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作品名:『学園生活』改 〜愛と収容所と五人の男女〜 作者:なおちー

第24回   12月29日 正午 訪問者あり
12月29日 正午 高野カコと食卓にて

〜堀太盛〜

「2人とも、まだパジャマ着ているの?
 お昼ご飯作ったから食べに来なさい」

俺とミウは順番で歯を磨いた。
最低限の身支度を
済ませてからダイニングに顔を出す。

今日のお昼はでっかいハンバーグか。
ハンバーグの上に目玉焼きが乗っている。

クロワッサンもあるが、まさかこれも手作りなのか?
均一に焼き色がついていて、プロ並みの焼き具合だぞ。
素人目にしてもこれは出来過ぎている。

「太盛君は洋食の方が好きでしょ?
 ハンバーグは自作だけど、
 パンはお店で買ってきたのよ」

他にはミネストローネとイタリアン風のサラダだ。
シーザードレッシングがかかっている。

「こんなにお肉食べたら私太っちゃうじゃない」

「ミウは学生なんだから平気よ」

母と娘で普段からこんなやり取りをしていたんだろうか?
このハンバーグは良い。見てるだけで食欲をそそる。
ずいぶんと脂ぎっているが、不健康なものほど
食べたくなるものだ。

これにポテトと脂ぎったタマネギが並べば、
ドイツ人の家庭料理といったところだろう。

「ドイツのことは口にしないで頂戴。不愉快だわ」

なんでだよ。さらっと冗談交じりで言っただけなのに。
共産主義者(ソ連)のドイツ嫌いは深刻だな。

ママさんはテレビをつけた。
民法で正午のニュースが流れている。
芸能人や政治家のくだらない話題。主にスキャンダル。

ふむふむ。財務省の事務次官が女性記者にセクハラ発言を
繰り返していた……。まったく死んだほうが良いね。
エリートのくせに裏でやってることは底辺じゃねえか。

ミウは、小声で「変態おやじは死ねよ」と言っていた。
気持ちは分かるぜ。

ああいうお堅い仕事をしてる奴に
限ってセクハラをするんだよ。
教え子に手を出す教師とかな。
小学生相手にセクハラとか、頭おかしいだろ。

それを口に出すと、
ミウに侮蔑(ぶべつ)の目で見られた。

「なんだよ?」

「いや。君には自覚がないのかなって」

なんのことだか分からんが、まさか
俺をロリコンだと思ってるのか?

バカを言うな。別の次元の俺がどうだか知らんが、
今の俺は普通の高校二年生だ。何もおかしいことはない。

ママさんまでしらけた顔で俺を見るのはなぜだ?
くそ。飯がまずくなる。話題を変えよう。

「ミウは君、という二人称をよく使うよな。
 日本人にしては珍しい。英語の影響か?」

「あー、これはフランス人の友達の影響だね。
 ロンドンの時に同じクラスの男子でフランス人がいたの。
 ものすごい片言の英語を話す子で聞き取りにくいから、
 私の方がフランス語を勉強して話してあげたの」

「ミウはフランス語が話せるのか?」

「挨拶程度だよ。いちおう買い物はできるレベルだけど。
 で、フランス語は二人称を大切にする言語なの。
 親しい人には男女関係なく君と呼ぶ。フランス語
 だけじゃなくて、欧州大陸の他の言語でも同じ。
 ドイツ語とかスペイン語でも君って呼ぶの」

「へー。知らなかった」

はっきり言って俺にはどうでもいい知識ではあるが。
やはりミウは欧州の文化が入っているから、
雰囲気が日本人とは違うのかと納得。

テレビのゴミみたいな情報を
聞き流しているママさんが言った。

「あ、そうそう。
 逃げた家族なんだけど、捕まえたわよ」

「逃げた?」

「この前の会議に欠席した党員(住民)が
 2名いると言ったでしょ?
 あれ、30代の夫婦だったのね。
 国外逃亡を計画していたらしくて
 今朝、成田空港で捕まえたわ」

