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作品名:運命の赤い糸 作者:箕輪久美

第6回   進展
しばらくして、健一は、2階にある父親の書斎に案内された。室内には、中央に新品の麻雀卓と4脚の立派な椅子、そして、壁際にはいつでも飲み物が飲めるように冷蔵庫まで置かれており、その右横の棚にはお菓子やおつまみ類が山ほど用意されていた。
「これは、本格的ですね〜!あっ、卓も自動配牌なんですね」
自動配牌とは、プレーヤーがゲーム開始後に1つずつ牌を持ってくる山だけでなく、ゲームに必要な最初の13の牌まで卓が自動でプレーヤーの前に揃えてくれることである。
「そうです。でも、これ、特注品でしてな、ただの自動配牌ではないんですよ」
「と言いますと・・?」
「まあ、それは、打ってみればすぐにわかりますよ。それでは、どうぞそちらにお掛け下さい」
「はい、ありがとうございます」
健一は、示された席に腰を下ろした。
「ルールは、2万5千点持ちの3満点返し、後付けなし、泣きタンなしです。箱点になった時点で半荘は終了し、マイナス10点、半荘で一度も上がれなければ、焼き鳥としてマイナス10点です。よろしいでしょうか?」
「はい、結構です」
4人は、場所決めをして早速半荘を開始した。奏は、健一の横に椅子を持ってきて仏頂面で座っていた。
「あっ、これ、理牌も自動でやってくれるんですね!」
理牌とは、牌を種類ごとに並べ替えることである。
「そうです。知り合いの機器製造会社の社長に頼んで、特別に後からこの機能を取り付けてもらったのです」
「すごいですね!どれくらいかかるものなんですか?」
「まあ、全部で300万円というところですかな」
「さっ、300万円!!」
「この人、いつもこうなんですよ、涌井さん。まったく、宝の持ち腐れ以外の何物でもないでしょ」
「その宝の持ち腐れにならないように、涌井さんに教わっているんじゃないか。母さん、早く切りなさいよ」
「はい、はい」
7巡目が終わったところで、健一は、3人の実力がはっきりと分かった。健一が、ツモ切りを3巡続けているにもかかわらず、3人は、全く自分のテンパイの気配に気が付かず、危険牌をどんどん切ってくる。周りの状況よりも、自分の手牌を揃えるのに必死という感じである。そして、8巡目に悟が上がり牌を放銃した。
「ロン、タンヤオドラ3。満貫8千点です」
「ああ―、やられた―!」
次の東2局は、健一一人がテンパイで流局。そして、東3局、健一の親の時に、悟がハネ満の1万8千点を健一に振り込みあっけなく箱点となって半荘が終了した。
「あっちゃ―、親が来る前に終わっちゃった―!相変わらず強いですね、涌井さん」
健一は、大学時代に麻雀を始めたのだが、基本的なことを覚えてしまってからは、回りが目を見張るほど急に強くなった。
これは、勝負所を的確に察知する鋭い洞察力、相手の動きの一歩先を素早く読み切る勘の良さ、勝負のどんな流れにも臨機応変に対応できる高い柔軟性など、バドミントンのキャリアを通じて培われたものによるところが大きかった。
毎年開かれる部内の麻雀大会に、営業第2課の代表として参加してきた健一は、4度の大会のうち3度を見事な優勝で飾っていた。
「え〜と、それでは、少し気が付いた点についてお話ししましょうか」
「おお!お願いします」
父親は、思わず身を乗り出した。
「まず、皆さんは、基本的なことがまだ完全に身についていないような印象を受けました。自分もそうだったのですが、基本が完全に身につかないうちは、なかなか全体の流れを見通して戦うことができないので、すべてが運任せになってしまいがちです。だから、なるべく早く基本を身につけることが大切です」
いつの間にか、父親は、熱心にメモを取り始めている。
「そして、基本を身につけてから重要になるのは、トータルで勝つにはどうすればよいのかを常に考えながら戦うということです」
「それは、どういうことですか?」
「つまり、麻雀は4人で行うゲームなので、すべての対局で自分が勝ち続けることはできないということです。行くべき時と引くべき時を考えずに、すべての局で上がりを目指そうとすると必ず負けます」
