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作品名:『学園生活』  ミウの物語 作者:なおちー

第19回   19
橘家の屋敷は、ロシア貴族の館を模倣した豪華なものだった。
祖父の代から続く、カフカース系ソビエト人の家系である。

屋敷の離れに古びた書斎があった。
部屋は文字通り本棚に包囲されているといってもいい。
日本語、英語、ロシア語、アラビア語で書かれた文献が並ぶ。
ほとんどが政治経済の専門書である。

日中なのに仕切られたカーテン。
外部との接触を避けるため、電話は置いていない。
お洒落な照明が温かみのある空間を演出している。

物思いにふけるのにぴったりな、プライベート空間。
この部屋の主は生徒会副会長であるアキラであった。

「アキラ兄さん。入るわよ?」

ターシャだ。彼女はアキラの双子の妹。当然年齢差はないので
アキラを呼び捨てにしてもいいのだが、幼いころから
兄、妹の関係で育てられたため、兄と呼んでいた。

「話は分かっているよターシャ。エリカのことで相談に来たのだろう?」

「……相変わらず、すごい洞察力ね。話し始める前から分かっちゃうの?」

「双子だからかな。お前の考えていることはだいたい分かる。まあ座れ」

アキラはもう一つの席を用意した。この部屋は一人用なので
本来なら一つしかイスがないのだが、来客者のために
もう用意していた別の椅子がある。

それはアキラが昨年のターシャの誕生日プレゼントに買ったイスだ。
欧州の一流ブランドが作った椅子で、それなりの値段がした。

「彼が収容されてからエリカは変わってしまったわ。
 ストレスでずっと不眠に悩まされているの。
 ささいなことで使用人に八つ当たりしてみんなを困らせているわ」

「ふ。そんなに太盛君に会いたいのか。エリカは乙女だな」

「兄さんは男の人だから分からないかもしれないけど、
 エリカにとって本当に辛いことなのよ?
 お父様も彼との婚約の話に興味を持っていたじゃない」

「エリカは彼に振られたんじゃないのか?
 私は高野ミウと太盛君の関係を公式に認めたばかりだぞ」

「それでもエリカは奪い返そうと必死なのよ。
 太盛君も若いから、いつかミウさんに飽きるかもしれないでしょ。
 少しでいいの。エリカと彼を会わせてあげることはできないの?」

「囚人は一般生徒との関わりを禁じている。そういうルールだ」

「せめて休みの日くらい……」

「彼らは、休日は自主的な謹慎生活を続けているよ? 
 よほどのことがない限り友達と会ったりしないだろう」

ターシャが哀しそうに顔を伏せた。
この仕草は妹のエリカにそっくりだった。

「前の会長は……ここまでしなかったわ」

「また奴の話か。聞き飽きたぞ」

ターシャが言っているのは現会長のことである。
彼がしばらく物語に登場していなかったのは、アキラに粛清されたからだ。
彼は社会的に抹殺され、表向きには転校したことになっている。
つまり現在の実質的な会長は、アキラなのである。

「ターシャ。奴の考えは甘かった。奴は社会主義的思想を学内に
 広める意図はなく、ただイタズラに生徒を虐待するのみ。
 あれでは子供と変わらん。マルクス・レーニン主義を名乗る堕落者だ」

完全なる共産主義とは、成熟した資本主義国がのちに
社会主義を経てから成るものだとされている。

計画経済の下、すべての労働者が国営企業で働くため、
解雇はなく、給料の変動もない。ただノルマをこなして働いていればいいのだ。
つまり、資本主義社会であるような、
景気変動による生活への不安が存在しないのだ。

第一次世界恐慌の時に先進各国で大量の失業者
(米国はなんと失業率25%)が出たが、
ソビエトは影響を受けずに工業化を進めた。

究極の社会保障が実施されるため、国のあらゆる
サービスが無料で受けられる。たとえば治療にかかる
費用は全額国負担であり、入院費すら無料。子供の学費も全て無料。

そんな社会を夢想したのがソビエト社会主義共和国連邦だった。
ソビエトは高度な資本主義国への発達を待たずに急ピッチで
改革を進めた軍事強国だった。かの国はすでに崩壊した。

ソ連は強力な一党独裁政権と、強制収容所なしには成り立たない国家だった。
収容所の生産は、最盛期でGDPの一割に達したとまでいわれている。

しつこいようだが、今も日本に向けて200基以上のミサイルを
向けている朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮のこと)は、
ソ連の手先(金日成)が作り出した国家である。
今この瞬間も日本国はソビエトの子孫におびえているのだ。

