死んでしまうことまで
全てが蘇ってしまい、あふれ出る感情を制御できず、
頬を涙が伝うのだった。

「太盛君は蒙古に逃げても最後は収容所送りにされて死ぬんだよ。
 君は呪われているから、どこの世界でも最後はバッドエンド」

一同が驚愕した。ミウの豹変ぶりにである。まず口調がおかしい。
敬語を使わないうえ、主人に君付けをしていることを
マリンはとがめたが、ミウは無視して話を続けた。

「私がこの世界に来た理由が何となくわかったよ。
 君のモンゴルへの逃避を止めたくて。そのために
 来たんだね。太盛君。モンゴルへ逃げて何がしたかったの?
 逃げてどうにかなると思ってたの?
 ご党首様も本気で心配されて、億単位のお金まで
 北朝鮮の外務省に払っていたんだよ?」

まるで昔からの友人に対する話し方であり、
さらに話の内容も含めて一同を極限まで混乱させた。

太盛はこういう現象に対しカンの働く男だった。
ミウが嘘をでっちあげているにしても内容が具体的であり、
口調に迷いがない。ペテン師特有の顔もしていない。
それにこの修羅場で嘘をつく理由が見当たらない。

ミウが未来で起きた現象を口にしているのではないかと
本気で思い始めた。あの手帳を発見されたのが良い証拠だ。

ユーリは秘密主義で口が堅いので、手帳の隠し場所を
教えるのはありえない。動機が全くない。
現に彼女自身が牢屋送りにまでなっている。

「それと、もう一つアドバイスしてあげる。
 エリカと別れたほうが良いよ」

ついに奥様のことまで呼び捨てにするとは、
無謀を通り越して暴挙として映った。
これには後藤がたまらずに声を荒げるのだった。

「おまえはさっきから何を言っているんだ!!
 お前が言った奥様との件は、
 ご党首様のご意思に反することになるんだぞ」

「うん。分かっているけどさ。でもエリカといると
 太盛君はダメになるんだよ。あとマリンも太盛君と距離が近すぎ。
 いくら親子でもおかしいよ。少し距離を取ったほうが良いと思う」

「なんですって!!」

マリンは呼び捨てにされたこともあり、ヒステリックになって
怒鳴り散らした。彼女は母同様にプライドの固まりであり、
使用人に偉そうにされるのが我慢ならなかった。

荒れ狂う妹の迫力にレナとカリンは驚き、
口が挟めないほどだった。

「太盛君の周りの女たちが彼をダメにするんだよ。
 彼は一人にしてあげたほうが良い。
 そうしないと全部悪い方向に進んでしまう」

「まるで未来のことを知っているような口ぶりね。
 旧約聖書の預言者でも気取ってるつもりなの?
 その知ったかぶりを今すぐやめなさい」

「変わってないなぁ。マリンはいつだって
 太盛君にべったりで、彼を疲れさせるだけ。
 エリカが小さくなったのと変わらないよ」

「おまえ、私に対してよくそこまで言えるわね!!」

マリンはミウの頬を二度、三度と叩くが、
ミウは何もなかったかのように話を続けた。

「勘違いしているマリンに教えてあげる。
 あなたのお父さんは一人の人間なの。
 あなたの父親かもしれないけど、あなたのものじゃない。
 太盛君には誰にも縛られずに自由に生きてほしい」

「さっきから、その太盛君って言い方はなんのつもりなの!?
 お父様の恋人にもでもなったつもり? 
 まさかユーリだけじゃなくてあなたまで
 浮気相手だったのではないでしょうね!?」

