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作品名:孤島生活  作者:なおちー

第8回   ユーリが消えた
「ユーリがいなくなった?」

「はい。奥様。この件は急を要します」


その不穏な報告は朝一番にやってきた。

鈴原が早起きのエリカの部屋の扉をノックし、
緊急事態だからとリビングへと呼んだのだ。


「最後にユーリを見たのはいつかしら?」

「昨夜、ミウが夕食を共にしましたが、
  そのあとは誰も見ていないようです」


リビングの高級ソファに優雅に腰かけるエリカ。
鈴原の話を聞いているうちに眉間にしわが寄る。


「ミウとユーリの夕食の時間は8時以降よね?」

「はい。そのあと夜の見回りの当番がありますが、
  昨夜はミウが当番だったようです。ミウは見回り後、
  ユーリが自室で睡眠をとってるものだと
   思っていたのですが、今朝起きると
   部屋には誰もいなかったそうです」

そばで立っている鈴原は冷静な態度を崩そうとしない。

エリカは、緊急事態だというのに鈴原の執事としての
徹底した態度に感心していた。

鈴原は執事長の立場だから、若いメイドのユーリが
行方不明になって気が動転しそうなほどのショックを
受けてもおかしくないのに。

「みんな、おっはぁ!! お腹すいてやばいんだけど。
  朝ごはんの支度はできてるぅ?」

アホっぽい口調のレナが空気を読まずに入ってきた。

レナは毎日島の大自然で遊ぶのが楽しくて
早起きなのだ。時刻は朝の6時を過ぎたあたりである。


「レナお嬢様。口調に品がないかと」

「は? うぜーし。お嬢様言葉とか使ってるやつ
  今どきいないっしょ」

鈴原の指摘もどこ吹く風。
これでは不良少女と呼ばれてもおかしくなない。

「はぁ……」

鈴原の深いため息。

「またお嬢様はテレビドラマの影響を受けたのですね。
  多感なお年頃とはいえ……お母さまの前でも
   その口調で通すおつもりですか?」

「あったりまえじゃん。ママなんかこわくねーし!!
  つか、鈴原もいちいち細かいことばっか言ってきてうっせえし」

すると部屋のすみのソファに腰かけていたエリカが立ち上がり、

「私ならここにいますが?」

「げ……!! ママいたの!?」

「レナ。その品のない口調はどうしたの?
  ふざけてるの? それにパジャマ姿のまま
  リビングに来るとはどういうつもり?」

「ぐ……うぜー」

「早く顔を洗ってらっしゃい。髪の毛もぼさぼさじゃないの」

「もうそういうの嫌だぁ!!」

吠えるレナ。

「なんでレナはいっつもママの言われた通りにしないといけないの!?
  レナは自由に生きたいんだよ!! 起きたい時に起きて、
   寝たい時に寝るの。ママの操り人形になるのはいやぁ!!」

レナの魂の叫びだった。

「レナだけじゃないもん。カリンだって言ってるよ!! 
  自由が欲しいって!! ママは細かいことばっかり
   言ってきてうるさいんだよ!!
    こんな生活じゃあ息がつまっちゃうよ!!」

