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作品名:神さまのお医者さん 作者:こりん

第3回   3.白い服を着たお兄さん
それから、甲状腺ホルモンの値を、わたしの正常値にするための試行錯誤が始まった。
 毎日、ヨガの甲状腺を刺激するポーズを行った。
 ホメオパシーに出会い、診察を受けた。そこでようやく、わたしの甲状腺は正常に働き始めたように思えた。ホメオパシーこそ真の治療なのだと思えた。
 本を読むことが苦手なわたしであったが、ホメオパシーの本だけは片時も手放さず、片っ端から舐めまわすように読んだ。本の内容は、知らないことを学ぶというよりも、自分の中では既にそれは知っているのだけど、言葉に表すことができないだけで、それを明確な言葉で表現しているように思え、深く信頼することがができた。
 ホメオパシーのレメディーも本も、直に置くことができなかった。きれいな布または紙を敷いた上に、丁寧に置くという動作が当たり前にできた。叔母から、仏教の本やお経の本を、そうするように言われて育ったが、どうしてもその作法が身につかなかったのに、ホメオパシーに対しては無作法に扱うことができなかった。
 ホメオパシー的な見方では、喉に腫瘍ができる人というのは、言いたいことが言えない人ということを知った。それはそっくりそのまま、わたしに当てはまった。

 結婚してから、義母と夫の言動に小さく固くなるしかなかった。ふたりの前では、はい、わかりました以外の言葉を発することは、できなくなっていた。
 毎日毎日、繰り返される出来事に耐えられなくなって、耳がぼーっとして聞き取りにくくなってきた。
 義母と夫の言動を詳細に覚えているが、それを書き連ねると、自分がどれ程小さい人間であるのかを表現しているだけの文章になってしまう。義母や夫にとっては当たり前の言動であるのだろうが、わたしにとっては狭いところに押し込められて、考える自由も思う自由も奪われ、逃げることもできない状態だと感じていた。義母がすべての世界であった。
  話し合いができるような人たちではなかった。お互いを尊重して、理解して歩み寄るという関係は築けない。従わないわたしは悪い人間だと決めつけられた。
 
 少しでも歩み寄る部分があるかもしれないと、夫に対してはお互いの考え方を摺り寄せる話しを数回してみた。
 仏教の教えに、へつらいというものがあるが、そういうものを読んでみることを勧めたが、乱暴な態度で拒絶された。ホメオパシーのレメディー像で、当てはまりそうなものを読んでみるように勧めても、怒りでかえされた。
 自分と向き合うとか、自分は何者であるのか、そういう自分が存在していない人に何を言っても無理だということが分かった。生きることは苦しいことだと、わたしは幼稚園のときから思っていた、中学生のときに「人間は考える葦である」という言葉を知って、わたしだけが悩んでいるのではないのだと、みんな同じように悩みを抱えているのだと、ひらめくように思ったときから、いつも握りしめていた手を弛めることができた。
 
 夫という人間は、やはりそういう人だったのだ。最初から分かっていた筈だったが、実体験で確認できて納得した。
 母親から溺愛され、何でも買い与えられ、何不自由なく、何の苦労も試練もなく、今まで生きてきたのだろう。反抗期もなく、大人にならずに小学生のまま。
 夫と義母を見ていると、呼吸が浅く激しくなった。落ち着いて、ゆったりした気持ちでいられなかった。
 何も言えなくなった。何かを発する気は完全に失った。もう何もかも押し殺して生きていくことを選んだつもりだったが、それでもわたしは表に出ていきたかったのだろう。それが、腫瘍をつくった根本的な原因だろうと思えた。
 
 ホメオパシーのおかげで、見えていなかった自分を見つめる方法を知った。わたしに起こる問題は、わたしへの課題であり、メッセージなのだ。自分自身が未熟だから苦しくなるのだ。成長して変わればいいのだ。わたしだから、わたしがそう思ってしまう、そう感じてしまうから苦しくて耐えられないのだ。わたしに問題があったのだ。わたしがわたしをどうにかしなくてはならないのだ。と、自分に言い聞かせるように過ごした。

