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作品名:モンゴルへの逃避 作者:なおちー

第9回   「ところでマリン様は学生の身でありますが、学業の方はよろしいのですか?」
タイトル通りのことをユーリが唐突に言った。
なんともとげのある言い方である。

どこへ行くのも父と一緒にいたがる娘を
うとましく思い、つい口に出してしまったのだ。

「心配してくれてありがとう。
 いちおう飛び級だから1年くらい休学しても問題ないわ。
 それに弾道ミサイルのせいで日本中の学校は休校しているじゃない」

「休校中なら自宅待機する決まりですわ。
 こんなところで油を売っていると退学になるのではないですか?」

「学校なんて行くだけ無駄です。勉強なら一人でできますから」

「成長すると、そうも言っていられなくなりますよ?
 将来の就職などに影響しますわ。
 お嬢様は小学生。義務教育を受けるのは国民の義務です」

「私が通っているのは母が無理やり入学させた
 お堅いミッションスクール。いるだけで
 ストレスが溜まるわ。私は普通の学校でよかったのに」

「しかし太盛様も一人になりたい時もあるでしょうし、
  四六時中一緒にいる意味はないと思いますけど。
  たまには市の図書館でお勉強などされてみては」

「本ってほとんどモンゴル語で書かれているのよ。
 あれキリル文字じゃない。私には難しすぎるわ」

「では、モンゴル語の読み書きの勉強などをされてみては」

「読み書きの勉強はするつもりだけど、
 その前にまずは会話ね。話し言葉が分からずに
 字が読めるわけないわ」

マリン達三人が昼下がりに宿近くの草原を散歩していた。

太盛はユーリの風邪が治った後もここを拠点に選んだのだ。
金にものを言わせて宿に長期滞在である。

今後の生活のこととか、考えるべきことはたくさんある。
一連のミサイル発射のほとぼりが冷めるまで町へ行くのは危険だ。


「ユーリはさっきから何が言いたいの?
 まるで私に出ていってほしいみたいな言い方ね」

「ええ。まさしく言葉通りの意味ですわ」

「ふぅん。あらそう。
 ここが屋敷じゃないからって大きく出たわね?」

「だってマリン様は呼ばれてもいないのに
 ここへ来たじゃないですか。私と太盛様の
 恋人気分が台無しなんですよ、ぶっちゃけて言うと」

「そのむかつく話し方は何? また熱でも出したの?
 それともそっちがあなたの素なの?
 だとしたら性悪女みたいだからやめなさいな」

「おい二人とも。また喧嘩か」

太盛の横にぴったりついて歩いているのはマリン。

マリンは早熟で頭脳は中学生を凌駕している一方、
父離れするのはまだまだ先になりそうだった。
ようするにまだまだ父に甘えたいのだ。

メイド時代と違い、主人のすぐ横を歩くユーリ。
マリンとは逆の側にいるので太盛は両手に花だった。

しかし全然うれしくない。
蒙古にて嫁と姑のような無意味な争いの渦中にいるのである。

「ユーリもやめろ。子供相手にむきになるなよ」

「いや、私はこんなことしたくないんだけどさ、
 この子が突っかかってくるから」

「どっちがよ!! 最初に喧嘩を
 売って来たのはあなたでしょうが!!」

「ほら。怖い顔。やっぱりエリカの子だわ。
 目つきとかそっくりじゃない」

太盛は声を荒げるマリンに驚いていた。

どちらかというと不満を内にため込むタイプで、
幼稚園の頃は泣き虫で有名だった。
彼の記憶の中の娘は、怒るより泣いていることのほうが多かった。

それなのに、ここ数年で急激に成長した。

ウランバートルから草原を歩いた時も終始冷静だったのは
マリンだけだった。あのしたたかさは、20代の女すら
超越していたといっても過言ではない。

そのマリンが、ユーリにからかわれてここまで取り乱しているのだ。

