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作品名:「音楽の森であそぼう」コンサート 作者:沓屋南実

最終回   連作短編集・みんなの大好きな「PTA」
「音楽の森であそぼう」コンサート

 明日九月二十三日は、 いよいよ日向ヶ丘市立第一小学校PTA、自己啓発部主催の演奏会である。
 私、松島由美は一介の部員ながら、この催しの責任を負っている。こんなはずではなかったのが、そういう状況に追い込まれてしまった。そもそも、PTAのメンバーですら外してもらうつもりでいたのに。
 今年度がはじまる前、まだ寒かった季節にPTA副会長の高坂弥生にたずねたのだ、PTA会員から外してもらうには、どのように手続きをするかを。彼女の息子と私の娘が同じクラスであり、転入以来、何かと気にかけて親切にしてくれたので。
 しかし、反対に残るよう懇願されてしまった。一会員で彼女の顔が立つなら、と思ったのが甘かった。無記名投票でクラス役員に選ばれ、自己啓発部に属することになり、否応なくあれやこれやと用事ができてくる。
 予想外、予定外のことがいろいろありはしたが、ともかく準備は整って、本番を待つだけとなった。               
 今日、準備の終わりに「音楽の森であそぼう」という緑と黄色と青を基調にした美しい案内板が、体育館の入口に置かれた。体育館のなかは、ピアノに、椅子に、パソコンに接続するスクリーンがバランスよく配置できた。自己啓発部のメンバーたちは、時間をやりくりしてほぼ全員集まったので、思いのほか作業は早く進んだのである。
 演奏会、といってもかなり特殊なイベントだ。音楽からインスピレーションを得て創作する、という見たことも聞いたこともないワークショップ。一般にもなじまないことを遂行するのだから気骨が折れた。それも、明日無事終われば一気に楽になるはず。願わくは皆が笑顔でありますように。やって良かったと自分自身思えますように。
 ふだんはけっこう楽観的なはずの私であるが、また明日の心配がもたげ夕食の片づけもそこそこに、キッチンの椅子に座りこんだ。
 一人娘の愛美(まなみ)は自分の部屋へ行った。あすの用意をして、あとは寝るだけだろう。夫の直人は帰宅は遅くなるから、先に寝ているようにとメールがあった。
 眠気そして疲れが襲ってくると、娘が通う学校のため、子どものためとはいえ、時間を取られすぎたことにめげてくる。

 そもそも、PTAの参加も今年はやめておきたかったのに。繰り返す疑問がまたもたげてきた。そもそも、と私はこれまでの慌ただしい日々を反芻した。
 夫の転勤で海外を転居が続いたのが、八ヶ月ほど前にやっと日本に戻ることができて、愛美はこの学校の四年生の途中から通っている。
 愛美は生まれ持った外交的な性格で、新しい環境にすぐ馴染んだ。転勤族仲間から羨ましがられるほどだ。娘にはかなわないが、夫と私も四十代なりの頑張りでだんだん新しい暮らしに慣れていった。
 そして、私は念願だった仕事につき、コンサートホールの企画や運営を行う会社の一員となった。音楽は趣味で聴く程度だが、スラングを含めた実践的英語力が買われたのである。
 嬉しい誤算である実践的能力は、英語圏を席巻しているある人気小説の賜物だ。そのファンサイトに日参するうちに、信じられないほど語学力がついた。わからない単語が出てきたら、クリックするだけで意味を教えてくれる便利なソフトがあるので、辞書をひく面倒はなく、どんどん英文を読み進められる。
 内容にハマり込んでいるのだから、それについて書かれたものはどんなにしたって読みたい。感想だけでなく、本編ではありえない、キワモノの世界が繰り広げられる二次小説というジャンルも然り。ストーリーを引っ張る力量を持ち併せた筆力のあるアマチュア作家が日々更新してくれるので、新しい興味を湧いて更にその世界に入り込んでいくことになる。
 しかし、そういう特殊なジャンルは色眼鏡で見られがちなので、リアル友だちには話していない。どうして英語力がついたかは、曖昧に応えるのみ。皆、さぞかし勉強家だと思っているのだろう。そういう誤解は大歓迎である。
 めでたくその実践的英語力を生かし、縁のなかった芸術家と呼ばれる人たちと接するような仕事につけたのは、ラッキーだと思っている。