「奴はボリシェビキとして甘かった。理事長の息子だから
 コネで会長職に選ばれていたにすぎん。正しい社会とは、
 一部の優れた天才によって管理運営されるものなのだよ」

「……その話はこっちこそ聞き飽きたわ。
 学校の囚人は触える一方よ。
 これ以上増えたら収容しきれないでしょ」

「そのためにC棟に鉄条網付きの広大な収容所を作るのだろうが」

「いくらなんでも数が多すぎるわ。この前の登山訓練で25人が
 粛清(病院送り)されたけど、次の週に倍の数の生徒が逮捕されているわ。
 この調子だとうちの学校から生徒がいなくなっちゃうわよ?」

「わが校の生徒総数はざっと2400名。
 生徒など吐いて捨てるほどいる」

「市内の病院から苦情が来てるけど、学校の権力で押さえつけるのも限界よ。
 だって毎週のようにうちの生徒が運び込まれてるのよ? しかも
 そのうちの大半が精神病。いっそ学内に病院を作ったらどうかしら」

「ふむ。病院を作るのは面白い発想ではある」

「本当? なら保健室を拡充して
 軽症の生徒はうちで治療できるようにしましょう」

「ふふふ。おまえもずいぶんと変わったじゃないか」

「……なにがよ?」

「エリカと組んで斎藤マリーの拷問を手伝った時の冷酷さはどこへ消えた?
 おまえは生徒など畑で取れる大根より価値がないと言っていたじゃないか」

「斎藤さんの件は……ごめん。兄さんがあの子のファンだったなんて知らなかった」

「俺も誰にも話していなかったからな。彼女を殺さなかっただけましだ。
 その件はいい。おまえは太盛君と関わるようになってから
 ずいぶんと俗ボケしてるようだな。夏の別荘で何かあったのか?
 おまえにボリシェビキとしての自覚が足らないようなら、
 きつめの教育が必要かな?」

彼女と親しかった会長は、アキラの派閥が
生徒会内で多数派となった時点で逮捕され、粛清された。

それは死んだというわけではなく、二度と社会復帰できないように
拷問したのだ。会長は発狂の末、廃人となってしまったのだ。
表向きにはニュージーランドに長期留学したことになっている。

「……ごめんなさいアキラ兄さん。私はエリカのことが心配で
 少し弱気になったいただけなの。私はいつだって誇り高き
 ボリシェビキでいるつもりよ。お父様にも誓ったんだから」

「嘘ではないのだろうな?」

「もちろんよ」

「ならいい。話は以上だ」

結局、ターシャの直談判は無駄に終わった。
石頭のアキラに何を言っても無駄なのは初めから分かっていたから
それほど落ち込んではいない。
ターシャは腰を上げ、扉に手をかけた。

「アナスタシア。待て」

「なに?」

「もうすぐ待ちに待った革命記念日だ」

「生徒会総選挙をやる予定の日ね」

革命記念日とはボリシェビキにとって最大の祝い行事である。

ロシア革命が起きた日のことだ。史上初の社会主義国が誕生したのである。
グレゴリオ暦では『11月7日』のことであった
(当時のロシアはユリウス暦を採用していたので10月革命と呼んでいた)

「日程の都合で革命期根日には間に合わない。
 選挙日は11月23日に決定した」

「そう」

「選挙の開票結果の発表と同時にパーティをする。
 その日だけ特別に囚人を解放してやってもいい。
 もちろん三号室の人間もだ」

「エリカを彼に合わせてくれるってこと?」

「たった一日だけだが、それでもよければな」

これをエリカが知れば、どれだけ喜ぶことだろう。

「兄さん。ありがとう」

「気にするな。可愛いおまえのためだから願いを聞いてやったのだ」

そう言って双子の妹の髪を撫でた。ウェーブのかかった長い茶髪である。
北アジア人の血が入っていているので日本人の髪より毛先が細い。

ターシャは、彼に触れられると生理的嫌悪で顔が引きつってしまう。
本当は指一本触れてほしくなかった。

「いつ見てもきれいな髪だ」

アキラはターシャのことを特別可愛がっていた。
この書斎は、アキラが許した人以外入ることは許されない。
エリカは許可されていないので、彼女の代わりにターシャが相談に来た次第だ。