ママに厳しい教育をされた反動で早めの反抗期を迎えていたのだ。

レナの訴えをエリカは黙って聞いていた。


本来ならば長時間説教コースが始まるところだが、
今はユーリが失踪したばかりで
子供の反抗期に付き合っている場合ではなかった。


「……言いたいことはそれだけかしら?」


レナの頬のすぐ横を、何かが通り過ぎた

壁に当たった後、床に転がる。

それは食事で使われるナイフだった。
豪華な代物なので切れ味はそれなりにある。


「レナ。私は着替えて顔を洗ってらっしゃいと言ったのよ。
  理解できたかしら?」

「はい……お母さま」

もしここでふざけでもしたら、
自分が今夜のひき肉にされるかもしれない。

レナは全力疾走で自分の部屋に戻っていった。


そのあと遅れてやってきたカリンと一緒に
仲良くお食事の時間になった。

いつもパパやママがいてくれるはずの食堂の席はガラガラだった。
横長の白テーブルを双子の姉妹だけが占拠しており、
なんともさみしい朝の光景だった。

時計の針はもうすぐ7時を指そうとしている。
この時間に大食いのジョウンさえいないのは不自然だった。

「あるぇ? 今日はママたちは一緒に食べないの?」

「えっと、奥様達は忙しいので今日は時間をずらして
  食べるそうですよ?」

レナの問いに対し、ミウがばつの悪そうな顔をしたのを
カリンは見逃さなかった。

「ミウ。それは事件が起きたってこと?」

「正直分かりません。私が聞きたいくらいですからねぇ」

真剣な顔で聞いたのに軽くいなされてしまい、
腹を立てるカリン。ミウは罰が悪くなって目をそらした。

子供たちが不安がるから、ユーリの失踪は
口にしないようエリカから言われていたのだ。

大人たちはリビングで緊急会議を開いており、
朝食どころではない。ユーリが外部の者によって
さらわれた可能性もある以上、子供たちの外出は厳禁とした。

実はジョウンすでに外へ捜索に出てる。
ジョウンは使用人の中で特にユーリに思い入れがあったのだ。


「こんな地味なご飯ってめずらしいねぇ」

「ほんとね。やっぱり何かあったに違いないよ」

レナとカリンが後藤の作ってくれたご飯を
もしゃもしゃとつまらなそうに食べてる。

レナの語尾は間延びしていて、よくカリンに
からかわれる。いわゆる同性から嫌われるぶりっこの口調だ。
レナはつくっているわけではなく、素の話し方なのだが。

「マリンちゃんはまだ寝てるのかなぁ?」

「ああいうのを低血圧っていうんだっけ?
  病気みたいなものだってお父様が言ってたわ」

今日のメニューはご飯とみそ汁と焼き魚。
申し訳程度に特製のカスタードプリンがついてる。

「レナのプリンちょーだい」

「は? うぜーし。バかりんなんかにやるわけないじゃん」

「なにそのしゃべりかた? 時代遅れのギャルみたいじゃん」

「今どきの若者はこういう口調で話すっしょ。まじパないよね?」

「あははっ。分かった。あのドラマのセリフを真似してるのね」

ママが見てたらすぐにお叱りを受けたことだろう。

盛り上がる双子を壁際に立つミウは黙って見ている。

彼女は子供の世話を任されてるからここにいるのだが、
頭はユーリのことでいっぱいになっている。

今すぐにでもジョウンに着いていきたかった。

この屋敷にきて実に10年。メイド仲間のユーリとは
友を超えた深い絆で結ばれていた。

「ミウってば!!」

「……は?」

考え事をしていて、怜奈(レナ)に呼ばれてるのに気づいてなかった。

「今日はお外で遊んでいいのかな?
  よほーだと午後まで晴れてるんでしょ?」

「それは……奥様が許可してくれないのであきらめてください」

「なんでー!!」

「レナお嬢様、世の中には分からなくて良いことが
  たくさんあるのです。今日はお部屋で私と
   遊びましょう。お勉強の後にですけどね」

「うええ」

嫌そうな顔をするレナ。カリンも同じ表情だった。

意気地のない2人に活を入れるために、ミウが声を張り上げる。

「Eat up!! ladys!! it's not time for joke!!
eat or call you'r mother right here」

(さっさと食べてしまいなさい。冗談ではないのですよ。
   さもないとお母さまを呼びますよ)

双子はミウの甲高い英語で言われるとおとなしくなるのだった。



さて。お昼を回るごろにジョウンが捜索から帰ってきた。

くやしそうに歯を食いしばっている。

鈴原がいぶし銀にお辞儀をして玄関で出迎える

「おかえりなさいませクッパ様。その様子ですとユーリは……」

「森中を駆け回ったのだがな。ついに見つけられなかったよ。
 もちろん海岸沿いも見てきたが、いなかった」

「ユーリが島から脱出した可能性は考えられますか?」

「おそらくないだろう。なにせ海岸に足跡すらなかった。
  ボートなどを使った形跡は見つからなかったぞ。
  それにあの子に脱走した後の行く当てがあるとは思えないな」

ユーリに身寄りがないことをジョウンは知っていた。

それは彼女の不幸の過去が関係しているのだが、
ここではまだ明かさない。

ちなみに島を海岸沿いに走り続けるには
マラソンランナー並みの体力が必要になる。

その程度の距離などクッパ(ジョウン)にとっては朝飯前なの
だからおそろしい。ちなみにジョウンのあだ名はクッパに変わった。

なぜなら、結婚してからのジョウンはますますたくましい
ガタイになり、また顔つきも鬼のように怖いので
スーパーマリオのクッパにそっくりだった。

彼女にはナツミという本名があるのだが、
まじめな鈴原も含めて屋敷の全員が忘れてしまった。

「左様でございますか。他に探していない場所となると……」

鈴原の顔が渋みを増す

「うむ。あの険しい山岳しかないな」

クッパも忌(いま)まわしそうに目を閉じている。

島の半分を占める山岳部は、低山や高山が連なる峠道もある
その道程は、基本的に獣道であるから一からの開拓になる。
まさしく人の手をかかっていない自然の山であった。

登れそうな斜面を整備するだけでも至難の業である。

低山(250メートル)の神社へ
続く道だけは太盛父が整備してくれた。


「だが普通に考えて、ユーリがそんなところへ行ったりするだろか?
   あそこは人間の手がかかってない本物の大自然だ。
    命知らずにしてもほどがある」

「私もクッパ様と同意見でございます。
  となると、あと考えられるのは」

「誘拐……か?」

クッパが目を細める。

ここは島であるから、陸続きの土地と違って国境があるわけではない。
侵入経路はいくつもある。海上からはもちろん、山などに
パラシュート降下して館へ侵入したという可能性も考えられる。


「2人とも、中に入って頂戴」

玄関の中からエリカの声。隣に太盛も立っている。


「犯人から脅迫状が届いたわ」

その言葉に戦慄するクッパと鈴原。
さっそくリビングへ集合する。

犯人の手紙は丁寧にも封筒に入っていた。

手紙にはこう書かれている。

『拝啓。突然お屋敷の使用人であるお嬢さん(ユーリ)を
  さらってしまったことを申し訳ないと思っている。
  だが私はどうしても知りたかったのだ。
  この島に住むと言われる怪獣のことを』

『怪獣は、熊を素手で倒せるレベルの武闘家だと聞く。
  私は君たちが低山と呼称する山の神社で待っている。
  安心してくれ。怪物君が来るまではお嬢には手を出さない』


