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作品名:モンゴルへの逃避 作者:なおちー

第12回   「まて。それ以上しゃべらなくていい
日付が変わる。

早朝の寒さは震えるほどだった。
日本なら晩秋の季節なのだが、モンゴル中部では
まだまだ暖かいほうといわれている。

「なんだれあれは?」

太盛達の集落の近くに、突如巨大なゲルが現れたのだ。
昨日までは何もない平原だった。

いったい、いつのまにゲルを立てたのか。
王族や貴族が住んでいそうな大きさである。
ゲルと言うより城である。

色もイランのイスファハーンを連想させる鮮やかな青。
空と水を現す色なのである。ゲルには似つかわしく
ないアラベスク。この地よりはるか西方の中東の文化である。

ちなみに、この集落の住民にイスラム教徒いない。

「私が様子を見てくる。異邦人がやってきたのかもしれん」

長老が二人の男を従わせ、謎のゲルへ入っていった。

10分待つが、変化はない。30分待っても帰ってこない。
さすがにおかしいと思ってホモっぽい青年が入っていくと、
女々しい悲鳴が響いた。

太盛はユーリとうなずきあい、ライフル銃と
手りゅう弾を手にゲルへ突入した。

「太盛様にようやく会えました」

中国の王朝で使われていたのと同じデザインの豪華な
椅子に座るエリカ。目は笑っているが、口元が凶悪に歪んでいる。

普段は着物姿なのに珍しくジャージ姿にスニーカーという姿。
娘たちに庭のテニスコートで指導しているときの体育の女教師スタイルだった。
モンゴルの平原で歩きやするためかと太盛は考えた。

村の長老や男たちはテントのはしで手錠をされて立たされている。
彼らの背後にはエリカの配下のSPらがおり、首筋にナイフを
突き立てている。SPの何人かが太盛とユーリに銃を向けていた。

完全な修羅場である。

「大切な妻を後進国の片田舎まで旅させておいて。
 浮気性の夫を持つ妻の苦労を少しでも分かってほしいですわ」

「まて。それ以上しゃべらなくていい。俺の手を見ろ。
 手りゅう弾が握られているな? 今から俺はユーリと一緒に自殺する。
 これのピンを抜き、胸の前で爆発させる」

「させませんわ」

太盛は、黒い影が残像を残しながら目の前を通過したことを確認した。
同時に持っていたはずの手りゅう弾が消えていることに気づいた。
ユーリも同様である。

まさかと思って銃の弾を確認すると、どういうわけか
弾が空になっていた。もはや魔法の領域であった。

「私のSPは普通の人より少しだけ早く動けますの。
 今後太盛様達がどんな暴挙に出ようと全て
 止めるつもりですので、そのつもりでお願いますわ」

筋肉質のSPが弾薬の入ったマガジンと手りゅう弾を見せびらかした。
どうやら彼の手によって瞬時に奪われたということらしい。

にわかには信じられないが、現実を素直に認めるしかない。
現に攻撃する手段がないのだから太盛に打つ手はなかった。

「舌を噛み切って死んでやるぞ!!」

「もしやろうとしたら、あなたを地に組み伏せて肩の関節を外しますわ。
 二度と変なことを思いつかないようにね」

太盛は、気絶しそうなほど恐怖した。
迷いのないエリカの顔があまりにも恐ろしくて、
もう何も言い返す気にはならなかった。

拳を握りしめ、限界まで歯を食いしばり、鼻息を荒くする。
そのあとは、ただ涙を流した。
声を押し殺してなく彼の姿は哀れだった。

「私はそんなに難しいことを言っているつもりはありません。
 ただ夫婦で日本に帰るだけではないですか。
 それともしばらくここでゲル生活をしてからにしますか? うふふふふ」

