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作品名:モンゴルへの逃避 作者:なおちー

第18回   「お父様。今回の話は説明文が多いので、読み飛ばしてもいいですか?」
「お父様。歴史の話は難しいですね」

「はは。こういう専門的な内容は小学生が覚える内容じゃないからね。
 ソ連と日本は敵だった。でもドイツは味方だったと覚えておけばいい。
 ソ連は最低な国だよ。ロシア人の持つ潜在的な野蛮さが
 ソビエトというおかしな実験国家を作り上げたのさ。
 あんなクズどもと俺たちは絶対に分かり合えない」

太盛は偏見のかたまりだった。特定の人種や国を悪く言うのは
子供の教育者としてはふさわしくない物言いだ。マリンはパパっ子だから
父が嫌いなものは同じく嫌いになってしまうから危険である。

ソ連人を祖先にもつエリカはこれ以上ないほど不愉快になった。

「ナチのブタと手を組んだ日本もなかなかのクズだと思いますけど?」

「いやいや。ソ連には負けるよ。崩壊するまでの70年間で
 粛清した自国民の数が1億を超えるような国なんてまず見当たらないな」

「太平洋戦争の時の日本は、大きく分けて六つの収容所を国内に
 作りました。そこに収容されていた外国人は、米、英、蘭、豪、NZ、
 など数え切れないほどの敵国の軍人でしたね。占領した太平洋の島々にも
 無数の収容所を作って少なくとも20以上の民族を抑圧しました」

「そっちは併合した数々の共和国の人を殺したり奴隷にしたから
  同じことじゃないか。ロシアに国境を面したほとんどの国が
  ソ連に併合されたろうが。たしか20か国くらいあったよな?」

「日本とドイツは今でも国連の敵国条約に入っていますわ。
  近代史で地球規模の侵略戦争をしたのは日本とドイツだけです。
 国際連合は日本とドイツを倒すためにできた組織なのをお忘れですか?」

「戦後はソ連の方が悪じゃないか。あんなに核ミサイルを作って、
 一歩間違えれば米ソ核戦争にまで発展していたんだぞ。 
 地球全土を破壊するつもりか」

「米国はトルコというソ連の喉元にミサイル基地を
 作っていたのですから、自衛のためにミサイルを
 作るのは当たり前ですわ」

「そう、それだ。ソ連人お得意の過剰防衛。常に周りが
 敵国に囲まれていると思っているんだろう? 
 自分の国を守るために軍拡し、それでもまだ足りないと思う。
 戦力が増えすぎたら武器を売り払うか、どこかの国を侵略するのに使う。
 臆病なくせに卑怯者なんだよ。おまえらはさ」

「日中戦争のように進んで侵略をする好戦的な国の人に言われたく
 ありませんわ。中部太平洋からインド洋、豪州まで攻撃の範囲を広げる
 日本人の攻撃精神には呆れます。ほんとドイツと考えが同じ。
 ファシズム諸国は全人類共通の敵ですわ」

「大昔の話さ。今は平和を愛する国になったぞ。
 今現在世界の悪者になっているのは中国のほうじゃないか。 
 あと北朝鮮な。時代と共に国も変わっていくものだ」

マリンは両親のつまらない言い争いを真剣に聞いていた。

中立の立場の彼女には、どちらの国も気が
狂っているとしか思えなかった。

どちらが悪と言うわけではなく、両方とも悪なのだ。
だからこんな話し合いに決着がつくわけがない。

「エリカはやっぱりソ連人の遺伝子を持っているな。
 カフカース・ソビエトもドイツ軍に侵略されたのか?
 だから国際スポーツ中継でドイツの選手が出るたびに
 舌打ちするんだろう?」

カフカースとは、北アジアの山岳地帯であり、ソ連を構成する
基本構成国、四か国の内の一国である。

建国当初のソビエト社会主義共和国連邦は、ロシア、ウクライナ、
ベラルーシ、カフカースから成った。表向きには人種や国籍を
廃し、社会主義の理想の元に統合された諸民族の集合体である。

つまりエリカの祖先は完全なるソビエト連邦の人間なのである。

ソ連閣僚のスターリンやラブレンチー・ベリヤなどの大物は、
カフカース地方のグルジアという国の出身であり、ロシア人ではない。

「だって、ドイツ人は性根がクズじゃないですか」

エリカはいつもドイツの悪口を言う。

彼女のドイツ嫌いは屋敷でも有名だった。

太盛が新婚旅行の候補の一つに
バイエルン(ドイツ)をあげた時は
真っ向から反対された。

彼女は第二次大戦によって祖父の生まれた国が
ドイツに壊滅的な打撃を受けたことをまだ根に持っていたのだ。

対独戦の結果、ソビエトの結婚適齢期の男性の
70パーセントが戦死したという。
ソビエトの全死傷者数は少なくとも2000万以上といわれる。

「私は日本で育ったけど。周りに染められなかったのよ。
 なんていうか、この島国の人たちは自分とは違う。
 根本的に何かが違う。私はあなたみたいに簡単に
 人を信用したり、親切したりできない」

