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作品名:『学園生活』改 〜愛と収容所と五人の男女〜 作者:なおちー

第27回   12月31日 昼
12月31日 朝 病院にて

〜堀太盛〜

「お坊ちゃま。目が覚めたようですな」

俺は見覚えのある病室にいた。

この個室は、かつて斎藤マリエが
入院していた場所と同じ作りだ。
間違いなく、あの総合病院だろう。

病人服の中には大量の包帯が巻いてある。
点滴のチューブが腕から延びて、キャスターに続いている。
点滴の袋には、俺の名前と日付が書かれている。

「言葉を話すことはできますか?」

「なんとかな。動かすことができるのは口だけだ。
 体を動こうとすると悲鳴を上げるよ」

「左様ですか。命があるだけでも幸いに思いましょう」

俺と会話をしているのは、
ハクシキジョウの能面をした男だ。

俺はこの男を知っている。親父の実家で執事をしていた男だ。
親父が生まれ育った家。つまり堀家の本家に当たる場所だ。
親父殿は次男。本家を継いだのは兄貴だ。

能面の男とは親戚同士の会合で毎年会っていた。
会話は社交辞令しかしてない。顔見知り程度だよ。

「あの爆破はなんだったんだ?」

「はて。爆破とは?」

「とぼけるなよ。ミウも重傷だったはずだ」

「あいにく私は太盛お坊ちゃま達が入院されていると
 の報告しか受けておりませんので。どういう経緯で
 お怪我をされたかは存じておりません」

「その言い方だとミウも入院しているんだな?」

「はい。ここから少し離れた部屋にいますよ」

「そうか」

「はい」

俺が会話に間を開けると、男は黙り込んだ。
こいつは空気を読むのに長けている。

俺から質問するとなんでも答えてくれる一方で
俺が話しかけない限りは、基本的に自分から
話題を振らない。

つねに聞き手に回るのは、仕事柄よりも
こいつの慎重な性格からきているんだろう。

上流階級が集まるパーティでも
特に女性陣からの評判が良いらしい。
俺は油断なく目を細め、男に言う。

「あんたは……ただの人間じゃない」

「自分では普通の人間だと思っておりますが」

「あんたが前に言ったよな? 
 俺が念じることで世界を終わりにすることができると」

「ええ。確かに言いました」

「実際に別の世界に飛んだはずが、
 また元の世界に戻ってるじゃないか。
 俺はなぜ今もこの次元にいる?
 ちゃんと納得できるまで説明してくれ」

「私にもよく分かりませんので」

「なんだと?」

「いえいえ。ふざけて言っているわけではありません。
 例の鏡の力の暴走でしょうか。
 我々は生きていながら、時空をさまよい、死後に復活し、
 生まれ変わり、帰るべき場所を失っています。
 生物としての死さえ迎えることができない。
 もはや呪いとしか思えない状況になっています」

「鏡だと……。親父殿が神社に隠していたというあれか?」

「左様です」

「親父が触れることさえ許さなかったあれを、
 あんたが持ち出したのか」

「ええ。ミウ様に運命を託すためにお渡ししました」

俺は事の経緯を詳しく聞いた。
なるほど。こいつとミウが蒙古で死んだ俺のことを哀れんだと。
そして俺とエリカの結婚が諸悪の根源だとして
それを阻止しようとするために鏡の力が必要だったと。

「ですが、ミウ様が共産主義者になったことを懸念していました。
 私は遠く離れた場所からお二人の様子を見守っていましたが、
 いよいよこの世界にも見切りをつけるべきだと判断しました」

彼もミウと同じように鏡にまじないをしたが、
失敗し、結果的に鏡が暴走してしまった。

鏡は転生、再生、転位などの力を無限に行使するようになった。
鏡には神の意思が宿っている。神が一番気に入ったのは、
なんと斎藤マリエだった。

「太盛様がエリカ様と結婚される次元では、
 あの学園は普通の学校でした。
 断じて共産主義革命は起きていません。
 この次元はおかしいことがたくさん起きています」

