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作品名:『学園生活』  ミウの物語 作者:なおちー

第21回   ミウは太盛と再会したが、病んでしまった
「最近ミウちゃんが楽しそうでママ嬉しいわ」

「え?」

夕食後、ミウはリビングのソファに寝転がっていた。
興味もないテレビ番組をぼーっと見ながら、
スマホを片手にラインの返事を待っていた。

「家でよく笑うようになったね。一年の時に学校に行くのが
 苦痛でしょうがないって言ってたのがウソみたい。
 毎朝起きるたびにミウちゃんは、今日も地獄に行くんだって
 言ってたわ。それもすごいしかめっ面で」

「うそ、私そんな顔してたの?」

「今だから言うけど、自殺しそうなほど悩んでる時期もあったわ。
 あれは中学三年の時だったわね。お父さんの仕事の都合で
 引っ越した時だったかしら」

「引っ越したのは中二の時でしょ」

「そうだったかしら」

ママは赤ワインのグラスを空にした。
顔が上気し、ふらふらしていて、今にも眠ってしまいそうだ。

「ちょっとママ」

「えー?」

「ママ!!」

「聞いてるわよー」

「飲みすぎだよ。それでもう何杯目?」

「そんなのおぼえてないわぁ。
 優待でもらった高いワインだから
 早く飲んじゃわないと」

「ボトルの半分も飲んで大丈夫なの?
 ママはお酒強くないんだから気を付けてよね」

「だって、お酒飲めるパパが家にいないんだから
 ママが飲むしかないでしょ? あっ、そうそう。
 パパがミウちゃんのことメールで褒めてたわよ。
 小さい頃から内気な娘が生徒会役員になったことに感動したって。
 会社の同僚に自慢してるそうじゃない。
 恥ずかしいからやめなさいって言ってるのにねえ」

生徒会と聞けば、普通は聞こえの良いものだ。
娘大好きなパパは、生徒を収容所送りにする組織に
娘が所属してるなど想像もつかないことだろう。

ミウは気まずくなって適当にチャンネルを変えた。
イケ〇ミ先生の授業がやっていた。
キューバのフィデル・カストロの生涯を取り上げている。
彼はキューバを社会主義国へ変えた革命家であり、国家の最高権力者である。

(キューバ共産党・中央委員会・第一書記。
 なるほど、生徒会の中央委員会って言葉はここからきてるのか。
 北朝鮮もキム書記長って言い方してたな)

ママは画面を注視するミウと対照的のことは気にせず、
のんびりとした口調で話す。

「キューバは医療費が無料なのは有名よね
 入院費も無料なんて夢みたいな国じゃない」

教育無償化も徹底されていて、識字率は、ほぼ100%である。

「すごいね。さすが社会主義の国。
 日本はどうしてダメなんだろう」

「何がダメなの?」

「その……いろいろと生きるのにお金がかかるじゃない」

「日本の税や物価のことを言ってるのかしら?
 どこの国に住んでもそんなに変わらないわよ。
 ママは独身の時にオーストラリアとアメリカに住んだことあるけど、
 どこも税金は高かったわね。日本のほうが、治安が良いから安心よ」

「日本はそんなに良い国って感じがしないな。
 学校の勉強はロンドンの学校の方が
 ずっと楽しかったよ。先生も個性的だったし」

「日本はどこにいっても黒い瞳をした人ばかりね」

「英国みたいに色んな人種が混じってないからね。
 最近のイングランドは東欧、アフリカ系の移民が
 多すぎてアメリカ化してる気がする」

「成田空港に着いてから驚くのよね。みんなまっすぐ前を見て歩いているし、
 茶髪の人でも瞳の色は真っ黒。ああ、同じ人種が集まった国なんだなと
 日本人はモンゴロイドなのよね」

「モンゴロイドって何?」

「黄色人種のことよ」 ※世界の人種分類のこと

ミウはママと雑談しながらも、テレビの内容をしっかりと覚えていた。

キューバは貧しい国だが安定した社会である。
政府は国民の最低限の生活を保障しつつ、少ない財を貧困者に第一に分配していた。

キューバでは日本のように会社を首になったから自殺することはないという。
貧困者にも住宅や食料を国が支給してくれるからだ。
医療施設、学校は国が所有しているため無料。
大学まで無償なのだから驚きだ。

