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作品名:孤島生活  作者:なおちー

第4回   「メイドのユーリ」
「太盛様。そろそろ起きてください」

「ん……もう朝なのか」


時刻は朝の5時半。太盛の起床時間にユーリが起こしに来てくれる。
太盛は眠い目をこすりながら身体を起こす。

「着替えはここに置いておきます」

「ありがとう」

ユーリ丁寧に畳まれた衣服をベッド前の椅子に置いた。
太盛お気に入りのクッション性の高い椅子だ。
底にキャスターがついていて、ゴロゴロ転がすことができる。

秋の深まるこの時期、外では木枯らしが吹き、
庭の芝に枯葉が舞う。日の出の時刻もすっかり遅くなってきた。

「先に玄関の前で待っています」

「僕も準備ができたらすぐ行くよ」

最低限の身支度を済ませ、玄関へ急ぐ太盛。

2人は島の森林を散歩するのが日課となっていた。

森は、庭の巨大な門を抜けて少し歩いたところにある。
島の内陸部は一帯が森となっていて、
そのほかは山岳部と海岸に分かれている。

ほとんど人の手が入っていない大自然なのだ。

森の入り口に着いた。

太盛は冬物のジーンズにアウターを着ている。
幼いころから喉が弱いのでネックウォーマーもしている。
少し季節を先取りした服装だが、晩秋ともなると朝は冷える。

「すっかり火の出る時刻が遅くなってきたな。
  この時間は風が肌寒く感じるよ」

「はい。ついこの間まで暑いと思っていたのに……。
  季節が過ぎるのは早いものです」

ユーリは仕事服であるメイド服だった。
冬服なので生地が厚めになっている。

中世の英国で使われていたものと同様のデザイン。
いわゆるエプロンスカートにカチューシャの格好だ。

都会のメイド喫茶でみられるメイドとの違いは、
しぐさ、態度、言動などが洗練されたプロであるということ。

使用人としてお金をもらう立場は楽ではない。
時間で帰れる労働者と違い、住み込みの仕事なのだ。
覚えるべきことはたくさんあるし、主人たちの生活に合わせた
行動を心掛けなければならない

「毎朝散歩に付き合わせてしまってすまないね。
  朝は仕事がたくさんあるだろう? 掃除とか」

「6時すぎには屋敷に戻れますから、
  そんなに負担ではないです。
   それに、こうして歩くのも私にとっては楽しいです。
   大自然の空気の中にいると心が落ち着きますわ」

「気休めで言ってくれているんだろうけど、
  僕は君のそういう優しいところは好きだよ」

気を利かせた言い方をする太盛にクスクスと笑うユーリ。

「気休めではありませんわ。
  散歩は本土にいるときから好きでしたから」

ユーリの声はたんたんとしているが、澄んだ音色をしていた。
太盛は彼女の話声が好きで、
一流奏者の木管楽器の演奏を聴いている気分だった。

彼女の顔は、屋敷で子供たちの相手や
クセの強い奥様方の相手をしているときの鉄仮面を
かぶったメイドではなく、自然体だった。

(ユーリのこういう顔を知っているのは、
  使用人のほかでは俺くらいなんだろうな)

太盛は肺にいい空気をいっぱいに吸いながら、
木漏れ日の道を歩く。早朝の森林は、絵画の世界が
目の前に広がっているかのごとく神秘的だった。

「森の中はどうしてこんなに落ち着くんだろうね?
 鳥の大合唱とか小川のせせらぎとか。
  それとこの独特のいい香りがするよね」

「太盛様は、アロマセラピー効果をご存知ですか?」

「アロマセラピー?」

不思議そうに聞き返す太盛に、ユーリはくすくす笑いながら返す。

「太盛様がおっしゃった独特の香りの正体が、フィトンチッドと
  呼ばれているものです。この森林から発せられている
  フィトンンチッドの匂いが、人の精神を落ち着かせるといいます」

