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作品名:孤島生活  作者:なおちー

第14回   「関係改善」 A
四月の半ばになってソメイヨシノが散り始めた。
山桜としだれ桜が満開になっている。

晴天で日差しが心地よい。わずかに吹く風が、
美しい花びらをやさしくなでている。

山のふもとの桜並木を、太盛はマリンを連れて歩いていた。

マリンは父からプレゼントされたニコン製の
ミラーレス一眼(ようは薄い筐体の高級カメラ)を手にしている。

「枝から垂れている桜はこんなに素敵ですのね。
 毎年見ているはずなのに、見るたびに新しい発見が
 ありますわ」

「僕も毎年見ても全然飽きないよ。山桜の緑の葉も
 綺麗だ。花びらの色もはっきりしてるし、見てて
  癒されるぇ」

「美しい景色を毎日眺めていれば、
嫌な考えなんて浮かばなくなりますわ」

「ああ……。本当にね」

「お父様はよくおっしゃっていましたね。
 この桜並木は、本土の観光地と違って
  人で混雑していないから快適だと」

「うん」

「私は人がたくさんいる場所に行ったことはありませんが、
 人が集まるところは嫌なことばかりだと後藤が
言っていました。お父様はどうなのですか?」

「僕も後藤と同じさ。僕も、人はあまり好きじゃない。
 会社の同僚も、学校のクラスだって良いやつばかり
じゃなかった。むしろ合わないやつのほうが多かったかな」

マリンは立ち位置を変え、角度を変え、撮影を続けていた。
最後に花びらに接近して撮影して満足し、
父の手を握って歩き出した。

「もう撮影は良いのか?」

「十分撮りましたわ」

桜並木は低山の参道へ続く遊歩道に作られている。
山を背にして歩く親子。このまま進めば屋敷の方へたどり着く。
まだ開花を迎えていない八重桜の木の近くに、ミウがいた。

ミウは太盛たちの様子をうかがうように、木の近くに隠れていた。
太盛が駆け寄って声をかけた。

「そんなところに一人でいたのか。
いるんだったら声をかけてくれよ」

ミウは暗い顔で答える。

「いえ、その……。私も桜が見たくて、ここまで来たんですけど、
  太盛様達のお邪魔になるかなって」

「邪魔なわけないじゃないか。
  言ってくれれば屋敷から一緒に歩いたのに」

「あんなことがあったばかりですから、太盛様のおそばに
  いるのがつらくなったのです」

「ミウ……。あんなに明るかった君はどこへ行ってしまったんだ?
  あれは、全部僕が原因だ。君が気にすることじゃない。
  エリカのことなんて全部忘れちまえばいいんだよ」