「採用するルールと戦う対局の数、そして、自分の点棒と相手の点棒との差を常に頭に置いて、例えば、役満をテンパイしていても降りる時は降りるし、リーチのみの手でも必要な時は勝負に行くという選択をしながら、最後に、合計点で残りの3人を上回るにはどう打てばよいのかを常に考えて戦うのです」
「なるほど!おっしゃることは、わかりますが、なかなか難しいですな」
「はい、一朝一夕にできることではありません。そのためには、多くの対局を経験して、牌の流れや勝負の展開を正確に見極める力を身につける必要があります」
「一つ確かなのは、今お話ししたことを頭に置いて打つのと、ただやみくもに打つのでは、大きな差が出るということです。ぜひ対局中に、最後に勝つためには、今どうすべきなのかということを意識しながら打ってみてください」
「それと、特注で取り付けられたこの理牌の機能は使われない方がいいですね」
「えっ!なぜですか?」
「これは、大変便利な機能ですが、牌を揃える順番が決まっていて、左からマンズ、ソーズ、ピンズ、字牌の順に必ず揃えてくれます。言い換えると、牌の取り込みと切り出しの位置を見ていれば、どの種類の牌を集めているのかが大体わかるんです。僕の親の時に、悟君が、ハネ満を振り込みましたが、彼はあの時、マンズを集めていないのがはっきりとわかったので、マンズで待つ方向に手を伸ばしていったんです」
「なっ、なるほど!!!」
奏は、話の中身はよくわからなかったが、健一の理路整然とした説得力のある説明をうっとりとした面持ちで聞いていた。
その後、4人はゲームを再開したが、あっという間に時が経ち、父親が、ふと、部屋の壁掛け時計を見ると、いつの間にか12時を15分程回っていた。
「おお!もうこんな時間か。いかん、いかん。奏、昼食に何か作ってくれんか」
「えっ!」
「おまえ、お客さんにお昼のごはんもお出ししないのか」
「わかったわよ!」
奏は、そう言うと、膨れ面のまま部屋を出ていった。
「やれやれ、一体、何を怒ってんだか。さあ、続けましょう。涌井さん」
「はっ、はい」
20分程して、奏は、料理を手に書斎に戻って来た。
奏は、下のキッチンで炒飯を作ってきたのだが、健一の分には、エビやアワビなど豪華な具材が入っていて、玉子スープとフルーツサラダまで付いていた。
一方、家族4人の分は炒飯のみで、母親と奏の炒飯には、グリンピースとチキンの具が入っていたが、父親と悟の分は、ご飯を炒めただけで具が全く入っていなかった。
「さあ、健一さん、召し上がれ!」
「あっ、ありがとう」
「うおっ!こっ、この差は何じゃ!」
「何よ!健一さんは、お客さんなんだから当たり前でしょ!いやなら食べなきゃいいじゃない!」
「お〜怖い、まったく誰に似たのかね〜」
「え――っ!何か言った!」
「いえ、いえ、何も言ってませんよ〜、おいしくいただきますよ〜」
 昼食を終えた一同は、再び麻雀を開始したが、もともと力に差がありすぎるため、何度やっても健一の楽勝で、その都度健一は、牌の切り方や手の進め方を細かく解説していった。
父親は、メモと取りながら、わからないところがあると、納得できるまで徹底的に健一に質問を繰り返した。
健一は、その姿に、美彩季の仕事の引継ぎを健一から受けた時の悟の姿がダブって見えた。この親子は、顔だけではなく、気質もよく似ているのだと思った。
 やがて、5時になり、健一がそろそろ帰宅しようとすると、父親は、強く健一を引き留めて、引き続き打ち方を教えてほしいと必死に懇願した。健一も、その気迫にタジタジとなりゲームの続行に同意した。
しばらくして、夕食の時刻となったので、父親は近所の寿司屋から出前を頼んで5人は夕食を済ませ、さらに麻雀は続けられた。そして、とうとう時計は9時を回ったが、それでも一向にゲームを止めようとしない父親に対して、ついに、母親が切れた。
「お父さん!!いい加減にしなさい!!涌井さんも、悟も明日仕事があるのよ!あんただってそうでしょう!こんなことをしていたら、もう二度と涌井さんは来てくれなくなるわよ!!それでもいいの――!!」
「いっ、いや、そっ、それは、それは困る!」
「それじゃあ、今すぐ麻雀を止めなさ――い!!」
「わっ、わかった、儂が悪かった!止める!今すぐ止める!」
