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作品名:モンゴルへの逃避 作者:なおちー

第10回   夫は妻へ離婚を告げる(電話で)
太盛の顔は、まるでカンボジアの古い寺院にいる
修行僧(74歳)のようであった。悩みや苦悩や恐怖など
あらゆる雑念を排除していた。

太盛の豹変(ひょうへん)にユーリは驚愕した。
ユーリはマリンが余計な入れ知恵をしたせいだと
勘ぐり、激しい口論となった。

太盛は菩薩の顔で彼女らをやり過ごし、
普通に寝てしまった。かなりの大物である。

「太盛が収容所行きになったらお嬢を一生恨んでやる!!」

「まあ、それはひどい被害妄想ねえ!! その前に
 あなたがババアに殺されてお陀仏ですけど!! 
 あと私がお父様をそそのかしていないと
 何度言ったら分かるの!!」

「あんたがモンゴルに来てから太盛はあんたの心配しかしてない!!
 あんたを日本に帰したいからババアと交渉するわけでしょ!!」

「どうして何でも私のせいにしようとしたがるの!!
 私だってお父様が交渉すると言ったときは必至で止めました!!
 お父様がどうしても電話したいっていうなら仕方ないじゃない!!
 私はお父様の意思を尊重するつもりだけど!?」

「なにがお父様の意思だ。お父さんの前で良い恰好したいだけでしょ!!
 そんなだからあんたはファザコンって使用人の間で
 陰口叩かれるんだよ!! 本当に大切なら体を張って止めろよ!!」

「なら父のスマホを叩き割ればいいの!?」

15分もやりあっていると、さすがに宿の管理人が
注意をしに来た。次夜に騒いだら強制退去させると言われた。

枕やペットボトルや鍵など投げやすそうなものが
床に散らばっている。ユーリは肩で息をし、
多めに買っておいた牛乳を一気飲みすると
ようやく落ち着いてきた。

マリンも同じように牛乳を飲みほした。
子供のマリンにはつらく、はげしくむせた。

「それよりどうしたらババアと離婚できるか考えたほうが建設的かもね」

「ふん。確かにその通りですわ。父の最終的な目的は離婚です」

いい加減に言い争いに疲れた二人は、子供のような顔で
寝ている太盛の横で眠りについた。

それぞれが反対側の位置から太盛に寄り添って寝ている。
全ては翌日分かること。これ以上考えるのはやめにした。

翌日の早朝。太盛はクリームパンとミルクティの朝食を
済ませてからエリカの携帯へ電話した。

携帯の画面に妻、エリカの文字。
通話ボタンをタッチし、コールが始まる。

緊張の一瞬である。

部屋の扉には鍵をかけてあるから外部の人の邪魔は入らない。

スリーコールしてもエリカは出ない。
時刻は7時。一般的には非常識な時間だが、
太盛は一分でも早くエリカと話がしたかったのだ。

さすがに妻は朝ご飯でも食べているのかと思い、
かけなおそうとすると、5コール目で出た。

「太盛様ですか?」

高揚して上ずったトーン。
アナウンサーのようにてきぱきとしたリズムだ。
思わず知的でおしとやかな女性の声を連想させるが、
正体は性悪女なことを太盛は知っている。

「今日はお前に話があるんだ。こんな時間にすまないな。
 もし忙しいならかけ直すけど?」

「心配は無用ですわ。私は太盛様が電話してくれるだけで
 わくわくしますの。新婚の時以来私に電話をしてくれなかったわ。
 電話をかけるのはいつも私の方。ねえ、私がどんな思いをしていたか
 分かりますか?」

「知らんな。それより今後の俺たちについての話をしよう」

「それはつまり、太盛様が日本に帰ってくるということですね?」

「お前次第だな」

「おっしゃっている意味が分かりませんが?」

「条件がある。まずユーリとマリンに危害を加えるな。
 もちろん俺にもだ。おまえが地下の収容所を改装したのは
 知っている。俺とマリンは収容所で生活、ユーリは拷問するのが王道か」

「まあ、拷問だなんて。そんな恐ろしいこと、私は考えていませんわ。
 確かに大切な夫を後進国へ無断で連れて行ったわけですから、
 軽い仕置きをする必要はありますが、拷問というほどではありませんわ」

