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作品名:モンゴルへの逃避 作者:なおちー

第13回   13
太盛は荒野で目を覚ました。背中を強く打ったためか、
起き上がろうとした時に一瞬だけ息が止まった。

「目を覚ましたのですか」

まだ視界がはっきりしない。上品な言葉遣いが耳に
入ったのでエリカかと身構えるが、
すぐそばに寄り添っていたのは愛娘のマリンだった。

「ま、マリン……。君はよく無事だったね。
 どこも痛いところはないのか?」

「頭を軽く打ったくらいですから私は大丈夫ですわ。
 お父様は大丈夫ですか? 
 体が痛むならもう少し休んでいたほうが」

「そうだな。全身がしびれるように痛い。
 いきなりテントの中で爆発が起きたものだから、
 死んだとばかり……」

頭がさえて来たと同時にあたりを見渡すと、
ゲルの残骸が広がっていた。

エリカのゲルはそれなりに頑丈にできていた。

骨組みに使われていた木材が散らばり、フェルト、生活雑貨が
散在している。まるで日本のごみ屋敷のように草原を汚していた。

「マリン。エリカはどうした? ユーリは?」

「それが、姿が見えませんの」

「なに?」

確かに人影が全くなかった。

太盛はこの時点ではミサイル攻撃を受けたことを知らなかったので、
きっとテント内で時限爆弾か何かが爆発したのだと思っていた。

だから想像していていたのは肉片と化した人間たち。もちろん
その中に自分やマリン達も含まれているのだと思っていた。

しかし、マリンが焦げて引き裂かれたフェルトの中を探しても
どこにも人間らしきものはなかった。テントの中にはSPや村人を
含めて20人以上いたはずだった。

「うぅ」

太盛も一緒に探そうと腰を上げるが、苦しそうにうめき声をあげた。

「お父様はまだ動かないで。痛みが治まるまでじっとしてて」

横になる太盛。大地の草が多少のクッション代わりになるとはいえ、
やはり地面の感触は硬い。湿度のない蒙古の大地は
ベッド代わりにしては硬すぎた。

風が吹くと、一瞬で体温を奪われる。太陽はまだ天頂付近。
晴れているが気温が低すぎるのだ。現在は10月の初めで
最高気温は6度しかない。文字通り凍える寒さだ。

「どこか安心して休める場所はないだろうか?」

「集落のゲルは吹き飛んでしまいましたけど、
 村長の小屋がまだ無事ですわ」

「よし。そこまで歩こう」

わずか10メートル足らずの距離だが、全身打撲の太盛にはこたえた。
村長の家にはベッドが二つあった。ひざ掛けや毛布もある。

太盛はベッドで横になった。
マリンはその間に外へ人を探しに行った。
太盛達のゲルは残骸になっていた。

収納袋に入ったシュラフが2組無事だったのは奇跡だった。
他に調理用の鍋窯もあるが、村長の家にもあるので不要だった。

「ユーリの服……」

ユーリがウランバトルで購入した冬服や下着などがタンスに
入ったままだった。タンスは倒れていて損傷しているが、
中身は無事だった。

マリンのユーリに対する思いは複雑だった。
父の愛人なので道中は猛烈に嫉妬した。

屋敷時代は無駄なく働く優秀な使用人であり、
マリンの面倒をよく見てくれた。
お姉さんのような存在でもあった。

死んだと決まったわけではないが、村の惨状を考えれば
生きている確率は非常に低いだろう。

「それにしても、あの爆発はいったい……」

マリンは父のいる小屋に戻った。

小屋はゲルを一回り小さくした程度の広さだ。

中央に薪ストーブと炊事に必要な道具が置かれており、
部屋のすみにベッドが置かれている。

食べて寝るだけの場所なので文化的な楽しみはないが、
とにかく彼らにとって雨風を防げるというだけで十分だ。

「食料はまだ残っていたんだね」

太盛が入り口付近のツボを見た。ツボの中にはモンゴル伝統の
馬乳酒が入っている。乳製品で作った酒である。
余談だが、日本のカルピスは馬乳酒を元に
作られたものだといわれている。

