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作品名:『学園生活』改 〜愛と収容所と五人の男女〜 作者:なおちー

第30回   元日の朝  
〜高倉ナツキ〜

人生とは常に予期せぬことが起きるものだ。
高野ミウの身の回りで起きていることは
まったく波乱万丈の一言に尽きる。

ミウが入院しているのは総合病院だ。
年始でも面会時間が13時以降なのは変わらない。

「面会カードはお持ちですか?」

僕は生徒会役員の証を提示し、受付を顔パスした。
年末年始は出入口が限られていて、
しかも家族で面会札がない人は入れない決まりだが、関係ない。

「カコ、おまえはどういうつもりなんだ!!」

二階のロビーで怒鳴り声をあげている男性がいる。
40代くらいの人だろうか。電話口で奥さんと思われる人に
文句を言っている。年始から非常識な男だ。

「娘が入院しているのに一度も顔を出さないつもりか!!
 俺に内緒でお義母さん達と調停離婚の手続きを
 進めているそうだが、勝手なことをするんじゃない!!」

近くに来た看護師さんが、声をかけようか迷っている。
綺麗な人だ。年は20代後半だろうか。

「君の都合よりもミウのことを考えなさい!!
 あの子はまだ高校生なんだぞ!!
 どんな時でも子供を優先だと言ってたのは嘘だったのか!!」

なに……? 今この男がミウと言ったぞ。
聞き間違えじゃないとしたら、ミウの親族。
話の流れからして実の父親か?

僕は高野ミウの見舞いに来た旨を美人の看護師に伝え、
また男の正体についてもそれとなく聞いた。

「そうよ。あそこで荒れてるのがミウのお父さん。
 他の患者さんに迷惑だから注意したんだけど、
 マジギレしてるから話しかけにくいのよ」

ミウの家庭はそこまで深刻な状況だったのか。
この看護師がミウを呼び捨てにしているのが気になる。

「レイナさんはミウと親しそうですね。
 ミウの知り合いの方ですか?」

「まあ。昔色々あったからね」

遠い目をしてそう言った。
深い事情があるようだ。
僕は女性のプライベートについては
詳しくは聞かないタイプだ。

ミウの病室に入る。

「あけましておめでとう」

「ナツキ君……。うん、おめでとう」

新年早々僕が来るとは思ってなかった、
と言いたそうな顔だな。ミウは思ってることが
顔に出やすいから分かりやすいよ。

「お見舞いに来てくれたのは素直にうれしい。
 家族や友達と初詣に行かなくていいの?」

「ボリシェビキに宗教は禁止だ。
 それに僕は友達と呼べる人はいないよ。
 生徒会長でもあるし、こんな性格だからね」

ミウは明らかにやつれてしまっている。
長くなった前髪を、ななめに分けている。
後ろ髪はひとつにまとめて、左の肩に垂らしている。

けだるそうな感じに色気すらあるが、
副会長時代の威厳はそこにはない。
夏の終わりはセミロングくらいの長さだったのに、
ずいぶんと伸びたものだ。まさに病人といった風の
容姿になってしまっているのが残念だ。

