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作品名:時の彼方 作者:箕輪久美

第20回   第20話
 江戸の街にも秋が訪れ、其処彼処に植えられた木々が日々色づいて行く。汐織が江戸にタイムスリップしてから7か月が過ぎた。汐織は、今やすっかり江戸に溶け込んでしまい、あちらこちらに知り合いもできて、とても充実した江戸ライフを送っていた。
 そんなある日の午後、汐織は、店の2階の掃除をしていた。これは、いつもの日課であり、鼻歌を歌いながら廊下の雑巾がけをしていたその時だった。何か自分の部屋の方で音がしている。近づいてみると、なんと、押し入れにしまってあるバッグの中のスマホが鳴っているのだ。汐織は、災害用にと手回し式の充電器をいつもバッグに入れおり、これが見事に奏功した。敏宏から連絡が入った時のことを考えて常に充電を欠かさなかったのである。汐織は、慌ててバッグからスマホを取り出してディスプレイを見るとやはり敏宏からの電話であった。
「もっ、もしもし、もしもし、結城君!結城君なのね!!!」
「汐織ちゃん・・・江戸の汐織ちゃんか!!!?」
「そうよ!」
「よかった――!つながった――!」
「ずっと電話してくれてたの?」
「ああ、でも、そちらには全くつながらなかったんだ。どうも、何らかの条件をクリア―しないとそちらにはつながらないらしい」
「そっ、そんなことはどうだっていいんだ!どうやら間に合ったようだな。そちらは今日、何月何日なんだ?」
「まっ、間に合った?」
「日付だよ。日付を教えてくれ!」
「9月の20日よ」
「そうか、よし、いいか、今から言うことを落ち着いて聞いてくれ!」
「うん」
「今から約2週間後の10月2日、江戸を直下型の大地震が襲う!!地震発生時刻は午後10時ごろ、マグニチュードは約7、震源地は東京湾北部、倒壊家屋は14,346戸、死者は記録されているだけで4,741人、実際はおよそ1万人!! 江戸が・・・江戸が、火の海になるぞ―――――!!!」
「えっ、ええ―――――――!!!!!」
「いいか、聞いただけの話では信じてもらえないだろうから、今からその証拠書類を送る」
「・・・・・・・・」
「もしもし、もしもし!おい、聞いているのか?」
「えっ・・・ええ」
「ちょっと待ってろ!・・・よし送ったぞ!」
「あっ、来たわ」
「こっ、これは?」
「当時の瓦版だ!地震の様子や被害の状況が詳しく書かれているようだが、俺にはよく読めない。しかし、そちらの人なら簡単に読めるだろう。いいか、この瓦版をそちらのご家族に見せて本当に地震が来ることを信じてもらうんだ!それから、これは信頼できる人以外には絶対に見せてはいけない!だれかれとなく見せてしまうと汐織ちゃんの素性がばれて危険な目に遇うことになる!」
「わかったか?」
「う、うん」
「とにかくどんな方法でもいいから身を守れ!そっちで死んでしまったらこちらに帰ってこれるかどうかもわからない。命だけは、絶対に落とすんじゃないぞ!!」
「わっ、わかったわ」
「何かわかったらまた連絡する。いいか、くれぐれも、気を付けるんだぞ!!!」
「わかったわ、ありがとう」
敏宏からの電話は切れた。汐織は、血相を変えて階下へ降りて行った。
「おっ、おかみさ〜〜ん!たっ、大変でございます――――!!!」
 夕餉の時間となった。
「こっ、これは!!!おっ、お前、これをどうやって手に入れたんだ?」
「平成の友人と電話がつながったのでございます」
「ひゃっ、160年先の時代とか!?」
「そうでございます。実は、江戸に来た直後にも1度だけ電話がつながったことがあって、その時に、安政2年の情報を調べるよう頼んでおいたのを最後に連絡がなくなったのでございます」
「ところが、今日の昼間再び電話がつながって、これを送ってくれたのでございます」
「電話がつながった理由は、全く分かりません。しかし、これは、嘘でもなんでもございません。12日後に間違いなく起こる出来事でございます!」
「わっ、私は信じるよ!だって、こんなものを160年先の人がいたずらで作って何になるんだい!何の得にもならないじゃないか!」
「父上、私もそう思います。書かれている内容も、とても作り物とは思えません」
「うむ、俺もそう思う。とにかくこの情報は貴重だ。何も知らなければ、完全に寝静まった後で起こる地震など対処のしようがない!」
「なるべく近くで、物が落ちてきたり倒れてきたりしない場所を探そう。必要な身の回り品をまとめて半刻ほど前にそこに避難するんだ」
「商品はどうするんだい、お前さん!?」
「あれだけのものを持って逃げることなどできない。穴蔵師に頼んで穴蔵を作って保管しよう」
穴蔵師とは、地下倉庫を掘る職人のことである。江戸は火事の多い町なので、大きな商家は、床下に穴蔵を掘って商品を保管し、万一の火災の際にそれらの焼失を免れてきたのだった。江戸では、地面に穴を掘るとすぐに地下水が浸みだしてくるので、穴蔵を作る際には壁面をしっかりと防水する必要がある。これは船大工の技術であり、こうした特殊技能を持った職人が、江戸にはいるのである。
 「4人は、身の回り品の選別と持ち出しの準備を頼む。俺は、穴蔵師に明日からでもすぐ穴蔵を掘るように頼みに行く」
「はい!」
「天野屋さんにも知らせておいた方がいいな」
「しっ、汐織の素性を明かすのかい!?」
「いや、それはだめだ!」
「それじゃあ、信じてもらえないじゃないか!」
「あの人なら、真剣に話せば信じてくれる。それも明日俺がやる!いいか、4人とも明日から、噂話を立ち聞きしたことにして、10月2日の夜四つに大地震が起きると回りに触れ回るんだ!」
「はい!」
 日々の暮らしが一変して緊迫感が高まった。できるだけ多くの物を持ち出したいが、あまりに多いと身動きが取れなくなってしまう。地震後の生活に必要な物に優先順位をつけて選別しなければならないが、家自体がなくなってしまう可能性すらある大地震だ。4人は、最悪の場合のことを考えて、水、食料、衣類を中心に慎重に持ち出し品を選んでいった。
また、弥兵衛は、通常なら15日ほどかかる穴蔵作りを、穴蔵師に倍の工賃を支払って8日間で穴蔵を完成させるよう約束を取り付け、翌日早朝から突貫工事が始まった。
 地震への備えが着々と進む中、4日が過ぎた。昼時となり、九つを知らせる時の鐘が鳴り始めた。
「あれ、汐織はまだ2階の掃除をしてるのかい?」
「さあ?」
「汐織〜!汐織〜!昼餉の支度ができたよ〜!」
2階からは何の返事もなかった。
「ん?どうしたんだろう?」
「フミ、ちょっと呼んできておくれ」
「はい」
フミは、階段を上り汐織を昼餉に呼びに行った。しばらくして、フミが、血相を変えて2階から下りてきた。
「ちっ、父上、母上、こっ、こんなものが、押し入れの中に!!!」
「ん、何だ?・・手紙?」
「おっ、押し入れの中の汐織ちゃんの荷物がなくなっていて、着ていた着物とこの手紙だけが残されていて!」
「なっ、何だって!!」
弥兵衛は、慌てて手紙を開けた。サト、フミ、サヨの3人も食い入るように中を覗き込んだ。

