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作品名:孤島生活  作者:なおちー

第7回   「スーパーマリンちゃん」
今日は週2回行われる薪(まき)割りの日だ。

太盛はミウとマリンを連れて森で薪割りをするのが趣味だった。

屋敷にはリビングに1台だけ薪ストーブがある。

屋敷には石油ストーブとヒーター、エアコンが
用意されていて不便はないのだが、
石油燃料が枯渇した万が一の時にそなえて薪を備蓄しているのだ。

大自然の中で肉体労働をするという、
お金持ちにしては珍しい趣味である。


「太盛様とマリン様、お乗りになりましたか?
 それでは出発いたします」


運転席に乗ったミウがエンジンをかける。

作業用の小型トラックが小刻みに揺れながら森の中を進んでいく。


「この小さな揺れが少し心地良いくらいです」

「そうだね。電車に乗っているみたいだよ。
  この揺れが心地よくてつい眠っちゃうんだよね」

「まあ、お父様は電車に乗ったことがありますの?」

「そりゃもう。通勤と通学で毎日乗っていたからね」


ミウは荷台の上の太盛とマリンの会話を楽しそうに聞いていた。

トラックの荷台の上には所狭しと森林伐採に使う道具が
並べられているのだが、空いたわずかなスペースに
寄り添うように親子が乗っていた。

トラックは軽トラを少し大きくした形で車内は2人乗り。
荷台は露天になっており、荷物を運搬しやすいようになっている。

トラックの走るペースは遅い。主人と令嬢を車内ではなく
荷台に乗せているのだから慎重な運転になる。
この速度で走ると目的地まで10分で着く。

エンジンの音に驚いた小動物たちが木の陰から
飛び出ては逃げていった。


「私、日中の森は大好きです。
  木々の間から光が差し込んで、おとぎ話の世界にいるみたい」

「僕も何度訪れても飽きることはないよ。
  森には動植物の宝庫だからね」

「お父様、本土には森がほとんどないと聞きました。
  本当なのですか?」

「日本は国土の大半が山なんだ。周りを海に囲まれた弓上列島。
  内地には欧州みたいな深い森はほとんどないんだよ。
   雑木林とかはたくさんあるけど、こんなに立派ではない」