「すみません、涌井さん。お見苦しいところをお見せしてしまって。でも、この人、こうでも言わないと、本当に朝までやりかねないんです」
「いや―、もの凄い執念ですね。きっと、麻雀が強くなるのにそんなに時間はかからないと思いますよ」
「えっ、そうですかな!」
「何ニヤケてるのよ!それよりも先に、健一さんに、お礼を言いわなきゃだめでしょ!」
「おお、そうでした。涌井さん、遅くまでお付き合いいただきまして本当にありがとうございました。最初にもお話ししましたが、私は、何かに入り込んでしまうと回りが全く見えなくなってしまうので、長々とお引き留めしてしまってすみませんでした。どうぞご勘弁ください」
「いえ、いえ、とんでもありません。こちらこそ、とても楽しかったです。また、機会がありましたら寄らしていただきます」
「おお、そうですか!是非ともお願いします。これで、奏はバドミントンで、悟は仕事で、そして、私と母さんは麻雀で涌井さんの生徒になったわけですな。今日は、本当に我が家にとってよい一日になりました」
「それでは、涌井さんをお見送りしますよ。3人とも下に降りて、降りて」
「何調子のいいことを言ってるのよ!さっきまで、全然麻雀を止めようとしなかったくせに!」
相変わらず父親に悪態をつきながら、奏は書斎のドアを開けて下へ降りて行く、悟と母親も奏の後に続いて部屋を出た。
健一も上着を羽織ると、父親に促され、書斎を後にして階段を下り、玄関まで歩みを進めた。そして、母親から靴ベラを借りると、きれいに揃えられた自分の靴に両足を通した。
 「本日は、ご挨拶だけのつもりでしたが、長々とお邪魔してしまいすみませんでした。それでは、これで失礼いたします」
「いえ、いえ、何をおっしゃいます。この人が長時間に渡ってお引き留めしてしまって本当に申し訳ありませんでした。どうぞ、お気を悪くなさらないでください」
「いいえ、とんでもありません。とても楽しかったですし、今成功されている理由がよくわかって、たいへん有意義でした」
「涌井さん、今日はお休みにもかかわらす我が家においでいただきまして、本当にありがとうございました。たまたま、私が麻雀に熱中していたので、麻雀の講義のためにお越しいただくような形になってしまいましたが・・・実は、私どもが、涌井さんにお会いしたかった理由は、別にありましてな」
「はっ、はあ・・・」
「奏が、涌井さんのことをよく私たちに話してくれるのですが、その時はいつも、実に楽しそうに、そして、本当に自慢げに話してくれるのです。奏が、男性のことをこんな風に家族に話したことなど今まで一度もなかったものですから、是非とも一度お会いしてお話がしてみたいと思ったのです」
「そして、今日実際にお会いしてみて、あなたが、奏の言う通りの方だということがよくわかりました。これからも、娘をどうぞよろしくお願いします」
父親はそう言うと、深々と頭を下げた。
「おっ、お父さん・・・」
奏は、予想もしなかった父親の言葉に、唖然としてしまった。
「こっ、こちらこそ、よろしくお願いします」
健一も、深々と一礼し話をつづけた。
「実は、今日こちらにお邪魔するまで、自分が、大きな誤解をしていたことをお詫びしなければなりません」
「お2人が私に会いたがっておられると奏さんから聞いた時、自分には、その理由が全くわかりませんでした。しかし、こんな資産家のご夫妻が私などをご自宅に招いてくださるということは、逆に、私のことを快くは思っておられないからではないかと勝手に思い込んでいたのです」
「つまり、奏さんとのお付き合いに苦言を呈されるか、最悪の場合は、お付き合いをお断りになるためなのではないかと思っていたのです」
「け、健一さん!!なっ、何ていうことを・・・!」
「本当にすみませんでした。全く見当違いのことを考えていた自分がとても恥ずかしいです」
健一はそう言うと、再度深々と一礼した。
「そうですか。それを覚悟されていたので、スーツ姿でいらっしゃったわけですか」
「はい」
「それでは、今日こちらにいらっしゃるまでは、大変なご心労だったことでしょう」
「いや、それは、自分の勝手な思い込みが原因なので当然の報いです」
「ご、ごめんなさい、お父さんお母さん。2人がなぜ健一さんに会いたがっているのかを、私、健一さんにちゃんと話してなかったのよ」
