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作品名:モンゴルへの逃避 作者:なおちー

第8回   妻との電話。国境を越えて続く束縛
「パパは、嘘つきだよ」

(あれ、急に声が変わった?)

途中からレナが電話に出たのだ。
レナは質問ばかりしているカリンをうとましく思って
携帯を取り上げたのだ。

「レ、レナか。声だけ聞くと元気そうだね。
 ごめんね、黙って旅行なんてしちゃってさ」

「私が元気に見える?
 パパは、ひどい人です。どうしてユーリを選んだの?
 そんなにユーリのことを愛しているの?」

レナは泣きそうな声のトーンだった。
実の父親が国外逃亡しているのだから、
捨てられたと考えるのも無理もない。

というか文字通り家族を捨てて脱走したろくでなしである。

「信じてもらえないかもしれないけど、
 僕はレナとカリンのことも愛している」

「嘘ばっかり!!」

「嘘じゃない。嘘じゃないんだよ」

「じゃあどうしてモンゴルになんかいるの!!」

「仕方なかったんだよ……。俺だって好きで遊牧民みたいな
 生活をしてるわけじゃない。ここでの生活は死と隣り合わせだ。
 過酷な大自然、言語の通じない生活、町を歩けば異邦人として
 白い目で見られる。自由なんか全然ないんだ」

「ならどうして日本から逃げたの!!
 私たち家族のことはどうでもいいって思ってるんでしょ?
 私たちより血のつながっていないユーリの方が大切なんだ!!」

「違うんだよ。俺はね、あの家で暮らすのが限界になったんだ。
 おかしくなっちまったんだよ。定時帰りの日は地獄だった。
 まっすぐ家に帰ると笑顔のエリカの玄関の前で待っている。
 家にいる時間が長いとあいつといる時間が長くなる。束縛される。
 エリカと一緒にいるのが苦痛で仕方なんだ。
 俺はあいつといるだけで疲れる。もう何もかも嫌なんだよ!!」

「パパの馬鹿!! そんなの理由にならないよ。
 ママが嫌なら別れればいいじゃん!!」

「それができたら苦労しないよ!!
 親父殿が認めてくれないから!! 俺はどうしようもなくて!!」

太盛はそのままの勢いでまくし立てたのだが、
レナの返答が急になくなったので不思議に思った。

今度はカリンと電話を替わったのかと思ったら、
最悪の展開が待っていたのだった。

「こんにちは。ご機嫌はいかがですか、太盛様?」

太盛は、血の気が引く思いがした。

この事態は想定できなかったわけではない。

カリンやレナの電話やメールは全てエリカの管理下に置かれている。
したがって今までの会話もエリカに筒抜け。離婚のくだりなど
相当にまずい表現が含まれていた。

レナとカリンも久しぶりに父と話したこともあり、
思いを全てぶちまけていたのだ。

「うふふ。娘たちととっても愉快なことを話していたようですね?
 離婚がどうとか。太盛様ったら、本当にいけない人ですわ」

説教が始まったのだ。家にいる時と全く同じ口調だった。
電話越しだから太盛からは見えないが、
エリカは落ち着いた口調でニコニコと笑っている。

彼女はあふれ出すほどの殺気を内に秘めながら、
表向きは淡々と丁寧な口調で話しているのだ。

「エリカ。それ以上くだらない話を続けるなら電話を切るぞ」

「ふふふ。切ったらレナ達にお仕置きを
 しますけど、それでもよろしければ」

「脅迫するつもりか……。
 娘達に危害を加えたらおまえを絶対に許さない」

「私の大切な娘たちですわ。
 少し叱るだけで傷つけるとは言っておりませんが。
 太盛様ったら被害妄想が激しいのですね」

「いや、おまえなら何をしてもおかしくない。
 こういうやり取りは胃が痛くなって嫌なんだよ。
 会社で取引先に叱られるほうがまだましだ」

「つれないです。せっかく夫婦
 水入らずで話をしようと思っていますのに」

「言葉の使い方を間違ってないか?
 レナ達も話を聞いているんだろうが」

「誰が聞いていようと関係ありますか?
 私は今太盛様と話をしています。
 これがなにより重要なのです」

「……ああ。お前の場合はそうだったな。」

「最後のチャンスです。ウランバートルの空港に
 飛行機を用意させますから家に帰ってきてください」

「そんなバカな提案に俺が乗ると思っているのか?
 空港に行けばお前の手下に拘束されるんだろうが」

「ふふふ。口が悪いのは電話口だからと安心しているせいですか?
 まあいいです。現在極東アジアは世界の火薬庫と化し、
 全ての国の国境が封鎖されていますから、
 空路以外に帰る方法はありません。もちろん空路ですら
 アフガンと同じくらいの危険地帯ですけど」