たとえ最底辺の生活だとしても、国民の生存の権利が保障されているのである。
そのため日本と違ってホームレスは存在しないといわれている。

「なんでソ連の社会主義は失敗したの?」

「ソ連? 懐かしい国ね。ミウはよくソ連を知っているわね」

「が、学校の世界史の授業で習ったのよ」

「失敗した理由は……そうねぇ。まず企業の国有化がまずかったかな。
 ソ連政府はお金儲けを悪と考えたから国が企業を管理したけど、
 すべての労働者が同一賃金で働いたらやる気がなくなるのは必然ね。
 特に経営陣がそんな感じになると絶対に経済成長しないわ」

「どれだけ働いても給料が同じなの?」

「ミウちゃんだったら、サボっても真面目に働いても
 貰える給料が同じだったらどうする?」

「サボるね」

「でしょう?」

ママは目が覚めたのか、饒舌に話し始めた。
といっても、おっとりした性格なので、もたもたした口調なのだが。

「富の均等な分配も無理があるわね。ソ連は人口が多かったけど、
 もともとロシアは未成熟な資本主義国だったからGDPが低くて、
 単純計算で全国民に均等に富を分けるのにお金が足らなすぎるの」

「じゃあ、資本主義国として成熟した国がやればいいじゃない。
 全部の国民にお金を渡してあげたら、貧乏な人も生きていけるんでしょ?」

「日本の場合は生活保護があるけど。生活保護なら憲法で
 保障された文化的で最低限度の生活が送れるわね」

「生活は審査があるから、審査に受からなかった人はもらえないんでしょ。
 それで自殺しちゃう人もいるらしいね。失業して自殺する人も多いし。
 日本はキューバみたいに仕事を失った人も食べていける保障はないのかな?」

「ミウちゃん。詳しいわね。学校でそんなことまで教えてくれるの?」

「自分で勉強したの。……図書館で」

「一般理論も図書館で借りたの?」

「なにそれ?」

「ケインズの本よ。
 雇用・利子および貨幣の一般理論ってタイトルだったでしょ。
 ミウの部屋に置いてあったわ」

「ああ、あれか」

「あの本がよく高校の図書館にあったわね」

「たまたまあったの」

「経済理論の本を読むなんて、そんなに経済に興味があるのね。
 お父さんの血筋かしら。最近ミウは政治の話もするようになったわ」

「私も生徒会の人間だから、いろいろ勉強しておかないと
 生徒の代表としてふさわしくないと思って」

「読書するのはいいことね。
 経済が好きなら将来は経済学部に進学する?」

「うん。そうしようかな。まだ分からないけど」

ミウがスマホに視線を落とす。まだナツキからのメールは来ていない。
テレビが面白い時間帯にメールしても絶対に返ってこないことをミウは知っていた。

ナツキは夜の十時まで自室で勉強をしているのだ。
中央委員の彼は通常授業には一切顔を出さないが、
基礎的な学力が衰えるのは嫌なので自宅での勉強に切り替えている。
自主学習というわけである。もちろん大量の読書も含んでいる。

風呂をあがって、10時45五分ごろになるとミウに返事を返してくれる。
ミウはナツキの返事を待つだけで胸がわくわくしてしまう。
太盛の彼女のはずだったのに、その自覚はどんどん薄れていった。
そんな浮ついた気持ちの自分が嫌になる。

だがミウの寂しさを埋めてくれるのはナツキしかいなかった。





「今日はミウ待ちに待った収容所の見回りの日だよ」

ナツキが明るい笑顔で言う。
現在、組織委員会は、朝十時の休憩を終えたところだ。

「本当はもう少し早く収容所に連れて行ってあげたかったけど、
 僕らがあそこに行けるのは月一の決まりになっている。
 基本的に執行部の管轄だからね。まず一号室から順に回っていこう」

ミウは、ナツキの隣にぴったりついて歩いた。
太盛以外の男子にこんなに
接近するのは初めてであり、少し恥ずかしかった。

「一号室の囚人はどんな人なの?」

「軽犯罪者だから、そんなに悪い人はいないよ。
 数も少ないし、模範囚が一番多いのが一号室なんだ」

「人数はどのくらいいるの?」

「名簿によると……16名だね。
 このうち三人が今週中に解放される予定だ。
 模範囚は特別に刑期を短くてしてもらえるんだ」

一号室の前に着いた。
部屋の前で警備している執行部員が、ミウ達に敬礼する。

「Это регулярный патруль?
 Политический комитет」
(定期巡回ですか? 委員殿?)