「なるほど。ユーリは物知りだね」

2人は開けた遊歩道を歩いている。
太盛の親父殿が散歩用に作ってくれた一本道である。
歩道の両側は深い樹木でおおわれていて、その先に
どんな生物が潜んでいるか分かったものではない。

「ま、どこにいても襲われるときは襲われるんだけどね」

「はい。ですが、森林は身を隠せる場所が多いので
  姿を見せる動物はあまりいません。草原などと
   違って群れを成して行動する生き物も少ないのです」

「動物たちは樹木の中に隠れちゃうんだろうね」

「特にこれから寒くなる時期ですから、余計にですわ。
  暖かい時期なら生態系の宝庫と呼ばれる森林部は
   生態観察を趣味とされている太盛様にはベストな
    場所でございますね」

「君は実に自然に詳しいね。まっ、詳しいのは自然だけじゃないけど。
  まるで自然学者の先生と一緒に歩いているみたいだよ」

「ありがとうございます」

「君をマリンの教育係に任命した僕の目に狂いはないようだ」

「まあ、それは褒めすぎですわ」

使用人は主人の後ろを歩く。それが決まりだ。

早朝なら人目がないので遠慮なく隣を歩いていいと
太盛は言うが、ユーリは聞き入れない。
メイドとしての仕事にプライドを持っているユーリは
ささいな規則やぶりでさえ嫌う性格だった。

ユーリにとってのアイデンティティは、
主人である太盛に尽くすことだった。


太盛が早朝の散歩を好むのは、趣味のバードウオッチングを
するためだ。一人で森に入るのは危険のため、同伴者が必要だ。
それは館のルールで決められているのだ。

それにしても、日の出時刻の散歩である。

妻のエリカとジョウンは鳥に興味がないし、
レナとカリンはまだ寝ている。太盛お気に入りの
マリンは低血圧なので昼前に起きることがよくある。


「この辺りでいったん止まろう」


目印になる大木から、少し離れた茂みのあたりで待機。
大木に寄って来る鳥を観察するためだ。

太盛は片手に持っていた三脚を組み立て、しっかりと固定する。
三脚の上に大きめの口径の双眼鏡(ニコン製)を設置した。
双眼鏡の光景が大きいほど、薄暗い場所で視界が明るくなるのだ。

早朝の木漏れ日にはこの双眼鏡が合うと決めていた。

これを定観観察といって、決められた場所で
やってくる鳥を待ち伏せするのだ。

言葉でいうほど簡単なことではない。

鳥が食べる餌の種類、行動のクセ、季節や時刻など
正確に把握してないと目当ての鳥には巡り合えない。

耳を澄ませて、鳥の気配を探る。

早朝の森は、まさに鳥の鳴き声のオーケストラだ。

どの野生生物も薄暗い時間帯にエサを探し求める。
暗闇だと外敵に襲われる心配が少ないからだ。

食べている最中は、どの生き物も無防備なのである。

「あの木。たくさん木の実がついているのが分かりますか?」

「あぁ。あのぶつぶつみたいなのがたくさん幹についているね」

「あれをギランイヌビワの身と言います。イチジクのような身でして
  鳥たちが食べに来る可能性が高いかと」

と言っていると、さっそく一羽がやってきた。
小鳥が木の幹に止まり、くちばしで実をつつく。
せわしなく木の周りを移動し続け、幹から幹へと飛び移っていく。

熟れた実を食すのに夢中の鳥は、太盛が双眼鏡でのぞいているのに
気づいていても逃げようとしない。枝に生えた緑色の葉が
うまい具合に鳥の姿を隠しているのだが、そこは太盛も手慣れたもので
小刻みに動き続けて隠れようとする鳥をしっかりとらえていた。