読み終えた太盛は激しく動揺し、

「実にくだらない子供だましの手紙だ!!」

柄にもなくが拳をテーブルに振り下ろした。

「ユーリを誘拐した犯人が手紙を出すだって!?
  ありえない!! 仮にこの手紙が本物だとして、
   犯人はどうやって手紙を玄関の前に置いて行ったんだ!?」

「太盛様の言う通りですわ」

とエリカが言う。

「本当にユーリを誘拐した後にこの手紙を出したのでしょうか?
  この屋敷の庭中に赤外線センサーが網のように張られていて、
   部外者が接近すると警報が鳴ります」

「僕の親父殿の作ってくれたソ連式の迎撃システムを
  かいくぐってくるほどの手練れ?
  もしくは内部にスパイがいた可能性も……」

「お気持ちはわかりますが、さすがにスパイ説は
  言いすぎですわ。わたくしたちはみな家族であり、
   運命共同体です」

「……そうだな。すまないエリカ」

この手紙は、どういうわけかクッパが帰ってきくる
少し前に、何の前触れもなく玄関の前に置いてあったのだ。

まるで米国の新聞配達員が、玄関前の芝生へと
自転車から新聞を投げ捨てていくかのように。


「それが……奥様」

鈴原が申し訳なさそうに言う。

「実は今朝から何者かのサンバー攻撃を受けていたようで、
  コントロール室のすべての危機が故障しております。
   監視カメラの映像も操作されております」

「なんですってぇ!?」

館の外部に設置された監視カメラ(暴風防水仕様)の映像は、

信じられないことに録画済みの平穏な景色だけを移し続けていた。
つまり録画した映像を繰り返し流していて、
あたかもいつもの日常が続いてるように見せかけたのだ。


今日の午前中、ミウと後藤が地下のコントロール室で
監視していたのに犯人を見つけられなかったのはそのためだ。

ちなみに家族として認められない不審者が館に侵入した場合、
警報が鳴って館の使用人たちが臨戦態勢になる。

武器は非常に豊富であり、地下にある武器庫には
対戦車ロケットランチャーや重機関銃を含む、
籠城戦に備えたあらゆる武器弾薬が揃えられていた。

弾薬の量も豊富であり、まる一か月は戦い抜ける量である。

裏の格納庫には2丁の重機関銃を装備した装甲車が2台もある。
屋敷そのものを一つの塹壕や要塞に見立てて防戦をするのである。

これら武器の管理を任されていたのは、執事の鈴原である。
太盛の父が万が一の場合に備えて用意してくれたものだ。

確かに日本の法律では銃刀法違反になるのだが、
この孤島は実質的には法の外にある僻地(へきち)である。

侵入を防げなかった場合の最後の手段として、
館の地下に自爆装置が用意してある。
死ねばもろとも。これがソ連式なのである。


「どのようにサイバー攻撃を行ったかは不明ですが、
  犯人は計画的にユーリを誘拐したものと思われます」

「確かに鈴原の言うとおりね。これは明確な犯行の意思があるわ。
  それもただの愉快犯ではなく、
   訓練されたスパイだと思わったほうがいいわね」

「おい。まだ不審なものがあるぞ」

太盛が見たのは、巨大な封筒のほかに置かれていた不思議な帽子だ。

クっパが手に取ってみる。

「このデザイン、懐かしいな。太盛とエリカは知ってるんじゃないのか?」

かぶりを振る2人。

クッパはやれやれといった様子で

「スーパーマリオの弟だよ。
  お前たちも子供のころはよくプレイしたろ?」

「あぁ。ルイージのことを言っているんですの」

「ってことは、それはルイージの帽子ってわけか。
  マリオのとは色もデザインも違うから最初は全然気づかなかったな。
   しかし、なぜ帽子を置いて行ったんだ? 何か意味があるのか?」

長考の末、太盛に鈴原が答えた。

「……分かりませんな。犯人の趣向なのかもしれませんが」

エリカは難しい顔をして黙っていた。

クッパも目を閉じて考え事をしてる。


犯人の得体が知れないために今回の事件の異常さに
全員が戦慄していた。シンヤノモリのような鹿ハンターとは違い、
相手はプロの誘拐魔である。それもサイバー攻撃を
実施してくることから、事前に館の情報を知っていたことになる。