「涌井さん、これから我が家にいらっしゃるときは、是非とも普段着でおいでくだされ」
「はい、そうさせていただきます」
「部屋もいくつか空いておりますので、よろしけれは、いつでも泊まっていってくださって構いません」
「ありがとうございます」
「ただし、一晩中麻雀にお付き合いいただくかもしれませんがな!」
「お父さん、まだそんなこと言ってるの!私も悟もとても付き合ってられないわ!」
「はっはははははは――!」
玄関に笑い声が響き、それまでやや張りつめていた空気が和んだ。そして、一呼吸おいて、父親が別れの挨拶を始めた。
「それでは、涌井さん、私どもはここで失礼いたします。本日はお休みのところ貴重なお時間を割いていただきまして、本当にありがとうございました。どうか、お気を付けてお帰り下さい。奏、涌井さんを車庫までお見送りしなさい」
「はい」
「こちらこそ、色々とおもてなしいただき本当にありがとうございました。それでは、皆さん、本日はこれで失礼いたします。おやすみなさい」
「涌井さん、おやすみなさい」
「おやすみ、悟君。また明日ね」
健一は、最後にもう一度一礼して、奏が開けてくれた玄関のドアから屋敷の外へ出た。
 門へと向かう左右に少しうねった石畳は、その両端に埋め込まれている円筒形の小さな照明が放つ青白い明かりによって程よく照らし出されていた。
そして、庭は、あちらこちら無作為に置かれている石燈籠に灯された、淡く朧げな橙色の灯りの中に静かに佇み、健一が朝通って来た時とは全く違った幻想的な雰囲気を醸し出していた。
「うわっ〜、綺麗だね〜」
健一は、美しい夜の日本庭園を目の当たりにしてしばしその場に立ち止まり、うっとりとした表情で周りを眺めていた。奏は、庭を見ている健一の左後ろに控えていたが、徐に健一の左腕に両腕をからめて身体をしっかりと健一に密着させた。
そして、2人は、ゆっくりと門に向かって石畳を歩き始めた。
「ごめんね、健一さん。両親があなたに会いたがっている理由を、しっかりと話していなかったばっかりに辛い思いをさせてしまって」
「いや、あれは、俺が勝手にそう思い込んでいたのが悪いんだよ。何事にも先入観を持って臨んではいけないということがよ〜くわかったよ」
「私、健一さんともうお付き合いができなくなるなんて、ほんの少しでも頭を過ったことさえなかったわ。だから、今日もしもお父さんが、あなたの考えていた通り、『娘とはもう付き合わないでくれ』って言っていたら思うと、本当に、恐ろしくて寒気がするわ!」
「俺も、お願いしたいことがあるって言われたときには、『ああ、これでもう終わりかな』と思ったけど、まさか麻雀を教えてくれなんて言われるとは思ってもいなかったから、本当に、目が点になったよ」
「そうよ、そんなこと一言も言ってなかったのよ!ほんっとうに、しょうがないんだから!」
「ははははは、それは、事前にそのことを君に話してしまったら、計画通りに事が運ばないと思っておられたからじゃないのかな」
「でも、あの物事に取り組む姿勢は、すごいよ。本物だね。あれがあるから今のこの暮らしがあるんだね〜。今日はそのことがよくわかったよ」
「少しは人の迷惑も考えるべきだわ!」
「怒らない、怒らない、ちゃんと交際を認めてくれたじゃない」
「そうだけど・・・」
やがて、2人は、門の前の大きな石畳みのところまでやって来た。そして、奏が、門を開けて両人ともゆっくりと門の外に出た。
「健一さん、今日は来てくれて本当にありがとう。帰りが遅くなってしまってごめんね」
「いや、そんなのは大したことじゃないさ。なんにしても良かった良かった。本当にほっとしたよ、今夜はよく眠れそうだ。ありがとう」
安堵の笑顔を見せながら、健一がそう言うと、その左手を両手で握っていた奏は、やにわに、健一の左頬に自分の顔をぴたりと押し当てて目を閉じ、愛おしげに小さく頬ずりをしながら言った。
「良かった、本当に!健一さん、これからもよろしくね」
「うん」
梅雨空の雲間からわずかに月明かりが覗く水無月の夜、2つの影は、別れることを惜しむかのようにしばしの間重なり合っていた。


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