「その2人は今どこにいるんですか?」

「檻に収容されているわ。
 興味があったら後で見に来なさい」

反革命容疑者の名前と顔写真の乗ったリストを渡された。
逮捕された人の名前は……。高木カズヒト。ミズホ。
ごく普通の夫婦にしか見えないが、夫婦ともに
年収600万を超える高給取りで、子供はいない。

個人情報満載だな、出身大学から、実家の家族構成まで
書かれている。正直こんなもの手渡されても困る。

「今夜拷問の予定だから、ミウと太盛君も見に来なさい。
 仕事とか用事の入ってない人は
 強制参加のイベントにするから」

今朝の会議では、まさにその拷問の段取りについて
話し合っていたらしい。なんて恐ろしい会議だ。

テレビは国内の殺人事件の話題に移っていた。
20代の父親が、乳幼児を激しく揺さぶって
死亡させるという、日本ではよくあるニュースだ。
この手のニュースは定期的に流されるな。

「ほんと頭悪いわね」

ママさんは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
俺も同意だよ。

幼児の死亡パターンも首を絞める、体重をかけて殺す
など数種類しかない。その後、死体を遺棄するか。
もしくは自宅で息をしてない幼子を見つけて
通報されるのもおなじみのパターン。

野球で打者が三振したらアウトになるくらい、
決まり切っていることなのだ。

現在までにこの流れが止まることもない。
若者の行動は機械みたいに決まったパターンを
繰り返していてニュースにも飽きる。

「最近の若い人は困ったものね。あなたたちも
 ああならないように気を付けなさいよ?
 ちょっと喧嘩したら性格の不一致とか
 ぬかして離婚するパターンも認めないわよ?」

「はは……」

俺だけじゃなくミウも苦笑いしている。
時間軸では、つい今朝ミウがマリンを
殺したばっかりだ。別の世界から来た俺の娘をな。

日本の報道ではモンゴル・ナイフで子供を
殺した例はさすがにないだろうな。

「ミウちゃん。今日は口数が少ないわね?」

「そんなことないよ。普通だよ」

「太盛君と距離を取って座っているし、
 さっきから太盛君を横目でチラチラ見てるわ。
 今朝何かあったの?」

おい。ババア。俺をにらむのをやめろ。
何もしてねえ。正確には『俺は』何もしてねえよ。

「ママ。太盛様は何もしてないよ」

おっ、良いタイミング。俺の心を読んだのか?

「せまる、さま?」

「あっ」

カコさんが明らかに不審に思っている。
俺だって今でも戸惑っているよ。
同い年の人を様付けとか普通じゃないよな。
そういえばエリカも俺のことを太盛様と呼んでいたな。

俺が無理やり呼ばせていると周囲に誤解されそうだ。

「私は自分の意思で太盛様とお呼びすることにしたの」

「ミウちゃん。変なものでも食べた?」

「違うよ。私は太盛様のこと尊敬しているの」

「そう。尊敬しているのね。それは分かったわ。
 ママは急すぎると思うんだけど。昨日までは
 太盛君だったのに、今日から変わったのはどうして?」

「太盛様は、私のご主人様だからです」

ババアは切れそうな顔で俺に言った。

「あなた、私の目の届かないところでミウを調教した?」

「逆にどうやってするんですか?
 俺の方が立場が弱いことはあなたもご存知ですよね?」

「……納得できないわ。私は分からないことは
 分かるまで追求しないと気が済まないの。
 ミウは私の娘よ? 太盛君をしばらく
 尋問させてもらってもいいかしら?」

このばあさんは、クローゼットの奥にある
拷問器具をごそごそと漁っている。
おいおい。何やってるんだ。
早くこの馬鹿を止めないと拷問されちまう!!