「ごたくはいい。処分だろうがお仕置きだろうが意味は同じだ。
 ユーリは再起不能になるまでおまえに痛めつけられるんだろう!?」

「やるのは私ではありませんわ。私の雇っている使用人です」

「どっちにしても同じだ!! おまえの部下は、
おまえが命令して動くだけの操り人形だ!!」

「太盛様は、ご自分の立場が分かっているのですか?
 一時的とはいえ、大切な家族を捨てて国外逃亡したのですよ?
 民法の離婚事由に書かれている、悪意のある遺棄の一部を満たしましたわ。
 夫婦間に深刻なあつれきを残したことは事実。ですから、
 今後も健全な夫婦としてやっていくために、過去の清算が必要なのは
 当然だと考えておりますが?」

「おまえこそ、自分がやろうとしていることを考えてみろ。
 拷問は憲法が否定している。それにこの21世紀の日本で
 収容所送りなんてひどすぎるだろうが」

「憲法は、本来は公務員など公人のために書かれたもの。
 家庭内のルールは各家庭で決められるべきなのです。 
 家で起こることにいちいち世の中のルールを適用したら、
 窮屈(きゅうくつ)すぎますわ」

「おまえといるほうがよっぽど窮屈だよ。
 くそが。やっぱり話しするだけ無駄だったか。
 俺はいますぐスマホを握りつぶしたいほど腹が立っているよ」 

「うふふ。私はこんなに太盛のことを大切に思っているのに
 どうして伝わらないのでしょうか?」

「俺だって、最初からおまえのことが嫌いだったわけじゃない」

太盛は目をきつく閉じ、今言っても何もならない昔話を始めた。

父に縁談で紹介された時、エリカに対して抱いた印象は、
いかにも良いところで育った令嬢だった。

会うたびに一緒に食事をし、映画を見たりショッピングをした。
彼女の家には音楽室があった。ヴァイオリンの独奏を聞いたときは
鳥肌が立つほど感動したものだ。高音が心地よく、中音部は
少女が語り掛けてくるようなトーンだった。

心の綺麗な女性なのだろうと思った。
女性らしいゆったりした輪郭も、美しい瞳も好きだった。
髪型も太盛好みのショートカット。美人ほどショートが似合うとは
良く言ったものだ。

話し方も丁寧。男性を立てるすべを心得ている。
太盛はすぐエリカのことが好きになった。

エリカの方は、ずいぶん前から両親から太盛のことを
紹介されて興味を持っていたのだった。

初めて手をつないだ時の胸の高まりを今でも覚えている。
ひと時とはいえ、好きだったことは事実だった

だからこそ、婚姻関係を終わらせるために
正面から向き合わなければならないのだ。

「エリカ。俺は逃げないぞ」

「はい?」

「はっきり言おう。離婚しよう」

その一言は決定的だった。

押してはいけないスイッチ。核ミサイルの発射ボタン。
冷戦が熱戦に変わる瞬間。人類の最終戦争。

どのような言葉を使っても、この時のエリカの激高ぶりを
表現することは不可能だった。

「うふふふふふふ」

エリカはおもわず笑った。

笑うことで自分を落ち着かせようとしていた。
エリカの胸の中に残酷な想像がいくつもわいてくる。

目の届く範囲に太盛がいたら、すぐスタンガンと手錠で抵抗を封じ、
収容所送りにするところだ。もし命令をためらう使用人がいたら、
そいつもついでに収容所送りにする。

エリカは彼女専用の特別な使用人を37人雇っている。

彼らは要人警護の経験のあるプロで主にスイス人や
ロシア人などの欧州人だ。
屋敷で粗相をした者はエリカの配下につかまり、
尋問と称した拷問を受けることになる。

一度収容所行きになったら最後。
拷問の最中で発狂してしまい、再起不能になるという噂である。
太盛は旦那なので拷問まではされなかったが。

「それは」

とエリカが口を開く。

「電話口でする話ではありませんね」

「なんだと?」

「顔も見えない相手に、はいそうですと答えるのは無理がありますわ。
 第一、 無礼が過ぎます。本当に離婚がしたいなら、まず互いの弁護士に
 話を通す必要がありますが、それ以前の問題ですわね」

