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作品名:月下氷人 作者:箕輪久美

第2回   THE DIE IS CAST
 美彩季は、自宅へ帰る前にいつもの場所で、一息ついていた。いつもの場所とは、アパートの近くにある神社の境内である。
 美彩季は、非常に霊感の強い女性であった。人魂を見たり、金縛りにあったりすることは度々あった。祖母が亡くなる直前も、笑顔の祖母が夢枕に現れ、美彩季に別れの挨拶をしていった。思わず飛び起きてしまった美彩季であったが、その数分後、病院から祖母が亡くなったとの知らせが入ってきた。
 この強い霊感のせいかどうかは分からないが、美彩季は、神社仏閣などの霊的な力が満ちている場所にいると、非常に心が落ち着いた。だから、よほど天気の悪い日でなければ、アパートに帰る前には、いつも神社の境内にある石造りの腰掛に座って、何をするでもなく、しばらく時を過ごしていた。
「さ〜て、明日は、レッスンだわ。また、はりきって行こうっと」
そう言うと、美彩季は腰掛から立ち上がり、自分のアパートに帰って行った。
 翌日の日曜日は、いつも通りの一日であった。やや遅めに起床し、朝食を取ってから掃除と洗濯をし、午後、近くの喫茶店で昼食を済ませた後にレッスンに出かけた。
レッスンは、講師宅での1対1のプライベートレッスンである。気を抜いていると、ひどく叱咤されるのでいつも緊張が走る。しかし、美彩季にとっては、この緊張感がたまらなく良かった。必死で努力して、前に進んでいる手ごたえを感じることができるからである。
そして、レッスンを終えると、いつも大きな充実感を味わうことができるのであった。
この日も、大いなる充実感とともに帰宅した美彩季であったが、今日が終わると、明日からまたいつものあの時間の中に身を置かなければならないことに、思わずため息が出るのだった。
 また、新たな週が始まった。いつものように、満員電車に揺られていつもの地下鉄の駅で下車した美彩季は、駅からゆっくりと歩いて会社に到着した。
美彩季の勤務するK株式会社は、主に、東南アジアとの貿易を仲介している商社である。美彩季は、営業第2課に配属されており主に庶務、経理関係の事務を担当していた。営業第2課は、7階のフロアーにあるのだが、美彩季はいつもエレベーターを使わず階段で執務室まで行き来していた。
その日も、いつものように階段で執務室へ向かっていた美彩季であったが、3階の踊場に出たところで後ろから声をかけられた。
「美彩季さん。おはようございま〜す」
課の同僚の涌井健一であった。
「あっ、涌井君、おはよう」
「美彩季さんは、いつも元気ですね〜。その姿を見ていると、エレベーターなんかとても使ってられないっすよ」
「元気だけが私の取り柄だからね〜」
「そんなことはありません。笑顔もすご〜く素敵ですよ〜」
「また、白々しい!バレンタインも近いんで、チョコレートでも貰おうと思っているんでしょう!」
「えっ、わかります?」
「あったりまえよ。あなたの場合は、下心見え見えじゃなくて、下心丸見えなのよ!」
「いや〜、照れるな〜!」
「ばかね、褒めてなんかいないわよ」
「え〜、そうなんですか――!ハッハッハッハ――!」
 涌井健一は、入社3年目の25歳。大学卒で入社しているので美彩季より1歳年上であるが、社員としては3年後輩にあたるため、美彩季をさん付けで呼ぶ。大学でタイ語を専攻していたので、タイとの貿易関係の商談を担当している。明朗快活で、決断力と行動力のある、さわやかな青年である。そして、健一は、ひそかに美彩季に思いを寄せていたのであった。
「あっ、そうだ、涌井君。この前の出張の伝票、早く出してよ。今日中に貰わないと決裁できなくなっちゃうよ」
「は〜い、了解で〜す」
また、いつもの一日が始まった。
 その日の美彩季は、珍しく、商談への随行を命じられていた。営業担当の多くが有給休暇を取ってしまい、先週末に急遽頼まれていたのだった。行き先は、市内にある古くからの得意先で、営業課長と2人で出かけたのだが、商談には時間がかかるため昼食は外食になると聞かされていたため、いつも家から作って持ってくる弁当は用意してこなかった。ところが、商談は、ことのほか順調に進み、午前中には社に戻ることができたのだった。
やがて、昼食の時間となり、どうしようかと考えていたところ、健一に声をかけられた。
「あれっ、美彩季さん、今日は弁当じゃないんですか?」