「マリン、ごめんね? ユーリは外国気分で気が立っているんだ。
 ユーリにはあとで俺の方から言っておくよ」

父になだめられると、マリンは唇をとがらせてふてくされた。
まだ怒りが全然おさまっていないのだ。

「お父様。私、ユーリと一緒にやっていける自信がないわ」

「それはお互い様ですね。こちらとしても
 ドラマチックな愛の逃避行をしたかったのに台無しです。
 大人の世界にお子様がいると盛り上がりませんわ」

「こいつ!!」

頭に血が上ったマリンが、平たい軍隊用の水筒を
ユーリにぶん投げた。ユーリは素手で軽く止め、涼しい顔をした。

「おや。今何か飛んできましたね」

と言って水筒を飲み干してしまった。

太盛の家の使用人は雇用条件として格闘訓練を
受けているから、近くにいる相手に
不意打ちを食らうことはまずないのだ。

「いいかげんしないと怒るぞユーリ。
 マリンが俺の娘だってこと忘れてないだろうな?
 最近の君はどうしてこんなに口が悪いんだ」

「自分でもよく分からない。日本にいる時は全然気に
 ならなかったけど、マリンを見ているとすごく腹が立つの」

「こういう修羅場が嫌で俺はモンゴルに来たんだ。
  なんでモンゴルに来てこんな思いをしないといけないだ」

そんな時、放牧中の家畜の一群が迫って来た。

ヒツジやヤギの群れが太盛達の横を通り過ぎていく。
家畜の鳴き声が音楽のように草原に響いた。

父と息子がそれぞれの馬にまたがり、羊たちを
追っていた。その先には国内で数少ない井戸があり、
家畜たちに水を飲ませるのだ。

水飲み場には他の家族が連れて来た家畜も勢ぞろいし、
大所帯となった。大人の男たちが、長い棒の先に固定された
バケツを井戸に突っ込み、水を汲んでいく。

丸太を切り開いて作った大きな水受けだ。

そこに家畜たちが並んで水を飲みに来る。
後ろにいる家畜たちはおとなしく順番を待っており、
喧嘩をする様子はない。

父は大きな声で小学生の息子にあれこれ説明していた。
父から子へと、放牧の仕方が受け継がれていくのだ。

「あの様子を見ろよ。モンゴルでは家族は協力し合って
 生きているんだ。それに比べて俺たちはどうだ?」

「あはは。何しにモンゴルに来たのか
 分からなくなってきたね。うん。そうだよね。
 ごめん。先に部屋に戻ってるから」

太盛は複雑な思いでユーリの後姿を見つめた。

モンゴル行きを決めたのは太盛だ。
ユーリは屋敷時代に太盛の考えに
逆らったことは一度もなかった。

だからモンゴル行きに同意したのも、
主人に付き従う立場だからかもしれないと太盛は勘ぐっていた。
主従関係を取り除いた結果が現在の状況だ。
ユーリが不平ばかり言っても彼女に強く言うことはできなかった。

残されたマリンは、沈んだ声で言った。

「お父様。醜い争いをしてしまってごめんなさい。
 お父様はマリンのことを嫌いになりましたか?」

「そんなことないよ? 僕はマリンのことが今でも大切さ。
 生まれた時からずっと可愛がってきたんだから」

「私、ユーリの言うように学校に行っていません。
 実はお父様がいなくなったと知って衝動的に
 モンゴルに来てしまいまして……。
 私はこのまま退学になるのでしょうか」

「その辺はエリカに任せておけば大丈夫だ。
 あいつは身内の恥は金と権力でもみ消そうとするからな。
 それを言うんだったらパパだって会社を首になっていると思うよ」

「でも」

とマリンがなおも言うので、太盛は遠くにある遊牧民の
ゲルを指さした。マリンは素直に太盛の指先を追う。

「ここの子供たちは実に働き者だ。
 10歳にもなれば進んで親の仕事を手伝う。
 まず早朝の家畜の乳しぼりから始まる。
 羊たちに草を食べさせるために数キロ先の平原まで出かける。
 草原を自由に走り回る家畜のあとを追ってね」