エリカは、面と向かって真剣に話し合った結果でなければ
認めないと言った。まともな意見であった。

実際の裁判でも示談、協議で終わるケースが大半である。
つまり、第三者を交えての話し合いだ。

民事裁判まで発展することは、よほど相手方に
非難すべ事由があったり、遺産や子供の親権を
廻ったりしない限りはまずない。

「なにより重要なのは、民法で認められる離婚理由に
 該当するかどうかです。婚姻を継続しがたい重大な
 事由ですよ? なにか思い当たりますか?」

「俺はおまえに収容所送りにされた。当然だろう?」

「太盛様が使用人の子達に色目を使うからですわ」

「俺がどこにいてもおまえが束縛しようとするからだ!!」

「もう。すぐ熱くなるんだから。電話だと相手の声しか
 聞こえないから感情的になりやすいのよ。
 ネットで文字同士のやり取りだと喧嘩になりやすいのと同じね」

エリカが敬語を使っていないことに太盛が気づくと、
怒りより恐怖が勝るようになった。

ユーリもマリンも、屋敷の女たちは感情的になると
急に素の話し方になる。それは、限界ぎりぎりまで
彼女らを怒らせている証拠である。

「それにあなたが今していることはなに?
 家族を日本において海外へ逃亡? あはは。
 育児、扶養義務の放棄。娘まで巻き込んですごいわ。
 あの子が退学になったら夫のあなたの責任にならないかしら?
 あなたが本気なら裁判で全て立証してあげるけど?
 ねえ。それでも私と戦う勇気があなたにある?」

「逆に聞きたいよ。なぜそこまで俺と夫婦でいたいんだ? 
 俺たちは心が全く通じ合ってない。
 マリンやユーリだっておまえのことを良く思っていない。
 形だけの夫婦に意味があるのか?」

「うふふふふ。本当に何もわかっていないのね。
 夫婦の関係は過ごした時間でどうにでも変わるものなのよ。
 どうしてこの先もずっと険悪な関係が続くと思っているの?
 その気になれば使用人なんて好きに入れ替えられるわ。
 子供だって成長して大人になっていくわ」

「今おまえと話しているだけで俺は限界だ!!
 おまえの上から目線の話し方もイライラする」

「あなたが子供だと自覚しているから熱くなるのよ。
 モンゴルへ逃げたのも下策ね。逃げたって状況が
 悪くなるだけだってどうしたら気づくの?」

「もうお前と話すことは何もない!!
 俺は日本にも戻らないぞ!! 
 これで終わりだ!!」

太盛はスマホのバッテリーカバーを開け、
バッテリーを空高く投げてしまった。

思春期の男子中学生のような行いであった。
口では勝てないと分かっていたが、
やはり言いくるめられると腹が立った。

言葉でエリカを説得するのは不可能なのだ。
口げんかで勝てないのに、交渉などと高尚なことが
彼に出来るわけもなかった。

「お父様……」

マリンは荒れ狂う父を心配そうに見つめている。

太盛はベッドへダイブし、頭を枕に押し付けたまま、
四肢をバタバタさせ、スイミングの練習のような動きをした。

急に起き上がった太盛は、近くにあった椅子を持って
部屋中の窓ガラスを割ろうとしたが、フェルトが張って
あったのを思い出した。

弾道ミサイルの風圧でガラスは最初から割れていたのだった。

太盛は仕方ないので椅子を窓から投げ捨てた。

「ちょっと、落ち着きなさいよ太盛……」

ユーリの声も聞かず、太盛は廊下へ飛び出た。

宿の庭は広い。くつろげるベンチの先に小さな池がある。
一角には植物が並び、ちょっとした庭園風の雰囲気だ。

太盛は池へスマホの本体を投げた。
次に池へダイブし、なんとスマホを拾い上げた。

何をするつもりなのかとマリンが見守っていると、
どこからかテントのペグを打つ道具であるハンマーを片手に
スマホを割り始めた。小さな衝撃で本体は割れ、
内部の基盤が露出し、粉々になった。

