汐織が江戸に来てひと月が過ぎた。最初はとにかく何をするにも戸惑いの連続であったが、どうにかこちらの暮らしにも慣れ、落ち着いて生活ができるようになってきた。 このひと月の間で汐織が強く感じたのは、江戸では、人は自然とともに、いや、自然と一体となって暮らしているということである。 時間について言えば、毎日の日照時間に合わせて一刻の長さを調整するという、世界でもあまり類を見ない不定時法を用いて暮らしの時を刻んでいる。この不定時法では、夏場の昼間は夜間と比べて、一刻長さが長くなり、冬場はその逆となる。これは、日照時間を最大限に利用して暮らしていくには、どのようにすればよいのかを熟考した末にたどり着いた時刻の運用法なのである。江戸の人は、日が出ている間に活動し、日が暮れれば眠ってしまうのだ。 また、どうしても日没後に出掛けなければならない場合には、暦を利用して外出日を選ぶ。太陰暦では、1日が新月、15日が満月、月末は三十日月(みそかづき)と日にちによって月の形が決まっている。だから、なるべく月末月初めの月あかりのない時は避け、15日付近の満月に近い月明りがある夜を選んで外出しているのだ。夜間照明として月あかりを最大限に利用するために、江戸において太陰暦は有用であるのだ。 しかし、月の暦だけを使っていては、江戸のみならず日本人すべての主食である米の生産に支障をきたしてしまう。月の暦は、太陽の暦と比べて11日ほど短い。コメの生産は、太陽の暦に基づいて行わなければならないから、いつ稲を植えていつ収穫するのかがはっきりしなくなってしまうのだ。このため江戸では、太陽暦の一種である24節気を太陰暦と併せて用い、稲作を行う際の目処としているのである。 このように、江戸では人は、自然、つまり、月や太陽の動きに逆らうことなく、それらを最も有効に使う術を見出しながら、四季の移ろいに身を任せてゆっくりと生きている。あたかも、自然の一部となったかのごとく、あるべき姿のままで心地よく暮らしているように汐織には感じられる。 一方、夜でも活動に十分な明かりを得ることができる平成では、季節ごとの日照時間などまるで考えなくても年中夜更かしをしながら楽しく過ごすことができるし、夜間外出するにしても、月の明かりなど全く不要で、好きな時に好きなだけ外にいても全く不便を感じない。その自由で快適な暮らしは、行動を自然に大きく制約されている江戸の人々のそれとは全く正反対で、一見大いなる進歩の賜物であり、さらにその先を極めて行くことが正道であるかのように見える。 しかし、汐織には、平成の生活は、便利で、娯楽や情報に溢れて大いに刺激的ではあるものの、不便だが自然と一体となって緩やかに暮らす江戸の生活と比べて、人にとっては、極めて不自然な暮らし方のように思えてしかたがない。 また、もう1つ江戸の生活で気が付いたのは、とにかくリユース、リサイクルが徹底しているということであった。 棒手振りという行商人が、毎日入れ代わり立ち代わりやってくるのだが、すべてが物売りというわけではなく、修理を専門とする職人、又は、リサイクル業者がけっこうな割合でやってくるのである。 修理業者としては、提灯張、下駄屋、鋳(い)かけ屋、鏡磨ぎなどがあった。提灯張、下駄屋は、破れた提灯、鼻緒の切れた下駄などの修理、鋳かけ屋は、なべ釜などに空いた穴の修理、鏡磨ぎは、曇った鏡の研磨を行う。 生産力の低い江戸では、物が壊れても簡単に捨てるようなことは絶対にしない。徹底的に使い込んで、どうにもならなくなるところまで使い切ることが、当たり前のようである。だから、簡単に物を使い捨てにする平成ではお目にかかれないような類の修理業が成り立っているのである。 また、リサイクル業者としては、紙屑買い、古傘買い、蝋燭の流れ買い、灰買いなどがあった。