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作品名:午後『2時55分』に何かが起きる 作者:なおちー

第5回   Bon Jovi - It's My Life
とある平日の午前10時。いつ雨が降ってきても
おかしくない空模様だった。
ケイスケは玄関で靴を履きながら振り返った。

「母さん。今日も出かけるから」

「どこまで行くの?」

「メロンブッ……本屋だよ。どうしても欲しい本があってね。
 今日は勇気を出して都内まで行くつもりなんだ」

「わざわざ電車に乗っていくのね。
 東京じゃないと買えない本なの?」

「レアものなんだよ」

ケイスケが買いたいのはエロ同人だった。
彼はニート生活を送るようになってから
すっかり二次元オタになっていた。

「Suica貸してあげるわ。お金は十分に入ってるはずだから」

「いつも悪いね。小遣いも少し欲しいんだけど」

「何冊買うつもりなの?」

「い、いや。やっぱりいい。今日は見るだけで帰ってくるよ」

「ケイスケ?」

気まずそうに玄関を開けて出ていくケイスケ。
彼にもニートで家のお荷物になっている自覚はあった。

母は小学生のころから成績トップだった息子には特に甘く、
欲しい物の大半を買い与えてはミホを怒らせていた。

(今月はゲームソフト3本も買ってもらったし、さすがに悪いよな)

駅前までの一本道を歩く。いくつかの信号待ちを経て、駅前の階段を登る。

(くそっ。なんで人とすれ違うだけでこんなにおびえちまうんだ)

暇な大学生風の若者や買い物途中の主婦、小さな子供、老人など。
駅にはいろいろな人がいる。最近は白人を見ることが多くなってきた。

平日の日中は混んではいないが、それでもニートのケイスケには
人に対し拒否反応があった。心の壁・ATフィールドである。

JR宇都宮線で上野へ。山手線に乗り換え、秋葉原電気街口で降りる。
彼はもともとチャライ系の人だったのでオタクの世界へ
足を踏み入れたのは初めてだった。
テレビで見たのと同じ秋葉原の街並みが広がっていた。

(時間はたっぷりある。今日は偵察を兼ねて適当に町を回ってみるか)

信号が青になったのを確認し、人々が一斉に交差点を渡る。
ケイスケは道が分からないので彼らと一緒に進んだ。

平日なのに結構人がいる。すぐ隣を歩いている人は
ペルーなまりのスペイン語を話していた。
目立つビルを目指して歩くと、アニメイトのあるビルが見えた。

「4階がフィギュア売り場か。
 どうせ買えないけど、見るだけなら」

狭い階段を登っていく。4階のフロアでは
妹と同じくらいの年の女の子たちが集まって大きな声で話をしていた。
よく聞くと日本語ではない。中国系の人達だったようだ。

彼女らは順番にグッズを指さし、何事か感想のようなことを言い、
すぐに上の階に消えてしまった。

静かになったので、落ち着いてフィギュアを見ることができる。
すると異変が起きた。
背中からゾッとするほどの殺気を感じた。

後ろを振り向くと一人の女が片手をあげた。

「やあ」

間違いなく貞子だ。忘れるわけもない。
エリートだったケイスケを
一日にして廃人にまで追いやった張本人である。

「ほわあああああああああああああああ!!」

ケイスケは衝撃のあまり腰を抜かした。

実の父とほぼ同じ反応をしているのが滑稽(こっけい)だ。
若い男性店員は、ケイスケが急に騒ぎ出したので険しい顔をした。

「お客さん。あんまり騒ぐようでしたら出てってもらいますよ?」

「いやいや、騒ぐだろ普通。だって目の前に貞子がいるんですよ!?」

「貞子……?」

店員は貞子をじっと見つめた。
貞子は見た目が普通の女になっていて、おかしな所はない。

真っ黒なショートカット。きちんと手入れされているから、
つやがあってさらさらだ。肌の血色も良い。
どこでオシャレを覚えたのか、可愛いデザインのツーピースを着ている。