食べ物は肉の干物と乳製品を加工したものが少々残っている。

「お父様、服を脱いでください」

太盛の背中は爆風の影響で泥で汚れていた。
肩や腰に強い打撲の跡があることから、

爆風で吹き飛ばされたのだろうとマリンは結論付けた。
マリンは濡れたタオルで父の体を拭いてあげた。

タオルの冷たさに太盛は短く声を上あげた。

「ありがとうねマリン。本当は使用人の人たちに
 やってもらうことなんだけど」

「いいえ。父の手助けをするのは私の仕事ですから」

言葉だけは冷静だが、マリンの内心は穏やかではなかった。
太盛の言う使用人にユーリのことが含まれていたのが分かったからだ。

マリンの瞳に怒りが宿っていることを太盛は見逃さなかった。

父のそばにいていいのは自分だけ。
マリンの独占欲の恐ろしさを太盛は理解していたから、
ユーリは無事なのだろうかと間違っても口にはできなかった。

「もうすぐ日が暮れますから、薪を集めてきますわ」

「ああ。気を付けてね」

太盛は清潔なベッドで横たわり、目を閉じた。

ここモンゴルではミサイルや騎馬部隊の襲撃を受けることなど
日常茶飯事なのでマリンのことが心配で仕方なったかが、
まぶたがなまりのように重く感じられた

それからどれだけ寝ただろうか。
太盛は近くに人の気配を感じた。

パキパキと薪の燃える音。

天井まで伸びた煙突から煙が逃げていくので
一酸化炭素の中毒の心配はない。

「マリンかい?」

「いいえ。私ですわ」

心臓が握りつぶされそうな恐怖を感じた太盛。
忘れたくても忘れることができない声。

高い音程で鼻にかかったトーン。間違いなく、妻のエリカだった。

太盛はまだ体が自由に動かない。上半身だけでなく、
足の痛みも増してきた。車の衝突事故の後遺症と同じだ。

太盛は、まったく無抵抗の状態でエリカが目の前にいることに絶望した。

「マリン!! いないのか!! 早くここに戻ってきてくれ!!」

唯一自由に動かせる口を使って娘を呼ぶ太盛。
腹に力を込め、大音量で叫びまくる。

エリカは不思議そうに太盛を見つめているだけで、
何も言おうとしない。太盛はかまわず、数分間声を上げ続けた。

ついにマリンは来ることはなかった。

「太盛様は」

エリカが口を開いた。

「さっきから誰の名前を呼んでいますの?」

太盛は、血液が凍り付く思いがした。

「エリカ、おまえはマリンを見なかったのか?
 さっきまで俺と一緒に小屋の中にいたんだよ。
 薪を取るって言ってちょっと出て行って……」

「さあ?」

エリカに答える気がないのは明らかだった。

今までエリカは実の娘を手に掛けたことは一度もなかった。

しかし、状況が状況である。エリカはマリンも夫を奪おうとする
泥棒猫の一人に数えていたから、どこかで囚われて
制裁されていることは十分に考えられる。

(制裁か……制裁するのはエリカじゃなくて部下たちだ。
 奴ら、ここにいないじゃないか。奴らはどうなった!?)

