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作品名:『学園生活』改 〜愛と収容所と五人の男女〜 作者:なおちー

第23回   12月29日 朝 蒙古へ
12月29日 朝9時

〜高野ミウ〜

「2人とも、今日はまだ寝てるのね。
 休みは何時まで寝ていても構わないけど」

ママ……の声?
ここはどこ?

「ママは用事があってすぐ出かけるから、
 お留守番を頼むわね? お昼前には帰れると思うけど、 
 帰りが遅かったから適当なものを作って食べなさい」

扉を閉める音で、彼も目が覚めたみたい。

私は同じベッドに太盛君と一緒に寝ていた。
やらしい意味じゃないと思う。二人ともパジャマを着て、
友達同士のように仲良く寝ているだけ。

もしくは太盛君とそういうことをしたのかな?
確証がない。だって昨夜の記憶が全くないんだもの。

確かに異世界へワープしたはずなのに、
またこの世界へ戻って来たの?

あの世界は、正確には私が覚えていない世界。
海岸のある場所……島? でメイドとして働いていた。
あんな場所で働いていた記憶はない。

「なんで俺、こっちの世界に戻ってるんだ?」

太盛君も同じこと考えているみたい。
スマホで日時を確認すると、12月29日。
つまりあれから一日経過している。

「ミウは、体は何ともないか?」
「うん。平気。太盛君は?」
「俺も大丈夫だ」

私たちは、ただ不思議に思っていた。
運命を操作している人の意図が分からない。
なぜ私たちをあっちの世界に行かせた後、
この世界に戻らせたの?

「扉に何かが挟まれてるぞ?」

太盛君が扉の下に置かれた手紙を持ってきた。
丁寧に封がしてある。
例えば結婚式の招待状がこんな感じなのかな。

『堀太盛は貴様の主人だ。貴様は使用人らしく振舞え』

私と太盛君は絶句した。
手紙は差出人不明。しかも肉筆だよ。
ボールペンで丁寧に書かれている。
たぶん男性の筆跡だと思う。

こんなことをするのは、能面の男しか考えられない。
彼はどこにいるの? 陰で私たちのことを監視してるの?

ママはさっきこの部屋の扉を開けたのに、
この手紙には気づかなかったの?

