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作品名:時の彼方 作者:箕輪久美

第10回   第10話
朝食を終えた汐織は、フミと弥兵衛とともに店を開け、店内の掃除をしていた。商品の陶磁器を乾拭きしている時に、壁にかかっている定規のようなものが目に留まった。
「あの物差しのようなものは何?」
「あっ、あれは、時計よ。小網神社で話してたでしょ」
「とっ、時計!!!あっ、あれが!?」
それは、どう見ても物差しを縦に埋め込んだ木のオブジェにしか見えなかった。間近でよく見るとメモリが、六五四九八七六五四九八七六の順で縦に並んでいる。
「ああ、この漢数字が時間を表すのね。でも、これどうやって使うの?」
「一番上の六は暮れ六つのことよ。そして、箱の中には上からおもりが吊してあって、そのおもりに時間を指す針が取り付けてあるの。それで、おもりを一番上の六の所まで巻き上げておくと1日かかっておもりが下まで降りてきて、1日の内の時々の時間を指し示す仕組みになっているのよ」
「へえ〜!よくできているわね〜!!・・・ん!?・・・でも、おもりが落ちてくる早さを調節できるの?」
「えっ?」
「だって、厳密にいえば毎日一刻の長さが変わるんでしょ」
「ああ、それは、文字盤を取り換えて調節するのよ。毎日は無理だから、24節気に合わせて大体15日おきに間隔の違う文字盤に入れ換えるの。12枚の文字盤の表裏に24節気ごとの時間が表示されているの。今日までが春分で明日からは清明だから、明日新しいものと取り換えるわ」
「なるほど、24節気は太陽の暦だから、月の暦と組み合わせて使っているのね!」
「そうよ」
「でも、大名様や大金持ちの人の持っている時計だと、毎日の時間を自動で調節しながら動くのかなあ?」
「さあ、私も実物は見たことがないからよくわからないけれど、時間の調節はどうしても人の手でやらなければならないらしいよ」
「そうよね。平成の時計は、一定の速さで針が回ればいいから作るのはすごく簡単よ。でも、毎日針の速さが自動で変わる時計を作ろうと思ったら、それは大変なことよ」
「あっ、そうだ、思い出した!」
「えっ!何を?」
「4年ほど前に、京都のからくり師がもの凄い時計を作ったって噂になったのよ。なんでも、1度ゼンマイを巻くと1年間動き続ける時計で、時間の調節も自動でするんだって!」
「へえ〜〜!!それは、すごいわね!!それで、その時計、どうなったの?」
「その時計は、萬年自鳴鐘(まんねんじめいしょう)という名前で売り出されたんだけど、千両以上もの値がついたので誰も買い手がつかなかったそうよ。その後どうなったのかは知らないわ」
「千両ってどのくらいのお金なの?」
「そうね、我が家だったら20年以上は楽に暮らせる金額ね」
「すっ、すごいわね!!!」
仮に、フミの一家が年間400万円で生活していると考えても、1つの時計に8千万円以上の値が付いたことになる。これは、豪商はおろか大名でさえも、おいそれと購入することができないほどの超高級品である。
しかし、もし、その内部の構造を知ることができたならば、これは、投げ売りと言ってもいいほどの安値であることを思い知るであろう。それほどのもの凄い時計なのである。

