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作品名:孤島生活  作者:なおちー

第10回   「ルイージ襲撃事件のあと」 B
「奥様。今朝は具合が悪そうに見えますが」

「大丈夫よ鈴原。少し寝つきが悪かっただけ」

「お薬をお出ししましょうか?」

「けっこうよ。朝ごはんもいつも通りだしてちょうだい」

翌朝。エリカが食堂の長テーブルに肘をついてふてくされていた。
礼儀作法に厳しいエリカがだらしない恰好を
するのは非常に珍しいことだった。髪に少し寝癖も残っている。

鈴原は彼女が不機嫌なのだとすぐに察し、
それ以上余計なことを話しかけないことにした。

『お母さま、おはようございます』

双子が声を重ねて食堂へやってきた。
7時の朝食の時間に合わせて身支度もできていた。

「おはよう。2人とも今日はちゃんとしていて偉いわね」

母に褒められることはめったにないから、
双子は顔を見合わせて驚いた。

カリンは母の微妙な表情をすぐに察して聞いた。

「ママ。元気がないようですけど、体調でも悪いのですか?」

「……体調は、問題ないのよ」

「でも、声もいつもと違って沈んでいます。
  お父様と喧嘩でもしたのですか?」

エリカは、カリンの洞察力の高さに驚愕(きょうがく)した。

実際にエリカが不機嫌になるのは体調のこと以外では
太盛と娘たちのことが多いのだが。それにしてもカリンは
食堂で一目見ただけでエリカの不機嫌の原因が分かってしまった。

「カリンは……私が太盛さんと喧嘩中だと思ったのね」

「はい。だって今朝のパパはこの時間でもまだ起きてないのでしょ?
  さっき廊下でユーリにあったので聞いてきました」

ユーリの名前を出された瞬間にエリカの表情がゆがんだ。

本当はユーリのことを殺したいほど憎んでいると言えれば
どれだけ楽だったことだろう。

「パパは昨日遅くまで起きていたから疲れているのよ」

あの真面目な父が夜更かしをした理由をカリンは知りたがった。
夫婦一緒に寝ているはずなのに、片方だけが起きてこない理由は
なにか。カリンはもっと質問をしたいと思った。

しかし、エリカの細められた目が。
それ以上余計な詮索をするなと言っている。
カリンは母の感情を害するのが恐ろしかった。

「お食事が覚めちゃうでしょ。
  しゃべってばかりいないで食べてしまいなさい」

レナはずっと黙ってクロワッサンとスクランブルエッグを食べている。
カリンも話している最中手を付けていなかったサラダを口にして、
それ以上母に話しかけないことにした。

生まれてからずっと島暮らしをしている2人にとって
母ほど恐ろしい存在はいなかった。母を怒らせると
雷のような叱責が飛んでくるからだ。

(いつもなら勉強の進み具合とか聞いてくるのに……。
  なんか静かでつまらない食事だなぁ)

レナはさっさと食べ終えてしまい、食後の紅茶を飲んでいた。

食事を配膳してくれたミウもおとなしく壁に立っている。
話し相手がいなくてつまらなかったレナはミウと
会話しようと思ったが、カリンがアイコンタクトでやめさせた。

(あれ?)

レナがそう思ったのは、エリカの食事が全く進んでいないのだ。
サラダを少し口にしただけでパンとおかずはそのまま。
ホットコーヒーはとっくに冷めてしまっていることだろう。