 高学年の子どもを持つ母親の多くは、何かの仕事に就いている人が多いと、漠然とアメリカの知り合いから聞いていた。そうでなければ、家族のために忙しい。子育てが一段落すれば、今度は親が老境に入りかけるわけで、不自由になった生活の援助、看病や介護、自営なら家業も含んで、寝る時間を削ってもまだ足りない人も少なくないと聞く。
 授業参観に出席したところ、保護者は三分の一ほどの人数だった。私の隣に立った、長身の美しいお母さんも働いているが、その日は休みを取って来ていると教えてくれた。家にいて充分自分の時間が持てる人となると、わずかにちがいないとい印象を持った。
 私の場合は、夫も私も両親は他県で元気に暮らしている。いつまで平穏な日々が続くかわからないが、好きな仕事ができるのもそのおかげ、とありがたく思う。
 PTAの一会員であった昨年度は、時間に余裕のある母親が少ない、ということにさほど関心はなかったが、いざ会を催す立場となると、否応なく実感する場面に出くわした。
 用事をたくさん抱えて余裕のない人が多いのに、なぜ大人のためのイベントが毎年判で押したように行われてきたのか、不思議だ。自己啓発は良いことだし、正しいことだと思う。 ここへ転勤するまえに住んでいたシアトル、 その前住んでいたドバイそのまえの居住地でも、 余暇の時間を自分磨きに使う人はいて、人間として輝きがあった。
 しかしながら、それをPTAで行うのは、どうかと思うのだ。自分の子どもとさえ、ゆっくり過ごす間もないとの嘆きがある一方で。まったく、驚くばかりだ。子どものためと謳うなら、矛盾している。それに、こういうことは、 それぞれが自分に合うことを求めていったほうが、 良いに決まっている。
 これまでフラワーアレンジメントや料理教室、 裁判所や美術館などの社会見学を行ってきたらしいが、 参加人数はいつも足りないので、 ほかの部門の役員や友だちに動員 をお願いする始末だ。この半年ほど、役員をやるなかで耳にした話から考えると、余力のない人までかき集めないと成り立たない行事など、リストラするべきではないか。
 PTAの会員を外してもらうどころか、平にしろ役員に選ばれ、この部門に決まったときはひどく落胆した。このような、あまり意味のない活動のために、時間が失われることに納得できない。たとえ、どんなに時間を持て余していても。
 その上、難題がふりかかった。決定していた演奏会が、白紙になってしまったのである。昨年度の役員で準備を整え、今年度の部員が行う予定だったが、急遽出演者がキャンセルしてきた。新しい計画を立てて実行するには、時間が不足している。それで、演奏会を組み立てる会社に勤めている私が都合よく自己啓発部にいたので、話が回ってきたというわけだ。準備期間が短いため、素人が試行錯誤している場合ではない、 ということだった。ならば、やめておこうという話にはならなかったのである。私は自己啓発部の部長が困っているのを見かねて、しぶしぶ引き受けた。
 私はただ押し付けられた仕事をこなすことに納得いかないので、引き受けた以上は自分自身やってよかったと思える内容にしたかった。それで、例年六月に行われていたのを、九月に延ばしてもらった。その話を通すのも一苦労だったが、ただ演奏家を呼んで鑑賞するだけでは、面白くない。
 私は一回限りの音楽体験でできるアイディアを考えつつ、会社の上司や同僚に相談した。すると、ユニークなプログラムを作って、さまざまな場で実践しているピアニストがいることを教えてもらった。彼女の名前は、中川有紀子。有名な人でもあり、とても引き受けてもらえないだろう、と思った。ホームページを見ると、「音楽の森であそぼう」というプログラムの案内とこれまでのレポートが載っている。
 音楽家を招いて鑑賞するのではなく、参加型のイベントである。音楽会のまえに、授業時間を使って音楽からインスピレーションを得て、作品を作るのである。国語と美術、そして音楽の時間を利用して、音楽を聴きながら子たちは作品作りに取り組む。さらに、時間をかけたい子どもは、家に持ち帰って完成させた。音楽は創造の源となり、子どもたちからたくさんの美しい世界を引き出したことに、ただただ感動を覚えた。
