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作品名:午後『2時55分』に何かが起きる 作者:なおちー

第1回   Timing~タイミング~ / BLACK BISCUITS
「2時55分」になると何かが起こる。

ミホの通う学校でまことしやかにささやかれていることだ。
本村(もとむら)ミホは中学2年生。学校では目立たなく平凡な生徒である。

彼女は春に進級したばかりだ。
いわくつきのクラスと言われる2年4組の一員である。

「さて、みなさん。授業は中断しますから自習を始めてください」

六時間目の授業の最中だった。この学校の六時間目は14:20から15:10まで。
つまり、授業中に【例の】時刻に差し当たってしまう。

教卓に立つ理科の先生が自習を宣言したのは、時計の針がまもなく
55分を指そうとしていたからだった。

「せ、せんせー…」

顔面蒼白で席を立ち上がったのは、金子という男子だった。
ボーズ頭の野球部員である。

「どうしましたか金子くん?」

ちなみに金子の守備位置はショートである。
守備位置は今後の展開と関係ないが。

「おれ、分かったんすよ」

「なにが分かったのですか?」

「俺がこのクラスにいる意味です。
 俺じゃなきゃ、だめなんです」

「はい……?」

「させん。ちょっとテレビ借ります」

あぜんとするクラス中を置き去りし、金子は部屋備え付けの
液晶テレビのリモコンを操作した。通常、生徒が使うことは禁止されているのだが。

金子がいずれの機器にも接続されていないはずのHDMI入力を選択すると、
画面の中に何かが映っていた。それはビデオ映像だった。

『That was true, katrina was there. She has been there with her mother』

女性のアメリカ訛りの英語が聞こえて来た。映像は暗くてよく見えないが、
真ん中に小さな円を映している。その円は渦を巻いているように見える。

その渦は、次第に画面を埋め尽くすほど大きくなっていった。
そしてその渦の中から、何かが出て来た。

それは人だった。長い不潔な髪を垂らした女だった。

「さ、貞子?」

クラスの誰かがつぶやく。そう。それはかつてホラー映画やドラマで流行した、
井戸の中から出てくるタイプの化物にそっくりであった。
立体映像の一種かと疑う生徒もいた。

その女は画面の中から半身を出し、両手を床に着き、
はうように進む。井戸水と腐臭の混じった匂いが教室に充満するころになると

『ぎゃああああああああああああああああああああああああ』

生徒達はパニックを起こし、我先にと扉を目指した。

「あ、開かない!?」「うそ、てかなにこれ!?」「どうなってんだこれ!?」

扉だと思っていたもの、それは黒い壁となっていた。
壁はゴム状でぶよぶよした感触をしており、脱出はできない。

「あれを見ろ!!」

ある男子が天井を指した。目に入ったのは岩である。
教室は洞窟の底のような空間になっていた。

蛍光灯だと思っていたものは、いくえにも並べられたランプだった。
分かりにくかったら採掘現場を思い出してほしい。

「あ、ああ……ようやく俺も……」

金子は、しりもちをついた状態で貞子に求愛されるように押し倒された。
なぜか彼には恐怖した様子もなく、素直にされるがままになっていた。

貞子は金子の首を両手で絞める。

金子は苦しそうにしていたが、やがて首の骨がへし折れたため
「うぐ」という短い声を発してから絶命した。


金子は死んだのだ。クラスのみんなが見ている前で。もはや衝撃すら通り越した。

女子達の悲鳴は最高潮に達し、男性教諭は失禁した。
次に貞子に狙われるのは誰なのか。想像しただけで発狂したくなる。

(なんで私がこのクラスに……)

ミホも絶叫をあげている女子集団の一人だった。

貞子はじっとしていて。動こうとしない。
長い髪を垂らしているので表情までは読めない。

クラスのみんなは、できるだけ貞子から距離を取って
叫んだりおびえたり好きなことをしていた。


ミホは体温が急激に下がり、同時に猛烈な眠気に襲われる。

そして目が覚めた時にはいつもの教室に戻っていた。
他の生徒も同じように目が覚めたようで状況が理解できておらず、
互いの顔を見合わせ、状況を確認しあっていた。

「みなさん。これはこのクラスでは当然のように起きうることです。
 今皆さんが体験したことは夢ではありません。
 この2年4組では毎年同じことが起きているのです」

冷静なのは先生のみ。さきほどの理科の教員ではない。
ミホの担任の30代の男性の先生だった。実年齢は31らしいが、
あまりにも落ち着いているので『じいさん』とあだ名されていた。