とはいえ、近代化の波が押し寄せたモンゴルは
遊牧生活を捨て、都市部へ住む人が増えてきている。
真の遊牧民と言える人々は、はたしてどれだけいるのだろうか。

「何も学校に行くことだけがすべてじゃない。
 日本で何かをするためにまず学歴から入るのは
 確かにそうなんだけど、お勉強だけできるインテリが
 世の中を動かしたってちっとも良い世界にはならないんだ。
 それは世界の歴史が証明している」

経験が大切だと太盛は言う。
特に旅は良い。

異なる人種、言語、生活様式に触れることで、
新しい世界観が開くのだ。
それは、地球という大きな鏡で自らの矮小さを
見つめるかの如く。

「ユーリに言われたことは気にするな。
 あいつはマリンにつっかかりたいから
 学校のことを口にしただけだ。あいつも前は良く言っていたよ。
 学校は窮屈だって。クラスっていう缶詰の中で
 つまらない常識に従い、クラスメイトの顔色をうかがいながら
 生活する毎日。出る杭は打たれる。女子の社会だと美人ほど
 周りに気をつかうものさ。まさに社会の縮図だ。全然自由じゃない」

太盛の人生は常に父親の監視下に置かれ、敷かれたレールの
上を歩いてきた。勉強はできるほうだった。進学校でも成績は
上位をキープし続けた。

だが家で勉強すればするほど、むなしさが残った。

結局大学に進学したのも親を喜ばせるためだけだった。

彼は生まれてから一度も努力をしたことがなかったと思っている。

ただそうするように言われたから、一種の義務感だけで
嫌な勉強を当然のようにこなしていた。

大学4年間。自由に講義の時間を組んで、友達と遊び、
思い通りに過ごせた。なんて自由な空間だろうと思った。
いつまでも大学生のままでいたかった。

卒業直後に結婚相手を紹介され、エリカと結婚してから
彼の自由は完全に消えた。子供がいるからとか、家庭のこととか
そういう話ではない。子供は愛している。
ただエリカといることが我慢できないのだ

実家で父の叱責におびえているほうが、まだましだった。

「お父様は、ずっとモンゴルで暮らすつもりなのですか?」

「どうだろうな。最初はただエリカのいない生活をしてみたかったんだ。
 国内だと会社の出張と偽っても1時間以内にばれるし、最悪外出先まで
 迎えに来るかもしれない。あいつから逃げてもいつも無駄だった。
 まるでソ連のスパイみたいに俺を監視し、追尾してくる。ま、それはいい。
 今は気持ちが楽になったよ。モンゴルの乾いた空気を吸っていると、
 生きているんだなって実感できる」

「あんな女、最低です。お父様は離婚したいって言っているのに
 DVされたってでっちあげて家庭裁判所に訴えようとするなんて」

「エリカだけじゃなくおじいさんも認めてくれないからね。
 それにうちの屋敷で雇っている使用人のみんなも解雇されてしまう。
 問題はまだある。子供たちの親権だ」

「私はお父様に着いていきますわ。レナとカリンも同じ気持ちです」

「そう言ってくれるのはうれしいが、どうやらミウや後藤たちも
 僕に着いてきそうだぞ。たとえ僕の再婚相手が誰だったとしてもね」

マリンの瞳に嫉妬の炎が燃え盛った。再婚相手とは、誰が考えたって
ユーリに決まっていた。もしマリンが邪魔をしに来なければ、
二人は事実上の夫婦になっていたことだろう。

「パパはね。たとえ離婚しても独身に戻るつもりはない。
 俺は弱い。家でも会社でも権力者にひざをつく、ちっぽけな人間だ。
 だからパパを支えてくれる誰かが必要なんだよ。
 パパをよく分かってくれる女性がね」

