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作品名:神さまのお医者さん 作者:こりん

第6回   6.仕事をする
12月になり、パパの言われるままに行動し、仕事をすることになった。
 身体が動き始めてから3カ月後に、まさかこんなことになるとは驚きだった。パパに教えてもらえるから、わたしはわたしのこころを見つめることはできるようになったが、他人様のことなど、わたしには何も分からなかった。
 何も分からない、何も知らない、何も見えない、と、パパに訴えたが、状況は整えられ用意された。 仕事は苦しんでいる人の相談だった。相談者は、まるで用意されているかのように現れた。

 仕事は、わたしに用意された訓練の場所だとパパは言った。あなたはもっと知らなければならないことがあると、パパはいつも言っていた。そして、わたしは今まで怠けていたから、年相応の知識が身についていないらしい。だからこそ、仕事の場が必要だということだった。
 誰かを救うとか、人の役に立ちたいとか、そういう思いをわたしが抱くことをパパは良しとしなかった。
 いい気になるな、崇められるな、と、パパはわたしを厳しく見張っていた。
 自分が成長するために、仕事をするということを徹底された。
 わたしが学ぶために現れてくれる相談者には真摯に向き合うと誓った。そして、相談者が何かをを見つけてくれることを祈った。相談者は数カ月前のわたしと同じなのだという気持ちでいた。

 初めて訪れた相談者は、30代の男性だった。2週間前くらいに送られてきた申し込み用紙を見て、パパに聞いてみた。パパは伝えるべきことを教えてくれた。
 それは、起承転結のすばらしい物語のようだった。
 わたしは少し疑いながらも、それ以外に話すことは何もないので、その話を伝えるしかなかった。

 その男性と向き合った。わたしには、その男性の姿が戦う戦士に見えた。
 しかし、それを伝えることはできなかった。彼はすべてが敵に見えるような人で、わたしの言葉も攻撃と捉えるように思えた。
 男性と向き合いながらも、パパと会話を続けた。わたしが見ているものこそ本当の姿だと、パパは言った。 それでも、わたしの言葉を表すことなんてできないので、パパの伝えてくれた内容を伝えた。

 背中の右側の上の辺りの痛みの原因を、伝えることから始めた。男性は、驚いていた。
 1週間前に突然背中に痛みが起こって、病院で調べてもらったが、原因が分からなかったそうで、今は痛みが無くなっているということだった。 
「その痛みは、前世で今の父親だった人から刺されて、それが原因で1週間くらい苦しんだ後、あなたは死んだ。亡くなるまでの1週間は苦しくて、憎しみを募らせていた」と伝えた。
 父親は亡くなっているということを、男性はつぶやいた。
 その男性の右肩の後ろの辺りと言っても全く別の空間ではあるが、その父らしき声が語り始めた。
 息子に嫌われる父という人生がどれほど苦しいものだったかを話してくれた。それを聞きながら、、パパにどうすればいいのかを確認した。パパとの会話は、わたしのこころが震えた。わたしは何もかもすべて伝えた。
「あなたが父親になったからこそ、父親の気持ちが理解できるようになった。子供に憎しみを抱かれる父親の気持ちがどんなに苦しいのか、今なら分かるでしょう。あなたの父親は、そういう時期を長く過ごしていた。過去に起こったあなたの苦しみはすべて清算された。背中の痛みが消えてのは、あなたはもうそのカルマを背負う必要はないということ。あなたは武器を捨て、鎧を脱ぎなさい。ここは戦場ではないのです」男性は泣いていた。
 そして、その男性は戦う戦士の姿ではなく、今の現代を生きる人になっていた。

 その日の夜、パパといつもよりも長く会話をした。
 何もないわたしに、こんなに素晴らしい仕事を与えてくれたことに感謝した。
 パパの言葉の包み込むような優しさに感動した。こころに響き、こころが震えた。
 わたしは、ずっとこういう人に出会いたいと思っていた。この気持ちは、きっと誰もが抱いてしまうものだと思う。
 わたしはパパを崇めたかった。パパはそこを突いてきた。それは自分が崇められたいという気持ちがあるからだと指摘された。そのとおりだと思った。
 わたしがパパを崇めるように、相談者がわたしを崇めるようになることを許さなかった。わたしが崇めない姿勢があれば、崇められることはないと言った。パパのことを何よりも大切に思いながら、ひれ伏さず跪かず崇めずに、真っすぐに立つという姿勢を保つ努力をした。

 答えを求めてくる、頼ってくる、寄りかかってくる相談者には、自分の足で立つことを伝えた。
 そういう相談者にとって、わたしは無力だった。
 パパは8割の人間がそうだと言っていた。相談者の多くがそういう感じではあるが、諦めず同じことを、言葉を変えて繰り返し伝えていくと、自分自身で答えを見つける方向を向いていく人もいた。