「いや……だぁ……。たのむ……ひとりにしてくれ……。
 もう少し考える時間をくれぇ……。」

収容所行きは嫌だと子供のように駄々をこねる夫。

考える時間なら売るほどあったはずだと、
エリカは心の中で思っただけで口にはしなかった。

太盛にとって逃避。エリカにとって長い苦痛の時間だった。
浮気相手への殺意、実の娘への嫉妬、太盛に裏切られたことへの失望。

様々な要素が入り混じったそれは、深い闇の中に生まれた感情だった。
もはや制御不可能になったエリカという暴走マシンが動き出しているのだ。

「うふふふふ」

エリカは椅子から立ち上がり、太盛へ近寄った。
子猫のように縮こまり、おびえる太盛。

「う……わぁ……いやだぁ……お願いだ……
 許してくれエリカぁ……勝手に逃げたことは謝るよ……」

エリカはかまわず太盛の顔へ手を伸ばす。
太盛の顎を指で持ち、自分の目線と合わせた。

「絶対に許さないわ」

太盛は頭を抱え、泣き崩れた。
ユーリは太盛の専属使用人という立場で太盛に
何年も付き従ったが、彼がここまで取り乱すのは初めて見た。

太盛の泣き声があまりにもうるさいので
ロシア人のSP二人は太盛を指さして侮辱の言葉を吐いていた。

エリカはSPをにらみ、黙りなさいと言うと、SPの顔が青ざめた。

エリカの支配力は圧倒的なのだ。この空間にいる人間は、
支配者のエリカとその従者の二種類に分類されていた。
太盛の肩書は夫だが、実際は妻の奴隷である。

(強制収容所で拷問か……)

ユーリは絶望を通り越して自らの人生を終わらせても
いい感じがしてきた。自分より太盛を優先すればいい。
彼の人生のために自分が存在する。

旅の道中で太盛にわがままをたくさん言ったのは良い思い出だった。
喧嘩できたこともある意味貴重な体験だった。
好きなことを言い合える仲でないと喧嘩はできないものだ。
少なくとも屋敷にいる時に喧嘩したことはなかった。

ゲル生活は人生で最良の瞬間だった。
だが、幸せな時間はすぐ終わる。
人生に永遠はない。ただそれだけだ。

(私が生きていたら、太盛は私をかばってエリカに抵抗する。
  私が拷問されたら彼の心も壊れちゃう。
  短い関係だったけど、私たちの愛は本物だった。それでいい。
  マリンお嬢は、家畜の乳しぼりの時間だから難を逃れている。
  最後に挨拶くらいしたったな。あんなに喧嘩したのに不思議ね)

「太盛。愛してる」

ユーリは奥歯に隠していた青酸カリのカプセルをかみ砕いた。
食道を通じて毒が回り、大きな音を立てて倒れる。

「ゆーり!?」

太盛がユーリの体を揺さぶり、何度も声をかける。
ユーリはぐったりしたまま動きはない。
SP達はすぐには行動に出ず、静観の構え。

(愛してる……ですって?)

愛という言葉を使用人が吐いたことにエリカが逆上した。
彼女からすればユーリはまさしく泥棒猫である。
たとえ自殺間際のセリフだったとしても、万死に値した。

太盛に対して愛を語って良いのはこの世界でエリカだけなのである。
娘たちが父にべたべたしたり、独占しようとした場合さえ
排除するのだから、血のつながりのないユーリはごみカス程度の価値しかない。

