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作品名:モンゴルへの逃避 作者:なおちー

第11回   「学校に行くのだけが全てではないって、本当なのですね。旅は人を変えてくれますわ」
集落に住んでいる人たちは、古くは350年も前から
モンゴルで暮らしている人々だった。
祖先から受け継いだ家畜と共に生きる遊牧の民である。

小さな小屋が3件。八角形の大きな柵には、2百を
超える家畜がいる。羊、馬、牛、ヤク、
テントの外に放し飼いの番犬もいる。

彼らが主な住居に使っているのはゲルである。
複数の世帯が6つのゲルに別れて暮らしていた。
日本の古い農家のような共同社会がそこにあった。

「こにちわー」

太盛が日本語であいさつしたら向こうも片言で返してきた。
日本のことはみんなテレビで知っているようだ。

昨今、西洋諸国を中心に日本人気が高まっているが、
この東アジアのモンゴルも例外ではなかったようだ。

太盛らが家族でモンゴル暮らしを始める旨を伝えると、
彼らは歓迎してゲルへ招待し、今夜はここで泊まることになった。

家族の長が裏で羊をさばきはじめた。
客をもてなすときは羊の肉料理をふるまう決まりなのだ。

マリンはお椀に盛られた肉のスープを頂いた。
この地方の市場で売られている野菜も入っている。
水餃子のような食べ物も、日本人ならそれほど珍しいものではない。

乳製品がたっぷりあるのはモンゴルに来ていた時から慣れていた。

複数のチーズを食べ比べてして、熟成期間による味の変化を楽しんだ。

「как тебя зовут?」

長老が流暢なロシア語で名前を聞いてくる。
ソビエト時代に併合されていた時の名残で
老人世代の人でロシア語が話せる人は普通にいる。

「ヤー メニャー ゆうり」

「ゆぅり? рад познакомиться」

ユーリが名乗ると、老人はうれしそうに手を握った。
会えてうれしいと言っているのだ。

一家の娘は片言の英語が話せるので
同年代のマリンにモンゴルに来た目的を聞いた。

「ワイ ディヂュ カムひあ?」

「We want to know about this country and people.
everything about mongolia. We Japanese people
 know Mongolia as the great country of ghin gis khan.」

チンギスハンの国として有名な偉大なモンゴル国を
知りたいと思ってきました。モンゴルにかかわることを
何でも知りたいと思いまして。マリンはそう答えた。

娘が長老に蒙古語で通訳する。長老はチンギスハンの国として
褒めてくれていることを誇らしく思い、さらに上機嫌になった。
酒盛りが始まる。テーブルを各種料理が盛られた皿が埋め尽くした。

太盛が、娘のマリンに放牧の仕方を教えてもらえないか言うと、
快諾した。集落には11歳のバルトという娘がいて、この娘を
マリンの教育係に指名してくれた。

次の日の朝。太盛は村の男たちに手伝ってもらい、
自分で買ったゲルを始めて組み立てた。

男6人がかりでも2時間かかったので、太盛1人だと
慣れないこともああってどれだけ時間が
かかったか想像もつかない。
18歳の青年が太盛にアドバイスする。もちろんモンゴル語で。

「しっかり組んでおけばそうそう壊れることはないよ。
 しばらくこの家で住んで様子を見るといい」

「ん? なに言ってるか分からないけど、サンキュな」

「テンキュ? イングリッシュ?」

「イエス。イングリッシュ。We should speak English」

「ほげ(ok)」

男たちは太盛の買ったアンテナやテレビなどのオプションを
テント内に設置していった。遊牧民の知恵を生かして
マット、布団、衣類たんす、食器類など効率的に配置していく。

一時間もすれば立派な移住空間の出来上がりだった。

「すごいじゃない。じゅうたんも敷いて暖かいし、ストーブもあるわ。
 ベッドの配置も無駄がない。調理器具もそろっているし、
 食材さえあれば飢えることもなさそうね」

ユーリが眼を輝かせて感動する。テレビでしか
見たことのないゲルでの生活がいよいよ始まろうとしているのだ。

だが、良いことばかりではない。

「ユーリ。喜んでいるところ悪いが、トイレと風呂はないからな」

砂漠の真ん中に水道が通っているわけがなかった。
宿での文明的な生活になれたユーリは激しく憤慨した。

「お風呂に入れないの!?」

「だってここは草原だぜ? 上下水道も整備されてないのに
 貴重な水をバシャバシャ使えるかよ」

「じゃあ、ここの人たちはずっとお風呂に入らないの!?」

「んー、ガイドブックによると、夏は水浴び。
 寒い時期は濡れタオルで体をふくんだってさ。
 冬は厳寒のため入浴すると風邪をひく。
 空気がさらさらしているから汗をかいても垢が
 たまらないとさ」