太盛はそれだけでは気が収まらず、たき火をするために
巻木と手ごろな岩を探そうとしているところ、
宿の管理人に見つかって説教された。

激昂する太盛は逆に怒鳴るが、日本語なので何も通じない。
相手のモンゴル語も同様だった。これが言葉の壁である。

言葉の問題はさておき、昨夜も女二人が怒鳴りあいを
していた件も重なり、太盛一行は宿を追い出されてしまった。

まだ4日以上の宿泊代を前払いしている件を伝えると、
全額返してくれた。USドルをそのままである。

「ちくしょう。あんな安宿なんてもう忘れよう。
 ゾーンモドの中心地の一等ホテルにでも泊まるか」

「いいえ。お父様。ここはゲルを買いましょう」

「ゲル? おお、あのゲルをか」

朝9時を過ぎると町の店は開き始める。
その中でなんと日本人が経営しているテントの
販売代理店があった。

「最新式で日本の観光地にも卸している奴なら、
 お客さんたちにもおすすめっすね。
 この白い外観がいかにもゲルっぽくねえっすか?
 イベント会場とか、福岡や栃木の高原で実際に使われてるすよねー」

濃いひげを生やした青年店員が
紹介してくれたのは平凡なゲルだった。

男3人で組み立てに3時間。撤収に1時間。
ゲル内にベッドは最大で6台まで置けるし、
中央に薪ストーブを設置することができる。

つまり冬の寒さをしのぎつつ、
お湯を沸かしたりなどの炊事が可能なのである。

「実はオプションもあるっす。こんなのとか。
 最近の外モンゴルの近代化、まじぱねえっしょ?」

なんと、テレビを見るための衛星アンテナだった。

さらに入り口付近に設置する太陽光パネル、ネット受信用の
wi-fiアンテナ、子供用にニンテンドーDS、エレクトーンなど、
実に多彩なオプションである。

「お買い上げ、あざーっす。
 つか、おきゃさん、どんだけ金持ちなんすか!!
 こんなに一度に売れたこと、
 一度もねえんすけど。あじあざっす!!」

この代理店は恐るべきことにワゴン車まで発売していた。

これはモンゴル製ではなく、アジアの国から仕入れたという。
車の性能に信用性が全くないにも関わらず、
太盛はさっさと会計を済ませてしまった。

マリンは定員のチャラい話し方を不思議そうに眺めていた。
厳格な家庭で育った彼女にとっては
モンゴル語より不思議な言語だった。

人口が250万しかいないのに日本の数倍の国土を
誇る国なので、自動車保険など入る気にもなれなかった。
自賠責すら切らなくていいので楽だ。

こうして太盛達は一日にしてゲル、その他オプションと
ワゴン車まで手に入れた(マリンの金で)

「よし。残金はまだまだあるぞ」

なにせ預金が一億を超えているため、そう簡単に減るわけがない。
銀行に預け続ければ利息だけで
もうかるレベルである(低金利でなければ……)

おまけにゲルを買ったので今後は宿泊代を節約できる。

「なあユーリ。いっそここで仕事でも見つけるか?」

「どんな仕事よ」

「日本語の教師とか?」

「あなたにモンゴル語ができないと意味ないでしょ。
 生徒にどうやって現地語で指導するのよ」

「なに。言葉なんて住んでいればすぐ覚えられるものさ」

太盛達はワゴン車で草原を走り回った。
砂塵を上げながら道なき道をひたすら走った。

ガソリンは満タン。財布の中身も満タンである。
FMラジオのボタンを押すとモンゴル・ポップス(Mポップ)が
流れ始めた。バラードの調の美声が広大な風景に妙にあっていた。

「私は遊牧民に興味がありますわ。獣の世話など」

「マリンは遊牧民にでもなりたいのかい?」

「社会勉強ですわ。ここはかつてチンギスハンが支配した
 モンゴル帝国なのでしょう? あれだけ強かった人たちが
 どんな生活をしていたのか気になりますわ」

「あの山の先にゲルの集落がある。
 ちょっと寄って話でもしてみるか」

のんきにハンドルを切る太盛。
好奇心に満ちたマリン。不安で仕方ないユーリ。

それぞれ異なる思いを抱えながら、ワゴン車は
無限に続く大地を走っていく。

はたして彼らの先にどんな試練が待ち構えているのか。


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