「そうなのよ。商談が長引くから外食になるって聞いてたんで、作ってこなかったのよ」
「じゃあ、一緒に飯行きますか」
「いいけど、お値打ちなところにしてよ」
「任せてください。今日は僕がご馳走しちゃいますよ」
「えっ、本当!じゃあ高いところでもいいわ」
「さすが、美彩季さん。ちゃっかりしてますね〜」
「ふ―んだ」
 健一が美彩季を案内したのは、オフィスから程近い高級な日本料理店であった。夜がメインの店であるのだが、昼もランチメニューを掲げて営業をしていた。しかし、どれも2千円から5千円ほどのたいへん高価なメニューばかりであった。
「ちょっと、涌井君、さっきのは冗談よ。本当に大丈夫なの、こんな高いお店」
「大丈夫ですよ。任せてください」
「ひょっとして、あなた、お金持ちの家の子なの?」
「違いますよ。いつもは、松屋とかマクドナルドとかファストフードの店ばっかりですよ。でも、美彩季さんを案内するのに、そんなところへは行けないじゃないですか」
「まあ、無理しちゃって。でも、ありがとう。せっかくだからご馳走になるわ」
「どうぞ、どうぞ」
そして、美彩季はBランチ、健一はAランチを注文して、食事を始めた。
 「美彩季さんって、アパートで独り暮らしなんですよね」
「そうよ」
「休みの日なんかは、何をしてるんですか?」
「私ね、ピアノが好きなので、ピアノを習ってるのよ」
「へえ〜、意外ですね。なんかスポーツでもやっているのかと思った」
「涌井君は、何をしているの?」
「実は、僕、高校までバドミントンをやってたんですよ。結構強くてね、県大会で準優勝してるんです。その関係で、土日は、サークルでコーチをやってますよ」
「へえ〜、スポーツマンなんだね。私も、高校まではバスケットボールをやってたんだけど、土日はピアノ習ってるから、最近は運動をしてないな〜」
「じゃあ、ジムへ行ったらどうですか」
「えっ、私、ボディビルには興味ないよ」
「ハハハ、ジムって、確かにトレーニング器具が揃ってて筋トレはできますけど、それだけじゃないんですよ」
「たとえば?」
「たとえば、スタジオでエアロビをしたり、プールで泳いだり、2階の部分がせり出していて200メートルのトラックになっているので、走ることもできるんですよ」
「ふ〜ん、色々なことができるのね。私、ジムって、ボディビルする人たちが通う所だと思ってたわ」
「いやいや、それじゃあ商売にならないですよ。健康志向の老人なんかが、結構多いらしいですよ。それに、ここからそれほど遠くないし、土日に行かないのなら、平日会員になれば、月5千円くらいでどれだけで通ってもOKだそうですよ」
「へえ〜!やけに詳しいのね」
「ハハハ、実は、大学時代の友人が、そこでインストラクターをやってて、宣伝してくれって言われているんですよ」
「な〜んだ。そうなの。それで、涌井君は、そこに通ってるの?」
「いや、僕は、平日まで運動しようとは思わないので、行ってはいないです。でも、美彩季さんなら元気が有り余っている感じだし、どうかなっと思ったんです」
「何言ってるの。私、体が弱いからとても無理だわ〜」
「体が弱い人が、毎朝7階まで階段で行きますかね。まあ、気が向いたら行ってみてください。Tスポーツクラブって言うんですよ」
「まあ、気が向いたらね」
しばらくして、2人は、食事を終え、近くの喫茶店でコーヒーを飲んでから社に帰り、それぞれの業務に戻った。まだ、1週間が始まったばかりだった。
 美彩季の勤務するK株式会社をはじめとする商社は、1月には取引が減って閑散期に入る。普段は、19時頃までは仕事をしている美彩季であったが、この時期だけは、定時の17時に帰宅できる。
いつものように、アパートから最寄の地下鉄駅の改札を出て、階段を上りながら、美彩季は考えていた。
『ジムか、ここひと月くらいは定時に帰れるから行ってみてもいいのかな』
足は、自然に自宅近くの神社の方向に向かっていた。また、定位置の石の腰掛に腰を下ろし、健一の言っていたことを思い返していた。
『筋トレには、あまり興味はないけど、走るのは好きだからしばらく通ってみようかな。合わなければ、やめればいいんだし』
美彩季は、最近、ピアノ以外に打ち込めるものが何かないかという思いを抱いていたため、試してみるには、ちょうどいいタイミングでもあった。
 その声が聞こえたのは、美彩季が、ぼんやりとそんなことを考えていた、まさにその時であった。
「行ってみたらいいじゃない」
「えっ!!だっ、誰!!!?」