驚くべきことに貞子は外見年齢が14歳くらいになっている。
ミホのクラスに現れた時は19歳だったはずなのに。

「お客さん。僕もリング・らせんを見てますけど、
 貞子はこんな可愛い子じゃなかったですよ」

「うるせえ!! 信じろ!! こいつはマジで貞子なんだよ!!」

「自分の彼女のこと貞子って呼ぶなんて最低っすね」

「彼女じゃねえ!! こんな奴どうやったら彼女にできんだよ!!」

「アウ……?」

店員はゴリラの赤ちゃんのような顔をした後、
レジの前で気絶してしまった。
話をしている最中だったのになぜ?
あまりの展開にケイスケの頭が着いて行かない。

「邪魔だから寝かせた」

貞子は左手を宙へ伸ばしていた。どうやらその手の動きで人を
眠らせることができるらしい。超能力の一種である。

「これでケイスケ君と二人きり」

「ちょ……」

「他に客は来ない」

4階のフロアは、サイレントヒルの裏世界のように変化していた。
壁や天井が黒と赤を中心に変色し、のっぺりしている。
もちろん出入り口は存在しない。

「ちょっとお話しようか」

ケイスケを死の恐怖が襲った。

貞子はケイスケの目の前まで接近してくる。
知性あふれる魅力的な瞳がケイスケをみつめるが、
彼女の正体が超生命体なのはすでに分かり切っている。

「先にこっちから質問させてくれ。どうして俺に付きまとう?
 それにどうして前に会いに来た時に俺を殺さなかったんだ?」

「殺すつもりは最初からなかった。
 目的はひとつ。あなたに分かった欲しかったから」

「なにを?」

「私の心の痛み」

ぶわっと、貞子の全身から殺気の固まりが発せられた。
ケイスケはまた腰を抜かしてしまい、尻もちをついた。

「ゆっくり、時間をかけて話してあげる」

貞子が、一歩踏み出した。なんでもない。ただ歩きだしただけ。
貞子がそこにいることがすでに最大の恐怖だった。

ケイスケとの距離が、いよいよ指が触れる触れる距離になる。
貞子がしゃがみ、彼と目線を合わせた時には、ケイスケは発狂寸前になった。

今までの人生でこんなに怖いと思ったことはなかった。
理由はよく分からないが、貞子は確実に自分を殺そうとしている。
生きたい。助かりたい。また家族の顔が見たい。

一方的になぶられ、殺されるだけの命。みじめなものだった。

たとえ貞子の靴の裏を舐めてでも助かりたいと心から思った。

(考えろ。どうしたらこの状況を挽回できる。俺は頭の回転が速いと
 先生からも評判だったじゃないか。もっとよく考えるんだ)

まず、貞子の心の痛みをケイスケは知らない。
生前のことを言っているのだろうか。
たとしたら生前の貞子とケイスケには何の関係もない。

では彼女がケイスケに執着するわけは?
ケイスケの高校に女子高生を装ってまで侵入し、
あまつさえケイスケにナンパされるにまで至った経緯は?

彼の知性が導き出した答えはこれだった。

「ごめん」

ケイスケはとりあえず頭を下げた。

相手が怒っている以上、こちらから何を言っても
無駄だろうと判断したのだ。
営業職の人間が自分に非がなくても顧客に謝るのと同じである。

「俺、君のことなにも考えてなかった」

貞子は腕組しながら黙っていた。
まるで夫の浮気を叱る妻のような態度である。

重い沈黙の時間が流れるが、その間もケイスケは頭を下げたままだった。

「いいよ」

「えっ」

「許してあげる。ただし条件があるけど」

「どんな条件だ?」

「私のことをフルネームで呼んで。
 名前を間違えたら、やっぱり殺す」

また、がけっぷちに立たされてしまった。
すでに第二話で書いたが、ケイスケは目の前の女の本名など知らない。
リング本編では貞子と呼ばれていたから本名も貞子なのだろうが、
はたして本当に貞子と呼んでいいのだろうか。

