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作品名:モンゴルへの逃避 作者:なおちー

第19回   @ メイド少女のミウは手紙を書いていた
「あれからずっと音信不通……。
 太盛様はどうしているのかな」

世間では休日の昼下がり。ミウはこの上ないほど憂鬱だった。

ここは使用人部屋だ。ミウが寝泊まりする部屋である。
住み込みで働いている彼女にとって
唯一のプライベート空間であり、当然私物も置いてある。

屋敷の大きさは西洋の古城のごとく。
小高い丘の上に立っている。
明治初期によく見られた西洋かぶれで成り上がりの
雰囲気をたっぷりと漂わせている。

この家を建てたのは太盛の父である党首だ。
彼はこの家に住んでいない。
党首は東京の都心に住居を構えている。

屋敷は太盛とエリカに買い与えた。
家と土地の所有者は党首なのである。
つまり太盛とエリカは住ませてもらっているのだ。

「主がいないとこの屋敷は広すぎるよ……」

英国で生まれ育ったミウは長椅子に座るのを好んだ。
考え事をするときは今日のようにゆったりと腰かけ、
自分で紅茶を淹れて、クッキーやスコーンを食べる。

「ユーリにもマリン様にもぜんぜん連絡がつかない。
 奥様も電話に出てくれないし……」

深いため息をついた。

机の上に投げ出されるように置かれた手紙。
党首へ直談判するために書いたものだ。

ミウは、太盛に帰ってきてほしかった。
彼がいないと仕事に精が出ない。
それに親友のユーリの生死も不明だ。

屋敷からエリカを送り出した時、ユーリが捕まって
拷問されるくらいの想像はできていたが、
肝心のエリカと連絡がつかない。

現在一家は離散状態だ。使用人のミウの立場も相当危うくなる。

「神様……。あなたが私たちに与えた運命はあまりにも過酷すぎます」

まさに夜も眠れぬ日々が続いた。

相次ぐウランバトル周辺へのミサイルの着弾。

米国の機関は、ロシア領カムチャッカ半島から
発射されたミサイルだと報じたが、その情報は
すぐにかき消されてしまった。

世界の権力者たちにとって都合の悪い情報だったということだ。

ソ連時代からカムチャッカ半島には自動報復装置が
用意してある。これはNATO諸国から攻撃を
受けた際に自動で核ミサイルを一斉発射して反撃するものだ。

現在のロシアでも厳重に管理されているはずのその装置が、
何かの原因で暴走してしまったのだろうか。

ミウに詳細は分からない。

「今日は良いお天気よ。
 たまには外に出てみたらどう?」

カリンの言葉にミウは、はっとして顔を上げた。

「何してたの?」 

「ミサイルのことを調べていたんですよ」

「ミサイルなんて考えるのはやめましょう。
 どれだけ調べても分かるわけがないもの。
 国同士のことなんて私たちの考えることじゃないわ。
 家庭のことを考えたほうがよっぽどましよ」

カリンはこうしてハキハキとした口調で話す少女だった。
言い切ることが多く、あいまいな表現を嫌うタイプだった。
メガネをかけているから、外見上は内向的な少女に見える。

実際に読書家だが、外で活動するのも好きである。
ただし、レナのように友達同士で騒ぐのを嫌うタイプだった。

「おじいさまへの手紙はまだ書き終わってないのね」

「いざ書こうとすると、なかなか筆が進まないんですよね。
 下手なこと書いたら怒られそうで怖くて」

「思ったことを素直に書けばいいの。
 ミウはおじいさまのお気に入りなんだから
 心配しなくていいのよ。ミウの言うことなら
 おじいさまはなんでも聞いてくれるわよ」