 ホームページを見ながら、頭のなかで企画書を練った。事前にかなり時間をかけることになるが、とても意味のあるものだ。手間はかかるが、それだけ良いこともたくさんある。おとなの作品提出はないかもしれないが、きっと子どもたちの手によって、創り出されるものはユニークに違いない。考えるだけでも、ワクワクしてくる。すでに行われた学校での記録を写真を見ると、面白い作品が並んでいるし、本番のコンサートでは子どもたちは目を輝かせて聴き入っている。
 企画書をまとめて、会議にかけられた。予想通り、おとなの自己啓発の会に子どもが参加するのは、どうかなど前例がないという反対があった。学校の授業時間を使うことは、学習計画に影響すると。しかし、執行役員のなかに強力な賛成者が現れ、話をまとめてくれた。それから、副会長の高坂弥生も、熱心に皆を説得してくれた。
 ただ、国語と美術の時間をそのために充てることは却下されたので、夏休みの自由課題として認められた。もちろん、作りたい子だけが作ればよいのだ。絵でも工作でも作文や詩でもよい。
 演奏会のメインは、シューマンの「森の情景」全九曲二十分弱である。それぞれ題がつけられていて、「森の入口」「茂みのなかで獲物を待ち伏せる狩人」「孤独な花」「気味の悪い場所」「親しみある風景」「宿」「予言の鳥」「狩の歌」「別れ」と、曲名を並べるだけでも主人公が森に行って戻るまでのストーリーが想像できる。
 このなかから、「茂みのなかで獲物を待ち伏せる狩人」「親しみある風景」「予言の鳥」があらかじめピアニストから指定され、音楽の授業の時間や昼の学校放送で繰り返し流した。
 うちでも愛美が、一生懸命絵を描いた。陸上の大会も終わり、夏の暑さの盛りが過ぎた八月も下旬に入る頃だった。「予言の鳥」を娘は選び、虹色の鳥が空を見上げている様子を描いたようだ。。あまり絵は得意でないが、配色が面白かった。私が繰り返し、夕食の支度のときに聴いているので、娘にも自然と音楽が入っていたのだろう。
 私は集められた絵や作文を、音楽に合わせてスクリーンに映し出せるようにパソコンに取り込んだ。今日の準備作業で、写り具合も確認している。本当に自分でもびっくりするぐらい、一生懸命になり、あれこれ支障が出そうになれば母に来てもらって乗り切った。元気な母がいてくれて、本当に助かる。夫の直人は、私がこまねずみのように動き回るのを、半ば呆れて見ていた。
 例年通り決められた流れでやっていけたら、十分の一の労力で十分だっただろう。しかし、それではやらされ感が占めてしまって、面白みのあろうはずもない。もはや、PTAがどうというよりも、自分が作り上げるプロジェクトを遂行しているようなものだ。
 自己啓発部のほかのメンバーの温度差があるのは、わかっている。それで当然であるし、イレギュラー続きで、私のほうが申し訳ないぐらいだ。

 今までのことを思い返しているうちに、時計は十一時近くになった。そろそろ寝なくては。私はお風呂に入ろうと、立ち上がった。そのとき、スマートフォンが着信を知らせた。
 誰からかと思ったら、自己啓発部のひとり佐伯和恵だった。一番頼りになるメンバーだ。
「こんな時間にごめんなさい」
「どうかしたの」
「明日のことだけど、ちょっと心配なことがあって……」
 彼女は早口だった。PTAに入っていない親が明日の演奏会にやってくるらしく、それについて誰かが不満を言ってきたらしい。
  そうは言っても、チケットがあるわけじゃなし、こちらでその人を見つけて帰ってもらうなどということは、できない。自分の子どもの作品が映し出されるから参加を希望しているかもしれないし、学校とのタイアップもあったから、PTAの行事という認識がなくても不思議はないのである。
 それに、子どもを通わせている学校なのだ、部外者でもないのに排除するという考えが、私には理解ができなかった。これまで準備をしてきた身としては、積極的な参加はむしろ喜ばしい。しかし私は判断する立場でなないので、佐伯和恵にはあいまいな返事をした。
 そして、用件は終わりかと思いきやまだ続きがあった。
「あのね、これ、あなたに言おうかどうか迷ったのだけど」
 私はさらに嫌な話を聞かねばならないらしい。
「あなたに関わりのあることなの」
 私はドキッとして、次のことばを待った。こちらが電話の本題なのだと思った。
「次の副会長にあなたを推そうと、上の人たちが話しているのを聞いてしまったの」
「え……」
「あなたは、不本意なのね。受けたくは、ない?」