そもそも貞子は女子中学生ではない。
この貞子は、本体とは別人の可能性もある。
だとしたら苗字など分かるわけがない。

「1分以内に答えない場合も殺す」

迷いのない口調だった。ケイスケの口の中が緊張でカラカラになる。
スマホを出して貞子のことを調べたいが、
そんなことをしたら殺されるだろう。

もはや万策尽きたか。
ケイスケは舌を噛み切って自殺しようかとさえ思った。

すると天井に小さなプラカードが掲げられた。
そこには『山村貞子』と書かれている。

ケイスケはその通りのことを口にすると、異空間が解けた。
サイレントヒルと同じ要領で元のアニメイトの店内に戻り、
貞子からの殺気も消えた。

「お客さん。さっきからずっと突っ立てますけど、大丈夫っすか?」

先ほどの店員が怪訝な顔をしていた。気絶したずの店員は元気そうだった。
納得できないのは、むしろケイスケのようだ。
貞子はまだいる。ケイスケの隣に立って、一緒にフィギュアを眺めていた。

蛍光灯の光。エアコンの音。店内の明るい雰囲気。
現実世界に戻ってこれた安心感から、ため息が漏れてしまう。

「なんでもないんです。貞子、ここから出よう」

「分かった」

アニメイトの外に出たら、また違う世界が広がっていた。

アメリカ版リングを思い出させる小さな島である。
酪農家の家畜。小さな家。海辺を見渡せる位置にある井戸。

貞子はケイスケと肩を並べ、海風を受けていた。
上空を見上げると、一面を雨雲が覆っている。
風の勢いが強い。今立っている先は断崖絶壁になっている。
見下ろすと寒気がした。

ごつごつした岩の並ぶ海岸では、激しく波が打ち寄せている。

「ひとつ教えてくれ。貞子は俺に何を求めている?」

ケイスケは恐怖と絶望を通り越して逆に頭が冷静になっていた。

「私に着いてきて」

貞子はそれだけ言って歩き出した。
彼女はいつの間にか白いワンピースに着替えていた。
靴も脱いだのか、素足である。

髪型はショートのままだ。
そしてあの死人のような表情でないのがせめてもの救いだった。

一軒家がぽつんと立っている。その周囲を囲うように芝と家畜がある。
日本の住宅と違って宅地の範囲が広い。

貞子たちが庭に一歩踏み入れると、明かりのついた家の一室から
夫婦喧嘩と思われる声が聞こえて来た。

「あの子を産んだのはお前のせいだ!!
 お前の血を引いたからあんな子になってしまったんだ!!」

「たとえどんな子でも自分の子は
 最後まで育てるって言ったのはあなたでしょ!!」

怒声。悲鳴。ガラスの割れる音。お皿が投げつけられる音。
島暮らしだと夫婦げんかも派手になるものだと思っている場合ではない。

(なんだあれは)

ケイスケは上空を流れすぎていく雲に圧倒された。
早送りしたみたいに大量の雲が流れては消えていき、一瞬で夜になる。
夜が明けたかと思うと、また空は一面の雲に覆われる。

時間にしてたったの1分くらいだった。
全く別の日付になってしまったその世界。
今度は家から少し離れた場所にある雑木林の道へ瞬間移動した。

その入り口に井戸があった。最初に見た海辺の井戸とは違う。
井戸の近くで母親と娘がいる。

「ママ。こんなところで話ってなあに?」 
「こうするしかなかったのよ、ごめんね」

金属バッドを手にした母親が、当時小学六年生だった貞子の
後頭部に一撃した。激しく血が噴き出し、患部を手で押さえる貞子。
意識がもうろうとするが、なんとか母親の暴力から逃れようと走り出す。

