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作品名:神さまのお医者さん 作者:こりん

第4回   4.自発動向
 長男が、年長の夏になる少し前の頃、
「ママは神さまのお医者さんになるんだって」
「だからママは病気の意味とかがわかるんだって」と言った。
 わたしには、その言葉を理解することが全くできなかった。わたしの元に、神さまのお医者さんという人がやってきて、完全に健康にしてくれるということなのかと、聞いてみた。
 長男は笑っているだけで、お兄さんの通訳はしてくれなかった。

 それからも、長男を通訳にしたお兄さんとの会話は続いたが、今思えば、お兄さんのわたしに対する役割は完了していたのだろう。ひらめく感じがなくなったような会話になっていった。

 幼稚園の夏休みが終わり、9月になったある日、日課のヨガを始めようと正座をして合掌をした。
 首が右の方を見るように動いた。わたしは、何もしていないのに、勝手に動いたのだ。
 今、勝手に動いたよな〜と不思議な気から、不気味な気持ちになり、怖くなって素早く子供たちの寝ている布団の中に入りこみ、何かに連れ去られないように、小さな次男にしがみついて寝た。
 次の日も正座をして合掌をしてみると、天を見るように首が後ろに倒れ戻せなくなった。
 前から見たら、首がないかのように見えるくらい後ろに倒された。戻そうにも首を動かす方法がわからなかった。自分の力で身体を動かすことがわからなくなるほど、身体全体の力が別の大きな力の下にあるようで、わたしは完全に力が失われた状態だった。
 首が痛いということはなかったが、だんだんと息ができなくなってきた。もう死ぬ〜と思った瞬間に突然、首が戻された。
 そのとき、わたしの内側から強烈な勢いの何かが、どばーっと噴き出して喉から頭上をとおって天に向かって突き上がって昇っていった。それと同時に、わたしのこころが叫んでいた。
「生きるのも死ぬのもこの大きな力には逆らえない。わたしは今まで生きていると思っていたけど、生かされていたんだ」
 それから毎日、四六時中、身体が勝手に動き始めた。

 気合を入れていないと、身体が勝手に動き出してしまう。どうにかそちらの力にもっていかれないようにしながら、さっと家事をこなし、子供を寝かせつけた後、ようやく身体が動くままにすることができた。
 数日間、こういう状態を過ごして、これって何だろう、わたしはおかしくなったのかと不安になってきた。寝る前の長男に聞いてみた。
「だから、ぼくが言ったでしょ」と。
「白い神さまが、ママの手と足をもって動かしているよ」とニコニコしながら教えてくれた。
 その言葉を聞いて安心した。白い神さまのお医者さんが、わたしを治療するためにやって来てくれたのかと思い、その力に完全に身を任せることにした。

 長男と次男は、それぞれ違う幼稚園に通わせていた。朝、長男と次男をそれぞれのバスに乗せた後、帰って来るまでの間は、わたしの自由な時間だった。最低限の家事を済ませたあと、完全に身を任せた。
 痛くないように190センチ角の厚手のマットを2枚重ねて、正座をして合掌をした。
 ヨシ! とゴーサインが出たかのように、完全に開放されて動き始めた。マットの敷いていない床を転がったり、壁にぶつかったりと痛い思いもしながらも、止めることは出来ず続けた。
 何回も何回も後ろ周りを続けたり、手や足をグルグル回したり、全身をうねるような波たたせるような動きを続けたり、とにかく激しく踊り狂った。
 食べ物は受けつかけなかった。動き始めた初日に、動きながら嘔吐してしまってから、いつでも胃は空っぽにしていることが、わたしのできる唯一の準備だった。このころはまるで拒食症のようだった。
 お腹も空かないし食べる気が全く起らなかった。
 
 3年くらい、週に1回ヨガ教室に通っていた。気合をいれていればどうにか保つことができたが、ヨガ教室では、あの力に身体はもっていかれると思った。他の方たちに、迷惑をかけてはいけないと思ったので、欠席することを先生に電話で伝えた。そのとき、ヨガの先生ならこういうことを知っているかもしれないと、ふと過った。
 身体が勝手に動いて止まらないということを伝えると、
「何、食べたの?」と聞かれた。
「何も食べていません」と言いながら、ここにはもういる必要はないと思った。
 そして、ヨガ教室を辞めることを伝えた。もっともっと極めていきたいと思っていたヨガに、縋りつかないわたしになっていた。動きにはヨガのような動きも含まれていたし、頭立ちのポーズも成功するまで、何度も勝手に動いて訓練させられた。この先生の下で学ばなくても、この踊り狂う動きがあれば、わたしはそれでいいと思えるようになっていた。それに、ヨガを2箇所で習ったが、ひとつは元エアロビクスのインストラクター、もうひとつは趣味でヨガを続けた主婦が教えていた。どちらも最後に瞑想をするが、横になってポカーンとひと休みすることだと教えていた。

 この勝手に激しく動くというものが、どういうことなのか知りたかった。
 インターネットで身体が勝手に動くと何度も検索してみたが何もわからなった。
 数年後に、野口整体で整体を学んだ整体師の先生に出会い、野口整体の創始者に同じことが起こっていたと教えてもらった。それから、自発動向というものがあることもわかった。そして、それはただそれが起こるだけの場合がほとんどで、ヨガとか野口整体を経験すると、よくあることらしい。

 身を任せて踊り狂う日々を過ごしながら、その身を任せているときは、そのときに、考えようとしても空っぽで何もできなかった。
 そういう何もない時間を過ごすことは、怠けているような気がして、今まで生きてきたなかで全くないことだった。いつもやらねければならないことが山のようにあって、それに支配されている日々を過ごしていた。身を任せて踊っている間は何もできない。家事は最低限のことをさっと済ませるだけの状態で、以前であれば発狂したくなるような片付かない家の中でも、それなりにきれいになっていると思えるようになった。掃除に対してだけ病的にこだわりがあった。ちりひとつなく、やり残した部分は夜中にまで掃除しているような人だった。
 わたしは、病的な潔癖症で強迫性障害だったのかもしれないと、自分自身を振り返ることができた。
 身体が勝手に動くということは、わたしは何に縛られて、何に支配されていたのかを示し、そして開放してくれるものだった。すべては、自分が自分にこう在るべきと、縛り付けて苦しくなっていたのだと思った あの踊り狂う日々は、わたしではないもの、わたしが作り上げた自分から解き放ってくれたのだった。

 身体が勝手に動くと同時に自動筆記も行っていた。それも、ノートとペンを身体が勝手に動いて用意して、読めない字をスラスラと書き続けるのだった。書くと同時に言葉が頭の中に浮かんできた。そうやって何冊ものノートにスラスラと読めない字を書き続けながら、言葉を聞き取っていった。、何冊あるのか数えてはいないが、重ねると20センチくらいになっていた。そのノートに書かれた内容は未知の驚くべきものではなく、知っているけど、言葉として表に出すことが、わたしにはできない、追いつかないようなものだった。すべては、わたしが経験してきたことだった。


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