太盛がそのことを口にすると、エリカは素知らぬ顔で
知りませんと言った。

「なぜ知らない? おまえの大切なしもべたちだろうが」

「私も目が覚めたら周りに誰もいなくなっていたのですよ。
 あのおかしな爆発でみんな死んでしまったのかしら」

「死んだとしても死体が全く見当たらないぞ」

「そうねぇ。あの大人数が神隠しにでも
 あったかのように消えてしまったわ」

「マリンは? エリカは本当にマリンを見ていないのか?」

「信じてもらえないかもしれないけど、本当に見てないわ」

太盛の表情が引きつる。
エリカが外でマリンを殺したのだと本気で疑った。

「じゃあエリカは爆発のあとはどこにいたんだ?」

「草原の一角に吹き飛ばされたけど」

「そこで目が覚めたのか?」

「そうよ。周りには誰もいなくて、村まで歩いて戻ったわ。
 私が目覚めた場所はここから少し離れていた」

太盛はしばらく沈黙した。

もうエリカの言うことなどどうでもよかった。

問題はマリンだ。もしこの体が自由だったら
エリカをぶっ飛ばした後にマリンを探しに出かけたかった。

「もう少し寝ていたほうがいいと思いますわ。
  寝る前にツァイ(お茶)でも飲みますか?」

ポットには常備してあるスーティツァイが入っている。
モンゴルでいうお茶のことだ。
塩見の利いたミルクティーの味がする。

「いいよ。今はそんな気分じゃないんだ。
 それより頭が痛い。熱があるのかもしれない」

エリカが細い指で太盛の前髪をかき分け、
おでこに手を当てた。
自分のおでこと体温を比べてみる。

「平熱だと思う。太盛君って基礎体温が低いでしょ?
 触った感じは私とそんなに変わらないよ。
 むしろ冷たくなってる」

「おまえはさ」

息をするのも苦しそうに太盛が言う。
エリカは首をかしげて聞いた。

「気楽そうでいいよな。むしろ楽しそうにさえ見える。
 俺はこんなにつらいのによ。少し腹が立つくらいだよ。
 なあ、本当のことを教えてくれよ。マリンとユーリ達は
 どうなったんだ? ここはどこだ? 俺はさっきまで
 マリンに小屋で看病されてたはずだ」

「ここは、その小屋よ」

太盛の顔は全く納得していない。

「細かいことは、どうでもいいじゃない」

エリカはヒマワリのように微笑んで言う。
太盛にとって人生で一番大切な家族のことを話しているのに
まるで他人事な態度にますます表情が硬くなる。

「ふざけるのも……いいかげんにしろ。
 今俺が健康だったらおまえを張り倒しているところだぞ。
 う……くそぉ、体が言うことを聞かねえ」

「そうやって強情を張ったって駄目よ?」

エリカは太盛の肩をつかみ、ベッドに寝かせた。

厚みのある枕に顔を沈める太盛。
エリカは布団をはいで中に入って来た。

太盛がやめろ、来るなと拒絶するがおかまいなしだ。

「今の現状を認めなくちゃ」

「何を認める? 俺とお前は夫婦じゃない。
 こんな辺境の国に来てまで形だけの
 夫婦ごっこはもうやめにしろ」

「形だけじゃなくて、本当の夫婦になるために
 あなたを追いかけに来たのよ。
 そんな簡単にあきらめちゃだめだよ?」

「その能天気な口ぶりをやめろ。
 俺を押し倒したって無駄だぞ。
 すぐにマリンが戻ってきてお前を刺し殺しちまうさ」

「あの子が私を?」

「そうだ。あの子は子供だけど、もう子供じゃない。
 あの子は大好きな父を救うためならなんでもするぞ。
 そう。たとえ母を排除してでもな。そういうところが
 おまえにそっくりだよ」

「ふぅん」

太盛がすきをついてエリカを押し返そうと両手を伸ばしたが
失敗した。逆にエリカに手首を取られ、そのままシーツの上に
押し倒された。

太盛は警察に取り押さえられるような気分を味わった。
エリカは太盛の腹の上にまたがっており、絶対的に有利な状態だ。

「いっそ殺してくれよ」

「いや。殺す理由がないもの」

「俺はおまえのことを女として見ていない。もう家族だ。
 つまりな、性的に意識できないんだよ。
 こんな男と一緒に寝て何になる? お互い無意味だと思わないか?
 ほら。そこのストーブの近くにでかい包丁があるだろ。
 それで俺のお腹を刺して終わりにしてくれよ」