「Да」(左様だ)

警備兵が扉を譲る。収容所の広さは普通の教室と変わらないが、
内部は電子化されており、扉は指紋照合で開くのだ。
中央委員であるミウの指紋はすでに登録してある。

「Как Вы себя чувствуете?」
(ごきげんよう。調子はどうだね?)

収容所の生徒達は、壁際に一列になって整列していた。
みんなナツキの声に緊張している。

「にぃちぇぼー」(問題ないです)

生徒達が右から左の者へと伝言リレーのように
同じことを繰り返していく。ミウには点呼を取っているように見えた。

「Не нервничай. я не враг.」
(私は敵ではないから緊張するな)

ナツキが優しく言う。ミウには何を言ってるかさっぱり分からないが、
彼が悪い人間には見えなかった。囚人に対する時も笑みを浮かべ、
落ち着いて話している。声を荒げる様子はない。
ミウの前だから本性を隠しているのか、それとも本当に囚人たちを
虐待しない立場の人なのか。まだ判断がつかない。

「お前たちのロシア語は日に日に上達している。
 大変に素晴らしいことだ。これから日本語で話すから
 日本語で返すように」

「かしこまりました、委員殿」

「健康状態がすぐれない者はいないか? 学校と自宅で
 しっかり食事はとれているか? また不眠に悩まされている者はいないか?
 怖がらず、はっきりと意思表示をしてほしい」

ナツキは十数名のメンバーに紙を手渡していった。
健康診断の問診票のようになっていて、アンケート形式で
健康状態を記入していく。もちろん自己申告だから嘘をつくことも出来る。
たとえば仮病を使って囚人の仕事(使役)を断るなど。

しかし、そのようなことを考える囚人は一人もいなかった。
むしろ自分の健康状態を実際より良く見せようとする傾向にあった。
なぜなら仮病と疑われた場合は、罰として二号室行きになるからだ。

二号室へ行った人間は一人も帰ってくることがないという。

それに対し一号室の人間は、体操やマラソンなどの体力づくりと
共産主義の学習(読書)がメイン。

ロシア語教育を中心に外国語教育には力を入れていた。
囚人たちにパソコンとイヤホンが支給され、
ロシア語のニュースや映画をみせられた。
字幕なしのロシア語音声である。

自宅ではロシア語版のRPG(FFなど)をプレイするよう推奨された。
露国から直輸入した物なので日本語字幕は一切ない。
母国語なしの世界で仮想外国体験をさせるためだ。

これらはベルギー、オランダなどの多国語話者が実際に使用している学習方法である。
空いた時間にロシア語の辞書で意味を調べると理解度が増す。

彼らの生徒と同じように椅子に座って勉強させてもらえるのだ。
一号室の人で精神病や再起不能になる人は存在しなかった。

「収容所生活で不満のある者はいないか?」

「同士。発言してもよろしいでしょうか?」

「許す。申せ」

「前回渡された資料ですが、翻訳の仕方に問題を感じています。
 この翻訳には論理的に矛盾した内容が多々見られました。
 矛盾した部分を抽出し、ノートにまとめておきました」

「どの本だ?」

「これです」

ウラジーミル・レーニンの書いた帝国主義論だった。
20世紀初頭の列強の動向、資本主義の問題点を分析した本である。
こういう齟齬(そご)が生じるから、
翻訳でなく原語で読むべきだとナツキは主張している。

「分かった。資料を持ち帰ってあとで検討しておく。他には?」

「隣の部屋(二号室)からよく叫び声や悲鳴などが聞こえてきます。
 ロシア語ニュースを聞く際に集中できないので、改善していただきたい」

「二号室の人間は特に反社会的な生徒が多いからな。
 分かった。二号室の教育をさらに
 徹底するよう執行部の責任者に話しておく。他は?」

「委員殿。私をぜひ執行部に入れていただきたいのです」

そう言うのは、カナの後輩のトモハル(野球部員)だった。
彼はすっかり共産主義に感化され、さわやかだった顔は
ラブレンチー・ベリヤ(旧ソ連の内務人民委員)のように変化していた。

