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作品名:モンゴルへの逃避 作者:なおちー

第7回   「チンギス・ハーンは今でもモンゴル人にとって大英雄なのですね」
次の日は晴天で降水確率はゼロだった。

宿の外の景色は穏やかだ。
郊外なので街中の喧騒とは全く無縁である。
もっとも町自体人口が少ないのだが。

山のふもとになだらかな台地が続き、その一角に羊の群れがいる。
群れの中心に羊飼いがいる。牧歌的な雰囲気だ。

写真や動画でしか見たことのない景色が、
目の前に広がっているのだ。

「何もないのってすごく神秘的なのね。今になってそう思う。
 かつてジンギスカンの軍勢が駆け回った大地か」

ユーリは回復が早かった。

ゴビ砂漠に落ちた弾道ミサイルによる影響で宿のガラス窓が
割れるなど影響はあったが、営業に支障はない。
太盛は応急処置で窓枠にレジャーシートを張り付けておいた。

他には家畜小屋がまるごと吹き飛ばされるなどの
被害は出た。遊牧民らはしたたかですぐに復旧作業に入った。

郊外に設置されているゲルは全く変化がない。
さすがはモンゴリアン・テントである。
やはりテントを買い換えようと太盛は心に誓った。

「ユーリの故郷の東北地方でもここまでの大自然はなかっただろう?」

「うちは日本海側だったから、どこも海と山に囲まれていたわ。
 陸で地平線が見えるなんてありえなかった」

「こういう所で一日過ごすといい考えが浮かびそうだよな」

「なんか、ようやく観光気分になって来た」

「その辺でも歩くか?」

「最初は町に行きたい。いろいろ必要なものを買わないと」

マリンはこうして大人の二人が話しているだけでも気に入らなかった。
認めたくはないが、ユーリがベッドで
ふせっているのを心の中で喜ぶ自分がいた。
だから2人が話しているときはできるだけ割り込むようにしている。