「太盛様に何をするつもりなの!!」

「きゃっ」

ミウがママさんを突き飛ばしたのだった。
転んだママさんは、驚愕して
すぐに起き上がれないでいた。

「ミウちゃんに突き飛ばされたのは反抗期の時以来ね。
 あの時のミウちゃんは学校から帰ってくるたびに
 イライラして、物に…」

「そんなこと、今はどうでもいいよ!!
 太盛様に尋問するとか言ってたけど、
 そんなの私が許さないから!!」

「許さなくていいわ。もはやそういう次元の話じゃないのよ。
 学園のボリシェビキ筆頭のミウを洗脳した『恐れ』がある。
 太盛君を住民会議へ連行して取り調べをするべきね!!
 その方が公平だし、ミウも納得できるでしょ?」

「どっちにしろ拷問するんでしょ!! だめだよ!!
 私は何があっても太盛様の味方だから、
 全力で阻止するよ!!」

「一度疑いをかけられた時点で手遅れね。
 太盛君に逮捕状を出すわ。
 ミウはボリシェビキの鉄の規則を忘れたの? 
 それに将来の旦那様は今のうちから
 正しいボリシェビキとして教育しておかないと」

「ボリシェビキ?」

「そう。ボリシェビキ」

ミウは息が荒い。目が泳いでいる。
明らかに動揺している。
俺には分かるぞ。

今の君は共産主義者でいることに耐えられないんだろう。
俺のことを主人扱いするってことは、使用人としての
高野ミウとしての君が戻ったということ。

君は、短期で怒りっぽいけど、根が優しくて
真面目な人間だ。明るくて前向きで、
ジョークを言うのが好きな、
ヨーロピアンな性格をしていた。

落ち込んでいる俺をはげましてくれたり、
双子の娘たちの教育係もしてくれたし、
遊び相手になってくれたりした。

「ミウも取り調べの対象にした方がよさそうね」

「は?」

「今ミウちゃんの目が泳いだでしょう?
 真面目な話をしている最中に目をそらしたり
 する人は、その時点で反革命容疑がかかるわ」

ママさんは住民会議へ電話をかけていた。
その携帯、日本では見ないタイプだな。ノキア?
欧州で超有名なフィンランドの一流メーカーだぞ。

「マ、ママ……? 私はママの娘だよ? 
 大事な一人娘だよ?」

「私は同士レーニンと党のために忠誠を誓った。
 疑わしい者は身内でも罰しろとレーニンはおっしゃった。
 私は、この国の未来のためにあなたを取り調べさせて
 もらうだけ。大丈夫。
 ミウちゃんが無罪になる可能性もゼロではないから」

まったく無意味な取り調べだ。
過酷な拷問の末に適当な容疑を自白させ、
檻の中に閉じ込めるつもりなんだろうが。

レーニンの死後、スターリンが政権を握ってから
ドイツとの開戦まで実行していた拷問はずっとそれだったらしい。

拷問された人は、苦しみから逃れるために
関係ない人の名前を自白してしまい、
その人に『スパイ容疑』がかかり、また拷問される。

その無限ループで、国民が殺されていく。
(最後は銃殺刑)

なんと、戦争開始前に赤軍将校の多数を粛清したほどの
キチガイ国家だ。1930年代から50年代までに
粛清した国民の総数は『70万人』だといわれている。

(どうでもいい知識だが、太平洋戦争前に
 中国大陸に駐留していた、
 日本の関東軍の総数が70万だった)

その危険思想に侵された高野カコは、
ソ連人の末裔と言っても過言ではない。

ピンポーン。

鳴ってはならないチャイムが鳴った。
住民会議の奴らが来たんだろう。

「こんにちわー」

いやに明るい声だな。ごつい男が
来るのかと思っていたが、若い女の子かよ。

「住民会議の命により、
 高野カコを逮捕しに来ましたよぉ☆」

待て待て。色々と間違ってないか?
逮捕される対象が高野カコ?