紙屑買いは、古紙回収業者、古傘買いは、修理不能となった傘の買い取り、蝋燭の流れ買いは、蝋燭を燃やした後に溜まる蝋のしずくを買い取る業者、灰買いは、カマドで燃やした薪などの灰を買い取る業者である。 紙屑買い以外は、平成ではあり得ないようなリサイクル業である。蝋燭は高級品なのでまだわかるが、灰など買い取って一体何に使うのかと思われるかもしれない。しかし、灰は、製糸、製紙、染色、洗濯に必要なアルカリ物質として大きな需要があるのだ。また、人糞は、畑の作物に欠かせない肥料として江戸周辺の農家が先を争って買い取っていく。 このように、江戸では、生活のすべてに渡って物をとことんまで使い尽くし、使えなくなればそれを材料として再生し、また使いなおすという一連のサイクルが徹底している。 大量生産、大量消費、使い捨てが当然であった平成で、近年叫ばれ続けているエコという考え方は江戸にはない。なぜなら、環境に影響を与えるほど物を大量に生産できないからだ。したがって、ほとんど手作りされた数少ない物を、まだ使えるうちから捨ててしまうようなことは絶対にしない。一度に物を数多く作れないのであれば、とことん大事にして使う。使い切ればそれを材料として再び作り直して、また大切に使う。それが江戸の常識である。 また、食糧事情については、平成と江戸とでは天と地ほどの大きな違いがある。江戸の1日の食事は、一汁一菜が基本、つまり、主食である米とみそ汁、それに惣菜が一品のたいへんにつつましいものである。日常的には肉を食べないし、その他の食材の種類も決して多くはない。しかも、電気がないのでそれらを冷凍保存できず、運搬の手段も基本的には人間の足のみであるため、取れた食材を新鮮なうちに限られた範囲内で消費するしか方法がない。平成ほど食材自体が豊富でない上に、広い範囲に食材が行き届かないのである。 好きなものをいつでも世界中から取り寄せて、どこにいても好きな時に存分に食べられる飽食の時代を生きてきた汐織からすれば、江戸の食生活はなんとも侘しいものに感じられてしかたがない。 しかし、江戸の人々は、その暮らしにとりわけ不満を感じている様子はない。特に、白米に関しては、江戸では、地方と違って存分に食べることができるので、それが江戸っ子の大きな誇りとなっている。彼らは、自分たちが貧しくてみじめだなどとは全く思っていないのだ。 そもそも、160年後の世界からやって来た汐織が、江戸の食糧事情を批判すること自体がフェアーではないのである。なぜなら、それは、平成の食に対して特に大きな不満を抱いていない汐織に、160年先からやって来た未来人が、平成の食糧事情は悲惨だと言うのと同じだからだ。 そして、もう一つ決して忘れてはならないことは、鎖国を続けてきた江戸では、貧しいながらも衣食住のすべてにおいて、そのほとんどを国内で作ったもので賄ってきたということだ。 食料自給率もほぼ100パーセントである。これに対し、平成27年度のカロリーベースでの食料自給率は、わずかに39パーセントであった。おいしいものが食べられるようになっても、その半分も自国で賄うことができなくなってしまったのである。 しかも、食べ物以外にも、莫大なエネルギーを使って大量生産大量消費を繰り返したことによって環境汚染が進行し、地球が深刻なダメージを受けてしまっている。エコとは、遅ればせながらそのことに気が付いた現代人の反省から生まれた考え方なのである。 徹底したリユース、リサイクルを行い、国内で作り出したもののみですべてを賄って、貧しいながらも自然とひとつになって、つつましく暮らしている江戸の人々には、反省することなど何もない。 「今年もそろそろ初鰹の季節だね〜」 「えっ、そうなのでございますか?」 「平成じゃ鰹は食べないのかい?」 「いいえ、食べますが、年中食べられるのであまり時期は気にしません」 「ねっ、年中!!