斉藤マリエとして転生したマリンは、過去の記憶をすべて
取り戻し、自由に姿を変える能力まで有してしまった。

「マリンお嬢様はイレギュラーな存在です。
 現在は神の力の一部を借りることができるそうです。
 死んだ人を生き返らせることも出来るでしょう」

「まったくすごい力だよ。神道の神様はユダヤが起源らしいな」
「私はその節は信じておりませんが、神の力は誠に偉大でございます」

ムスリムを思わせる口調。
この男の信仰心の強さが伝わってくる。

こいつは仏教徒ではなく神道の方か。
俺は、何を信じたら良いのか分からない。

俺の人生のゴールはどこにあるんだ?
無事にこの学園を卒業するのが目的だが、
昨日副会長のミウを振ったばかりだ。
いや、昨日と言えるか。あれから何日たった?

棚に置いてある細長の電子時計には、
12月31と表示されている。
太陽は雲に紛れつつも、どんどん高く昇っていく。

「太盛様はミウのことは考えなくてよろしい。
 あの子と関わらないほうが賢明です」

「もちろん別れるつもりだったけどな。
 学校が始まったら嫌でも会うことになるが」

「無視して結構。一言も話す必要はありません」

「さすがに冷たすぎないか?
 ミウを刺激したら俺が収容所行きになる」

「そのような心配は無用ですな。
 マリンお嬢様が太盛様をサポートしてくださいます。
 何をするにしてもマリン様が太盛様を
 お守りしてくださいますよ」

「そっか。それなら安心だな」

「はい」

そのマリンがここにいないのは不自然だな。
どんな時でも俺と一緒にいるのを望む子だ。

扉が控えめに開けられた。
看護師さんでも来たのかと思っていたら
懐かしい顔がそこに会った。

「こんにちは。太盛君様のお見舞いに来ました」

橘エリカ。コートに身を包んでいた彼女は、
それを上品に脱いで、ベッドの片隅にある、
かごの中に入れた。

俺の包帯だらけの姿を見ると、涙ぐんでしまった。

「ひどいお怪我……。ここまですることなかったのに」

「あのマンションから抜け出すには、これくらいの
 荒療治は必要だったと思ってますが」

「彼に怪我させたら、だめじゃない!!」

「病院ではお静かに」

「ふん。あなたのせいなのによく言うわ。
 私は彼と2人で話したいから、出て行って」

「承知いたしました」

うやうやしく礼をし、滑るような歩みで消えていった。
品性と不気味さの両方を兼ね揃えた、風変わりな男だ。
俺の生涯であんな男を二人と見ることがあるだろうか。

「太盛様。落ち着いて聞いてくださいね?」
 あの爆破を仕込んだのは能面なのです」

奴が、ミウの家から俺を引きはがす目的で
マサヤに爆破テロを依頼したそうだ。
爆弾は、1年の進学クラスが設計図を
作っていたのを参考にしたとのこと。

校内で超有名な、爆破テロ未遂事件のことだな。

エリカは、能面から頼まれて、会長経由で
その設計図を入手した。生徒会が保管している
一級資料を手に入れるなんてすごいな。
よくナツキ会長が手渡したものだ。

それよりも気になるのは、
マサヤが爆破テロを任された理由だ。
本人が同意したとは思えないが。

「マサヤは死んだのか?」

「意識不明の重体で入院しています。
 ここの隣の部屋よ」

この世界に終わりがないことを憂いていたのは、
能面も同じだった。時期を見てミウのマンションで
爆破テロを実施し、俺とミウの共同生活を文字通り
破壊したくなったとのこと。なんだそれ。

第一、 爆破なんてしたら死ぬだろうが。
俺が生きていることが奇跡としか言いようがない。
やってることがめちゃくちゃだぞ。

「マサヤの弱みに付け込んで、無理やり爆破テロを
 させました。言い方を変えると強迫…ですが。
 使ったのはC-4コンポジションという、世界的に 
 有名な爆弾で……」