「ユーリも観てくれ」

「はい」

三脚に固定した双眼鏡をユーリに魅せて種類を問うた。

「ムクドリに似ていますけど……亜種でしょうか。
  木の幹に溶け込むような自然色をしています」

「やっぱりユーリでもわからないか。
  えーっと……ちょっと調べてみるか」

太盛はポケット野鳥の図鑑をだして種類を特定しようとするが、
鳥は食事を終えて、いずこかへ飛び立ってしまう。

無数の鳥の鳴き声はどこからでも聞こえる。
しかし、背の高い樹木は多くの葉に覆われており、
鳥たちの姿を視認するのは非常に困難だ。


「太盛様。そろそろ6時前です。
  お屋敷に戻られたほうがよろしいかと」

「ああ。分かったよ」

双眼鏡をリュックにしまう。大型なので首からかけると疲れるのだ。
三脚の足を畳むとリュックと一緒に地面に置いてしまう。

「その前に、ユーリ。こっちに来てくれ」

「はい」

おもむろにユーリの肩を抱き寄せて口づけをした。

ユーリは抵抗しない。

貞操観念とか、倫理観とか、色々なものが狂っていた。

太盛には奥さんが2人いるのに、メイドに手を出している。
人からクソ野郎と罵倒されてもおかしくない。人気の全くない
早朝の森林の奥でこんなことをしているのは卑怯者の行動といえた。

しかし太盛は、婚約中にエリカにされた監禁虐待への
恨みの感情から、暴走する気持ちを抑えることができなかった。
まるで恋人のように早朝散歩(一種のデート)に付き合ってくれる
ユーリを異性として求めるようになってしまった。


「ユーリ。目は閉じたままにしてくれ」

「はい……」

盛り上がった太盛が、むさぼるようにユーリの口の中を堪能した。
軽いキスではなく、舌まで入れていた。

絡み合う舌と交わる唾液の音が、
朝の新鮮な空気の中で怪しく響いていた。

2人は恋人ではない。あくまで主人と使用人の関係の
延長線上として、こういう行為があった。

「君が一番きれいだ。ユーリ」

「ありがとうございます。でも……
  太盛様はきっと……他の女性にも
  同じことを言っているのでしょう?」

微笑。そして皮肉交じりの言葉。

太盛はユーリのだらりと垂れた両手を、
それぞれの手で正面から握ってもう一度顔を近づけた。

「んん……」

彼に情熱的に迫られると、ユーリもついその気になってしまう。
雪のように白い肌が真っ赤に染まっていた。

キスをしたのは今日が初めてではない。


「ユーリ。俺はお前のことが好きだ」


ユーリは答えない。

立場上、その言葉に返事をすることは禁じられていた。

太盛は気持ちが高ぶると平気で女性に
愛の言葉を吐く男性だと知っているのだが、
面と向かって言われると女性としてはうれしかった。

(うれしくないわけがないと、
  本当は口にして言ってしまいたいのに……)