永遠にも似た沈黙を破ったのは、寝坊魔のマリンだった。


「みなさん。ごきげんよう。
  今日もお布団が気持ちよくて、
   こんな時間まで寝てしまいましたわ」


きちんと身支度を整えているあたりがレナとはまるで違う。
お嬢様口調も板についてる。話すときの笑顔も自然で好印象だ。

エリカはマリンがいると不機嫌そうに視線をそらすのだった。

自分の生んだ娘ではないのにレナカノ姉妹よりも
洗練されたお嬢様になっていて、内心は気に入らないのだ。

クッパは大好きな娘の頭を撫でてあげようとすると、距離を取られて
ショックを受けた。マリンはクッパに襲われると思ったのだ。


「いけないことだと分かっておりましたが、
  先ほどからお父様たちのお話を聞いていました。
   ユーリをさらった犯人を倒しに行くのですか?」

とクッパに言うマリン。

確かに話の流れからして彼女のお母さまであるクッパが
山を登って倒しに行けばいい話なのだ。


犯人は山で待ってると果たし状まで書いてある以上
いかなければなるまい。

なによりクッパの戦闘力ならば、たとえソ連軍特殊部隊なみの
戦闘力を持つ男だったとしても相手にならないと思われた。

太盛たちは、クッパが拳を振れば竜巻が起こると信じていたので、
英雄として見送ることにした。


一行は館から出て山岳部の入り口である低山のふもとまで来た。

念のため、エリカと太盛は銃(サブマシンガン)で武装してある。
見送り組は太盛、エリカ、鈴原、そしてマリンである。

マリンは両親から猛反対されたが、どうしても見送りに
行きたいと言ってきかなかったのだ。

「どうかお気を付けて。私はここで
  お母さまが無事に帰ってこれることを神に祈ってますわ」

「JC様。できることなら犯人を殺さないようお願いします。
   館で尋問をいたしますので」

マリンと鈴原に言われて、任せておけとにっこり笑うJC。

ちなみにJCもクッパのあだ名だ。ジョウン・クッパを略してる。
ここの人々は気分によってクッパ、JCと呼び分けた。

太盛とエリカにも応援の言葉をかけられ、いよいよ
彼らに背中を見せて山の入り口に
一歩を足を踏み入れようとしたその時だった。


一発の銃声が鳴る。


それはスナイパーライフルの狙撃だった。

銃弾の直撃を受けたクッパがうつぶせに倒れる。


彼女の頭から血が出ている。

目は見開いたままだ。


とつぜんだが、クッパは死んでしまった。


「は……?」


間の抜けた声を発した太盛と同様、他の全員も立ち尽くした。

あまりにも突然の出来事だったので現実とは思えなかった。


クッパの死体の周りに血が広がっていく。

銃弾は後頭部を貫通していたのだった。


「ここにいるとみんな撃ち殺されますわ!!」


声を張り上げたのはマリンだった。

全員が我を取り戻し、館へと疾走する。


クッパの死体は重くて持ち上げることができないので
仕方なく現場に放置した。

鈴原が後衛につき、何度も後ろを振り返りながら
追ってくるものがいないか警戒をつづけた。

幸いなことに追撃はなく、4人は無事に館についた。

すぐに手分けして屋敷中の窓と扉を施錠した。


「ちょ……いったい何があったんですかぁ!?」

驚くミウに太盛が一部始終を説明し、すぐに武装させた。

家族全員をだだっ広い食堂に集めて、テーブルやいすなどを
窓と扉の前に集めてバリケード代わりにする。



エリカは緊張を通り越して過呼吸になっていた。

「はぁはぁはぁ……ふぅ……はぁはぁはぁ……」

太盛を監禁した10年前の残酷さはどこへ消えたのか。
いざ自分が命を狙われる側になると小動物のように縮こまるばかり。

「エリカおば様。どうか落ち着いてください。
  これだけ人数がいれば、犯人はすぐには
   仕掛けてきませんわ」

太盛にはおびえるエリカの姿が滑稽(こっけい)だった。

マリンの励ましの声も耳には入っていないよで、
頭を抱えて椅子に座り込んでいた。

「太盛様……せまるさまぁ……絶対にエリカのそばを
  離れないでくださいね……」

「エリカ。大丈夫だ。僕がついてる」

子猫のように太盛の胸に頭を沈め、しくしくと泣き続けている。

太盛の片方の妻であるクッパが銃殺されたのだ。
それもエリカたちの見てる前であっさりと。

殺害現場を見た人で精神的な後遺症を残す人はどこの世界にも存在する。

クッパは犯人が頂上で待っているという手紙に油断した。

犯人はいつでも家族全員を銃殺できるよう、スコープ越しに
狙いをつけていたのだ。この大自然の中で、どこに潜んでるか
見当もつかない。それこそ訓練された軍人でもなければ。

「マリンは無理して強がらなくていいんだぞ。
  こんな状況じゃあ発狂してもおかしくない。
  怖くはないのか?」

「私だって本当は怖いですわ。
  でもお父様たちと一緒にいれば安心ですの。
   みんなが守ってくださるんですから」

「君は……強い子だね。マリン」

娘の気丈な様子に底知れぬ恐怖を覚える太盛。

現に自分の母親が殺されたというのに、取り乱さないところか、
涙一つ流さないのだ。人の血が流れている子供なのだろうかと
疑ってしまうほどだ。

山で引き返すよう全員を先導したのもマリンだった。
この危機的状況で恐るべき機転が利くことに驚愕(きょうがく)する。

狼狽してるエリカとはまるで正反対。
わずか9歳の娘にしては異常なほど落ち着いていた。


ミウも同じことを考えていたので、ためらいがちに聞く。

「お母さんのこと、悲しくないですか? 
  泣きたかったら遠慮なく泣いていいんですよ?」

「わたくしは、強い子になれとお母さまに命じられましたから。
  まだ犯人が生きてる状況で泣いている暇などありません」

「そ……そうですか」

真顔で言われてしまっては、ミウには返す言葉がなかった。

レナとカリンはミウから離れようとしない。
緊急の呼び出しを食らってお勉強がサボれると喜んでいたら、
とんでもない事態になっていた。

「……ここにいたら、わたくしたちは
  全員殺されてしまうんですわ。
   この館がわたくしたちの墓場になるんです」

「エリカ。僕たちが結束すればどうにかなるさ」

取り乱すエリカの様子が、子供たちの不安をますますあおるのだった。
子供を叱るときの鬼の顔も迫力もなにもない。

父親にすがるように太盛の胸に顔を預ける母の姿は
本当に弱い女性として映った。

「太盛様。手を握ってください」

「あはは。さっきからずっと握ってるじゃないか」

「その手をずっと離さないで。
  太盛さんにはずっと私のそばにいてほしいのです」

深い意味の言葉だった。

いよいよ命の危険を感じた時にこそ人の本音が出るというもの。

エリカは形こそ間違えていたかもしれないが、太盛のことを
心から愛していた。だから仮に犯人の襲撃を受けて
皆殺しにされたとしても、せめて太盛のそばにいたかったのだ。