「マサヤは反逆者に指定しておいた。
 生徒会に忠実だったはずの彼が、何者かに
 買収され、爆破テロを実施するとは予想外だった」

「誰が?」

「なんだ?」

「誰が買収したの。マサヤ君を」

「それは……。分からない。生徒会が総力を
 挙げて捜査しているが、足がつかめない」

不思議とミウは犯人に心当たりがあって
聞いている風だったが、問い詰めるのは良そう。
傷心中の彼女を刺激したくない。

「君と太盛君の共同生活を提案したのは僕だ。
 すまないことをした。軽率な判断だった」

「私のためを思ってやってくれたんだよね?
 なら謝らなくていいよ。ナツキ君はどんな時でも
 私の味方だったじゃない。私はナツキ君に感謝してるよ」

「ミウ……」

ミウは嘘を言わないから、
言葉を額面通りに受け止めていい。
だからこそうれしい。

「謝るのは私の方だね。マンションが爆破された時の
 混乱で本村家の人達を逃がしちゃったよ。
 ボリシェビキの弱さを世間に知らせる結果になった」

「それは……。君が謝ることじゃないよ。
 あの爆破は仕方なかった。
 誰にも防げることじゃなかった。
 責任があるとしたら、マンションの警備にだろう」

ミウが何も返してこなかったので沈黙が訪れた。
新年の病棟は静まり返っている。
僕の他に見舞いに来た人はいないだろうか。

遠くから聞こえてくるのは、あの男のうるさい声だ。

「パパがまだ怒鳴ってるね。うるさくてごめんね」

「全然そんなことはないよ。ご家庭の事情なら仕方ないさ」

「久しぶりにパパが帰って来たと思ったら、
 今度は離婚話だよ……。ショックおかしくなりそう」

「離婚は、まだ決まってないんだろ?」

「うん。でも本当に離婚しそう。
 ママが本気で離婚したがってるみたいなの。
 お父さんが私を引き取る形で話が進んでいる」

感情の糸が切れたのか、ミウが泣き始めた。
大量の包帯が巻かれ、太ってしまった左足が痛々しい。
破片による裂傷の痛みとは、僕には想像もできない。

破片によって引き裂かれた傷跡は深く、
痛みが引いた後も一生残るかもしれないのだ。
体にも心にも。

僕の両親は離婚するほどの喧嘩はしたことがないと思う。
だから、ミウの気持ちを分かってあげられないのがくやしい。
どんな慰めの言葉を投げかけても彼女には届かないだろう。

ミウの母は熱烈なボリシェビキとして覚醒し、
市議会にまで顔を出すレベルの猛者と聞いていた。
その人が子を捨てて家を出ていくなんて、
いったい何があったのか。

「学園は傷が完治するまで休学してくれ。
 生徒会のことは僕に任せて、学園のことは
 しばらく忘れたほうが良い」

「私が一時的に抜けると、たくさんの人に迷惑かけるね。
 中央委員とか幹部はもともと人手不足なのに」

「幹部クラスの人事はあとで検討する。
 今のところナージャを中央委員部の代表に
 昇格させる予定だ。
 組織委員部の代表は臨時の者を起用する」

仕事(生徒会)のことは忘れろ。
気になるのは仕方ないことだが、
心に負担がかかると入院が長引くぞ。

「俺に触るんじゃねえ!!」

廊下から男の声が響いた。まだミウの父上が怒ってるのか?

「お前の力はいらない。俺は自分の力で歩ける」

「でもそんなにフラフラになってるじゃないですか。
 無理するとリハビリに影響しますわ」

「腕は無事だから松葉杖はつける。
 どうだ? ゆっくりだけど歩けるだろ。
 おまえは余計なお節介するなよ」

男の方の声は聞いたことがある。
すぐそこの廊下にいるじゃないか。

さすがに気になったので顔を出すことにした。

「……その言い方はあんまりですわ。
 マリンはお父様のお力になりたいと思って
 看護のお仕事を覚えていますのに」

「用があるなら、レナか他のナースさんを呼ぶよ。
 おまえは俺のことは良いから、
 他の患者の面倒でも見てろ」

お父様のバカ。短くそう言い捨てて、マリンという名の少女は
走り去っていた。ずいぶん小柄な看護師がいたものだ。
背丈は小学生程度。顔も子供にしか見えなかった。

小人症なんだろうか? 
しかもあれはミウの想い人の太盛君じゃないか。……想い人か。
マリンちゃんが彼をお父様と呼んでいるが、激しく疑問だ。

現役高校生の太盛君に娘がいる?
しかも娘は看護師として働いていて、
外見は幼く、小学生にしか見えない

小学生の女の子にお父様と
呼ばせる特殊なプレイをしているとしか思えない。
正月から奇妙なものを見てしまった。

「今の言い方はマリンに厳しすぎるよ」

「ん? レナか。まあ自分でも怒り過ぎなのは
 分かってるんだけどな」

「パパはまだ松葉杖で歩けるレベルじゃないでしょ。
 パパの回復が遅くなると私ら看護師も大変なんだから、
 大人しく車椅子に乗ってよ」

「ああ、分かったよ。すまないな。
 君たちに迷惑かけるつもりはなかった」

なんだ……? レイナさんはどう見ても大人の女性だ。
レイナさんまで太盛君をパパと呼ぶとはどういうことだ?