「私なんかじゃ太盛君には選んでもらえないよ。
 子供だし怒りっぽいし、ユーリみたいに美人じゃないしね」

マリンはショックで固まっている太盛の肩を
つかみながら言った。

「お父様。この女の話し方は普通じゃありませんわ。
 薬でもやって幻覚を見ているのかもしれません。
 こいつを今すぐ首にして屋敷から出て行ってもらいましょう!!」

「ミウ……高野ミウ……。ミウ。高野……ミウ……。
 生徒会の副会長……組織委員長……父親の名前はナルヒト……。
 全校生徒が……ひれ伏す……生徒会の支配者……」

「え……?」

さすがのマリンも言葉を続けられなかった。
太盛はうつろな目で独り言を続けており、
マリンとの会話が成り立ちそうになかった。

それに生徒会の件などは屋敷の誰もが知らない情報である。

後藤も誰の話をしているのか理解できなかった。
彼はミウが高校中退なのを聞いているから、
生徒会に入っていたとは考えられなかった。

マリンは父までおかしくなってしまったのかと思い、
すぐにでも医者に診てもらうかと思った。
すると太盛が急に笑い出したので驚きを超えて恐怖すら感じた。

「俺もようやく思い出したよ。昔のことを。
 そうか。俺はまたミウに出会えたのか」

「太盛様まで何を……」

後藤も太盛の頭を本気で心配して、彼の肩を強く
揺さぶるが、太盛は余裕の態度を崩そうとしない。

彼は後藤やマリンを全く無視し、ミウだけを見つめていた。
彼の視界にはミウ以外の人間が映ってないかのようだった。

「ミウ。俺たちは再開できたんだな」

「そうだね。まさかこんな形で
 出会えるなんて思わなかった」

「たとえどんな形でも君に会えてうれしいよ」

「私もうれしい。私のパパが迷惑をかけたことを謝らないと」

「いや。謝るのは俺が先だ。俺は殴られて当然の人間だ。
 君がボリシェビキになったことをさんざん馬鹿にして
 すまなかった。俺は君に愛されて本当に幸せだった」

「分かってくれて良かった。私は今でも太盛君のこと大好きだから」

意味不明の会話を続ける二人に全員が恐怖した。
ユーリが牢獄送りにされたショックで気が違ってしまったのか。
しかし、どうも二人は以前から知りあっているとしか
思えない語り口調である。