「金子君はいなくなりました。いや、こういったほうが適切でしょう。
 彼は初めからこのクラスに存在しなかったのです。
 その証拠に席もないでしょう?」

ミホは確かに金子の隣の席だった。だから金子の席が
丸ごとなくなっているのは分かった。彼とは授業が暇なときに
話をするくらいには仲が良かった。

普段はあまり人前で話さないが、勇気を出して聞いてみた。

「先生。私は金子君のこと覚えてるんですけど。
 いなかったといわれても無理ありますよ。
 死んだってことですか?」

「……本村さん」

担任は、タツノという苗字の男だった。彼はめったなことでは
生徒を叱ったりしない穏やかな「じいさん」だった。

そのじいさんが、はっきりとミホを威圧するように目を細めたのだ。
ミホは申し訳ない気持ちになり、謝ろうかとすら思った。

「あなたは事実を認めなさい。私が言えるのそれだけだ」

「じ、事実って」

「みんなもよろしいですか? 2年4組で起こったことは全て受け入れなさい。
 否定してはいけない。いなくなった生徒のことを悲しんでもいけない。
 ただ淡々と毎日を送りなさい。そうすれば必ず無事に3年に進級できる。
 そう信じて頑張りましょう」

これは完全なる怪奇現象である。特定のクラスで起こる謎の災厄。
どこかのアニメで見たことのある展開である。
おそらく近所のツ〇ヤに行けば全6巻でレンタルされていることだろう。

それはともかく、このクラスで何が起きているのか。
のちほど詳しく説明することにしよう。





舞台は本村(もとむら)家に移行する。(←ミホの家である)

現在は夕食後のお酒タイム。
赤ワインの入ったグラスを傾けながら、ユキオが妻に愚痴を言う。
ユキオは本村家の世帯主である。

「副支店長がまたトラブルを大きくしたよ」

パート行員のささいなミスがきっかけだった。
新規に口座を開設した顧客に、ある書類を手渡すことを忘れてしまった。

(最近の大手銀行では顧客窓口にはパートを起用することが多い。
 正社員は資産運用相談や投資信託販売、年金保険仲介に回される)

後日FAXでの送信となったのだが、顧客に『白紙』が届いてしまい、
当然クレームになった。

パート行員では手に負えなかったので代わりに副支店長が対応した。
彼は血迷ったのか、相手方のFAXの調子が悪かったせい。
こちらの落ち度はないことを説明。言うまでもなく顧客は激怒した。

副支店長はビジネス会話で謝罪しつつ、
『何? 支店長出せ? まあ、支店長に電話されるのはご自由ですが、
支店長がお会いになるかどうかはわかりませんよ』

「あの男がそう言っていたのを、はっきりと聞いたよ。
 全く耳を疑いたくなる。顧客と一時間も電話で言い争っていたよ。
普段はエリート風を吹かせているくせに子供の喧嘩と変わらないではないか」

ユキオは、飲み終えたグラスにどんどんワインをついでいく。
一般的な適量をすぐに超えてしまった。

「それで、どうなったの?」

「支店長代理を直接お詫びに行かせることで合意したそうだ。
 支店長代理と言えば聞こえがいいからな。実際は中間管理職で
 副支店長より格下だ。何も知らない顧客からしたら、
 かなり偉い人が対応してくれると勘違いするだろう」

「幼稚なのに、そういうしたたかさはもっているのね」

「それにしてもあの男はパートの肩を持ちすぎるように思える。
 確たる証拠はないが、男女の中ではないかと周りから噂されている」

「いやらしいねぇ。副支店長はお子さんが三人もいるのに」

「ストレス解消に若い女を口説くのが趣味なのだろう。全く汚らわしいものだ」

ユキオは良い感じに頬が赤くなってきた。
気分が良くなり、さらに饒舌になった。

「色々な人達を見てきたが、40代50代の女性は
 性格が根本的に捻くれており、プライドが高いな…。
 できれば一番関わりたくない人種だ」

「若手を育てるという意識が低く、仕事を勝手にやってしまうので
 どうしたら良いかわからないそうだ。若手が率先してやろうとしても断られる。 
 仕事の取り合い。収益取っても嫉妬の目。表では注意せず裏で悪口。パートに愚痴る」