「お父様。またカリンからメールですわ」

「なんだと? 読んでみてくれ」

「ママからの伝言。
 またミサイルが飛んできたそうですが、無事ですわよね?
 贈り物がもうすぐ届く、だそうです」 

「贈り物……? また暗殺集団を仕向けたのか」

北の方角から騎馬集団が駆けて来た。
数は5。まっすぐ太盛達の方へ向けてやってくる。

太盛が双眼鏡をのぞき込む。
彼らは長さの短い騎兵銃を肩から下げている。
帽子を深くかぶり、目元が見えないようにしていた。

「日中堂々とやってくるようになったか。
 しかも乗馬突撃とはモンゴルを意識した戦い方だ」

太盛は急いで二階へ駆けあがり、部屋から武器を持ってきた。

ほどよい岩場があったのでそこに身を隠し、ライフル銃を構えた。
ライフル銃は先日お店で買っておいた。
この世界ではその辺のお店で銃が売られているものなのである。

マリンとユーリも岩の陰に身を隠し、銃を構えた。
ライフルを持つのは太盛だけ。2人は拳銃なので射程に不安があった。

平原に銃声が響く。
太盛の打った弾が馬の脚に当たり、激しく転倒した。

残り4匹は猛進する。

太盛が続いて引き金を引くが、恐怖のあまり手が震えた。
何発撃っても当たらない。

騎馬突撃される側の心理的恐怖は想像を絶した。
あの勢いで踏まれたら骨ごと砕け散ることだろう。

急いで撃たなければ。その気持ちが照準を鈍らせた。

その間に距離が縮まり、敵は拳銃の射程圏内に入った。

マリンとユーリが拳銃の引き金を引く。

マリンが馬を一匹仕留めた。

馬が横倒しになって乗っていた男を吹き飛ばした。

ユーリは初めて騎兵を見た衝撃でめちゃくちゃに
撃ちまくったが、当たらない。

馬上の男たちは発砲せず、長槍(やり)を構えた。
すれ違いざまに太盛達を惨殺するつもりなのだ。

騎馬部隊はさらに加速し、死の馬蹄を響かせる。

いよいよ三人が太盛達の岩場へ殺到し、すべてを
蹂躙(じゅうりん)しようという時だった。

男の一人が悲鳴を上げて落馬した。
彼の胸にはどこからか放たれた弓が突き刺さっている。

休む間を与えずに弓矢が次々に空を舞う。
太盛達からは無数の細い線が天へと昇っているかのように見えた。
それは弓の嵐だった。数は軽く100を超える。

線が頂点に達すると、重力に従って一斉に落下を始める。

男たちはたまらず方向転換して山の方へ逃げていく。
男の背中に弓が刺さり、馬の上でぐったりした。
馬はそのまま駆けているが、すぐに何本もの弓がささって転ぶ。

もう一方の男も馬の尻のあたりに弓が刺さってしまい、
激しく転んだ。その後も弓の嵐が吹き荒れる。
倒れた男の首と腰に矢が刺さり、出血多量で息絶えた。

弓を放ったのは、ゲルの周辺で放牧生活を
している武装遊牧民たちだった。

彼らは家畜を盗もうとする輩(やから)に
備えて普段から武装しているのだ。

リーダー格の男が太盛達のほうへ歩きでやってきて挨拶した。

太盛達は中国人か韓国人と勘違いされていた。
つたない蒙古語で日本人だと話すと
喜びをもって受け入れられた。彼は日本好きだった。

「怪我がなくて安心した。
 この辺は盗賊がうろうろしているから、
 常に武装して備えないといけないんだよ。
 戦うのも遊牧民の仕事の一つだからね」

蒙古語だ。太盛達が理解できずにいると、

彼は身振り手振りを加えて説明を始めた。

やはり理解できない。
敵意がないことはよく分かるのだが。

向こうも悪いと思ったのか、
話を適当に切り上げて手を振って別れた。

「マシ イヘ バヤルららー」

マリンが蒙古語で礼を述べると、男はくったくなく微笑んだ。

武装遊牧民の部下たちが賊の死体を片付けてくれたので。
いつも通りの平和な草原が戻ったのだった。

「マリン様はモンゴル語が使えるのですか?」

「今は挨拶程度だけ。もっと勉強して会話が
 できるようになりたいわ。
 モンゴルで生きていくためには言語は必須でしょ?」

「お嬢様のモンゴル語ハンドブックを
 見せていただいてもよろしいですか?」

本にキリル文字がびっしり書かれており、驚くユーリ。

モンゴルはソ連に組み込まれていた時代に
キリル文字が一般的に使われるようになったのだ。

アルファベッドと漢字で慣れていたユーリにはつらかった。
大学で習った中国語と近いのかと思ったが、文法は
むしろ日本語に近いことにますます驚いた。


「なあ二人とも。ゲルを買おうと思うんだ」

太盛にはもう迷いはなかった。二度に及ぶ弾道ミサイルと
武装集団による襲撃を経ても日本に帰るつもりはなかった。

「他に日用雑貨とかさ。この国で生きていくのに
 必要なものをそろえようと思うんだ」

ユーリがお金の心配をしたので
太盛がマリンの口座の件を教えてあげた。

想定をはるかに超える大金に狂喜乱舞したかったが、
はしたないのですました顔をした。

「なるほど。もともとはご党首様名義の口座だったのね。
 ならばエリカが自由にすることはできません。
 ところでモンゴルのゲルはいくらで買えるの?」

「高級な店じゃなければ日本円で80万くらいが相場らしいよ」

「大した金じゃないわね」

「そうだな」

と、さらりと言えるあたりが太盛一家クオリティだった。
人間だれしも大金を手にすると価値観が変わるものだ。
宝くじなどと違い、親から預かった金なのだから余計に。

ユーリはワクワクして買い物の予定を立てた。

「車も欲しいわね。移動に便利なワゴン車とか」

「キャンピングカーみたいなやつが理想だな」

「あと冬に備えて着るものやストーブなども買っておきませんと」

マリンは冬のゲルで過ごすために必要なものをすでに
リストアップしていたのだった。
ゲルでは薪ストーブを使うのが一般的だ。

「この世界ではお金よりも物や家畜に価値がありますわ。
 早めに買い物を済ませたほうがいいと思います」

まさに心理だった。貨幣経済が行き届いていない社会では
もっぱら現物に重点が置かれる傾向にある。
この年でそれに気づくとは、恐るべき9歳である。

それにしても、孫娘の海外旅行に1億円以上のUSドルである。
太盛の父は相当なレベルの資産家であった。

町に出て盛大な買い物をしたいところだが、先日の
ミサイルの件で軍隊が町を取り囲んでおり物騒だ。

完全武装した兵隊が町の周囲を囲って厳重に警戒している。
お店などもほとんどが閉まっていた。

兵隊の一人が、太盛達が東アジア人だと分かると
身分証明書を提示しろと言ってきたのでパスポートを見せた。
兵隊はすぐに納得して、不要な外出はひかえろと
モンゴル語で行ってきた。