それとも実はママが書いた? ありえない。
だって私が元使用人のことはママには知りようがない。

仮に手紙を置いたとしても、
ママに気付かれずに行うのは不可能のはず。
このマンションはボリシェビキの支配下だから、
部外者が侵入できるわけがない。

それこそ神様でもなければ。

私たちを異世界へ飛ばしたのは彼の力だ。
いいえ。彼はあの『鏡』の力を借りて
神の力を行使したのだと思う。

いずれにせよ、彼が私たちの生殺与奪の権利まで
握っている気がして、不愉快だし、怖くてたまらない。

手紙の内容に逆らったら、本気で殺されるかもしれない。

「太盛様。今までのことをどうか
 許していただきたいのです」

「おい」

「だめですか?」

「そっちじゃなくて、呼び方。
 俺に様を付けるのはやめろ」

「お手紙に書かれているとおりです」

「ここでは俺と君は同級生だろ。
 様を付けるのは別の世界でしてくれ」

「しかしですね」

「敬語も使うなよ。一応恋人なんだからさ」

「私は太盛様の恋人を名乗れる資格はありません。
 私はただの使用人です」

「ミウ……」

太盛様は気の毒に思ったのか、
ぎゅっと抱きしめてくれました。
ああ、なんて優しい人なの。

手紙への恐怖と不安でおかしくなりそうな
私を気づかってくれる。私の髪の毛を撫でてくれました。

そうか。初めから太盛様に横柄な態度を取らなければ、
大切にしてもらえたんだ。今考えればボリシェビキに
なったのが間違ってたんだ。

太盛君はいじめっ子には強く反発するけど、
いじめられてる人に救いの手を差し伸べる人だ。

「いつも通りの口調で話してほしい。
 そうじゃないと俺の調子が狂う」

「ありがとうございます。
 ですが遠慮させていただきます」

「……手紙を書いたのは能面だと思う。
 あとで俺から直接言っておくよ」

「いいえ。今となっては手紙の内容は関係ありません。
 私はこの世界に飛ばされた理由を今理解しました。
 太盛様に付き従って生きるのが、本来の私の生き方なのです」

「それじゃ、本当に使用人みたいじゃないか」

「はい。使用人です」

「ふざけるなよ!!」

太盛様……。急に怒鳴るからびっくりした。

「俺は少なくともそういうのは望んでない。
 人間の上下の関係なんて本当はあるべきじゃないんだ。
 今の俺には前の世界の記憶が少しは戻って来た。
 ミウは過去に使用人として働いていたが、家族の一員だ。
 家族が家族に敬語を使うな」

「お気持ちだけ受け取っておきます」

「なら命令すればいいのか?
 俺を主人扱いするのをやめてくれ」

「その命令は聞けません」

「本気で怒るぞ?」

「好きなようになさってください。
 私は一切抵抗をしません」

太盛様は乱暴に私の両肩をつかみ、
しばらく無言で見つめていました。

彼の目が訴えていました。
つまらない冗談はやめろと。
あいにく私は本気です。

私は自分の主人の自由を奪い、
拷問までしてしまいました。
重い罪を背負ってしまいました。
ついにその報いを受ける番が来たのです。

刑を執行しに来たのは、能面の男なのでしょう。

「俺はミウと同じクラスで楽しかった。
 夏休みもいろいろあって楽しかったよ。
 ミウはその思い出まで認めないつもりか?
 俺が君を使用人として扱ったことがあったか?」

「過去と今は別として考えています」

「しっかりしてくれよ。ボリシェビキだったころの
 君は、正直苦手だったけど、今の君も変だよ。
 二重人格なんじゃないだろうな?」

「私は自分がこうしたいと
 思っているからやっているだけです」

太盛様は私を強く抱きしめ、キスをしました。
なんて強いキス。それに長い。
中途半端に呼吸が止まったので苦しいです。

求められることはうれしいけど、
今はそんな気分じゃない。

「分かったぞ。マリンだな?
 マリンがあんな言い方をするから
 ミウがおかしくなったんだ」

「マリン様は関係ありませんわ」

「いやいや。マリンに色々文句言ってたじゃないか。
 今ここにマリンはいないぞ。無理に使用人として
 振舞うのはやめてくれ。って言っても無駄なんだよな」

太盛様は手紙を破いて捨ててしまった。
いけません……。そんなことしたら叱られますよ。

「太盛様……。手紙を破いたらいけません」

「なんでだ? こんなのただの紙切れじゃないか」

太盛様は、お腹がすいたのでブランチを
食べようと言って、ドアノブに手を駆けました。

開けると、乾いた風が吹き荒れました。
その勢いでベッドサイドの
目覚まし時計が転げ落ちました。

「は……?」

太盛様が驚くのも無理はありません。
扉の先にモンゴルの草原地帯が広がっていました。

その日はまさに晴天。無限に続く青空の先には山々が見える。
ゆるやかな起伏のある大地。全面が草原というわけじゃなくて、
一部刈り取られている。放牧の影響だと思われる。

太盛様はその場で膝をつきました。
驚愕のあまり感想さえ口にできないようです。

扉の外側と内側で、全く別の次元が存在している。
私だって叫びたいほど衝撃を受けてるけど、
ご主人様の前ではしたない真似はできません。

「ようやく来たのね? 早く行きましょう?」

マリン様が太盛様の手を引いて、あちら側に案内した。

「おまえも来なさい」

命令なら逆らえない。私も扉をくぐった。

「私とお父様は先を歩くわ。おまえは
 使用人らしく、後ろから馬を引いて着いてきなさい」

手綱を渡された。これを持って歩けばいいのね?
背の低い蒙古の馬は、見た目は元気そう。
人と違って言葉を発しないから感情が分からない。
馬は日用品を満載していて、人が乗るスペースがない。

