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作品名:モンゴルへの逃避 作者:なおちー

最終回   E ミウは能面の男に運命を託された
小柄なミウより頭二つ分は背が高く、
しなやかに手足が伸びている。

両足を肩幅まで広げており、兵隊のように
スキを見せようとしない姿勢だが、敵意はないようだ。

ミウが一番気になったのはお面である。
その男は声からすると若いのだろうが、
能で使われる老人のお面をしていた。

翁(おきな)系のお面。白式尉(はくしきじょう)である。

『翁』は、能のどの種類にも分類されず、もっとも
古くから存在するものである。能にして能にあらずと
いわれ、神の面として神聖視されている。

白い肌に穏やかな笑みを浮かべた面。
面の全長の1.5倍の長さのひげをたくわえている。
知恵と安らぎの象徴としてしわがくっきりと
描かれているのが特徴だ。

能に慣れている者ならともかく、ミウには
すさまじく不気味である。ミウはその迫力に
生理的な恐怖を感じ、腰を抜かしてしまうほどだった。

「私は党首様の使いの者です。
 その様子ですと、ミウ様は能をご存じではないようですな」

「わ、私は日本生まれではありませんので」

「そうでしたね。確かにあなたは
 話すときの仕草が日本人とは異なる」

男はミウのもとへ歩み寄ってくる。

足音を殺して歩くその姿は普通ではなかった。
上半身を全く揺らさず、地を滑るようにして移動する。

急いでいるようには見えないが、
あっという間にミウの前まで来てしまった。

とにかく、ただの男ではないことはよく分かった。

ミウは、この能面の男が北朝鮮から派遣された工作員では
ないかと疑ってしまう。

「そ、そのお面、怖いです……。外してくださいよ。 
 ちゃんとお互いの顔を見てお話ししましょうよ。
 Be friendly. それがマナーよ」

「あいにくですが、これを外すわけにはいかないのです。
 本家に勤めている者は俗世間に顔を
 さらさないように、との決まりがありまして」

「あなたは本家に勤めているの?」

「左様。あなたと同様に使用人として働いております。
  ミウ様のうわさもかねがね伺っておりました」

恭(うやうや)しくお辞儀をする男。
鈴原のようないぶし銀な動作とは違い、優雅さがある。

「質問させて。あなたの名前は? どうして私のことを
 知っていたの? あなたが使用人であるという証拠は?
 本当に使用人ならどうして私の名前に様をつけるの?」

カリン様の質問攻めがうつりましたかな。
男は蚊の鳴くような声でそうつぶやいた。

「おやおや、そこまで疑わせてしまうとは。
 これは失敬。挨拶が足りませんでした。
 というより、ミウ様は件のICレコーダーを最後まで
 お聞きにならなかったようですね」

ミウはこくこくと機械的に頷いた。

「館に本家から迎えの者を送るので、それまで
 早まったことをされないようにとのメッセージが
 録音されていたはずです。
 私は、今朝街を走り回るミウ様を追跡する形で
 お会いすることになりました」

男は床に置かれた黒いバックから一枚の地図を取り出した。
広域の地図で、白紙部分に詳しい住所が書いてある。

「ご党首様が現在住んでいる場所です」

「この赤い印がしてある場所?
 これは……日本海側の孤島じゃない」

「はい。長崎県の沖合です」

「長崎県……?」

なんとなく島の風景を思い浮かべると耳鳴りがした。

この違和感の正体は既視感だった。

「写真をご覧になりますか?」

男が差し出した写真を手に取る。
スナップ写真の束だった。

太盛やエリカ、マリン達が幸せそうに
遊んでいる光景が写っている。のどかな島生活だ

奥多摩と同程度の豪邸。庭にはテニスコートや農園がある。
写真は何十枚もあった。ミウは慎重に見ていく。

「この写真、私だよね? どうして私が写っているの?」

「あなたがそこにいたからですよ」

「いやいや。そもそも西日本に行ったことすらないんだけど」

「よくご覧なさい。ユーリや後藤もいるでしょう?」

確かに、写真の中に彼らの姿がある。

記念撮影というわけではなく、本当に日常を切り取った写真だから
嘘がない。厨房で皿洗いをしている後藤にユーリが話しかけている。
ミウが洗濯物を取り込みながらカリンとじゃれあっている。

