五つを知らせる鐘が鳴って、サヨは手習いに、フミは三味線を習いに出かけていった。 弥兵衛は主に外売りを担当しているので、2人が店を出た直後に、こちらも取引先へと商談に出かけて行った。 汐織は、サトと2人で店番をしていた。 「汐織、江戸のお金を見たことはあるかい?」 「はい、昨日サヨちゃんと日本橋通りを歩いていてお寿司をご馳走してもらった時に、穴の開いたお金を2枚払ってくれました」 「ああ、それは、四文銭(しもんせん)だね」 「四文銭(しもんせん)!?」 「そう、いいかい、汐織、江戸では、3種類のお金が使われているんだ」 「金貨、銀貨と銭貨だよ。このうち銀貨だけは主に上方で使われているから、江戸ではあまりお目にかかれないねえ。年に数回あるかどうかだから種類を覚える必要はないよ。それから金貨だけど、金貨には、1両小判、その半分の二分金、4分の1の一分金、8分の1の二朱金、16分の1の一朱金の5種類があるんだよ。金貨は、主にお侍さんが使うものだけれど、高額な取引をするような場合には、我々でも扱うことがある。また、それぞれの種類を教えるからしっかりと覚えとくれ」 「はい」 「最後に銭貨だけど、一文銭と四文銭(しもんせん)の二種類がある。これが、我々が日々の暮らしや商売に使うお金だよ」 サトはそう言うと、袂から穴の開いた小銭を2枚取り出して掌に乗せ、汐織に見えるように差し出した。 「大きい方が四文銭、小さい方が一文銭だよ。各々の穴に縄を通してまとめて100文にしたものを銭緡(ぜにさし)と言うんだ。ところが、両方とも両替の時に切賃(きりちん)を4文引かれてしまうから、実際には96文しかないんだよ」 「切賃とは何でございますか?」 「両替の手数料のことさ。だから、100文の銭緡(ぜにさし)には、一文銭の場合は96枚、四文銭の場合は24枚しか結ばれていないんだ。ところが、縄をほどいてばらしてしまうと96文としてしか使えないけれど、束ねられたままで使うと100文として使えるのさ」 「えっ!なぜでございますか?」 「さあ、理由は私にもよくわからないんだけど、不思議な習慣だろ!」 「ええ、すごく興味深い習慣でございますね〜」 「平成では、どんなお金を使っているんだい?」 「単位は1つで円と申します。種類は、1円、5円、10円、50円、100円、500円、1,000円、5,000円、10,000円の9つで500円以下が硬貨、1,000円以上が紙幣でございます」 「ええっ!かっ、紙のお金があるのかい!?」 「はい」 「へえ〜〜!それは面白いね〜、藩札といって藩の中でだけ使われるお金以外では、初めて聞いたよ!」 「そのお金は持ってきてるのかい?」 「はい」 「ちょっと見せてくれないかい?」 「よろしゅうございます。2階から持って参りますのでしばらくお待ちください」 「ああ、頼むよ」 汐織は、2階に上がり、押し入れの中に洋服と一緒にしまっておいたバッグを手に取った。その瞬間、全く予想外のことが起こって、汐織は、思わず心臓が止まりそうになった。 なんと、バッグに入っているスマホから電話の着信音が鳴りだしたのだ。 「なっ、なんで!??・・・えっ、江戸でスマホが・・・?」 恐る恐るスマホを取り出してディスプレイを見てみると、それは、敏宏からの電話であった。 「もっ、もしもし、もしもし!・・ゆっ、結城君、結城君なの!?」 「もしも〜し、バースデーカードありがと〜」 「結城君!?本当に、結城君なのね!!」 「んっ?・・・どしたの?」 「よっ、よかった〜〜〜!!!」 「何?・・・どうしたの?」 「わっ、私、やっちゃったのよ!」 「へっ、何を?寝小便か?」 「違うわよ!タイムスリップよ!」 「はっ!?・・・何言ってんだよ!」 「本当なのよ!!私、江戸時代に来ちゃったのよ!!」 「ど・・・どうしたんだ?・・・なんか変なもんでも食ったんか?」 「信じてよ!本当に江戸にいるのよ!」 「あっ、あほか!何で江戸時代と電話がつながってるんだよ!」 「それはわからないけど、本当なのよ!あっ、そうだ!電話がつながっているということは、メールも送れるはずよね」 「ああ」 「ちょっと待ってね」 汐織は、データ保存用のホルダーから4枚の写真を選んで敏宏のスマホに送信した。 「今写真を送ったわ。どう?」 「あっ、来た」 「この写真は、昨日私が江戸に来た直後に撮ったものよ」 汐織は、昨日サヨと日本橋を歩いた時にこっそりとスマホで周りを撮影していたのだった。 「拡大してよく見てみて」 敏宏は、汐織から送られてきた写真を拡大してしばらくの間じっくりと見入っていた。写真には、日本橋通りの大店や往来を行き来する人々が写し出されていた。そのどれもが到底作り物には見えなかった。 「どう、それ時代劇のセットや衣装に見える?」 「いっ、いや・・・ほっ、本当に江戸時代にいるんだな・・・ん!?じゃあ、何で今こうして電話がつながっているんだ?」 「さあ、それは、全く分からない。でも、理屈はどうであれ、電話がつながるのは本当に救われるわ!お願い、これからも定期的に連絡を頂戴ね!」 「あっ、ああ・・・で・・・今・・どうしているんだよ?」 「最後に送った写真に姉妹が写っているでしょ」 「ああ」 「そちらのお宅にお世話になっているのよ」 「そうか、ちゃんと生活できているのか。それならいいけど」 「あっ、そうだ!さっきバースデーカードのことを話していたでしょ」 「ああ」 「ということは、今そちらは4月14日なのね」 「そうだよ。そちらはいつなんだ?あっ!江戸時代って、確か270年くらい続いたはずだよな?そのうちのどこにいるんだよ?」 「こちらは、安政2年の2月18日よ」 「安政2年っていつだ?」 「西暦でいうと1855年よ」 「幕末じゃないか」 「そうよ」 「大丈夫なのか?」 「どういうこと?」 「鎖国の時代が終わって、攘夷派と公武合体派が争いを繰り広げているんじゃないの?」 「いいえ、そんな感じは全くしないわ。まだ、来てから1日もたっていないからよくわからないけれど、緊迫した雰囲気はまるでなくて平和そのものよ」 「そうなのか」 「ねえ、結城君」 「ん?」 「私、ちゃんとそちらに戻れるのかなあ」 「さっ、さあ、俺はタイムスリップなんて経験したことはないからよくわからないけど、行きっぱなしってことはないんじゃないか」 「それと、そちらの私は、どうしているんだろう?ちゃんと仕事に行ってきちんと暮らしているのかなあ?」 「日曜日に電話で話した時には、全然おかしなところはなかったぞ」 「どっ、どんなことを話していたの?」 「この前の四川料理のこととか、学校での花見のこととかだよ」 「そう・・・ねえ、これから連絡をくれる時に、そちらの私についてどんな些細な事でもいいからきるだけ多くのことを教えてね。」 「ああ」 「それから、安政2年の2月18日以降の情報を、こちらもできるだけ多く集めてほしいの。これから先何が起こるかがわかれば、何をするにもすごくやりやすくなるわ」 「わかった。任せておけ」 「ありがとう、ねえ、おねがい、週に一度は連絡をしてね!」 「ああ、わかった。じゃあ、元気でやれよ」 「うん、じゃあね」 電話を切った汐織は、深い絶望の淵から助け出されたかのような安堵の表情を浮かべた。
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