そんな専門的な説明をされても分からないし、興味ない。
エリカは気持ちよさそうに話しているので
俺は聞いてるフリを続けていた。

「ミウは?」

「それは……」

明らかに言いよどんだ。

「生きてるんだろ?」

「ええ。一応」

「一応っていうのは?」

「体の状態は太盛様と同様です。全治一か月程度の怪我だから、
 すぐ退院できると思います。問題は心です。太盛様に
 振られたのがショックで、人が変わってしまって」

「それは性格が変わったという意味か?」

「間違ってはいません」

エリカは、何かを隠している。
俺は彼女の手を握り、何を聞いても驚かないから
話してくれと頼んだ。

手を握っただけでエリカの頬が赤く染まる。

「太盛様をミウに会わせるわけにはいきませんわ」

「もともと進んで会いたいとは思ってないから安心てくれ」

エリカは、俺の手の上に自分の手を添えた。
その手をずっと離したくないという強い思いが伝わってくる。

別の世界で結婚相手だったと知ってからは、
エリカに対する考え方が100%変わったよ。
エリカと結婚して子供まで作っていたなんて、
今でもおとぎ話にしか思えないよ。

「俺たちってさ」

「はい」

「いや、エリカは俺みたいな男と結婚したいと思うか?
 唐突な質問でごめんな」

「いいえ。全然唐突じゃありませんわ」

エリカは真顔になり、続けた。

「太盛様と私は確かに結婚していましたから」

その口ぶりからして、すでに過去の記憶を手に
しているのは間違いなさそうだ。

「双子の娘の名前を言えるか?」

「レナとカリンです」

やはりな。
エリカも俺と同じく、高校生の時点で
未来の可能性の一部を知ってしまっている。

予知能力者に正確な未来を占ってもらったのに
近い状態だ。戸惑っていないはずがない。
俺と会話するのさえ気まずくなってもおかしくない。

「未来がどうであろうと、私の意思は変わりません。
 私は太盛様と婚約し、結婚します」

「俺みたいなクズと結婚して君が本当に幸せに
 なれるんだろうか? 君ならもっと違う相手、
 もっと立派な男性を選べるだろう」

「私は未来の可能性を知ったことを好意的に解釈しています。
 私達は、二度とあのような過ちを犯さないように
 すればいいだけです。簡単なことでしょ?」

俺はすぐに言葉を返せなかった。

君が蒙古の奥地にまで追いかけて来た時、
あまりの執着心の強さにゾッとしたよ。

夫婦の仲は、普通の離婚手続きができれば
済む話だった。互いに生活資金の心配は
しなくてよかったから、すぐに話がまとまるはずだった。
なのに。親父殿と君が認めなかった。

その結果がどんな悲劇を生んだか。

ユーリが死んだ。
俺たち家族は蒙古陸軍に捕まった。
中国経由で北朝鮮に売られ、強制収容所へ送られた。

あの負の歴史を正すことが
簡単なことだと思っているのか?

「あなたを束縛しなければいいんでしょ?」

携帯のチェックとか、会社の飲み会の参加を禁止するとか、
会話中にエリカ以外の女性の名前を出すのを禁止とか、
娘とお風呂に入ったり、買い物に行くのを禁止とか。

いろいろ禁止事項があったよな。一種の法律と化していた。

「私は妻としてあなたの力になりたいだけ。
 今後はあなたの邪魔になることはしないと誓うわ。
 娘たちと好きなだけ遊んであげて。
 飲み会に行きたいなら好きなように行って。
 残業とかで会社の帰りが遅くなっても詮索しないわ」

そう思ってるのは今だけだろうと、言ってしまいたかった。

エリカはいつになく真摯な態度をしている。
椅子に腰かける姿さえ優雅である。
両手を品よく重ねて膝の上に置き、
背筋を伸ばしている。

本当に俺に信じてほしくて言ってるのは分かるよ。

学園の話だが、朝礼の時にエリカにスパイ容疑が
かかったことがあった。エリカの他にも6人ほどの
男女の容疑者の名前が呼びあげられた。

スパイ容疑者は収容所か尋問室行きになるのが恒例だ。
俺は壇上に上がり、会長と副会長に
土下座してエリカを救ってあげた。

あれ以来エリカは俺を様付けで呼ぶようになった。
見ての通りすごく慕ってくれている。

少なくとも。現時点ではあれがエリカの本心なのだろう。
エリカの俺に対する好意は本物だ。
本当に旦那を支えてくれるような女性だったら、
俺だって喜んで婚約したいくらいなんだよ。