手紙は党首への直談判である。

今後、自分はどうすればいいのか。ミウは毎日考えた。
料理人の後藤は、ただ時を待てばいいと言う。
仮に解雇される時が来るなら、雇用主の党首が知らせてくれること。

17歳の若いミウは、それでは納得できなかった。

ミウはロンドンの下町で生まれた。

両親は日本人なので外国人の血は入っていない。
家では母親と日本語で会話したので日本語は話せる。
父の転勤で中学が終わる頃に日本へ引っ越してきた。

中学3年の時に女子からいじめになったのがきっかけで
人間不信になった。日本人だが非常に整った顔立ちを
している彼女はよく目立ち、叩かれる対象だった。

別に何か特別なことをしたわけではない。
廊下を歩く。男子と話をする。授業で挙手する。
なにをしてもミウは注目される存在だった。

潜在的にアイドルとしての要素を持った人間なのだ。
こういう人は芸能界にスカウトされることが多いという。

洗練された英語を使いこなすだけでなく、
男子達からも非常に人気があったため、
女子からは逆にうとまれた。

クラスのリーダー格の女が、好きな男の子をミウに奪われたことを
きっかけに集団で無視されるようになり、ミウは耐え切れずに
先生に相談した。

教師が介入したところで解決するわけもなく、
人間関係はますます悪くなった。
それが卒業まで続き、失意のままに中学時代を終えた。

高校に入ってからも人と距離を置くようになった。
日本の文化で育った同級生たちとミウでは考え方が合わなかった。

次第に学校に行くこと自体が無意味と感じるようになり、
自らの意思で退学してしまった。親は反対したが、
ミウはどうしてもと自分の意見を押し切った。

この屋敷で使用人をするきっかけは、たまたま
インターネットで若いメイドを募集しているのを知ったからだ。
党首からは外国育ちで日本の文化に染まっていないことが
好まれ、すぐに採用された。

いわば党首に拾ってもらったのだ。

学生時代から母親の家事を手伝ったことがなかったから、
最初の半年はずっと修行の日々だった。広すぎる屋敷の
管理は10代の彼女には有り余るほどの仕事量だった。

慣れるまでユーリと執事長の鈴原に
つきっきりで指導してもらった。

一方で待遇は相当に満足できる内容だった。
住み込みなので住む場所は確保されている。
ユーリとシフトを組んで休みが調整できる。

給料は十分にもらえた。親元を離れてからも
お金の心配をすることがないほどに。

子供たちに勉強を教えたり、運動の相手をするのも
ミウは好きだった。カリンやレナ達にとって少し年上の
お姉さんといった感じで非常に仲が良かった。

「ママがいなくなってからうるさいこと言われなくて
 自由でいいけどね。レナが機嫌悪くて空気が重いのよ。
 何を話しかけてもけんか腰でさ。あいつと話していると
 すぐけんかになっちゃうの。女のヒステリーは嫌だね」