マリン様は、太盛様と腕組をしながら歩き始めた。
私と馬も続く。

太盛様は高校生。そして娘のマリン様は小学生。
時間軸が狂っている。17歳の父と9歳の娘。
太盛様が8歳の時に作った子じゃないと計算が合わない。

太盛様は、状況の変化に着いて行けず、
マリン様の言いなりになっている。

「予報では夜までに風が落ち着くそうですから、
 今夜はテントで一泊しましょうか?」

「え、テント?」

「嫌なのですか? 今から町に引き返すと
 半日以上かかりますけど」

「あ、ああそうか。すまない。
 テントで泊まろうか」

そのまま歩き続けた。時間も分からない。
日の傾き加減を見ると、正午を過ぎたあたりなのかな?

私はコートを羽織ってないけど、寒くない。
部屋着のまま歩けるってことは、春とか秋?
あいにくモンゴルの気候なんて知らないよ。

私は馬君と一緒に歩いていた。この馬も私と同じか。
人にただ使用されるだけ。まさに家畜。
家畜に感情はない。私だって同じことだね。
夢とか願望とか、私には贅沢だったんだよ

「ミウはだいじょ……」

「お父様。あそこの景色を見て」

彼が振り返り、私に話しかけようとすると
マリン様は進んで邪魔をした。
小姑みたいで腹が立つけど、
立場上言い返すことはできない。

マリン様は休む間もなく太盛様に声をかけ続け、
何かと彼の意識を私からそらそうとしている。

「マリン……。お話ししたいことが
 あるのは分かるけど、
 俺はミウのことを心配してるんだよ」

「どうしてですか? 
 元気に後ろを歩いているではないですか」

「いきなりモンゴルの世界へ飛んだら
 頭おかしくなりそうじゃないか?
 現に俺もパニック寸前だけど
 なんとか自我を保っている状態だ」

「手紙を破いたから、そうなるんですよ。
 大切にしていただかないと困ります」

「なんだって? 
 あの手紙にはそんな効力があるのか?」

「あれは人が書いたものではありませんから。
 今後はそういう物の取り扱いは
 慎重になさった方がいいですよ?」

太盛様はその場で崩れ落ちるように
気絶してしまった。

歩いている最中に倒れる人を始めて見た。
きっと心労がピークに達したんだろうね。
こんな世界に飛ばされたら無理もないか。

マリン様が大慌てで介抱する。

「おまえも見てないで手伝いなさい!!」

「は、はいっ。マリン様」

倒れた時に腕とかひねってないかな?
まず枕代わりに私の膝の上に頭をのせて、
脈を確認すると、ちゃんと生きている。

呼吸もしてる。急に倒れる人って、
脳卒中とかで死亡する場合もあるから気を付けないとね。

「何のんきな顔をしているの?
 早くテントを設営してちょうだい。
 お父様を中で休ませるのよ」

「恐れ入りますが、
 やったことがないので分かりません」

「仕方ないわね。私がやり方を教えるから、
 よく見ておきなさいね」

モンゴルだからゲルなのかと思っていたら、
日本製の市販のテントだった。
まず地面にグランドシート、その上に
インナーシートを広げ、ペグを打っていく。

マリン様は手慣れている。動作に無駄がない。
私は初心者なので倍以上の時間がかかってしまう。
これはインディアン式のワンポール・テントというらしい。

一本の頑丈なポールをシートの中央で立てると、
地面に寝ていたシート部分がぴんと張る。
とんがり帽子の形のテントが完成した。

内部はすごく広い。大人5人が寝転がっても
余裕があるほど。寝る時に馬は外に出したままになるけど、
風邪ひいたりしないのかな?