エリカの顔は結婚してからも飽きてはいなかったよ。
ぶっちゃけ会社の女の子達より綺麗だった。
君が30過ぎてからもそれは変わらなかったよ。

令嬢らしく上品な言葉遣いや仕草も、
最初の頃はときめいたものだ。

「俺は君のことが嫌いだったら、
 結婚なんてしてなかったよ」

「私は今でも太盛様への気持ちは変わっていません。
 婚約の件ですが、私のお父様へ話してもいいかしら?」

俺は少しだけ考える時間が欲しいので、
保留にする旨を伝えようと思った。

するとタイミングよく扉が開く音がした。
今度こそ看護師さんか主治医でも来たのか。
俺はエリカと共に扉を注視した。

「こんにちは。あっ、ごめんなさい。
 お話し中でしたか?」

斉藤マリエだ。
マリンではなくマリエの姿だ。
何か意図があるのか?

「ついさっきミウさんの病室にお見舞いに
 行ってきたところなんですよ。
 そしたら見てくださいよ。これ。
 手のひらを引っかかれました。うえーん」

わざとらしいぶりっこ。
女子高生の姿でやるとあざとすぎる。

手のひらは確かにひっかいた跡がついていた。
かなりの力でやられたな。痛そうだ。

「マリエの首にも何か跡があるが……」

「これですか? ミウさんに首を絞められました」

思わずゾッとした。おそらくマリエの方から
挑発したのだろうが、ミウの攻撃性の高さは異常だ。

「いえいえ。私は何もしてませんよ?
 お見舞いに果物を持っていったんですけど、
 言葉を交わす間もなく首を絞めてきました。
 すごい形相でしたね。鬼ですよ鬼」

「ミウの精神状態はだいぶやばそうだな」

「太盛先輩に振られたのがそれだけ
 ショックだったんじゃないですか?」

エリカは居場所がなさそうに視線を泳がせている。
あの子が娘だと知ってからは気まずいだろうな。
しかも夏休みにマリエを拷問までした。

二人の仲は修復不可能なレベルだ。
学校では美術部の先輩後輩で仲良しだったのに、
ここまで関係が悪化するなんてまさに芸術的だよ。

「ところでエリカ先輩」

「な、なによ」

「先ほど太盛先輩と楽しそうな話をされていたようですね。
 婚約とか考えてるんですね。頭大丈夫ですか?」

「あなたに口出しされることではなくてよ」

「いいえ。口出ししますよ。なにせ私は太盛様とは
 深い関係にありますからね。しかもエリカ先輩は
 一度太盛さんに捨てられてますよね?
 自覚あります? エリカ先輩は太盛先輩に嫌われ…」

「過ちは、何度でも悔い改めることができるの!!」

「聖書の引用か何かですか? バカらしい」

「これは太盛君と私が決めることなのよ!!
 あなたに口出しされるのは不愉快だわ」

「だから、関係者だって言ってるじゃないですか。
 これでもかつて娘でもありましたから」

「何が目的で私と太盛君の仲を邪魔するの?
 ミウは振られたわ。それだけじゃ足りないの?」

「全然足りませんね。
 エリカ先輩も彼を諦めてくれないと」

「あなたは彼の娘でしょうが!!
 娘が父親を母から奪おうとするなんて
 普通じゃないわ!! あなたは異常よ!!」

「私は斎藤マリエとしてこの世界に存在できます。
 どういう意味かお分かりですか? 
 私は、太盛さんの一つ年下の女子です。
 付き合うことも結婚することも可能です」

「あなたがどれだけ屁理屈を並べようと、
 最後に決めるのは太盛君よ」

「それはそうかもしれませんけど、その理屈でしたら
 太盛先輩はマリエのことを一番に愛してると
 三号室にいる時からおっしゃってますね。
 生徒会の議事録に発言記録が残っていますけど」