エリカは食事に時間をかけるほうだったが、それにしても異常だった。
娘たちの奇異な視線に気づいたエリカは、
コーヒーを一気に飲み干し、ミウに命じた。

「エスプレッソのお代わりをもらえるかしら?
  砂糖を多めにね」

「かしこまりました」

慣れた動作で厨房へと消えていくミウを視線で追う双子。
エリカは彼女らの食べ終えた皿を見ながらこう言った。

「今日は算数の小テストの日だったわね。
  2人とも、そろそろ、ごちそうさまをしなさい」

『はい。ごちそうさました』

双子はいつものように声を合わせて退席するのだった。


ミウが入れ替わりで食堂へ戻ってきた。

「奥様、エスプレッソでございます」

エリカは返事をせず、テーブルに置かれた
コーヒーを見つめていた。ありがとうとか、ご苦労様という
決まり文句が出てこないことにミウは不思議に思った。

「ミウは知っていたのね?」

「はっ、なんのことでしょうか?」

「ユーリのことよ。ユーリのご家族のこと」

「それは……確かに知っていました」

「ずいぶんと不幸な過去があったのね。
  昨日海岸を散歩しているときにユーリにあってね、
   そこで詳しい話を聞いたのよ」

「あー、海岸ですか」

話の流れである程度言いたいことを察したミウ。

ユーリが海岸で立ち尽くして泣いているのを
ミウは過去に何度か目撃していたのだ。

「あの子、心を許した人には過去を話していたのね。
  私はあの子の主人の立場にあるけど、何も知らなかったわ」

「それは……人には思い出したくない過去の一つや二つは
 あるものですから、仕方のないことではないかと。
 家族を失った心の痛みはあの子にしか分からないことですよ」

正論だとエリカは思った。エリカが気に入らないのはユーリが
隠れて旦那とあいびきしていることだった。

どちらから迫ったとか、そういうことは重要ではない。
浮気現場を見たのは昨夜が初めてだったが、
実は早朝散歩の際に二人はキスやハグなど日常的にやっていた。

婚約時代の監禁事件の際、太盛の釈放を
望んでいたユーリの顔を今でも覚えている。
まだ10代の幼い少女だったが、瞳に強い意志が込められていた。

(あの二人が両想いになったのは、偶然ではないわ)

一口飲んだ後に、コーヒーの濃厚な後味が残る。
苦味などまるで感じなかった。

(孤島での生活を父に強制された太盛様。
  身寄りをなくして自ら孤島生活を望んだユーリ……。
  お互いに同乗しあっているから惹かれているのよ
  それにしても私に隠れてこそこそと……)

昨夜の逢引のシーンが脳裏に浮かび、歯ぎしりをするエリカ。
ミウはゾッとして厨房へと消えてしまう。

ミウは空気を読むのがうまいのでエリカを
一人にさせてあげたほうがいいと判断した。

エリカはコーヒーを飲んだ後も食堂に残り、考え事を続けていた。

(二人にお仕置きは……無理ね。私には娘達がいる。
  もう婚約者の時と違って一人の母なのよ)

主人である自分をないがしろにしたユーリは処罰の対象であった。
地下室に監禁を命じるのは簡単だったが、子供ができてからの
エリカはそういった中世を思わせる残酷な行為はひかえていた。

ユーリなしで屋敷の管理は大変だ。
鈴原や後藤の仕事の負担を増やすことになる。

それにユーリの親友のミウのこともある。
ミウがエリカに絶対的な不信感をいだくのは確実。
最悪ミウが転職のため島を去ってしまうことも考えられる。

ここの使用人は、党首の許可をもらえば島から
脱出することは可能となっている。

エリカや太盛など親族は党首に命じられた通り
孤島生活を続けなければいけないのだが。

太盛を処罰しても同じことだった。レナ、カリン、マリンの三人は
父が大好きで、母達になついていないのは周知の事実だった。

娘達が監禁されている父を見たらどう思うだろうか。
想像せずとも分かることだった。強い家族のきずなで結ばれた彼らを
古臭いソ連式の恐怖と支配で縛っておくことはもはや不可能だった。

