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作品名:『学園生活』改 〜愛と収容所と五人の男女〜 作者:なおちー

第28回   28
〜高野ミウ〜

私は個室で入院生活を送ることになった。
急な入院だったから、必要な荷物なんて何も持ってきてない。
ここには、暇をつぶす道具が何もない。

日付を確認するためのカレンダーすらない。
お金を払えばテレビ視聴用のカードが手に入る。
個室のテレビはカードがないと視聴できないの。
今はテレビなんて見たい気分じゃない。

どうしてママはお見舞いに来てくれないの?
それが一番の不満だった。

あの日、私は着の身着のままで、救急車で運ばれて、
応急処置を受けた。太盛君がかばってくれたから、
大事には至らなかったけど、爆発物の破片が
足に刺さり、車椅子生活をするはめになった。

自宅療養が理想だけど、爆破されて
しまったから帰る場所がないのが現状。

ベッドで安静にしていると楽なんだけど、
ベッドから車椅子に移動する時が一番大変。

そういう時はナースコールを押すのだ。
看護助手さんが入ってきて、私を丁寧に
車椅子に乗せてくれる。

私、最近太ったから重いかもしれないね。
ごめんなさいね。40代くらいの女性の方。
この人、体格の良いロシア人なんだよね。

2階のロビー(テレビとソファある場所)まで
車椅子を押してもらった。
私はそこで待ち合わせがあったのだ。

「ミウ。久しぶりだね。
急な連絡を受けて心配したぞ」

私のパパだ。普段は都内で単身赴任をしている人。
全身スーツ姿でばっちり決めている。
前会った時は眼鏡なのに今日はコンタクトにしたのかな。

「完治するまで時間がかかるそうだ。
かわいそうに……。学校の方には連絡しておいたからな。
怪我の様子を見て登校するように言われたが、
最低1か月は休学するよう頼んでおいたよ」

名前は高野ナルヒト。年はたぶん40代後半かな?
短めの黒髪をワックスでガチガチに固めている。
いかにもエリートって感じで、歩くときは
肩で風を切りながら歩く感じ。

お父さんとはあんまり関りがなくて、
言っちゃ悪いけど、他人に近い感覚なの。

私が小さい頃から1年に数回しか
会えない人だったから。

仕事が忙しいのは分かるんだけど、幼稚園のお遊戯会とか、
小学校の運動会とか、他の保護者はみんな来てたのに。
私のパパだけどんな行事にも一度も
顔を出してくれなかったのは子供心にショックだった。

高野家は両親が離婚している。

女子からそんな噂を流された時は、
やりきれない思いになったよ。
そう思われても仕方ないほど、
パパとの関係は希薄だった。

十分な生活資金を家に送ってくれる人。
結婚前にお金を貯めこんでいたこの人の
おかげで分譲マンションを一括購入できた。

ローンという家計の最大支出がないから、
うちのお金はどんどん溜まるとママが言っていた。
経済アナリストの夫の影響でママも株式投資に
熱中し、さらに資産を増やしてくれている。

中学3年の時、思い切ってママに資産総額を聞いたことがあった。
子供の私には想像もできないくらいの額でびっくりした。

「カコに何度も電話をかけているんだが、
全然つながらないんだ。
 一体どうなってるんだ?」

「マンションを爆破されたのが
ショックで自殺したんじゃない?」

「ミウ……?」

私の冷たい言い方に驚いている。
パパと面と向かって話すのって、
私が中学を辞めたいと言った15歳の時が最後だものね。
普段は電話で話すことが多かった。しかも夜遅くに。

パパには愛人が何人もいたんでしょ?
お盆や年末年始まで仕事を理由に帰ってこなかったのは、
遊び相手の女の人がいたからでしょ。

ママが電話越しに友達に相談してるのをこっそり聞いたよ。
しかも相手が外国人の女だって聞いているよ。

ママは夫の浮気を知っていながらも放置していた。
専業主婦としての弱い立場もあり、
何不自由ない生活を提供していたのはパパだったから、
見逃すしかなかったんだろうね。