厳格なボリシェビキが
そんな間違いをするとは思えないが。

「あなた、このマンションの人間ではないわね?
 ふざけてるつもりなら、すぐに通報して……」

高野カコはそれ以上続ける前に、
首に重い一撃を食らい、その場に気絶した。
今の手刀、目に見えないほどの速さだった。

「このおばさんは邪魔だから
 玄関の外に出しておきますね? 先輩」

そこにいるのは斉藤マリエだった。
失語症になる前の、明るい性格だったころの斎藤だ。

「あぁ……うそだと言ってよ……」

ミウは床にぺたんと座り込んでしまった。

斉藤はそんなミウが面白いのか、
近くによって楽しそうに話しかけるのだった。

「ミウ先輩、ひどい顔してますよ。
 私がアポなしで遊びに来たから、
 びっくりして腰抜かしたんですか?」

「い、いやぁ。それ以上近寄らないで」

「あれれー? どうして距離を取るんですかぁ。
 さみしいじゃないですか、ミウせんぱーい」

ミウは震えながら後ずさりをしている。
恐怖のため立ち上がることも出来ないので、
ハイハイして逃げていた。

マリーはニコニコしながら追いかける。
追いかけっこをしている心境なのか、
悪びれた様子は全くない。

「来ないでよおおおお!! 
 お願いだから来ないでええ!!」

「私、こんなに嫌われてたんですか。
 ちょっとショックです」

今度は俺の方を向いたぞ。
マリーは笑顔を全く崩さない。

「まあいいや。それじゃあ太盛先輩。
 私に何か言うことはありませんか?
 私はミウ先輩が住民会議に
 逮捕されるのを阻止しました」

この子の笑顔の裏には、暗い感情が混じっているのだろう。
外見は斉藤マリエでも、中身はマリンだ。
今回は失語症前のマリエの姿で現れたのか。
はっきり言って趣味が悪い。

俺はこの当時のマリエに恋心を抱いていなかった。
ミウはまだ友達だった。あの6月から7月にかけての
熱い季節。肌にまとわりつく汗。じめじめした空気。
三人で歩いた田園風景、ローカル線。俺の家までの道のり。