ターシャも常人離れした冷酷さを持ったボリシェビキだが、
兄のアキラはそれとはまた次元の違うサディストだった。
ターシャは、はっきりいってアキラのやり方にはついていけなかった。
学園全体を巻き込んでの大規模な革命を前会長は望んでいなかった。

彼らは生徒会室という小さな箱の中で遊んでいただけの、
残酷であるが無邪気な集団だった。そこに政治的な意図はない。

前会長派の人間は革命裁判によって全員逮捕され、一掃された。
その中で唯一生き残ったのがターシャだ。
ターシャは前会長に洗脳されていたためと
アキラが彼女の無罪を主張し、それが裁判で有効になった。

命を救われたのは事実。
だからターシャは何があってもアキラに逆らうことはできなかった。



「バッカじゃないの。何が革命記念日だ」

ミウは自宅(マンション)のダイニングにいた。
テーブルに肘をつきながら、ビラを見ていた。

『11月23日は生徒会総選挙の日です。そして記念すべき
 ロシア革命が起きた革命記念日でもあります。
 (史実では11月7日)
 生徒のみなさんは選挙に参加しましょう。
 事情があって欠席する人は
 自宅からネット投票することも可能です』

ミウは複数のビラをまとめてファイリングしておいた。
生徒達は、帰宅前に校舎前のポストから所定のビラを
受け取って帰らないといけない決まりになっている。
ビラを粗末に扱った者は逮捕される。

ビラの下部に立候補者五名(二年生)の顔写真が乗っている。
誰に投票しても結果が同じなことは、エリカから教えてもらった。

なぜなら立候補者は副会長派の人間で占められており、
二年生と世代交代したところで、裏で操るのは三年のアキラなのだ。

二枚目のビラを見る。

『選挙に参加しない人は、反革命容疑者とみなされますので
 ご注意ください。健全なるわが校の生徒には、そのような
 人がいないことを願っています』

つまり強制参加なのである。
これを読んだ他の生徒達は震えあがっていることだろう。
ミウは拷問まで経験して度胸がついたので何も驚かなくなっていた。

次のビラである。

『学園の設備を向上させるために、空き教室を利用した
 保健室の数を増設し、生徒の健全な学園生活をサポートさせます。
 また、教会の礼拝堂も一般生徒のために解放され、
 保健室として利用します』

すでに粛清(病院送り)された生徒の数は200を超えていて、
その分空き教室ができていた。そして物理学や生物学など
代えの効かない先生も粛清されてしまったので、
授業が行えない科目もあった。その場合は強制的に自習である。

『わが校は読書を推奨します。図書館に新書を続々取り入れています。
 最低一日一時間は本と共に過ごすことにしましょう。自習時間は
 教室を出て図書館で積極的に本を借りましょう』

図書室にマルクスやエンゲルスなど社会主義学者の著書が多数並べられている。
歴史のコーナーにはロシア史が多数並び、英会話の本より
ロシア語、中国語、韓国語(朝鮮語)会話のほうが多かった。
ミウはロシア語など死んでも話したくなかった。

ビラは他にもある。
.
『偉大なる同士たちの軌跡』

と書かれた偉人紹介コーナーである。
ほぼ全員ソ連人であった。

今日は四度目のヨシフ・スターリンの記事だ。彼は書記局で幹部だったころ、
一日十二時間も精力的に働き、家に帰ってからマルクスの本を
三時間読んでから寝ていたという。
勤勉さこそボリシェビキの第一歩だと書かれている。

格言
『愛とか友情などというものは長続きないが、恐怖は長続きする』
『死が全てを解決する。人間が存在しなければ問題は存在しない』
『赤軍に捕虜は存在しない。存在するのは「反逆者」のみである』
『たった一人の死は悲劇だが、100万人の死は統計にすぎない』
『投票する者は何も決定できない。投票を集計する者が全てを決めるのだ』


「ハイ、Miu. do you want any わっふるs?」

キッチンにいるママから声がかかった。

「うん。お願い」

ミウは急いでビラをカバンの中に隠してしまう。
こんなものを親に見せるわけにはいかない。
生徒会関係のことは身内に秘密にする決まりになっている。

ミウのママが焼きたてのワッフルを持ってきてくれた。
熱々のワッフルの上にホイップクリームと
薄切りのバナナがたくさん乗っている。
その上にチョコクリームがたっぷりまぶしてある。