「簡単に割り切るわけにはいきませんよ……。
  私は使用人としてここで働いている身ですから」

太盛は沈んだ彼女の表情を見るのが耐えられなかった。
鬱になっていた自分を励ましてくれたミウ。

一緒に外仕事で汗水を流したミウ。
6歳年下で友達もあり、妹でもある存在だった。

太盛はユーリやミウ達が使用人という言葉を使うのが嫌いだった。
太盛にとってミウ達は家族だからだ。

「俺はミウにずっと一緒にいてほしい」

「え……」

「俺は、ミウなしの生活は考えられないと思っている。
  ミウがいないんだったらここの島で暮らしても楽しくない」

「また、そんなことを言って……。女たらしなセリフが
  よく出てくるものです。奥様に聞かれたら
   ただじゃすみませんよ?」

「もうばれてるから、今更遅いよ」

と太盛がおどけて言うと、つられてミウも笑った。
太盛のつまらないジョークでも、
落ち込んでいたミウにとって良い気晴らしになった。

ミウは、太盛に遠慮する気持ちがあったから、部屋を荒らされた
事件の時も現場にはいかず、知らないふりをしていた。

エリカを恐れて太盛と距離を取らざるを得なかったのは
さみしくて胸が締め付けられそうだった。
彼女はただ、太盛と話をしたくて仕方がなかった。

「ミウ。妻にぶたれたところは大丈夫か? 痛むところはないか?」

「あざが少しできただけで、今は全然平気ですよ」

「よかった。あれ以来ミウと全然話ができなかったから、
  ずっと心配してたんだよ」

じっと太盛に熱っぽい目で見つめられ、ミウは頬を赤く染めた。
太盛に真剣な顔で言われると、心が宙に浮いたように
高揚してしまうのだ。

「太盛様は、やっぱりお優しい方です」

「家族なんだから、心配もするさ」

マリンが見ているというのに、かまわず抱擁する二人。
どちらともなく手を伸ばし、自然に抱き合ったのだ。

マリンは胸が締め付けられるような痛みを感じつつ、
二人の様子を観察していた。

父が非常に魅力的な男性で、本土でも多くの女に
人気があったことをよく知っていた。

だから、ミウが父のことを好きになる気持ちはよく分かった。
同時にエリカが父へ異常な執着をみせるのも。

エリカのような嫉妬女になりたくないので、
ミウを責めるつもりはなかった。
なにより邪魔をすれば父を怒らせるかもしれなかった。

父にとってユーリとミウは必要な女性なのだ。
本土では許されないこの愛人関係も、この島でなら合法になりうる。

「ごめんなマリン。君がすぐそばにいるのに、
こんなところをみせちゃってさ」

「気にしていませんわ。お父様がされることなら、
私はなにも不満はありませんもの」

「マリン……。それは従順というより卑屈だよ。
  思ったことを素直に口にしてごらん?」

「……私のことも大切に思ってくれればそれでいいですわ。
  私のこともミウと同じように抱きしめてくださいます?」

「ああ、もちろんだ」

ミウから離れてマリンの前でしゃがみ、
視線の高さを合わせる太盛。娘の少し背が伸びたなと思いつつ、
外人のように勢いよくハグした。

「私はお父様にとって一番良い子になりますわ。
 だから、マリンのことをずっと大切にしてください」

「マリンは、赤ちゃんの時からずっとパパの一番のお気に入りだ。
  パパがマリンのことを嫌いになることなんて、一生ないと思う。
   無理に背伸びをしなくていいんだよ?
   パパはマリンの子供っぽいところも見てみたいな」