エリカは彼女を拷問したくて仕方なかった。
肉体的苦痛を与え、むごたらしく殺してやりたいのに
ユーリは今さっき毒をあおったばかりだ。

「まだ死んだと決まったわけじゃないわ。
 毒が回ってない可能性もある。なんとか蘇生させて」

「ダー」

「ウィ、ダコーマダム」

SPらがユーリの体をタンカに乗せ、外へ運ぶ。
いつのまにかたくさんの車が集落へ集まっていた。

「これはいったい何の騒ぎですの?」

「マリン、だめだ!! 来るな!!」

日課の乳しぼりを終えたマリンが平和な顔で
テントに入ってきてしまった。

「久しぶりね。マリン。元気そうね」

「か、かあさま。どうしてここにいるの?」

マリンはエリカと目があった瞬間に凍り付いた。
エリカの威圧感は屋敷時代に毎日感じていたものだ。

「どうしてって、私が夫を連れ戻しに来たからに決まっているでしょう。
 あなたは私に何か言いたいことはないの?」

この一緒にいるだけで矢が全身を貫くような圧迫感は
何度味わってもなれることはなかった。

エリカはマリンに心から謝罪を求めているのだ。
イスのひじ掛けに、ほおづえをついて娘に問いかけるエリカは
動揺に出てくる魔女のようであった。

「言いたいことですか?」

「そうよ。言い分があるなら聞いてあげる。
 そうじゃないとあなたにとってフェアじゃないでしょ?」

「なら、お父様をこれ以上苦しませないでほしいです」

「モンゴル暮らしのこと? 日本に帰ればこんな窮屈な生活とはおさらばよ」

「そうではありませんわ!!」

拳を握り、腹から息を吐きだした。

「あなたと一緒にいるのがお父様にとって最大の苦痛なのです!!
 あなたがお父様を束縛しようとするから、ますますお父様の
 心があなたから逃げていくのに、どうして気づかないの!?
 あなたのしていることは逆効果なのよ!!」

それは禁句だった。

エリカが絶対に認めたくない事実。今回の逃避行のすべての原因。
マリンは収容所送りを覚悟したうえで吠えていた。

「バカね」

エリカの目は、明らかに娘を見下していた。

「マリンはモンゴルに来てからますます気が強くなったわね?
 お父様って繰り返し言うけど、本当の気持ちは彼のみが
 知るところよ。あなたが偉そうに彼の気持ちを代弁しないで」

「じゃあ、そこで頭を抱えてしゃがみこんでいるお父様は
  なんですの!? 妻が来ただけでここまで取り乱すなんて
  普通じゃないわ!!」

「誰だって心を整理する時間が必要よ。太盛様はね、
 浮気がばれて少しびっくりしているのよ」

「またそうやって話をはぐらかそうとしてる!!
 汚いウソ!! 政治家と同じです!!」

「はいはい。あなたの言い分はそれくらいで十分かしら?」

エリカはファザコンの娘も許すつもりはなかった。
今回の逃避行に自ら着いていったのでマリンも重罪だ。

特にマリンは日本時代から母を出し抜いてまで太盛を
奪おうとしていたことが多々あった。子煩悩な太盛は、
特にマリンを可愛がった。父に従順な末の娘が
可愛くて仕方ないのだ。

愛娘に向ける、穏やかで優しい旦那の顔。
それを見るたびにエリカは胸をわしづかみにされるような
せつなさを感じていた。

「あなたは家に帰ったらお仕置きよ。異論反論は一切認めないわ」

エリカと目を合わせた瞬間、マリンの全身に鳥肌が立った。
テントには太盛が悲痛に泣き叫ぶ声だけが響く。
周囲を囲うSPがにらみを利かせている。

「お父様は……どうなるのですか?」

「それはあなたが気にすることではないわ」

「ユーリは……? さっき倒れてテントから
 運び出されたのを見ました。まさかここで拷問を?」

「使用人のこともあなたには関係のないことよ」

「最後は私たちの自由を奪って殺すつもりなのでしょう!?
 母様は血に飢えているのだわ!!」

「黙りなさいマリン」

「母様は狂っているわ!! 私だけじゃない。
 レナ達だって同じことを言うわ!!
 あなたのことが怖くて正面から言わないだけ!!
 お父様、こんな顔になって本当にかわいそう。
 どうしてお父様を苦しめ続けるのですか!?
 私たちが何をしたって言うんですか」

「黙れと言ったのよ!!」

母としてのエリカは、幼いころから子供たちを恐怖で従わせた。
レナやカリンはいまでも母の言うことに逆らうことはしない。

そんな無謀で無意味なことをしてなにになるのかと彼女らは言う。

「夫を殺すことが私の目的ではないわ。
 マリン。あなたは母であるこの私を
 殺人鬼と勘違いしているのではなくて?」

「違うのですか? 猟奇殺人鬼の一種かと思っていましたわ」

「うふふ。なかなか言うようになったわね。
 今の私はモンゴルにいることで気が立っているわ。
 それを分かったうえでしゃべりなさいね?
 太盛くんとの幸せな家庭を築くために
 力と恐怖による支配は必要なのよ」