ならば、もう一人の太盛の妻であるクッパに聞けばどうかと思った。
テーブルのベルを鳴らしてミウを呼ぶ。

「御用でしょうか奥様」

「クッパをリビングに呼んでちょうだい。
  少し話したいことがあるのよ」

「……あいにくですが」

「なに?」

「クッパ様は山籠もりをされておりますので、
  すぐにお呼び出しをするのは難しいかと」

「山籠もりですって? 地中に穴を掘って
 熊の冬眠のまねでもしているの?」

「そのようですね。あの方は一度外に出ると
  一週間ほど帰ってきませんから」


12月の寒空の下、山で冬眠である。
クッパはアウトドア生活になれるための訓練と称して
冬の山籠もりという暴挙をしていた。

確かに常識外れであるが、
クッパはすでに人類を超越した生命体だと
館の全員が思っていたので心配はしなかった。

「クッパと無線で連絡を取りなさい。
  無線機は持たせているのでしょう?」

「わかりました。少々お待ちください。」

1分ほど会話をした後、ミウが言った。

「山を降りるのに時間がかかるため、
  館に戻るのは明日以降になるそうです。
   いつ戻れるかは天気次第だとおっしゃっていました」

「了解したわ。クッパさんが戻ってきたら、
  リビングに来るように言っておいて」

「承知いたしました」

エリカはようやく食堂を後にした。
時刻は8時半を過ぎている。

ミウはほとんど口をつけていないコーヒーカップを
恭しく片付けるのだった。


その次の日の午後。クッパはまだ帰ってこなかった。

エリカと太盛の関係は非常に気まずかった。寝食を共にしている同士だから、
太盛はエリカに不信感を持たれていることにはもちろん気づいている。
エリカも気づいていながら、夫の浮気を口にすることができない。

「今日は雨だから外仕事がない。
  レナ達の相手をしてあげようと思うんだけど、いいかな?」

「かまいませんわ。子供たちは午後の授業がありませんから、
  たまには父親とスキンシップを取るべきですわね」

太盛は昼下がりのコーヒーブレイクを
切り上げてレナ達の部屋へ遊びに行った。

リビングにはエリカが一人残されてずっと考え事をしている。
新聞を手にしてはいるが、心はここにあらず。

使用人たちもエリカを気遣ってあえて一人にさせていた。

「二人とも。いるか?」

「え? パパ!?」

「暇だったらパパと遊ぼうか。カリンもいるんだろ?」

「うん!!」

レナがノックされた扉を開けて父を中に通した。

床にまで響く重低音のリズムが太盛を迎えた。

レナはユーチューブでアイドルのPVを流していたのだ。
画面の動きに合わせて踊りの練習をしていたので汗ばんでいる。

暖房をつけているとはいえ、ゆったりとしたジャージのズボンに
上は長袖Tシャツという薄着だった。
ダンスレッスン中の女性アイドルのようであった。

双子の部屋は広い。中央にペルシア絨毯(じゅうたん)が惹かれていて、
ベッドは隣り合わせで二つ。子供用なのにふかふかのキングサイズである。

高級な木材を使用したテーブルにノートPCが置かれている。
イスは踊りの邪魔なので部屋の片隅に移動していた。

PCはケーブルで足元のデノン製のアンプ(オーディオ装置の一種で、
音を増幅させるための装置)に接続されている。

アンプからケーブルが伸び、PC台の両脇に並ぶスピーカーに
接続されている。

スピーカーは小型ブックシェルフと呼ばれるタイプのものだ。
いわゆるミニコンポについてくるスピーカーと同サイズだが、
中身がまるで違う。英国製品でマーキュリーと呼ばれるブランドだった。