表向きは夫婦円満。裏では色々と終わっていた。
ママはあなたに会いたくなくて実家に帰ったのかも。
もしくはマリンにすでに殺されているのかもしれない。

もう……どっちでもいい。

「ごめん。色々あって疲れてるから
 変なこと言っちゃった」

「……いや。ミウが無事ならそれでいいんだよ。
入院生活で必要なものがあったら遠慮なくパパに言ってくれ。
 傷の治りが遅いようなら、もっと設備の良い病院に
 移動することも出来るからね」

「ここでいいよ。今のところ不自由してないから。
 パソコンと着替えを持ってきてほしいかな。
 あっ、部屋が吹き飛んだから着替えは
 買ってきてもらおうかな。下着とか」

「分かった。下着はパパが買いに行くのはあれだから、
 通販で頼んでおこう。下の売店でも色々売っているから、
 買えるものは揃えておくよ」

「うん。持ってきてほしいものをメールで送るから」

パパのLineに、洗面用具やパジャマなど、
入院に必要なものを書いて送った。
パジャマは病院の指定で前開きになっているやつ。
たぶん売店で売ってると思う。

パパはどんな魔法を使ったのか、
夕方には必要な物が病室にそろうのだった。
衣類はわざわざナースさんたちが運んできてくれた。

着替えは十分な代えがあるし、ほぼ完璧。
入院中だからオシャレは求めてないから十分だよ。

寝苦しいからノーブラでいたかったけど、
院内には男性もいるから
ブラキャミを頼んだらちゃんと買ってくれた。

スタンドミラー、ブラシ、乳液、化粧水まで
買ってくれたんだ。頼んでないのに気が利くね。

娘が年頃だってことをちゃんと意識してくれてるんだ。

テレビを見るためのロングコードのイヤホン。
スマホの急速充電器。新品のノートパソコン。
あっ、ヘアゴムもある。最近髪を伸ばしていたから助かるよ。

「ありがと(^^♪)」メールでそう送っておいた。

その頃、パパは爆破されたマンションに見切りをつけ、
新しい住居を探していた。どこへ住みたいんだろう?
気になったのでLINEで聞いてみると。

「家族3人ならやっぱり一軒家のほうが落ち着くと思うから」

と言って、手ごろな中古物件を探してるそうだよ。
そこには長く住む気はないらしくて、私の大学進学と共に
家族全員で都内に引っ越す計画を立てるみたい。

ママは田舎暮らしを好んでいたから、たぶん怒るだろうな。
私も日本の東京ってあんまり興味がない。
アジア諸国の都市部って、
なんとなく楽しそうなイメージがないの。

訪日外国人が好むような神社仏閣巡りをしているほうが私は好きだな。
中学の修学旅行で言った京都にはまた行ってみようと思う。

「術後の経過を見てリハビリテーションが始まります。
 リハビリは日によって時間帯が異なりますが、
 その都度担当の者がお部屋へ来ますよ」

「リハビリはどんなことをするんですか?」

「筋力低下やを防ぐための運動療法です。
 松葉杖が付けるようになったら、歩く練習をしましょう。
 それまでは椅子の上で足をふらふらさせるだけでもいいですよ」

はきはきと話すのは、レイナさんだった。
マリエが入院した時にお世話してくれた30代の美人の看護師。

私はモールで会った時にレストランでお話をした。
この人が太盛君の娘のレナ様の生まれ変わりだ。
あの時に本人は認めなかったけどね。

「ふふ」

「どうしました?」

「まさかレナ様にお世話になる日が来るとはね。
 立場が逆になったと思いません?」

「そうかもしれませんね。ミウ」

はっとして、彼女と視線を合わせた。
彼女はすぐに目をそらして、強い西日が差し込む
窓に遮光カーテンを閉めたのだった。

彼女は、問い正したい私の気持ちを理解しないのか、
点滴用の袋がちょうど空になったことを確認し、
私の腕に刺していた点滴針を抜いた。

「ご自分で食事がとれるようなら、今日で点滴は終わりですね。
 夕飯の時刻が6時ちょうどなので、その時間になったら
 また来ますよ」

早口で言い、
きびすを返して去ろうとした彼女の背中に私が言う。

「待って」

「なんでしょうか?」

「あなた、私のことミウって言った」

「これでも仕事ですので、入院患者さんのお名前は