「なぜ必要なのですか?
 そんなことをされて喜ぶ人はいないと思います」

「今どきの夫婦はね、ちょっと喧嘩したらすぐ離婚するのよ。
 若い人だけではないわ。熟年離婚も流行っている。
 ちょっと価値観や性格が合わないからって別れていたらきりがないと
 思わない? 私たち夫婦はそんなあやふやな理由で別れたりしないわ」

「お父様の気持ちはどうなるのですか? お父様は本気で
 あなたと離婚したがっていますけど。再婚相手もいるようです」

「逆に聞くけど、あなたはその再婚相手さんを母として認められるの?」

マリンは言葉に詰まった。ユーリのことは父をめぐるライバルと
して考えていた。父が新しい妻と仲良くしているところを
想像すると胸が痛んだ。

「再婚して幸せになれるとは限らないわ。再婚相手はね、
 子供たちと血のつながりがない赤の他人よ。
 それに離婚した汚名は一生涯続く。
 誰もが必ず一度は思うはずよ。別れなければよかったと」

「母様の言っていることは正しいのかもしれませんが、
 私はお父様の苦しんでいる姿を見るのが嫌ですの。
 お父様は一生あなたの奴隷としてすごさないといけないのですか?」

「奴隷とは人聞きの悪い言い方ね。太盛くんが私の言うことを
 素直に聞いていれば何もしないわ。レナ達みたいに太盛君も
 従順になってくれればいいの。そうすれば全て丸く収まるわ。
 簡単なことでしょ?」

「大切な父があなたの言いなりと化すなんて、
 少なくとも私は嫌です!! それは人間とは言えませんわ!!」

「さっきからよく口の回る子ねぇ。あなたは昔から特に反抗的だったわ。
 いますぐお仕置きしてあげたくなるじゃない」

エリカは部下に命じ、拷問器具を用意させた。
爪をはぐための機械だ。片腕を机の上の拘束具で固定し、
一枚一枚指をはいでいくのだ。

爪が宙を舞う時の激痛と、じりじりと機械が爪の間に
侵入する心理的な恐怖でほとんどの人は発狂する。

「マリン。ママは最初に行ったわよね?
 異論反論は受け付けないって。
 あなたは母の言いつけを守らなかったのよ。
 覚悟はできているんでしょうね?」

マリンは血の気が引けてしまい、逃げようとしたが
ロシア人のSPに羽交い絞めにされる。

母の常軌を逸した計画に恐怖を超越して吐き気がした。

「私だって鬼じゃないわ。マリン。最後のチャンスよ。
 ひざまついて頭を下げなさい。そして誓いなさい。
 二度と母の言うことに逆らわないと」

エリカはマリンのあごを指で持ち上げた。
悔しさと怖さでマリンの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
涙は止まることなく流れ続けてテントの床を濡らした。

服従するくらいなら死んだほうがましだと心から思っていた。
だが、エリカはただでは死なせてくれない。
そもそも子供を殺すつもりはない。
ただ生き地獄だけを味あわせて、心を狂わせ洗脳しようとする。

「もう、いやぁ……こんな家に生まれたくなかった……。
 神様ぁ……どうして私はこんなにも不幸なのですか……」

「それが運命なのよ。いつまでそうして泣いているつもり?
 その目、気に入らないわ。私を呪うかのような目。反抗的だわ。
 まずは左手からいってみる? 左手の指が全部はがされても
 学校には行けるわよね?」

その次の瞬間、ずっと様子をうかがっていた太盛が
エリカへ襲い掛かった。太盛はエリカの首を
絞めて殺すつもりだったのだ。

SPは太盛の顔に重い拳を食らわせて吹き飛ばした。
カウンターなので威力はすさまじく、
太盛の体がゲルの骨組みの一部を壊すほどだった。

さらに同時刻。

弾道ミサイルがゲルへ向かって落下していた。
外モンゴル中部地方上空を飛来するミサイルの数、
実に5基である。

「マダム エリカ!! アテンシヨン シブプレ!!」

「何よ? 私は無事なんだけど」

「いえ、そうではありません!! 
 すぐここから非難を!!」

SPらはレーダーでミサイルの接近を探知したが、
もはや手遅れだった。

鼓膜が破れるほどの破裂音。

ゲル内は閃光に包まれ、爆風と共に全てが
粉々に吹き飛ばされたのだった。


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