「ほんとに異邦人なんだな。おまえはおじいさんの生まれ
 変わりだよ。おじいさんは内務人民委員の人か?」

「そうよ。日本では内務省に近い組織かしらね」

「今のKGBのことだよな?」

「ええ」

「ちなみにウラジーミル・プーチン氏もKGBの出身だな。
 若い時は東ドイツでスパイをやっていたらしい」

「ええっ、ロシアは大統領までスパイだったのですか!?」

「そうだよマリン。絶対にロシアを信用しちゃいけないよ。
 米国大統領選にもロシアの内務省が
 裏工作をしたくらいなんだ」

内務人民委員部はエジョフ、ベリヤと長官の名が変わり、
膨大な数の反革命容疑者を摘発した組織だ。

逮捕、尋問、拷問は日常茶飯事。
銃殺刑にならなかった者は、
次々に北極圏などの強制収容所に送られた。

さらに余談になるが、太平洋戦争開戦前に
最後通牒(ハルノート)を書いたハリー・ホワイトは
ソ連のスパイである。

マリンが身を乗り出して聞いた。

「その内務人民委員の人は、モンゴルを占領した時に
 モンゴルの人も殺したのではないですか?」

「するどいわねぇ。その通りよ」

「聞きたくないけど、モンゴル人はどれだけ殺されたのですか?」

「公式資料では3万7千だったかしら? 
 1930年代後半にそれくらい殺されたわ」

「なぜ殺すのですか? 
 モンゴルの人たちが反乱でもしたのですか?」

「疑いがあったのよ」

「疑い?」

「日本のスパイ」

「どういうことですか?」

「ソ連の軍隊の人たちの中の、疑わしい人を一斉に殺すキャンペーンが
 あってね。まあイベントみたいなものよ。その時にスターリンという
 お偉い方が、第二次世界大戦が始まる前に怪しそうな人を全部
 取り締まって裁判にかけることにしたの」

「怪しそうな人? それは無実の人も含まれていたのではないですか?」

「というか、9割無実だったでしょうね。
 たくさんの軍人が日本のスパイと証言して銃殺刑になったわ」

「どうしてそんな証言をしたのですか。
 そんなこと言ったら殺されるに決まってるじゃないですか」

「簡単なことよ。そう供述させるために拷問したのよ。
 焼きごてを胸に押し当てたり、歯が全部折れるまでハンマーで
 顔を殴ったりとかね。うふふ。怪しき者には容赦ないのが
 ボリシェビキなのよ」

「く、狂ってるわ。そのボリシェビキとはなんですか?
 人種の名前ですか?」

「主義主張のことで、ロシア語で少数派を意味するわ。
 ロシア革命の時にマルクス・レーニン主義を
支持した者たちのことよ」

そんな説明で分かるわけがないと太盛がつっこみたくなった。

「なるほど。ようするに母様のように頭が
 おかしくなった人たちのことですね」

太盛は声を出して笑った。

エリカは後部席を振り返り、鋭い視線を娘に向ける。
エリカは無言。さすがに車内が殺伐としてきたので。
太盛がなだめることにした。

「エリカを擁護するとしたら、ロシア人が
 おかしくなった原因はモンゴル帝国にある」

「え?」

「タタールのくびき。歴史用語だよ。独立する前のロシアは
 200年近くモンゴルに支配された。血の殺戮が日夜振るわれ、
 服従を強いられたロシア人は遺伝的に蒙古的な残虐性を持つに至ったと
 主張する学者は少なくない。つまり、いじめっこのモンゴルがひどすぎて
 ロシアもまたいじめっこになってしまったのさ。おそろしく臆病だけどね」

「ロシア人にはモンゴル人の血が入っているということですか?」

「イギリスの学者が言っていたよ。ロシア人の顔つきは他の欧州白人とは
 明らかに異なるってね。ロマノフ王家の人らの顔つきを見てごらん。
 すごくモンゴルっぽいんだよ」

「では、母さまも遺伝的にモンゴル人ですね。
 母さまは故郷に帰ってこれてよかったではないですか」

太盛はまた声を出して笑った。
エリカは舌打ちした後、こう答える。

「なんとでもいいなさいな。歴史なんて後世の人間が
 時の権力者たちに都合よく書いていくものなのよ。
 それより太盛君は私にこの大陸に来てほしかったのかな?」

「どういう意味だ?」

「どうしてモンゴルを逃げ場所に選んだの?」

「正直に言うとな、おまえとの殺伐とした夫婦生活を考えるのに
 モンゴルに来てみたかったんだよ。エリカを知るための
 きっかけがここにあるのかなと」

「さっきの歴史の話、本当に信じてるの?
 一時の研究結果なんて後世の人に
 ほとんど否定されるものじゃない」

「俺は信じてるよ。だって信じたほうが楽しいじゃないか」

「そう」と言ってエリカはフロントガラス越しの景色を見続けた。

目的地のゴビ・アルタイ県まではまだまだ遠い。
途中にある町を何度か経由し、さらに西の方角へ進むのだった。

エリカがいったいどこまで走るつもりなのか、
太盛は聞く気がないので知らなかった。
今後どうなろうと興味がなかった。

無責任にもユーリを追って自殺する方法が
脳裏に浮かび始めていた。

大陸に来てユーリと過ごせた。それだけで十分だった。
今ユーリは少し遠いところまで行ってしまったのだろうが、
すぐに自分も後を追えばいい

また会える。きっと会える。それが救い。
クリスチャンの彼は魂の復活を信じていた。

国に置いていった家族のことはどうする?
使用人のみんなは? 今ここにいるマリンは?

理性が彼に警告した。

「それでもユーリがいない世界は
 俺のいるべき場所じゃない」

誰にも聞こえない声でつぶやき、太盛は寝たふりをした。
エリカは話をやめ、ひたすらに運転に集中することにした。
マリンは景色を見ながらこれからのことを考えた。

3人の異なる意思を乗せ、装甲車は大地を走り続ける。


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