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作品名:モンゴルへの逃避 作者:なおちー

第17回   17
「まだ着かないのか?」

「あと少しですわ」

午前中だけでこのやり取りを10回は繰り返していた。

運転席に座るのはエリカ。途中で疲れたら変わると
太盛に言われたのに遠慮していた。
彼女は精神的にタフで長時間の運転に根をあげなかった。

草原を直線状に伸びる道路。
道路のわきに等間隔で電柱がある。

他は自然のみ。右手に標高の低い山々を見ながら、
ひたすら西の方角へ走り続ける装甲車。

乗り心地は良くない。日本の乗用車と違って揺れが激しく、
酔いそうになる。座席シートも岩のように堅い。
軍用なのでマニュアルギアである。

太盛はどこの国の装甲車なのか気になるが、
すぐに聞いても仕方ないことかと思った。

蒙古の雄大な自然の中にいると
細かいことはどうでもよくなる。

(お父様。また考え事をしている)

マリンは父と一緒に後部座席に座っていた。
エリカは太盛が助手席に乗るよう誘ったが、
マリンがわがままを言ったので結局は折れた。

「これだけ走っても誰ともすれ違いませんね。
 モンゴルの壮大さはすごいです。
 最後に車が走っているのを見たのは
 もう一時間も前ですよ」

「ああ」

また、そっけない返事。

太盛は自分の世界に没頭している。
彼の視線は窓の外の空だけを見ていた。

空に大きな雲のかたまりが流れている。
今日の予報は曇りのち雨だ。

暖房がきいている車内と違い、
外の冷え込みは半端ではない。

暦は10月の末。日本の関東なら真冬並みの冷え込みである。
11月を超えれば氷点下を下回るのが当たり前になる。

太盛は曇り空のせいか、憂鬱な気分になっていた。
頭に浮かぶのはユーリのことばかり

彼女と草原の国で暮らしたこと。話したこと。怒ったこと。
全て覚えている。エリカに言われたように、ユーリが自分の
言うことをなんでも聞いてくれるから
都合の良い存在だったのかもしれない。