テントの中でラグと呼ばれるジュータンを敷いて、
マットと寝袋を用意した。
マットは5センチの厚みがあり、でクッション性が高い。

女二人で太盛様の体を持ち上げ、
マットの上に寝かせると、さすがに目が覚めたみたい。

「すまなかったね。気が付いたら目の前が
 真っ暗になって意識を失ってしまった」

「謝る必要はありませんわ。
 お父様の具合が良くなるまで、私はおそばを離れませんから。
 寝起きで喉が渇いたでしょう? 今お水を……」

私はマリン様に怒られるよりも早く、馬に付けた
荷物から水のボトルを降ろした。お、重い……。
水が16リットル満タンで入っている。

馬君はこんな思いのを背負って歩いていたんだ。

ボトルには注ぎ口があって、それをひねると
蛇口と同じ要領で水が出て来る。
コップに水を注いで、マリン様に手渡した。

「ご苦労」

初めてお褒めの言葉を頂けた。

「さあ、お父様」

「ああ。だがその前に」

太盛様は上体を起こして、顔だけ私の方を向いた。

「ありがとうなミウ。水のボトル重かっただろ?」

「いえ。これもお仕事ですから」

「今度から重い物は俺が持つからな」

「そんな……」

「遠慮するなよ。俺はこれでも一応男だしさ。
 少しは力あるぞ?」

彼は顔色が悪いのに、私を気づかって
無理に明るい顔をしている。
私がうれしさとおかしさから、
クスッと笑うと、太盛様も続いた。

マリン様が大げさに舌打ちをした。
変わってないな……。マリン様は嫉妬した時は
いつもこう。極度のファザコンで、
父に近寄る相手は許さない。
もちろん母のエリカも例外ではない。

娘なのに母が恋のライバルなんておかしいよ。
私はずっとマリン様が苦手だった。
ユーリはこの子相手に教育係を何年もしていたのか。
尊敬するよ。

「お父様。その女は斉藤マリエだった時の私を
 収容所に送ったわ。顔を殴ったりもしました」

「そうだな」

「最低な女だと思いません?」

「最低だったかもしれない。だが、誰にだって過ちを
 犯すことはある。悔い改めればチャラだ。
 俺たちはクリスチャンだからな。
 ミウはちゃんと反省しているみたいだよ?」

