健一と平山は、他の招待客とともに、ゆっくりと会場内に入り、指定された席に腰を下ろした。 そして、時刻は、やがて13時となり、予定通り披露宴は始まった。まず、先程のモーニングコートとウェディングドレスに身を包んだ剛志と美彩季が入場し、司会者によって2人が紹介された。 健一は、前の職場の同僚ということで、主賓である課長の平山とともに、今度は、美彩季側の招待客のテーブル席に座っていた。 健一のテーブルには、他に美彩季の高校時代の友人女性3人が招かれていた。そのうちの1人は、目を真っ赤に腫らしながら、さかんにハンカチで涙を拭いていた。 美彩季の一番の親友、橘桂子であった。モデル事務所に勤める彼女がもたらした情報によって、剛志の危機を知ることができた美彩季は、健一に助けを求め、2人の決死の行動のおかげで、剛志は犯罪に巻き込まれることを免れたのである。 健一と桂子、いわば、この結婚の影の立役者ともいえる2人が、式において初めて顔を合わせたのであった。 続いて、主賓から2人に祝辞が送られた。はじめに、健一の直属の上司、次に、平山の順で、両人の結婚を祝福するスピーチが行われたのだが、平山は、たっぷりのユーモアを交えた話術で出席者を笑い渦に巻き込み、会場の雰囲気を大いに和ませた。 次に、健一の勤めるTスポーツクラブの専務が、乾杯の音頭を取り、新郎新婦によるウェディングケーキセレモニーが始まった。 健一は、一連の祝宴の流れを目の当たりにしながら、やはり、これは、ただの披露宴なのだと改めて感じていた。以前は、この披露宴の華やかさこそが、結婚であり、まさに新郎新婦の晴れの門出を祝うのにふさわしいセレモニーだと思っていたのだが、今日、結婚式というものに初めて出席して、その厳かな雰囲気に触れ、披露宴に対する見方が、全く変わってしまったのであった。 結婚とは、お互いの人生を預け合って、将来を築いていくための第一歩なのだということを強く感じた今、式での親族同士を含めた固い誓いこそが結婚であり、披露宴とは、ゲスト共に結婚を祝う単なる宴であって、結婚に彩りを添えるアクセサリー的なものとしか思えなくなってしまったのである。 もちろん、披露宴は、新郎新婦にとって、大切な友人知人を招いて行う人生の一大イベントであることに違いはない。しかし、夫婦となって将来に対する誓いを立て、これからの人生を互いに力を合わせて乗り切って行く覚悟をすることこそが結婚であり、今まで、華やかな披露宴が結婚の象徴だと考えていた健一は、自分が結婚というものに対して、あまりにも浅い考えしか持っていなかったことに気が付いたのだった。 健一が、ぼんやりとそんなことを考えているうちに、ウェディングケーキセレモニーは終わり、歓談の時間が始まっていた。テーブルにいた美彩季の高校時代の友人女性3人は、ビールとワインを手に、美彩季のもとに集まっていた。 「美彩季〜、あんたがこんなに早く嫁に行っちまうなんて、あたしゃ、嬉しいやら、寂しいやらで涙が止まらないよ〜〜〜!」 桂子は、相変わらずハンカチで目頭を押さえながら涙声である。 「桂子、ちょっと大げさよ。もうこれで二度と会えなくなるってわけじゃないでしょ」 美彩季が、苦笑しながらそう答えると、中村美香、山川多恵子の2人もすかさず合の手を入れる。 「そうよ。あんた、おめでたい席で何めそめそしてるのよ。シャキッとしなさいよ。シャキッと!」 「そんなこと言ったってあんたたち・・・うっ、ううっ・・・・・あっ、剛志さんでしたね。この子を、この子をどうぞよろしくお願いします。この子は、器量はいまひとつだけど、本当――にいい子なんです!」 「余計なお世話よ、桂子!」 「ハッハハハハハハハ――!」 「ところで、美彩季、私たちのテーブルに座っている若い方の男性って、美彩季の会社の同僚だった方?」美香は、健一について、興味津々で美彩季に尋ねた。 「そうよ」 「なんていうお名前なの?」 「涌井君よ」 「涌井さんか、いい――男ね〜!」 「そうね、そうね、実は私もそう思ってたのよ!」 多恵子も身を乗り出して話に乗ってくる。 