「おまえは健康状態に問題はないのか?」

「全く問題ありません!! 自分は収容される前は
 運動部の厳しい練習で鍛えられていました!!」

「では、午後に生徒会室で適性検査を受けるように。
 ペーパーテストと体力測定である。指定の時間に遅れずに来るように」

「ダー、コミッサール!!」

こうしてまた新たな執行部員が生まれるのだった。
その後もナツキは囚人たちから言われた不満点や改善点を
辛抱強く聞き、しっかりメモを取っていく。

一号室の部屋を出た後、ミウが言った。

「本当に拷問しないんだね。ちょっと安心した」

「理由もないのに人を傷つる趣味はないよ。
 僕は執行部の人間じゃない。将来有望な生徒をあの中から
 発掘するのも僕の楽しみなんだよ。壊すのではなく再生する。
 それが僕ら組織委員会の仕事だと思っている」

そう語る彼の横顔にミウはうっとりとしてしまった。
真っ赤になった顔をみられるのが恥ずかしいのでうつむいてしまう。

「実はね、僕はあそこに週一で通ってるんだ」

「月一しか見回りに行けないんじゃなかったの?」

「委員会の信任を得てロシア語の教師をしているんだ。
 この学校には露語の分かる教員がまったくいない。
 だから僕が代わりに教えてる」

「先生をやってるなんてすごいね。どんなことを教えてるの?」

「文法書の例文を繰り返し声に出して読んでもらってるんだよ。
 発音は僕を見本にしてもらって、ひたすら大声で読んでもらう。
 一か月くらい同じ本を音読していると、気が付いたら文法規則が
 頭に入ってる。欧州で実践されている学習法を取り入れたんだ」

「私も同じ事やってればロシア語が分かるようになるのかな」

「僕が直接教えてあげるよ」

「いいの?」

「君のためなら喜んで」

ミウは彼の笑顔のとりこだった。
なんど甘い言葉を口にされても飽きることはない。
むしろどんどん彼の深みにはまってしまう。
ミウはこの現象にナツキ・マジックという名前を付けた。

ナツキは、一号室の隣にある教室を三つ飛ばして歩いた。
それらの部屋が二号室(110名収容)に相当するのだが。

「二号室は、ミウには危険だ。あっちの人間は血気盛んで
 すぐ反抗してくるからね。先月は中央委員が部屋に入ったと同時に
 襲撃されて三人が怪我をしたよ」

「え……そうなの?」

「奴らは共産主義の本を読ませても上の空。全く頭に入れちゃいない。
 それも無理はないがね。なにせ体力づくりと称して地獄の登山や
 貯水池での遠泳を強制されているんだから。あそこまで過酷に
 扱っては逆効果だと委員会には報告しているんだがね」

どうやらナツキは、中央委員の中でもかなりの穏健派のようだった。
ミウが彼に抱いた第一印象は、落ち着きがあり、理性的で頭の良い人。
その通りの人で間違いなさそうだった。

『三号室』と書かれた部屋の前に二人は立った。

「さあ入るよ?」

指紋認証をして、部屋の扉が開いた。

「ズドラストヴィチェ、コミッサール!!」(おはようございます、委員殿)

中はがらんとしている。今挨拶をしたのはたったの三名。
部屋の中央でカナ、太盛、松本の順で整列し、敬礼している。

「三人とも血色も良く、健康そうだな。
 最近の健康状態に異常のある者は?」

「問題ありません!!」 「同様です!!」 「僕もです!!」

「そうか。では君たち模範囚に新しい中央委員を紹介しよう。
 こちらにいるのが高野ミウさん。私と同じ組織委員会に
 所属している女性だ」

「な……?」

と間の抜けた声を上げたのが太盛だった。
太盛達は委員殿ばかりに目を取られていたから、彼の隣で
顔を伏せている人がミウとまでは気が付かなかった。

「高野さん……?」

カナも、開いた口がふさがらなった。
カナ達三人はクラスメイト。ミウがおとなしくて引っ込みがちな
少女だったことは良く知っている。なぜ彼女が生徒会の役員に?
あの魔の組織に? 疑問が次々に頭に浮かんでいく。

松本は事情を知らないので、いつものとぼけた顔をしている。

一番衝撃を受けていていたのは誰であろう、ミウ自身であった。

この世界に来てからミウの記憶喪失を一番に心配してくれた彼。
彼の屋敷へマリーと遊びに行ったこと。マリーの入院のお見舞い。
夏の神社でエミと会ったこと。どこに行くにも二人で一緒の時を過ごしてきた。
死ぬ瞬間の走馬灯のように彼との思い出がよみがえった。