……意味不明だ。マリンちゃんだけでなく、レイナさんまで
太盛君を慕っている。兄妹?にしても似ていない。

太盛君は、立ち尽くして考え事をしている僕には
気付かなかったようで、レイナさんに車椅子を
押されて廊下の先へ消えていった。

僕はミウの病室に戻り、そのことを詳細に伝えた。

「太盛君は、ちょっと色々ある人だから」

ミウは意味深な顔で言うのだった。
そんな言い方をされたら余計に気になるじゃないか。
彼にはいったいどんな秘密があるんだ?

くっ。こんなときに無駄な好奇心がわいてしまうが、
ミウを問い詰めて嫌われるようなことはしたくない。

「ミウの気持ちは変わってないか?
 今でも彼のことが好きか?」

「うん」

うなずく。嘘偽りない彼女の本心なんだろう。
僕はどれだけミウに尽くしても報われない。
哀れなピエロだ。

同性として彼に嫉妬する。太盛君にばかり
美女が集中するのはなぜなんだ。
ミウは実質学園トップの美人だが、
レイナさんとマリンちゃんも十分に綺麗な顔立ちだった。

性格に難があるが、エリカもかなりの美女だ。
僕は自分で言うのもあれだが、学園では
一年生の時から女子から人気があった。

こっちら話しかけなくても、向こうから
アプローチされることは多々あった。
粛清されたアナスタシア、副官のナージャは
今でも僕のことを慕ってくれている。

そんな僕でもミウだけは自分のものにできなかった。

くやしさと、やりきれなさで叫びたくなる。

僕はお大事に、と言ってからミウと別れた。
笑顔で手を振ってくれる彼女が神々しく思えた。
何度見てもミウは僕の好みだ。
たとえ病人服を着ていてもそれは変わらないよ。

僕はうなだれながら廊下を歩き、階段へと向かった。
もちろんエレベーターもあるが、
僕は健常者なので階段を選んだ。

フロアの中央を通過しないと階段までたどり着けない。
中央には当然ナースステーションがある。

そこへ差し掛かると、

「うぅ……ぐすっ……」

また変なものを見た。
泣きじゃくっているのはマリンちゃんだった。
さっき太盛君に冷たくされたのがショックで泣いているんだろう。

「ちょっと、君」

「あなたは?」

「高野ミウの知り合いだよ。
 堀太盛君の知り合いでもある。
 これから彼のお見舞いに行こうと思うんだけど、
 病室まで案内してもらえないか?」

どうしようか迷っていたが、うなずいてくれた。

自分でも分からないのは、わざわざ彼女に
案内してもらったことだ。他の看護師さんに
聞けばよかったのに、傷心中の彼女を
太盛君の病室に行かせるのは酷なことだと分かっている。

だが。

話しかけずにはいられなかった。
たとえナースでも彼女が年下なのは確信している。
だから敬語は使わずに話しかけた。

「おい。マリン、何しに来た?」

マリンが先頭で入ると、太盛君が低い声で威嚇した。
僕が知っている彼からは想像もつかないほど怖い。

「お見舞いに来た方がいまして」

「誰だよ?」

僕はマリンちゃんに続いて個室に入った。

「あなたは、生徒会長殿……?」

「お久しぶり。今回の事件は
 大変に気の毒なことだったと思う」

彼とは親しい関係だったわけじゃない。

社交辞令を交えながらの緊張感のある会話をしてから、
僕は帰ることにした。彼も僕に気を使って話していたが、
それでも機嫌の悪さがひしひしと伝わって来た。
口元だけは笑いながらも、目つきは野犬のように鋭かった。

爆弾テロに巻き込まれて大怪我をしたのだから当然だと思うが。

会話の内容だが、
学校を含む生徒会のことは気にしないように、
治療に専念するようにとミウに話したのと
だいたい同じ内容だ。

僕の後ろにいたマリンちゃんを太盛君が
ずっとにらんでいたのが気になったが。

-------------------------

〜堀太盛の視点〜

俺はマリンが許せない。
なぜだろう。一度ビニールを頭にかぶせられて
窒息死寸前にされたからか。ミウにだって電気椅子拷問を
された経験はある。どこかの世界でエリカに屋敷の地下監禁
された記憶もうっすらだが存在する。

だが、マリンに対する恨みが特別に強い。

「会長様が帰りましたね。
 それでは私は仕事に戻りますので」

「待てよ」

マリンはびくっと肩を一瞬だけ震わせた。

「まだ話は終わってないだろ」

「なんのことでしょうか?」

「お前の態度だよ」

「態度?」

「さっき会長さんはミウとのマンション暮らしの件で
 俺に謝ってくれたぞ。マンション暮らしを決めたのは
 彼だったからな。ちゃんと責任感じてくれてるんだ。
 新年早々わざわざ見舞いに来てくれたしな。
 なのにおまえは謝らなないのか?」