しかし、ここで桂子が反撃に出た。 「あんたたち、いったい何しにここに来ているのよ!不謹慎でしょ!」 「何言ってるのよ、もちろん、美彩季の結婚をお祝いするために決まっているじゃない。でもね、どんな時にでも、常にアンテナを立てておかないと、あっという間に歳をとって行き遅れちゃうのよ!」 「そうよ。そのとおりだわ!」 「美香ぁ〜、多恵子ぉ〜、ざぁ――んねんで〜した〜。涌井君、もう、先約済みよ〜!」 「え゛―――っ!そっ、そうなの〜〜〜!」 「はぁぁぁ〜〜・・・なぁぁぁ〜んだ、でも・・・そりゃ、そうよね〜。いい男だもん」 「ふん、いい気味だわ。まさに、捕らぬ狸の皮算用〜〜!」 「なによ、あんた、その言い方!」 「ちょと、ちょと、止めなさいよ3人とも。仲良くやってよ」 美彩季は、自分の結婚式でも3人が、いつもと全く変わらないことに苦笑いするしかなかった。そして、この時場内に、新郎新婦がお色直しのため一時退席するとのアナウンスが流れ、 剛志と美彩季は、歓談中の招待客に一礼して、会場の出入口に向かって歩き出した。 「おっ、副島君行っちゃうぞ。涌井君、行かなくてもいいのか?」 「ええ、実は、さっき課長と会う前に2人と話をする時間があったんですよ。もう、十分に祝福できたので、後は最後まで見守るだけです」 「そうか、それならいいけど」 健一と平山がこんな話をしている時、テーブルに桂子が戻って来た。美香と多恵子は、剛志の招待客のテーブルに乱入して、数人の若い男性たちと意気投合し、話に夢中である。 「すみません、美彩季の勤めていた会社の方ですね。ご挨拶が遅れて申し訳ありません。私は、美彩季の高校時代の友人で橘桂子と申します。よろしくお願いいたします」 桂子はそう言って小さくお辞儀をし、バッグから名刺を取り出して平山と健一に手渡した。 「K株式会社営業部営業第2課課長の平山です。こちらこそよろしくお願いいたします」 「同じく主任の涌井です。美彩季さんの3年後輩に当たります。よろしくお願いいたします」 平山と健一も、自己紹介の後、各々の名刺を桂子に手渡した。 「モデル事務所にお勤めなんですね。我々とは全く畑違いのお仕事なのでよくわからないのですが、どのようなことをされているのですか?」と平山。 「主に、所属しているモデルのマネージメントの仕事をしております」 「へぇ―、かっこいいですね〜。タレントさんのマネージャーさんみたいな感じですか?」 健一の方は、ミーハー感丸出しである。 「いえ、いえ、マネージメントなどというと耳ざわりがいいかもしれませんが、一言でいえば、モデルたちの雑用係というのが一番近いと思います。でも、私は、そういうことが大好きなので、毎日楽しく仕事をさせていただいております」 「そうですか、それは、大変いいことですね〜!楽しみながら仕事ができる人というのは、それほど多くはいないはずですから・・・でも・・・先程は、とても楽しそうなご様子にはお見受けできませんでしたが・・・」 「はぁ・・大変お恥ずかしいところをお見せしてしまいました・・・実は、あの子、半年ほど前までは、彼氏もいないし結婚なんてずっと先の話だと言っていたんです。ところが、3月の終わり頃に突然結婚するって言い出して・・・最初は、からかっていると思ったのでまともに取り合いませんでした。でも、どうやら本当であるとわかって、信じられないほどの驚きでした。そして、実際に今日この場に来てみると、もう、嬉しいやら寂しいやらで涙が止まらなくなってしまって・・・」 桂子は、ようやく気持ちが落ち着いてきたせいか、先程まで人目を憚らずに涙を流していたことが、たいそう照れくさそうであった。 「いや、いや、結婚式で涙を流してくれる友達がいるというのは、とても嬉しいことですよ。副島君は、いい友人を持って本当に幸せ者だね〜」 「あの子、おっちょこちょいだから、色々と皆さんにご面倒をおかけしたかと思います。本当にお世話になりました。会社は辞めてしまいましたけど、できれば、これからも温かく見守っていてやってください。」 