嫌でも思い出してしまう。

むしろ思い出させようとするのがマリンの狙いなのか。
だが、なぜ今更? マリンの真意が読めない。
 
マリンはミウに殺意を持っているとユーリに教えられた。
明確な殺意だ。
ここで俺が受け答えを間違えれば、ミウが殺される。

「ありがとうな。マリーは優しいし、
 気が利くから、いてくれると助かるよ」

「やっぱりそうですよね☆ えへへー。
 太盛先輩に褒められちゃいましたぁ。
 もっと褒めてくれるとうれしいです」

「よ、よしよし。こっちにおいで?」

恐怖心を表に出さないように細心の注意を払う。
マリエの肩を抱き、こっちに引き寄せた。
ハンドボールくらいの小顔を俺の胸に当てて、
後ろ髪を撫でてあげる。

まるっきり子供をあやすような動作だが、
たぶんマリーはこういうのを望んでいるんだと思う。
見た目は高校生でも中身は俺の娘だ。

「先輩とずっとこうしていたいです」

やはりそうか。

「俺もだよ。マリー。君とこうしていると、
 なんだかなつかしい感じがするよ」

「そうですね。でも先輩には最近お会いしましたよね?」

「……収容所三号室のことかな?」

「学校じゃないですよ。学校でしたら、
 地下の拷問室が一番記憶に残ってますけど。
 あのまま本当に拷問されるのかと思って、怖かったですぅ」

まずい話題になっているぞ。
俺はマリーを抱く力を強くして、甘い言葉をささやいて
うやむやにしようと思ったが、ダメだった。

「もっと他の場所でお会いしたじゃないですか」

「えっと、会議室かな? 携帯を返してもらった時の」

「違いますよ」

「じゃあどこだい?」

「外国に決まってるじゃないですか」

マリーは、顔だけがミウの方を向き、
恐るべき低い声でこう言った。

「ミウさんはモンゴルで私を刺し殺しました。
 忘れたとは言わせませんよ?」

この一言は決定的だった。
この少女の正体は堀マリン。俺の将来の娘。
ユーリの言っていたことは真実だった。

「私、結構根に持つタイプなんですよねー。
 やられたことは百倍にして返さないと
 気が済まないんですけど」

「ひっ……ごめんっ……なさい……マリン様……」

「マリンって誰のことですか?
 私は斉藤マリエですけど?」

「すみません。マリエ様……」

「そんな、思ってもないのに様、 
 なんてつけなくていいですよ。
 ミウ先輩が文字通り殺したいほど私を
 憎んでいたのはよく分かりました」

マリーが大きく目を見開いてミウを見つめた。
するとミウの動作が止まった。
ドアノブに手をかけて、玄関から逃げようとしていたが、
そのままの態勢で動かない。正しくは動けないんだろう。

「どうやって苦しめてあげようかな♪」

マリーは包丁や果物ナイフを探している。
まずい。ここまで事態が悪化してしまうとは。

ミウは生まれてきたことを後悔するほど
拷問されてから殺されるに違いない。

「お、俺の大好きなマリーはそんなことしないよな?」

「いけませんか? 復讐する権利はあると思いますけど」

「ミウも反省してると思うし、勘弁してくれないか?」

「あはは。ちょっと無理かなと」

「マリー。俺からの一生のお願いだ」

「そういうの、もういいです」

マリーの目が、今度は俺の動きを封じてしまった。
なんだこれ? 手と足が棒みたいに硬直した。
しゃべることもできない。

一応呼吸はできるが、自由に動くのは目だけだ。
指先一本に至るも神経が通ってないかのように
動かなくなってしまった。

「先輩のおびえている顔も貴重ですね。
 写メとってもいいですか?」

俺は、何も言い返せない。

「口は動かせるでしょ?」

……あ? 確かに動くぞ。

「先輩は私のすることにいちいち反対しなくていいです。
 私は、普段は明るいけど、切れたら性格変わっちゃうんで
 気を付けてもらっていいですか?」

「すまなかった」

「うふふ。分かってくれて良かったぁ」

マリーは、ミウの手を後ろ手に縛り上げた。
こういう道具は、リビングのクローゼットの中に入っている。

クローゼットは母と娘の部屋にもあるので、
この部屋の分は余計らしい。
本来は物置として使っていた部分を、
拷問道具入れにしたそうだ。

「お顔洗いましょうね。ミウ先輩?」

ミウは、洗面所まで連れて行かれた。
俺は体が動かないが、視線だけ洗面所の方へ向いた。

壁が死角になっていて、洗面所の様子が分からない。
水道の勢いよく流れる音。ミウの小さな悲鳴。
マリエの鼻歌。小鳥のように歌う。

「いきますよー」

「んーーーーー!!」

ぶくぶくと、泡の吹く音が聞こえる。
まさか、マリーは水責めをしているのか?

「太盛先輩も見に来てください」

バカな……。俺の足が勝手に動き始めた。
ロボットみたいにカクカクした動作だ。

洗面所まで移動させられると、
なんと水を入れた洗面器に
ミウが顔を突っ込んでいるところを目撃した。

後ろ手に縛られた手が、ぴくぴくと震えている。
マリエは、ミウの後頭部をしっかりつかんで
抵抗できないようにしていた・。

やめろ。そのままじゃ死んじまうぞ!!

「ぷはっ!!」

ミウが解放された。

「げほっげほっ。げほげほげほっ。げほげほっ」

「また行きますよ?」

「〜〜〜〜〜!!?」

休んだ時間は10秒もなかった。

咳をしている最中のミウはまた洗面器の中に
顔を突っ込まれ、その中でさらに咳をしていまい、
貴重な酸素が泡となって噴き出て行くのだった。

ミウの手の震えが大きくなった。

ミウはもともと動きを封じられているのに、
さらに両手を縛りあげる必要が
あったのだろうか。縄が手首に食い込むほど
きつく縛り付けてある。

「自由に動けるようにしてありますよ。
 だから手が震えてるんでしょ?」

なに……? どおりで手首から血がにじんでるわけだ。
手の部分だけでもミウが抵抗してたわけか。

マリエは残酷なことに、ミウの長い髪をむしるようにして
つかんでいた。今になって気づいたが、
ミウの両足にも手錠がかけられている。
あの状態ではどうやっても逃げられないな。