俺が言いたいことを瞬時に察したマリンは

「本当に悪いとは思っていますわ。
 ですから何度も謝ったではないですか」

「そんなんじゃ、足りないんだよ!!」

俺は水のペットボトルをぶん投げた。
マリンに当たりはしなかったが、あぜんとしている。

「俺が背中に大怪我を負ったのも、傷がふさがらないのも、
 ガーゼがドロドロになってるのも、全部お前のせいだ!!
 おまえは進んで俺の看病をしたいようだが、誰が
 好き好んでこんな場所で入院してると思ってるんだ!!」

くっ……叫ぶと背中の痛みが増すだけだ。
すぐに吐く息が荒くなり、勢いが続かない。
心は荒れ狂っている。どこまでも怒りを発散したくて
しょうがないのに、体が言うことを聞かないのがはがゆい。

マリンの嗚咽。声を押し殺して泣く姿は哀れである。

俺だって本当は愛娘にこんなこと言いたくない。
それに爆弾テロとマリンに関連性がないことも知っている。

なのになぜマリンを責める?
理屈が通っていない。
俺はマリンをいじめたいのか?
そうじゃない。そうじゃないはずだ。

「堀さん。どうされました?」

若い男性のドクターが様子を見に来てしまった。
たまたま近くを歩いていたという。

マリンが何でもありませんと答え、ドクターを連れて
部屋を出て行ってしまった。悲しみの涙を流している
マリンにドクターは仰天し、問いただしているが、
彼らの声が廊下の先へと消えていくのだった。

その日の夜六時。マリンが俺に夕飯を持ってくるのだった。
あいつはどこのシフトに入っているんだ?
俺の記憶が定かなら朝イチから働いている気がするぞ。

泣きはらした目元はまだ赤いが、無理に笑顔を作っている。

「私は少しでもお父様のお力になりたいので
 少しだけ勤務時間を長くしてもらっていますの」

「そうかい。君はモンゴルにいた時から働き者だったね」

「うふふ。お父様。覚えてらっしゃるのね」

廊下にはキャスター付きの台が置いてある。
患者たちの部屋を回り、食べ終わった食器を
台に乗せていくのだ。

向こうも仕事だから時間で動いているのだろう。

早く食べないとナースさんたちに迷惑をかける。
それは分かっているんだが、マリンが持ってくる
食事が喉を通りそうにないんだ。

「あ、髪に糸くずが付いていますわ」

「え、そうなのか」

「はい。今取りますね」

一日中ベッド生活をしているからか。
俺の前髪についていたそれを、マリンがさらっと取ってくれる。
患者をいつくしむ姿からは、かつて俺を殺そうとした
狂気は全く感じられない。

俺を殺そうとした。そうだ。これが問題なんだ。
マサヤは確実に殺す。能面が間接的に関わっているなら、
あいつも殺す。俺の命を狙おうと思った者は、みんな殺す。

そうしないと生き残れないだろう?