 フルネームで覚えていますよ」

「でも呼び捨てにした」

「……次からは気を付けます」

「そういう意味で言ったんじゃないの」

「うん。私はバカじゃないから分わかっていたけど」

「いつから知っていたの?」

「ほんの数日前。前から強烈な既視感は会ったけど、
 ふと朝目が覚めたら、自分の前世が
何だったのか思い出した」

「だったら、初めから道化を演じないでよ。
 私と普通に話せばよかったでしょ」

「知らないふりをした方がお互いのためかなって思ったの。
この病院にはマリンがいるでしょ?
 あいつ、生まれ変わってもパパにべったりで
 吐き気がする」

「私は殺したいほど憎んでいるよ。
 あいつは死ねばいいと思う」

「ミウ……?」

レナ様が引いてしまっている。

後ずさりしたのはさすがに悲しかった。
私、そんなに怖い顔してたのかな?
だから太盛君に嫌われるんだね。

「あなたは私の知っているミウと年齢も外見も
 変わってない。けど、なんか貫禄があるというか、
 不思議な威圧感と怖さが加わっている」

「学校で……。色々あったから」

「そ、そう。ごめんね。あなたともう少し
 話していたけど、他の患者さんのところも
 回らないといけないのよ」

逃げるように立ち去ってしまった。

個室って、快適だけどむなしいんだね。
夕飯の時間まで小一時間あるけど、
パソコンもスマホもやる気にならない。

ベッドに寝て、ぼーっとしていた。
包帯が巻かれた自分の痛々しい足を見て、
泣きそうになる。負傷したのは左足だった。
深く刺さった破片を取り出した傷跡は大きい。

床ずれを防ぐためにひざ下にクッションが敷いてある。
寝返りすら打てないのが辛い。でもクッションはちゃんと
しないと、関節が曲がらなくなる恐れがあるんだって。

なんか。こうしていると鬱になりそう。
私は5分とそうしていられなかった。

ベッドのわきの棚に、
パパが置いていった小説がある。
本の横にヘッドホンとイヤホンもある。

何これ? 小型だけど高いヘッドホンなのかな? 
使い古した赤い色のウォークマンもある。
逆にヘッドホンの方は新品っぽい。

私はそれなりに機械に興味がある。
気になったので、PCを起動して調べてみた。

ヘッドホンには小さな文字で型番が書いてあるんだよね。
型番で検索すると、bowers&wilkinsという
メーカーの製品だった。

英国のメーカーだ。創業者のジョン・バウワーさんが
第二次大戦で王立通信軍団に加わり、
欧州に乗り込み、レジスタンスと共に戦っていた。

その後、国防軍にいたロイ・ウィルキンスと出会い、
互いの名前を取って社名とすることにした。
バウワーは戦後に通信技術を大学で学び、
クラシック音楽を高音質で聴くためのスピーカーを開発。
既存のスピーカーを大きく改善した。

スタジオレベルの音響を家庭で再現する。

メーカーのページにはそう書かれている。
昔はスピーカーメインのメーカーだったけど、
最近ヘッドホン市場にも参入したそうだよ。

アマゾンで調べてみると、ヘッドホンの価格が…10万。
パパは高級志向の人なんだね。
庶民生活が好きなママとは正反対だ。

このウォークマンも7万はするよ……。
こんなに高価なものを病室に置いて大丈夫なの?

せっかくだから適当な曲を聴いてみようか。
自分のじゃないから操作の仕方が分からない。
ウォークマンの曲名表示がドイツ語……

W.A.Mozart. Klavierkonzerte. No. 20 KV 466
分かった。クラシックだ。
これはモーツァルトの曲なんだね。

ピアノ協奏曲だった。冒頭からオケの大合奏が始まり、
私を圧倒した。高いヘッドホンってこんなに
音が深く、広大に響くんだ。

ピアノ独奏も綺麗。
音の響きを良く考えられて作ってある感じ。
コンサート会場の少し離れた席で聴いてるみたい。

こんな小さなヘッドホンで
こんな音が出せるなんて不思議。

さすがオーディオ大国の英国製品。
私もロンドン時代はオペラ劇場とか連れて行ってもらったなぁ。
オペラはドイツ語とイタリア語の歌ばっかりだから、
詳しい内容は歌詞カードを見ながら理解するの。