「そうなんですの。勉強になりますわ」

マリンは父の話を聞くのが大好きなのだ。
何度もうなずきながら、一字一句聞き漏らさない。

こういう姿勢が勉強にも生かされていて、
たとえば本土の学校に通っていたら
間違いなく成績上位者だったことだろう。


「私は山にも興味があります」

「低山のこと?」

「はい」

「あそこは危険だからと、ジョウンお母さまが行くのを許可してくれません。
  ですから、山がどんなものなのかすごく気になりますの」

「うーん……」

太盛はあごに手を当てて悩む仕草をした。

マリンは9歳だから、親同伴のハイキングなら全く問題はないと
思っている。マリンは娘たちの中でひときわ優秀で機転もきく。

それに大切な娘だからこそいろいろな場所に連れて行って
経験を積ませるべきだと太盛は考えていたが、ジョウンは過保護だった。

つい忘れがちになるが、この物語でマリンの実の母はジョウンである。

エリカにマリンを直接教育する権利はなく、関心もない。
しょせんは腹違いの子供というわけだ。


ジョウンはマリンを溺愛していたが、マリンは獣のように
凶暴な母から距離を取り、父にべったりだった。当然である。


娘に相手にされなくて心に傷を負ったジョウンは、
山でクマ、イノシシ狩りをして憂さ晴らしをしている。

ユーリの報告によると、沖に潜水して
魚を取ってくることもできるらしい。
もはや人類とは別の生き物である。

いずれの生物も館では貴重な栄養源となっていて、
料理人の後藤はジョウンに頭が上がらない。


「パパがジョウンを説得してみるよ。
  マリンはいつまでも箱入りじゃなくて
   アウトドアでも生活できる強い子を目指すってね」

「はい。お父様。期待しておりますわ」


肩をぴったりとよせるマリン。父の腕にしがみつき、
心地よい揺れに身を任せていた。

マリンの肩より少し下まで伸びた髪が小刻みに揺れる。
途中までストレートの髪が肩辺りから癖がかかってふわふわしていた。

太盛が娘の髪を撫でると、
マリンはくすぐったそうにして喜んでいた。


「着きましたよー!!」


エンジンが止まり、ミウの元気な声が聞こえる。

さっそく荷台から降りて道具を準備する太盛。
本日の作業開始である。

トラック乗り場から少し歩いて、木々が立ち並ぶ場所まで行く。

作業着姿の太盛は安全ヘルメットまでつけた本格的な姿だった。
マリンとミウはジャージ姿で帽子を深くかぶっている。

メイドのミウがメイド服以外を着るのは、
寝るとき以外ではこの時だけだと言われている。

全員が作業用の頑丈な手袋をしていた。


「よいしょっと」

チェーンソーの電源を入れると、森中に響くほどの騒音がなる。
傾斜してる木に狙いをつけ、根元から切れ目を入れていく。

切断面から凄まじいキリカスが飛び散る。


倒木作業は、大変な危険の伴う作業である。

倒す方向をしっかり見極めないと跳ね返りや木の落下があり、
事故の危険性を兼ねているのだ。

倒木の際には周囲の地面の凹凸、障害物の有無、立木の傾き、
風の方向などを考慮して決める。


ミウとマリンには3メートル以上離れた立木の陰に隠れてもらっている。

木の周囲3メートル以内が危険区域となるからだ。


木の傾斜がきつくなった。チェーンソーでぐるりと円を描く軌道で
動かしていくと、あっという間に木が倒れ込む。

何もない場所に大木が倒れ、落下の衝撃で轟音が鳴る。

付近の木々から鳥が逃げ去った。


「ふぅ。今日もけがなく成功したか」

「お疲れ様です。太盛様」

ミウが持参したスポーツタオルで太盛の汗を拭いてくれる。

マリンは父の華麗な倒木作業を見て感動していた。
穏やかで文系男子の父が長い孤島生活の中で
肉体労働者としての技能まで身に着けていたのだ。


自分も父の手伝いがしたいと思い、薪割りに参加してる。

トラックの荷台に乗っていたのも、最初は太盛が
労働者らしい気分を味わうためにと言って始めたことだが、
マリンもぜひやりたいと言って父の隣に乗ることになった。

マリンはとにかく父のすることにはなんでもあこがれる子供だった。



太盛「さあて。ここからが本番だぞ」


横倒しになっている木にチェーンソーを当てていく。
ストーブで使用する長さの玉木にしていくのだ。

玉木の長さを誤ると、実際に燃すときに困る。

30センチほどの玉木をたくさん作り、一輪車に入れて運ぶ。

「よいしょっと」

この運ぶ作業がつらい。玉木は一つでもかなりの重量がある。

腰にも足にも強烈な負担がかかり、大汗をかいてしまう。
最初に始めたのは10年前だった。
あのころ太盛は筋肉痛に何度も悩まされたものだった。

重量物を運ぶ一輪車は、左右の角度を均等に保たないと荷物が
転げ落ちてしまうこともある。

森は平地だからいいものの、山の斜面から運び出すとしたら
そうとうな重労働となるのだ。

この10年間の孤島生活で、かつて会社の営業部で
働いていた太盛の身体は鍛えられた。


「しろいー、アルバムのなかぁにぃ。かくれてぇ。思い出ーがぁ」

慣れとは不思議なもので、太盛は歌を歌いながら作業するようになった。

軽やかに一輪車を走らせて作業場から薪割り場まで移動していくのだ。

肉体労働をする時は歌うと気分が晴れるというのは、
江戸時代の大工たちの残した言葉だった。

大木についた小枝などの小物はナタで伐採し、
小さな一輪車に入れてマリンが運んでくれる。

よせばいいのに、マリンは使えそうな枝を
一輪車に満載してしまう。中にはとげがたくさんついた
枝まで入っていて、手袋越しに触れるだけでもつらい。

とても小学生の女の子が運べる量ではない。


温室育ちのマリンに気を使ってミウが、

「マリン様。重くないですか?
  疲れたらいつでも私が変わりますからね」

と言ってくれてるのだが、あいにく余裕だった。

「お父様が運んでいる玉木に比べたらなんでもありませんわ。
  わたくしもお父様みたいに立派な人になりたいんですの。
   サバイバル技術だって身に着けて見せるわ」