「そんなに一気に言われても」

エリカがしとやかに溜息をついた。

「私はあなたを殺すつもりはないって言ってるでしょ。
 なんで愛してる人を刺したいって思うのかな?
 そっちのほうが不思議」

「おまえを嫌う理由がまだある」

太盛は額の脂汗をぬぐうことなく続けた。

「その口調だ。使用人や娘と話すときの冷徹な口調と全然違う。
 俺と話すときは少女みたいに純粋な口調で、まるで他人みたいだ。
 おまえと言う人間がどういう人間で何を考えているのか
 さっぱり分からない。気味が悪いんだよ。お化けと話しているみたいだ」

「素で話しているだけなんだけどな。私、親からあれこれ
 お堅い教育されてきたから、子供の前でもつい
 厳しい口調で話しちゃうだけで」

「あっちはお前の本心ではないのか?」

「どっちも私よ。母としての私。奥様としての私。
 そして、あなたの妻である私。使い分けなんて
 どこの主婦でもしているでしょ」

甘えるように太盛に寄り添い、同じ布団にくるまる。

太盛のすぐ横に妻の顔があった。にやにやしている。
楽しいおもちゃを与えられた子供のようだ。
夫と二人でいることが、何よりも幸せなのだ。

別に何もしなくてもいい。
ただ一緒にいるだけで何もかもが満たされるのだ。

「よるなって言っただろうが」

「やだ」

太盛のほっぺたにキスをした。
ねっとりとした感触だ。

太盛はエリカの唾液を手でぬぐう。
それはもう汚そうに。
エリカは全く気にした様子はなかった。

エリカはブラジャーを外し、太盛の手を自分の乳房へ招待する。

エリカの胸はちょうど手でおさまりきらないくらいの
ほどよい大きさだった。白く美しい上半身の肌が露出し、
女の匂いが太盛を誘惑した。

ここは外国で常に過酷な自然の驚異と戦わなければならない。
謎の弾道ミサイルもいつ降ってくるか分からない。

こういう状況で人は子孫を残したい欲求が深まる。

太盛は、大嫌いな女のはずなのに、
男の部分が反応してしまうのが悔しかった。

本当に触れ合いたいのはユーリだったはずなのに。

「おまえが……殺したんだろ」

「誰を?」

「俺の大好きなユーリだよ。マリンもな。
 どうせこの小屋の外にはおまえの護衛がたくさんいて、
 ニヤニヤしているんだろ。俺は見世物じゃないぞ」

「本当に誰もいないのに」

エリカは太盛の顔を両手でつかみ、自分の顔に近づけさせた。
日本にいる時は寝る前に毎日濃厚なキスをされた。

太盛は拒否する勇気がなくてされるままだった。
唇ごとむさぼられるようなキスだった。
息が苦しくて、顔を背けようとするとエリカはまだ離してくれない。

「あなたが家出してから、ずっとさみしかったんだからぁ」

エリカは会えなかった時間を埋め合わせるように、何度も
舌が触れ合い、唾液を交換して互いを味わうのだった。

モンゴルでユーリと何度もした行為だ。
だが、エリカはユーリではない。
肌の感触、体温、声、全部違う。

少し低めで落ち着いたトーンのユーリと違い、
エリカは高い音程で鼻にかかる感じの幼さがある。
認めたくはないが、耳元でささやかれると
気分が盛り上がってしまう。

お見合いした時からエリカの声が一番気に入っていた。

「あなたのこと、ずっと愛しているの。
 私以外の女を見てほしくなかった。
 私だけを見てほしかった。
 ねえ。それって、いけないことなの?」


それから、太盛は夢中になってエリカの身体を求めてしまった。
時間の感覚はなく、ただ獣のような欲求にに従っての行為だった。

枯れ果てた愛を再確認するだけのむなしい時間だった。

「気持ちよかった?」

お互い、まだ息が荒い。

エリカがこんな短時間でいけるわけがない。

彼女は満足したわけではないが、夫をたのしませることが
できたなら、とりあえずそれでよかった。

「ねえ、良かったでしょ?」

