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作品名:モンゴルへの逃避 作者:なおちー

第6回   「自然は美しいっていうより、ただ残酷なんだな」
太盛達は丸一日歩き続けた。ユーリの助言により1時間に
5分ずつ休みながら進んだが、次第に足がパンパンになる。

太盛は日が暮れる前にテントを立てるが、
疲労のためペグハンマーを握る手に力が入らない。
この地方は湿度がないので
日が沈み始めると容赦なく気温が下がっていく。

道路沿いを進むので道に迷う心配はない。
だが、同じ景色を見続けるのはつらかった。

目的地に近づいているという実感がまるでない。
スマホのGPSは正確に居場所を教えてくれるが、
気休めにすらならなかった。

3人でテントを設置して夕飯を食べる。
ライ麦パンと缶詰を開けて食べた。
中身は馬肉だった。
見た目はさっぱりしているが、匂いがきつい。

「おいしいとか不味いとか言っている状況じゃない。
 生きているだけましだよな?」

「そうですね。お父様。
 モンゴル風の味付けも新鮮で悪くありませんわ」

マリンは父の隣に座って行儀よく食べていた。

どんなに丁寧に食べても乾燥しきったパンは
ボロボロこぼれるが、大草原ではまったく気にならない。

そもそも食べ方を注意する人など半径数キロ以内には存在しない。

そのためか、ユーリは少し離れた位置に座って口の中に
食べ物を押し込んでいた。淑女の食べ方ではなかった。

彼女の心はすさんでいたのだ。

歩きすぎて疲れた足をストレッチしながら、じっと地面を眺めて
自らの運命を呪っていた。まるで不良少女のようである。

馬は地面に生えている草を食べていた。
太盛が平たい皿にボトルの水を注ぐと、口を近づけて飲むのだった。

ユーリが眉間にしわを寄せて言った。

「服が少し匂うわ。歩いている時に汗をかいたのよ」

「それは我慢するしかないだろう。
こんな田舎にコインランドリーなんてあるわけないし」

「私ね、メイドしているからかもしれないけど、
 不潔なのは大嫌いなの。いっそ砂漠の方がましだったかしら。
 砂漠なら体を砂で洗えば綺麗になるんでしょ?」

「砂漠の日中は地獄の日差しだ。すぐ水不足になって倒れるから、
 夜しか歩けないと思うぞ。それに砂漠には行きたくないって君が
 言っていたような気がするが」

「そうだったっけ? はは。忘れちゃったよ」

「ユーリ、気持ちは分かるが機嫌を直してくれよ。
 日中も全然話さなかったじゃないか」

「話をしたら疲れて歩けなくなるじゃない。
 私はあなたほど楽観的に考えられない性格なの」

太盛はため息を吐き、先にテントで休んでいると
ユーリの背中に告げた。

独りになったユーリは、まるで地球のど真ん中に自分が
取り残された気がしてむなしくなった。
わがまま。不平不満。何も言おうがこの大地は全て受け流す。
ただ自然と言う無常だけが眼前に広がるのみ。

すぐ太盛のあとを追いかけてテントの中に入った。
テントポールのフックに取り付けたランタンの光が癒しを与える。

夜は冷えるので虫の姿がない。

太盛は疲れていたのでエアベッドで熟睡した。
マリンもうとうとしたが、ユーリがいつまでも両足を抱えながら
座り込んでいるのが気になった。

「ユーリ。あなた、まさか死のうなんて
考えているわけではないでしょうね?」

ユーリは無表情でマリンを見つめた。
何も答えようとしないのでマリンが続けた。

「これ以上お父様を困らせないでほしいものだわ。
 お父様に付き従うのがあなたの役目なのを忘れないで」

「……付き従うのもたまには疲れるのですよ。
 私は使用人ですが、その前に一人の人間ですから」

「あなたはどうして使用人になったの?」

「そんな理由、こんなところで話す意味がありますか?」

「別に。無理にとは言わないけど」

無言が続いた。

この狭い空間で黙っているのはつらかった。

マリンはあることを思い出した。

メイドの仲間のミウが言っていたのだ。
ユーリは自分から過去のことは絶対に
話したがらないということを。

それは秘密主義というより
辛い過去を思い出したくないからだと。

ユーリは独りごとのような声で、もうつまらないなぁ、
と言った。沈んだ声だった。その瞳には何も宿していない。

マリンが口を開いた。

「死ぬのは最後の手段よ。最後まであがいて、
 それでもだめなら死ねばいいと思うわ」

「どうして私が死にたがっている前提で話を進めるんですか?」

「だって、あなたの顔に書いてあるじゃない。
 ミサイル攻撃は確かにショックだけど、
 まだ人生を諦めるのは早すぎると思うけど」

「うふふ」

「なにがおかしいの?」

「お嬢様の話し方が奥様にそっくりですから。
 お嬢様の口調はまるっきりあの方のコピーですよ。
 声のトーンは違いますけど、
 私はあの方に叱られているシーンを思い出します」