太盛はミウへの好意を隠そうとしないが、
ではユーリと逃亡計画を立てた理由は何か。
ユーリとの関係は遊びで、本命がミウだったのか。

年が15近く離れている二人が以前から
知りあっていたとは考えにくい。
それにミウがこの屋敷に来たのはつい半年前である。

ミウが太盛君と呼ぶのも不自然である。
年の近い恋人同士の話し方だが、
太盛はそれを自然と受け入れて笑いあっている。

考えれば考えるほど矛盾が見つかり、混乱を加速させる。

理解の限界を超えた事態を前にすると、
人は思考回路が止まってしまうものだ。
レナ、カリン、後藤はそうだった。

マリンは最後の希望をかけて父の頬に平手を放った。
乾いた音が響く。
衝撃を与えれば正気に戻ってくれると思ったのだ。

愛する父を殴るのは胸が張り裂けるほどの気持ちだった。
それでも太盛は涼しい顔をしていた。

マリンは、今度は自分の顔が横を
向いていることに気付いた。

「私の太盛君に何をするのよ」

これも信じたくなかった。半年前に新しく入って来た
使用人であるミウにビンタされたなどと。
頬にはじんわりと痛みが残っている。

それに許せないことを言った。私の太盛君。
これは、すでに太盛を彼氏扱いしているのと同義である。

エリカだったら直ちに極刑に処すところであろう。
解雇だけでは生ぬるい。地下で拷問の必要がある。
今のマリンも同じ気持ちだった。

「おい、マリンやめろ。俺のミウに手を出したら怒るぞ」

振り上げた手は、太盛の言葉によって行き場を失った。

俺のミウ……。彼らが恋仲にあるのは間違いなさそうだ。

ユーリとの件だけでも心が引き裂かれる思いだったのに、
今度はミウとの浮気が発覚した。浮気相手が二人いたのだと
マリンは解釈することにした。

レナ、カリンはまだ思考が止まっている。
後藤は密かに太盛と関係を持っていたと思われるミウに対し、
同僚だからこその怒りを抱いた。ユーリにも同じだ。

仲間として可愛がってきたつもりなのに、こんな感じで
手の平を返されてしまうとは。これで屋敷での平穏な生活は
終わった。この事実が党首に知られたら全てが終わる。

「どうやら潮時のようですな」

後藤が真剣な顔で口を開いた。

「私は明日にでも辞表を出させていただきます。
 もちろん太盛様も同意してくださいますね?
 どうやら私は堀家にふさわしい人間ではないようですので」

遠回りに堀家とは関わりたくないと言っている。

レナとカリンの姉妹は深くショックを受けた。
優しく明るく、ジョークを大切にする欧州人のような
彼が、こんなにも冷たい態度を取ることは今までになかった。

「ミウ。お前には心から失望した。おまえと口を交わすのは
 これで最後にさせてもらうが、これだけは言わせてくれ。
 天にいる神は、正直に生きる人間を好まれる。
 おまえはいつか自分の行いを悔いる日が来るだろう」

ミウは彼の呪いの言葉を聞いても顔色一つ変えなかった。
反省の色が全く見えない。後藤はさらに嫌味を
言ってやろうかとさえ思ったほどだ。

ミウはにっこりと笑い、一言こう言った。

「後藤さんとはまた別の世界で会えるよ」

この世の全てを知っているような余裕ぶりである。
後藤は鼻息を荒くし、ミウの目前まで近づいたが、
太盛がにらみを利かせているので手を出すことはなかった。
後藤は無言で食堂から去った。

彼は私物を整理して屋敷から出ていく準備を始めていた。
彼の気持ちは硬い。レナとカリンも、これから
二度と彼の作った料理が食べられないことを悟ってしまった。

食道備え付けの、大きな振り子時計が、時を刻んでいく。
言い争いをしていたら夜の10時過ぎになっていた。

カリンは荒々しく席を立ち、扉へ駆けて行った。
マリンは、肩を震わせながら嗚咽していた。

「なぜですかお父様。なぜですか。
 なぜ私達を裏切るのですか。
 マリンはそんなに悪い子だったのですか」

父の足元にしがみつき、許しをこう姿は哀れである。
太盛はそれでも娘の相手をしない。
視線さえ向けてくれない冷酷さだ。

「マリンはお父様の言うことに逆らったことはありませんでした。
 お父様は私のことを目に入れてもいたくないほど可愛いと
 おっしゃってくれました。あの言葉は嘘だったのですか」

彼は病院でマリンに窒息死寸前まで追いつめられたことを
未だに引きずっており、愛情が深い憎しみへと変貌していた。

レナは子供達の中で一番冷静だった。
なぜなら、彼女にも以前の世界の記憶が蘇っていたからだ。
病院の一室で、大みそかの暗い夜を過ごした父との思い出が、
昨日のことのように蘇ってしまう。

(この世界はどうしてこんなにも残酷にできているの。
 私達はいくつもの世界を飛び回ってる。
 私達の運命には決して終わりがないかのように)