母親は追いつくと同時にさらに一撃を食らわせる。
貞子の左腕を強打し、貞子は耐え切れず座り込んだ。

母親は貞子の首根っこをつかみ、嫌がる彼女を無理やり井戸へ押しむ。

「ごめんなさい……」

貞子は抵抗むなしく、井戸の外へ落下した。
母親は井戸のフタにあたる石板をゆっくりとすべらし、
二度と出れないようにした。

井戸の底から見ていた貞子には、日の光が失われた恐怖。
そして井戸の底で衰弱死する恐怖と戦わなければならなかった。

母親は、貞子が成長と共に超能力者として目覚めていくのを恐れていた。
離島から通う遠隔地の学校で無自覚な力をたびたび発揮してしまい、
騒動を何度も起こしていた。貞子が普通でないのは島でも評判だった。

人知を超えた力を持つ娘が悪魔付きであると父が疑ったのをキッカケに、
貞子を今後学校に通わせるべきか夫婦で言い争う日々が続いた。
そんな中、感情的になった母親がついに貞子を井戸の底へ沈めてしまったのだ。

「どう思った?」

貞子がケイスケに問う。彼らはこの惨状を傍観者の立場で観察していた。
彼らの姿は、この世界の住人達には見えないのだ。

「ひどすぎるな……」

「でしょ?」

貞子が感情のこもらぬ瞳をしているのが、
ケイスケにはたまらなく恐ろしかった。

貞子は自分に同情してほしくてこの光景を見せたのだ。
正直言ってケイスケには赤の他人の不幸に過ぎない。
だけど適当にやり過ごそうとしたら、間違いなく殺されるだろう。

「おまえが人を恨むのは当然だ。実の両親にこんなひどい目に
あわされて、もう何を信じたらいいか分からなくなっちまうよな」

「うん」

「恨みの感情はずっと消えることはないのか?
 ミホのクラスでもたくさんの人を殺したんだろう?」

「殺しても殺しても満足することはないの。乾きが癒えない。
 どれだけ水を飲んでもずっと喉が渇いている感じ」

「俺は殺さなくていいのか?」

「あなたはどうしてか殺したくならない」

「なぜだ?」

「自分でも分からない」

雲がまた早送りで流れ始めた。大雨が降り始めたのでケイスケは
頭を両手で覆うが、大量の雨水はケイスケを素通りした。
地面の上を雨水がはねる。泥水が彼のズボンを汚すこともなかった。
全く自分は幽霊になってしまっているのかとケイスケは思った。
文字通り生きた心地がしないのだ。

雨が止み、虹がかかった。オレンジ、黄色。緑の三色だ。
ケイスケはこんなに美しく壮大な虹を見たことがなかった。
なだらかな草原に、虹色の強大な橋が現れたようだった。

「あなたを元の世界に帰したくない」

それはケイスケに死ねと言っているのと同じだった。
貞子は生と死のはざまの次元を生きている。ケイスケも今は
その中途半端な次元に招待されている。霊魂とでも言おうか。

貞子は元の世界に受肉し、自由に動き回ることができる。
このような芸当ができるのは、悪魔に等しい魔力を持っているからだ。

「嫌そうだね」

「あ……そ、そんな顔してたか?」

「顔に書いてあるよ。嫌だって」

「う……」

貞子は足を動かさずにケイスケの前に移動した。
空中浮遊の原理なのだろうが、
今のケイスケにはそんなことを気にする余裕はない。

「私は退屈を持て余している。人を殺めるのも気分次第。
 暇つぶしに学生のふりをして授業を受ける時もある。
 たまたまあなたの高校の生徒になった時、あなたが私に話しかけてきた」

貞子は真剣な瞳でケイスケに語り掛けていた。
正面から見つめられると、チャラ男のケイスケでさえ、
事の成り行きを思い出してしまう。

昨年の冬。ケイスケが図書館で一人寂しそうに本を
読んでいる女の子を見かけた時だった。
そこは学校の図書館ではなく、市の図書館だった。
平日の帰りなので人はまばらだ。