太盛様にうながされたので、
私は肯定の意味を込めて首を縦に振りました。

「ミウの部屋に共産主義系の書物が山ほどありました」

「あんなもの、捨てちまえばいいんだよ」

「ミウは生徒会副会長です」

「それも辞めればいい」

「私はお父様を困らせたりしません」

「そうかもしれないけど、ミウに冷たくするのは
 どうかと思うよ。ミウは俺の家族だ。
 あっちの世界では同級生で俺の彼女だよ」

「あんな女を彼女だと認めるの?
 つい最近まで殺したいほど憎んでいたでしょ?」

「確かにな」

「お父様は斎藤マリエを一番に愛していると言ったわ。
 一度だけじゃなくて何度も」

「それも事実だな。認めるよ」

「私を捨ててそいつを選ぶの?」

「捨てたりはしないよ。マリンも俺の大切な家族だ。
 俺は高校生だから娘がいる実感が持てないがね。
 ぶっちゃけ言わせてもらうと、俺は君が怖い」

「怖い? なぜ怖いのですか?」

「君は、外見は子供だけど、中身が子供じゃない。
 しゃべり方が小学生じゃない。俺より大人びてる。
 俺の将来の娘だとしたら、ずいぶんと早熟なんだな」

「学校は飛び級で二学年先の内容を教わっていますけど」

「今小学何年生?」

「4年生です。来年の2月に10歳の誕生日を迎えます」

「てことは、まだ9歳?」

太盛様はそれ以上言葉を続けられませんでした。
きっと畏怖を感じているのでしょう。

実は双子姉妹のカリン様も早熟なのだけど、
マリン様はさらに先を行ってしまった。
互いをライバル視していたのをよく覚えてる。

「俺のお願いを聞いてほしい。
 俺とミウを元の世界に戻してくれ」

「元の世界とは?」

「ミウと学園生活を送っていた世界だ。
 今すぐミウの部屋に戻してくれ」

マリン様は私をにらんできました。
にらまれても困るよ。
今のは完全に太盛様のご意思でしょ。
私の関与する余地はなかったじゃない。

「この、泥棒猫」

「……何か言いました?」

私は立ち上がった。

なぜなのか。すごく腹が立った。
元の世界に戻りたいのは太盛様の願い。
それをかなえてあげるのが私の仕事。

マリン様は太盛様のご意思を踏みにじって自分の
好きなようにしたいだけじゃない。

「おまえがいなければ、お父様は!!」

「なんでも私のせいにするな!!」

マリン様は唖然としました。
まさか私に噛みつかれると思ってなかったのでしょう。

「その態度は何? 口答えするつもり?」

「泥棒猫はマリン様の方だと思いますよ。
 私と太盛君の間に入ってこないで!!」

「へえ……強く出たわね」

マリン様は、コップに入った水を私の顔にぶちまけました。

上着がびしょ濡れになった……。
怒りを通り越して殺意がわき、マリン様の顔を殴った。
本気でムカついたのでグーで殴ってしまった。

マリン様は反撃されることを想定してなかったに
違いない。顔が大きくのけぞり、じんわりと
殴られた部分に痛みが走ったのか、涙ぐんでる。

「お父様、ミウが私に暴力を振るいました!!」

「2人ともやめろ。とにかくまず落ち着け。
 ミウも離れろ。距離を取れ」

太盛様がマリンを抱きかかえながら、無理やり
私から引きはがした。よかった。止めてくれなかったら、
今度は顔に蹴りが入っているところだったよ。

「ミウは最低!! 暴力女よ!!
 あんな女と一緒にいられませんわ!!」

「どっちも悪いんだよ。先に手を出したのは
 マリンだった気がするがな」

「お父様、早くあの女をテントから追い出して」

「それは無理な相談だ。モンゴルでは助け合わないと
 生きていけないだろう」

「でも嫌なの!! あんな奴といるなんて耐えられない!!」

「マリン!! いい加減にしないか!!」

「お父様は私のためを思ってくださらないの?」

「おまえが言ってるのは、ただのわがままだ!!
 ミウと喧嘩するのはやめなさい!!」

本気で怒ってる口調じゃない。子供の駄々に
頭を悩ませている親の心境なんだろうね。

でもマリン様は深刻に受け取ったみたいで、
無言で涙を流している。泣いている姿だけは
子供っぽく見えるよ。

大好きな父が娘に声を張り上げるなんて
めったにないものね。マリン様が幼稚園の頃は
すごくわがままだったから、太盛様も奥様も
厳しい口調で叱っていたけど。

「マリンは素直で良い子なんだろう?
 ならこれ以上パパを怒らせないでくれ」

自分とミウを元の世界へ戻すようにと
太盛様は諭すように言った。でもマリン様は認めない。
ずっと太盛様といたいだろうから、
この世界から出してくれない。

「マリン。ふざけるのもいい加減にしてくれ」

「狂ってしまった世界は、やり直さないといけないの」

「人生はゲームじゃないんだ」

「いいえ。もっと単純に考えていいと思います」

マリン様は道具入れの中から、
鞘(さや)に収められた短刀のようなものを取り出した。

「ホタクといいます。モンゴルの民族ナイフのことです。
 今では使われていませんが、昔の遊牧民はこれとお椀を
 携帯していました。鞘(さや)の中に短刀とお箸が入っています。
 取った獲物をその場で食べるための物です」

取っ手の部分の色とか材質とか、日本刀に近い。
よく目を凝らしてみると、うっすらと龍が描かれている。

「物騒だな。それを何に使うつもりだ?」

「私たちは使いません」

マリン様は、どうしてか私にホタクを手渡した。

「おまえ、私が憎いでしょう?
 殺したいほど憎いのでしょう?」

「殺したいほどでは……」

「いいえ。心の中では私を八つ裂きにしたいと
 思っているのよ。そうでしょう? ならば遠慮なく
 私を刺してちょうだい。さあ早く」

この娘、やっぱり気が違っている。
自分が何を言ってるか分かってるの?