おやつにしては栄養を取りすぎるくらいだ。
ダイエット中だから我慢しなくてはならない。
分かってはいてもミウのお腹が鳴る。

ミウの家はロンドン暮らしが長かったため、
古風な英国貴族式の食生活に慣れてしまった。
現在夕方の四時半過ぎだが、だいたいこのくらいの時間に
ティータイムを取り、夕飯は八時ごろにさっと食べて終わりにする。

「最近表情暗くない?
 また女子に嫌がらせでもされたのぉ?」

「嫌がらせはないよ。今は私の方が強いくらい。
 みんな私にビビってるんだから」

「ほんとにー?」

「本当よっ」

外はサクサク。中はフワフワなワッフルの感触がたまらない。
たっぷり盛られたクリームがミウの唇についてしまう。

「ママはロンドンにいる時にアメリカの悪口ばっか言ってたじゃん。
 なんで今日はアメリカンワッフルを作ったの」

「ベーキングパウダーから作るアメリカンのほうが作りやすいからよ。
 今日は急にワッフルを食べたい気分になったの」

「お菓子よく作ってくれるからつい食べちゃうけど、
 太っちゃうじゃない」

「ミウはまだまだスリムよ。若いんだから遠慮しなくていいのに」

「私ばかりじゃなくてパパにも美味しいもの食べてほしいな。
 パパ、忙しくてご飯も食べる暇ないんだから」

「あの人はまた出張が決まったわ」

「え? 次は何週間?」

「二ヵ月ですって」

順調に出世街道を歩んだ旦那が良く稼いでくれるから、
妻は気楽な専業主婦である。

父の仕事は証券アナリスト。分かりやすく言うと日本株の専門家である。
日本最大レベルの激務にランクされるが、
その対価として凄まじく高給である。
しかも成果の出ない人はすぐに首を切られる厳しい世界である。

ミウが学生なのに株主優待券を山ほど持っているのはこのためだ。

パパには優待券が持ってもが使う暇がない。
家族と電話する時間もない。
娘と連絡が取れるのは月に一度くらいだ。

余談だが、現在アベノミクスで株価が上昇中なので
投資家たちは大いに盛り上がっている。

「もうすぐ中間配当がもらえるわね」

「あっ、もう九月末か。C社の株の権利確定日なんだよね」

「そんなに多い額じゃないけど、
 ミウちゃんにお小遣い上げるね?」

「お金はいいよ。特に欲しいものもないし。
 今後のためにとっておけば?」

妻は夫の仕事先(東京)で暮らすのを嫌がったため、栃木の田舎に住んだ。
都会暮らしはロンドンの時に飽きてしまったのだ。

「ネット通販で必要な物がなんでもそろうから便利な時代ね。
 それに日本のサービスは質が高いのよ。
 わざわざ都会に住む必要はないわ」とママは言う。

この地域は災害がほとんどなく、住みやすかった。
安全な高級マンションでの娘との二人暮らしは優雅の一言に尽きる。
ある外国人は言った。裕福な家庭の日本の専業主婦は、世界一の勝ち組である。

夫が稼ぐ一方で、妻はお金のやりくりが非常に上手だった。
夫と妻で別々の証券口座を持っていて、
専業主婦でもこっちの稼ぎがあった。
しかもお堅いクリスチャンなので質素な
生活を好むから、出費はほとんどない。

ママは家でお菓子作りをするか、株の動向を分析するのが趣味だった。
その影響でミウも金融に詳しくなった。
高野家の財政は、ミウが一生ニートに
なっても問題ないくらいには余裕があった。

「そういえば」

ママはが紅茶のカップを上品に持ちながら言った。

「太盛君って子はいつ連れてくるのよ?
 ママはいつでも大歓迎よ。
 美味しいケーキと紅茶を出してあげるのにな」

「太盛君は……今はダメなの」

「どうしてー? 彼と喧嘩でもしたのぉ?」

「まあ、そんなとこかな……」

ボリュームのある茶髪のショートカットに眼鏡をかけた温厚そうな女性。
ママはいかにも大切に育てられたお嬢様がそのまま母親になった感じだ。

常に笑顔で、娘と友達のように話すこの母に、どうして
強制収容所の話ができようか。これはミウだけでなく、他の生徒達も
学校関係の話は極力秘密にしなければらないのだ。