「……さっすがマリン様。万能すぎて怖いくらいですよ」

「うふふ。そんな大したものではありませんわ」

マリンが怪力なのはジョウンの娘だからだった。


ミウは主人たちの後についてチェーンソーやナタなどの
道具を運ぶ係をしていた。救急セットも車内に用意してある。、
作業中にけが人が出た場合の看護役も兼ねているのだ。

薪割り場に着いた。いよいよ薪割り開始である。


「ふっ」

台の上に垂直に玉木を立て、斧を振り下ろす。

この時、力任せに下すのではなく、重力を利用するのがコツだ。

二の腕が痛くならないように斧の柄のお尻の部分と中心部を
両手で持ち、体がぶれないように片足を前に出す。

「よっしゃ」

綺麗に真っ二つに割れた。

「さすがお父様ですわ」

娘の満面の笑みに、ますますいい気になる太盛。


あせらず、ゆっくりと玉木に斧を振り下ろしていく。

秋とはいえ、天気の良い日はさすがに汗ばむ。

顔を流れる汗を拭こうと思ったら、
ちょうどミウがスポーツタオルを渡してくれた。

さらに喉も渇いた太盛に気を利かせて
大きめの水筒でお茶を入れてくれた。

ミウはプロのメイドなのである。

「ありがとうミウ。君がいてくれると作業がはかどるよ」

「いえいえー。それほどでもないですよ」

口調は軽いが、ミウは太盛に褒められるのが大好きだった。

ミウの口調は自然とくだけた感じになるが、
太盛はそういうことで文句を言う人ではなかった。

ミウのことは使用人ではなく家族の一員として見ていたからだ。
よそよそしく感じるので敬語もやめてほしかったが、
さすがにミウもそこまでは譲らなかった。


途中でだれないように慎重に玉木を割り続ける。

ミウが薪を取って一輪車に入れていく。
満載になった一輪車をマリンが運んでいく。

力のない男性なら10分でヘタレるほどに一輪車は重い。

年齢を考えればミウとマリンの役割が逆なのだが、
マリンは前述したようにジョウンに似て怪力だった。

これで容姿までジョウンに似なくてよかったと
屋敷の住人全員が口をそろえて言ったものだ。

一輪車をトラックに横付けし、薪を入れるスペースに積んでいく。
薪は高く積まれ、トラックの積載ぎりぎりまでなった。
空いたスペースにはチェーンソーなどの道具も入れなくては
いけないから、全体の半分くらいが薪のスペースになった。