自分を憎んでる相手に凶器を渡して
何のメリットがあるの?

私を挑発するのが目的なの?
あんたのことなんて初めから大っ嫌いだから安心して。
ムカつく女。ムカつく。ムカつく。ムカつく……

「I don't kill you. but, please get out of this gaddem tent.」

「I'll stay here. couse, I want to stay.」

くそ……。いくら私が使用人でも
こいつの偉そうな態度に腹が立つ。

「So what are you seeing for?
 No time to choice. do as you want to do.
 You can kill me with the knight.
 Then. you can Go buck.」

「to where?」

「Another would, you've known」

こいつを殺せば、元の世界に戻れる?
私たちは気が付いたら英語を話していたみたいだけど、
かえってこっちのほうが意思疎通できて助かる。

「Rghit…」

私はナイフを力強く握った。手が震えている。
ボリシェビキだから拷問慣れしてるけど、
太盛様のご息女のマリン様を刺すのは簡単なことじゃない。

……そうだ。太盛君はどう思ってるの?
太盛君。太盛君。太盛君……!!

「俺はミウの選択に任せる」

と言って、彼はテントの外に出てしまった。
地面を踏む足音。馬の鳴き声。
外で馬の世話でもしているの?

太盛君……。簡単に考えてない?
てゆうか止めてよ。
自分の娘が殺されるかもしれないんだよ?

「早くして。考えている時間がもったいないわ」
「ですが、太盛様の意見を聞きませんと」
「お父様はあなたに任せると言ったの。
 聞こえなかったの? それとも頭が悪いの?」

いちいち癇に障る言い方。
中学時代に私に嫌がらせをした
同級生よりもっとムカつく。

……いっそ本当に殺してやろうか。

「うっ」

すぱっとナイフを振るった。
マリンの首筋に赤い線のような、細い染みができた。
それはやがて大きくなっていく。
ごほっと咳をして口から血がこぼれる。

頸動脈(けいどうみゃく)が切れたのかな?
傷口からシャワーみたいに血が噴き出て止まらない。
マリンは自分の首を両手で押さえるけど、
血の勢いは増す一方で、ラグに赤い染みを作っていく。

血の色、濃いね。黒みがかっていて、呪われているみたい。
いいえ。この娘は呪われているんだ。
この娘こそ悪魔の子じゃない。

「が……は……がはぁ……ぐぅお……」

ばたんと大きな音を立てて前のめりに倒れた。
震える指先を私の方に伸ばし、顔を上に向け、
口をパクパクさせている。

何か伝えたいことがあるの?

この状態なら反撃を受ける心配もないし、
私は顔だけをマリンに近づけた。マリンは血でドロドロに
濡れた手で私の顔をつかみ、耳元でこう言った。

「これで終わりじゃない………人の生は終わらない……
変わる……だけ……」

は? 完全に意味不明。臨終の言葉がそれなの?
こいつの言ってることはいつも理解に苦しむ。
だから余計にムカつく。

こいつのせいで私の顔と服が血で汚れちゃった。
たぶん前髪にもついていると思う。
この鉄臭い匂いと生暖かさが気持ち悪い。
何より絶命寸前のマリンの断末魔が聞くに堪えない。

早く死ね。

「う」

心臓のあたりに刺してあげた。それを引っこ抜く。
血がどばっと出た。私の服に返り血が付く。

「ひゅーっ……」

マリンの声がおかしい。
口から空気の出る音だけがしている。
もう言葉を話すことができないんだね。
じゃあとどめ刺してあげる。

さっきと同じ動作をマリンが何の反応を示さなくなるまで
続けた。ふふ。刺すのって意外と簡単なんだね。
お嬢様らしい高いツーピースがすごい色に染まったね。
それ、秋の新色なの?