確かに俺はそう言っていた。
実際に小倉カナよりもマリエを愛していた。
もちろんミウよりも。

自分の発言に責任を持てと言われたら、
マリエと付き合うことになる。
結婚はまだまだ先の話になるが、とりあえず
エリカの件は断らないといけない。

だが、マリン。君はいったい何者なんだ。

君に言ったら怒るだろうけど、モンゴルにいた時も
君が来てから話が混乱したのは事実だ。

ユーリはファザコンをこじらせている君のことを
本気でうとましく思っていたぞ。この世界では
高校生の姿で現れて、俺とミウの関係を壊した。
結果的には、という意味だが。

俺自身、なぜかマリエには惹かれてしまう。
娘だと知ってからも好きになってしまう。
異性として見てしまう。なぜなんだろう。

妻のエリカよりも、愛人のユーリよりも、
この世界で出会ったミウよりも、
全てにおいてマリンが優先されるのか。

これは世界の運命の法則に等しい。

俺を一番に縛り付けてしまうのは、実は堀マリンなのだ。

「先輩が私を選んでくれたら、この世界の
 ループから抜け出せるかもしれませんね」

それは確かに魅力的な提案に思えた。

俺には罪悪感がある。ミウを振ってしまった。
ボリシェビキになったミウを受け入れなかったのだ。

ミウが狂った遠因が俺にあるのだろうか。
俺が生徒会に逮捕されなければ、
ミウが生徒会に入ることはなかった。

当時の生徒会長のアキラに目を付けられたのがきっかけだ。
今思い出したけど、アキラはエリカの兄じゃないか。

俺はかつて妻がいた身でもあるのに、
心から女性を愛したことがあるのか自信がない。

猛烈な恋心と言うか、バカげた逃避行まで
考えてしまったのはユーリだけだ。

エミのことも好きだった。憧れていた。
年上のお姉さんで心の癒しだった。
いつまでも彼女に甘えていたかった。

「エミに会いたい」

俺は小声でとんでもないことを口にしてしまった。
今言うべきじゃないのは痛いほど分かっている。
エリカとマリエが同時に殺気を放ち、部屋の空気が重くなった。

エリカはエミを知らないだろう。
悔しそうな顔をしている。さっきはしつこくしないと
言ったくせに、尋問したくてうずうずしている。

マリエは笑顔を崩さずにこう言った。

「エミって新しい彼女の名前ですか?」

違うと否定したかった。だが、マリエから感じる
プレッシャーにおびえてしまい、何も返せない。

「ミウに飽きたから新しい彼女作ってたんですか?
 ねえ先輩。黙ってないでちゃんと答えてくださいよ。
 エミって人は誰ですか?」

「ちゅ、中学の時に付き合っていた人だよ。
 今は別れているけど」

「へー。そんな人いたんですか。知りませんでした」

目元が全く笑っておらず、なおも殺気を放っている。
警察に尋問されるとこんな気持ちになるんだろうか。
エリカは拳を強く握っており、瞳の奥が燃え盛っている。

「別れたはずなのに、なんで今エミに会いたいって
 言ったんです? もしかしてまだ未練があるとか?」

全くその通りだから困る。
困ったことがあったら何でもエミに聞いてもらった。
たとえ解決しなくても、聞いてもらうだけで楽になった。
あの人は俺にとって頼りになるお姉ちゃんだったんだよ。

「携帯借りますね」

「あっ」

ベッドサイドに置いてあった俺のスマホは
一瞬でマリエに奪われてしまった。
マリエは何を思ったのか、LINEで
エミにメールを送っているようだった。

「何してる?」

「メッセージを送っておきました。
 俺のことは忘れてくれ。
二度とメールをしてくるなと」

「面白い冗談だ」

「冗談に見えます? どうぞ見てください」

俺は、昔色々お世話になったエミに
こんな無礼なことをしたマリエを怒鳴り散らしたかった。
エリカがよくやったと言いたそうな顔で見てるのが悲しい。

「先輩。怒ってますね」

「俺が笑ってるように見えるのか」

「先輩が悪いんじゃないですか」

「なに?」

「すぐ他の女に目移りするから」

「目移りって言えるのか。
 ちょっと名前を出しただけじゃないか」

「先輩が他の女のことを考えてると
 胸がムカムカして我慢できなくなるんです。
 エリカ先輩もこの気持ち、分かりますよね?」

エリカは少し考えてから、
ゆっくりと首を縦に振った。

「前から思っていたんですけど、先輩って
 女たらしですよね。一人の女をとりこにするくせに、
 釣った魚には餌を与えないみたいな態度を取って。
 人を傷つけるんですから」