制服からして同じ高校の生徒だと思ったので、
軽い気持ちで話しかけた。

『きみ、占いに興味があるの?』

貞子はタロットカードや呪術について
書かれたマニアックな本を読んでいた。

ケイスケは本の内容になど興味はなく、
美少女モード全開の貞子を口説くのに夢中だった。

『君の髪型、すごくきれいだよ。大人っぽくてさ』

『山村さんって名前なんだ。覚えておくよ。君みたいな
 可愛い子がうちの学校にいるなんて知らなかったな』

『俺、いつも暇だから、気が向いた時に連絡していいよ』

それから何度か学校ですれ違う時などに会話をした。
貞子はケイスケの一つ下の学年だったが、彼と会いたくて
わざわざ上の学年の校舎をふらふらしたりしていた。
ラインでも連絡を取ろうとしたが、ケイスケは薄情にもスルーした。

『うそつきは嫌い』

貞子がケイスケの家に入った時、はっきりと言っていた言葉。
口説いた以上は責任を持てと言っているのだ。

女をおもちゃにしようとする奴は苦しめて殺すのが彼女の流儀。
だがケイスケのことは特別に思っていたから、その気になれなかったのだ。

(俺は運が悪い)

彼が学校中の女子をナンパしていたのは前に述べた。
その女子の中に貞子が混じっていたのが全ての不運。
そして妹のミホが、たまたま災厄のクラスに進級したのも間が悪すぎる。

「ここはどこだ?」

ケイスケが急に視界が暗くなったと思ったら、
いつの間にか井戸の底に移動していた。
狭い空間だ。井戸から上を見上げると小さな空が見える
ひざまで冷たい井戸水につかっていて、気持ち悪い。

「私が死んだ場所」

「そうか」

ケイスケは表情を失っていた。考えたところで状況は改善しない。
自分は貞子のおもちゃであり、抵抗は無意味なのだ。
彼女の気まぐれで別の世界や空間に移動させられ、
そしてなぶられて殺される。

「私とずっと一緒にいようか」

暖かい本村家が記憶から遠ざかっていくのを感じた。
それほど井戸の底の環境は残酷すぎた。
非現実世界にいるはずなのに、あまりにも現実過ぎた。
むしろ、元の世界なんてなかったのかと思うくらい。
この膝に感じる水の感触、水の中に浮かんでくる謎の黒い髪の毛の束。

吐き気がするのをこらえた。

貞子は人形のように冷たい顔でケイスケを見つめていた。
このまま自分は元の世界へ帰れなくなる。
ケイスケが核心に近い思いを抱くと逆に生へ欲求が高まった。

極限状態によって新たな発想が生まれたのだった。

「もう、よせよ」

慈愛を込めて貞子を抱き寄せた。
折れてしまいそうな、華奢な体。
余計な脂肪は全くなく、まさに死人にふさわしくやせ細っている。

胸をぴったりと押し付けると、確かに鼓動が感じる。
この体制では彼女の表情を読み取ることはできないが、
胸の奥に温かい感情が生まれるのが分かった。

人のぬくもり。貞子がずっと追い求めていたものだった。
彼女には永遠に手に入らないと思っていたもの。

「お前の気持ちはよく分かった。だから落ち着け」

抱きしめたままの態勢を維持しながら続けた。

「俺がいればさみしくないんだろ?
 なら、一緒にいてやるよ」

貞子はうれしさのあまり、
居てもたっても入れなくなりそうだった。

「本当に一緒にいてくれるの? 口から出まかせじゃないの?」

「嘘じゃねえよ。おまえを口説いちまった責任を
 取らないといけないからな」

「本当?」

「ああ、お前の気のすむまでいてやる。
 この世界でしばらく暮らせばいいんだろう?」

「元の世界に返ったら、あなたは私から離れていく」

「そう思うだろうな。だったらこの世界にいてもいいよ。
 どうせあっちの世界に帰っても俺はニートだ。
 学校に戻るのも気まずい。だけどよ、せめて地上に出してくれよ。
 ずっと井戸の中にいたら低体温症になるぞ」