「ミサイルが落ちたばかりのバトル市になんて誰が戻るかよ。
 それこそ自殺行為だ。俺がどうして外国にいるか、
 言うまでもなく分かっているはずだよな?」

「ええ。もちろんですわ」

「なら、これ以上話す必要は……」

「でもそれは太盛様の本心ではありませんね」

「なに?」

「太盛様は、一時の感情に任せて家を飛び出したにすぎません。
 遅めの反抗期とでも言いましょうか。たまたま自分の言うことを
 なんでも聞いてくれる都合の良いメイドがそばにいたから、
 ちょっと現実逃避をしてみたくなっただけなのです」

「ずいぶん一方的な解釈だな。
 ユーリと逃げることは本人と話し合って決めたことだぞ。
 ユーリはどこまでも俺に着いて来てくれると言った。」

「しょせんはその程度の関係です」

「どういう意味だ?」

「男女の駆け落ちなど、三流小説のネタにすぎませんわ。
 非現実的というか幼稚というか。
 最後は破局する運命にありますのに」

「なぜそう言い切れる?
 たとえ破局したにしても、おまえと離れ離れになれるなら
 それでもいい」

「甘いですね」

「なにが?」

何を言っても常に否定され続けるので、太盛の口調が荒くなっていく。
一方のエリカは朗読をするように淡々としている。
愚かな夫に心理を教えてあげる宣教師のようだ。

「私たちの婚姻はあなた様のお父上がすすめてくれたことを
 お忘れなく。ご党首様の力を使えば、今すぐあなたを
 軍用機で迎えに行くことも可能なのですよ?」

そこが太盛の弱みだった。繰り返しになるが、
太盛の父の決定は神の決定に等しい。

現段階では、父には息子が逃避ごっこをしている程度の
認識しかない。マリンに億を超えるお小遣いをあげて
旅行させたのがその良い証拠だ。

普通に考えれば、9歳の娘を単身海外に行かせるなど
常軌を逸している。党首は冷徹な人物である。

マリンがトラブルに巻き込まれて仮に
命を落としたとしても、仕方ないとすら思っていた。

生き残るのにも運が必要だが、彼にとって
その運すらない人間は一族にふさわしくないのだ。
血の通った人間とは思えない発想である。

「まだ親父殿はまだ俺のことを見逃してくれているじゃないか。
 小さいころから一度も親に逆らわなかった俺が、今回だけは
 反抗した。確かに遅めの反抗期って言い方は正しいかもな。
 親父が動かない以上、俺はまだ日本に帰るつもりはないからな」

「うふふ。きっと後悔することになると思いますけど、
 太盛様がそこまで強情を張るというなら、
こちらにも考えがありますわ」

「ああ、好きなようにしろよ。また暗殺者でも
 なんでも送って見ろよ。俺じゃなくて
 ユーリを殺すつりなのはバレバレだけどな」

「なんの話をされていますの?
 さて。そろそろ夕飯の時間なので失礼しますわ。
 声だけでも聞くことができてうれしかったです。
 それでは、おやすみなさい」

太盛は携帯を握りしめたまま、無表情に地面の石ころを見つめた。

妻の声を聴いてしまった耳を呪いたくなった。
憎い妻と、残された娘たちへの愛情がせめぎあい、
発狂しそうになる。

メイドのミウがどうしているか無性に知りたくなった。
あの子はくったくない性格で、太盛が悩んでいるときは
冗談を言ったりして励ましてくれた。

(どうしてエリカの言葉は俺をここまで不安にさせるんだ。
 俺はいつまであいつに振り回されるんだ。
 どうすれば離婚できる。どうすれば、どうすれば)

そんな太盛の手をやさしく握ったのは、隣に座っているユーリだった。

「もう忘れようよ。ここにはあの女はいないじゃない」

「分かっているんだけどな、さすがに電話した直後だと
 気分が悪い。怒りが抑えきれないんだ」

「太盛しっかりして。あなた、エリカと
 電話している時ずっと震えてたじゃない」

「そ、そうなのか? はは。言われるまで気づかなかった」

強がって言う太盛。彼が無理しているのをユーリはよく分かっていた。

「もうすぐ日が落ちるわ。早く宿へ戻りましょう」

「いや、まだここにいたい。このベンチに座っていると
 なんだか心が落ち着くんだ。風が気持ちいからかな」

「太盛……マリン様もそろそろ起きたと思うけど、
 夕飯はどうするの?」

「悪いけど食欲は全くない。今は一人になりたいんだ。
 マリンにもそう伝えておいてくれ」

ユーリは短く返事をしてきびすを返した。
少ししたら戻ってきて、風邪を
ひかないようにねと言い、ジャケットを手渡した。

太盛は礼を言い、ジャケットを着てから遠くの景色をただ見ていた。

地上の様子に変化はない。退屈で仕方ないが、考え事を
しているとすぐに時間は過ぎていく。

雲が天を覆い始めた。
地平線のかなたに太陽が沈んでいき、深い闇が草原へ訪れる。

山のふもとにいる6つのゲルが目立つ。

ゲルの中心部に煙突が伸びていて、煙が立っている。
中は文明の明かりで照らされており、女たちが炊事をしているのだ。

玄関は閉ざされ、家族全員が丸くなって食卓を囲む。
母親が水餃子、羊の肉が入った汁物をお椀に持っていく。
みなが同じ色の皿を持ち、スプーンを口に運ぶ。

これがモンゴル式の家族団らんなのだ。
老人から子供までみんなが同じゲルで暮らす。

玄関が開くと、一人の老人が出てきて鍋に残った油汁を大地に捨てた。
子供たちは洗剤を取り出し、食べ終えた皿と鍋を洗う。
モンゴルでは子供も積極的に仕事を見つけて親を助けるのだ。