太盛は彼の顔つきで言葉の意味を察し、
宿に帰ることにした。

軍人たちは政府から宣戦布告の
発表があるのを待っているのだ。

宿の窓は壊れていて吹きさらしだ。
カーテン代わりのレジャーシートがゆれている。
風は穏やかで、夕方の段階ではまだ冷えるほどではない。

しかし夜が問題だ。この地方の夜は気温が0度まで下がる。
日中との気温差、実に16度である。

「街が落ち着くまでしばらく宿生活するしかないな。
  この窓、どうしようか」

マリンが店主にそのことを相談しに行くと、ゲルで使われる
丈夫なフェルトをもらえた。これを窓に張り付けると、
十分な風よけとなったのでひとまず安心した。

保存食中心の昼ご飯を済ませると、マリンは昼寝を始めた。
宿にいる安心感で緊張がほぐれたのだ。

太盛とユーリは宿の庭にあるベンチに座り、
無限の大地を眺めた。久しぶりの二人きりである。

「手をつなごうか?」

「はい」

青空に雲がゆっくりと流れていく。
童話の世界のような幻想的な雰囲気だ。

放し飼いされた牛や馬が山のふもとで草を食べている。
モンゴル人にとって何でもない風景が、日本人の
彼らにとっての非日常だった。

「ユーリ。目を閉じて」

彼女の顔を引き寄せ、くちびるを奪った。
長い茶色の髪をなで、肩をつかんでさらに抱き寄せた。
ユーリは太盛を受け入れ、されるがままだった。

ユーリの体調が良くなり、宿舎も決まり、
当面のお金の心配もなくなったことで当面の争いの火種は消えたのだ。

道中で犬も食わないような喧嘩をしたばかりなので
余計に二人の仲が急接近していた。

太盛はユーリの首筋をじっと見つめた。
ユーリは色白で手足が長く、全身に色気がある。
彼女の上着を脱がしたくなる衝動をじっとこらえていた。

ユーリは目を閉じ、またキスされるのをまっている。
長いまつ毛がまた色っぽくて太盛をその気にさせた。
この美しさで使用人をやっている理由が太盛にも理解できなかった。

そんな時に電話が鳴る。

雰囲気が台無しなので太盛は憤慨した。

太盛は高校生の時から携帯電話が好きになれなかった。
遠く離れた場所にいる相手が、自分の自由時間に
勝手に踏み込んでくるのを嫌うからだ。

ズボンのポケットから出したスマホを固く握り、
振りかぶって草原へ投げようとしたら、ユーリが慌てた。

「そんなに携帯が嫌いなの?
 まだ誰からかの連絡かも分からないじゃない。
 せめて画面くらい見ようよ」

愛する人の言うことなので太盛がしぶしぶ確認する。

カリンからの着信だった。

愛娘からの電話のため仕方なく出ることにした。
太盛は妻のことが嫌いでも子供たちのことは
心から愛していた。

「お父様!? お父様なのよね!?」

「ああ。パパだよ。しばらく家を留守にしてしまってすまない」

「お父様、良かった。生きてたんだ。
 モンゴルにまたミサイルが飛んだって聞いたからさ」

「俺たちのいる場所に命中したわけじゃないから大丈夫だよ。
  はは。最初はびびったけど、ああいうのも慣れだよね」

「マリンもそっちで暮らしているんだよね?
 モンゴルみたいな後進国でどうやって生活してるの?
 かけおちするってことは、
 ユーリとそっちで再婚するつもりなんでしょ?
 やっぱりママと離婚するのね?」

「ちょ、質問が」

多すぎて答えようがないため困る。
カリンはマリンほどでないにしろ早熟で
気になったことはなんでも質問するのがくせだった。

勉強でも分からないことは先生や親を追い詰めるまで
質問を繰り返すほどの熱心さだった。

「カリン、信じられないかもしれないけどね、
 パパはユーリ達と旅行中なのさ。
 再婚を考えているわけじゃない」

「え、再婚じゃないってことは、ユーリはただの愛人?
 それってただの国外逃亡じゃん。
 私とレナはお父様に捨てられたってことなのかな?
 そっか。だからお父様はママに内緒で家を出ていったんだ」

太盛は早口でまくし立てるカリンを納得させるには
論文を書くくらいの努力が必要なことが分かった。

勝手に家出をした身なので文句は言えないのだが、
それにしても警察の取り調べ並みの勢いである。

カリンのこういうところが無駄にエリカに似てしまったことを
屋敷中の全員が残念に思っていた。

「待て待て。まだカリンには難しいかもしれないけど、
 パパとママには深い事情があってだね。大人には
 いろいろあるんだよ。その、なんていうか
 大人の世界っていうのかな。それとマリンは
 いつの間にかモンゴルに来ていたんだよ」

「マリンは小学生なのにどうやって
 モンゴルまで行ったの?
 実はパパが呼びだしたんじゃないの? 
 マリンはパパの一番のお気に入りだからさ」

「そんなわけないだろ。むしろ大事に思ってるなら
 外国に来させないよ。ちょっと待ってくれ。
 次は逆にこっちから質問するよ」

「うん」

「レナは元気にしているんだね? ミウや後藤たちも」

「学校が休校になっているから私たち双子は家で
  過ごしているよ。退屈な毎日だよ。
  今、日本は弾道ミサイルの話題で持ちきりなんだけど。
  テレビは中国か北朝鮮のしわざだって言ってるよ」

「なるほど。やっぱり日本ではそんな感じなのか。
 学校が休校になっているとは知らなかったな」

太盛は自然と表情が緩んだ。

自分たちのモンゴルはともかく、
日本にいる娘たちが平和に暮らしているならそれで良かった。


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