そんなエリカの手を強く握って話さない太盛もまた、
エリカに情がある証拠だった。

(なぜだ? エリカのことは殺したいほど憎んでいたのに)

愛想をつかしたはずの妻の知らない一面を見てしまったから。
たまらなく弱い存在だと知ってしまったから。

考えても理由は分からないのでやめた。


「……こんな時に夫婦のイチャラブシーンなんか見たくないぜ。
  私らガチで殺されるんじゃね?」

「……うん。マジはんぱねー状況だな」

チャラい口調のレナとカリン。

この状況ではどういう口調で
話してもママに注意されることはないので緊張感がなかった。

「あのさぁレナ」

「なんだよカリン? つかおまえまで
  なんで私の口調が移ってるの?」

「ぶっちゃけクッパが即死だったんでしょ?
  私らが戦ったところで勝ち目なくね?
   つーかここにいても確実に襲われるでしょ」

「あー。私も同じことを考えていたんだよ。
  こっちから襲い掛かるとか、いい考えだね」

そして双子がそのことをミウに報告すると怒られた。

「外に出るなんてもってのほかですよ!!
  レナ様にカリン様。犯人が庭にでも潜んでいたら
   すぐ撃たれちゃいますよ!!」

「あっそ」とふてくされるレナ。

「ならせめて私たちにも銃をちょうだい?
  自分の身くらい自分で守らないといけないでしょ?
   カリンたちだって武装すれば少しは戦力になるんじゃないの?」

と冷静にカリンに突っ込まれると、ミウは太盛に助けを求めた。


「別にいいんじゃないか? 
  無反動のマシンガンなら使いやすいだろう
  簡単に操作を教えてあげてくれ」

「太盛様がそうおっしゃるなら、仕方ありませんね」

ミウがウージー(小型サブマシンガン)を姉妹に渡して、
構え方、セーフティの外し方、照準のつけかたを教えた。

「この銃、まじかっけー!!」

「イギリスのスパイ映画に出てきたのと似てない!?」

女の子だというのに、目を輝かせる2人。
事の深刻さが分かっている割りには軽いノリだった。

「ほんと、まじパねえっす!!」

「こら、3人ともこんな時にふざけないでくれ。
  自分たちの命がかかってるってことを忘れたのか?」

「全くですよ。今銃の使い方を教えますから、こっちにきてくだs……」

太盛とミウが呆れた声を出した時である。
部屋にいた全員が異変に気付いた。

『ん!?』

一同が唖然としたのは、いつのまにかリビングに知らない人が
現れたからだった。つい先ほど、太盛は3人とも……と言った。

つまり3人がふざけていたわけだ。レナとカリンはいいとして、
マリンがふざけるわけがない。ということは……

「うっす。お邪魔してさーせん」

このチャラい口調で話す者こそ、不審人物に違いなかった。
例のルイージの帽子をかぶり、細長い顔に口ひげを生やしている。

本物のルイージにそっくりだが、唯一違うのは
凶悪な悪人面だった。恐ろしく目つきが悪い。

「お、おまえは……いったいなにを……」

「あっ、太盛さん。なんか急にお邪魔しちゃってサセンっす。
  なんか、館のみんながパニック起こしちゃってる
   みたいなんで、ちょっと気になって中に入っちゃいました。
    あ、俺のことはルイージって呼んでくださいっす」

太盛は、それ以上の言葉が出なかった。

ルイージという男はどういうわけか、リビングのソファに座っている。
いつからいたのか、どうやってここに入ったのか。見当もつかなかった。

ルイージのノリは軽い。それに多弁だった。

寡黙(かもく)なスパイを想像していた大人組はまさしく言葉を失った。
ルイージがJCを射殺した本人とはとても思えないほどだ。


(こいつを殺せ。殺すんだ)

太盛はテーブルに置いた銃へ手を伸ばそうとしていた。

このルイージ帽子をかぶった中肉中背の男が
犯人だと断定する根拠は十分にあったが、いまだ決心がつかない。

エリカは隠し持っていた銃を構えようとしたが、
恐怖と動揺のあまり照準が合わない。

一番最初にショックから立ち直り、行動に移ったのはミウだった。

「動くと打ちます」

「ちょ……いきなり銃を構えるとかありえねえっす!!
  そーゆーのうぜえんで。まじ勘弁してくださいっすよ!!」

「無駄口をたたかないで!!
  おとなしく手を上げないなら今すぐ射殺するわ!!」

「その前にちょっとこれ見てもらっていいっすか?」

ルイージはコートを着ていた。

ソファから立ち上がってコートを変質者のように開くと
内側に手りゅう弾が大量に張り付けられていた。

その数は軽く10を超える。

「あのー。打つのは自由なんすけど、俺の体に当たった瞬間
  手りゅう弾が誘爆してパねえ威力になるっすよ?
  グレネードランチャーを連射したくらいの
   被害が出ると思ってもらっていいですか?」

