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作品名:モンゴルへの逃避 作者:なおちー

第24回   D ミウは自殺したくなった
夜になり、風呂上がりのミウはエリカの高いドライヤーを
拝借して髪を乾かしていた。使用人らしかぬ行為であるが、
ユーリを殺された恨みがあるので罪悪感は全くない。

さすが高級品だけあって仕上がりが段違い。
髪はうるおいがあって自分でも惚れ惚れするほどだ。

一応廊下に出て誰もいないことを確認した。時刻は10時過ぎ。
後藤は朝が早いので10時前には寝てしまっている。

お嬢たちは夜更かししているかもしれないが、
とにかくICレコーダーの内容が気になって仕方ない。

「さてと」

テーブルの上に置き、再生スイッチを押した。
ギリギリ聞き取れるくらいの音量で党首の渋い声が流れ始めた。
ミウは音量の操作の仕方が分からず、レコーダーを耳に近づけた。

『この音声を聞いているのがミウ君であることを祈っている。
 そしてここで聞いた内容を誰にも漏らさないことを君の神に誓ってほしい。
 まず謝罪しなければならない。私の出来の悪い息子のせいで君に余計な
 心配をさせてしまった。奴のしたことはただの逃げだ。面倒なことから
 逃げ、それで何かが解決すると思っている。実に愚かである』

まず太盛に対する批判から始まった。
1分くらいそれが続くと、話題がユーリに変わる。

『君には非常に残念な知らせになってしまうが、
 最後まで聞いてほしい』

『ユーリ君の死体はモンゴル軍が回収した。
 彼女は致死量の生産カリウムを飲んだ結果、多臓器不全で亡くなった。
 私は知り合いに日本の外務省の人間がいてね、外交ルートで遺体の
 引き渡しを求めたが却下された。現在モンゴルはミサイル攻撃を受けていて、
 戦争状態にあるから日本側との外交は断絶されている』

『そのミサイルはロシア領カムチャッカ半島のミサイル基地が
 暴発したものだ。制御システムの故障だよ。ロシア極東軍の
 司令官はすぐに事態の収拾にかかったが、ミサイルの
 暴発はなおも続いた』

『モンゴル国政府はロシアに対して正式に宣戦布告をしたが、
 お互いに無意味な殺し合いを望まなかったため、互いに
 空軍戦力を温存してにらみ合いになった。結局ロシアが
 自らミサイル基地を破壊することで事態は収拾した。
 アメリカを初め、西側諸国は静観していたので軍事介入はなかった』

『戦争は終わった。だがそれで全てが終わったわけではない。
 蒙古議会ではソ連時代の生き残りの共産主義者が台頭し、
 革命を起こそうとしている。太盛達はモンゴル西部の
 ゴビ・アルタイ県という場所で蒙古陸軍に捕らえられた』

「捕まった!? 行方不明だったんじゃないの!?」

『太盛達は外国人なのでロシアから派遣されたスパイの疑いが
 かけられ、捕虜収容所に入れられてしまった。
 そこで詳しい身元の調査が行われた後、
 中国を経由し別の場所へ移動させられた』

『行き先は北朝鮮だ。太盛達は囚人として売られてしまったのだ』

その言葉を聞いた瞬間、ミウは絶望のあまり吐きそうになった。

『北朝鮮北部の鉱山地帯には無数の強制収容所があると言われている。
 中国との国境近くだ。収容されているのは大半が朝鮮人だが、外国人もいる。
 人数はおよそ22万。太盛達もその中に入れられた可能性が高い』

『以上は私が部下に調べさせた内容だ。
 これは、北朝鮮の内務省の人間に裏ルートで確認した情報である。
 確認するのにずいぶんとお金を払う必要があったがね』

『私は親として身代金を払うと約束し、実際に払ったが、
 多額の金の見返りとして息子たちは帰ってくる様子がない。
 北朝鮮という国は人間を奴隷として買い取る国だ。そして一度手に入れた
 奴隷は絶対に帰さない。それこそアメリカ並みの軍事力と政治の
 圧力がなければな。私は今回の事件で個人資産の3割を失った』

『私の力をもってしても解決はできない。
 愛人と浮気した息子の罪にしてはあまりにも重すぎる。 
 孫娘のマリンまであの国の収容所に入れられているのかと
 思うとな。胸が苦しくてこれ以上語るのさえためらわれるほどだ』

録音から党首の憔悴した様子がよく伝わって来た。
党首の声は北朝鮮のくだりになってから震えてしまっている。
どんな気持ちで録音していたのか。ミウには想像に余る。

面と向かってミウと話せないのはこういう理由だったのだ。

『レナとカリンには行方不明と言うことで決着させてあげたかった。
 そのまま一生見つからなければ法的には死亡したと判断される。
 かわいい孫たちにはそれでいいのだミウ。真実とは常に恐ろしいものだ』