「太盛君の写真見てみたいな♪ 
 童顔で可愛い顔してるんでしょ?」
 ミウのスマホで撮ってないの?」

「ちょっと待ってね」

と言いながら、太盛と一回も写真を撮ってないことに気づいた。

「エリカが持ってると思うから、明日もらってくるよ」

「エリカってミウの友達? 
 それならよろしくね♪ 楽しみにしてるわ」

友達なわけがないが、その言葉も口にはできない。
ミウはエリカを殺したいほど憎みながら
この世界に戻って来たのだ。

ミウは紅茶を一気に飲み干した。ベルガモットの香りが心を落ち着かせる。
このまったりした空間にいると、
制限なしに食べて太ってしまいそうで怖かった。
そろそろ本格的にダイエットを始めたほうが良いかと考える。

「Here I am. do you like another one?」
(やあ。ワッフルのお代わり食べる?)

またママが出来たてのワッフルをオーブンから持ってきた。
その美味しそうな匂いにまた我慢できなくなる。

「Yes.please. you can make me fat. Mom」
(うんお願い。もう太ってもいいや)

能天気なママと話してると、全てが馬鹿らしく
なってしまうから不思議だった。




九月が終わり、十月の第一週になった。衣替えの時期である。
まだ日中は十分に暑いので学生たちは任意で冬服に
変えていいことになっている。生徒の95パーセントは夏服のままだった。

「誰か太盛君の写真持ってる人いない?」

ミウが休み時間に声をかけて回ったが、誰も持っていなかった。
クラスメイトらはミウが話しかけるだけで恐怖した。
ミウを怖がって隣のクラスまで逃げている人もいる。

ミウの恐ろしい評判は全校に知れ渡っているほどだった。

「ミウ様。太盛様の写真でしたらエリカ嬢がお持ちかと思います……」

女子の一人が控えめに言った。

「やっぱりあいつに頼まないとだめか。
 それよりあなた達、太盛君にも様付けするんだね。
 どうせ心の中では彼のこと見下してるくせに」

「とんでもありませんわ!! 私達一組一同は
 太盛様の帰還を心待ちにしております!!
 太盛様は、ミウ様の大切な彼氏様でありますから!!」

「あっそ。軍隊みたいにでかい声で話さなくていいから。
 ちょっとうるさい」

「申し訳ありません……」

「そういうのいいから、普通にして。どうしてみんな
 私を女王様みたいに扱うんだろうね?」

「あはは……。ほんとですね……」

ミウは仕方なく、エリカとその取り巻きのいる席へ向かった。
取り巻きの女子達は、ミウが近づいてくるとパニックを起こして
散ってしまった。まだ何もしてないのに、ひどいおびえようである。