「っ……」

嗚咽に近い声をミウは発した。
太盛の顔が、明らかにおびえていたからである。
彼はミウの襟に着いた中央委員会のバッジを注視している。

生徒会・中央委員会。それは生徒たちにとって絶対的支配者の証だった。

ミウは太盛に化け物を見るような目で見られたことがショックだった。
そして支配者と囚人の立場で彼と会うことが、こんなに残酷な
事だとは知らなかった。今思えば、どうしてこんな役職についてしまったのか。

彼女は二年一組の革命的熱気と
ナツキの「口のうまさ」に乗せられてここまで
昇りつめてしまったのだ。もう戻ることはできない。

太盛達はその光景に驚いていた。
中央委員が囚人の前で泣き崩れてしまったのだ。
ナツキも驚愕し、ミウの肩を優しくつかみながら退出せざるを得なかった。

「ミウ……。そんなに彼とその再開は気まずかったのかい?」

ミウは答えようとしない。ひとしきり泣いた後、小さな英語で答えた。

「I want to talk with him, face to face…」(太盛君と二人きりで話したい)

「Sorry. it is a violation of our rule」(すまない。それはルール違反だ)

「please!! If you say yes or kill myself.」(許してくれなければ自殺するわ)

ナツキはミウの迫力に危機迫るものを感じた。
本気で自殺するつもりはないだろうが、
彼女の要望を受け入れなければ、生徒会を辞めてしまうかもしれない

仕方ないので個人的な外国語指導という名目で太盛とミウを部屋に残し、
他の者は廊下で待機することにした。日々のボリシェビキの活動報告は
詳細かつ正確に行わないと中央委員会の総会で問題視(最悪粛清)される
恐れがあるため、ナツキも慎重である。


「太盛君、聞いて? 太盛君に会えなくてずっとさみしかったの。
 こんなこと言っても信じてもらえないかもしれないけど、
 私は好きで生徒会に入ったわけじゃないの。
 エリカとクラスで色々喧嘩とかして、それでみんなが私の味方してくれて……」

焦るあまり支離滅裂の説明になってしまう。太盛は一字一句聞き漏らさず
聞いていたが、そこにいるのはすでに彼の知っている彼女ではなかった。

太盛は強制収容所の囚人の立場から、松本やカナと強烈な連帯意識で
結ばれており、生徒会の人間は誰であろうと敵であった。

「それでね。ナツキく、委員が…すごくいい人で、私を何でも
 サポートしてくれてね。今日やっと太盛君の収容所の見回りを…」

ミウは、だんだんと違和感に気づいた。
いつもの太盛君なら自分の話に相づちを打ってくれるし、
話し中に視線を明後日の方向にやることもしないはずだった。


「あのさ、どうして……さっきから何も話してくれないの?」

それも当然のことで、
太盛はミウと話をするつもりが全くないのだ。
まず、ミウをどう呼べばいいのか分からない。

ソ連風に同士・高野か。生徒会で奨励されているコミッサールか。
呼び捨てにする権利は当然囚人には与えられていないはずだ。

それ以上に太盛はミウを怒らせたら拷問される可能性すら考慮していた。
そこまで分かっていながら彼女に対し反応を示さないのは自殺行為であろう。

「せまる……くん? おーい太盛君? 私の姿が見えてるよね?」

ついに太盛は壁の一点を凝視するようになった。
やはり彼には自殺願望があるのだろう。

太盛も高校生とはいえ男なので意地があるのか。
ボリシェビキには媚びを売らないという態度を徹底しているのだ。

「お願い。太盛君。返事をして。私のこと怖い…かな?
 今は二人きりだよ。監視カメラもナツキ……委員に
 止めてもらってるから、心配しないで話していいんだよ?」

かつての彼氏彼女は向かい合わせに座り、話してる。

ミウは、不動の姿勢を保つ太盛が、かつて
カンボジアの仏教徒の物まねをしていた時みたいだと
笑い飛ばしたかった。今はそんな余裕はない。

ミウはどこまでも明るく話しかけているのに空気は
悪くなる一方であり、まさしく修羅場だ。

それほど太盛の折れ曲がった視線は冷たかった。
『おまえは俺の彼女じゃない』彼の目がそう訴えているかのようだ。

・やっと再開できたのに会話をしない
・会話してるのに目を合わせない
・態度が冷たい
・浮気相手がいた(小倉カナ)