ピアノ協奏曲の1楽章が終わるまでずっと聴いていた。
17分もあるんだけど、音と音の繋がりが
美しくて長く感じなかった。眠くもならなかった。

ヘッドホンを外す。もう5時半か。
夕飯まであと30分。

何気なく小説を手に取ると、英語で書かれた推理小説だった。
根拠はないけど、この作家も英国人なんだろうな。

パパは日本生まれの日本育ちだから、英語の勉強の一環として
小説を読んでいたのかも。家では日本語しか話さなかったから、
きっと英語が好きじゃないんだと思う。
海外勤務の仕事柄、仕方なく覚えていたんだと思う。

ふと父が恋しくなった。

お父さん。私が、一番父親が恋しかったのは、
小学校に上がった時だった。一番そばにいて
欲しい時にあなたはいてくれなかった。

棚の扉を開けると、ファイスタオルの下に、
クリアファイルに入れられた書類の束がある。
これも英語で書かれている。

『Japanese Rates & Bonds』

日本国債の変動が書かれているみたい。
専門的な英語は読めないけど、なんとなくね。

別の紙には同じ内容が日本語で書かれている。

中央銀行(日銀)が定めている物価目標の達成率と
イールドカーブ(利回り曲線)のメモ。
専門家のパパの視点で
短期、中期、長期の金利の変動を分析してある。

変動曲線が図で書かれているけど、超高度な内容。
ボリシェビキになって最近経済学の勉強を始めた
私のレベルでは全然理解できないよ。

とりあえず、文章だけ読んでみよう。
米国債と日本国債は……連動性を失っている?
中国中央銀行とFRBの利上げ発表後も、
EUと日本は金融緩和と解かず、静観の構え。

日本の長期金利の利上げ時期は予想困難。
低金利と日銀のETF買い入れが継続する限りは
債券の利回りは上昇せず、現在の株高を維持できる見込みが高い。

今まで日銀がやってきた政策が書いてある。

日銀当座預金の政府債務残高に0.1%のマイナス金利を導入。
質的量的金融緩和を実施。
長期国債の買い入れオペレーション。
銀行から企業への融資を促進。
物価の上昇、インフレを目指す。

む、難しすぎて知恵熱出ちゃうよ。

前にママがこんなこと言っていた。
新聞を読んでマイナス金利を普通預金の金利と
勘違いした老人達が、金庫を買い漁って
タンス預金を始めたと言っていた。

その影響で金庫の製造関連の銘柄の株価が、
一時急上昇したそうだよ。
ニュースを読み間違えると
バカを見るとママは鼻で笑っていた。

『読書することが賢い人への第一歩なのよ。
 ミウちゃんも本を読む時間を作りなさい』

だから私に経済学や共産主義の本を
お金に糸目をつけずに買ってくれたんだ。

クラスメイトの井上マリカは読書が好きすぎて
活字中毒だって聞いたことがある。

パパの文章を頑張って要約すると、
日本が好景気になるのはまだまだ先みたい。

物価は電気ガスなどのインフラを中心に
底上げされているのが現状だけど、
まだまだ足りないし、自民党が計画中の増税も
デフレを促進させるだけで、企業、国民レベルで深刻な悪影響。

ふーん。やっぱ増税はしないほうが良いんだ。
自分のパパの書いてることだから納得しちゃうな。

少子高齢化の流れは止まらない。
スウェーデンやフランスのように
少なくとも90年代から対策を練る必要があった。

増税を初めとした、どのような財政政策を
しても社会保障費の捻出は不十分であり、
完全自己責任型の無保険制度の導入を検討するべきである。

財政って政府のお金のやりくりのことだ。
私も大学に行くようになったら
財政が理解できるようになるのかな。

他に株の入門書が置いてあるよ。
思い出した。前にママがパパ宛てにメールを送ったんだ。
私が経済学に興味があるってことを。

株とか国債は、いかにも資本主義的な発想が生み出したもの。
私は共産主義者。本当は毛嫌いするべきなんだけど、
父のお節介が今は少しだけ心地よい。

パパはこういう仕事をしているから、
経済の大きな視点で世の中を見てるんだね。
女にだらしない人ってイメージだったけど、
頭が良いところは尊敬しちゃうな。

「失礼します。夕飯をお持ちしましたよ」

背の小さい女の子が明るい声で扉を開けた。
明らかに看護師さんじゃないのに、ナース服を着ている。
レナ様じゃなくて、マリン……!!