グレランは、主に米国の警察が使用している。
犯人のこもっている部屋全体を爆破、制圧するための兵器だ。

つまりルイージを打てば確実に全員が死ぬ。

「ならば足を打てば!!」

「サーセン、ミウさん。信じてもらえないかもしれないんすけど、
  実は俺、ズボンの内側にも手りゅう弾を仕込んでるんで」

チャラ男口調で言われて信じろというほうが無理だが、
つい先ほどコートの手りゅう弾を見せられたばかりだ。

それに誰にも気づかれずリビングでくつろいでいたという、
驚異的な潜入能力を持つ超人であることは絶対の事実。

「ちなみにヘッドショットを狙おうとしても無駄っすよ。
  手りゅう弾のピンをはずすの、ミウさんが打つのより
   たぶんこっちのが速いんで」

ミウは怒りに震えながら銃をおろした。

ルイージは不敵な笑みを浮かべてソファに座る。

「あざっす。これで普通に話ができそうっすね」

「何が目的だ!!」

太盛が声を荒げる。

「ちょ……。いきなり怒鳴られると心臓止まるじゃないっすか。
  俺、ビビりなんで勘弁してくださいっすよ」

「そういうのはいいから、早く本題を話せよ。要求はなんだ?」

「いや、最初の目的はジョウンを倒すことだったんすよ。
  素手じゃ無理だと思ったんで、銃殺しちゃいましたけど」

「なぜ殺した!? おまえはジョウンに何の恨みがあった?
  ジョウンと面識はなかったはずだ」

「別に館の人たちに恨みはねえんすよ。むしろファンっす。
  実は3年前から日本周辺の離島の調査とか
  やってたんすよね。ちょっと仕事でね。
   そしたら太盛さん一家を偶然見つけちまって、
    すげえ興味がわいたんすよ」

「仕事だと……? しかも3年前から?」

「ちなみにジョウンは戦闘力が高かったんで、さきにやっちまいました。
  あいつがいるといろいろ邪魔してきそうじゃないっすか」

とんでもない事実が次々に明らかになり、
さすがに理解が追い付いていかなかった。

3年前は今と変わらず家族全員が平和に暮らしていた。
コントロール室と連動してる監視カメラは常に
確認していたし、監視塔からの目視もある。

島に接近しようとする怪しい船はすべて追い返すか、
海上保安庁に通報するなどして対処していた。

太盛とエリカの婚約時代にシンヤノモリが
潜入してきた教訓を生かして、太盛の父が警備にかかる
費用を払ってくれたため、現在の迎撃システムがあるのだ。

「太盛さん、顔色悪いっすよ?」

ルイージの言う通りで太盛は血の気が失せていた。
このまま気絶してしまえばどれだけ楽かと思った。

エリカは彼の腕にしがみついたまま離れようとしない。

あの鈴原でさえ頭を抱えており、
ミウは絶望的な顔で立ち尽くしている。
後藤は十字架を取り出して神に祈りをささげていた。

「あの。話し続けていいっすか?」
  実は俺、北朝鮮の外務省でアルバイトやってるんすよね。
   で、今回の任務は外国語に堪能な日本人を拉致して
   こいってことなんですよ。嘘じゃねえっすよ?」

「つまりおまえは……屋敷中の人間を北朝鮮に拉致するのが目的なのか……」

太盛の問いに対し、ルイージが答える。

「俺が欲しいのは若い女だけっすかね。
  ユーリさんなんか美人だし、英語もペラペラで最高っすよね。
   あと欲しいのは、そこにいるミウさんす」

指をさされたミウは発狂しそうなほどの衝撃を受けていた。

「人身売買の世界だと、日本人って実はアジア人で
  一番値段が高いんすよね。若い女2人ならなおさらっすよ。
    あ、話長くてサーセンっす。
    つーわけで、ミウさんさらってもいいっすか?」

あまりにも軽すぎる誘拐宣言。

エリカはショックのあまり気を失ってしまい、後藤も続けて倒れた。

使用人であり家族の一員であるミウが、なぜ北朝鮮の
外務省から派遣された男に拉致されなくてはならないのか。

この男にそんな権利があるのか。

太盛は濁流(だくりゅう)のごとく
押し寄せる怒りの感情を抑えることができなかった。

ルイージにばれないように鈴原とアイコンタクトした。

最悪、自分たちが全員死んでもこの男を銃殺するべきだと。

ルイージは確かに手りゅう弾を大量に保持しているが、
ミウを黙って差し出すなら全員死んだほうがましだと考えた。

ユーリは、おそらく舟か何かに乗せられてまだ生きているのだろう。
人質だからだ。自分たちが全員木っ端みじんになっても、
ユーリだけは生き残るチャンスがある。それで十分だった。