もはやミウを激怒させるのに十分な条件がそろってしまった。
またこれは、世の中の女性に対し、最もやってはいけないことでもある。

「そんなのひどい……私がどれだけ太盛君のこと心配して、
 エリカやクラスの反対者と戦ってたか知らないんでしょ?
 本当に悲しくて家でも泣いてばかりで……辛くて辛くて……。
 私の気持ち分かってよ。分かってよ太盛君!! 分かれよ!!」

太盛は答えない。彼にとってミウの事情など興味がない。
『高野ミウは悪のボリシェビキに身を染めた』これこそが決定的な事実。

また理不尽な理由で怒鳴られたことも不快であった。
ミウの声量が無駄にでかいのは何度も描写した通りだ。

「太盛君っ!! ねえ太盛君!!」

やはり答えない。彼の意志は鉄のごとしだ。

これでは壁に話しかけているのと変わらない。
ミウは、今まで感じたことのない衝撃に襲われた。

「そこまで強情を張るんだったら、こっちにも考えがあるよ?
 今から私と会話をしなさい。ねえ分かる?」
 
声が半オクターブ低い。顔は醜くゆがみ、怒りがこもっている。

「コミュニケーションだよ。
 会話をしなさいって言ってるんだよ!! 返事は!?」

太盛はまだ冷静であり、顔に飛んできた彼女の唾を拭きとることさえしなかった。

「敬語はいらないし、呼び方もミウでいい。
 逆らったら、あなたに罰を与えます。これでいい?」

ミウは彼の頭部をつかみ、鼻がぶつかりそうな距離でそう言った。

ミウはそれ以上何も言わず、ただ太盛を睨み続けた。
興奮のあまり血圧が上がったミウは息が荒く、これ以上彼女を
悲しませたら本当に拷問を始めるかもしれないほど事態は緊迫した。

太盛は長考した後、ついに観念し、言葉を発するのだった。

「ミウは……変わったな」

名前を呼ばれただけで、ミウの心臓の鼓動が一瞬、強く鳴った。

「おまえが俺のこと好きでいてくれるのはよく分かった。
 だが、はっきり言わせてくれ。今のお前はエリカと全く同じだ。
 むしろエリカより悪い。俺はおまえと話したくないし、二度と関わりたくない」

今度は逆に、胸の奥をギュッとつかまれたような痛みが走った。

「今度は俺のつまらない話を黙って聞いていてくれ。
 俺はこの収容所生活で人とは何かを、毎日考えていた。
 一緒に考えてくれる仲間がいた。同じ部屋のカナだ」

「カナは素敵な人だ。俺は彼女に惹かれている。
 彼女は俺と同い年だが、すごく立派な考えを持っていて大人だ。
 俺の友達であり、お姉さんでもある。俺にとってかけがえのない人になった。
 俺とカナは相思相愛になった。だから俺はカナと誓ったよ。死ぬときは一緒に死のう。
 もしここを脱出できる日があったら、ずっと一緒にいようと」