年中鰹が取れるのかい?」 「いいえ、異国からいつでも買うことができるのでございます」 「あっ、なるほど!でも、ありがたいんだかありがたくないんだか、よくわからないね〜」 「江戸ではなぜ初鰹が人気なのでございますか?」 「江戸では、初物を食べると75日寿命が延びるって言われてるのさ。だから、みんな初物を競って食べるんだよ。その初物の代表が鰹なのさ」 「なるほど」 「毎年そろそろ売りに来る頃なんだけどね、1軒だけで買うのは割高なのでご近所でまとめて買ことにしているのさ」 「へえ〜、どれほどの値がするものなのでございますか?」 「本当に最初に上がった鰹は、将軍様や高級料理屋に回っちまうからよくわからないけど、きっと、すごい値段なんだろうね〜。でも、棒手振りさんが売りに来る頃には、1尾1分(ぶ)ほどだね」 「1分(ぶ)(約12,500円)でございますか・・・確かに、1軒では割高でございますね」 汐織とサトがそんな話をしていると、ご近所の古着屋のトヨさんが、すごい勢いで店に駆け込んできた。 「サトさん、サトさん!来たよ、来た来た!初鰹だよ!」 「おっと、噂をすれば何とやら、汐織、店番を頼むよ!」 「はい」 サトは、大皿を持って喜び勇んで店を出ていった。 初物を食べると75日寿命が延びると言うのは単なる迷信である。おそらく江戸の人々もそれはわかっているのだろう。しかし、初物に対するそのこだわりは、本物のようである。 やがて九つの鐘が鳴り、弥兵衛、フミ、サヨの3人が昼食に帰ってきた。 いつもは、朝炊いたご飯と煮豆、きんぴらごぼう、切り干し大根の煮物などのおかずだが、今日のおかずは、初鰹である。 「おお、今年も初鰹の時期になったか!それでは、いただきます」 「いただきます」 「今日はご馳走だね、母上」 「ああ、おなか一杯お食べ」 「はい」 「これは、からしでございますか?」 「そうだよ」 「へえ〜」 「平成ではからしで食べないのかい?」 「はい、生姜醤油で食べます」 「そうかい、まあ、食べてみな、おいしいから」 「はい、いただきます」 「あっ、これはおいしいわ!鰹とカラシって合うのでございますね」 「そうだろう」 鰹は、鮮度が落ちるのが非常に早い魚である。そして、江戸には冷凍冷蔵の技術がほとんどないので、どれほど速く運ばれてきても、庶民の口に入るまでにはどうしてもある程鮮度が度落ちてしまう。そこで、江戸の人々は、殺菌作用のあるからしと一緒に鰹を食べているのだ。 「あっ、お前さん!天野屋さんへの請求忘れないでおくれよ」 「ああ、わかってるよ」 汐織は、このひと月間で江戸の生活を一通り体験し、おおよその暮らし方を学ぶことができた。そして、そのことによって、これから先の暮らしがさらに楽しみになってきた。しかし、ただ一つ、大きな心配事があった。 それは、敏宏からの連絡が途絶えてしまったことである。週に一度は連絡をくれるように頼んでおいたが、あれ以来一度も連絡がない。 しびれを切らした汐織は、自分の方から何度も電話をしてみたが、一度もつながることはなかった。敏宏の方も連絡を入れてくれてはいるが、同じようにつながらないのだろうか? 汐織は、いまだ江戸の暮らしに興味津々ではあるが、平成に戻りたくないと考えているわけではない。だから、週に一度は、敏宏の声を是非とも聞きたかった。にもかかわらず、平成との唯一の接点である敏宏からの電話が通じなくなってしまうと、自分が平成から完全に切り離されてしまうようで、言い知れぬ不安を感じるのである。 前回電話がつながったこと自体が、そもそもあり得ないことで、これから先、二度と連絡は取れないのだろうか? そう考えると、ひどく気持ちが落ち込んでしまう汐織であった。
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