「ねえエリカ」

「な、なによ?」

呼び捨てにされても言い返すこともせず、たじたじになるエリカ。
兄のお気に入りのミウが目の前にいる。彼女を怒らせでもしたら、
あとで兄に何を言われるか分からない。

ちなみにエリカを呼び捨てに出来るのは、
橘ファミリー以外でミウと太盛だけである。

「太盛君の写真持ってるよね? 少しわけてくれない?
 お金なら払うからさ」

エリカは沈黙した。他の生徒達も沈黙した。
実は進学コースに太盛の隠れファンが潜んでいて、
裏で彼の写真が流通しているほどだった。

もちろんミウやマリーの写真も高値で取引されている。
この学校はエリート校だからか、表立って恋愛するよりも
ファンクラブを作るのを好む傾向にあった。

「彼の写真は……私の宝物よ」

「そうなんだ。たくさん持ってるんでしょ? 少しちょうだい?」

いくらエリカを憎んでいるとはいえ、
あまりにも高圧的な態度だった。
それでは強奪するのと何ら変わらない。

ミウは修羅場を潜り抜けたせいか、
女王キャラがいたについてしまっている。

「だめよ。写真はうちに隠してあるの。私はあれがないと夜眠れないのよ」

「さみしいんだ?」

「あなただって……私と同じ気持ちでしょ?」

「うん。だから写真欲しいの」

「嫌よ」

「ふーん……」

ミウが低い声で言い、目を細めた。
空気が一気に重くなる。

エリカは生まれて初めて同級生に恐怖した。
他の生徒らも二人のやり取りを夢中で見ている。

「さて。二時間目の授業を始めま……」

タイミング悪く次の授業の先生が入ってきてしまった。
凍り付いているクラスを見て、先生も固まってしまった。

「先生。ちょっと待っててもらえます?
 今大事な話をしていますから」

「はいっ」

中年の女教師は敬礼した。これが力の差なのである。

「ミウさん。先生が困ってるわよ? 早く席に戻ったら?」

「前から言いたかったんだけど、エリカは夏休みに
 太盛君を拉致して別荘生活してたね」

「……ええ。それがなにか?」

「人の彼氏に手を出してくれてありがとうね?
 おかげで退院日に彼が来てくれなかったから
 マリーは泣いてたよ。ショックだったろうね。
 そういえばマリーを拷問したのもエリカだったね?」

「昔の話よ」

「つい最近だよ。私、けっこう根に持つタイプだから、
 中学時代に私をバカにした女子のことまで覚えてるんだよね」

「それなら私を拷問でもする?
 いいわ。そんなに私のことが憎いならお兄様に頼みなさいよ」

「そんなことはしないよ。私はあなたのお兄さんの部下じゃないから。
 みんな勘違いしてるよね? 私はね、あなたに謝ってほしいの」

「謝る?」

「人の彼氏を横取りしたことを謝って。
 私は泥棒猫でした、ごめんなさいって。
 みんなの前ではっきり言って」

(太盛君は私の彼氏……横取りしたのはあなたの方……)

昔のエリカならミウに怒鳴り散らしているところだ。
確かに世間的にはエリカは太盛の彼女のはずだった。
エリカからすれば奪ったのはミウのなのである。

つまりこの時点で双方の見解は一致しない。

「これはいじめよ?
 ミウさんは権力を悪用して弱い者いじめをしているだけよ。 
 この前、廊下で隣のクラスのギャルに土下座させてたわね。
 あなたは人を服従させるのが好きなサディストよ。ナチの手先だわ」

「ナチ? あれは向こうが勝手に土下座したんだよ。
 なんでみんな悪いほうにばっかり取るかなぁ。
 ならあなたとも土下座する? 今ここで」

「く……」

エリカは援護してくれる可能性のある男子クラス委員のマサヤを見る。
マサヤはミウのことを訴えて逆に収容所送りにされかかった過去がある。
助けるわけがなかった。

この教室に味方はない。一か月待っても愛する人が帰ってこなくて
ストレスが溜まっているのはエリカも同じ。
一方的に喧嘩を売られている状況に我慢できなくなり、
恐怖より怒りが勝った。

「Я слишком горячий…」

「は? 声が小さくて何言ってるか分からない。
 今ロシア語で話したでしょ? 日本語しゃべってくれる? 
 ここ日本だからさ」

「あんたに言われたくないわ!! 感情的になると
 すぐあのきったない英語を話す癖に!!」

「ロシア語みたいな醜い巻き舌の音よりましだよ。
 英語は国際言語なんだからロシア語より地位は上だよね?」

「なんですって!!」

エリカは激昂した。祖父から受け継いだ大切な言語を
否定されてカンに障ったのだ。

「あなたは今はっきりと差別的発言をしたわ!! 
 反ボリシェビキ的な発想よ!! お兄様に訴えてやる!!」

「好きにすれば? そんなつまらないことで呼び出されたら
 またお兄さんが怒ると思うけど」

「自分だけが被害者扱いしないでほしいものだわ!! 私だって辛いのは同じよ!! 
 あなたこそ人の男を横から奪って独占しておいてよく言うわね!!
 私のお父様が認めてくれれば彼と婚約する予定だったのに!!」

「嫌がってる人と婚約しても意味ないよ。
 太盛君がエリカといると疲れるって私に話してくれたよ?」

「そんなことないわ!! 太盛君はどこに行くのも私と一緒だったわ!!
 私は同じクラス委員で、同じ部活で、毎日楽しく過ごしてた!!
 あなたがシャリシャリ出て来る前まではね!! 前からあなたのことは
 気に入らなかったのよ!! あなたの英語も不愉快だわ!! 
 一年の時から帰国子女を気取ってばっかみたい!!」