「不愉快ならごめんなさいね。口調をなおそうか?」

「けっこうですよ。くせというのは簡単に
 なおるわけではありませんか」

太盛は子供のような顔で寝息を立てている。
ユーリとマリンは太盛を起こさないように小声で話していた。

「そろそろ眠くなってきたわ。
 ユーリ。最後に一つ聞かせて。
 あなたはお父様のことを愛しているのね?」

「ふふ。それは愚問というものですわ。お嬢様。
  嫌いだったらこんな貧民国へお供なんてしません」

ふぅん、そう。と言い、マリンは父のそばで寝袋にくるまった。

ユーリはしばらく座り込んでいたが、疲労のためどんどん眠くなり、
ランタンの明かりを消して眠りについた。

太盛とユーリは夜明け前にマリンに起こされて出発した。
水と乾パンを口に入れて道路沿いを進む。

歯磨きができないのは激しいストレスだった。
口腔がねばねばして食欲が失せる。

早朝の空気は真夜中と同じくらい寒い。
とにかく空気が乾燥しすぎているのだ。

ユーリはかさかさになった肌や髪のことなど
気にして朝からいらだっていた。

本来の計画では都市部の近くでテント生活と
旅館での宿泊を繰り返して最低限の文明的な生活を
送ることにしていた。
首都への謎のミサイル攻撃は全くの想定外。

旅とは常に想定外のことが起きるものなのだ。

「お父様。少し休憩しましょうか」

マリンは腕時計で休憩時間を計ってくれていた。
朝一番目の休憩である。

馬を止め、3人とも草原に寝転がる。

西の方角にでかい雨雲が接近しつつあった。

今日は比較的風が強い日だ。肉眼でも雲が動いているのが
分かったのでぞっとした。
雨に降られた場合は1日テントの中でじっとしているしかない。

モンゴルの過酷な気候に耐えて来たテントがどこまで
もつかわからない。長雨の場合はテントのインナーシートに
浸水する可能性がある。

なにより怖いのが強風だった。草原では風を防ぐ手段がない。
ゲル並みの頑丈さがないこのテントはすぐに吹き飛ばされるだろう。

「昨日の疲れがまだ残っているな。
すぐに動きたいのに体がだるくて動きたくない」

「そんなこと、言われなくても分かっているわよ」

「おいユーリ。まだ怒っているのか?」

「この状況で冷静なほうが逆におかしいと思うけど?」

いちいち喧嘩腰なユーリにさすがに太盛も我慢しきれなくなってきた。
愛の逃避行どころか、喧嘩をしにモンゴルに来たようなものである。

20代の若者らしいといえばそうなのだが、この緊急事態では
つまらない喧嘩が命取りになる。それを年下のマリンが
一番理解していたのが皮肉だった。

「ユーリにポケット聖書を貸してあげるわ。
 旧約聖書の詩編を読みなさい。少し気分が楽になるわ」

「詩編? ああ、あのユダヤの民の逃亡ごっこですか。
 あいにくですが、こんなド田舎で読む気になんかなれません。
  というか、こんなとこまで聖書を持ってきているなんて
   さすがエリカ様のご息女ですわ」

「無礼な言い方をするのね。あきれちゃうわ。
 あなたは偽の信者だったの?
 うちの使用人はクリスチャンしか採用しない決まりなのに」

「いえいえ。ただ神の存在を信じられなくなっただけです。
 どうせここで乾いて朽ちて死ぬだけの運命ですから、
 神がどうとか考えるだけ無駄かなと」

「分かった。信仰についてはもう何も言わないわ。
  それより私に敬語を使う必要はないわ。
  ここはあの屋敷ではないし、あなたは私の使用人でもないわ」

「おや。それは私が解雇されるという解釈でよろしいのですか?」

「一人の人間としてふるまってほしいだけ。
 主人とかメイドとか、このチンギスハンの大地では意味がないわ。
 私たちは二度とあの家に帰らない覚悟でここまで来た。
 今のあなたに地位とか呼び名とかがあるとしたら、そうね。
 お父様の恋人かしら」