「ああ」

短く告げた。嘘ではなかった。

人間の根源的な欲求の一つが満たされたのだから。

「なんだか眠くなったな」

「いいよ。寝て。後片付けは私がしておくから」

「そう……か」

体はなまりのように重く、少し息苦しさを感じる。
その苦しさが余計に眠気を誘い、
太盛は気絶するように眠りについた。


「あれ?」

また目を覚ました。小屋のベッドにいることに変わりはない。

ベッドは小綺麗になっていて、昨夜のなごりはない。

布団には、まだエリカの甘い香りが残っている。
発情した女は必要以上にフェロモンを残していく。

この香りが、自分とエリカが共にいた証だと思うと、
太盛はうれしくすらあった。

殺したいほど憎いと思っていた妻なのに、
こんなことを考える自分は
頭がおかしいと理性が訴えていた。

人の感情は不思議なもので、理屈で説明できないものなのだ。

「ふわぁ。早起きしてるからこの時間は眠くなりますわ。
 午前中だけでも放牧は大変です。
 子供の家畜がすぐ列から離れてしまいそうになるんですよ。
 一匹でも逃がしたら怒られますから、
 その子たちを追いかるのが大変でして」

マリンが入り口の扉を閉めた。外行き用の毛皮の靴を脱ぐ。
モンゴルの民族衣装のデールを脱いでハンガーにかけた。

室内は防寒着を外して楽な格好でいられる。
ベージュのタートルネックのセーター。下は冬用のジーンズ。
日本にいる時と変わらない。

「お父様、もうすぐお昼だからお腹すいているでしょう?
 私は向こうのテントで食べてきましたから、お父様の
 分だけ作ってしまいますね?」

マリンが薪をストーブの中に放り込む。ごうごうと勢いよく
燃え始める。すぐに部屋中が暖かくなり、寒風が吹き荒れる外とは
別世界になった。

太盛は、なぜここにマリンがいるのか理解できなかった。
少なくともエリカといた時にマリンの姿はなかった。

時間は計っていないが、エリカとずいぶん長くおしゃべり
していたから、当然夜の間、娘は帰ってこなかったはずだった。

「マリンは何を作ってくれるんだ?」

「羊の肉をゆでるの。シンプルな味付けの方が
 お父様の好みでしょう?」

ストーブの上に鍋を置き、たっぷりの水を沸騰させ、
骨付き肉と塩、野菜をまぜてゆでていく。
たっぷり40分ほど煮込めば芯まで火が通る。

蒙古に来てからマリンの髪が伸びた。彼女は作業するときは
髪を後ろで一つにまとめている。亜麻色の髪が
燃え盛る炎に反射して黄金色に輝いて見えた。

スキがなく、完璧に仕事をしようとするさまがユーリに重なった。
髪のまとめ方もユーリにそっくりだ。

「うふふ。ご近所からいろいろ差し入れをもらえますの。
 今日は午前中の放牧を手伝ったから乳製品の加工品を
 いくつか。揚げパンとアーロール(蒙古チーズ)が
 ありますよ。あっ、お父様はアーロールが苦手でしたよね」

「いや、チーズは食べたことあるけど、アーロールは初めてだな」

「そうでしたっけ? 乾燥して硬すぎてあまり
 自分好みではないとおっしゃっていたではないですか」

何の話をしているのかわからず、太盛は思わずゾッとした。
マリンの口調はっきりしていて、嘘をついている様子はない。

経験上、愛娘は父の前で絶対に嘘をつかなかった。
太盛は自分の記憶を先に疑うことにした。

「はは、ごめん。ちょっと寝ぼけすぎたかな」

頭をかきながら半身を起こすと、さらに不思議なことに気づいた。

体が不自由ではないのだ。エリカと肌を重ねた時は手足の節々まで
痛く、まるで老人のようだったのに。今はすぐに馬にまたがって
駆けだしたいくらいに体が軽い。

背中と頭にわずかな痛みが残るが、気にするほどではない。


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