「分かった」

島の一角に出た。気が付いたら別の場所にいた。
また瞬間移動したのだ。
開けた放牧地に小さな小屋がある。
ケイスケには不思議と大蒙古の草原にぽつりと立っている小屋に思えた。
初めて見るはずなのに、不思議な感覚だった。

母からモンゴル時代の話はよく聞かされて育ったから、
そう思ったのかもしれない。

小屋は最新のログハウスの形をしていた。
小さな別荘と言った風だ。

「こっち」

貞子に案内されると、中には二台のベッドが並んでいて、
他に空いたスペースはほとんどない。
壁際に小型の木の机とイスが置かれていた。

「木のぬくもりがして、隠れ家って感じがする場所だな。
 定年退職したじいさんとか、遊び好きの子供が喜びそうだ」

「ケイスケ君」

「おまえ……また衣装が変わってるな」

「こっちのほうがあなたの好みでしょ?」

「ミホと同じ中学の制服か。俺は中学生フェチじゃないけど、
 悪い気はしないな。今のお前は年も背丈もミホと同じくらいなんだな」

ベッドに二人で腰かけ、肩を並べた。貞子はショートカットの髪を
自分で少し撫でながら、乙女の顔でケイスケを見た。
美少女モードの貞子は確かに綺麗だった。

「あなたとお話がしたいの」

「いいよ。どんなことを話したい?」

「あなたが決めていいよ」

そう言われると困る。

「思い出話でもいいのか? たぶんつまらないと思うけど」

「いいよ。話して」

「そうだな……」

ニート中にプレイしたエロゲーのヒロインの話をしたら拳が飛んできた。

「そういう話は嫌い」

「すまん……冗談だよ」

ケイスケは庭先まで吹き飛んでから、また小屋へ戻って来た。
強烈な一撃だったが、貞子が手加減してくれたので不思議と無傷だ。

「貞子の制服姿見てたら中学時代を思い出したよ。
 旅行の話でもするか? 学校の修学旅行の話なんだが、
 俺が中学三年の時だな。宿に泊まった夜に同じ部屋の馬鹿が
 集団で脱走計画を立てやがってさ……」

「うんうん」

異世界では時間の感覚などない。ケイスケはおしゃべりなので
一度話し始めると次々に話題が頭に浮かんだ。

「高1の秋だった。クラスで授業中に携帯を鳴らした奴がいて、
 先生が怒りだすんだが、なかなか名乗り出ようとしない。
 最後は先生が全員の持ち物検査を始めるって時に手を挙げたのが
 サッカー部の奴でな」

「うん」

「……で、先生が偉そうに言うんだよ。お前たち生かされてるんだ。
 親に生かされてるんだ。親に高い学費を払っているから、
 今の学校で勉強ができるんだ。
 親に対する感謝の気持ちをひと時も忘れるんじゃねえってな」

「厳しい先生。昭和みたいだね」

「だろう? うちの学校、校則厳しすぎるんだよ。
 今どきケータイ持ち込み禁止の学校なんてそうないぜ」

ケイスケは喉が渇くまで永遠と話を続けた。
貞子は全く飽きることなく、たまに微笑み、うなずきながら聞いていた。
全く友達に話すのと同じ感覚であり、
気が付いたらケイスケは貞子への恐怖心が消えていくのだった。

会話をしながらも、器用にも二人はそれぞれ別のことを考えていた。

(こいつは、なんで俺のつまらない話を聞きたがるんだ?)