「なんであんたが来るのよ!!」

「せっかくご飯を持ってきたのに、その態度は何?」

マリンは廊下で食器が乗せられたカートを止めた。
私用のメニューが盛られたトレイを手に持ち、
中に入って来た。

「ちょっと。何でマリンが看護師さんの真似をしてるの?
 私に毒でも盛るつもりなの」

「栄養士さんが作ったメニューに罰が当たるわよ?
 私はレナに頼まれたから持ってきただけよ」

「うそ。レナ様が頼むって、つまり……」

「記憶が戻ってからは普通に会話してるわよ?
 レナはあんたと違って喧嘩腰じゃないから助かるわ」

「あんたの神経を疑うわ。今日の昼に私と
 大喧嘩したくせに、どの顔してこの部屋に入って来たの」

私は、斎藤マリエの姿でニヤニヤしながら
見舞いに来たこいつに殺意がわき、首まで絞めてしまったのだ。
私は負傷中だから、やり返されたら殺される覚悟はしてたけど、
マリンが何もせずに去って行ったのが不思議だった。

「それにその恰好。ナースにしては不自然すぎると思わないの」

「そんなの百も承知の上よ。マリエの姿だとお父様が
 嫌がるようだから、この姿にしているの」

「日本の法律で小学生の就労は禁止されているよ」

「そうも言ってられないのよ」

マリンは医療現場の人手不足を得意げに語り始めた。

もはや五人に一人が高齢者の日本。さらに栃木県北部の
ような田舎ではさらに老人の比率が高く、
私達のように救急搬送される人から、
病気、手術での入院など、患者数が増え続けている。

確かに普通に生活していても
救急車のサイレンは毎日聞くよね。

三交代、二交代制で対応する医師、看護師らは
過労を極めていて、医療ミスが減らないのが現状。
医師の自殺率が意外と高いのは、あまり世間では知られていない。

内科医など激務のポジションでは、
平日の勤務はひどい。
ひと段落ついてお昼ご飯を食べられるのは、
昼の3時以降である。
それすら15分も時間が取れないほど。

私のように入院患者がいる病棟では、
患者のお風呂や排せつの補助が必要なのだが。
肝心の看護師さんの数が足らない。

看護師資格がないが、患者の身の回りの
お世話を担当してくれる看護助手を何人雇えるかが、
病棟の繁忙を左右する。

彼女らにとって重要なのは、一人当たり何人の患者を受け持つか
手間のかかる患者もいれば、そうでない人もいる。
そしてシフト。大きな病院だと三交代が基本。
夜勤明けが特にきついらしい。