「言われてみると、強行軍した時も汗がすぐ乾いたわ」

「な? 日本の蒸し暑さとは全然違うんだよ。
 カラッとしていて、汗がいつまでも残らないからな。
 日差しがあればカラッと乾くし、意外と清潔だよ」

「じゃあトイレはどうするの?」

「ちょっと待っていろ」

太盛が長老と話し合い、
村の共同トイレ(ぼっとん)を使う許可をくれた。

風呂も20リットルの鍋にお湯を入れて
足湯や洗顔をさせてくれた。

これがモンゴル風のおもてなしである。

太盛は感動して涙が出たが、ユーリはまだ不満だった。

「トイレが原始的なのは困るよ!!」

「なに。中世レベルでもトイレがあるだけましだよ。
 他のゲルの集落だとおそらくその辺に穴を掘って
 済ますレベルだぞ。しかも夜は危険だから番犬を
 連れて行かないと襲われる可能性があるんだぞ」

「毎日こんな生活が続くんでしょ?
  カルチャーショックがでかいよ」

「我慢しろよ。人間はどんな環境でも適応できるさ。
 それに俺たちにもう日本に帰る選択肢はない。
 前に進むしかないだろ?」

「それは、まあそうだけどさ……」

太盛はふてくされるユーリを言いくるめてしまった。
エリカとの時と違い、年下のユーリの前では余裕のある振る舞いである。

太盛は、文句を言いつつも最後は自分の考えに
従ってくれるユーリのことが好きだった。

その頃、マリンは放牧に出ていた。

モンゴルの背が低い馬の背にまたがり、大草原を走る家畜を
追いまわした。モコモコした毛皮の羊の群れがひたすら走り回る。

「あんた、教えてないのに乗馬が上手なのね。
 日本人も普段から馬に乗るの?」

「この子は褒めてくれているのかしら?」

モンゴル語で問いかけられてもマリンには分からない。
マリンは英語を話したがった。
彼女は幼少から乗馬をエリカに教わっていたため、
バトラの手を借りずとも一人で馬の背にまたがれたのだ。

手綱をひき、バトラの馬に並んで草原を走り回る。
日本のどんな牧場でもここまで広くはなかった。
数キロ先に山々が連なっていて、巨大な壁のようだった。

それ以外は大平原のみ。マリンが双眼鏡で景色を確認するも、
ほとんど変化なし。はるか遠くの道路を乗用車が通過するのが見えた。
それも何キロ先かすら分からない。

「A man over there」(あそこに人がいる)

とバトラが山を指さすが、マリンには何も見えない。

双眼鏡を構える。なんと、バトラが指していたのは
2キロ先にある山の斜面にいる人間だった。

マリンは衝撃のあまり驚きの言葉すら出なかった。
遊牧を日常にしている彼女らは視力が良すぎるのだ。

マリンの放牧の日々は一週間続いた。
日中は集落の子供たちのゲルへ遊びに行く。

モンゴル語の歌を歌ったりテレビでスポーツ観戦をしたり、
DSでマリオカートをしたり、IPADでダークナイト(映画)を見たりと、
何とも現代的な娯楽であった。

朝一番で牛の乳しぼりをし、放牧に行く。
その他にはゲルの中で鍋や皿洗いなど
家事を積極的にこなした。
燃料にする目的の家畜のフン拾いも嫌がらずにこなした。

ユーリは牛乳を原料にしたチーズなどの乳製品の作り方を学んだ。

テントの中での羊肉や牛肉の干し方は都会人には残酷な
方法に思えたものだ。生肉の汚さと不潔さが嫌だったが、
太盛と一緒に一生懸命に覚えた。

国内にわずかしかない井戸も馬で小一時間ほど走る先にあった。
水を満タンになるまでタンクに積み、テントへ戻るのだ。
貴重な水である。

雨風でテントは痛んでいくので定期的に補修をしなくてはならない。
太盛は村の若い青年に気に入られ、さまざまな手ほどきを受けた。
少しホモっぽかったが、親切にしてくれるのでスルーすることにした。