クラシックなど生演奏の音源を得意とする、
世界中のマニアから定評のあるブランドなのである。

レナにとってそんなことはどうでもよく、
ポップス以外の曲を流したことはなかった。


レナはベッドにうつ伏せに寝て雑誌を読んでいた。

レナの音楽がうるさいのでヘッドホンで
ゲームのサントラを聞いていた。
ヘッドホンはウォークマンに接続されている。

普段はツインテールにしているが、この日は髪をおろしていた。

父のがいることに気づくと、ヘッドホンを勢いよく外して首にかけた。

「え? パパ来てたの!?
  来るなら言ってくれればよかったのに」

「ごめんごめん。今日は雨だったから、たまにはカリンたちの
 遊び相手をしてあげようかなって思ったのさ」

「ほんとー? やったぁ」
 
「なにして遊ぼうか?」

「そうねぇ。なにしようかしら」

ワクワクしながら、頭の中で考えが次々に浮かんでいく。
カリンはパンツルックにピンクのパーカーを着ていた。

レナとカリンの髪は腰まで届くほどの長さがある。
2人とも髪を降ろしていると、外見だけでは見分けがつかない。

「じゃあゲームしよう!!」

レナが元気に言い、テレビ台の中にしまってある任天堂Wiiを取り出す。
ソフトはレナの得意なマリオカートである。

コントローラーは2つしかないので、パパは固定でカリンと
レナが交代で対戦する。同時に8人で行うレースで、
他の6人はコンピューターが操作する

最初にパパとプレイしたのはカリンだった。

「パパ、結構上手なんだね。ドリフトのためとか良く知ってるじゃん」

「パパも中学生の頃は友達の家で良くやっていたからね」

「パパの時代からマリカーってあるの?」

「僕が小学3年の頃には発売されていたよ。
  最初はスーファミ盤から始めたんだ。
   これでも結構ベテランなんだよ?」

カリンはヨッシー、太盛はピノキオを選択していた。
ゲームに精通した者たちは、彼らが選択したような
軽量級のキャラクターを選ぶ傾向にある。

「今度は私の番だよぉ」

レナは好んでクッパやドンキーなど重量級のキャラを使う。
レナは見た目が面白いからクッパを使うことを好んだ。

「マリンちゃんのママ、大暴走だぁ」

「うおっ」

クッパが後ろから太盛のピノキオに激しくぶつかり、
勢いに負けたピノキオはコース横の路肩に落ちてしまった。

クッパは得意げに笑い、どんどんスピードを上げていく。
重量級はコーナリングに弱い一方、直線での加速性能に優れていた。

「レナもなかなかうまいな。もうパパじゃレナには勝てなくなっちゃったよ。
  レナが小さいころはパパのほうが強かったのにね」

「えへへー。レナはオンライン対戦で鍛えられてるからね」

「レナ。早く私と変わってよ。次は風船対決にしよ」

太盛は微笑ましい顔で子供たちのことを見守っていた。
レースの次は風船バトルをはじめ、さらに白熱した戦いになった。

気が付いたら2時間が過ぎ、お茶の時間になったのでユーリが扉をノックした。

「太盛様、お茶のご用意ができております」

「おおっ。今日はユーリが来てくれたのか。入ってくれ」

「失礼いたします」

ユーリがパウンドケーキとアールグレイの乗ったカートを押して入ってくる。

「今日は銀のぶどうだぁ」

「これさっぱりしてて美味しいのよね」

パウンドケーキは実際に販売されている銘柄だ。
彼は本土時代に、デパートのケーキ売り場で試食して
美味しかった菓子を帰宅後にまねて作るのが得意だった。

ふわふわの生地の中に干しブドウがふんだんに入っている。
ケーキにホワイトクリームが掛けられていて、その上にも
干しブドウがたくさんまぶしてある。

「ユーリ、今日もありがとう」

「うふふ。これが私の務めですから」

「それと、ちょっと話があるんだけど」

「はい?」

もしゃもしゃとケーキを食べている子供たちを部屋に置いて
太盛は廊下へ出た。

(あの二人、こそこそ何を話しているのかしら?
  それにさっきの仕草……)

めざといカリンは父の行動を見逃さなかった。
部屋を出る際、自然とユーリの腰へ手を伸ばしていたのだ。

あれは、恋人の距離感であった。おやつを運んだ時のユーリも、
太盛と普通に話しているように見えて笑顔が自然だった。
仕事上の愛想笑いではなく、心を許している女の顔をしていた。

「ねえレナ。パパたち、廊下で何話しているんだろうね?」

「さあ? 仕事の話でもしてるんじゃないのぉ?」

レナはパクパクとケーキを食べ、すっかりご機嫌であった。
能天気な姉を羨ましく思い、カリンはそれ以上聞かなかかった。

(もっと紅茶の砂糖を増やしてもらおうかな。
  これじゃちょっと苦いかも)