「女性だけでなく男性の上司も癖のあるタイプばかりで
 男上司女上司全員の価値観がバラバラで全く歩み寄ろうとしない。
 まとまりがなく、部下も皆やる気がなく、比例して店全体の
 営業成績も伸びず悪循環……。まったく人間関係には困らされるものだ」

「うん。うん。そうなのね」

マリエは夫の愚痴を辛抱強く聞くのが仕事の一つになっていた。
彼女は口数が少ない女性なので、いつも家族の聞きに回っている。

実際に自分が話すより人の話を聞く方が好きだった。
刺激の少ない専業主婦だから職場の人に関する話は興味津々だ。

「特に躁うつ病の女性がいるんだが、モノにあたるのは勘弁してほしい。
 仕事中に急にハイになったりローになる。
 しかもそのタイミングがわからず手に負えない」

ユキオの愚痴は長い。

40代までのユキオは絵に描いたような堅物で、
不平不満を口にしない古風な男だった。
50歳を過ぎてから急に愚痴が多くなった。
なぜか。その理由は妻のマリエも良く知っていた。

行員で管理職に就けなかった人の多くは、同属グループの子会社や取引先の
会社に出向を命じられる。50歳過ぎの出向は片道切符。
つまり、『もう二度と銀行には戻れない』

そして、しばらくすると転籍ということになるケースがほとんど。
早期退職をする人も含めて、『50歳が実質の定年』だと言われている。
銀行では長い間、このようなことが繰り返されている。

ユキオは部長の地位のため難を逃れた。
だが油断はできない。同年代で昇進に失敗した行員で
自殺者さえいるのが現状である。

子供たちには黙っていたが、三日前に中央線の線路に飛び込んだのは
54歳の先輩だった。彼は調査役という窓際の役職に回されたばかりだった。
ついに退職勧告をされてしまい、将来を絶望して自殺した。
できれば葬式に行きたいが、奥さんは発狂しているという。

その時だった。階段を元気に駆け降りる音がする。
娘のミホがリビングにやって来たのだ。

「ママ!! 私ついにチケット手に入れたの!!
 ドームのチケット。三階席だけど、すごい確率だったんだよ!?」

「あ、あらそうなの……。ラッキーだったのね」

「ライブに行くの初めてなんけど、すごくない!? 
 今めっちゃ興奮しててやばいよ!?
 新しい服買わなきゃ。今週末友達と出かけるからね」

ジャニーズのチケットは入手困難である。
ファンクラブの会員になり、ネットで応募して抽選で選ばれるため、
運の悪い人はほとんど手に入らない。
手に入ってもゴミみたいな座席という場合もある。

某人気ユニットのチケットの転売で1000万もうけた
女の逮捕事例があるほどである(実話)

「どこまで行くつもりの?」

「原宿!!」

「また電車に乗って出かけるのね。お小遣いは前あげたので足りる?」

「グッズとか買いたいから。ちょっと足りないかも」

「分かったわ。お金は当日の朝にあげるから」

「今日じゃないの?」

「あげたら、すぐ使っちゃうでしょ。
 ジャニオタはお金使い荒いんだから」

「ジャニオタみんながお金遣い荒いわけじゃないよ」

「でもミホはそうでしょ」

子供のお小遣いは、欲しい時にもらえる制度だ。
特に一か月あたりの限度額はなく、母が許す限りいくらでも手に入る。

ミホは駆けだしとはいえ、ジャニオタなので消費のスピードが速かった。

「今月のお金はこれで最後だからね?」

「分かってるって」

ユキオは、妻が子供たちに甘いのを知っていて放置していた。
彼は学生時代から勉強漬けの毎日で楽しい青春などなかった。
ミホが休日を楽しそうに過ごしてるのを微笑ましく思っていた。

「お父さん……。夜なのに騒いじゃってごめんね」

「別に構わん。チケット手に入って良かったな」

「うん!!」

ミホの嬉しそうな顔を見ていると、かつての自分が楽しめなかった分を
楽しんでいるような気がして、父もうれしくなる。
ミホばかり可愛がっていると息子に言われるが、気にしない。