「愛人ではなくて、ですか?」

「両親はもう離婚したようなものでしょ。
 お父様、そうですよね?」

まっすぐな目で見つめられた太盛は静かにうなずくのだった。
もともと夫婦関係を自然消滅させるつもりでここへ来たのだ。

ユーリに敬語を使うなと言ったのは太盛も同じである。

「マリンの言う通りさ。ユーリも俺もここではただの弱い人間だ。
  水とか食べ物とか服とか、いろいろ不安要素はあるが、
  考えたらきりがない。道路沿いを歩くことだけを考えよう」

「そうしたいけど、足が痛いのよ。もう少しここで休んでいたい」

「なら仕方ない。あと30分くらいここで過ごすか。
 何かいい考えが浮かぶかもしれない」

マリンはなおもわがままを言うユーリにいらだった。

本気でユーリを置いて行ってしまおうかと考えたほど。
だが、ユーリは体調を崩しているようだった。

夜が冷え込みのせいか、顔がほてっていて熱がある。
日本から持ってきた常備薬を飲ませた。
しばらく安静にしなければならない。

気圧が下がってきて肺に入る空気が重くなる。
まもなく雨雲が頭上に達そうとしていた。

予想より早く雨が降りそうだった。

「お父様。これ以上進むのはあきらめたほうが」

太盛が娘の助言を素直に聞き入れ、
ダメもとでテントの設営を始めようとした時である。

一代の小型トラックが道路の果てからやって来た。
太盛らの横に止まると、中年の男性が声をかけて来た。

「ヨウ フロム コリア?」

「We are japanese.we need a help.
  my friend is sick.
  would you take us to a village near here?」

「オゥケイ.ライドオン ジ バック」

友達が病気なので近くの村まで載せてほしいことをマリンが
伝えると運転手は了承したのだ。

マリンが流暢な英語で返答したので太盛が感心した。
幼稚園時代から語学の才能があるのは知っていたが、
小学校中学年でここまで洗練させていたとは思わなかったのだ。

外国人と会話ができている以上、娘の英語力は本物だった。

トラックは途中で舗装道路を抜けて草原を
南に進み始めた。何もない草原の上を
車が走ること自体太盛達にとってカルチャーショックだった。

運転手は何も言わずに運転しているので
そのまま任せることにした。
太盛がコンパスを取り出す。
ウランバトルから南へ向かっているのが分かった。

大気の状態がますます不安定になり途中で小雨が降り始めた。
やがて大雨になる。

雨の中もトラックは走り続ける。
1時間ほどで町に着いた。

マリンは町の名前を運転手に聞くと、
ゾーンモドと言った。

モンゴル中央部の都市でトゥブ県の県都である
人口は1万6千を超え、北にはボグド・ハーン山がある。

市内にはヤギ、馬、羊、牛など訳2万4千頭の
家畜がいる。ここでは蒙古にしては珍しく農家がある。
ウランバートル市へ供給する小麦やジャガイモの生産が
盛んだ。金属等の地下資源も豊富である。

「宿に泊まるぞ。ユーリ、まだ意識はあるか?
 もうすぐ建物のベッドで寝れるからな」

「うん……」

ユーリは顔色が悪いが、太盛に肩を貸してもらって
歩くことはできた。

市の中心はウランバトルほどではないが、十分に発展している。
日本で言えば地方都市だ。日本と決定的に違うのが、
市の外側に家畜の放牧地があることだ。広さはまさに膨大だ。