「今日も結構取れたんじゃないですか?」

「そうかい? もう少し頑張ってもいいけど」

「これは石油燃料が枯渇した場合に備えての
  備蓄用ですからね。今日はいっぱい汗もかきましたし、
   そろそろお昼にしませんか?」

「おっ、もうそんな時間だったのか」


腕時計をみると正午を過ぎていた。

薪割りを開始したのが10時半ごろだったが、
夢中でやっていた太盛は時間が立つのを忘れていたのだ。



「今日のお昼はハンバーガーをお持ちいたしましたよ」

ミウがさらにアウトドア用の木製のイスとテーブルを並べる。

テーブルの上にピクニック用の巨大なバスケット(カゴ)を置く。
中を開けるとサンドイッチ(ハンバーガー)やお菓子が入っていた。


「わぁ。これがレナ達が言っていたハンバーガーですのね。
  思っていたよりずいぶん大きいですわ。
  マックのハンバーガーを食すのはこれが初めてです」

マリンは後藤がマックと同様の食事を用意したものと
素直に信じていたので、太盛もミウもあえて何も言わなかった。

ウエットティッシュで手を拭いてから、
さっそくハンバーガーを手に取るマリン。

「コッペパンの生地を薄く焼いてますのね。
  パンに挟んであるローストビーフがすごく美味ですわ。
   ビーフの周りにクリームチーズと豆がまぶしてあります」

一口ずつ味わいながら食べていくマリン。

礼儀作法でパンは手でちぎって食べるものだと教わっていたが、
レナ達から米国食はかじるものだと聞かされていたので、
大きな口を開けてほおばっていた。

「こういう食べ物は片手で食べられるから便利ですわ。
  アウトドア生活にぴったりですわね」

「あはは。本当だね」

「ひと汗かいた後のハンバーガーは美味しいですわ。
  チェーン店の味とは思えないほどです」

(これが外食チェーンの味なわけねーよ。
 これを値段で換算したらマックのハンバーガーが
 いくつ使えると思っている?)

と心の中で思っていたが言葉を飲み込む太盛。

(しかもこの前食べたのと中身が違う。マリンの好みに
  合うようアレンジしてあるぞ。贅沢に入れられたクリームチーズの
   おかげでわやかな食味だな。このチーズいくらするんだろう?)

ミウはポットを用意して紅茶を注いだ。
アウトドアなのに、ご丁寧なことにティーカップを用意している。

「今日のお飲み物はダージリンです。
  ハンバーガーによく合うと思いますよ」

「まあ、飲み物は英国式なのね?
  カリンがお店のハンバーガーはコーラがセットなのだと
  言っておりました」

無邪気な顔で言う娘に父が言う。

「すまないねマリン。
 コーラは本土から仕入れないと手に入らないんだよ」

「私はコーラも飲んでみたいですの」

「そんなに美味しいものでもないよ? 
  パパは今飲んでいる紅茶のほうがずっと美味しいと思うけどな」

「そう言われるとますます飲んでみたくなりますの。
  お父様たちはピザーラなどテレビでよく見るものを
   食べられてうらやましいですわ」

「ささっ、レナ様。今日はフライドポテトもあります。
  どうぞ召し上がってください」

バスケットから、丸くして厚紙に包んであるポテトを取り出したミウ。

「これがマックのポテトなんですの?
  写真で見たのはもっと細くスライスされていましたが……」

さすがに怪しむマリンがポテトを受け取る。
まだほのかに暖かかった。

(これはどう考えてもモス風のポテトだな。 
  ポテトの切り方が厚いが、それにしても)