レナ様のように入院患者担当のナースには
一人でも多くの看護助手、
もしくは看護師そのものが欲しい。

「私は今日から看護助手になったの。
 お手伝いだけど、よろしく」

「何をバカなことを。人を洗面器で
 水責めにした女が入院患者の世話? 
 笑わせるわ」

「なんとでも言いなさいな。
 お父様が入院してる間はここで働くつもりよ」

「あっそ。好きにすれば。クズ」

「クズと言うほうがクズでしてよ」

「夕飯入らないから。食欲ない」

「黙って食べなさい。傷の治りが遅くなるわよ」

「お願い。出てって」

「わがままを言うものじゃないわ」

「出てってよ!! あんたの顔見たくないの!!」

マリンは歯を食いしばり、
吐く息が荒いけど耐えていた。

「私だってあんたの顔なんて見たくもないわ。
 だけど仕事だから我慢することにしているの。
 光栄に思いなさい」

「だったら、あんたじゃなくて他の人を連れてきてよ!!」

「みんな忙しくて手が回らないのよ。
 急に入院したあんたが病院に
 迷惑をかけているのを自覚しなさい」

食べ終わったら取りに来るから。
そう言ってマリンは部屋を後にした。

あの言い方はなんなの?
私だって好きで入院してるわけじゃないのに。
いちいち私に喧嘩売ってきて、本気で腹が立つ。

子供のくせに何が看護助手だ。
大人の世界は遊びじゃないんだぞ。

あいつは何もかもふざけてる。
この世界に首を突っ込んで。
私と太盛君の間に入ってきて邪魔して。

こんなもの……誰が食べるか。

「いたっ」

食器トレイごとぶん投げようとしたけど、
投げる瞬間に力んだため、左足に激痛が走った。

トレイが手のひらから落ちてしまう。

無残に散った夕ご飯。
汁物がこぼれて布団とシーツに派手な染みが
できてしまい、肉じゃがなど
おかずの一部が床に落ちてしまった。

急に罪悪感に襲われた。

入院費はパパが払ってくれている。
作ってくれた人にもだけど、パパにも申し訳ない。

「あーあー。これはひどいな。今ナースさんを
 呼んでくるから、少し待ってくれ」

そのパパがちょうどやって来たのだった。
こんな時間に病院に来れるんだ。
面会時間は過ぎてるはずなのに。

パパは、部屋にやって来た怒り心頭のマリンと、
年配のナースさんに何度も頭を下げた。

パパが悪いわけじゃないのに。
本当に申し訳ない気持ちになる。

私だってマリンのクソ女が食事を
持ってこなければ普通に食べてたんだけどね。

「下の売店で適当なもの買ってくるよ。
 パンで良いか?」

「うん」

パパは何をするのも早い。10分もしないうちに
パンと飲み物を買って戻って来た。
この病院は夜まで営業しているコンビニが
入っているから、必要なものはたいてい揃う。

「パパはミウの付き添いだから、
 何時に病室に入っても大丈夫なんだよ」

「そうなんだ。迷惑かけちゃってごめん」

パパは笑って許してくれた。
今思うと、私はこの人に叱られたこと
なかったかもしれない。

「ヘッドホン、聴いたよ。音がすごかった」

「ん? ああ、そういうことか。時間がなくて
 たまたま置いていったものなんだが。
 気に入ったなら、そのまま使ってくれていいよ」

「うん。そうする」

「ミウに渡したかったのは株の入門書の方だ。
 今のところ株には興味ないかな?」

「正気あんまり……。でもプレゼント
 してくれたなら大切にもらっておくよ」

「おお。そうか」

パパは照れ臭そうに笑った。
顔は40代とは思えないほど若作りで美形。
しかも高収入だから、確かによその女を
口説くだけの甲斐性はありそう。

私はママからお父さん似だって良く言われていた。
私的にはママ似の方が理想だったけど。

パパはおにぎりを買ったみたいで、
私と一緒に食べていた。私がさみしくないように
一緒にいてくれているのかな。

冷静に考えると、親が離婚してるわけでもないのに、
父と一緒に食べることが
一年で数えるほどしかないって異常だよね。

「ちょっと真面目な話をさせてくれ」

食べ終わった後、パパが言った。
真剣になると雰囲気が別人だ。

「単刀直入に言おう。ママは実家に帰ってしまった」

「え……」

「俺は不動産屋を探しながら、カコと連絡を取り続けた。
 で、夕方になって電話に出たんだが、とつぜん
 別居しようと言われてしまった。理由は教えてくれなかった」

私はすぐには信じられないし、理解も出来なかった。
よくしゃべるパパの口元だけを見つめていた。

「爆破されたマンションの部屋を見に行ったが、
 マルクス系の書物が散乱していた。マルクスは
 共産主義と言って危険思想を世界に広めていた人なんだ。
 あの本はマリエのものか? それともミウのか?」

私は少し迷ってから、両方と答えた。
パパは目を丸くしたけど、すぐに話を続けた。

「最近。ネット証券でマリエの株の売り買いが
 されてないのが気がかりではあった。かと思えば、
 12月に入ってから売り注文を一気に出した。
 ダウ、ナスダック、日経平均が安定しているにも
 関わらずだ。不自然だとは思っていた」