ユキオにはジャニオタという人種がよく分からなかったが、
素直にまっすぐ育ってくれた娘を愛していた。
成績は兄のケイスケのように立派ではないが、
ひいき目に見ても容姿はかなり整っている。

古風な考えかもしれないが、将来は素敵な男性と知り合って
家庭に入ってほしいと思っていた。




「おい。ミホ、またアマゾンから荷物届いてたぞ」

兄のケイスケだ。ミホの部屋の扉を開け、
小さな段ボールを床にぶん投げた。

「あ、そうなの? てか投げないでよ!!」

「ったく。またジャニーズのグッズかよ。
 今月これで何個目だ? おまえばっかり
 母さんに買ってもらってずるいんだよ」

上から目線の口調にムッとしたミホ。
カッターで段ボールを開封する手を止めた。

「お兄ちゃんだって遊びに行くたびに
 ママからお金もらってるじゃん」

「バーカ。俺のは社会勉強を兼ねた大切なお出かけだ。
 おまえみたいなオタクと一緒にするんじゃねえ」

「何が社会勉強よ。学校の女の人をたぶらかして
 ご飯食べに行ってるだけでしょ。お兄ちゃんの携帯に
 何人の女の名前が登録されてるのよ。このチャラ男」

「チャラ男って呼ぶんじゃねえよ。
 その言い方、すげえムカつくんだよ」

兄の話し方は、とても成績学年トップとは思えなかった。
彼は表裏が激しく、学校では真面目な優等生ぶっておきながら、
家の妹の前では偉ぶるといった具合である。

ユキオとミホは、彼のこういう態度を嫌悪した。
家でケイスケの味方をしてくれるのは聖人の母だけである。

「女なんて適当なこと言って口説けば勝手についてくるんだ。
 他の男どもは草食系だから、好きだ、愛してるの一言も言えやしない
 軟弱な奴らばっかりだからな。俺は女たちが一番
 言ってほしそうなことを言ってるだけだ」

「サイテー。そうやって人を見下して楽しい?」

「だって事実だろ」

「もう話したくない。早く部屋から出てって」

ミホは早く箱を開封したくてカッターを滑らす。
中から出て来たのは小さな写真ファイルだ。
表面にのみジャニーズの絵がプリントされている。

「は……? おまえそれ、ちょっと貸せ」

「ちょっと!!」

ミウの抗議もむなしく、バスケのスティールのような俊敏さで
ファイルを奪ってしまうケイスケ。

「なんだこれ? 見た目は普通のミニアルバムだぞ。
 写真は多くて100枚くらいしか入らねえな。
 そのくせ、ジャニーズが表面に印刷されてるだけ?」

破られた段ボールの値札には5400円と印字されている。

「ミホ。おまえはやっぱり最高の馬鹿だな」
 と言ってから廊下に出て、下の階に響くように声を張り上げた。
 
「おい母さん、聞いてくれよ!! 
 またミホがバカな買い物したよ!!
 こんなゴミみたいなファイルで五千円とかバカじゃねえの」

ミホは頭に血が上って目覚ましをケイスケの背中に投げた。

「ってえな。何しやがる」

「それはこっちのセリフだよ!! クソ兄貴!!
 私が何買おうと私の勝手でしょ!!」

「母さんに無駄な金出させるんじゃねえよ。
 うちはそんなに裕福じゃないんだぞ」

「これ買ってくれたのはお父さんだよ!!」

「はぁ……? また親父かよ。ほんと娘大好きだな。
 俺が親だったら娘がこんなくだらねえものを
 買ってるの知ったら説教してやるぞ」

「うるさい、うるさい!! 喧嘩売りに来るんだったら
 私の部屋に来なくていいから!! 早く出てけ!!」

兄は舌打ちしながら去っていった。

ミホは兄の精神年齢の低さにあきれ果てていた。
無駄に外面が良いので友達からは自慢の兄のように
思われているのが、尚腹が立った。

「あんな馬鹿と話してると時間がもったいない」

PCでライブ会場までのアクセスを確認。
本村家では兄妹喧嘩は日常茶飯事だった。

ミホの部屋は自担(自分の好きな男性アイドルのこと)の
うちわやポスターなどでいっぱいになっている。
どこにでもいそうなジャニオタであるが、
オタクのランク的には初めてコンサートに行く程度なので
初心者のレベルであった。