マリンの内心は穏やかではなかった。
ユーリとの再婚など彼女からすれば論外だ。

マリンは自分でも理由が分からないが、背が高く、学歴もあり、
美人で仕事をそつなくこなすユーリをライバル視していた。
ユーリがすることにいちいち腹をたて、口を挟みたくなるのだ。

今回の逃避行も、相手がユーリだったから許せなかった。
仮に同じメイド仲間のミウだったら、レナ達と同じように
自宅で父の帰りを待っていたのかもしれない、

「女はさ、人と比べたくなる生き物だからね。
 マリンは完璧超人のユーリに嫉妬しているんだよ」

マリンは否定しなかった。
父の前で強がった嘘は言いたくなかったのだ。

「でもな、それはユーリだって同じだ。
 ユーリは父から愛情をたっぷり注がれている君のことを
 特別視している。つまり、嫉妬の対象なんだよ。ここは外国だ。
 ミサイルまで飛んでくる危険地帯だ。有事の際に俺が
 命を懸けて守るのは、第一に血のつながりのあるマリンだ。
 この時点で愛人との不倫は成り立たなくなる」

「だからユーリはイライラしていたのですね。
 草原を歩いているときの口調はひどいものでした。
 風邪ひいていることを抜きにしても」

「正直に言うよ。今回の旅は失敗だったかなと思っている。
 エリカの送った刺客は今後も無数に現れるだろう。
 こっちが少しでも気を抜けばユーリが殺される。
 エリカはユーリを心から始末したくて仕方ないんだ」

「母はユーリを殺したいのですか」

「あいつの思考回路だとそうなる。俺をそそのかしたのは
 側近のユーリ。あの女がすべての元凶ってことにして
 すべてを丸く収めるつもりだ。ただし」

自分は収容所行きになると言った。

エリカは旦那を矯正させるために屋敷の地下に
巨大な牢獄を作ってある。太盛は結婚してから
二度ほどそこへぶち込まれたことがある。

コンクリートと鉄格子があるだけの、殺風景な空間だ。
女性関係でエリカの逆鱗に触れた時は
2週間の間、収容所生活を余儀なくされる。

朝夕の食事の配膳以外で人とのかかわりは封じられる。
わずかな食料を食べる以外に、本当に何もすることがない。

旦那を正気に戻すためだと、エリカは免罪符を得た
宗教信者のように自らの行いを正当化する。

収容所から出た翌日には、いつもと変わらず
笑顔で話しかけてくる妻に心から殺意がわいた。
夜の生活も拒否する権利は太盛にはない。

残業疲れで鬱になりかけてもエリカの相手を強要され、
どんなつまらない話もエリカが眠くなるまで
きちんと聞かないと機嫌が悪くなる。

まるで家庭でホストでもしている気分になった。
太盛は相手の気持ちを考えない妻の勝手さが許せなかった。

「明日、エリカと電話で話してみる」

「あんな女と話を!? そんなことして意味があるのですか!?
 それに何を話すつもりなのです!?」

「なに。あいつだって人間だ。いくらソ連的冷徹さがあるからと
 いって、夫が長い時間留守にしていたんだから奴こそ
 あまたを冷やす時間があったはずだ。ちょっと交渉をしてみる」

「エリカと交渉だなんて危険すぎますわ!!
 話が通じない相手だということは、
 お父様が一番よくご存じでしょう?」

「逃げ続けても無駄だ。いずれ限界が来る。
 その前にこっちから手を打つべきだと思う」

「いけませんわ!! あの女のいない世界へ来た
 意味がないではないですか!!」

マリンは父の服をひっぱり、抗議し続けた。
必死の訴えもむなしく、太盛の決意は相当に硬いのであった。

あとでユーリにも鋭い声で猛反対されたが、
やはり太盛の考えは変わらない。


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