「パパは反共産主義者?」

「共産主義はパパの仕事を否定することに繋がるよ。
 パパは資本主義が正しいと思って今の仕事を
 続けて来たんだ」

「共産主義は嫌いなのね?」

「好きか嫌いで言えば、嫌いだね。
 EUではペストや麻薬に匹敵する悪だとされているよ」

欧州ではそんなに嫌われていたんだ。知らなかった。

「栃木県のこの市に帰って来て驚いたよ。
 市議会が革マル派のメンバーで占められているなんてね。
 あのマンションの住人も共産主義者の集まりじゃないか」

「久しぶりに帰ってきて、良くそこまで知っているね」

「パパは情報収集が得意なんだよ。で、ミウの通っている
 学校も調べたよ。生徒会のメンバーは全員ボリシェビキ。
 学校の教育方針は、共産主義を是正として、
 将来国家転覆を狙うスパイ、工作員を養成する」

私は気まずくなって視線をそらした。

「ミウが生徒会の副会長に就任したと
 聞いた時、パパはうれしくってね。
 会社の後輩にまで自慢してしまったよ。
 それが悪の組織だと知った時は残念だった」

「パパ。私はね」

「言いたいことは分かるよ。自分が良かれと思って
 やったことなんだろう? 世の中のためになると
 思ってボリシェビキになったんだ」

こんな資料もあると言って、パパは書類の束を見せて来た。
Aサイズでファイリングされた、報告書だった。

校長先生の書いたもので、大半が私の悪事を暴露したものだった。
校長はこれを病院の責任者(院長)に提出した。
自分の身に危機が迫る可能性を説明し、
常に警備兵を付けてもらうことを提案したらしい。

校長は私を異常に恐れていた。
実はこの病院もボリシェビキに支配されているんだけど……
警備兵がいるのは院内の治安維持のためだよ。

「パパの気持ちも分かるけど、
 共産主義の悪口は言わないほうが良いよ。
 この病室にも盗聴器が付いているの」

「いや。大切なことだから最後まで言わせてくれ。
 ミウは今までにたくさんの生徒を取り締まったね。
 拷問までしたという話だが、罪の意識はないのか?」

「……全くないわけじゃない」

「パパが小さい頃にあげたポケット聖書を
 家で破り捨てたそうだね。これはカコから聞いたことだ。
 パパはね。君にまっすぐ育ってほしかったから
 イエスの教えを学んでほしかったのに」

そこまで話したところで警報が鳴ってしまった。
共産主義の否定。聖母マリアやイエス・キリストの名前をあげる。
学園の生徒会の否定。パパの言っていることの全てがNGワード。

「飛んで火にいる夏の虫とはこのことですな。
 もっとも今は冬ですが」

両手を後ろで組んだ男が入って来た。
この人、挨拶したことがある。院長じゃん!!

「そこでお嬢さんと話されている御仁。
 Yシャツにセーター姿のあなただ。
 何度か興味深い発言をされていたと諜報部から
 報告を受け、参上した次第です」

「院長自らとは恐縮です。
 お暇なわけではないのでしょうに」

「うむ。多忙です。多忙の極みです。
 それでもスパイの存在は許せませんな」

「私からすれば、共産主義者の方が許せませんが」

「詳しい話は別室でじっくりお聞きましょう」

院長は後ろにひかえていた部下に指示し、
私のパパを連行しようとした。

「待ってください!!」

また特大の声が出てしまった。
私は焦ると音量の調整ができなくなる。

護衛の人達まで私を見て固まってしまうほどだった。

「その人は私の実の父です。同士・院長殿。
 その人を逮捕することは許しません」

委員長は、個室の壁に貼ってある私の名前を
確認すると急に焦った。急な入院患者の私が
学園の生徒会副会長だとは思わなかったんだろうね。

「大変失礼しました!! 副会長殿」

他の部下たちも横一列に並び、一斉に頭を下げる。
そして走って去って行った。

こんなにあっさりと引いてくれるとは。
院内は走ったらダメなんじゃなかったの?


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