「スリィ でいぃず?」

「イエス うぃ あー すりぃ ぴーぽ」

「オライト ヒアズ ざ きぃ
 ヨア ルーム イズ 206」

小さな宿の店主と太盛は互いに片言の英語で会話し
チェックインを済ませた。ユーリのために3泊にしておいた。
ここは市の郊外の宿で2階建ての簡素な建物だ。

値段が安いこともあるが、太盛達は人目に付きそうな
大きなホテルに泊まることを嫌った。

宿に入って一番感動したのは水道が通っていることだ。
蛇口をひねると水が出る。水洗トイレがある。
日本では当たり前のことが外国では貴重なことなのである。

馬は宿の外の預り所に置いてある。

太盛とマリンが町でヨーグルトやポカリを買ってきた。

この宿は有料のルームサービスで食事を頼むことができる。
でるのは夕食のみ。頼むと割高なので町で食料を
買い込んだほうが安いので遠慮した。

なにより病人のユーリに口に合わない食事を出されたら辛かった。

町のスーパーで買い物を済ませた。
薬は買わなかった。
日本から持ってきた市販薬を使っている。

「宿に着いて気が楽になったわ。
 いろいろありがとう。心無いことをたくさん
 言ってしまってごめんなさい」

「いいって。まだ熱があるから安静にしていると良い」

「少し寝たいから、一人にしてもらってもいい?」

「俺がそばにいなくていいのか?」

「病気の時は一人でいたいタイプなの。
 それにここにいたら私の風邪がみんなに移るわ。
 夕方までマリンお嬢を連れて市内を調べてきてよ」

「そうか、そこまで言うなら仕方ない。
何かあったらスマホで教えてくれよ?」

太盛はリュックの中に必要な道具を集めていく。

「ユーリ。お大事にね。何か必要なものがあったらすぐ言ってね?」

「ありがとうございます、お嬢様。気を付けて行ってらっしゃいませ」

マリンは父と手をつないで外へ出た。
大きな髪留めが特徴的だ。

扉が閉まると、ユーリは死んだように眠りについた。

「お父様。本当にユーリを一人にしてよかったのですか?
 エリカの放った刺客が襲ってくるかもしれませんのに」

「さすがに向こうだって日中は襲ってこないと思うけどね。
 まだお昼過ぎで人目がありすぎるし、ユーリだって一人になりたい
 時があるだろう。あの子は屋敷時代も休憩中は庭のイスで
 で考え事をしていることが多かった」

ゾーンモドの歩道は広かった。
大きな橋が町の中央を流れる川にかかっている。

東京のように高層ビルが並んでいるわけではないが、
学校や病院、役所など文明的な建物があることで太盛達は安心した。

雨はやんだが、曇りなので最高気温が9度しかない。
日本で用意した冬物装備では限界があるので服を買うことにした。

「あっ、お金どうしようか。食料を買い込んだからほとんど残ってないぞ」

「銀行におろしにいきましょうか」

なんと太盛の口座が凍結されていた。
いちおうバトル市に到着した時に
4百万以上振り込んだはずだったのに。

「エリカの仕業か……。くそ女が」

怒りのあまりATMに拳を叩きつけようかと思った。
彼の貯金の8割をつぎ込んだだけに失望は大きかった。

「マリン。すまない、僕の手元にあるのは
 わずかなトゥグルグとUSドルしかないぞ」

トゥグルグとはモンゴルの通貨単位であり、
1000トゥグルグ以上の紙幣にはチンギスハンが印字されている。
(日本で例えると万札の福沢諭吉のようなものである)

余談ではあるが、モンゴル人民共和国時代は
トゥグルグとソビエトのルーブルは等価であった。

「私のお金を降ろしましょう」

驚く父をよそに、マリンがATMにキャッシュカードを入れる。
マリンが口座を持っていること自体不思議だったが、
信じられないことに残額が100万ドルを少し超えていた。

現在の為替レートに換算すると訳1億3千万だった。

「いち、おく……? マリン。君はどうやってこれだけの額を?」

「ちょっとお小遣いが溜まっていましたので」

「いやいや、小遣いってレベルじゃないぞ。
 もはや僕とエリカの結納金と同じくらいの額じゃないか」

太盛は日本語で会話してよかったと心から思った。
周りのモンゴル人たちには内容がばれないからだ。
めったなことではこのような大金の話などできるわけがない

「どうするマリン? すぐ大金を引き下ろすべきだろうか。
 この口座もエリカに見つかったらすぐ使えなくなるぞ」

「その心配は無用ですわ。これは超強力なセキュリティで
 守られている秘密口座。国家権力レベルで介入しない限り
 操作することは不可能です」

「いったい何の話をしているんだ?
  どうみてもただの普通預金口座じゃないか」

「おじいさまが」

「え?」

「おじいさまが私に持たせてくれたのです」

「俺の親父殿が? なぜだ? まさか親父殿が
 マリンの渡航を認めたってことなのか?」

「私が泣いて頼んだのです。ご党首様は孫娘には甘いですから。
 海外旅行のお小遣いとして持たせてくれたのです。
 口座の作り方は執事の鈴原に教わりました」

にわかには信じがたい話だった。
確かに富豪の太盛の父なら実現できることではあった。

「ちなみにこの話はエリカには秘密なんだよね?」

「もちろんですわ。あのババアに話す口など初めからもちません」

「それにしても親父殿は海外旅行だと思っているのか」

「お父様と小姑ババアの不仲はご存知のようですから、
 軽い家出だと考えてらっしゃるようです。海外版の。
 私はおじいさまが用意してくれた専用飛行機で
 空港までやってきました」