「ぷはぁ!!」

またミウの顔を上げさせた。

「はぁーはぁーはぁー……」

急いで呼吸をするミウ。
今のうちに少しでも酸素を吸っておかないと。
そう思ったのだろう。

だがマリエは鬼畜だった。

「う」

ミウのお腹に肘鉄を食らわせた。
せっかく呼吸できたのに、みぞおちに
入ったせいで酸素が逃げてしまった。

「この状態でまたどうぞ」

「ぅ!! ぅー!! むー!!」

洗面器の中から、ミウのむなしい声が漏れている。
必死で出した声なんだろう。

今回は本気で殺すつもりだったのか、
たっぷり30秒もかけてやりやがった。

最後の方は、ミウはぐったりして、
何の反応もしなくなっていたぞ。

「はぁーはぁー!! げほっ。はぁーっ」

「あはは。あははは。面白い顔してる。
 生きるのに必死なんですね?」

人が苦しんでる姿を見てなぜ笑えるんだ。
俺はマリンに殺意さえ抱いた。

「なぜ笑えるって、この女に限っては
 今まで自分がやってきたことの報いです。
 この女は私以上の鬼畜だったのを忘れたんですか?」

バカな。……口に出した覚えはないぞ?
なんで俺の心の中が読まれているんだ?

「人知を超えた力ってやつです。
 私はいろいろな力が使えますから。
 それより太盛先輩に殺意を抱かれたのはショックだなぁ」

「君はミウを殺すのか?」

「そのつもりです。そのあとに太盛先輩も
 殺してあげましょうか?」

俺まで殺す? その発想はなかった。
俺を手に入れるのが目的なんじゃないのか?

「簡単なことですよ。ミウを殺したら
 先輩は私を憎むでしょう? 
 だったら初めからみんな死ねばいいかなと。
 もちろん最後に私も死にますよ」

「それがきかっけでこの世界は終わって、
別の世界が始まる?」

「理解が早いですね」

「俺の推測だが、君はこっちの世界では斎藤マリエとして
 存在しているな? マリンになれるのは、モンゴルとか
 あっちの世界だけなんだろう?」

「ご名答です。ですが、あくまで現段階ではですね。
 人生にルールはありません。決めつけていると、
 あとで痛い目を見るかもしれませんよ?」

「どんなことでも起こる世界なのは、
 俺もよく分かっているつもりだよ。
 君が今こうしてここにいることも含めてな」

この会話で少しは時間稼ぎになったと思う。
ミウが少しでも楽になればいいのだが。

「いいえ。もう死んでますよ」

「え…?」

ミウは洗面所の床に倒れて事切れていた。

顔色はまさに死人。目を見開き、口も大きく開けている。
ふり乱した髪が、その無残な顔を覆い隠しているのだった。

高野ミウが死んだ……?
バカな。洗面器から解放された
時点では生きていたじゃないか。

「先輩に質問です。私はどうやってミウを
 殺害したのでしょうか? 正解は、
 天井裏に隠された毒ガスを、彼女の口の中に
 集中的に散布するという裏技でしたぁ☆」

こいつは何を言ってるんだ?
裏技とかぬかしてるが、まさに人知を超えた技だ。
要は何でもありなんだろう。
神様の力でも借りているのかよ。

殺害方法なんか、どうでもよくなった。
ミウが死んだ。この事実が一番大切だ。

「くたばれ」

「え?」

「くたばれって言ったんだ。このクズ。
 よくも俺のミウを殺しやがったな?」

俺は目を細め、出来るだけの殺気をマリエに放った。
俺じゃ迫力が足りないかもしれないが、
マリエは目をつまらなそうにそらした。

「はぁ……」

なぜ溜息?