美彩季は、人気のないところから突然声をかけられたため、心臓が止まるほど驚いて、四方をキョロキョロと見回してしまった。
すると、斜め右前の暗がりから、少女が微笑みながら
「行ってみたら、きっといいことあるよ」と再び声をかけてきた。
「あっ、あなたは一体誰!!?いっ、いつからここにいたの!?」
「私は、南紗耶香。ずっと前からここにいたよ。美彩季ちゃんは、本当にここが好きなのね。ほとんど毎日来ているものね」
「えっ!!なっ、何で私の名前を知っているの!!?そして、私が、いつもここに来ていることもどうして知っているの!?・・・そっ、それに、何も話していないのに、なぜ、私の考えていることがわかるの?」
「私には、わかるの。なぜかは、分からないけどわかるの」
 よく見ると、セーラー服を着ている少女の姿は、半透明で、向こう側にある木が、少女の体越しに透けて見えていた。
「あっ、あなた、まさか、ゆっ、幽霊なの!?」
「いいえ、私は、幽霊ではなくて、生霊なの」
「いっ、生霊・・?・・・幽霊と生霊って違うものなの?」
「違うよ。幽霊は、体も魂も死んでしまった人が、この世に強い思いを残していて現れるものでしょ。生霊は、体は死んでしまっていても、魂だけはまだ生きているの。私も、魂は、まだ生きているから幽霊ではなく、生霊なの」
「よっ、・・・よくわからないけど・・・でも、なぜそんなことに・・・」
「私ね、学校の帰りに心臓発作で倒れてしまったの。気が付いたら、雲の上の大きな門の前にいたわ。ほかにも大勢の人がいて、一人一人その門をくぐっていくの。私も順番が来て、門をくぐろうとすると、怖い顔をした門番のおじさんが、『お前は、まだ、魂が死んでいないからこの門をくぐることはできない。この門は、体と魂の両方とも死んだ者が、あの世に行くためにくぐる門なのだ。だから帰りなさい』って言ったの。それで、私、雲の上から降りてきて、家に帰ってきたんだけど、もう体が焼かれてしまっていたので、元の体に戻れなくなってしまったの」
「そっ、そうだったの!」
 稀に、一度死んだ人が蘇生することがあるという。紗耶香の場合も、そのケースだったのだろう。だが、蘇生する前に肉体を失ってしまったため、魂だけがさまよっている状態なのだろうと美彩季は解釈した。
「それで、話が戻るんだけど、なぜ私のことを良く知っていたの?」
「私の姿は、誰もが見えるわけじゃない。よほど霊感が強くて、相性のいい人にしか見えないし、話もできないの。それで、美彩季ちゃんのことをずっと見ていて、この人なら大丈夫だと思ったから話しかけたのよ」
「へえ〜、私たち、相性がいいのかな?」
「そうよ。そうじゃなきゃ、私にも気が付かないし、話もできないわ」
美彩季は、幽霊はもちろん、生霊とも話をした経験など全くなかった。普通、この世のものとは思えない幽霊や、生霊に出会ってしまうと、当然、恐怖を感じるものであるが、紗耶香と話をしていても、美彩季は、怖さなど微塵も感じなかった。なにか、年の離れた妹と話をしているような感覚なのだ。
「ふぅ〜ん、いいことを聞いたわ。それで、ジムへ行くといいことがあるって言ってたけど、それは、どういうことなの?」
「フフフ、それを言ってしまうと面白くないでしょ。でも、私、絶対に嘘はつかないよ。必ずいいことがあるわ」
「そうか、教えてくれないのか。それじゃあ、行くしかないじゃない」
美彩季は、にやりと笑ってそう言った。紗耶香も、いたずらっぽく笑っている。
「本当に、あなたとは、いいお友達になれそうだわ。ところで、紗耶香ちゃんは、何歳なの?」
「私、14歳よ」
「14歳というと、中学2年か3年ね。まだ、まだ、これからだったのにね・・・でも、私でよかったらいつでも話し相手になるからね。」
「ありがとう。やっぱり、美彩季ちゃんは、私の思っていた通りの人だったわ」
「あなたとは、今くらいの時間に、ここでしか会えないの?」
「いいえ、いつでも会えるよ。ただ、神社やお寺みたいなところじゃないと私の姿は見えないし、声も聞こえないの」
「そう、それはよかった。神社やお寺なんてどこにでもあるから、話がしたくなったら行くようにするわ」
「うん、私も楽しみにしてる」
「さあ、だいぶ寒くなってきたから、今日は、このくらいで部屋に帰るわ。じゃあね」
「うん、おやすみなさい」
こうして、美彩季は、紗耶香に別れを告げ、神社を出てアパートに戻って行った。


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