「レナお嬢様は私に対しても似たような感じですよ。
 当たり散らしたい気持ちは分かりますけどね。
 私だって八つ当たりできるなら、してみたいですよ」

「全部父さま達が悪いんだよ。 
 いつまでモンゴルにいるつもりなんだろうね」

「ええ。本当に……。いつか帰ってくるんでしょうかね?
 一生帰ってこなかったらどうしようかな」

「帰るわよ。絶対に帰ってくるわ。だってあの母さまが
 追いかけていったんだもの。太盛父さまはそのうち
 手錠されて連れ戻されるわ」

太盛達のやっていることはまさしく茶番である。

ここまで夫婦の溝が深まった以上、普通の感覚なら離婚するべきだろう。
だがエリカは夫を収容所送りにしてまで婚姻を続けようとする。

まるで1930年代のソビエト連邦の政治である。

ある労働者が、仕事中に突然警察から連絡を受ける。
そして翌日裁判所まで呼び出され、スパイ容疑をでっちあげられて
収容所送りにされることは日常だった。

「学校でさ」

「はい」

「毎朝HRの前にミサイルの避難訓練をするの。
 バッカみたいじゃない?
 あんなでっかいミサイルが飛んで来たら。
 どこにいても死ぬのにさ」

「遠くから破片とかが飛んできたら危ないですからね」

「あとさ、頑丈な建物に避難しろってニュースで言うけど、
 頑丈な建物ってなんのこと?」

「ミサイル攻撃に耐えられる建物ってことですかね?
 日本は先進国だからシェルターでもあるのかしら。
 あるいはバンカー(塹壕)とか?」

「塹壕なんてあるわけないじゃん。
 戦時中じゃないんだから」

カリンがテーブルに置かれたチョコクッキーをつまんだ。

「先生たちもミサイルのことばかり話しているよ。
 日本もミサイルを作って強くなればいいのにね?」

ミウは愛想笑いをした。

ミウが無理して明るく振舞っているのを子供の
カリンでもよく分かった。花のように可憐で美しく、
素直で明るい少女だったミウが心から落ち込んでいる。

カリンは何か慰めの言葉をかけてあげようと思ったが、
むなしさに気づいた。落ち込んでいるのは自分だって同じだからだ。

少しの間、沈黙を挟んだ。

「ミウ。この仕事続けられそう?」

「辞めたくはありませんよ。他に行くところもないですし」

カリンはミウの目をまっすぐ見つめていった。

「私はミウに辞めてほしくない」

「それは、本当に?」

「本当よ」

ミウは私の家族と同じよ。
カリンはそう言ってミウの手を引いて外へ連れ出した。

「買い物にでも行くのですか?」

「いいえ。すぐそこ。庭よ。まずは歩きましょう。
 ミウはうつ病になりかけてる。
 歩くのは気分転換にちょうどいいのよ。
 お父様もよく言っていたわ」

季節は11月の半ば。秋の紅葉を迎える時期だ。
冬用の衣服をまとった2人は重い玄関の扉を開けた。

「わぁ。もうすっかり冬になりましたね」

「鼻先が冷たい。午前中はもっと風が吹いていたんだよ」

庭には雑木林が無数に植えてあり、
ちょっとした森になっている。
歩きだとここから正門までの距離はかなりあるので
ウォーキングにもジョギングにもぴったりだ。

風が吹き抜けた。
木々が揺れ、木の葉が舞い落ちる。

ミウが身震いした。彼女は白のコートを羽織っている。
起きてからあまり手入れしていない茶色の髪が、
肩の上から無造作に垂れている。

太盛がいるころは入念に身支度をしていたが、
最近はどうでもよくなった。

真冬用のブーツで落葉を踏みしめる。
2人で並んで木漏れ日の道を歩いた。
15分ほど歩いていると、だんだんと体が暖かくなる。

さわやかな自然の香りを感じると心が落ち着いた。

「お散歩っていいものですね」

「でしょう? 天気の良い日は毎日歩こうよ」

「日本は晴れてる日が多くてうらやましい。
 3日以上晴れる日とかあってすごいですよね」

「それって世界的には珍しいことなの?」

「他の国はどうか知りませんけど、
 英国じゃまずありえないです」

「イングランドってそんなに曇ってばかりなんだ。
 ミウには悪いけど、私はそういう国は嫌だな。
 心が病気になっちゃいそう」

「いつ降るか分からないから折り畳み傘を
 毎日持ち歩いてましたよ。
 その代わり日焼けする心配がないのは
 メリットの一つでした」

「なるほど。それは悪くないわね」

屋敷を半周もすると良い運動になる。
道はいくつも複雑に曲がりくねっていて、
屋敷の周囲を回るように続いている。

普段はミウが散歩道を通ることはまずない。
買い物に行くときは、正門へと続く大きな一本道を
通るようにしている。それが一番近道だからだ。

今歩いている道は、いわば回り道なのだ。

この散歩道をよく使っていたのはユーリとマリンだった。
カリンは読書に疲れた時に気分転換に歩いた。

ダイエット効果があることを知ったので
真夏以外は歩くようにしている。

「カリン様はメガネからコンタクトに変えたのですか」

「メガネに飽きたのよ。ちょっとした気分転換ね」