(ケイスケ君は、いつまで一緒にいてくれるのかな)

(俺のどこに魅力がある? 昔は優等生だったが、
 今はヒキニートになっちまったんだぞ)

(乾くことはない。どれだけ人を殺しても同じだった。
 今私が欲しいのは彼)

(貞子の考えが読めない)

(一分でも多くここにいて欲しい)

互いが腹の内を探りながらの奇妙な関係だった。

その頃、元の世界では本村家は大混乱に陥っていた。
ケイスケがあっちの世界に旅立ってから実に10日が経過していた。
別世界とは時間の経過が全く異なるのである。

「ケイスケはどうして帰ってこないの!?」

ママは荒れた。

警察に捜索願を出そうとするのを、夫と娘に何度も止められた。

彼が行方不明になった原因が貞子だとなんとなく分かったからだ。
なぜ分かったのか。もしかしたら凶悪犯罪に巻き込まれた可能性もあるのに。
(貞子も十二分に凶悪犯罪だが)

その疑問に対する答えがこれである。

『しばらくケイスケ君を借りていきます。仲間由紀恵』

書置きが、ケイスケの部屋の扉に貼ってあったのだ。
貞子はあえて俳優の名前を使っており、名誉棄損であった。

これは本村家にとって恐慌であった。ママの命により、
神セブンからアントワネットとポトが本村家へ速やかに参考人招致された
(ここは国会ではないが…)

「アントワネットちゃん。早くケイスケを連れ戻してよ!!」

「く、苦しいですわ。お母さま」

「神セブンの人なら貞子に詳しいんでしょ。
 連絡先とか住所とか分からないの!?」

「そう言われましても、知るわけないでしょ。
 それに貞子のことは私の力ではどうにもなりませんわ!!」

ダイニングの席に座ったアントワネット。
向かい側の席に座るママは机を拳で乱打し、中学生たちに
無意味なプレッシャーを与えていた。

ママは長男のケイスケを目に入れても痛くないほど可愛がっていた。

小学高学年あたりからどんどん成績が伸び、中学に上がった時に
塾でトップの成績を取った。高校受験は難関校に合格し、
その後はおよそ学業で挫折することを知らなかったほどだ。

ママはケイスケが百点に近い答案用紙を持って帰るたび、お小遣いをあげた。
同じ兄妹でもケイスケとミホでは出来がはっきりと違った。

ミホが悪いのではなく、ケイスケが優秀過ぎるのだ。
ケイスケの小遣いの額はひどい時で妹の二倍だ。そのたびにミホを怒らせた。

「アントネットさん。妻が粗相をして申し訳ありません。
 紅茶でもお飲みになりますか?」

「まあ。おそれいりますわ」

ベルギーワッフルと紅茶だ。ユキオはワッフルの作り方など
知らないので近所のセブンで買ってきた。
それでもアントワネットは美味しそうに食べてくれた。

隣に座るポトはおとなしくワッフルをほおばっている。
彼は甘党なので食が進んでいた。

ユキオにとりポトにまったく興味はないが、
アントワネットと話したくてしょうがない。

「お茶なんか飲んでる場合じゃないのよ。早く対策を考えなさい!!
 ほら。そこのガンジー君も案はないの? 
 なんでも思いついたこを言わないと家に帰さないわよ!!」

「僕の名前はポル・ポトなんですけど……」

「どっちでもいいわ!! ガンジーもポルポトも似たようなもんでしょ」

全く違う。

ポルポトは人類史上最強の大量殺戮者であり、
非暴力主義のガンジーと対局に位置する。

「落ち着きなさいマリエ。子供たちの前で取り乱してみっともないぞ」

「あなたが無関心すぎるのよ。
 うちからケイスケがいなくなったら将来はどうするつもりなの!?」

「分かった分かった。まず冷静に話をしようじゃないか。
 落ち着かないと話も先に進まないよ」

ママがどれだけ騒ごうと、貞子と連絡する手段がないから話が進展しない。
なにせケイスケたちがいるのはアメリカ版リングに描かれた
気がする、あの舞台である。筆者はしばらくDVDを見てないのでどのような
場所だったかよく覚えていないが、たしか孤島の酪農家だったと思う。

(休日に人を呼び出しておいて、なんですのこのババアの
 態度の悪さは。最高にうざいですわ)

マリー・アントワネットがそう思うのも当然であろう。
六人掛けテーブルの隣に座るポトは、アントワネットがイラついてるのが
良く伝わってきた。一年の時から同じクラスでよく話す仲だったから、
彼女の考えてることは何となくわかった。


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