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作品名:モンゴルへの逃避 作者:なおちー

第1回   1
「エリカ、君とはしばらく会いたくないんだ」


太盛(せまる)がモンゴルの首都、ウランバートルへ着いたのは
九月の中頃だった。東京に比べて気温が10度低い。
夜はかなり冷え込むのでダウンジャケットが役に立った。

モンゴルは遊牧民の国である。

太盛は中世の街並みを想像していたが、橋や鉄道はもちろん、
国会議事堂まである。十分に都市化していた。

ソビエトに併合されていた時代に作られた集合住宅が多い。
電気ガス水道の通った高級アパートはひときわ目を引いた。
近代的な生活を享受できる場所は、モンゴル国民のあこがれらしい。

ここは日中と夜で寒暖の差が激しい。

「さてと、初日は館に泊まろうか」

太盛が言うと、隣に立つユーリはうなずいた。
ユーリは茶色のロングヘアーが特徴の女性だ。
太盛の7歳年下で26。まだまだ女の盛りだ。

「手をつないで歩こう」

「よろしいのですか? 
どこに刺客が潜んでいるか分かりませんが」

「いいんだよ。初日だし、少しは気を抜こうよ」

「太盛様がそうおっしゃるのでしたら」

太盛とは愛人関係だったが、モンゴル内では夫婦として
振舞うと約束していた。使用人と思われないようにと
隣に並んで歩く姿がどこかぎこちない。

太盛は小柄で身長が167センチだ。
長身女性のユーリと2センチしか差がない。

ユーリは緊張とうれしさから握る手にずいぶんと
力がこもっていて、太盛を驚かせた。

ホテルで一夜を明かした後、ウランバートル市街の外へ出てみた。

ウランバートル周辺には観光地が点在する。
観光客を呼び込むために宿泊体験ができるゲルや
仏教遺跡などの歴史的建造物がある。

他の観光客は車で移動するが、太盛とユーリは荷物持ちの
馬と共に歩いた。特に行き先は決めてない。

首都から離れた場所で日中を過ごしたかったのだ。

向かう先はどこも地平線であり、距離感を狂わせる。
青く澄んだ空は故郷の日本を思わせた。
右手側に山を見ながら適当に進んだ。

ゲルが4個並ぶ集落があった。
家畜がいる場所には大きな柵がしてある。
放牧中なので家畜は外に出ていた。

あたりはひたすら草原が続くばかり。
2頭の馬に乗った子供たちが、羊を追っている。
羊が逃げないように器用に追い詰め、走らせる。

太盛達は集落から離れた場所で馬を止めて
昼食をとることにした。馬上の子供たちが不思議そうに
太盛達を見ていたが、すぐに興味をなくした。

モンゴルの食事は大きく分けて二つ。
白い食べ物である乳製品と赤い食べ物である肉類だ。

保存食は町を出る前に買い込んでおいた。
馬に背負わせた分と太盛の登山用ザックの分を
合わせて、結構な数の日用品が入っていた。

「決して美味しい味ではありませんね」

「そのうち慣れると思うけどな。
 ヤギや羊の肉は体が慣れてないから
 お腹を下さないと良いね」

「そういえば、トイレはあるのですか?」

「あるわけないだろ。みんなその辺に穴を掘って済ませるのさ。
 体を隠すために大きめのタオルを持っていくといいらしいぞ」

ユーリは、あからさまに嫌そうな顔をした。
20代の女性なら誰だってそうだろう。
太盛は適当な時間に引き上げてホテルに戻ると説明した。

「でも、一日くらいテントで泊まってみたいです」

「どっちなんだ君は」

「アウトドア生活は憧れでした。
 私はお屋敷に来てからずっと缶詰でしたから」

「それは俺も同じだ。会社と家を往復する毎日だったからな。
キャンプはマリンが幼稚園の時にやったのが最後だ」

太盛が手慣れた様子でまずグラウンドシートを地面にしく。
次にインナーテント(テントを畳んだ状態)を広げ、
地面にペグを打ち込んでいく。

ペグと張り縄をテントの周囲に円を描くよう、
八角形にしっかりと固定した。

風が穏やかなので設営が楽だった。
2人が泊まるだけなので、日本で買ったインディアン式の
ポールテントだ。大人4人が寝ころべるほどのスペースがあるため、
中に荷物をまとめて置ける。

このテントは1人でも簡単に設営ができるだけでなく、
風に強い。外から見ると、草原に出現した黄色いとんがり帽子である。
天幕の中央を一本の太いポールで持ち上げる構造なのだ。

太盛が汗をタオルで拭きながらテントを見上げた。

「このテント、強風で飛ばされるかもしれないな」

「しっかり張り縄をしたのに心配?
モンゴルの風はそんなに強いのですか?」

「半端じゃないよ。草原は風をさえぎるものがないからな。
  急な突風が来たらまじで飛ばされるかも」

「もしだめそうでしたら、首都へ引き返しましょう」

集落のゲルがユーリの視界に入る。
入り口にアンテナと太陽光パネルが取りつけてある。

「思っていたより近代的な生活をしているんですね」

太盛もユーリと同じ方向を見た。

「テレビで見たことあるけど、中は快適そうだね。
  季節ごとに場所を移動するらしい」

「そうなのですか」

「家畜が食べる草の量に影響するみたいだよ。
 冬場は草が減るからね」

ゲルの入り口部分の扉が開き、おじいさんがでてきた。
テント内で干している羊の肉を管理しているのだ。
彼らはゲルの出入りを繰り返して家事をこなすのだ。

「私たちも快適なゲル生活がしてみたいですね」

「おっ、君はテント生活に興味があるのか」

「生で見ると楽しそうで興味がわきました。
日常から離れて少しワクワクするじゃないですか」

今どきの遊牧民はアンテナを常に持ち運ぶ。
ゲルの中でテレビが見放題だ。ネット環境の普及も目覚ましい。
携帯電話の所有率は100パーセントを超えているらしい

「太盛様。モンゴルの空気はこんなに乾燥しているのですね」

「そうだね。肌に感じる風の冷たさが日本の非じゃないね。
 九月でこんなに涼しく感じるとは」

「それと空をよく見ていないと。
いつ天気が変わるか分かりませんから」

「夕方になる前にまた町の宿へ戻ろうか」

「来月は相当な冷え込みになりますから、
携帯用コット(ベッド)を買っておきましょう。
床からの冷気を防げます」

「そこまで必要かな? 冬になったら俺らのちっぽけなテントじゃ
 寒さに耐えられないと思うけど。宿に泊まるのが一番だよ」

「大雨の時などは仕方ありませんが、
天気の良い日はテントで泊まるべきです。
 節約しないと、今後の生活が……。あっ」

ユーリがしまったと言いたそうな顔をした。

「急にどうした?」

「なんでもありません」

「怒らないから、素直に言ってくれ」

「その、私たちにはもう、お金は
意味のないものかと思ったものですから」

「ああ、なるほど」

太盛がせつない顔でチーズをほおばる。
会話が止まってしまった。
ユーリは太盛が話し始めるまで待つことにした。


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