「意地悪なことを言うようですけど、少し前まで
 コンタクトは嫌いだって言っていたじゃないですか。
 目に異物を入れるのに耐えらないって」

「そうかもしれないわね。
 でも今はコンタクトの方がいいのよ。
 ちょっと気持ちが変わるじゃない」

「気持ちが変わる?」

「うん。嘘でもいいから気持ちを
 変えないとやっていけないよ」

むなしい沈黙の時が流れる。

「今頃はさ、モンゴルでも冷たい風が吹いているのかな」

カリンの肩が小刻みに揺れ、鼻をすすっていた。

ユーリもマリンもエリカ母様も、みんな死んじゃえ。

カリンは蚊の鳴くような小さい声で不満を口にしていた。
その声は、鳥のさえずりと風の音でかき消されてしまう。

太盛がいなくなってから、全てがうまくいかなかくなった。

双子の姉妹のレナはやさぐれ、物に当たり、
カリンと衝突し、部屋にこもる日々が続いた。

レナの大好きだったテニスのラケットも
床に叩きつけてボロボロになってしまっている。

カリンは自然とレナと距離を置くようになった。

学校と家を往復する毎日。彼女を口うるさく
教育する母は日本にはいない。

ミウは魂の抜けた人形のようになってしまい、
毎日の仕事である屋敷の掃除を惰性で続けていた。

執事長の鈴原は党首に会いに行くと言ったきり、
一か月以上も屋敷を離れている。

後藤は残されたミウをなぐさめながら、
日々の炊事をこなしていた。しかし惰性で
仕事をしているのは彼も同じなのだ。

先行きの見えない不安はどんどん大きくなり、
最近ではさすがの彼も転職先を探し始めた。

太盛達が逃亡生活を始めてから二ヵ月が経とうとしているのだ。
諦めに近い気持ちが、屋敷にいる全員の心を支配しようとしていた。

カリンはひとしきり泣いた後、ようやく心が落ち着いてきた。

ミウに「帰ろう」と告げ、早足で歩き始める。
普段から歩きなれているから、結構なスピードだ。
ミウは置いて行かれないように歩調を合わせる。

「ミウはさ」

と言ってとつぜん振り返った。

「ユーリがうらやましいって思ったことはない?」

「えっと、それはどういう意味で」

「ミウは父さまとすごく仲良しだったじゃない。」

「……正直に答えていいんですか?」

「いいよ。ここには誰もいないんだから」

「ユーリは命をかけて太盛様と逃亡した。すごいことです。
 エリカ奥様に逆らうことは文字通り死を意味します。
 私にはそれができなかった。だって私は太盛様に
 選ばれなかったんだから。ただそれだけです」

「ミウもお父様のことは好き?」

「好きか嫌いでいえば好きですよ。
 太盛様は使用人を差別しないし、優しい方です」

「そう。私はパパのこと大好きよ。
 私もマリンと一緒にモンゴルに行けばよかったかな」

「あっちに行ったら、たぶん生きて帰ってこれないですよ」

「別にいいよ。ここにいても退屈で死にそうなんだもの。
 私、マリンこと嫌いだけど、行動力のある所だけは
 褒めてあげるわ」

カリンは吐き捨てるように言い、肩で風を切る。

「ぶっちゃけますけど」

「なに?」

また立ち止まった。

「私もマリン様のこと苦手だったんです」

「そうなの? どんなところが?」

「頭が良すぎて子供らしさが全然ないからです。
 エリカ様に近い怖さがあって、話しかける時は緊張しました」

「あんな奴、ただのファザコンよ。
 背伸びして大人ぶってるだけなんだから」

「うふふ。そうかもしれませんね」

ミウが何気なく腕時計を見る。
そろそろ洗濯物を取り込む時間だった。

「でもね」

「はい?」

「けんか相手がいなくなると少しさみしいわね」

カリンは歩き続けて暑くなったのでマフラーを外した。
あとは屋敷に着くまで何も話さなかった。

ミウは真横にぴったりついて歩いてあげた。
少しでもカリンのさみしさがまぎれるようにと。

(マリン様は本当に変わり者だったわ……)

ミウはマリンが見せつけるように父親と
ベタベタするのを面白く思っていなかった。

彼女は自分が太盛と写った写真を大切に
保管している。暇なときは彼の写真を眺めて、
彼の優しい声を想像していた。

屋敷には年ごろの男性はいない。

そもそもミウは日本人に興味がないが、
なぜか太盛には惹かれていた。

人恋しくなった時は、どうでもいい
日常の話を彼に聞いてもらいたくなる。

ソ連人伝統の英国嫌いを受け継ぐエリカと違い、
太盛はミウの英国時代に興味を持ち、熱心に話を聞いてくれた。

中学時代の嫌な思い出にも本気で同情してくれた。

日本は極東の島国なので世界でも非常に変わった
文化や風習をもつ国だとミウは認識していた。

太盛も日本の閉鎖的な社会はおかしいという共通の
考えを持っていたことがうれしかった。

彼がいなくなってから、改めて彼の存在の大きさに
気づかされたのだ。彼が帰ってくる可能性があるなら、
この仕事を続けたいと思っていた。


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