離れて分かることはたくさんある。
気配り上手で優しかった彼女。

屋敷時代は毎日顔を合わせていた。
この蒙古では、あの雲の先に
消えてしまったかのよう。

会いたくて仕方がない。
死体すら見つけることができなかった。

何か彼女と再会できる方法があれば、
なんでもしたいと思っていた。

「お父様?」

やはり反応はない。

マリンは父が物思いにふけっている顔が
好きではなかった。彼が失われた愛人のことを
思っているのが手に取るように分かるからだ。

「草原は!!」

マリンは胸の奥から怒りがわきあがり、声を荒げる。

「どこまで進んでも同じ景色ばかりですわ。
 テレビでやっていたシベリア鉄道の旅を思い出しました。
 なんて美しい景色なのでしょうね?」

太盛はしばらく娘の顔を眺めてから、何気なく大地に視線を戻す。

そして 「ああ」 とだけ言った。

そっけないのを通り越して無礼である。
彼は魂の抜けてしまったガラクタであった。

マリンは息を大きく吸ってから歯を食いしばる。

「こういう牧歌的な雰囲気を感じながら作曲したら、
 きっと素敵な作品ができあがるわ。ねえお父様。
 私がピアノの新しい曲を作ったら聴いてくれますか?」

「うん」

「次はいつピアノが弾けるのかしら。楽しみですね?」

「そうだね」

太盛はそれで会話を終わりにしようとした。

マリンはそれが無性にくやしくて、
なんとか父の興味のある話題を見つけようとする。

「お父様がそんなに気を落としていたら、
 こちらまで暗くなりますわ。
 今のお父様には、さわやかな曲より
 ショパンのノクターンのほうがお似合いかしら?」

「ショパン?」

しまったとマリンが言いたくなったが、
口から出た言葉は戻すことができない。

ノクターンは日本語で夜想曲。夜を想う曲と書く。
優美で甘美で感傷的な旋律を歌う。難易度の高い曲である。

ユーリの得意な曲だった。ユーリは中学2年の頃に
ショパンの曲をほとんどマスターしたほどの腕前だった。

太盛は、自宅の高級オーディオでどんな
一流ピアニストの録音を聴くよりも
ユーリのピアノが好きだった。

ピアニストとして数々の傑作を残したショパン。
彼もまた、故郷のポーランドを戦争によって
破壊された哀しみを秘めていた。

ポーランドの敵国は第一にロシアである。
ポーランドは長い間ロシア帝国に併合されていた。

民族としての誇りをすべて奪われたのだ。
その屈辱の歴史は言葉では語ることができないほどだ。

太盛もソビエト気質のエリカによって
ユーリを奪われたに等しい。
彼はどこまでもショパンと心を同じにしたのであった。

「ところでお父様。昔モンゴルはソ連に
 占領されていたのですか?」

「ん?」

太盛が食いついた。

「ウランバトルに戦争勝利の記念碑がありました。
 でっかい銅像とか、戦車の実物とか。
 英語で対独戦勝記念と書かれていましたわ。
 モンゴル人もソ連軍と一緒に戦っていたのですね」

「へえ。君はそんなところまで見ていたのか。勉強熱心だね」

「後学のためですわ。せっかくモンゴルに来たのですから、
 歴史博物館はぜひ訪れてみたいなと思っていました」

太盛はうれしくなり、得意げになって歴史の話を始めた。

マリンは初めから父の好きな歴史の話をしておけば
良かったと思いつつ、熱心に父の言葉に耳を傾けた。

こういう時の父の話は長いが、そっけなくされるよりましだ。

慣れない装甲車を運転中のエリカも
ミラー越しに太盛の顔をちらちら見ていた。

「ソ連が崩壊するまでモンゴルは占領されていたよ。
 蒙古人民共和国と言って、ソ連を構成する共和国の一つだったんだ。
 昔ノモンハン事件というのがあってね。モンゴルと満州国に
 近いハルハ川周辺で日ソの戦争があったんだ」

「日本はソ連と戦っていたのですか」

「ああ」

「どちらが勝ったのですか?
 やはり国土の大きいソ連ですか?」

「引き分けだよ」

太盛が語る。

「最初は日本陸軍が押していて、ソ連はかなり追い詰められた。
 しかしジューコフ将軍という名将が欧州ロシアからやってきてね、
 シベリア鉄道を経由する長大な補給線を作り上げ、前線に
 巨大な機甲部隊を展開した。日本側には満足な戦車や装甲車はなかった。
 つまり機甲戦力で圧倒的に劣勢だったんだ」

専門的すぎて賢(さか)しいマリンでもさすがに分からなかった。

「つまりソ連の方が上手に戦車や大砲を用意できたの。
 人より鉄が多いほうが戦争は強いのよ。
 人間はしょせん生身だから」

エリカに補足説明されるとマリンは面白くなかった。

しかしエリカの方が父より説明がうまいのは良く知っていたので
教科書代わりと割り切って質問を続ける。

「日本は戦車の数で負けたのにどうやって引き分けたのですか?」

「ソ連は日本だけと戦っているわけではないのよ。
 アジア方面とは逆に、欧州側でドイツとの戦争がはじまりそうだったから、
 日本にばかりかまっていられなかったのよ。ソ連側が日本側に
 有利になるように手を引いてあげたの」

やろうと思えば日本の貧弱な前線部隊なんて蹂躙(じゅうりん)できたん
だけどね、とエリカは短く付け加えた。

「ドイツはソ連の敵だったのですか?
 そういえば、ウランバトルの
 博物館にあった対独戦勝記念の独という文字は」

「ええ。ドイツという意味よ」

ハンドルを握る手に力がこもった。

長大な道路は信号待ちがないのでギアチャンジが必要ない。
装甲車の名前通り、重機関銃の連射さえはじくほどの
装甲で覆われている。

なぜ装甲車なのかと太盛が聞いた時、外敵の攻撃に備えるためだと
エリカに説明された。太盛は納得し、それ以上何も聞かないことにした。


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