長靴を履いた太盛が、畑で作物の種植えをしていた。
作業着姿で首にタオルを巻き、農作業が様になっている。

作り物とか、そういう疑いをかき消すほどの力があった。
それはまるで、こことは違う世界があることを
示唆しているかのようだった。

「ひとつ教えて。ユーリは……死んだよね?」

「亡くなりました」

男は最後に、残念ながらと小声で付け加えた。

「じゃあこの写真はなに?」

「ただの現実ですよ」

「現実?」

「はい」

ミウは理解が追い付かず、何も話せなかった。
男の方も黙ってしまい、ミウが話し始めるのを待っている。
こうしてむなしい時間が流れた。

廃墟に等しいビルの窓から光が差し込む。
どれだけ時間が経ったのか、ミウには見当もつかなかった。

緊張しすぎた胃がキリキリと音を立ててしぼむ感じがした。

太陽は、とうに天頂まで昇ったのか。
外の世界はどうなっているのか。屋敷のみんなは。
不安さが増すほど、人恋しくなる。

「あなたは、私にどうしてほしいの?」

「私はただのメッセンジャーです。
 党首様が直接あなたと会って話がしたいと望んでおられます。
 あなた様にこれからの進退を決めていただきたいのです」

「余計なお世話……かな」

「そうでしょうか?」

「党首様には感謝してるわ。でも、もう色々限界なの。
 太盛様もユーリもいないこの世界なんて、もういや!!」

ミウは男のわきを通り過ぎて階段を駆け上がった。

古びた階段の4階部分まで勢いに任せて登った。

ビルの屋上は広い。

四方を転倒防止用のフェンスが囲う。
フェンスは2メートルを超えるから、そう簡単に
飛び降りることはできない。

強い風が吹き荒れ、ミウは風邪を引くのではないかと
思ったが、これから死ぬ自分にはどうでもいいことだった。

重く、鈍い音がした。

ミウが後ろを振り返ると、鉄製の扉を男が
開けたところだった。
男は足音をたてずに近づいてくる。

ミウに男を信用しろというほうが無理だった。
例のスナップ写真の出どころは完全に不明。

見せられた時は奇妙な感覚に陥ったが、
太盛達のことを常に監視していたスパイが作った
合成写真だと考えれば納得できる。

ミウは血走った目でこう叫んだ。

「来ないで!! お願いだからそれ以上近づかないで!!」

男はミウの三歩手前で立ち止まる。
彼は見れば見るほど普通の人間でないことが分かる。

雰囲気といい、話し方といい、全てが常人とは異なる。
この世の者とは違う、なにか神がかり的な力を
持つ者のように感じられた。

ミウは恐怖のあまり立っていられなくなり、尻もちをついてしまった。

「ミウ様。手荒なまねをするのをお許しください」

なんと男はミウの頭部へ手を伸ばした。

「うわあああああ!! いやああああああ!!
 ママ!! 助けてええええええええ!!」

男はミウの両眼を覆うように優しく手を当てた。
10秒くらいそうしていた。そっと手を離す。

ミウはナイフで首を斬られたと思って出血を確認するが、
体に変化はない。変わったのは景色だった。

「は?」

そこは見知らぬ山の中だった。

生い茂った緑があたりを囲む。

山道の途中にミウはいた。最初に違和感が
あったのは暑さだった。ミウはとてもコートなど
着ていられなくなり、脱ぎ捨ててしまう。

セーターも暑くて仕方ないので袖をまくる。

続いて聴こえて来たのは虫の声。

「夏場とはいえ、山の中は比較的涼しいものですな」

男は能の面をしたままそう話した。
彼も暑さのため黒い服の袖をまくっている。

「ここは通称、低山と呼ばれる場所です。
 この山道をあと少し登れば神社があります。
 ご党首様が作られたものです」

さあ行きますよと言い、呆けているミウの手を取った。

ミウは抵抗しなかった。というよりできなかった。
事態の急展開に頭がついていかず、黙って男に着いて行った。

男は不気味な見た目とは裏腹に紳士だった。
西ヨーロッパ慣れした後藤よりもずっと女性の
扱いがうまかった。

「すぐ着きますから。
 足元の小枝にお気を付けください」

ひたいに汗をかいたミウにハンカチを手渡す。
ミウは素直に受け取って汗をぬぐった。

10分もせずに小さな神社に着いた。

山の中にある本当に地味な建物だ。
小さな賽銭箱もある。
だが、お参りなどする気にならない。

「鏡を出しますから、少し待っていただけますか」

神社の本宮にあたる建物の奥に入り、数分ほどして出て来た。

「この鏡は、党首様がそれはもう大切にしていたものです。
 本来なら私が触れることは重大な規約違反。
 実に恐れ多いことですが、こうでもしなければ
 ミウ様に信じてもらえないでしょう?」