「俺からすれば、君のやってることは束縛だよ。
 奥さんだった頃のエリカと同じことをしている」

「太盛先輩はなぜか束縛したくなるんですよね。
 女を意地にさせる何かがあるんです。ちょっと
 放置しておくとすぐ他の女を見つけちゃうんだから」

「マリン。君はパパを困らせないんじゃなかったのか?」

「パパこそ私を困らせているじゃないですか。
 ユーリを選んで私達を置いて行ったくせに」

「それは……昔の話だろ」

「でも現実に存在したことですよ」

「エリカの束縛がなければ逃げなかったよ」

「ママだけのせいにはできませんよ。
 たぶん他の人が奥さんでも束縛したかも」

「どういう意味だ?」

「分かりやすく言うと、パパは女を狂わせているんですよ。
 モンゴルでユーリを間接的に殺したのはパパでしょ?
 あの逃避は意味あったの? ユーリは生まれ変わっても
 パパと関わりたくないと言ってますけど」

それはマリンにだけは否定してほしくなかった。

「ユーリは今でもパパの前に現れないですよね?
 つまりそういうことなんですよ。察しましょう」

ユーリに対する未練は一生消えることがない。
俺はあの子に何度謝っても謝り切れないほどの
罪を犯してしまった。俺がおとなしく
日本で暮らしていれば、あんなことには……。

「マリン。もうよしなさい。
 モンゴルのことは家族みんなが反省すべきこと。
 太盛様だけのせいにしないで」

「ママの管理が足りなかったのも原因の一つです」

「管理?」

「太盛パパを逃げられないように檻の中にでも
 閉じ込めておけばよかったんだ」

この娘は……誰だ?
マリエの容姿だが、中身は堀マリンのはずだ。

口調は若干レナに近いが、まさかあの子と
入れ替わったわけじゃあるまい。

俺がマサヤに爆破テロをされる以前のマリンと何かが違う。
あれからたった一日しか経ってないはずなのに。

「ママ。特別に妥協してあげる。
 私と共同でパパを管理しようよ」

「何を言ってるのよ」

「だから、パパの自由を奪おうって言ってるんだよ。
 2人でやれば今度はうまくいくよ」

「私は野蛮なことはしないわ。
 さっき太盛君に誓ったばかりよ」

「うふふ。本当は束縛したくてしょうがないくせに。
 さっきエミの名前を出された時、どう思いました?
 心がぐちゃぐちゃにかき乱されるような気持に
 なりませんでした? エミがこの世から消えてしまえば
 いいと思いませんでしたか?」

「……太盛君に嫌われたら意味ないわ」

「長い目で見れば、そのうちパパも察してくれますよ。
 逃げても無駄だってことにね。
 さあ、太盛お父様。今は太盛先輩とお呼びしたほうが
 いいのかな。パパにはもう自由はいらないよね?」

「ちょ……なにを」

負傷して体の自由がきかない俺の手に、拘束用の
バンドを付けてきた。暴れる患者を押さえるための
道具だから、見た目は物騒じゃないが、
とにかく自由が奪われてしまった。

「足もだね」

足首にもバンドが巻かれてしまった。
俺の両手両足は、バンドのテンションがかかる位置までは
動かせるが、自力でベッドからは抜け出せない。

冗談だと言ってくれ。
実の娘にこんなことされる日が来るとは。

「お父様と今後も仲良くしたいですから、
 けじめをつけるための儀式だと思ってください。
 怖いですか? ごめんなさい。こっちだって必死なんです。
 こんなマリンでもお父様は愛してくれますよね?」