と花梨(カリン)が思っていると、太盛が何気ない顔で戻ってきた。

二人で何話していたの、とカリンが利くと、
太盛はちょっと仕事のことでね、と言葉を濁した。

(なんか怪しいな……)

カリンは母の不機嫌の理由がユーリにあると考えて納得した。
彼女は大人向けの恋愛小説をよく読んでいたから、
上流階級で主人がメイドと不倫をする話を知っていた。

けど優しくて子供思いの父が、そんな不潔な人だと思いたくなかった。
それに姉のレナもここにいる。今はまだ聞き出せなかった。

「ゲームにも疲れたから、映画を観ようか?」

「さんせーい」

と歌うような口調で怜奈(レナ)がパパに答える。

「レナとカリンはどんなジャンルが観たい?」

「うーんと、ぶっ殺し系が良い!!」

「私も派手なアクション系か、サスペンスが良い」

「うーむ、分かった。それらしいのを持ってきてあげよう」

太盛は自分の部屋からブルーレイのソフトを持ってきた。
作品は90年代に全世界でヒットしたサスペンス映画である。

猟奇殺人犯と、FBIの新人捜査官が高度な心理戦を
繰り広げて事件の謎を暴くという内容だ。

太盛が日本語字幕なしで再生を始めると、警察や医学に関することなど、
専門用語が多すぎて半分以上理解できなかった。

「ごめんごめん。この映画の英語は大人向け過ぎたね。
  パパも全然わからないよ」

リモコンで字幕表示を有りにすると、カリンが安心してため息をついた。

「そもそもカリン達はアメリカの英語が聞き取れないんだよ。
  イギリスのと全然リズムが違うんだもん」

「へえ。そんなに違うものかな?」

「ずっと高い音が続いて耳が痛くなる。
 なんかオランダ語?とかそういう音に聞こえるよ」

「レナ達はママとミウの英語で慣れちゃったからねー。
  ぶっちゃけパパの英語も映画と同じでほとんど聞き取れないよ」

太盛はショックを受けながら画面を見ていた。
学生の時に見たきりだから、久しぶりに観る映画になる。

映画とは面白いもので、10代の時に見たのと父親になった時では
見る視点がまるで違っている。
それは小説や芸術などにも同じことが言える。

本当に名作といわれるものは時間を空けて観ると
次々と新しい発見があるものだ。

物語が中盤に差し掛かると、牢屋に閉じ込めた犯人と捜査官との
会話劇が中心になる。この会話が見事な心理戦の応酬になるのだが、
レナは退屈になって寝てしまった。

太盛とカリンはハラハラしながら画面を見続けていた。

殺人のシーンに変わった。人は殺害後に被害者の体中の
皮をはがしては喜んでいるキチガイだった。

気持ち悪さに鳥肌が立つカリン。
怖いシーンを見ると急に人恋しくなるものだ。

カリンはソファの隅で寝ているレナを放っておいて、
パパの隣にぴったりと体を寄せた。

太盛の肩に頭を乗せると、優しくなでてくれた。

「パパ……聞きたいことがあるの」

「なんだい?」

「パパはさ……ユーリのことが好きなの?」

心臓を突き刺された気持ちになった太盛は
娘の顔をまじまじと見つめた。

姉妹そろってふっくらした頬。丸みのある体系。
カリンは、母譲りの知性を帯びた漆黒の瞳をしている。

太盛は、カリンが感づいていることを知っていながらも
なんとか話題をそらそうと必死になった。
あたり触りのない返事をする。

「それはそうだ。大切な家族だからね。
 パパはユーリのこともカリン達のこともみんな大好きだよ」

「そういうことを聞きたいんじゃないの」

カリンは少し語尾を強めて続けた。

「男と女の関係なのかって聞いてるの」

「なっ」

さすがに言葉を失う太盛。カリンの質問はあまりにも直球過ぎたのだ。

おませさん、などと可愛い言い方ができる娘ではなかった。
エリカがカリンを苦手にしている気持ちがよく分かった。

男と女の関係といった言葉は、普通の小学生からは出てこないはずである。

(しかし、カリンはいつ気づいたんだ?
  俺がユーリと二人きりになるのは深夜と早朝の森だけだ。
   カリンが見ていたとは考えにくい……。
   まさか、こっそり見ていたミウが告げ口をしたか……?)