レナは、自分の隣のイスに書置きがあるのを発見した。
達筆な細筆でこう書かれていた。

『運命を切り開くのは自分自身です。
今回の選択肢はレナ様にあずけることにしましょう。
気が向いたならそれをお使いなさい。
銃弾は2発入っております』

書置きの横には拳銃が置かれていた。
レナには長野県の孤島での生活を覚えていたから、
安全装置の外し方、照準の付け方、引き金の弾き方を知っていた。

太盛とミウは見つめあうだけで、言葉を発してない。
アイコンタクトだけで何もかも理解してしまうのだろうか。
マリンは相手にされない悲しみでわめくようになった。

誰も拳銃には気づいてないようだ。

レナはまずミウを狙って引き金を引いた。

ミウがどさっと、音を立てて椅子から転げ落ちた。
側頭部から銃弾が貫通したから即死だった。
貫通した部位から血が流れ落ちる。

「マリンは何か言い残したことはある?」

「れ……」

マリンの言葉など待たず、引き金を引いた。
心臓のあたりを狙ったはずが、お腹を貫通した。

これでは即死できない。

マリンの場合はお腹から背中へ駆けて焼けるような痛みが走る。
痛みよりも熱さの方が大きいだろう。
貫通した穴には永久空洞ができ、出血多量によって
じわじわと脳が酸素不足になり、気を失う。

気を失うまでの間が、マリンがこの世で
生存できる最後の時間であった。

マリンはうつ伏せに倒れた。出血の止まらぬ腹を押さえ、
たまに咳をし、血走った目でレナを睨むのだった。

「ころして……。やる。しんでも……呪ってやる……」

レナはマリンには関心を示さず、愛するパパを見るのだった。

「私の名前はレイナって言うんだよ。パパは知ってた? 
 みんなレナって略すけどね」

「もちろん知っているよ。俺が知らないわけないだろ。
 レナは俺の大切な娘だからね」

「マリン達ほどじゃないけど、私もパパのこと大好き。
 ちゃんと娘として再開できたから今回はラッキーかな」

太盛はレナの手にしている拳銃を見てから言った。

「お願いがあるんだ」

「なぁに?」

「次は俺の頭を撃ってくれないか?」

「撃つにしても弾がないよ」

「弾切れか」

「うん」

太盛はゆっくりと席を立ち、
ミウの亡骸を抱き、声をあげて泣いた。
先ほどまでの冷静な彼とは別人のようであった。

「ああ、神様、なぜ俺からミウを奪うのですか。
 ミウはあんなにも俺を愛してくれたのに、
 俺はミウの愛に報いることができませんでした。
 俺には自分の罪を償う機会すら与えられないのですか」

太盛の信仰心の強さは屋敷でも有名だったが、
あまり宗教に興味のないレイナには奇異に映るのだった。
お芝居のセリフを言ってるようにしか思えないのだ。

マリンは息絶えていた。レナはせめてもの情けとして、
妹の目をそっと手で閉じてあげた。
テーブルナプキンをかぶせて死に顔を隠す。

太盛は一通り泣きわめいた後、調理場へ走った。
ちょうど後藤は食材などの整理をしていたが、
太盛が来ても関心すら示さなかった。

すでに赤の他人だと思っているのか。
銃声は彼の耳にも入っていたのに冷静が過ぎた。

「何してるのパパ!!」

追いかけて来たレナが、太盛の手から包丁をはたいて落とした。
プロの料理人が使う包丁の切れ味なら簡単に
手首を切れると彼は思ったのだ。

「う……」

太盛は何を思ったか、娘の首を強く締め始めた。
大の男の手で締めるものだから、たまらず意識が遠のくレナ。
足が、床に着かなかった。

太盛はレナを宙に浮かせていたのだ。それだけの
力を込められているのだから、きっと一分も立たずに
自分は世界から退場するのだとレナは察した。

近くには後藤がいるのに、
彼は食材の片づけを平気な顔で続けていた。

いよいよレナが息絶えようとした時、
太盛の脳内に移った光景は、幼稚園を卒業する時に
レナが持ってきた、父の似顔絵の絵だった。

クレヨンで、でっかっく描かれた自分の顔。
顔の下にお父さん、ありがとうと書かれている。
くったくなく笑う娘からそれを手渡された時、
太盛は一生の宝物にしようと思った。