後藤がモスとマックを混同している可能性もあったが、
太盛がそれより気になったのは、ポテトのスパイシーな香りだった。

ファストフードと呼ばれているものは
ふんだんに使われた化学調味料の匂いが人間の嗅覚を刺激し、
食欲をそそるようにできている。

科学的に食欲を促進させるという、
アメリカ式合理主義がもたらした食べ物なのである。

「ミウ。君はこのポテトについてどう思う?」

と耳打ちしたのでミウも小声で返事する。

「はい。なんというか、すばらしく洋食風味のポテトです。
  おそらくベルギーかオランダ風かと」

「マヨネーズが少し辛くておいしーですわ。
  マックの料理は味が濃いんですのね」

厚紙にくるまれたポテトを細長い楊枝(ようじ)で刺し、
小さな容器に入れられたマヨネーズをつけて食べる。

美味しそうに食べるマリンにつられて
大人2人もポテトを口に入れる。

「確かに変わったマヨネーズの味だ。市販のマヨネーズとは違う」

「昔オランダ系の店で食べた味と似ていますね。
  少なくともマックのポテトの味とは完全に別物です」

「食べた後にスパイスの香りが効いてくるな」

「病みつきになりそうな味ですよね」

「揚げ方も絶妙だね。外のカリッとした触感に、中のふわふわ具合」

「後藤さんの料理の腕は確かですね。こういう地味な料理こそ
  その人の腕が分かると言いますから。このコッペパンとか」

「確かにこのコッペパンはいい焼き具合だ。
 コッペパンとは思えないほど薄く柔らかくしてある。
  これがお肉と合うように考えてあるんだよ」

「そうそう。サンドイッチ用のパンの焼き方が上手なんですよね。
  後藤さんが都市部でパン屋でも始めたら
   荒稼ぎできるんじゃないですかね」

「前から思っていたんだけど、
  あの人孤島じゃなくてもっと良い就職先あるよね?
  なんでこんなとこで働いてるんだ?」

「人間と関わるのに疲れたって言ってましたよ?
  前職を辞めた理由もそれらしいです」

「あー、なんていうか、ほんともったいない人だよな。
  僕はここの生活が気に入ってるからいいけどさ」

「私もです。こうして太盛様と一緒に
  屋外作業をするのは好きですよ?」

「あはは。うれしいけど、どうせお世辞で言っているんだろ?」

「お世辞じゃないですよー」

話に花が咲いていると、放置されていたマリンは
ハンバーガーを食べおえてナプキンで口を拭いていた。


「お父様たちったら、さきほどから楽しそうにお話しして
  とっても仲のよろしいことで」

分かりやすく嫌味を言うあたりはエリカのようだった。

会話が弾んでいる太盛とミウに嫉妬していたのだ。

中央のテーブルをはさんで、太盛とミウが隣同士に座り、
向かい側の席にマリンが座っている。

ミウは奥様の監視がないアウトドアではこうして
太盛と一緒に食事を楽しんでいた。上下ともにジャージ姿で
いつもの髪留めも外し、クセのついた長い髪の毛を垂らしている。

灰色の作業着姿の太盛は、いつのまにかミウと肩の触れ合うほどの
距離に座っていた。ミウの髪の匂いがするほどの距離だ。
両名とも意識したわけではなく、
話が弾むうちに自然とこうなってしまったのだ。

罰の悪くなった太盛とミウはわざと椅子の距離を離すが、
それがマリンにはかえって気に入らなかった。

「お父様はミウとお食事をするのが楽しみで
 森で木こりさんをやっているのかしら?」

「そ、そんなことないんだよ?
  ミウとはあまり屋敷の中では話をする機会もないし、
   ここでゆっくりコミュニケーションを取ることも
    大切かなって思っているんだ」

「その割には楽しそうでしたわ。お父様ったら、エリカおばさまと
  お話しするときより饒舌(じょうぜつ)でしたわ。
   それに隣にぴったりくっついて、ひそひそ話までされて。
    あれはもはや夫婦の距離でしたわ」