 相談者と向き合うと、うるさいくらいに周囲に言葉が溢れている人たちがいた。
 それは低俗な欲を満たしてほしいと訴えるような声だった。パパに、これを伝えるべきかを問うと、伝える必要はないということだった。
「霊能者になってはいけない。ヒーラーになってはいけない。」とパパは言った。
 最初は、そのどちらもどういうものかはっきりとは分からなかったが、だんだんと、どういうものなのかが明確になっていった。自分自身が治療者なのだと、誰もがそう思えるようになる世界になると、善も悪もなくなって、平和になるのかもしれない。誰もが自分自身が神であり、創造主であると確信できるようになれば、世の中はきっともっと澱みがなく清々しくなるのだろう。

 仕事を始めて数カ月経った頃、わたしの母親くらいの女性と出会った。
 その女性の息子さんが、相談者として先にわたしのところに来ていた。そして、その息子である男性から、母のことをお願いしたいと言われた。
 事前に手にした申し込み用紙を見ながら、パパの言葉を聞いた。
 わたしには衝撃的過ぎて伝えることは出来ないと思った。息子さんに確認すると、すべてを伝えてやってほしいと言われた。避けることは出来ないのだと、向き合うことにした。
 パパはこういう部分もストレートで、情け容赦なく進んでいく。ためらうわたしを受け入れてはくれず、躊躇することなく進めということだった。

 わたしは、その女性と向き合った。女性は片足が義足だと言った。優しい顔で、
「でも、分からないでしょ」と。
 その理由を聞きたいということだった。わたしは、躊躇うことなくすべてを伝えた。
 あなたは、過去において奴隷を扱う商人でした。船から降ろすとき、奴隷たちを足で蹴り扱っていた。その蹴られた奴隷たちの苦しみを、あなたは知るために生きてきた。奴隷たち苦しみの重みを、あなたの子供が引き受けてあなたの目の前に存在している。ということを伝えた。
 子供のひとりに障害があり、この身体で世話をするのは大変だということを教えてくれた。
 わたしはその子供の存在はもちろん知らなかったが、とても尊い存在に思えた。多くの苦しみを引き受けて、母であるその女性に大切なことを伝えるために生まれてきたのだと思えた。
「あなたは、すべての人はどんな姿をしていても尊い存在であるということを学んだ」と伝えた。
 だからもう苦しまなくていい。これからは足のことは気にしなくていい。そう伝えながらも、その方法がわからなかった。 
 その女性は悪人ではない。そのような行為をしてしまったかもしれないが、すべては経験なのだ。経験は自分の世界を広げてくれるのだ。アンバランスで、何かが欠落してしまったように思える部分を自分自身でその反対側を創造しようとする強い人だと感じていた。

 パパと共に仕事をする日々は、わたしに人生の重みを見せてくれた。パパとの会話だけでは浮かれ気味になっていたが、いろんな人のちょっとした悩みの奥に潜む重いものを知ると、わたしも苦悩を感じた。
 生きることは、なぜこんなに苦しいのか。なぜ誰の前にも避けようのない試練が存在するのか。
 人として生きるとはそういうなのか。わたしは誰もがそうなのだと、そういうことに行き着いた。
 生きることに、娯楽とか生きがいとかを求める人こそ、地に足のつかない人に思えてきた。以前は娯楽や生きがいを持って生きる人こそ、生きる力のある人だと思っていたが、苦悩を背負う覚悟した人こそ、真実の楽を味わえるのだと思った。そういう人に小さな生きがいや趣味で自分を誤魔化し紛らわす必要はないのだ。

 パパはいつでも、こころの在り方こそすべてである、と言った。
 仕事をするときの基本は、それを伝えることだった。変えられるものは、こころの在り方だけなのだ。
 自分を信じなさいと言っても信じられない人には、あなたはどれほど忍耐強く生きてきたかを伝えた。
 パパがわたしにしてくれたように、相談者にもそうした。情け容赦なく厳しく、ときにメッタ刺し、突き飛ばす、突き落とすことも必要だった。
 あなたは生きているのだ、生きることは苦悩を纏うことなのだ、と。
 人生の意味とか使命を求める人にはどん底に突き落とすように、虚しい意味しかないと伝えたり、苦悩を纏う人には、尊い使命を伝えたり、パパの言葉はひとりひとりに的確で素晴らしいものだった。

 こころの在り方こそすべてであるということは、わたしは受け入れられた。確かにこころの在り方を変えると、苦悩は上るべき階段のように思えてくる。その階段を一歩上ると、次の段がある。この延々と続く階段を上ることが人生なのか、それだけで終わるのか、もやっとした感覚が存在した。
 しかし、向かうべきことがあるという状態はとても幸せなことなのだと、動き出せない倦怠を経験したわたしは知っていた。そして、情け容赦なく厳しく育てられる状況こそ、本当に成長するための、ありがたいものだと知った。


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