丸い鏡が台の上に置かれていた。
歴史を感じさせる立派な鏡である。

「いわゆるご神鏡と呼ばれるものです。非常に神聖なものですよ。
 キリスト教徒のミウ様には、そう感じられないかもしれませんが」

「そうでもないよ? 日本の神様の力、今信じる気になったよ。
 テレビとかでそれとなく聞いてはいたけどさ」

「そう言って頂けますか」

男は初めて笑みを見せた。といっても仮面の裏ではあるが。

「これって夢じゃないんだよね?」

「はい。現実です」

「そうだよね」

「はい」

「ならさ、この鏡に映っている人も現実に存在する?」

「……それはどうでしょう」

鏡の中にユーリがいた。

本来なら正面にいるミウを映すはずの鏡は、
まったく別人物を映していたのだ。

ユーリは人形のように動かない。
いつもはまとめていた長い髪を降ろし、
化粧もせず、白いゆったりした服を着ている。

言葉と表情を亡くし、ただミウを見つめていた。

ミウは怖さよりも哀しさが勝った。
これは、すでに死んでしまった人を
鏡を通じて見ているのだと直感で理解した。

日本の宗教では、死んだ人と夢で再会した時は
決して言葉を発さないと聞いたことがあった。

この鏡がそういう霊的な力をもっていることは、
説明されるまでもなく分かってしまう。

そして、今、自分がこの山にいることも。

ミウはさめざめと泣いた。
そこにいる彼女は向こうの世界の住人。
でもこの超常現象で少しだけでも会うことができた。

男から渡されたハンカチが少女の暖かい涙で濡れた。

ミウが泣き止むのを待ってから、
男がミウの肩をやさしく叩いた。

「あの先に、太盛様達がいます」

彼は見晴らしの良い場所に立ち、海岸を指した。
灼熱の太陽が海面を照らしている。

「あの海は日本海ね」

「左様。お若いからか、実に物分かりが良いですね。
 そしてここは長崎県沖合の孤島。今日のような快晴の日は
 対岸の朝鮮半島を望むことができます」

「太盛様達、死んだのかな?」

「確かめようがありませんが、そう長くないでしょうな」

男は仮面を外した。

ミウは驚いた。あれほど外すのを渋っていたのに、なぜ急に外したのか。
ミウは恐る恐る男の顔を覗き込む。

年は20代の後半とみられた。
西日本の人特有の薄い顔立ち。非常に端正な顔をしていた。

能や歌舞伎の世界特有の品性を感じさせる美男子だった。

太盛もエリカを虜にするほど
美しい顔立ちをしていたが、この男はさらに美しい。

ミウは、まさか老人の仮面の裏からこのような顔が覗くとは
思っていなかったので果てしないほどの衝撃を受けた。

男は泣いていた。
頬を滴り落ちる涙をぬぐおうともしない。

ミウは、彼の顔から目が離せなくなった。
そして絞り出すような声で一言つぶやいた。

「なぜ……?」

それだけですべてを察した男が、そっけなく答える。

「私もあなたと同じ気持ちになったのですよ。
 もうどうでもいい。私は許可なくこのご神鏡を持ち出したことを
 党首様に叱られるでしょう。そしてあなたをこの島に
 連れ出したことも。だが、私の身に起こることはどうでもいいのです。
 あなたにはどうか未来を作っていただきたい。もう一つの可能性を」

男は腕で涙をぬぐう。そして鏡を片手に持った。

「お手をどうぞ」

空いた方の手でミウをエスコートして山を下る。

男が鼻をすする音。不快な湿度。首筋の汗のにおい。
木々の隙間から差し込む強烈な日差し。腕にまとわりつく蚊。

本当に、もう一つの現実世界にいると感じられた。
あの世に行ったという気はしない。別の次元に飛んだのだ。

ミウは男の手を握ると不思議と安心した。
酷暑の中、暑苦しくて仕方ないはずなのに、心地よくすらあった。

「私はエリカ様が憎い」

男が吐き捨てるように言う。

「あの女は邪悪な存在です。そういったオーラを全身にまとっている。
 ご党首様達は結婚前にあの女の正体に気づかなかったようですが、
 私は結婚を歓迎しませんでした。だが結婚前の幸せムードの中で
 どうして余計な口を挟むことができようか。それも一使用人の私が」