ミウの悲しみは強い怒りに変わる。ミウはクラスメイトの小倉カナを
詳しく知らない。クラスで話したこともほとんどない他人だった。

ミウには太盛が浮気したという認識はない。太盛が悪いと思いたくない。
小倉カナという囚人に彼氏を奪われたという事実を頭で理解した。

自分もナツキに惹かれていたから人のことは言えないが、
ミウは自分のことを棚に上げて相手を責めてしまうのだった。

「じゃあ別れてくれる?」

「なに?」

「カナさんと別れて」

「それは生徒会役員としての命令か?
 逆らえば俺は極刑になるのか」

「いいえ。これは私の個人的なお願い。太盛君は私の彼氏だよ。
 他の女のところになんか行っちゃ、だめ……じゃないっ……」

ポロポロとミウの顔から涙がこぼれ落ちていく。
人間はこんなにも涙を流せるものなのかと太盛は呆気にとられた。
皮肉にも女の涙も今の太盛には全く通用しなかった。

「断るよ。だって俺と高野さんは赤の他人じゃないか」

「はい?」

「さっきも言っただろ。俺は高野さんとは関わりたくないんだ」

「なにその言い方? 高野さん……?」

ミウは普段から苗字で呼ばれるのを嫌った。
自分の下の名前を強い個性だと認識していたからだ。
彼女はミウと呼ばれることに強いこだわりを持っていたのだ。

愛する太盛に名字で呼ばれたのは、計り知れないほどのショックだった。

「ふざけるのも、いい加減にして」

太盛の肩を勢いよくつかみ、今度は太盛を憎しみの感情を込めて見た。

「もしもう一回、私を高野さんって呼んだら、
 カナを水責めして廃人にしてあげる。……分かった?」

声こそ荒げてはいないが、有無を言わさぬ迫力がある。
太盛は雰囲気に圧倒され、震えながらうなずいた。

「もう一回、改めて、誠意を込めてお願いしようかな」

笑っているのは口元だけであり、とにかく怖い。

「カナさんとは何でもなかったんだよね。
 カナさんと太盛君はただの囚人同士。友達ですらない。
 うん。これでいい。早く事実を認めてくれると助かるよ。
 太盛君が認めてくれないと、私は何をするか分からないよ?」

太盛は過酷な収容所生活をカナと楽しく過ごしたことを思い出していた。
寡黙な松本先輩と、活発で明るく前向きなカナ。
みんなで共産主義の教科書を読み解いたり、
露国の言語を覚えたりと、一号室とほぼ同じことを繰り返していた。

生徒会から一号室と三号室の人は模範囚と称えられていた。
三号室は最悪の囚人を捕える場所ではなく、将来有望な
ボリシェビキ候補を監視、教育するための施設だったのだ。
つまり本当の意味での絶滅収容所は二号室だったことになる。

来月に生徒会の総選挙が迫っていることもあり、屋外での
訓練はほとんどなく、安全な室内での学習ばかりが続いた。
太盛とカナの仲は深まっていくばかりだった。

同時に、いつまでも自分たちから人権を奪い、
収容し続ける生徒会に対する憎悪が強まった。決定的なほどに。

彼らは模範囚ではあっても、心まではボリシェビキに売ったつもりはなかった。
太盛に会うため、逆にボリシェビキに染まっていったミウとは対照的だ。

だが言わなければらないのだ。
ミウの望む言葉を。それが例え、どれだけ薄っぺらい、
その場しのぎの言葉だとしても、彼女がそれを望んでいるのだから。

「カナはただの囚人仲間。俺の彼女じゃない、赤の他人。
 俺の彼女はミウさんだけだよ」

「さん、はいらない!!」

凄まじい声量に太盛は震えあがる。
彼女はあくまで対等な恋人関係を望んでいるのだ。

「言い直すね。俺の彼女はミウだけだよ」

「本当に?」

「本当だよ。俺は君のことを愛してるんだ」

「もう一回言って」

「え?」

「愛してるって、もう一回言って」

「ミウを愛してるよ……」

「もう一回」

「愛してる」

「まだ足りないよ。もっと言って」

「ミウを愛してる。君以外の女性は……誰もいらない」

「あはっ。本当? もっと大きな声で言って」

太盛は、いつまで続くのか分からない地獄に付き合わされた。
ナツキが彼女に与えた時間は50分。
ロシア語の授業に与えられる時間であるが、まだあと15分残っている。

残り時間いっぱいまでこのやり取りが繰り返された。もはや一種の洗脳であった。

ナツキに時間を知らされ、部屋を出たミウはまた大泣きした。

彼女は間違いなく病んでいた。自覚もあった。
太盛の前で恋敵のカナを拷問するとまで脅したことを
今になって後悔していた。何より愛する人を恐怖させ、
嘘の言葉を吐かせてしまった。こんな最低な女がいるだろうか。

ナツキに慰めの言葉をかけられても耳に入らない。

ナツキはミウを心から哀れんだ。彼は中央委員会の人間ではあるが、
ミウと同じく人を傷つけることを望んではいない。彼は共産主義に目覚めてから
その教えを他の人にも教えてあげたいと思って、組織に加入したまでのこと。

成績は学年でもトップ5に入るので優秀さを買われて幹部になった。
彼は権力を手にした。女性的な魅力とリーダーの素質のあるミウを
生徒会に勧誘したのは、仕事の辛い時に癒してくれる存在を求めてのこと。

ミウには仕事の面で多くを望んではいなかった。
太盛を餌に少しでも自分のそばにいてくれればいい。
そのくらいの軽い気持ちだった。

「残念だけど、僕では太盛君の代わりにはなれないようだね」

遠慮なしに深いため息を吐いた。それは諦めた男の顔だった。
ミウの太盛に対する愛の強さを自分では
どうすることもできないと知ってしまったからだ。


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