「もちろん。なぜそんな話になったのかしら?」
「今回のコンサートのことで、とてもよくお働きになったわ。だから、相応のところでもっと活躍してもらおうって」
 もう十分だと、これで終わるというゴールがあるからこその頑張りだったのに、折に触れてそう言ってきたつもりが、伝わっていないらしい。
「それは、断りたいわ」
 得体の知れない力に引きずり込まれそうな、嫌な感じがした。これまで、十二分にやってきたことに、満足してもらえないようにも感じる。
 佐伯和恵はしばらく、黙っていた。私も。
 やっと彼女は言った。 
「あなたが役員に選ばれたのはね、何人かの人が相談してあなたに投票したからなのよ」
「え……」
 愕然として、私は続ける言葉が見つからなかった。しばらく間をおいて、やっと言った。
「なぜ」
「電話をするのを迷ったんだけど……。あなたは何かと目立ちすぎるわ。明日は本番だし、何かと動かないといけない立場だけど、気をつけてね」
「でも、どうして」
「やっかみを買っているのよ。英語ができて、海外から戻ったばかりなのに、早速良い就職先も見つけて」
「そんな……」
「それに、決定的だったのは、PTAを辞めたいって言ったことね、高坂さんから聞いているわよ」
 いつもいかにも、私に好意を持って接している彼女からそんなふうに私のあずかり知らぬところで、話しているとは。冷たい感情が走った。
「いえ、そうじゃなくて、今年だけ外して欲しかったのよ」
「同じことよ。PTAに刃向かったということに、違いないもの」
 刃向かっただなんて。頭のなかが混乱して、言葉が荒くなった。
「ひどいわ」
 柔らかく落ち着いた声が返ってきた。
「だから、今後のことを心配しているの。とにかく、上手に立ち回ってね。私は今回の演奏会のことで、ご一緒できてとても嬉しかったの。明日の演奏会が終わってしまうのが、なんだかさびしいぐらい。あなたとは、部とかPTAに関係なくこれからもときどきお茶でもしたいわ」
 口調に冷静さと、思いやりを感じた。話は確かなものだろう。私は高坂弥生に失望したのと同時に、佐伯和恵という人に希望を見出した。
 
 翌日は、秋空が広がりさわやかな風が吹く過ごしやすいひだった。冷房のない体育館でのコンサートなので、天候はずいぶんと味方をしてくれて、喜ばしかった。
  昨晩の電話は、私の心を乱しはしたが、かえって決心がついた。このイベントの後始末が終わったら、すっぱりPTAを辞めよう。最初に高坂に話に行ったとき、言いくるめられた私も悪いのだ。日本に戻って、だんだん空気を読んでしまう自分、早く溶け込まなくてはという思いが強すぎて、自分の言葉を失っていた。
「辞める」ことが、どんな波紋を投げかけようと。このまま長いものに巻かれていったら、高坂弥生のような立場に立たされるかもしれない。いったん、流れにのってしまったら、逃れるのはより難しい。ならば、やはり辞めるよりないだろう。
 こんなにも消極的な気持ちになるのは、おそらく私だけではあるまい。それでも「こどものため」の団体は必要なのだろうか。
 しかし本番が終わるまで、そのことは頭から追い出そう。コンサートそのものは、子どもも参加する、私のしたいことなのだから。
 学校の校舎は土曜日のため、しんと静まり返っていた。隣接する体育館には自己啓発部の役員たちが集まり、ピアニストの中川有紀子と簡単に打ち合わせをした。部長は皆の前で挨拶をしなければならないため、緊張した面持ちだ。
 人影が見えてきた。子どもたちも、そして大人たちも。親子連れの姿もあった。
 中川有紀子は私と歳はそれほど変わらないが、とても若々しい。森をイメージする濃淡の緑色のパンツスーツが細身の身体によく似合う。彼女も入口に立って、笑顔で参加者を出迎えた。
 体育館の真ん中寄りに置かれたピアノ、半円のような形で子どもたちが、その外側に大人たちが座っている。
 コンサートがはじまった。
  中川有紀子は、まず皆がよく知っているアニメの曲を弾き、全員の気持ちを惹きつけた。二曲目はアニメのなかでも、森や小川をテーマにしたもので、「歌っていいよ」と伴奏を弾きながらピアニストが声をかけた。皆の元気な声が響き渡る。