休日の昼下がり。本村家である。
しつこいくらいに家のチャイムが鳴っていた。

「あの女、家教えてないはずなのに来やがったのか」

ケイスケは恐怖のあまり震えていた。

「俺はいないって行っておけよミホ」

「なんで私が。てか玄関に来てるの女の人なの?
 会ってあげればいいじゃん」

「あの女は俺のストーカーだよ。俺がちょっと遊ぶために
 ラインを交換したら勘違いして追いかけて来たんだ」

「自業自得じゃん。私、興味ないから、じゃあね」

「おい。冷たいこと言うなよ。っておい。待てよ!!」

ミホはすたすたと歩いて自分の部屋の扉を閉めてしまう。
鍵まで閉められたのでケイスケは廊下に立ち尽くした。

ピンポーン

また、チャイムの音が鳴る。ケイスケは冷や汗をかく。
廊下を行ったり来たりと、挙動不審を繰り返してから
ついに観念し、玄関を開けた。

「い、いらっしゃい?」

「わぁ。ケイスケ君だぁ」

その女の子は何を思ったか、いきなりケイスケに抱き着いた。
貞子のように長い黒髪で、痩せすぎて頬がこけている少女だ。
一目見て内向的と分かるほど雰囲気が暗い。

(こいつ、バカか!? 玄関先で何やってやがる!?)

目の前の女を蹴とばしてやろうと思ったが、
そんなことをしたら学校での評判が最悪になる。

「は、はは。こんなとこじゃ困るよ」

「何が困るの?」

「いや、ほら。うちの両親に見られたらやばいだろ?」

「うそ」

「へ?」

「今日はお父さんもお母さんも出かけてるんでしょ?
 私、知ってるんだから」

「あ、ああ……ええっと」

「うそつかないで。うそつきは嫌いなの」

「はい……ごめんなさい」

「中、入っていいよね?」

「もちろんだよ!! お茶でも入れるからその辺に座っててよ」

リング…でなくリビングに案内し、適当に紅茶でも入れるケイスケ。
どうやってこの女を追い出そうかと策を練る。
貞子(仮名)は興味深そうにあたりを見渡している。

彼女が本村家に来るのは初めてだった。

「紅茶に砂糖はいれる?」

「ダイエット中だからいらない」

(それ以上ダイエットしたら餓死するだろうが)

と心の中で毒づくが、間違っても口にはしない。

「ケイスケ君。私のこと名前で呼んだことないよね?」

「ああ、えっと、そうだったかな?」

「名前で呼んでよ。もちろん下の名前で」

そう言われても下の名前が分からなかった。
貞子の苗字すら分からなかったので
思わずスマホで確認しようかと思った。

ケイスケにとってはクラスも違うし、何かのはずみで
話しかけた気がするというレベルの女である。
名前は聞いた気がするが、すぐに忘れてしまった。

ケイスケは同じ学年の女子を口説くのが趣味だった。
たまに年下に手を出すこともあった。要するにチャラ男である。
しかし表向きは成績優秀で容姿端麗。彼に真剣っぽく迫られると、
意外にも女性はうっとりしてしまうのだった。

「どうしたの?」

貞子の声が重い。ケイスケはキッチンで食器を片付けるふりをしていたが、
ママがきれいに整頓していたので何もすることがなかった。

「早く言って」

ケイスケは固まるしかなかった。
まさかこの状況で名前が分からないとは言いにくい。
しかし彼は頭の回転は無駄に早かった。

「その前に逆に聞かせてくれ。君が僕の家に来た理由が知りたい」

「なんで聞くの?」

「すごく……ドキドキしたんだ。
 だって君みたいに素敵な人が急に玄関にいたからさ」

「なにその言い方。どうせ他の女子にも同じこと言ってるんでしょ?」

「ああ、彼女にはよく言うよ」

「彼女いるの?」

「いるよ。言ってなかったかな?」

「へぇ。やっぱりいるんだ」

貞子は紅茶のカップに口をつけた。

「彼女。何人いるの?」

「へ?」

「たくさんいるんでしょ? まえ年下の子と楽しそうに帰ってた。
 その前は文化部のこと手をつないで歩いていた」

「……ただの友達だよ」

「うそつき」

「えっと……」

「うそつきはみんな死ね」

貞子は何を思ったのか、ケイスケに飛び掛かって来た。
いきなりこんなことをされて対処できる人間はそういないだろう。
全く不意打ちになってしまい、ケイスケは床に押し倒された。

「お、おいてめえ!!」

素の口調になる。マウントを取られているので男女の力の差があるとはいえ、
貞子を簡単にどかすことはできない。貞子は、にたぁと笑い、
ケイスケの首筋に手を添えようとする。

(こ、殺される!?)