「今日も良く晴れとるのぉ」

聞きなれないモンゴル語が聞こえて来たなと太盛は思った。
ユーリも同様だ。太盛とユーリは昼食の後、テントの中で
イチャイチャしていた。

マリンが子供たちと遊んでいる時間が愛人同士の時間だったのだ。
太盛がゲルの扉を開けると、奇妙な格好をした男がいた。

「アイ ノウ ゆあ ジやパニーズ
 アイムぁ テアチャ。 テアチャ オブ フルート」

その男はモンゴル製の木管楽器の先生だった。
彼は太盛らが日本人だと知っていると言っている。
話を聞くと、どうやらここの子供たちに民族楽器を教えているようだ。

どこから来たのかと聞くと、隣の町から馬に乗って
片道3時間半かけて来たという。
太盛とユーリは転げ落ちるほど驚いた。

「片道3時間半とかどんなブラック企業よ」

「むしろ通勤30分ぐらいでガタガタ言っている俺たちが
 異常なんだろうな。モンゴルは壮大すぎるよ」

先生は1時間だけ授業した後、また帰っていった。
天気が悪くなる前に帰らないと危険なのだ。

太盛は、日中はユーリと夫婦のようにゲルで生活した。
マリンは子供たちとすごすのがよほど楽しいらしく、
一日も欠かすことなく集落のゲルに遊びに行っている。

日本時代と違い、マリンは良く笑うようになった。
夕方までたっぷりと遊び、学び、夕飯の時間になると
太盛のゲルに帰ってくる。これが日常であった。

「やっぱり子供は同年代の子とすごすのが一番なのか」

「あの子も少しは父親離れができてよかったじゃない」

「ちょっとさみしいけどな」

「太盛も早く娘離れしなさいよ。今は私と二人きりでしょ?」

「分かっているさ。ユーリ。もう少し顔を近づけてくれ」

「うん」

同じベッドの上で手を重ねあい、熱い口づけを交わした。
さすがに日中なのでそれ以上のことはできないが、
ただ二人でいるだけで何もかも満たされた。

エリカのいない空間が楽しくて仕方なかった。
エリカの護衛も、他の使用人も、ただ広いだけで
人間らしい温かみのないあの屋敷も、今は全て関係ない。

隣の家からコーヒー豆を分けてもらい、ちょっとした
喫茶店の気分。パサパサの菓子パンとクッキーをつまみ、
日が暮れるまで話をした。

学生時代の楽しかった思い出話に花が咲いた。
関東と東北で生まれ育った地域が違うから、余計に面白かった。
高校の修学旅行のことで、バカなことをしていた同級生の
話をすると盛り上がった。

どうしてか外国に来ると日本の話がしたくなる。
食べ物の話題になると、しょうゆやみそなど
日本食特有の味を思い出して腹の虫が鳴った。

「でもエリカのことを思い出すと日本が嫌いになるから不思議だ」

「あはは」

日中のテントはほどよく暖かった。太盛達は薄手のセーターだけで
布団をかけ、ベッドに寝転がっていた。
太盛が腕枕をするとユーリは愛しそうに顔を横にする。

モンゴルに来てこんなに楽しい日はなかった。
喧嘩していた時がウソのように、毎日が楽で新鮮だ。
なにせ食材すらまだ買い出しに行ったことはない。
めんどくさいから、村の人たちからお金で買っている。

たとえば、日本円でわずかなお金を払えば
鮮度百パーセントの牛肉がその場でもらえるのだ。

マリンがしつこい油汚れの鍋もきれいに洗ってくれたり、
布団を干したりと活躍してくれるため、大人組は非常に楽だった。
言い方を悪くすればニートだった。モンゴルニートである。

「なあユーリ。今日はワゴンで草原をドライブするか?」

「いいわね。私、モーツァルトを聴きながら行きたいわ」

信じられないことに、行商人が定期的に集落を訪れるので
街で売られている日用品や娯楽品が普通に買えるのだ。
太盛は草原に適した頑丈な靴を買った。

ユーリはモーツァルトの交響曲40番と41番が
収録されているCDを買った。ファンの間では超定番である。
モンゴルに来てから初めて聞くクラシックだった。
ワゴン車のスピーカーは粗末だったが、気にならなかった。

3人は、こうしたのどかな日々がいつまでも続けばいいと思っていた。
平和ボケである。だから大切なことを忘れていたのだ。

最近エリカの刺客が襲ってこなくなったことに。

そして、マリンの携帯にも子供たちからの連絡がばったり
こなくなったことに。エリカの地獄の底のような執念の深さに。


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