「私は、子供っぽいのは好きじゃないのです。早くユーリや
  ミウみたいに素敵な大人になりたくて日々勉強しているのです」

ミウもしゃがみ、マリンの髪の毛をなでながら言った。

「マリン様はもう十分に素敵な淑女になっていますわ。
  ご自身で気づいていないだけですよ」

「そうなのかしら?」

「ええ。本当です。言葉遣いや言動に落ち着きと品があります。
  マリン様のお年でそこまで作法ができる方は
   本土でもそういないと思いますよ」

「ミウにそこまで言ってもらえると、少しうれしいわ」

いつもなら、子ども扱いするなとミウを叱るところだが、
マリンは黙って頭をなでられていた。太盛は娘のことが
たまらなく、いとおしかった。

気圧が下がり、雲模様が変化してきた。

西の方から雨雲が接近しつつあり、風の勢いが増してきた。
つい先ほどまでの晴天がウソのようだ。

桜の花びらが舞い、地面へ落ちていく。

太盛が腕時計を見ながら言った。

「午後から天気が急変するって言ってたな。そろそろ帰るか」

「そうですね。最近荒れた天気が多くて困りますよね。
  ゆっくり花見もできやしないですよ」

ミウもいつもの調子で返しながら早歩きで屋敷へ帰る。

雲が雷の音を鳴らし始めた。太盛たちが屋敷の玄関を
開けてからまもなく大雨が降り始めた。滝のように強い雨音が
屋敷の内部へと響いている。

「あなた、おかえりなさい」

玄関の奥からエリカが歩いて来て言った。

いつもの着物姿とショートカットの髪型。
今日は薄化粧で色気がなく、童顔なので少女のようだった。

目元に泣きはらしたあとがあった。
エリカは口元だけで薄い笑みを浮かべて言う。

「ちょうど大雨が振ってきましたね。
太盛様が雨にぬれなくて良かった」

「そうだな」

太盛の反応は淡白だった。
エリカがどんな状態だろうと関心がないからだ。
玄関先に同行していたミウとマリンがいる。

エリカの大嫌いな二人だ。この三人は互いに憎みあっている。
ミウとマリンは何もせず、夫婦のやり取りを見ていた。

ミウは仕事があると言えば場を切り出すことも出来たのだが、
太盛の怖いくらいに冷たい表情に驚いて動けなかった。

マリンはエリカがヒステリーを起こした場合にそなえて
待機していた。父を援護するためだ。

エリカは太盛のためにわざわざバスタオルを手にしていたのだが、
太盛は指摘しなかった。

「桜のお写真は綺麗に取れましたか? 今日は
 マリンちゃんたちとお散歩をされていたのですね」

「写真ならマリンが上手に取ってくれたよ。
  あとで僕の部屋のプリンターで印刷しようと思っているんだ」

「まあ、マリンちゃんが。きっと素敵な写真になりますわ」

エリカが嫉妬心を表に出さないどころか、良妻のふりを
続けていることに太盛は腹を立てた。エリカの腹の内が
黒いことは誰よりも太盛がよく分かっている。

エリカにどういう心の変化があったのかなど、どうでもいい。
過去にどのような事件が起ころうと、夫婦生活を絶対に
維持するのみ。夫婦円満という、おままごとには興味なかった。

「エリカ。すまないがお茶を飲みたいから、リビングに行くからな」

「なら、私が淹れてきます。何をお飲みになりますか?」

「君がわざわざすることないだろう。ミウに頼まないのか?」

「いえ。たまには夫に
  お飲み物をお出しするのも本来は妻の役割ですわ」

「……分かったよ。レモンティーをお願いしよう」

「はい。ただいまお持ちいたしますわ」

妻の日本語は実に優雅で、洗練されていると太盛は思った。
少し鼻にかかるほどの高いトーン。早口だが、
活舌が良いのでリズミカルに聞こえて心地よかった。

ミウは太盛に会釈してから仕事場へ消えた。

マリンは、エリカに許可も得ずに太盛と一緒にリビングの
大型ソファに腰かけた。レモンティーを持ってきたエリカは、
マリンが旦那の隣を占拠しているのを見て一瞬だけ顔を
しかめたが、すぐ笑顔になった。

「マリンちゃんは何か飲みたい?」

「あいにくですが、けっこうですわ」

マリンは丁寧に返事をしたが、エリカはませた返事の仕方が
かんに障ったので蛇のような眼でマリンをにらんだ。
押し殺した感情の恐ろしさに、さすがのマリンも鳥肌が立った。

太盛が口出した。

「エリカ。マリンがここにいるのが
 気に入らないんだろう?」

「さあ? なんのことかしら」

「とぼけなくていいから。はっきり言ってくれ」

「……はっきり言えば、あなたを怒らせるじゃない」

「怒るとか、そういう話じゃないんだ。
  演技するのはもうたくさんだから本音で話そうじゃないか。
   エリカは僕に何か話したいことがあるんだよな?」

エリカはマリンを横目で見ると、つまらなそうに鼻を鳴らした。
まるでジョウンのように品のない態度だ。

「実は先日、またクッパと相談しましたの。あなたの浮気性が
 治らないからどうすればいいのかと。そうしたらクッパは言いました。
 どうやっても治らないものは認めてしまったほうが賢いって」

「なんだそれは……」

「浮気性は不治の病ですわ。」

「確かに治らないな。僕はユーリとミウに手を出したクズ野郎だ」

「メイドだけですか?」

「ん?」

「娘も……」

「娘?」

「あなたの娘も、愛人の一人なのですか?」

と、マリンを流し目で見ながら言うエリカ。
マリンは油断のない表情で聞いていた。

「言っている意味がよく分からないが、僕はマリンを
 大切に思っているよ。親バカって言われるくらいにね。
 よく言えば子煩悩ってことにならないか?」

「そうなのですか。太盛様はそう思っておられるのですね」

「……何が言いたい?」

「いえ。俗世間的な言い方をすると、ロリータコンプレックスの
 一種なのかと思いまして。知っていますか? ロリータの語源は
  ロシア語にあるのですよ」

「な……」

「マリンちゃんの風邪が治ってから太盛様はずっとべったりですわ。
  どこへ出かけるにしても一緒。勉強のない時間も同じ部屋で
  すごされて、おそらく太盛様はマリンちゃんと一緒にいる
  時間が一番長いですわ。
うふふ……愛する旦那様が幼女趣味とは思いませんでした」

