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作品名:時の彼方 作者:箕輪久美

最終回   第21話
 汐織は、いつもと同じように、布団の中で目を覚ました。
明け六つの鐘の音はまだ聞こえない。
『んっ、ん〜、少し早く目が覚めたのか』
汐織は、寝ぼけ眼をこすりながらぼんやりとそう思った。なぜなら、どんなに熟睡していても明け六つの鐘が聞こえなかったことは一度もなかったからだ。
しばらく、布団の中で横になっていると徐々に意識がはっきりしてきた。
すると、部屋にうっすらと明かりが差し込んでいることに気が付いた。明け六つ前に陽がさしこむことなどあり得ない。
『なっ、何か、変だ!』
ふと、横を見ると、フミもサヨも眠っていない。
『あっ!!!わっ、私・・・とうとう江戸から帰ってきたんだ!!!』
『・・・・・・・・』
『そうか・・・やっぱり・・・みんなに・・お別れの挨拶は・・・できなかった・・なぁ・・・うっ、うっ、うっ、うう――――っ!!』
汐織は、江戸で出会った多くの人々、様々な出来事を思い返し、声を押し殺して布団の中で号泣していた。
『う―――、うっ、うっ、うっ、う―――、う―――!!!』
 ひとしきり、泣き続けてやや落ち着きを取り戻した汐織は、バッグの中からスマホを取り出して日付と時間を見てみた。ディスプレイには、2016年4月29日(金曜日)午前6時12分と表示されていた。
『にっ、2016年!??』
汐織が、タイムスリップしたのは、平成28年4月9日、つまり、2016年の4月9日だ。そして、安政2年2月17日の江戸に降りたった汐織は、216日間を江戸で過ごし、同年9月26日に平成に戻ってきた。
江戸を発つ日のスマホの日付は、2016年11月10日であった。つまり、タイムスリップした4月9日から正確に216日間を刻んで表示がされていた。
ところが平成に帰ってくると、日付が、半年以上も戻ってしまっている。しかも、自分が、江戸に着いて1日経たないうちに敏宏から電話をもらった際には、平成ではすでに5日が経過し4月14日であった。
つまり、江戸の約5倍の速さで時間が経過していたのである。もし、同じ速さで時間が進んでいるのであれば、216日×5=1,080日の時間がすでに経過しているはずであり、今は、3年後の4月であってもおかしくはない。汐織には、タイムスリップの際の時間の進み方は、全く理解不能であった。
 「今日は、4月29日か・・・昭和の日で祝日だ・・・よしっ!」
汐織は、すぐに着替えをして朝食を取った。そして、友人と昼食に行く約束をしていると家族に言い残して、10時過ぎの新幹線に乗って東京へ向かった。
「4人とも、地震で被害を受けずに無事でいるだろうか?」
地震が起こる直前に、江戸を去ってしまった汐織には、そのことが一番の気がかりであった。
あらかじめ地震が来る日時が分かっていれば、被害を免れるうえで大きなアドバンテージになることは明白だ。しかし、100パーセント被災せずにすむかどうかはわからない。家が倒壊してしまえば、冬を迎える前に住む場所を失ってしまうのである。
 終点の東京駅で下車した汐織は、八重洲中央口を出て日本橋三丁目を左折し、日本橋方面に向かって歩いていった。平成でこのあたりを通るのは初めてであるが、江戸では数えきれないほど歩いてきたので、とても初めて来た場所とは思えない。
日本橋を渡り三越の信号を右に曲がって2本目の四つ角を右に曲がった。そこは、何の変哲もない小さなビルの立ち並んだ街中の一角であった。しかし、昨日まで弥兵衛、サト、フミ、サヨと5人で楽しく毎日を送ってきたまさにその場所に違いなかった。
「私には、たった1日が過ぎただけなのに・・みんなには・・160年の時が流れて・・・もう誰もここにはいないんだ・・・」
汐織は、古川屋で過ごしたかけがえのない日々を思い返すと、とめどもなく涙があふれ出してどうすることもできなかった。しばらくの間は、その場で泣き崩れることを避けるために身体を支えているのがやっとであった。
 やがて、10分程して、ようやく気持ちが落ち着いてきた汐織は、意を決して目的地へ向かい再び歩き始めた。当然のことながら、街並みは全く変わってしまっているが、道自体はほとんど変わっていないので、汐織は全く迷うことなく小網神社に到着した。
 そして、バッグの中からスコップを取り出して、境内に植えられている桜の木々の内の、鳥居から数えて3本目の木の根元を掘り始めた。
道行く人々がみな、いぶかしげな視線を投げかけて行く。もしも、警察官でも通ろうものなら間違いなく職務質問をされるような不審行動である。
しかし、汐織は、人目など一切気にしなかった。とにかく、フミが書いてくれているであろう手紙を掘り出すのに必死であった。何度何度もスコップが石に当たり、その都度期待を裏切られてきたが、十数度目にスコップの先が地中の何かに突き当たった際に、金属がガラスにぶつかるような音がした。
「あっ!!!」
汐織は、その周辺を注意深く掘っていき、今しがたスコップがとらえたものをついに取り出すことに成功した。
「あっ、あった!!!こっ、これだ!!!」
汐織の取りだしたものは、直径5センチほどの徳利のような形の陶器の入れ物で、細い首の部分についている蓋を抜いてみると、中に白い和紙が丸められて入っていた。
その紙を取り出して、広げてみると、それは、間違いなくフミから汐織に宛てた手紙であった。