 萬年自鳴鐘(まんねんじめいしょう)は、嘉永4年(1851年)に京都のからくり師、からくり儀右衛門こと田中久重(儀右衛門は久重の幼名)によってつくられた和時計の最高傑作である。
久重は、寛政11年(1799年)筑後国久留米の鼈甲細工(べっこうざいく)師、田中弥右衛門の長男として生まれた。幼い頃から、からくり細工の分野で天才的な才能を発揮し、新しい細工のからくり人形を次々と発表して世間の耳目を集めていった。現存する作品では、弓曳童子(ゆみひきどうじ)が特に有名であるが、これは、人形が矢立てから矢を取り、弓につがえ、的を射るという高度な動作を4回繰り返すもので、とてもからくり仕掛けで動いているとは思えないような、そのなめらかで細かな動作と的を狙う際の人形の表情に衝撃的な驚きを覚えるのは、決して筆者だけではあるまい。
 そんな稀代の大天才が、持てる英知と情熱の全てを結集し3年の歳月を費やして作り上げたのが、萬年自鳴鐘なのである。
 それは一見すると、時計とはかけ離れた、なんとも表現しがたい形状をしている。もし、何も知らない人が見たならば、一体何だと思うだろうか?とても時計には見えないのではないか!?正体不明の不気味な置物・・・?
実は、萬年自鳴鐘には、和時計だけではなく、その他にも6つの機能が備え付けられている。そのため、時計とは思えないような異形な外観となっているのだ。それでは、その他の6つの機能とは何か。
 まずは、本体上部に取り付けられた天球儀、これは、京都から見た1年間の太陽と月の動きを実際に模型で再現する。
そして、天球儀の下の六つの面の内の1つに和時計が組み込まれている。
その他には、二十四節気の表示面、これは、その年の二十四節気が何月何日になるのかを自動で表示する。
曜日と時刻の表示面、短針はその日の曜日を表示し長針は和時計と連動して時刻を表す。
十干十二支の表示、当時は1年と同様に1日にも60種類の干支の中から1つの干支を割り振っていた。これは、その日の干支を自動で表示する部分。
月齢表示、その日の月齢を表示する。中央の月のレプリカが自動で変化し、ヴィジュアルでその日の月の形がわかるようになっている。
洋時計、スイス製の懐中時計を改造して他の機能と連動させたとされる。精密な時間調整の機構を構築するために使用したとされるが、その方法は不明だ。
この6つの表示面の下の6本の支柱の内側に鐘が取り付けてあり、時間が来ると時の鐘と同様に、その時間数だけ鐘を打ち鳴らす。
 これらの全てが連動して、時間とともにそれぞれの情報を同時に表示する仕組みになっているのだ。しかも、1度ゼンマイを巻くと1年間正確にそれぞれの情報を表示し続けるというのだから、もはや驚きをはるかに通り越して畏怖の念すら覚えるほどである。
 それでは、本項のテーマである和時計の部分について説明してみよう。
現代の時間の単位である1時間は、1年中その長さは一定で変わらない。この時間の計り方を、定時法と呼ぶ。ところが江戸時代は、時間の単位である一刻の長さが一定ではなく、日照時間によって日々変化していくという独特の時間の計り方をしていた。これを、不定時法と呼ぶ。
 定時法の時計は、針が同じ速さで回ればよいので、作ることは非常に容易い。しかし、不定時法の時計では、毎日の日照時間に合わせて一刻の長さが変わっていくため、時間の進み具合を日々微調整する必要が出てくる。これこそが、和時計製造の最大の難点であり、多くの時計師たちが、様々な工夫を凝らしてこの点を克服しようと大いにしのぎを削りあったのである。しかしながら、いかなる和時計も、大なり小なり人の手を借りなければ、日々変わっていく一刻の長さを調整することには成功しなかった。
 萬年自鳴鐘は、この難点を克服した唯一の和時計なのである。1度ゼンマイを巻けば、1年間一切人の手を加えることなく、正確に不定時法で時間を刻み続けるという、まさに、神の領域にも達するかというほどの驚異的な発明品である。
 それでは、萬年自鳴鐘はどのように時間を表示するのであろうか。
この時計は、針が回転して時間を指し示すタイプではなく、時刻を指し示す針は、現在の時計で例えると12時の位置に固定されている。そして、文字盤が、1日に1回転して時刻を表示するのだが、その回転速度は一定なのである。
では、どのようにして一刻の長さを調整するかというと、時間を表す文字駒が、一日の日照時間の長さに応じてわずかずつずれていくのである。
つまり、子(夜九つ)八七六(明け六つ)五四午(昼九つ)八七六(暮れ六つ)五四と12ある文字駒が、春分から夏至に向かう際には、明け六つから暮れ六つまでの間隔が徐々に広がって昼間の時間を長く表示し、逆に暮れ六つから明け六つまでの間隔は同様に狭まって夜の時間を短く表示するのである。そして、秋分から冬至に向かう際は、この逆で、明け六つから暮れ六つまでの間隔が徐々に狭まって昼間の時間を短く表示し、暮れ六つから明け六つまでの間隔は広がり夜の時間を長く表示するのである。
 どうして、このようなことが可能なのか。内部の構造がどのようになっているのかにいては、とても紙面で説明することは困難であるため、某有名動画サイトにアップされている『田中久重の万年時計』という動画をご参照願いたい。これは、2005年の愛地球博に先立って行われた、文部科学省主導の国家プロジェクトである『万年時計復元・複製プロジェクト』の模様を追ったドキュメント番組である。
 機械工学やロボット工学等、現代を代表する100人以上の技術者が、萬年自鳴鐘を分解し、その仕組みを解き明かして複製を作り上げるまでの様子が刻銘に描かれている。そこで明らかにされた和時計のその仕組みとは・・・これはすごい!本当〜にすごい!!誇張でもなんでもなく鳥肌が立ちます。是非ともご覧ください。
復元されたレプリカが愛地球博に展示された翌年の2006年、萬年自鳴鐘は、時計の分野では唯一の重要文化財に指定されている。
 久重は、現代の最先端のテクノロジーを有する技術者たちを驚愕させる時計を、たった1人で設計し、1,000以上もある部品もほとんど自らの手で作り出し、その組み立ても1人だけでおこなって、わずか3年間で完成させた。
電気さえもなかった江戸時代、久重は、当時の時計の水準などはるかに超越した、現代の技術者たちをも驚嘆させるほどの時計を、ほとんど自分の力だけで作り上げたのだ。
 その物づくりに対する才能、情熱、執念、技術力は、自信を持って日本が世界に誇れるものだ。久重こそは、『物づくり日本を』世界に知らしめることのできる第一人者なのである。
しかしながら、現在、世界はおろか国内でも久重のことがそれほどよく知られていないというのは、あまりにも寂しいことだ。
 萬年自鳴鐘の完成から21年後に久重が設立した田中製作所は、その後、芝浦へと移転し株式会社芝浦製作所と名前を変え、東京電機株式会社と合併して東京芝浦電気株式会社となった。そう、久重は、日本を代表する企業である東芝の創業者の1人なのである。
 筆者の友人に東芝に勤務する女性がいるが、彼女に「田中久重って知ってる?」と問うと「うちの創業者だと思うけど、何作ったんだっけ?」と返事が返ってきた。全く罰当たりなどアホウである。


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