ケイスケは本能で死を悟った。もうどうにでもなれと思い、
貞子の顔を殴ろうとしたら、簡単に腕を抑えられた。
ケイスケの右腕は床にきつく押さえつけられ、力が入らなくなった。

貞子の握力は万力のごとく。

「うあぁぁぁぁあああああああああああああああ!!」

握られた手首の骨がきしみ、このまま粉々に砕けるかと思った。
明らかに人の力を超えていた。文字通り万力に占められているとしか思えない。

彼の悲鳴を聞きつけた妹がさすがに心配になって一階へ駆けおりて来た。

「あに……き……?」

呆然と立ち尽くすミホ。

そこに貞子はいない。代わりに放心状態のケイスケがいた。
現場は、井戸水のような汚水がまき散らしてある。
とゆうか井戸水だった。
ケイスケの首筋には締め付けられたようなあざ。
右腕は変な方向にひねられている。間違いなく骨折しているだろう。

なにより恐ろしいのが、ケイスケに意識があることだ。
彼はその場に体育座りし、ただリビングのカーテンをながめていた。
三度目の受験に失敗した浪人生に見えなくもない。

「あの時と同じだ……」

ミホがつぶやいた。その現場は、金子が消えた時と同じ。
貞子が現れた時は、必ず井戸水がまき散らしてある。
そしてこの特有の鼻をつく異臭。吐き気さえする。

金子の時と違うのは、被害者のケイスケが生きていること。
なぜ彼は生かされたのか。最大の謎である。

その日からケイスケは別人になった。

彼は家族の誰とも会話しなくなり、不登校になった。
彼は自室にこもることを好み、家でPCばかり
いじっているニートになってしまった。

かつて進学校で成績優秀だった男子の面影は、そこになはなかった。

その日もケイスケは腕に包帯を巻いたまま、飽きもせず画面の前で
マウスをクリックする毎日。画面に映し出されているのはゲームの美少女。
彼女らのまぶしい笑顔ですら彼を癒すことはない。
彼は無表情でマウスを動かすだけの廃人、奇人と化していた。

「ケイスケ。ご飯置いておくから。食べ終わったら廊下に出しておきなさいネ」

返事がない。いつもの無言である。母はこういう覇気のない男が大嫌いだった。

「分かったのね? 生きてるんだったら返事くらいしなさい!!」

「……あぁ」

なんともやる気のない返事だったが、これ以上叱っても
彼を逆に追い詰めるだけ。母はわざとらしく溜息をついてから部屋を出ていった。

廊下には気まずそうな顔でミホが待っていた。

「アニキ……まだ駄目なの?」

「ほんとにどうしちゃたのかしらね。
 学校で嫌なことでもあったのかしら。
 でもおかしくなったのって休みの日だったわよね」

「心療内科とかに行かせなくていいの?」

「本人が絶対に行きたがらないのよ。前無理やり連れて行こうとしたら
 暴れだして、ママの腕を殴ったのよ。ほら。あざできてるでしょ?」

「あのクズ。ママを傷つけて何も思わないのか」

ミホはかっとなって怒鳴り込みに行こうと思った。
母が彼女の肩を持って止める。

「怒っても逆効果よ」

「でも。あいつ、このままどんどん腐っちゃうよ・
 実の母を殴るとか頭おかしいよ」

「ちょっと遅めの反抗期かしらね。それにしても様子がおかしいけど」

「学校を休み続けたらそのうち退学になるんじゃないの?」

「そうよねぇ。その前になんとか復帰してもらわないと困るわ」

本村家では、父の帰りを待ってから三人でケイスケのことを
相談するのが日課となっていた。

出席日数が足りない場合は、最悪裏金を払ってでも卒業させることを
パパが提案するほど事態は悪化していた。


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