それぞれのテーブルで歓談のうちに会食は進み、やがて、新郎新婦再入場のアナウンスが会場に流れた。場内の照明が落され、スポットライトが出入口に当てられる中、剛志と美彩季は、新しいモーニングコートとウェディングドレスに身を包み満面の笑顔で再び姿を現し、会場は大きな拍手に包まれた。 2人は、キャンドルサービス用のトーチを手に招待客のテーブルを回り、ひとつひとつのテーブルのキャンドルに次々と明かりを灯していった。 健一たちのテーブルは、会場の出入り口から一番遠い位置にあったため、剛志と美彩季がキャンドルに火を灯す最後のテーブルであった。 剛志と美彩季は、笑顔で各テーブルの招待客と会話を交わしながらキャンドルに火を灯していき、徐々に健一たちのテーブルに近づいて来た。そして、健一たちのテーブルを残して、すべてのテーブルにキャンドルの明かりが灯り、2人が、最後のキャンドルに火を灯す直前にハプニングが起きた。 なんと、トーチのガスが切れてしまったのである。何度スイッチを入れても発火しないため、キャンドルに火が点けられない。2人がトーチを手にしたまま困っていると、見かねた健一が機転を利かせて、剛志からタイ土産にもらったライターを懐から取り出し、横からキャンドルに火をつけてしまった。 ここで、会場は大爆笑に包まれると同時に、健一に対して大きな拍手が送られた。健一も立ち上がってこの拍手に対して一礼したため、会場はさらに大きな拍手喝采に包まれた。 その後、披露宴は、余興、スピーチ、手紙の朗読、両家代表の挨拶と予定通りに進み、最後は、新郎新婦が再び盛大な拍手に送られて親族とともに会場を後にし、無事終了した。 2人が退場してからしばらくの間、会場は宴の余韻に包まれて、席を立つ者は誰もいなかったが、やがて、場内に、来場者全員に向けて謝意を伝えるアナウンスが流れた。 そして、それを機に招待客は、引き出物の袋を手にして、三々五々、帰路につきはじめた。平山と健一も、他の招待客とともに、ゆっくりと出入り口から会場の外に出た。 ロビーへ向かう通路には、見送りのため、剛志と美彩季、そして、両家の親族が一列に並んで会場から出てくる招待客を待っていた。 一人一人に、感謝の言葉をかけながら見送りを行うのだが、送られる側も立ち止まって話し込むわけにはいかないので、交わされる言葉は、いきおい、簡単なものにならざるを得ない。健一が、剛志と美彩季の前を通った際も、2人は、他の招待客に対するのと同様に、笑顔で一礼して短く感謝の言葉をかけただけだった。 しかし、両人は、短い言葉の言外に、その表情や眼差しで、健一に対して最大限の感謝の気持ちを表していた。式の後で、そろって健一に頭を下げて謝意を伝えた時と同様に、剛志と美彩季は、心から健一に『ありがとうの』言葉を伝えていたのだった。 健一も、2人の傍らを通り過ぎた時にそのことは、はっきりと感じ取っており、自分自身も2人が夫婦になれたことを心底祝福していた。 そして、それと同時に、披露宴前に2人と交わした約束のことも思い出していた。奏を剛志と美彩季に引き合わせるという約束である。 奏は、2人に会うことを承諾してくれるだろうか。それとも、それほどの関心を示してはくれないのだろうか。 緊張感から解放された帰りのタクシーの中で健一は、ぼんやりとそんなことを考えていた。 次の土曜日、健一は、いつもと同様に奏を車の助手席に乗せてコートに向かっていた。 「東京のリサイタル会場は、どんな感じだったの?」 「それがね、今までと比べて一番大きくて新しい会場だったのよ。設備も素晴らしくて、まったく申し分ないわ」 「そう、会場が大きいということは、収容人員も多い訳だ。大観衆の前で緊張しちゃいそう?」 「いいえ、慣れているから、そんなことにはならないわ」 「フ〜ン、すごいね〜。俺だったら、ごめんなさ〜いって言って帰っちゃうけどな」 「フフフ、健一さんは、先週、お友達の結婚式だったんでしょ。どうだった?」 「ああ、実はさ、話してなかったんだけど、俺、披露宴だけじゃなくて式の方にも出席したんだ」 「えっ!