「マリン。今度君の好きなものを買ってあげよう。
  だからね、エリカにはこのことは黙って……」

「お父様のバカ!! お父様はマリンのことを
  全然かまってくれないんですわ!!
  マリンのことはどうでもいいと思っているんですわ!!」

おしとやかなマリンが声を荒げるのは非常に珍しいことだった。

父がメイドとイチャラブしていたのがそれだけ癇に障ったということだ。

「怒らせちゃってごめんね、マリン。
  パパはマリンのことが大好きなんだよ?」

「嘘ばっかり!! 私がここにいてもお二人の邪魔をするだけです!!
  私、ここから歩いて独りで家まで帰ります!!」

「それはだめだ!! 野生の獣にでも襲われたらどうするんだい?   
 森を歩くときは二人以上で(ジョウン以外)ってことは
 家族みんなで決めたことじゃないか」

「着いてこないでください!! 
  とにかく私はもう帰りますから!!」

そう言い捨てて駆けだそうとするマリン。
マリンの瞳から熱い涙がこぼれ落ちていた。

太盛は驚異的なスピードで移動して
マリンの前に立ちはだかり、こう言った。

「そんなこと言わず、こっちにおいで。パパと仲直りしよう?」


マリンは左右のフェイントを利かせて父の右わきを通り過ぎていった。

太盛は、欧州サッカーで右サイドバックの
選手が敵ドリブラーにごぼう抜きされてるシーンを思い出した。


「ミウっ、見失ったら終わりだ。一緒に探しに行くぞ!!」

「はい!!」


森は樹木が生い茂り、緑色だけが支配する空間だ。

娘の足音は、鳥の大合唱にかき消されて聞こえない。

彼女の紺色のジャージ姿は目立つはずなので、
木々の間に目を凝らして変化がないか探す。

こういう時にバードウオッチングの経験が
役に立つとは皮肉なものだった。

「どうしよう……お嬢様が見つからない……」

ミウはやみくもに走り続けて息が上がっていた。
マリンが行方不明になったのは自分が原因だと
深く責任を感じており、表情は重い。

太盛には逃げ場所の見当はついていた。遊歩道をそれた場所は
人の踏み入れてない原子の自然。道中に落ちている小枝や
落ち葉を踏めば音はするはず。そして生物の修正として
開けた場所で休息をとるとしたら、ある場所が思い浮かんだ。


「お父様の馬鹿……」

そこは小川のほとりだった。
今日は風がおだやかなので川の流れはゆるい。

小川の周りはじゃり道になっている。マリンは
川の近くのイスほどの大きな岩の上に座ってふてくされていた。


じゃりの上にハクセキレイ(小鳥)が飛び降りたかと思うと、
小石の間をくちばしでつついて餌を食べている。

(なぜあんな場所にエサが……?
  そうか。風が吹くと木の実が地面へ落ちていくのね)