エリカにばれた場合は極刑に処される恐れがある。
最悪、地下での拷問もあり得るだろう。

子供ができてからエリカはすっかり教育ママになってしまい、
学習用の教材が本土から届くたびに厳しく先生役を
やるようになった。

出来は良いが、憎まれ口を叩くカリンとやる気のないレナの
相手にやがて疲れてしまい、先生役を放棄した。

ある日を境に教育役をメイド2人に任せるようになった。

レナとカリンにはミウ。マリンはユーリをあてた。

「そろそろ屋敷へ帰ろうか」

「はい。太盛様」

ユーリは常に主人の後ろを歩く。それが使用人の務めだ、

2人はキス以上のことはしていない。

太盛は、メイド服越しに見えるユーリの胸の
ふくらみになんども手を出しそうになったが、
理性がギリギリのところで制御をしていた。

屋敷の中ではみんなの監視の目があるので論外。
そんなことをする時間もない。

だから、太盛は早朝の鳥観察と称して散歩をしている。

実際に鳥が一番よく見られる時間は夜明け前と日没後なのである


「最近化粧を変えたのか? 前と違って明るい印象になったな」

「エリカ奥様が化粧品を貸してくださったので試しているのです」

「そうか。よく似合っているよ。
  君はどんなファッションをしても最高に輝いているからな。
   その髪型も素敵だ」

「ふふ。太盛様からお褒めの言葉をいただくのも
 これで何度目でしょうね?」

「何度でも言ってやるさ。君が飽きるまでね」

風がユーリの茶色い髪を撫でていく。

ユーリはおしゃれが好きで、日によって髪をカールにしたり、
地毛のストレートにしたりしている。

長身でメイド服のスカート越しでも腰の高さが分かる。
手足の長さはモデルが歩いているようだ。
主人の後ろをゆっくりと歩く姿は優雅であった。

ユーリは国立大学を出ている秀才のため、
博識で太盛の質問にはなんでも答えてくれる。
その知性が歩き方にも出ていた。

ユーリは読書家で、ジャンルを問わず色々な書籍を読んでいた。
この屋敷の採用基準である外国語に関しては、
英語、フランス語、スペイン語に堪能だった。
留学経験はカナダのケベック。フランス語を第二言語としている地域だった。

大学時代に履修した中国語も少し話すことができる。

「マリンはすっかり英語がペラペラになったな。
  外国に留学できるレベルだそうじゃないか。
  フランス語のレベルはどうかな?」

「初級文法を理解されておりますから、言葉は
 すらすら出てきます。発音の強制に一番苦労されておりますね」

「あぁ、つい英語風に発音しちゃうんだろう?」

「リズムとイントネーションが英語風ですと
  フランス語に聞こえませんからね。
   それでもあのお年ですばらしく外国語に堪能ですわ。
   ご息女は素晴らしい才能をお持ちですよ。
    お父様によく似て」

「あはは。ユーリも口がうまいね」


ユーリと手をつなぎたくなって手を伸ばすと、
今はだめですと断られる。

ユーリの美しさはエリカでも目を見張るものがあった。

29になっても美しさに陰りは全く見えず、
大人の色気を増していくばかりだ。

妙齢の、こんな美しい女性が森でなく人でにぎわう
都会の街を歩いていたら、どれだけ多くの男が
振り返るだろうと太盛は思っていた。

不思議ななことにユーリには結婚願望はなかった。

彼女はできるなら一生金持ちの家に仕えて、
仕事のためだけに生きたいと思っていた。

結婚とか、永遠の男女の愛とか、
そういったまやかしを彼女は信じる気になれなかった。

(人の思いは、はかないもの。
  いずれ消えてしまうものだから……)

前を歩く太盛に、その沈んだ表情を見られることはなった。


「ユーリ。君がしっかり面倒を見てくれているおかげで
  マリンはあそこまで優秀になったんだ。
   君の教育の成果だと思っているよ」

「そんな……。私はなにもしておりませんわ」

「謙遜するなよ。ユーリには本当に感謝してる」

「うふふ。今日の太盛様はいつも以上に口が達者ですわ」

「僕がよくしゃべるのはいつものことじゃないか」

「お散歩中は、ほんとうにおしゃべりなこと」

「はは。なぜだろうね?」


ユーリは太盛とのあいまいな関係は嫌いではなかった。
使用人は主人の心の機敏に一番敏感でなければいけない立場にある。

太盛がエリカの凶悪さから逃れたい一心で自分に
逃避している気持ちはよくわかる。太盛の最大の欠点は心の弱さ。

彼には監禁虐待された暗い過去もあるから
彼の弱さを罵倒する気にはなれなかった。

子供が生まれてから太盛はささいな愚痴や
悩み事などをユーリに話すようになった。

4歳年上の太盛が心の弱さを打ち明けるのは、
実は妻たちではなくユーリだった。


古来、英国では主人を慰めることもメイドの
仕事の一つとされていた。それには夜の生活を
共にするという、いわゆる愛人的なことも含まれていた。

だからユーリは、自分の森での行為が
メイドの本分から外れているとは思わないようにした。

そう思わなければ、太盛とのあいまいな関係を続けることはできなかった。



「そろそろ屋敷に着くぞ」


森から一歩を踏み出した瞬間から、太盛は父親の顔。
ユーリはプロのメイドの顔になっていた。


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