 それはそうでも、やはり義母と夫への嫌悪感は捨てきれなかった。
 憎んではいけない、手放さなければ、と、その部分をホメオパシーで解放しようと思ったが無理だった。 深いところに作用するというフラワーエッセンスも試したが、全く届かない感じがした。
 苦しみを押し殺して腫瘍ができた。苦しみの原因を、義母と夫にすれば、激しい憎悪の感情がわたしに巻き付いてくる。憎しみはどうすれば消えてくれるのか。わたしが変わればいいのだと、ただひたすら自分の心身の健康のために、関わり方を考えるしかなかなかった。
 自分を変えるために、自分自身だけを見つめ続ける毎日になった。

 長男は、苦しむわたしをずっと見ていた。
 身体が不調になってから1年が過ぎたころ、長男が年長になる前の春休み、いつものように布団の中で子供たちを寝かせつけていた。次男は、いつでもあっという間に寝てしまうが、長男は寝つきが悪く、布団に入ると、いつでも興奮しておしゃべりになった。そんなある日、
 「ぼくは虹の世界に住む白い着物を着たお兄さんと話をしている」と言った。
 わたしは、子供ってこういうことを言う、という本を見たこともあったので、ここは否定も肯定もしないで、
「ふ〜ん」と応えた。
「ママはずっと頑張ってきたから、ママのためならなんでも教えてあげるよってお兄さんが言っている」
 長男はお兄さんの言葉をスラスラと通訳し始めた。
「ママの病気は治るの?」と聞いてみた。
「ママがどう思うかが大事」と言った。
「ホメオパシーは?」
 ホメオパシーが治してくれるのではなく、自分自身は患者であって治療者であるということを伝えてくれた。
 この言葉で、これは本物だと思った。ホメオパシーもホメオパシーのレメディーが治してくれるとは言っていない。自分と向き合う方法を、その方向を示唆してくれるだけで、そこから自分自身で向かうことができる人に劇的な治癒がもたらされるのだと、わたしは経験から、そう思った。
 もっともっと話していたいと思ったが、幼児は早く寝た方がいいので、その日は少しだけの会話で終了した。質問の言葉がわたしの中から押し上げてきて、今にも口から出ようとしているのを感じながら眠りについた。唇辺りがモゾモゾして、喉から手がでるという表現こそ、この状態なのだと思った。

 それから、毎日、寝る前の少しの時間が、お兄さんとの会話の時間になった。
 わたしはもう誰にも頼らないし、自分自身で答えを見つけていくという人になったと思っていたが、 何もかもすべてお見通しのお兄さんには、圧倒された。わたしは、その前にひれ伏したい気持ちになった。
「ママはどう思うのか」
「ママは自分で考えなければいけない」
「ママはわかっているから」
 わたしはお兄さんに答えを教えてほしかったのに、すべての質問の答えは、わたしが探せということだった。わたしがどう思うのか、わたしがどう考えるのか、わたしは経験からこういうことだと思うと話すと、それについては褒めてくれたり、もう一度よく考えてなおすこと、ときに冷淡に無視したりして、導いてくれた。
 
 お兄さんと話していると、自分自身が明確になっていった。わたしは何も知らない、だけど何もかも内に備わっている、だから知ることができると、本当にそう思えるようになった。これは、自分を信じるという、道なき道を歩き始めるために必要な心構えだった。
お兄さんの導きのおかげで、ぼんやりとしか見えなかった言葉が、はっきりと明確にわたしの中で立ち上がるように思えた。そして、
「すべてはわたしである」という言葉をお兄さん伝えることができた。
 わたしが創造主であるということが、深く静かに理解することができた。

 わたしはわたしをすべて背負って生きていく。わたしの部分を他の何かに背負ってもらおうなんて全く思わなくなった。そんなこと、本当はできないのだ。そういうことが、だんだんと明確に見えるようになったのだった


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