「そんなに気に入らなないなら、
 クラスのみんなの意見を聞いてみようよ」

ミウが堂々と壇上に立った。その顔はボリシェビキそのものである。

「これからクラス投票を始めます。太盛君の彼女にふさわしいのは
 私かエリカか。どっちだと思いますか? 手を挙げてください」

クラスは大いに動揺した。
隣や後ろの席の人達と相談を初め、ざわざわする教室。

一番最初に手を挙げたのは、先生だった。

「私はミウさんがふさわしいと思っています!!
 なぜなら、誰から見てもミウさんと太盛様はお似合いだからです!!」

暗に他の生徒達も賛同するように求めていた。
重要なのはアキラ副会長殿がミウと太盛の交際を認めていたことだ。
エリカに勝ち目などなかった。

「ミウ様。万歳!! ディア、ミウ!! アワ・プリンセス!!」

とある女子(井上)が拍手を始めると、これを機に他の人も手を鳴らした。
彼女はミウの恋愛はどうでもよかったが、
早く茶番をやめて授業を始めてほしかった。

「ブラボー!! 同士諸君。井上に続いて我々もミウさんを称えよう!!
 そして一日も早く太盛君が帰ってくることを願おうじゃないか!!」

オペラ歌手のように両手をおおきく広げたマサヤ委員が、クラスを先導する。
クラス内は拍手喝采に包まれるのであった。
その熱狂は人気歌手のコンサート並みである。

生徒達は口々にミウを褒めちぎった。ミウこそ一組の代表にふさわしいと
いう話になり、ついにミウを女子のクラス委員に任命する声が上がる。

『ミウ様!!』『ミウ様!!』『ミウ様!!』 あふれんばかりのミウコール。

壇上から生徒らを見下ろすのはたまらなく楽しかった。
その優越感は、言葉では表現できないほどだ。

「じゃあ、なっちゃおうかな」

ミウがエリカの襟元から、クラス委員を示す『バッチ』を奪ってしまった。
クラス委員は、生徒会の信任を得て任命される決まりである。
彼らはクラスの代表であると同時に、生徒会に所属することになるのだ。

マサヤが声を張り上げる。

「新しいリーダーの誕生だ!! 
 さあ諸君、今日から女子のクラス委員は誰だね!?」

『YES. She is!!!』『YES. She is!!!』『YES. She is!!!』

生徒達は立ち上がって盛大な拍手でそれを迎えた。
このクラスでの地位がはっきりと逆転してしまったのだ。

ミウは勝ち誇った目で、エリカを見下していた。

前回の世界から溜まったうっぷん、そして(エリカにも指摘されたが)
一か月に及んで太盛と会えなかった、話せなかったストレスをエリカに
ぶつけていたのだ。ミウは素直だが、短気な少女だった。
そんな少女が権力を手にしまったものだから、物事が悪い方向へ進むのだ。

ミウは自分の前に座るようエリカに指示し、エリカはその通りにした。
土下座こそしてないが、ミウに服従する格好になっている。
エリカは悔しさのあまり涙を流した。

「そこのあなた」

「くぇー?」

極限状態のため、思わずニワトリのような
声を出したのは、エリカのお付きの女子だ。

「次にふざけた鳴き声をしたら怒るから。
 私が真面目に話してるの分かってる?」

「すみませんっ!!」

「スマホ持ってるよね? エリカの泣いてる顔写真にとって」

「え……ええっと……エリカ様のを……ですか……?」

「いや?」

「いやなんてことは……」

「なら早くして」

「はいっ!!」

お付きの女子は、エリカの泣き顔を容赦なく写真に収めた。
ミウの指示により、その写真を全校生徒に拡散させる。

彼女はスマホをいじりながらエリカに何度も頭を下げた。

「エリカ様……申し訳ありません……」

「あたのせいじゃないわ。あなたは命令されてやっただけ。
 あなたのことを決して恨んだりしないから安心して」

ミウはようやく満足し、教師に授業を再開させるよう指示した。
ぎこちないロボットのような足取りで教卓に向かう科学の教師。

「ちょっと待てよ!! 俺は納得したわけじゃねえぞ!!」

とある男子生徒の野太い声。

「高野ミウ!! 俺はてめえみてえな奴が許せねえんだ!!」

彼は何を思ったか、とつぜん席を立ち、その場で演説を始めた。
 
「なんでみんな何も言わねえんだよ!? このクラスで本心から
 高野を認めてる奴なんているわけねえだろ!! 
 みんな拷問されるのが怖くて手を叩いているだけなんだよ!! 
 高野。てめえは勘違いしてんじゃねえぞ!!」