「拘束を解いてくれたら答えるよ」

「今答えてください」

「答えない。答えたくない」

「答えてください」

「いやだ」

マリエは、鏡付きの棚の扉を開け、
ビニールの袋を取りだした。
スーパーとかでもらえるやつだ。

ふーっと中で息を吹き、目いっぱいふくまらせる。
間髪入れずに俺の頭にかぶせてきた。

「あ……」

俺は反射的に息を大量に吐いた。
これが悪循環の始まりだった。
袋の中で二酸化炭素の濃度が高まり、
脳に送られる酸素が不足する。

呼吸をすればするほど苦しく、
窒息するのを速めてしまう。
苦しいなんてもんじゃない。
死が目前まで迫っているのが分かる。

水の中に顔を突っ込んだのと同じ感じだ。
俺は枕に顔を沈めたまま、苦しさから逃れるために
顔をバカみたいに左右に振っていた。

マリンがビニールをしっかりと押さえているから、
俺は抵抗することはできない。
目に入れても痛くないと思っていた愛娘に、
俺は殺されかかっているのだ。

「マリン!!」

エリカがマリンをビンタして、すぐに袋を外してくれた。

「はっ。はーっ」

俺は新鮮な空気をただ吸い込むのみ。
あと少しで意識を失うとこだった。
最悪、急激な酸欠により脳に
後遺症が残るかもしれなかった。

「おまえは自分のお父様になんてことをしたの!!」

エリカの怒りは収まらず、マリエにイスを投げつけた。
面会用に用意されたパイプイスだ。
全力で投げられたから、痛そうだな。
マリエは左腕でガードしたが、たぶん怪我したと思う。

「この馬鹿娘!!」

長い髪を根元からひっぱられても、
感情のない人形の顔をしている。

エリカの往復ビンタがマリエを襲い、
顔が右へ左へと激しく揺れる。
その間も冷たい瞳が、ただ俺を見つめていた。

全身に鳥肌が立つほどの不気味さがある。
マリンが普通の人間ではないことを確信させた。

「ママ……。ごめんなさい」
「謝るなら太盛様に謝りなさい!!」
「パパは許してくれる? ほんの出来心だったの」

俺は無言で目をそらした。
この娘に対し、何も答えようがない。
今殺されそうになったばかりで俺も
激しく動揺し、興奮している。

俺だってマリンを叩きたいくらいだ。
たぶん怪我してなければエリカほどじゃなくても
体罰はしていたと思う。
それだけのことをこの娘はやった。

「太盛パパ。ごめんなさい」

その声に感情は一ミリもこもっていない。
お前には罪悪感がないのか?
俺は悲しみに耐えられず、涙を流し、肩を震わせていた。

大好きだったマリンが、俺を許しくれる存在
だったあの子が、どうして……
俺は何を信じればいいのか分からない。

「斎藤マリエの私は、夏休み前にエリカママに拷問された。
 ミウにも地下室で拷問されそうになった。
 収容所7号室に送られた。3号室にも行かされた」

全ては生徒会の影響でマリンの心に鬼を
生んでしまったというのか?
だが解せない。昨日までのマリンはパパっこで
優しい娘だったじゃないか。

「ボードゲームで例えると、スゴロクと同じ
 日付が変わると。何かが起きる。変化が起きる」

何を言われても、考える余裕がない。
考えようとすると気が狂いそうになる。

視界の右隅に黒い点が現れたかと思うと、
激しくめまいがした。

ぐるんぐるんと、視界が回っている。
同時に強い吐き気が襲ってくる。

誰か。洗面器を持ってきてくれ。
俺を殺そうとした袋でもいい。
もうだめだ。我慢できない。

嘔吐するよりも前に、奇跡的に眠気の方が勝った。
上半身を起こしていた俺は、そのまま
前のめりになるように倒れてしまう。

『どうしましたか? 顔色が優れないようですが』

『私は蒙古を死に場所に選んだことを
 後悔したことは一度もありませんわ』

記憶の中に眠っていた、
ユーリのメイド口調が聞こえた気がした。


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