 そして、「森の情景」の曲が誕生した背景について、ピアニストは熱心に話をした。三百年ぐらい前までのヨーロッパでは、て王様や貴族のための明るく華やかな音楽が盛んだった。時代が変わって、普通の人々が音楽を楽しめるようになり、自由にいろいろな音楽が作られ、人間の心を表す作品が生まれてきた。モーツァルトやベートーベン、シューベルトに続いて、どんどん優れた作曲家が現れた。そのなかの一人が、シューマンという作曲家であり、「森」をとても愛していたこと。この時代の人たちにとって、森は特別な場所だったことなどを、わかりやすく説明した。
  この九曲を一度に弾くのではなく、一曲が終わるたびに皆の感想を聴いた。あらかじめ選んであった三曲「茂みのなかで獲物を待ち伏せる狩人」「親しみある風景」「予言の鳥」では、演奏のあとスクリーンに子どもたちが描いた絵が映し出された。同じ音楽から、まったく違う世界として表され、それぞれの感じ方を楽しんだ。ワイワイがやがや自由におしゃべりが続いた後、ピアニストは絵の作者にお礼を述べた。
「森の情景」は、同じ作曲家の「子どもの情景」に比べれば、まったくと言ってもよいぐらいに知られていない。よほどのシューマン好きの集まりでなければ、避けるところだとピアニストは言ったが、子どもの情景よりも内容がわかりやすく、想像力を広げられると思うと明快に語ってくれた。そう言われなければ、きっと自分から聴くことはなかったであろう、このピアノ曲集を準備期間中ていねいに聴いてみた。すると、わかりやすいという意味がすぐに理解できた。技巧や装飾めの派手さで圧倒する音楽ではなく、静かにその世界へ入りゆっくりとイメージを広げていく感じだ。
 子どももおとなも、ピアニストの説明に耳を傾け、演奏が作り出す森の中へ入っていった。深い森の非日常的な雰囲気が、さまざまな記憶を呼び覚ます。「茂みのなかで獲物を待ち伏せる狩人」「親しみある風景」「予言の鳥」の演奏は、スクリーンにそれぞれの絵が映し出された。ほとんど子どもの作品だが、なかには大人のものもあった。同じ音楽を聴いていながら、まったく違う世界が描かれているのが、おもしろい。抽象画においても、曲とタイトルからうなずけた。娘である愛美は絵は得意でないと言いながらも、思うまま画用紙に色を乗せていた。おそらく、どの子もそれぞれ頭に浮かぶ世界を表すことに一生懸命だったのではないだろうか。
 ピアノの音が響いている間は、静かだった。映し出される絵やタイトルを見つつ、その世界を頭に描くことができ、私もすっかり聴き入っていた。
 最後にアンコールとして、皆が気に入った曲にもう一度拍手して多かった「予言の鳥」と「孤独な花」になった。それから、「子どもの情景」の曲集のなかから、「誰も知らない国」「トロイメライ」も。最後の曲はよく知られている曲のためか、とくに大人たちの表情が輝いた。
 コンサートは、予想以上に成功だった。私もすっかり曇った気持ちから離れて、会の進行を見守りつつ、さらには参加者として美しいピアノの音に耳を傾けることができた。
 参加者たちの余韻を惜しむかのように雑談を続けたり、子どもたちがはしゃいだりしたりする様子に喜びがこみあげる。考えた以上にうまくいって、本当に良かった。
 向こうから副会長の高坂弥生が私に近づいてくる。
「片付けが終わったら、お茶でもどう? おごるわよ」
と、彼女はいつものように親しげに言った。私は、いつものようにニッコリ微笑み、しかしゆっくり首を横に振った。
「せっかくのコンサートの余韻を愛美と楽しみたいわ。ここのところ忙しくてほったらかしだったから」
 すべて終わった満足感に、私を引っ張り込んだこの女性に、意外にも感謝の念が浮かんだ。音楽の力だろうか。私の心に森の息吹が流れ込み、晴れ間が見えたように感じた。
 ただ長いものに巻かれていくのも嫌だが、だからといって闇雲に戦うのもよろしくない。アメリカにいたときに感じなかった、得体の知れない親たちにのしかかる巨石のフタのようなもの。それが、何であるかわかりたい気もするが、まったく急ぐようなことではないのだ。
 まだ体育館に残って、ピアニストを取り囲む人の輪のなかに、仲良しの友だちとおしゃべりをしている愛美がいた。彼女は、私に気が付くとニコニコと笑みを浮かべて手を振った。一緒に家に帰り、愛美と楽しく過ごそう。昨日届いた美味しいクッキーが、私たちを待っている。


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