「太盛先輩も殺していいですか?」

「やるならやってみろ。俺は抵抗しない。
 別の世界に飛ばされても必ずミウと結ばれる」

「あっそうですか。よいしょっ」

マリーはミウの亡骸の上に腰かけた。
座り心地が悪い椅子だね、と言っている。
腐れ女が。死者を冒涜するんじゃねえ。

「ひとつ聞きたいんですけど、太盛先輩は
 ミウに電気椅子で拷問されました。
 そんな鬼畜女を彼女にしたいって
 普通思いませんよね?」

「恨まないと言えばうそになる。
 だが人は過ちを犯す生き物だ。
 悔い改める機会はたくさんある。
 現にミウは俺に謝ってくれたぞ。
 俺たちは辛い過去を乗り越えないといけないんだ」

まだ聖書なんて信じてるんですかと、
奴は鼻で俺を笑った。マジでムカつくな。

俺からしたら、信仰心のない奴は
犯罪者予備軍と同じだよ。
言い返してやりたいけど、我慢しよう

「そこまでミウに執着するなんてドン引きです。
 前はユーリ。今度はミウ。
 先輩はメイド好きなんですか?」

「……ユーリにはモンゴルで会ったときに
 振られたよ」

「今朝のことですね。何て言われたんですか?」

「あんた以上に、あんたの周りにいる女が
 邪魔してくるのがうざい。生まれ変わっても
 あんたの隣にはいたくない。ミウとお幸せに」

「ショックですか?」

「そうでもないよ。
 俺みたいな馬鹿じゃ振られて当然だろう。
 未来の俺も今の俺以上にバカだってことだ」

果てしないほどのむなしさが襲ってきた。
ユーリに振られてショックじゃない、わけがない。
本気で愛した女性だったんだぞ。

国外逃亡するのがどれだけ勇気のいることだったか。
まあ娘のマリンも追いかけて来たから怖さは知っているか。

とにかく。こいつと話すことなど何もない。

俺は、赤外線センサーの張り巡らされている
このマンションの設備を生かすことにした。

さっきマリエがカコを玄関の外に出した時は
作動しなかったが、神通力でも
使ったからセーフだったのだろう。

俺は窓に殺到し、無理やりカギを開けて
自然の風を入れようとした。

やかましいサイレンの音が鳴る。

天井の一部が解放され、毒ガスが散布される。

「ぐ」

目が……痛い。
焼きつくように痛い。
実際に焼けているんじゃないのか?

目をこすると痛みが増すので、
行く当てもなくさまよい、床に転がった。

からし、を思わせる匂いがする。
鼻にツーンとくる香りだ。

「がはっ……ごほごほ。げほげほっ」

「お父様。ガスマスクが二人分ありますから、 
 お使いになって」

もう遅いよ。おそらく致死量のガスを
吸い込んでしまっている。苦しくて息を
吐き出すと、さらに多くのガスが肺に入ってくる。
この悪循環で俺は力なく床に倒れるのだった。

痛い。受け身が取れなかったので右腕を
ひねってしまったが、それより
呼吸ができないことが怖い。
俺はもう二度と新鮮な空気を吸えないのか。
目も激痛のため開かない。

光を奪われた状態で俺は野垂れ死ぬのか。
自分で選んだ自殺方法だが、こんなに
みじめな死に方だとは思わなかった。

毒ガスを開発した奴に文句のひとつでも
言いたくなる。だめだ……。手足の先が
痙攣しているのが分かる。意識が遠のいていく。
水が飲みたいよ。水が。母さん…。

「私はもっとお父様とお話がしたかっただけなのに」

そいつがマリエなのかマリンなのか分からない。
口調からするとマリンなのだろう。

「次は今とは違う出会い方をしましょうか。
 望みさえすれば叶う世界なのですよ」

俺を膝枕し、優しく頭を撫でてくれた。
俺が覚えているのはそこまでだった。


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