『汐織ちゃん、お元気ですか。こちらはみな元気で暮らしています。
私は、2年間のお武家様へのご奉公を終えて、昨年祝言を挙げました。お相手は、品川に住む父上のお知り合いの息子さんで、新蔵さんという方よ。
新蔵さんは、次男さんなので日本橋の我が家に一緒に住んで、今父上から家の商売を一生懸命に習っています。父上も母上も早く孫の顔が見たいと口癖のように言っていましたが、とうとう、今月6日、私たちに待望の女の子が生まれました。名前の候補はいくつかあったけれど、迷うことなく汐織と名付けました。そこで、まずは、名前をいただいたご本人にこのことをお伝えせねばと思い、手紙を書くことにしました。
 サヨは、今年12になりましたが、体が大きくなって、もう私よりもかなり背が高くなってしまいました。汐織ちゃんが冗談で言っていた、汐織ちゃんの血をもらったから足が速くなるかもしれないというのが、どうも本当になってしまったようで、すごく走るのが速くなり、そのうち佐吉さんに挑戦するんだと意気込んでいます。
また、汐織ちゃんが翻訳してくれたジェームス先生からきた手紙を毎日のように音読していましたが、今は、昨年中濱萬次郎という人が書いた英米対話捷径(しょうけい)という英語会話の本に夢中になっています。
 佐吉さんは、2年前に祝言を挙げて昨年男の子が生まれました。義兵衛さんは、晴れてご隠居の身となられましたが、家に来るたびに汐織ちゃんのことばかり話していきます。本当に汐織ちゃんのことを気に入っているみたいね。
 父上も母上も元気に暮らしています。2度も災害から店を救ってくれた汐織に足を向けて眠ることなどできないと言いながら、汐織がどの方角にいるのかわからないと言って笑っています。
 こちらでは、みなこんな調子で大過なく過ごしています。汐織ちゃんはどのように過ごしているのかなぁ。もう、4年程会っていないけれど、またすぐに会えるよね。名前をいただいた汐織ちゃんに、うちの汐織を会わせてやることが楽しみでなりません。
 それでは、また何かの機会に手紙を書きます。ごきげんよう。

                     万延元年12月20日     フミ 』

 「よかった〜〜!!みんな無事だったんだ――!!!」
汐織は、これ以上はないほどの安堵の表情を浮かべると同時に、思わず木の根元に座り込んでしまった。木の幹に背を預けて、晴れた空を見上げながら、時を超えてフミから受け取った手紙の内容をしみじみとかみしめていた。
「フミちゃん結婚して子供ができたんだ!私の名前なんか付けて大丈夫なのかな?でも、この子も12月6日生まれなのね!偶然じゃないのかもしれないなぁ」
「サヨちゃん、大きくなったんだな〜!私は、フミちゃんと背はかわらなかったから、私よりもずっと背が高いんだ!あんなに小さかったのにね〜!」
「佐吉さんも子供ができたのね〜。天野屋の旦那様も跡取りができてほっとしているんだろうな〜」
「旦那様もおかみさんも、相変わらず元気そうだな〜。なんというナイスなギャグなんだろう!ハハハハハ」
 汐織は、顔をほころばせて何度もフミからの手紙を読み返していた。
「ん!?」
「ジェームス先生からきた手紙・・・?手術後先生が書き残したメモのことじゃないのか?」
「2度も災害から店を救ってくれた・・・? 地震以外に災害なんかなかったが・・?」
「万延元年って・・・」
汐織が江戸を去ったのは、安政2年9月26日である。フミは文末に4年程汐織に会っていないと書いて、手紙の日付を万延元年12月20日としている。すると、当然万延元年は、安政2年から数えて4年目の年でなければならない。つまり、安政年間は、安政5年が最後の年で翌年が万延元年となる。これならば、2人は、約4年3か月間会っていないことになり辻褄は合う。
 汐織は、スマホで江戸時代の旧暦の一覧表を調べてみた。すると、驚いたことに安政年間は7年間あることがわかったのだ。安政7年3月17日の翌日に改元して、万延元年は、3月18日から始まっている。そして、翌年万延2年2月18日で万延年間は終わり、翌日2月19日からが文久年間である。
「おかしい!?これだと、古川屋のみんなと私とは、約5年3か月間会っていないことになる!」
汐織は、ウェッブサイトの中から幕末の詳しい年表を見つけ出して、安政2年からの出来事を一つ一つ確認していった。すると、安政3年8月25日に、江戸が、大暴風雨に見舞われ甚大な被害を被るとの一文が目に飛び込んできた。
「あっ!!ああ―――――っ!!!」
「こっ、これだ―――――――――!!!」
「私・・・安政3年の江戸にもう一度行けるんだ―――――――――!!!」

                                                                            (完)


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