太盛が思考をめぐらしている最中も、
カリンは父の引きつった顔をじっと見ていた。

「その顔はやっぱり図星だったんだね」

太盛はカリンのことを怒鳴り散らしたい衝動にかられた。
娘たちは目に入れても痛くないほど可愛いがっている。

それでも、ユーリとの秘密の関係に踏み込まれるのは不愉快だった。
父として、夫として最低のことをしている自覚はある。

それでも動き出した感情は止まらない。
ユーリの過去を知ってしまったから余計に。

「ママが、ここ数日ずっと機嫌悪そうだったよね?
  パパも、もちろん知っていると思う」

「ああ……」

「ママが苦しんでるのってパパが原因なんだ?」

太盛は大きく深呼吸した後にこう言った。

「カリン。ませたことを言うのもいい加減にしなさい」

「そうやって逃げたって無駄だよ。ママがかわいそうだよ。
  このままじゃ離婚するかもしれないよ?」

「……パパとママに離婚はありえないんだよ。
  おじいさんがこの島で暮らすよう命じているんだから。
   おじいさんは絶対に離婚は許さないって、
    婚約してた頃から決めていたんだよ」

「じゃあ、ママはどうなるの? パパに裏切られたまま、
  ずっとこの島で暮らさなきゃいけないの?」

太盛には返す言葉が思い浮かばなかったため、重い沈黙が続く。

映画のセリフだけが部屋に流れている。

カリンも太盛も映画の内容など頭に入っていなかった。


太盛はカリンの聡明さに驚きを通り越して恐怖すら感じていた。
なぜユーリとの関係に感づいたのか、今更聞いても意味がない。

この尋問に近い質問攻めと、鋭い洞察力はエリカの家系である、
ソビエト閣僚の血を受け継いだからだと考えられた。

カリンは無意識のうちにソビエト人がもつような、
疑い深さや執念深さをもっていたのだ。


「失礼します。お父様。わたくしも一緒に映画を観に来ました。
  ご一緒してもよろしくて?」

品のある動作で入ってきたのはマリンだった。白いタールネックの
セーターに赤と黒のチェックのスカート。濃い青のタイツをはいていた。

太盛もベージュのタートルネックのセーターを着ていたので、
上着の種類はお揃いだった。

「もちろんだよ。こっちが開いているから、おいで?」

「はい」

マリンはカリンとは反対側に座る。
父は大型ソファの上で娘二人に左右を囲まれた形になった。

(なんでこんな時に入ってくるのよ)

カリンは良いタイミングで邪魔をしてきたマリンに舌打ちしそうになる。
ニコニコして父の横に座るマリンは、してやってりという顔で
カリンことを一瞬見た。

(マリンのやつ……)

カリンは勘が良いのでマリンの意図を一瞬で察した。
頭の切れる者同士だからこそ分かるコミュニケーションだ。

太盛が知ったら発狂しそうな事実だが、実は太盛と
ユーリの深夜の逢引の件は使用人の間で噂になっていた。

深夜の密会を偶然目撃したミウが後藤に相談したところ、
後藤が口を滑らせてしまい、鈴原の耳にも入った。

マリンは盗み聞きをするのが得意なので、後藤達が
使用人室の前の廊下で小声で話し合っているのを、
通りかかった際に全部聞いてしまった。

(あんた、私たちの部屋の前で聞き耳を立てていたんでしょ?)

とカリンが視線に込めてマリンをにらむと、マリンは
すました顔でとぼけてみせた。このアイコンタクトだけで十分だった。

カリンはさすがにマリンがいるのに尋問する気にはなれず、
それ以降は行儀を良くしてずっと映画を見続けた。


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