友人が式に出るって、珍しいわね」 「そうなんだ。案内状に書かれていた来場時間が、披露宴の2時間も前になっていたんでおかしいと思って友達に電話したら、式にも出てくれって言われてびっくりしたよ」 「へえ〜、でも、それは、健一さんが仲を取り持ってくれたことに対して、お2人が深く感謝しているということじゃないかなあ」 「うん、実際に、式の後で2人に頭を下げられてちょっと驚いたよ。でも、式に出られたのはよかった」 「何か新しい発見でも・・・?」 「まあ、発見というよりも実感に近いんだけど、結婚って、重いな〜と思ってね」 「結婚の・・・重み・・?」 「そう、俺、今まで披露宴にしか出たことがなかったんで、あの華やかさこそが結婚なんだって漠然と思ってたんだけど、2人が、式に集まったご親族の方々の前で自分たちの将来に対して真剣に誓いを立てている姿を見ていたら、結婚って、やっぱり、大きな覚悟をもって臨まなければならないものなんだなあ〜って肌で感じたんだよ。まあ、そんなことは、当たり前の話しなんだけどね」 「そう・・・」 車は、ちょうど赤信号にさしかかり一旦停止した。しばらく2人に沈黙の時間が流れた。 「ねえ、健一さん」 「ん?」 「父と母がね、一度健一さんにご挨拶がしたいって言っているのよ。私はサークルで、悟は職場でいつも大変お世話になっているから、是非ともって!」 「うわ―!緊張するな―!あんなお城みたいな家に、俺は、一体どんな格好をしていけばいいんだよ?当然ドレスコードなんだろ?」 「何を言っているのよ!そんなはずがないでしょ。なんなら、まわしに大銀杏姿で来てもらってもいいくらいよ!」 「あっはははは――!あんた、真面目そうな顔をして、すっごく面白いことを言うね〜」 「あなたと友造さんには、とてもかなわないわ。あなたたち2人は、到底素人とは思えない。次世代の漫才界を担う、期待の超大型コンビだわ。できれば、家族の前でいつものように一席披露してもらいたいほどよ」 「おらあ、漫才師じゃあね―――よ!」 「あっはははははは!」 「嗚呼おかしい!あっはははははは!」 奏は、しばらくの間、腹を押さえて大笑いしてしまった。そして、笑いが治まると、今度は一転して、真剣なまなざしで切り出した。 「でもね、健一さん、両親が健一さんに会いたがっているのは、本当のことよ。私も、健一さんをどうしても両親に紹介したいの。お願い、健一さんの都合のいい時でいいから、是非一度家に来て!」 「そっ、そうだね・・・そのうち、時間ができたら一度お邪魔するよ」 「本当っ!!!よかった・・・ありがとう・・・本当に」 奏は、ほっとして、安堵の笑顔を見せた。 「・・・その代わりと言ってはなんなんだけど、今話してた友達夫婦に会ってもらえないかな?」 「えっ!私が、お2人に?でも、私のことをご存じなの?」 「うん、実は、式後に2人と話した時君のことが話題になってね、2人とも君に興味津々で是非とも家に連れて来てくれって頼まれたんだ」 「へえ〜、そうなの!健一さん、私のことをお2人に話してくれたんだ!」 「そう、軽い気持ちで話したんだけど、2人がこんなに強く関心を示すとは思ってなかったんで少し驚いたよ。特に、奥さんが、ピアノをやっている人でね、君がプロのバイオリニストだって話したら、びっくりすると同時に、すっごく会いたがってたよ」 「そう!ピアノをやってらっしゃるんだ!!・・・ふ〜ん、それを聞いたら、私もだんだんお2人にお会いしたくなってきたわ。なんだかとてもお話が合いそう」 「そうか、それはよかった。じゃあ、2人が旅行から帰ってきたら連絡があるはずだから、それから日程の調整をしよう」 「ええ」 「ああよかった!断られたら2人にどう話そうかと思ってたよ」 「なぜよ?健一さんのお友達ご夫婦からのお誘いでしょ。それを私が、お断りする理由なんてどこにもないじゃない」 「そうか・・・ありがとう」
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