「私も……あの女は嫌いだったよ。殺してやりたいくらい」

「ユーリ嬢が死んだと聞いた時、胸が張り裂けそうなほど衝撃を受けました。
 あの子の出自は決して恵まれたものではありませんでした。死に際も同様です。
 太盛お坊ちゃまと愛人になって旅に出ると決めた時から、運命の歯車が
 狂ってしまった。もう手遅れだったのです。救ってあげることが
 できなかったか、自問しない日はありません」

「太盛お坊ちゃまって……。あなた、けっこう年上だったりする?」

「今年で37になりますが。それがなにか?」

「ええっと。その……若作りなんだね。最初見た時は20代かと思ったよ」

男は鳩が豆鉄砲を食らった顔をした。

「ふむ。まあ世辞と受け取っておきましょう。
 これでも食生活と健康には気を使っていますから」

話の腰を折られてしまい、恨み言を言う雰囲気ではなくなってしまった。

「私たちは大切なものを奪われた者同士。
進むべき道は同じだと考えております」

男は重たい鏡をミウに持つように言った。

「うわ。見た目より重いんだね。
 これ持って歩いたら筋トレになりそうだよ」

「ふふっ。あなたという人はこんな状況でも明るいな。
 後藤が気に入っている理由がよく分かる」

男は優しく微笑むので、ミウは少しドキッとした。

風が吹き、木々の揺れる音が響いた。
彼らは参道の入り口付近にまで降りていた。

数メートル先に真っ赤な鳥居がある。
まるで血で塗りつぶしたような色に染まっていて、
ミウは思わず後ずさりそうになった。

「さて」

男は真顔になり、ミウを振り返った。

「その鏡を持ったまま先へ進みなさい」

「え……でも、あなたはどうするの?」

「私はここで待っている。私には構わず進みなさい。
 歩いている間、決して後ろを振り返らないように」

ミウは鳥居を見た。あの下をくぐれば、ただではすまないのは
雰囲気から伝わった。だから決心がつかない。

「わ、私に死ねって言ってるの?」

「ミウ。世界は広い。こことは違う世界があるんだよ」

「違う……世界?」

「これ以上は聞くな。私もあまりここには長くいられない。
 私にはできないことなんだ。頼む」

ミウはしばらく彼の真摯な瞳を見つめていた。
尋常ではない夏の暑さ。男の前髪から汗がこぼれ落ちる。

嘘や冗談を言っているわけではないのは、
彼の瞳を見れば分かることだった。

彼はミウの敵ではない。
その彼が、大切な使命をミウに任せようとしている。

「分かったよ。私、行くね」

「ありがとう。君は素直な子だね。だから君の神に
 愛されているのだろうな。鳥居の下に着いたら
 鏡の裏に書いてある文字を口にしなさい。
 読みやすいように外国語の下にカタカナで書いておいた」

一歩一歩、重い鏡を抱えたまま、ミウは最後の遊歩道を下りた。
鳥居の前に達すると、全身の毛が逆立つほど霊的な力を感じた。

奥歯がガタガタ震えるのをこらえながら、鏡の裏を読む。

(この文字はアラビア語……? それとも旧約聖書のヘブライ語かな?)

『エヘイェ・アシェル・エヘイェ』(私は在りて有る物)

読み終え、鳥居をくぐった瞬間に少女の姿は消えてしまった。
最初からミウの姿がなかったかのように、そこには風景だけがあった。

持ち主を失った鏡が落ちた。

男は鏡を拾い、土で汚れた部分をタオルで丁寧にふいた。
鏡の下には六芒星のしるしがある。この鏡は、数千年前に
中東のシナイ半島から極東の島国へ持ち込まれた遺産だった。

ユダヤの失われた十二支族の一部が
この列島に住み着いた時に持ち運んだものとされている。

鏡面に傷はない。丸鏡に映ったのは亜麻色の髪の少女の姿だった。
口元を引き締め、長いまつ毛が悲しそうな目元を隠している。

「ああ……マリン様もあちらへ行かれたのですか。
 あなたの大好きなお父様もすぐに後を追うことになるでしょう」

男は鏡を持ち、また来た道を戻った。
よたよたと、幼子のように頼りない足取りだ。
しかし、その顔には確かな達成感がある。

「このような場所に一人で残されると、さみしいものだな。
 ミウと話せた時間は短いが、とても楽しいものだった。
 綺麗な心を持った少女だった。ミウならきっと。ミウなら……きっと」


               モンゴルへの逃避 『終わり』 次回作へ続く


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