日中の放牧作業、燃料となる家畜の糞拾いは彼らの日課だ。
親から子へと、遊牧民の知恵は受け継がれていく。

護衛用の番犬がテントの前で吠えていた。

マリンが宿から出てきて、
父の肩に優しくブランケットをかけた。

「お父様。寒くありませんか?」

「モンゴルの夜はずいぶん冷えるね。
 風が肌を刺すように冷たいよ」

「ユーリから話は聞きました。
 ずっと外を眺めていたのですか?」

「素敵な空じゃないか。パパの生まれ故郷には
 こんな綺麗な月は見えなかったな」

雲の隙間から月が姿を合わらす。
風はゆっくりと南の方へ流れていく。

太盛はそれ以上何も話さず、
月光に照らされた雲の動きを黙って見ていた。

マリンは、二人でいる時に父が話題を
振らないことが一度もなかったので少し傷ついた。
本当は愚痴や悩みを話してほしかったが、
父はマリンから視線をそらしたままだ。

太盛は孤独願望の強い男だから、嫌なことがあると
すぐ誰もいないところを探しては考え事をした。
日本にいる時は、娘の前でその癖は出さないようにしていた。

エリカは太盛を監視し、そんな自由な時間を
許さなかったので彼の心を傷つけた。
エリカといると趣味に没頭する時間さえ存在しなかった。

(旅に出ると、人の本当の一面が見えるのね)

旅の途中でユーリが癇癪(かんしゃく)を起こしたこと、
父の不愛想な態度など、マリンの知らない世界はたくさんあった。

マリンは父の隣に座り、腕に抱きついた。

「お父様は間違っていませんわ」

父は驚き、マリンを見つめた。

「私はお父様の良いところをたくさん知っていますわ。
 全部エリカの性格が悪いのが原因ではないですか。
 母もお父様のことが大好きだから執着しているわけです。
 屋敷のみんなもお父様の味方ですわ」

太盛は、納得いかなそうな顔で顔を伏せた。
マリンはさらに力を込めて腕にしがみついた。

亜麻色の髪からリンスの良い香りがした。
かんきつ系のさわやかな香りである。

体重を預けてくれる娘の姿が妙に愛しくなる。
太盛は、まるで恋人が隣に座っているのかと思ったほどだ。

「マリンは俺を許してくれるのか?」

「許すって、何をですか?
 私はお父様のことを嫌いに
なったことは一度もありませんわ」

太盛は短くありがとうと言い、マリンを強く抱きしめた。
マリンはそれ以上何も言わず、父の腕の中でじっとしていた。

彼には肯定してくれる人が必要だったのだ。
父にも妻にもすべてを否定され、管理下に置かれ、
胃と腸を痛める日々が続いた。

大学も就職先も結婚相手も父に決められた。
新卒と同時に結婚も決まり、子供をもうけるのも早かった。
大学時代の友人からは若旦那とあだ名されていた。

まだ仕事も半人前なのに一家を構えることになったのは、
彼にとって相当な圧力となった。自由に時間を使える独身の
同僚たちのことがうらやましくて呪ったほどだった。

子供への愛情だけでここまで生きて来た。
彼を支えてくれる使用人もいた。
富豪の父は無制限の金銭援助をしてくれた。

しかし、彼が一番欲しかった心の自由は
ついに得られることはなかった。

「マリン。もう少しだけここにいてくれないか?」

「はい。お父様が望むのでしたら、いつまででも」

秋の始まりのゾーンモド郊外である。
娘がそばにいてくれれば、寒さなんて感じなかった。

ふいにマリンが危険を冒してまでモンゴルへ来てくれたことを
思った。その優しさに感動して太盛の頬から熱い涙が流れた。
彼が娘の前で初めて流す涙だった。

(そこにいるのは、本来なら私の役目のはず)

ユーリは物陰から様子をうかがっていた。
下手に近づけばマリンの機嫌を損ねる恐れがあったからだ。

ユーリは、マリンが太盛を慰めているのを
見て激しく嫉妬した。マリンは、ませているのを
通り越してユーリの居場所を奪おうとしているのだ。

マリンがファザコンなのは幼少時代から良く知っているが、
外国に来てますます悪化しているようだった。

口ではユーリが恋人だと認めつつも、
納得していないのがバレバレで腹が立った。

マリンは一瞬だけユーリと目を合わせると不敵にほほえんだ。
全てを察したユーリは鼻を鳴らし、早足で宿の中へ入っていった。


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