彼は陸上部でハンマー投げの選手だ。さすがのガタイで声量も素晴らしい。
現に廊下から隣のクラスまで余裕で響いていた。

「みんなも考えてみてくれ!! 同い年の女にびびって
 顔色をうかがいながら生活するのが楽しいか!?
 なんであんな奴に様をつけて呼ばないといけないんだ!?
 奴がクラス委員になったら、ますます恐怖政治が進んでしまうぞ!!」

「誰か俺に賛成の奴はいねえか!?
 あんな女、たいしたことねえよ!!
 生徒会が介入してくる前にぶっ殺しちまおうぜ!!」

しばらく待ったが、彼に味方してくれる人間は最後まで現れなかった。
彼は少数派に回ってしまったのである。
彼の思想に共感したいのはクラスの総意であったが、
強大な権力を持つミウに逆らうのは自殺行為であった。

「柿原くん、あなたのことを生徒会に通報しました」

そう発言したのは、なんと先生だった。
ちなみに男子の名前は柿原という。

その五分後、やってきたのは生徒会の人間ではなく、
ミウの親衛隊であった。数は若干六名しかない。

「柿原君」

ミウが取り押さえられた柿原に言う。

「私のファンクラブはね、私が怖くてほとんどの人が
 辞めちゃったみたい。ここにいる六人は最後まで私に付き従ってくれた人なの。
 私が太盛君の彼女だってこと知っていても私に着いて来てくれる優しい人たち」

「そいつは驚きだ。てめえみたいなクズにもファンがいるんだな…ぐおぅ」

無礼な口の利き方をした柿原に親衛隊がみぞおちに重い拳を叩きこんだ。
柿原は床の上にぐったりと倒れた。
一時的に呼吸ができない地獄の苦しみに耐え、冷や汗をかいている。

「私もこの学園で生き延びるのに必死なの。だから生徒会に頼んで
 私の親衛隊を作ることを正式に許可してもらった。私のことを
 嫌ってもいい。でも私を怒らせないで。さっきエリカと話してたのは
 私の彼氏に関することだからすごく重要なの」

「おまえの恋愛を優先するために……橘がひどい目にあっても見過ごせって
 いのうかよ……。堀は橘の彼氏だったんだろうが……」

「それは違うよ」

ミウの声に怒りがこもった。

「太盛君はエリカにしつこく付きまとわれて迷惑してたんだよ?
 私にはっきり話してくれたもん。エリカは認めたがらないだろうけど。
 付き合うって本人たちが決めたわけじゃないし、太盛君は
 エリカからの告白を何度も断ってるんだよ?」

ミウがエリカの方を見る。エリカは気まずそうに視線をそらした。
反論の余地がなかったからだ。

「高野……。おまえはどうしてこんな奴になっちまったんだ?
 おまえは、おとなしくて、クラスで目立たない奴だった。
 人を傷つけるような奴じゃなかったはずだ!!」

「私は好きでこんなことしてるわけじゃないよ。
 でも、こんなご時世だからしょうがないの。
 そろそろ話を終わりにしないと授業が終わっちゃうよ?」

ミウは、柿原を連行するよう指示した。

「俺を……拷問するのか?」

「するわけないじゃん。私が拷問好きに見える?
 一応けじめとして頭は下げてもらうけど。できるよね?」

柿原は教卓の前に立たされ、ミウに謝罪することになった。
彼の握った拳は、怒りで震えていた。

この学校でミウを恨んでいる人は売るほどいる。
ミウも人から恨まれるのは覚悟のうえであったが。
学校でのミウの姿をママが知ったら気絶するほどの
ショックを受けることだろう。ミウは自己嫌悪する時は多々ある。

親衛隊の件は、夏休み中から飯島と連絡を取って護衛部隊を
作るよう要請していた。それが紆余曲折を経て、現在の
少数の武装戦闘集団に至ったのである。ミウは抜かりないので
アキラに護衛部隊を申請したら快諾されたのだった。

共産主義なんてくだらない。革命記念日なんてばからしい。
そう思っていたはずのミウが、確実に生徒会に感化されているのだ。
ミウは太盛を救う方法を考えるため、毎日配布されるビラを
よく読んでいたから、無意識のうちに思想的影響を受けていたのだ。

今日の出来事は、名誉あるクラスとして
のちに生徒会から称賛されることになる。
生徒会中央委員会では、ミウを幹部として迎え入れる案まで出ていた。


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