『人の世は、どうしてこうも残酷にできているのか。北朝鮮を
 生みだした元凶はソビエトのスターリンだ。金日成主席は
 スターリンの信任を得てあの地に共産主義国家を作り上げた。
 共産主義とは反対主義者の粛清をすることを是正とした思想だ。
 奴らは外国と戦うことよりも自国民を殺すことを第一に考える』

ミウはここまで聞くのが限界だった。

ICレコーダーの電源を切ってしまい、
放心した顔で壁に寄りかかった。
もう何もする気にならない。真実はあまりにも残酷すぎて
一瞬で彼女の心を粉々に砕いてしまった。

彼女の顔は、熱を出した時の鈴原よりひどいものになっていた。
この世では二度と太盛達に会えないことを知ってしまったから。

ユーリは死んだ。
太盛達は地球上で最も恐ろしい国に送られてしまった

強制収容所。この世の地獄と言われる場所である。

世間知らずのミウにとって死に勝る苦痛が
この世に存在することを知るきっかけになった。

ミウは震える手でスマホを持ち、北朝鮮の脱北者の手記を読んだ。
平和ボケした彼女の精神力では5分以上読むことができなかった。

収容所は反逆分子、政治犯を強制収容し、
1日12時間働かせて虐殺するための場所である。

炭鉱採掘や森林伐採などの重労働が課せられ、抵抗する者は
容赦なく射殺されるか拷問される。

食料は絶望的に不足し、主なタンパク源は不衛生な宿舎に
迷い込んだネズミ、ヘビ、トカゲなどといわれている。

女性の囚人は尋問と称して性的暴行を受ける場合が多い。
子供の囚人も当然いて、親子で収容されている人も少なくない。
脱走、自殺したものは連帯責任として平和に暮らしている家族を
収容所行きにすると脅しているから、自殺者は意外と少ない。

人類が考えうる限りの悪行がそこで実際に行われていた。
平和な国で暮らしている日本人には
想像もできないほどの地獄がすぐ隣の国に存在するのだ。


ミウのことを心配して面倒を見てくれたユーリ。
ユーリの死に顔を見ることはできなかった。

暇な時にエリカの目を盗み、ミウの話し相手になってくれた優しい太盛。
太盛は今ごろ囚人服を着せられ、凍える朝鮮の大地で使役されているのか。

ミウは猛烈な吐き気に襲われ、トイレに駆け込む。
胃液しか残らなくなるまで吐いた。

指先の震えが止まらない。急性胃腸炎の症状だった。

一睡もできないまま朝を迎えた。

風邪を引いたから今日は部屋で寝ている。鈴原にそう伝えると、
全てを察してくれて一人にしてくれた。後藤やカリンが
心配して部屋を訪れなかったので助かった。
鈴原がミウの邪魔にならないよう遠慮させたのだ。

激的なストレスでやつれてしまった自分の酷い顔など
ミウは誰にも見られたくなかった。

鈴原もまた、ミウと同じ真実を党首から直接聞かされていた。
鈴原も発狂寸前まで心が追い詰められ、屋敷に帰るタイミングを
見失っていたのだ

「うぅ。うぅうう。もう誰にも会いたくない。
 お父さん、お母さん。ごめんなさい。
 こんな気持ちじゃあ今の仕事続けられそうにないよ……。
 私の大切な人達はみんな死んじゃうんだから。
 私も仲間に入れさせてもらうよ」

ミウは果物ナイフを手に取り、自らの首に刺そうとしていた。
ナイフの先端が刺さる前に怖くなり、ナイフが手から落ちてしまう。

「いやだぁ……死ぬのはもっと怖いよ……。私は根性なしだ……。
 こんなにつらいのに死ぬことも出来ないんて……」

両親のもとに帰ろう。ミウはそう誓って走り出した。

たまたまバス停に来ていたバスに乗り込み、町へ出る。

後藤と一緒に歩いた時は少し新鮮に感じられたこの町も、
今は呪われているようにしか思えなかった。
ミウの身の回りにあるものは全てが呪われている。
この世は悪魔に支配されている。神の救いはない。

ミウは絶望を通り越して精神的に危険な状態に陥っていた。

(今この瞬間も太盛様は北朝鮮にいるんだ……。
 日本はこんなに平和なのに、汚い蛇やカエルを
 食べて生活してる場所に……)

涙を誰にも見られたくなかったので、
たまたま近くにあった図書館に入った。
トイレにこもり、音を立てないようにして泣き続けた。

(死にたい。死にたい。私もユーリのもとに行くんだ。
 もう迷っちゃダメ。死ね。死ね。死ぬんだミウ)

手っ取り早く死ぬ方法はないかと考え、
飛び降り自殺が頭に思い浮かぶ。すぐに図書館を出た。

高い建物はどこか。近くにビルがある。よく見ると人気のない空きビルだ。
階段があったので早速登ってみようとしたところ、見知らぬ人が立っていた。

その人物は上下に黒いジャージのような服を着ており、
ミウに軽く会釈した。品性を感じさせる動作だ。

「ごきげんよう。お会いするのは初めてですね」

低く、温かみを感じさせる男性の声だった。


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