家族とは死んでからあの世で再開すればいい。

覚悟を決めた太盛と鈴原が、3秒後に
合図して銃を構えようとしたその時だった。

「そんな要求を受け入れるわけにはいきません!!」

なんと。それはマリンの声だった。

「勝手に人様の家に押し入ってきた強盗に、ミウを渡すわけが
 ありませんわ。渡す理由がありません。ユーリも返してもらいますの」

「ちょ……まさかマリンお嬢さんからツッコミが入るとは
  予想外の展開っすよ。させんすけど、俺時間ないんで、
   そろそろ決めさせてもらってもいいっすか?」

ルイージはそう言って44口径マグナムをマリンのおでこに押し当てた。

汚れのない瞳をした9歳の女の子に銃を突きつけるなど、
まさしく鬼畜の所業であった。

それに44口径は戦車のぶ厚い装甲を貫通するほど威力がある。
もともと人に向けて撃つには力がありすぎると
されているハンドガンであった。

怒り狂った太盛がルイージに襲い掛かろうとしたが、
鈴原が後ろから羽交い絞めにして抑える。

「離せ鈴原ぁあ!!俺のマリンが! マリンがぁぁぁ!」

「今はなりません!! 犯人を刺激してはいけません!!」

ルイージはそんな太盛を見てニヤニヤしていた。

「あー、やっぱお父さんは切れたっすね。
 まあ無理もねえっすよね。こんな状況じゃあ」

と言ってマリンの肩をつかみ、リビングの扉まで歩かせた。

「めんどくせけど、この子もついでに誘拐していきますね?
  ミウさんも一緒に来てもらっていっすか?
   あ、少しでも反抗のそぶりを見せたら
   マリンちゃんの頭に風穴あいちゃうんで」

ルイージは、若い女性を見るときにニヤニヤするくせがある。
この時もミウを舐めまわすようにみて、口角を上げていた。

ミウにとってこれ以上ない不愉快な笑みだった。

ミウはバカでもなく臆病でもないから、一瞬であらゆる
選択肢を頭に浮かべて最善策がないか考えた。

しかし、何も思いつかなかった。

目の前でマリンを人質に取られているのである。
もう一人の人質であるユーリの居場所もいまだ分からない。
ユーリが今どこにいてどんな状態なのか、すべて推測の域を出ない。

ミウは、太盛がユーリに特別な感情を抱いているのを
知っていた。午前中の散歩が、実は彼女と話をするのが
楽しみで歩いていることも。

少しだけユーリに嫉妬したこともあったが、メイド仲間だから許せた。
ミウが大事にしたいのは太盛の意思だった。
太盛がエリカを心の底で拒むのも、代わりの愛情をユーリに求めるのも、
全ては彼の自由意思。彼の意思を尊重するのがミウの務めだった。


今回はそれが、自分が拉致されることで終わる。

今日まで太盛と過ごした10年間がここで終わる。


ミウはルイージのうしろを着いて行った。

一瞬だけ太盛を振り返り、ニコッと笑った。


マリンは最後まで目を閉じたままだった。


「うわああぁぁぁあぁあぁあああぁぁぁ!!」


太盛の獣のような咆哮(ほうこう)が響く。
鈴原は暴走する太盛を力づくで抑えていた。

エリカとの婚約から始まり、10年続いた孤島生活。
使用人とは家族のきずなで結ばれ、幸せな家庭を築いた。

2人の奥さんがいるという破天荒な関係ではあったが、
娘たちは健康的に育って父を喜ばせていた。

森での散歩、木こり仕事、山菜取り、子供たちのお勉強。
全ては大切な日常だ。

本土に比べたら原始的な生活をしているのかも
しれないが、誰もが心は豊かだった。

ユーリを失い、ミウを失い、マリンを失ったら、
太盛は生きる意味すら失ってしまう。


「ぐおうおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」

これはルイージが吹き飛ばされた音だった。

やったのは太盛でも鈴原でもない。
立ち尽くしていたレナカリ姉妹でもない。

「マリン。ミウ。助けに来たぞ」

そこにいたのは、死んだはずのJCだった。

幽霊でもゾンビでもなく、生身の人間である。

JCは、死ぬ直前に覚醒したのだ。

確かに頭を打たれればどんな生物でも死ぬはずだが、
あいにくクッパに常識など通用しない。

頭には自分で包帯を巻いており、痛々しい。
しかしながら体つきはさらに良くなり、
もはやプロレスラー並みである。

解放されたミウとマリンはJCの後ろへ隠れた。

「ちっくしょおぉ……まじいてええ……つかなんで
  今の衝撃で手りゅう弾が爆発しなかったんだ……?」

ルイージがコートの裏側を確認すると、
なんと手りゅう弾がすべて消えていた。

「おまえの手りゅう弾な、邪魔だったから
  その辺に捨てておいたぞ」

「は……?」

太盛たちはルイージがあせる様子を初めて見た。

ルイージが玄関を開けて外を確認すると、
大量の手りゅう弾が芝生の上に転がっていた。

さらにどういうわけか、ルイージが持っていたマグナムは、
なぜか銃口の先端が折られており、使い物にならない。

いつのまにとか、どうやってとか。そういった常識は通用しない。

これでルイージは丸腰だと思われた。

「常識外れなのは、お互い一緒だろうが!!」

ルイージは、これまいつのまにか太盛が持っていたはずの
サブマシンガンを所持しており、クッパの腹に向けて
20発くらい連射した。その間、わずか4秒。

「ふふん」

どや顔のクッパ。

腹の厚みによって全ての弾を跳ね返していたからだ。

「さて。今度はこちらの番だな」

ルイージを本気の顔でにらむクッパ。

常軌をいっした化け物の存在に、百戦錬磨の
スパイであるルイージですら戦慄してしまった。

クッパは、握った拳に、自分の旦那、娘、ほかの家族や
使用人たちの全員分の怒りを込めた。

クッパの拳にはファミリーの意思が宿り、神々しい光を放っていた。
その質量は、少し振り下ろせば大地に地割れすら起こせるほどのものだった。

クッパは一歩前へ踏み出した。

踏み出した足の下には大きな穴が開いており、
まさつで煙さえ立っているほどだった。

「うぐあああああああああああああああ!?」

ルイージはクッパの腹パンをまともに食らい、衝撃を殺しきれず
リビングの壁を貫通し、さらに奥にあるトイレの
壁まで貫通する。最終的に裏庭まで飛んでようやく止まった。