「それは分かった。だが一つ分からないことがある。
 マリンはどうやって僕とユーリの居場所がわかったんだ?」

「お父様の旅行鞄に発信機が……」

ここまで話したところであたりの人たちからじろじろ
見られていることに気づく。
モンゴル人らにとって聞きなれない言語で
話している親子がめずらしかったのだろう。

母親に連れられたモンゴル人の子供が太盛達を指されている。
あれは日本人だと言われているのだ。

「いったん出ようか」

「はい」

一か月分の生活費をおろしてカフェに入った。
西洋風のカフェを期待したが、無味乾燥だった。
店員の態度も良くない。

スピーカーから控えめな音量でロックがかかっている。

マリンが店員に英語で注文すると通じなかったので
モンゴル語ハンドブックを片手に現地語を話す。
発音が下手で通じない。

仕方なくメニュー表を指さして注文した。

2人分のチーズケーキとチャイ(茶)が運ばれてきた。

「モンゴルに来るとチーズが多いな」

「それに牛乳もですわ。日本と違って甘くないです。
 この酸っぱい味に舌が慣れて来ました。
 日本食の昆布やかつおだしの味が懐かしくなりますわ」

店内に人はほとんどいなくて快適だった。
窓の外では往来する人とわずかながら自動車も見える。

遠目には標高の低い山が一面に連なっている。
地面にはごつごつした岩が露出していてアクセントになっていた。

町のすぐ外が大自然なのだ。広大だが殺風景だった。
緑で生い茂っている日本の自然とは根本的に違う。

雨はあがった。濃い雲の間から日差しが差し込む。
すると大地に見事な虹を作った。三色の虹だった。

「これが大草原の虹ですか。なんて幻想的なのでしょう」

「写真に撮っておきたいね。カメラは日本に
 置いて来てしまったからスマホで取っておくか」

その時太盛はスマホのレンズ越しに見てしまったのだった。
謎の物体が空を飛んでいることに。
虹が少し欠けて見えたのは、弾道ミサイルが飛んできたからだった。

ミサイルはゾーンモドを飛び越えてはるか遠くへ落下した。
10秒ほど遅れて突風がこの町を襲った。

山の樹木が根こそぎ倒れるほどの勢いである。
幸いだったのが、連なる山々が壁代わりになってくれたことだった。
山は爆風の延長線上に位置していたのだ。

店のガラスにヒビが入り、粉々に割れた。
太盛はマリンと共に耳と頭を覆ってテーブルの下に避難した。

テーブルから皿やコップが飛び、壁にたたきつけられた。
洗い物をしていた店主は転倒し、頭を強く打ってしまった。

突然の軍事攻撃に町中が大騒ぎになった。
道路にある車が風圧のためひっくり返っている。

ネットやテレビを駆使して情報集めをする市民たち。
役所や消防に市民が殺到し、混乱の極みに達していた。

太盛とマリンには幸いけがはなかった。

店主にお金を渡し、近くの病院へ医者を呼びに行こうと思ったが、
市に一つだけある病院は人々が殺到している。
とても収拾がつかない状態だ。

「このくらいの怪我なら何とかなる。
 妻が面倒見てくれるから気にしなくていいよ。
 それより君たちの家族は大丈夫か?
 早く家族のもとへ行きなさい」

店主は今の内容を太盛達にモンゴル語で告げたのだが、伝わらない。
しかし、身振り手振りでなんとなく言いたいことは伝わったので
太盛達は店主に英語で別れの挨拶をして店を出た。

マリンはスマホで情報収集していた。
町の中は草原と違い、どこでも電波が通っている。

「お父様。今回の着弾地点は南のゴビ砂漠だそうです」

「ゴビ砂漠だと……? 今回は都市部を狙ったわけじゃなかったのか。
 あんな何もないところに打ったってことは実験だろうか」

「国連は北朝鮮をまっさきに疑って抗議活動をしていますけど」

「話の流れでなんとなく分かるけど、きっと北朝鮮は関係ないな。
 インドもパキスタンも」

「そうなのでしょうか」

「かんだけどな」

「この国はどうなっちゃうの? 
 ユーリが言うように本当に戦争が始まったのかしら」

「ま、どうなろうと絶対に生き延びてやるがね」

「早くユーリの元へ戻りましょう」

町中の人がいたるところで騒ぎを起こして
戦争が始まったと叫んでいた。

治安部隊が、戦車やトラックを
道路に展開して厳戒態勢がしかれた。

国家の非常事態に外国人ほど肩身の狭い者はいない。

太盛達は駆け足で宿へ戻るのだった。
服を買うのはまだまだ先になりそうだった。


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