太盛は歯ぎしりし、飲んでいたティーカップをテーブルに置いた。

そこまで言われて腹が立たないわけがない。
いっそエリカが自分の部屋を荒らしたことを問いつめてやろうと思った。

「無礼な!!」

マリンが声を荒げる。

「先ほどのおばさまの発言は、お父様に対する侮辱ですわ」

「なにが? ちょっとした感想を言っただけじゃない」

「ロリコンという言い方は失礼ではありませんか。
 お父様は子煩悩な方ですわ」

「そうかしら? 片時も娘のそばを離れたくないなんて異常よ。
  赤ん坊ならともかく、マリンちゃんは10歳なのよ?
たぶん、他の人が見ても同じ感想を持つわ」

「父と一緒にいたいと言ったのは私です。
 父は学校通いをしていない私に気を使って
  いつも一緒にいてくださるのです」

「あらそうなの? それで妻の私は放置されているのだけど、
  これは私に対して失礼に当たらないのかしら?」

「どちらを選ぶかはお父様の自由意思ですわ」

「うふふ。自由意思だなんて、まるで欧州の学者みたいな
  言い方をするのね。難しい言葉をよくご存じねえ」

「欧州的な文化、価値観はお父様から教えていただきましたから。
  私は小さいころからお父様と常に一緒でした。
   エリカおばさまと違って本当の家族のきずなで結ばれていますの」

「家族……ね。マリンちゃんは子供らしくレナやカリンたちと
  ゲームやネットで遊んでいればいいのに」

「お父様と一緒にいるほうが楽しいですわ」

「同年代の子よりも父親といるほうが好き?
  あなたも相当なファザコンねえ」

マリンは禁句を口にされたので拳を強く握った。
父の前で品のない行動はできない。
本当は怒鳴りたかったが、我慢して冷静に言い返した。

「私がファザコンなら、おばさまは旦那に相手にされない、
  哀れな捨て犬ではないですか」

「捨て犬、ですって?」

我慢の限界を超えたエリカが、飲み終えたティーカップを
壁に投げた。破損音が鳴り、何事かと別室からユーリがやってきた。
ユーリは現場を見て固まるしかなかった。

顔の一部が引きつり、握った拳をふるわせながら
マリンをにらむエリカはまさに鬼のようだった。

ユーリは、この現状を止められるのは太盛しかいないと思った。

太盛にアイコンタクトで助けを求めるが、太盛は
眼を閉じて黙っていた。まるで瞑想するかのように
ソファに姿勢を正しくして座るのみ。悟りを開いた僧侶のようだ。

エリカが口を開く。

「ユーリ」

「は、はい」

「ティーカップが割れたわ。片付けておきなさい」

「ただちに」

掃除道具を持って破片を片付けるユーリ。
その間もマリンとエリカの間で無言のにらみ合いが続いた。

マリンもエリカに負けず、少女とは思えないほど凶悪な顔で
エリカをにらんでいた。

永遠に続くかと思われた沈黙の時間。

エリカがふいに口を開いた。

「……マリンちゃん。あなたは私の敵ね?」

「今更気づいたのですか?」

さらに無言のにらみ合いが続いた。

空気が限界まで張り詰め、部屋中の
窓ガラスが割れてしまいそうだった。

猛烈に太盛の胃腸の調子が悪くなる。心労のためだ。
眼を閉じていたのは寝ているわけではなく、
鬼の形相の妻と娘を見たくなかったからだ。

今すぐトイレに駆け込みたくなったが、つとめて冷静に言う。

「すまないエリカ。体の調子が悪いから失礼する」

「あら。つれないですのね」

楽しいおもちゃを取り上げられた子供のようにがっかりするエリカ。

太盛の去り際に

「では、またのちほど」

と言うが、太盛のあとに続くマリンには一言もかけなかった。


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