ナイフって人間の血と油と肉の感触で刃先がダメになるのが
難点だけど。一人殺すくらいわけないよね?
それにこのナイフ、普通のナイフより頑丈そうだし。

あーあ。死んじゃったか。
この死体、どうしようかな。血にまみれた汚物だよ。
顔は見るに堪えない。血走った眼を見開いたまま絶命している。

「ごきげんよう」

誰? 太盛君の声じゃない。
テントの入り口から人が入って来た。

「まさか本当にやってしまうとは思わなかった。
いくらマリン様が嫌いだからって殺しちゃだめじゃない。
 マリン様は冗談であなたにナイフをお渡ししたのよ」

「ユーリ……? あなた、ユーリでしょ?
 いつからそこにいたの? それにどうして私服なの?」

「どんな理不尽なことをされても主人たちには
逆らわないようにと私が教えたこと、忘れたの?
空気を読みなさいよ」

「そんなことよりユーリ!! 私の質問に答えて!!」

「まずお説教よ。あなたの質問はそのあとに聞くわ」

「説教なんかよりこの世界をどうにかしてよ!!」

「人の話を最後まで聞きなさい。あなたの悪い癖よ」

「あなたが質問に答えてくれないからだよ!!」

「……一度外に出なさい」

私はテントの外の草原に出たと思っていた。

そこにあったのは、見慣れた私の部屋だった。
白い壁。白い天井。ベッドと机。少し子供っぽいけど、
ぬいぐるみなどの小物。ピンクのカーテン。
全体的にすっきりした部屋
本棚には半分が少女漫画。もう半分は共産主義の本。

ユーリも、血塗られたマリンの死体もそこにはない。

まるで悪夢から目が覚めたかのように。
おかしいよね? こっちの世界は真冬のはずなのに、
汗で顔中に髪の毛が張り付いている。

肌にはモンゴルで受けた乾いた風の感触が残っている。
でもそれは感触であって、形ではない。
形あるものは何も残されていない。

元の世界に戻れた。私に返り血はついてない。
ここにはホタクもない。太盛様は?

「ちゃんといるよ」

彼は気まずそうに床であぐらをかいていた。

「君がマリンを殺してくれたおかげで
 元の世界に戻ってこれた。礼を言うよ」

「なぜ礼を? ご息女が殺されたのに」

「あれはマリンじゃない。偽物だ」

「偽物?」

「根拠はないよ。なんとなくそう思ったんだ。
 君が殺したのはマリンの分身というか、亡霊だろう。
 俺は、テントの外でユーリと少しだけ話をした。
 君がマリンを殺している間にね」

マリンは、この世界には存在しないが、いる。
どこか別の次元に存在する。
そしていつか君を殺しに来る。

太盛様は真剣な顔でそう言った。
簡単には信じられない話だけど、否定する材料もない。

「別の世界での俺とユーリはモンゴルで死ぬらしい。
 もちろんエリカもな。だが俺たちは今この世界に存在する。
 あくまで一人の人間として。だがマリンだけは違う。
 俺との再会をただ願い、怨念が形となって
 様々な姿で現れようとする」

斉藤マリエとして、娘のマリンとして、
あるいはまったく別の存在として太盛の前に現れる。
ミウに対し強い殺意を抱いた状態で。

「じゃあマリン様は死んでないし、
 これからも現れるってことですか」

「そういうことだろう」

「それはユーリから聞いたんですよね?」

「そうだ」

「ユーリと話がしたいです
 話したいことがたくさんあるのに」

「誰とも会いたくないと」

「え?」

「最終的に俺と関わってろくなことがなかった。
 できれば別の世界でも再開したくない。
 これがユーリの本音だ。つまり俺は
 飽きられた。振られたってことだな」

かつての愛人もモンゴルでの悲劇を経てそう思ったのね。
太盛様を恨むのは分からなくもないけど、
せめて親友の私とは話くらいしてよ。


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