「あぁ……うぅ……あぁ……」

ルイージは完全に戦闘不能になった。
みぞおちの痛みのために何度も吐血を繰り返している。

腹パンはルイージのあばら骨を粉々に砕き、
それが内臓まで痛めてしまったのだ。
これでもまだ生きているのだから、かなりの生命力である。

そのあとは太盛が引き継ぎ、ルイージを地下の牢屋へ閉じ込めた。
エリカが用意しておいた電気椅子に座らせて尋問を開始。

ユーリの居場所を聞いた。

北朝鮮から派遣されたスパイは中々口を割ろうとせず、
無駄に時間だけが過ぎていった。

ユーリの命がかかっているため、電気椅子のスイッチを
入れて拷問を開始しようとした太盛を、エリカが止めた。

エリカはルイージの正体がロシア系であると見抜いており、
ロシア語で何事か話し始めた。

「Поговорите с быть честным Мой
 враг не является Вы
  благополучно домой в Россию」

(私は敵ではありません。正直に話せば
  あなたを無事ロシアまで送り届けます)

これを聞いたルイージはどういうわけか
涙をぽろぽろと流し、ロシア語で答え始めた。

黒髪でショートカットのエリカ。日本人なので瞳も黒い。
年齢を感じさせないほど白くて美しい肌。
知性を感じさせる鋭い瞳ときゅっと引き締まったくちびる。

東アジア人の基準でいえば相当な美人になる。
そんなエリカが聖母マリア様に見たのか、ルイージは
自分のことを正直に話し始めた。

彼の祖先はエリカと同じく旧ソビエトの人間だった。
祖父の生まれはソ連領のカムチャッカ半島だ。

日本など極東の国と近い。ベーリング海峡を隔てて
アメリカのアラスカに達することができる地域で、
冷戦時は原子力潜水艦の基地があった。

有事の際はまっさきに米国から軍事攻撃を受ける危険地帯であった。
軍港の他は未開の地であり、極寒で火山活動の活発な地域であった。

幼少のころのルイージは祖父に連れられてよく鹿狩りをしたものだ。
木を削って作ったカヌーで川を下り、移動する。
冬は凍った湖の上に座り、氷をけずって釣竿を垂らす。

そんな田舎の少年が、やがて成長し、都市部の学校に通うように
なってからは成績優秀で奨学金で大学まで進んだ。

卒業後、国際スパイとしての道を歩み始めたのだ。


のちにソビエト政府が崩壊し、
行き場を失ったルイージ(44歳)は、北朝鮮に亡命した。

彼の能力を高く評価した北朝鮮政府は、外務省の職員(スパイ)として
彼を起用した。中国、韓国、日本への諜報活動。および人質を
確保することを命じられ、この島までたどり着いた。

この島は長崎減の行政範囲だが、実質孤立した島といっても
過言ではなかったので狙うにはもってこいだったのだ。

ルイージは、その後日本国の警察に極秘に引き渡された。
彼のスパイ事件が明るみになれば、大きな国際問題に発展してしまう。
最悪戦争の可能性すらあり得るだろう。

太盛たちの住んでいる島が日本海側にあり、
北朝鮮に近かったのが災いした。



そしてユーリだが、彼女は信じられないことに
自分の部屋のクローゼットの中で縛られていた。

これも太盛たちの裏をかいた恐るべき作戦であった。
ユーリをさらっと見せかけて、実は本命のミウを
奪っていこうという作戦だったのだ。

無類の女好きのルイージは、ミウを自分の奴隷とするために
拉致しようと思った次第で、実は今回の誘拐は
北朝鮮政府から命令された任務外のことであった。つまり愉快犯である。

「あぁユーリ……生きててよかったぁ……」

ミウとユーリは抱きあって再開を喜んだ。

屋敷の住民のだれもが無事に生き残れたことを神に感謝した。

孤島生活史上、最大の危機を乗り越え、彼ら家族のきずなは
ますます深いものになっていくのだった。

それと当時に孤島生活そのものに対する将来的な不安も露呈した。

次にルイージのような男の侵入を許せば、今度こそ
家族全員が殺されるか拉致されてもおかしくない。


特に強い危機感を抱いたのがエリカだ。

彼女は太盛に家族と使用人たち内地へ移して生活を
することはできないかと相談した。

もっとも本土への帰還は太盛の父の許しがなければ不可能。
孤島そのものを含め、この生活の出資者であり、
生殺与奪の権利を握っているのは父なのだ。

今回の騒動は異常であり、もし報道されたら日本中を
震撼させるほどの誘拐未遂事件となっていたことだろう。

のちにこの事件は日本国の一部の権力者たちに知られることになった。
その1人に太盛の父である金次郎も含まれていたのだった。


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