「あっ……?」

マリンが、ひっぱたかれた頬を手で押さえた。
全く無意識で自分の手が動いていた。

ああ。俺も自分自身が信じられない。
気が付いたら、マリンを叩いた直後だったのだ。

「お、お父様?」

「痛いかマリン?」

「え、ええ。それはもう」

「俺の心はもっと痛いんだぞ?
 なあ。娘に殺されそうになった俺の気持ちが分かるか?」 

俺の記憶の限りはではこの子に手を挙げたことはない。
手を上げるという発想にすら至らない。

マリンは黙り、うつむいた。
ショックのあまりか、手の先が小刻みに震えている。
短く鼻をすすり始めた。
このままじゃ、また泣き始まめるんだろうが。

「俺の体に気安く触るなよ」

「お父様の……体に振れなければ看護業務ができませんわ」

「それでも触るな。というか俺の世話をするなと
 言っただろ。俺の担当看護師はレナでいい」

「レナは三交代のシフトですから、いつでも
 お父様のそばにいられるわけではありませんわ」

「おまえこそ疲れてるだろうから、家に帰って寝たらどうだ?」

「午後に仮眠室で2時間ほど睡眠をとりましたわ。
 今日は夜遅くまで働くつもりです」

「なら勝手にしろ」

俺はそっぽを向いた。

窓の外を見続けようとしても
カーテンは締まっている。夕日もとっくに沈んでいる。
外には、漆黒の闇が広がっているのだろう。

空に雲がなければ満天の星空が見えたかもしれない。
星空か。エリカの別荘で見た夏の天の川の
美しさをよく覚えている。

人には癒しが必要なんだよ。
特に男が女に求める要素の一つがそれだ。
かつてのエリカにそれは存在しなかった。
ミウも同じだ。ユーリとエミにはそれがあった。

今のマリンには深い恨みの感情と、
わずかながらの同情しか存在しない。
なぜ同情するかって? 俺が一番に愛した娘だからだよ。

マリンはまた鼻水をすすった。
ハンカチを何度も目元に当てた。
そんなこの子の姿を見た今でも俺の気持ちは変わらなかった。

「マリンはお父様に……嫌われたくありません」

「いつまでそこにいるつもりだ?
 他の患者のところを回れよ」

「お父様がいつまでもそんな調子ですと
 仕事をする気になりません」

「なら家に帰れ」

「私には帰る家がありませんわ」

「この世界では斎藤家の娘だろう?」

「前世を知ってからは斎藤家の一員という自覚が
 持てません。私が帰るべき場所はお父様のお隣だけです」

マリンはご飯の乗ったスプーンを俺の口元へ運んでくる。

俺は窓の方を見続けて、マリンをやりすごそうとしたが、
しつこい。一分くらいずっとその姿勢を維持し続けたので
こっちが根負けしてしまう。

「お味はいかが?」

「今の精神状態では味なんてわからないよ」

子供に食べさせてもらっているなんて恥ずかしすぎる。
食事中は扉を開放しているから、廊下側から丸見え。

早足で通りかかったナースがこっちを見て、クスクスと笑っていた。
勘違いするなよ。君が思っているほど微笑ましいシーンじゃないよ。

「お父様がご機嫌を治すまで、マリンは諦めませんわ」

「普通これだけ冷たくされたら距離を取ろうとか思わないのか?」

「いいえ。私はお父様のことを愛していますから」

おかずをゆっくりと咀嚼してから、
俺は侮蔑の視線をこの子にあげた。

「子供が愛なんて言葉を気安く使うなよ」

「いけませんか?」

「学校でカッコいい男の子がたくさんいるだろう。
 その子達と付き合えばいいんだよ」

「同じ年代の子は子供っぽくて興味ありません」

「……普通の親子として過ごそうよ」

「はい?」

「ミウが言っていたじゃないか。
 俺とマリンの距離は近すぎるって。
 普通の娘は父にご飯を食べさせたりしないだろう」

「今のお父様は病人ですから」

「一緒にお風呂に入った時もそうだ。
 俺はロリコン呼ばわりされてショックを受けた」

「親子が仲良しなのは良いことではないですか。
 赤の他人に口出しされても気にしなければいいのです」

「き、キスまでしてきたじゃないか」

「親愛の情の証です。ハグやキスは欧米では普通ですよ?」

ここは日本だろうが。日本でそんなことやるから
周囲から浮くんだよ。あっ、でもミウは英国育ちだ。
なのにからかってくるのは、やっぱり嫉妬か。

「分かった。もうこれ以上聞くのはやめる。
 ご飯も綺麗に食べたから、あとはベッドで休ませてくれ」

「痛み止めの薬はお飲みになりますか?」

「そうだな。飲んでおくか」

背中のガーゼのべったりとした感触が気持ち悪い。
これも縫った肌がくっつくまでの辛抱だ。
できるだけ傷口のことは忘れたいのだが、
この痛みから逃れるすべはない。

病院生活で最も恐ろしいのは、この無機質な空間で
過ごすことで心を病んでしまうことだ。
心だけは平穏でいたい。

こんな時は異性が恋しくなる。
俺を癒してくれる女性がそばにいてほしい。

学園生活ではカナがいてくれたから
心が狂わずにすんだ。ああ、カナは今頃
家で新年を迎えているんだろうか。

エミは参拝客を迎えるので大忙しなんだろうな。
新年は神社が一番儲かる時期だからな。

マリンが廊下へ消えてから、まぶたが重くなり、
深い眠りについたのだった。


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