真面目なマリンはこんな時でも自然観察をおこたらなかった。

少し離れた木の根元には別の小鳥の集団がいた。
翼に黄色い模様のついた美しい鳥だった。
鳥の無邪気な姿が少しだけマリンの心を癒したのだった。


「鳥は……自由と平和の象徴ですの。
  どこへでも自由に飛んで行ってうらやましいですわ。
 私はこの小さな島で……ひとりぼっち……」


じゃりを踏む音。マリンが顔を上げると、申し訳なさそうな
顔をした太盛とミウが立っていた。

「マリン。今日はパパが悪かった。日が暮れる前に帰ろう」

マリンはふてくされて何も答えなかった。

うつむいていて、長い前髪が目元を隠している。
ジャージの裾(すそ)を指で強く握っていた。

太盛は優しく溜息を吐いた後、しゃがんでマリンと
目線の高さを合わせてからぎゅっと抱きしめた。

「あうっ」

マリンは、肉体労働で
鍛えられたパパの腕の中でおとなしくなった。

太盛がマリンの頭に手を乗せ、髪の毛をやさしくなで続けると、
もう悪い子ではなくなったのだった。

太盛がマリンの前髪をかきわけ、おでこにキスをすると
マリンはうれしいけど恥ずかしそうな顔をした。

「……今回は特別に許してあげますの」

「ありがとう、パパはマリンの優しいこところ、大好きだよ?」


そんな親子でラブコメをしている時だった。

絹を裂くような女の悲鳴が響き渡る。


「きゃああああああああああああ!!
  太盛さああああん!! 助けて下さあああい!!」

「なんだ!?」

腰を抜かしているミウのすぐ先には、なんとヒメハブという名の
巨大なハブがいた。クサリヘビ科の毒蛇である。

地面をすべるように、のそのそと頭を先頭に動いている。

表面は灰色を基調とし、どす黒く長い模様がまだらについている。
全長は70センチ以上。こんなものが近くにいたら
誰でも腰を抜かすか、発狂することだろう。

ミウはいちおう戦闘訓練は受けていたが、爬虫類が大の苦手だった。

「太盛さん助けてええ!! 怖くて足が動かないんです!!」

「う……。とにかく距離を取るんだ」

ミウに肩を貸し、蛇から距離を取る。

すると蛇はのそのそと動いて盛たちを追ってくる。

長い舌をレロレロと伸ばし、太盛たちを見上げる蛇。
爬虫類特有のヌルヌルした肌。極悪人のような体の模様。

太盛は全身に鳥肌が立ち、戦意を失った。


「お父様たち、大丈夫ですか!?」

「マリン!! 君は来ちゃだめだ!! 離れていなさい!!」

「そうもいきませんわ!!」

マリンちゃんはヒメハブを見て
一瞬顔をしかめたものの、ひるんだりはしなかった。

「なにか、武器はありませんの?」

「よ、よせマリン。野生の生き物はこちらが敵意を
  出さない限り襲ってくることはない……」

「でもこの蛇は今すぐにでもミウの足にかみつこうとしていますの!!」

ミウは森の中で歩きやすいようにとウォーキングシューズを履いていた。
それがグレーっぽい色だったので蛇に気に入られたのだろうか。

「マリン様……トラックの運転席にアサルトライフルが置いてありますが」

「何を言っているんですか?
  ここからじゃ遠すぎて間に合いませんの!!」

「護身用に持ってきたナタならありますけど……」

「ならば、それで我慢しますわ」

と言ってナタを受け取るマリン。意外とさまになっている。
マリンの戦闘力が数倍上がったのだった。

「ここから、いなくなれえええ!!」

マリンのナタが一直線に振り下ろされると、
蛇はするすると動いて回避。

もう一撃振り下ろすと、また蛇はよけてしまう。
体の動かし方がうまく、マリンの攻撃をよけるなど朝飯前といった様子だ。

蛇は大口を開けて今度は飛び掛かるようにマリンに噛みつこうとした。

「わっ」

マリンは飛び上がってよけた。あと少しで左の足首を噛まれるところだった。

「マリン、もうやめるんだ!!
  その蛇は毒をもっているんだぞ!!」

「いいえ。ここで戦わなかったら淑女として失格ですわ」

マリンは、生存競争をしようとしない生き物は
やがて淘汰(とうた)されるという、ジョウンママの教えを守っていた。

様子をうかがう蛇とマリン。間合いを保ち、両社ともにらみ合う。

殺気で周囲の空気が張り詰めていく。
遊びではなく、生き残りをかけた戦いなのだ。

それが、野生で生活するということだった。

「それっ」

沈黙をやぶったのはマリン。ナタをぶん投げた。

蛇の頭部を狙って直線状にナタが飛ぶ。

蛇はそんな攻撃に当たるわけがないと言いたそうな顔で
顔をひねってかわわしたが、それはおとりだった。

「いまですわ!!」

素早く駆け出し、蛇のしっぽを両手でつかむと、

「えいっ」

そのままぐるりと回る。遠心力を利用して
近くにあった木にたたきつける。

これには蛇もたまらず、ぐったりしてしまう。
マリンの攻撃はまだ終わらなかった。

何度も蛇を木の幹に叩き続ける。ジャイアントスイングを
する要領で蛇を痛めつけていると言ったら分かりやすいだろうか。

ようやく地面におろされた蛇は満身創痍だった。
そこでマリンが大きな石を持ち上げ、蛇の頭に落とした。

嫌な音がしてケチャップをぶちまけたように血が飛び散る。
蛇の頭だった部分は半分くらい陥没してしまい、絶命した。

あまりにもあっけない勝負の幕引きであった。

肩で息をするマリン。

ジャージの足元についた返り血を見て嫌そうな顔をした。

キリスト教では、蛇は現在の象徴とされて
忌み嫌われていた。聖書を愛読するマリンにとって
蛇は倒すべき象徴だ。

それ以上に父とミウを助けるために
体が勝手に動いていたということもあるが。


「僕たちの前に現れなければ、死ぬこともなかったろうにな」

慈悲深い言葉をかける太盛。

護身用に持ってきたスコップを使い、
木の根元に即席の墓を掘ってあげた。

穴掘りは重労働だ。
中腰でスコップを振り下ろしているとひたいに汗が流れてくる。

「私も手伝いますわ」

「ありがとう。助かるよマリン」

マリンの怪力によって蛇が3匹は入れそうな穴が一瞬で掘れてしまう。

(やはりマリンはジョウンの娘だ。
  小学生の女の子なのに腕力は成人男性並みというわけか。
   末恐ろしい女になりそうだな……)

本土と引き離された島での生活は、
つねに自然との闘いと言っても過言ではないのだ。

父は、これからも娘に自然の中で生きるということについて
色々なことを学んでほしいと思っていた。

そしていつかは都市部での生活も体験させてあげたいと思うようになった。


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