『年末の病院は自宅に帰りたがる患者が多いから、
 そんなに忙しくないの。しばらくパパのそばにいてあげる』

立派な大人として成長した娘の姿を彼は知っている。
過酷な医療の最前線で働く娘を心配すると同時に
誇らしく思ったものだ。

太盛はレナ首から手を放し、その場に崩れ落ちた。
レナは何度もせき込み、呼吸が整うまで
一分もの時を要した。涙と鼻水で見れた顔ではなくなった。

気が付いたら後藤はいなくなっていた。
使用人部屋で荷物でもまとめているのだろうか。

「なにを……していたの?」

入れ替わりでカリンが戻って来た。
彼女は牢屋でユーリを尋問しようとしたのだが、
なんとユーリの姿が消えていた。

物理的に逃げることが不可能のはずの廊下から
彼女がどうやって逃げたのかは知らない。
神隠しと言えば、妙に納得してしまうほどに。

きっとユーリという名の女性は初めからこの世には
存在しなかったのかもしれない。
家族全員で幻を見続けていたのかもしれない。

カリンはまず食堂でマリンの亡骸を見て
ぽろぽろと涙がこぼれ、床に崩れ、
しばらくそうしていた。次に人の気配が
する厨房に顔を出したのが現在である。

レナは長い髪が顔全体を覆っており、表情が確認できない。

太盛はレナを胸の中に抱きしめ、髪をかき分けて
おでこにキスをした。次に頬にキスをした。
さらに髪を撫で、背中をポンポンと叩いた。
それで謝罪の証とした。

「俺は……消える」

太盛は力なくそう言い、玄関に向かった。
カリンはその場で立ち尽くすが、レナはあとを追いかける。

「私も行くよ」

「俺はレナを殺そうとした」

「大丈夫。私はマリンと違って根に持つタイプじゃないのは 
 知ってるでしょ? それにミウを撃ったのは私だしね」

「君はそう言ってくれるのか。なら俺はレナを選ぶよ。
 頼む。俺に着いて来てくれ」

「うん。地の果てまでもパパにお供する」

レナは少し待っててと言い、二階に駆けていく。
二人分の外行き用の服を持って来た。
小さな旅行鞄にも最低限の下着などが入っている。
お金に困らないようにカードも持ってきた。

太盛は、レナが自分用のカード置き場を知っていた理由など
聞く気にすらならなかった。二人はしっかりと手をつなぎ、
大きな玄関の二枚扉を開くのだった。

よく手入れされた庭を歩く。虫の鳴き声が聞こえる。
芝生と噴水を横目に見ながら、正門へと向かった。
この門を超えたら、屋敷の外の世界へ出る。

不思議と警備兵は配置されていなかった。
この時間帯に不要な外出は禁止されているはずなのだが。

代わりに能面の男が立っていた。
何気ない動作で面を外し、絶世の美青年の顔が露わになる。
含みを持たせた声のトーンで問いかけた。

「太盛様。行かれるのですか」

「ああ」

「お気をつけて行ってらっしゃいませ」

太盛はレナの手を引きながら、正門をくぐった。
だが、ふと足を止めて振り返った。

「お前は俺を止めないのか?」

「止める理由が私にありましょうか?
 太盛様はレナ様を新しいパートナーとして選んだのです。
 最高の選択をしたと私は思っておりますが。
 これこそが運命の導きによるものなのです」

太盛はそれ以上何も聞かなかった。
最後に、拳銃を使っていたレナの呪われた手を
綺麗に洗えば良かったと思ったが、もう遅い。

深夜の闇の中に、多摩市の山の風景の中に、親子の姿が消えていく。
今夜どこへ泊るつもりなのか。行き先があるのか。
それは誰にも分からない。

ギぃ、と音を上げて正門が閉じられた。
能面は正門の外側にいた。
彼もまた、堀家の敷地をあとにする。

「これを吸うのは何年振りだろうか」

ふところから煙草を一本取り出し、ライターで火をつける。
ふぅと息を吐き、闇へ煙を放つと、
玄関先からカリンが泣き叫んでいるのが聞こえてきた。
能面は特に関心を示さず、立ち去るのだった。

                学園生活・改  終わり


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