『旦那様、おかみさん、フミちゃん、サヨちゃん、以前にもお話ししたことがあったかもしれませんが、私は、自分の意思で時を遡って江戸に来たわけではありません。
江戸に来て半年以上が経ちますが、最近よく考えることは、いつか自分が平成に戻る日が来るのではないかということでございます。ただし、江戸に来た時と同様に、平成に戻ることも自分の意思ではどうにもならないため、その日がいつ来るのか、はたまた、来ないのかも全く分からないのでございます。しかし、もしも、その日が明日にでも来てしまったら、このままでは、お別れの挨拶もなしにいきなり江戸を去ってしまうことになるので、この手紙を書くことにしました。
 皆さん、本当にありがとうございました。私は、大変幸運だったと思います。いいご家族に出会えたおかげで、とても楽しく幸せに江戸で暮らすことができました。
平成では、江戸は、ひどく遅れた暗い時代だと思われています。しかし、実際に暮らしてみて、それは、全く的外れの誤った考え方であるということがよくわかりました。
きっと、自分たちの生きている時代がいかに素晴らしいのかを際立たせるために、必要に迫られて過去の時代を不当に貶めているのでありましょう。
確かに、便利さという点においては、江戸の暮らしは、平成それとは比較にさえなりません。しかし、江戸というのは、人々が自然とともに人間らしく暮らし合える実にいい場所でした。自分たちのご先祖様は、本当に豊かな暮らしをしていたのだと実感することができました。そして、平成では、便利さと引き換えに、物を大事にする心、人を思いやる心など、多くの大切なものを失ってしまったのだと感じないわけにはいかず、全く悲しい限りでございます。
 しかし、私は、平成の人間でございます。いつかは平成に帰って元の暮らしに戻らねばなりません。ほんのつかの間であっても、皆様と江戸で暮らすことができてこの上もなく幸せでございました。本当にありがとうございました。
 もう、私の方から皆様に自分の近況を伝える術はありません。しかし、私が、皆様のこれからの暮らしぶりを知ることは可能でございます。
フミちゃん、気の向いた時でいいから、私たちが初めて出会った小網神社の桜の木の下に、何か頑丈な入れ物に入れて、皆さんのこれからのことを伝える手紙を書いて埋めておいてくれないかな。そうしてくれれば、平成に帰ってから大きな楽しみができるから、是非ともお願い。ああ、もう一度江戸に来ることができないかなぁ。
短い間でしたが、本当にお世話になりました。
                                   汐 織 』

「汐織・・・とうとう行っちまったか・・・お前さんは、この店の商売を助け、サヨの命を救ってくれ、これから起こる大地震から我々を守ろうとしてくれた・・・本当にこの家にとって、神様のような子だったよ・・・・あちらでも達者に暮らせよ」
「汐織・・・あたしゃお前さんの戻ってくるのをずっと待ってるよ」
「あっ、姉さん・・・汐織ちゃん・・・・ほっ、本当に帰っちゃったの!?」
「ああ」
「ウワァ――ン、ワァ――ン、ワハハァ――ン!・・・まだ・・・グスン、まだ何も恩返ししてないのに〜〜〜!!!ワァ――ン、ワハハァ――ン、オオ―――ン、オン、オン、オオ――――ン、オ――――!」
「サヨ、汐織ちゃんは、これで2度時を行き来したことになるんだ・・・それなら、3度目があったて、おかしくないじゃないか。必ず帰ってくるよ」
「オオ―――ン、オン、オン、オン、オオ――――ン、オ――――!!!


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